『時の流れに見る人影 前編』作者:十五人 / Ej - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
田舎から引っ越してきたばかりの高校生、俺こと川下小太郎は転んだと思ったらマンホールに吸い込まれて!?目が覚めるとそこは江戸時代でしたーー!?困惑する小太郎は、時雨様なる人と間違えられて、見知らぬ大名屋敷へ連れてこられる。そこで出会った雅幸様、(とその他諸々)は自分のことを知ってるみたいだが?そして、朱鷺姫様はなぜか自分にだけ冷たい?「くそ、狸の言うことには聞く耳持たずか!」
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原稿用紙約29.01枚



 ここはとある大名屋敷。豪奢なその屋敷になにやら騒がしい声が聞こえる。もうすぐ、紅葉の見頃となる季節だ。
 その騒がしい声の持ち主は、小さな男の子で子供ではあるが整った顔立ちをしておりあどけなさの中にも凛々しさを感じる。上質なその着物から位の高い者であることが見て取れた。
「時雨!おい、時雨はおるか!」
「はい、ここに」
「おう!おったか」
 若、雅幸様がなにやら自分の名を呼び立てる。急いで駆け寄れば、若は頷いて満足げな顔をした。あぁ、この顔は……何か悪いことをなさる前の顔だ。思わず、しかめっ面をしてしまった。
「……時雨、何を眉間に皺を寄せておる」
「いえ、何も。はたしてなんのご用で」
 にやり、その効果音がぴったりな笑いを見せた。どうやら自分の勘は当たっていたようだ。
「城下へゆくぞ!」
「なりません」
 思った通りだ……!どうしてこの方は……!!いつにも増して輝いた瞳でこちらを見てくる。止めた自分の言葉など耳にも入っていないようだ。
「若ともあろうお方がホイホイと城下を歩くモノでは御座いません! その上…今は楽の稽古の時間ではないのですか!?」
「楽はつまらぬ、鼓も3回ほど革を破いてしまったしな」
 プゥ、と頬を膨らませたその顔を見て、溜息をついた。この方はどうしてこうも、わがままばかりなんだ……!こうなるともう止められない。横目で見れば、もう既にイソイソとどこで仕入れてきたのかは知らないが、庶民の着物に着替えようとしている。こういう時の準備だけはいつもこの人はぬかりない。ますます眉間の皺を深くしている自分に若は、オイ、と声を掛けた。
「ほれ、何をしておる。お前も早く着替えぬか」
「はいはい、分かりました!なんとか楽の先生は私がなだめ……って、えぇ!?ななななんと!?」
 若がふい、と指さした先を見れば、もう一着庶民の着物が。な、何を言うんだ!この人は!!
「なんのためにお前を呼んだと思っておる、ほれさっさと着替えて共に城下へ参ろうぞ」
「……若、私目眩がして参りました」
「そのような戯れ言は聞き飽きたぞ、時雨。命令だ、城下へ行くぞ」
 がくり、と肩を落とした私などは気にも留めず、着替えを再開する。そうだ、この人にはどんな抵抗をしても効果はないのだった。止められるとすれば若のお父様、現当主か、あの方……
「あーーっ!またサボってる!!」
「ぐっ、朱鷺姫っ!?」
「おはよう御座います、朱鷺姫様」
 長い髪に宝石や真珠がちりばめられた金の簪をさし、赤い振り袖をひらめかせて一人の少女がやってきた。白い肌に大きな目、天真爛漫な笑顔を振りまく愛らしいお方だ。名を朱鷺姫、彼女は……
「もう、あたしを誰だと思ってるのよ? 貴方の許嫁よ、そのあたしを置いていくなんて!」
「うぬぅ、だから朱鷺姫には見つかりとぉなかったのに……!」
 思わず小さく笑うと、若はより一層不機嫌になってしまった。あぁ、こりゃ大変だめんどくさいことになりそうだ、とまた溜息をつこうとしていたところ、朱鷺姫様がこちらに目配せしてきた。
「うっ……、あ、貴方は……あたし、のこと……き、らいなのね……ぐずっ……うっ、うわぁああんっ」
 目に涙をためて朱鷺姫様が泣き出した。一瞬にして二人とも目が点になった。勝ち気な朱鷺姫様が泣くなんて夢にも思わなかったからだ。
「な、泣くな朱鷺姫っ!べ、別に俺はそなたが嫌いな訳では……っ!」
「ほんと?じゃあ、連れて行ってくれる?」
「……う、うぬ」
「やったぁーー!」
 さっきまで泣いていたのが嘘のよう、朱鷺姫様はその場で飛び跳ねた。一方若は、してやられた……とでも言うような苦々しそうな顔をしていた。チラ、と朱鷺姫様がこちらを見て小さく舌を出したのが見えた。涙は女の武器、とはよくいった物だ。一体どこで覚えてきたのやら。……本当は、めんどくさそうな素振りをしていても若はそこまで朱鷺姫様のことは嫌いではないのでしょう。
 三人が庶民の着物へ着替えたころ、横で若が唸った。
「ぬぬ、偽名を考えねばな」
「偽名?なんで?」
「三人ともいくら着物を変えたところで、名前で呼び合えばすぐ見つかってしまうであろう…… 見つかって怒られるのは嫌だしな」
「私はもう若を止められ無かったので、恐らく怒られることは確かですがね」
 さて、なぜこうも悪知恵が働くのか。こんな事まで気が回るのなら勉学にもう少し力を入れて頂きたいところだ。名案を思いついたのか、若がポン、と手を叩いた。
「うむ……ぬ、では、時雨。 お前生まれたのは何月だ」
「神無月で御座います」
「よし!では、時雨は今から『神無』だ。 俺は……『如月』だな」
 そこへ、朱鷺姫様が不服の声を上げる。
「えぇ、じゃああたしも『如月』になっちゃう」
 二人とも同じ月生まれだった。これでは若の名案も使えない。また若がムムム……と唸った。いかん、また機嫌を悪くされては困る!
「そ、それでは朱鷺姫様、好きな色は?」
「え、えと、紅色」
 急に自分が訊いてきたので、少し朱鷺姫様はうろたえた。だが、すぐに好きな色を答えてきた。
「紅……くれない……べに、べにお……紅緒などはいかがでしょうか」
「わぁ、素敵!それにする!」
 にんまりと若は笑って、自分と朱鷺姫様の手を取って言った。
「如月に神無に紅緒だな。では、行こうぞ」



 騒々しい目覚まし時計のアラーム、窓のカーテンから漏れる僅かな黄金色の光、前の道を車が通ったのか、ブロロロロという重低音が聞こえる。そして、似ているけど少し違う空気が俺を包む。
「眠……」
 スポーツ刈りにした天然の茶髪に黒い瞳、肌は日に焼け小麦色の少年、ただいま高校二年生の俺、川下小太郎は大きく伸びをした。眠い、眠い……でも、今日から新しい学校だ……。寝ぼけ眼をこすりながら俺はフラフラと起き上がった。
 俺は父の転勤により、四国のド田舎から東京の真ん中に一昨日引っ越したばかりだ。住み慣れた家とも古くからの友達とも別れるのはとても辛かったが、仕方のないことだ。引っ越す直前にらしくもない友達の泣き顔を、初めて見た。みんな、みんな良い奴ばかりだった。胸が締め付けられて、昨日は眠るのに一時間ほど費やした。正直言えば、今すぐにでも故郷に帰りたかった。でも、でも……。
 階段を下りて、一階のダイニングに向かうとまだ少しだけ温かい朝食が小さなメモと共に置き去りにされていた。『温めて食べてね。母』
 母も父も忙しく、顔を合わせる事は殆ど無い。言っておくが 良い両親だと思う。二人とも俺のことをいたく心配してくれている。仕方のないことなのだ。東京に来たばかりでこの辺にも詳しくない。忙しくて当然なのだ。ひとりぼっちで温めもせず朝食を胃に流し込んだ。部屋は一人でいるにはあまりにも大きすぎて、それを気にしないように急いでご飯を掻き込む。……新築のこの家が、どことなく薄暗く感じるのは気のせいか。



 玄関に鍵をかけて、急いで家を飛び出す。急がないと電車に遅れてしまう。着慣れない制服は、どこか堅苦しい。肩に教科書の入った鞄の重みを感じる。
 早歩きをしながら電車の時刻表を鞄から引っ張り出す。横目で見れば道の脇には整然と店が並び、人があふれている。時刻表を見て、その電車の本数の多さに驚いた。五分に一回も来るの!?田舎じゃありえねぇっ!
 とはいえ、初日から遅刻なんて論外だ。やはり急ぐことにした。
梅雨に入りジメジメしている空気に眉をしかめる。早くこんな季節も過ぎてくれないかと暢気にそんな事を考えていたそのときだ。
ふわっ、と妙な浮遊感に襲われた。転んだのだ。こんな何もないところで……!?だっせぇ!
 丁度、足下の落ちるであろう地面にマンホールがあるのが見えた。だんだんマンホールが目の前に近づいてくる……。転んだ、地面に体が叩きつけられる直前に、そのマンホールに吸い込まれる様な感覚に陥った。はは、そんな馬鹿な……あれ?
 俺……俺、落ちてない!?気がついたときには既に遅く、俺はマンホールの蓋を通り抜け真っ直ぐにマンホール内に落ちて行っている最中だった。どこのマリオだよ、オイ!



「痛っ!!」
 ガツン、と勢いよく地面にぶつかった。着地の仕方が悪かったのだろう。思いっきり顔から落ちたために、口の中を切ったのだろう。血の鉄臭い味が口内に広がるのが分かった。そして、もう一つ気づいた事が。
「……いってぇ……どこだよ、ここ……」
 俺はどこかの古びた小屋の中にいた。地面だと思っていた足下は、埃を被っているがそれは古い酷く年季の入った木の床で動く度にぎしぎしと鳴る。所々腐っているところもあり、今にも抜けそうだ。4畳半ほどの広さで同じく古い木の壁は隙間が空いており、そこから蜂蜜色の光が漏れ出している。部屋の隅には蜘蛛の巣が張り、小さなネズミの気配もする。埃っぽくて薄暗くて、とても人は何年も訪れていないだろうことは容易に推測出来た。さて、どうしたものか。とてもここがマンホールの中だとは思えない。俺は夢でも見てるのか?おかしい、それにしてはリアルすぎる。この血の味をどうすればいいのだ。
 とにかくここを出ることだ。俺は出口を探した。どこもかしこも埃まみれでむせかえりそうになる。壁を伝っていくと、微かな凸凹があるのを見付けた。薄暗い上に埃まみれで分からなかったが、どうやらここに扉があるらしかった。めし、みしっ、という木々が軋む音を響かせながら俺はその扉を押し開けた。



「う、わ……眩しい!」
 目の前を光が包んだ。今までずっと暗いところに居たからだろう、目がくらんで前がよく見えない。だんだんと、目が慣れてきて見えるようになってきた。が、突然俺のすぐ近くで悲鳴が聞こえた。
「きゃぁぁあああああ!!」
 女の悲鳴だ。それも若い。やっと見えるようになった視界で周りを見渡してみると、思わず俺は腰を抜かしそうになった。
「なん、だ……こりゃあ!?」
 俺を取り囲むようにして数十人の人がこちらを見ていたのだ。しかも、皆着物や袴などの和服で、男はちょんまげで、女は髪を結い上げまるで京都の芸者さんのようだ。そして、俺の姿を見れば制服を着き、手には鞄を持っている訳で。そりゃ、これだけ着物の集団の中にコレでは目立ってしょうがなかった。人だけではない、町並みもいつも見慣れている高層ビルやコンクリートの家は無い。道脇にぎっしりとうだつのある木造の町並みが並んでいる。なんだよコレ、集団コスプレか!太秦映画村か!!時代劇か!!!
「ひ……な、なんで、いきなり人が……!?」
 さっき悲鳴を上げた町娘が顔を青くして何か言っている。白粉で顔は真っ白、薄暗い色の着物、結い上げた黒髪にかんざしをさした若い高校生ほどの女の子だ。え、何?俺?耳をそばだてると、ひそひそ他の人々の声も聞こえてきた。
「あいつは何もんだぁ?妙な格好してやがる」
「茶の髪とは……もしや、南蛮の者かも」
「何もないところからいきなり現れた?狐や狸じゃあないのかい?」
 なんだと?俺が狐?狸?どうやったらそう見えるってんだ!妙な格好って、よっぽどあなた方の方が妙ですよ!俺、ヅラじゃないリアルちょんまげって初めて見ましたよ!
「何もないところって俺はこの小屋から……!?」
 嘘だろ……俺は目を丸くした。振り返ると出てきたはずの小屋がない……!呆然としていると、誰かが笑い声をあげた。
「ほんとに狸かぁ!?狐かぁ!?小屋なんてどこにもねぇやい。狸が狸に化かされでもしたか」
「怪しげな奴よ… ほんにどこから来たのやら」
 気分が悪くなって、あからさまにむぅ、と不機嫌な態度を示したのが悪かったか、ますます野次の声が大きくなった。
「おぉ、怒った怒った!」
「妙なことをされては敵わん!誰ぞ、同心を呼んでこい!」
 おい… おい…っ!?ど、同心!?そんな、たしか、……同心とは、歴史で習った江戸時代の今で言う警察のような者のはずだ。冗談じゃねぇ……!何で俺が警察なんか……!そもそも「同心」って……!?それにこの人々の格好や町並み……まるで……まるで……!?
「ちょっ、すいません!こんな所で妙な喧嘩したい訳じゃないんです!誰か教えて下さい!!ここはどこですか!?いつですか!?」
 いくら俺が訊こうと人々は眉を寄せて遠ざかるか、野次を飛ばすかだった。くそ、狸の言うことには聞く耳持たずか!
 まるで訳が分からない!教えてくれと何度せがんでも、憫笑を浴びせられるだけだった。そうこうしているうちに、俺の周りに集まっていた人垣が割れて一筋の道をつくった。同心のお通りだ。
「うぬ、こちらに怪しげな物の怪が居ると聞いたが」
 もののけなんかじゃねぇ!いつの間にか俺は狸や狐決定という訳だ。人垣の中の一人のがたいのいい男が、こちらですと俺を指さした。俺はもう呆れて何も言えない。はは、逆に笑えてくるぜ。考えても見ろよ、マンホールに落ちて気がつけば警察に化け物として引き渡されるんだぜ?どこの不条理ギャグマンガだ、口からは自然と溜息がこぼれた。
 …あれ、なんで、こんな周りがしぃんと静まりかえっているんだ?チラ、とその同心を見た。着流しに黒い羽織、よく日に焼けた肌をしたこれまた引き締まったカッチリとした体をしていて男らしい。が、一つおかしいとこが。なぜか、俺を見て目を見開いてナワナワ震えているのだ。本当に狸だと思って用心しているのか?
「ま……まさ、か、時雨……様!?」
「ほへ?」
 とりあえず、狸とは思ってないようだ。さて、それでは「時雨様」とは、俺のことだろうか。ふい、と後ろを振り向いてみても誰もいない。やはり、俺のことのようだ。だが、残念なことに俺にはこの同心の顔に見覚えはない。ここは知り合いのふりでもして助けて貰おうか。なんて考えているのも束の間、
「いっ、今すぐに雅幸様の元へ!!誰ぞ!駕籠を!!駕籠を呼んでこい」
「うぇ!?駕籠って……ちょっ、まままま待って!」
 聞く耳も持たず、その同心は素早く現れた駕籠と呼ばれる人力で運ぶ乗り物に俺を押し込めた。もう、何が何だか分からないうちに勝手に運ばれていた。外でえいさ、ほいさ、とたくましい男達の声が聞こえる。きっと俺を運んでいる駕籠者だろう。激しく上下に揺れるので思わず吐きそうになった。ま、待てよ……本当に、ヤバイ、吐きそ……!その苦しみに悶えているうち、数分後に目的地に着いたのか、ドサリ、と地面に下ろされた。
「へい、大澤様のお屋敷前でごぜいます」
「うっ……、あ、ありがと、う」
 恐らくあの同心に貰ったのだろう、数枚の小判を懐へ入れながらホクホク満面の笑顔でその駕籠者はこちらへ手を振った。俺はそれどころじゃなく、駕籠で思いっきり酔ってしまった。フラフラとした足取りでその辺りをさまよっていた。もう……なんでも、いいからどっか……トイレ…!吐きそう、気持ち悪い……



「……うわ!?」
 目を開けると見覚えのない天井が目に入った。木でできていて所々に豪華な飾りや絵が描かれている。俺が最初にいたときのあの素人が造ったような掘っ立て小屋とは雲泥の差だ。何で横になっていたんだろう、起き上がってぼんやりと考えていたら、背後から声が聞こえてきた。
「おう、起きたか」
 整った顔立ちの青年だ。まだ高校生、俺と同じか少し下くらい。たくましく、凛とした好青年。艶やかな黒髪に瞳、綺麗な落ち着いた赤色の着流しを着て頭は今で言うポニーテールだ。そして、その青年にも俺は見覚えはない。後ろにいたのはその青年だけではない。黒い羽織を着たおじさまやおじいさま方が十数人ほど。どの人も知らない人ばかりだ。あっけにとられていると、その青年はどっか、と俺の側まで来て胡座をかいた。え?何?俺に何か……?マジマジとその青年の顔を見ていると、その青年は、まだ寝ていてもよいぞ、とクスリと笑った。寝るって……見れば、俺は布団の上に居た。上等な羽毛布団だ。ふっかふかで気持ちいい。周りを見渡すと、かなり広い大豪邸だった。イメージとしては平安時代の寝殿造りみたいな。いや、あそこまで広くはないけど、それにしても立派だ。木造で大きな窓があり、そこから風流な日本庭園が見える。うわ、俺見知らぬ人の家で寝てたんだぁっ!?
「あ、えと、す……すいません!ありがとうございました、布団まで貸して貰って……。俺いまいちどうなったのか覚えてないんですけど……その」
 うろたえつつも、礼を言うとフワリと香の香りがした。上品で、優しい香りだった。顔を上げると、その青年が笑っていた。おじさま方の視線がこちらに集まるのが肌で感じられた。
「ふふ、門の前で倒れておった。以前からあまり駕籠に乗りたくないと言っていたのは酔いやすいからなのであったのか、初耳だな」
 にやにや、と人の悪そうな……いや違うな。まるで面白い遊びを見付けたような子供の顔でその青年はそんなことを言った。なるほど、駕籠から降ろされてからの記憶がなかったのも布団に寝かされていたのも納得した。が、一つおかしい事がある。
「以前……って、俺と貴方、初対面ですよね?その、貴方だけじゃなくて、ここにいる皆さんも……」
 どうにもこの人は見たことがない。こんなイケメン、田舎では見たこと無いし、ここにいるおじさま方も……いくら見ても知り合いはいなさそうだ。東京には知り合いすらいないし、なんて考えていると、その青年は目を丸くしていた。今までずっと黙りこくっていたおじさまやおじいさま方も俺のその一言を聞いた瞬間にざわざわ、とざわめきだした。
「お前……もしや、記憶がないのか?ここがどこか、分からないのか?」
「……えー、そのマンホールの中……?じゃないですよね?……いや、その、さっぱりです……」
「まんほうる?」
 日本語、ひらがな表記で「まんほうる」と繰り返す青年。しばらくそうした後、はっとしてまたこちらに向き直って、大きな声で言った。
「……私のことは……っ、私のことは覚えているか!?私だ!雅幸だ!お前の主人だぞ!?」
「ま、雅幸……様?」
 そうだ、と大きく頷いた青年。この人が……雅幸様!あの同心の言ってた人だ!
ちょっと待て、「主人」って言ったか?この人が……俺の?いやいやいやそりゃねぇ、と首を振る俺をその雅幸様が見ていた。その目つきは必死だった。でも、いくらそんなに見つめられても知らない者は知らない。
「ほ、ほんとにすみません……わ、分からないです」
 雅幸様は呆然とした、信じられないとでも言うようにこちらを見た。雅幸様の脇からとある一人のおじさまが飛び出した、白髪のちょんまげに、同じく白い眉毛。七十くらいか?いかにも爺やと言ったところだ。赤い顔でなにやら必死にこちらへ声を掛けてくる。
「し、時雨様…… 儂は、儂のこともお忘れですか!?清一郎で御座います!」
 我も、我もと足下におじさま方が集まってきた。皆一様に自分の名前を唱え、覚えていますか、などと言ってくるが……申し訳ない、全く見覚えがない。
「す、すいません……、そ、その……」
 うろたえる俺を見てその場にいる俺以外の全員が唖然とした。嘘は言ってない、嘘は言ってない!でも、なんとなく気まずい雰囲気になってしまい、俺は口をつぐむしかなかった。耳を澄ませば、こそこそと小さな声が聞こえてきた。
「まさか……記憶をなくされたか、時雨様……おいたわしや……」
「せっかく生きていて下さったのに……これでは……」
 えぇえ!?俺、記憶喪失!?じゃ、ないな。両親や故郷、名前も俺が誰かもきちんと分かる……のに?じゃあ、何でこの人達は記憶喪失だと言ったんだ……!?もしかしたら……?
「すいません、多分人違いですよ!俺、川下小太郎って言います」
「……!?ぬ、お前、時雨ではないのか!?」
 雅幸様が目を更に大きく見開いた。まただ、「時雨」って。あの同心も俺のことを「時雨様」と呼んでいた。多分、この人達はみんな俺をその「時雨」って人と間違えてるんだ!きっと、俺とそっくりの誰か……。すると、目の前の好青年の顔が少し歪んだ。眉間に皺を寄せて、渋い顔をしていた。なぜかとても痛々しく見えた。まるで涙が出るのを堪えているかのような……。
「しか、し……いや、すまん、かった」
 少し低い、小さな声が鼓膜に響いた。その青年の声に合わせて周りのおじさま方もみんな平伏した。俺はなんだかもっと居心地が悪くなったように思えて、今すぐこの雅幸様から、この場所から離れたくなった。なんだよ、こっちだって訳分かんねぇことばっかだっての……。泣きたいのは俺だ。目のやり場に困ってふ、とその雅幸様に目をやると、じっとこちらを見つめていたその真っ直ぐな瞳とぶつかった。その目はまだ何か疑っているような何かすがるような目だった。
「すいません、布団とか……ありがとうございました……じゃぁ、失礼します」
 そう言って、そそくさとその場を離れようと立ち上がったときだ。一人のおじさまが俺に声を掛けてきた。
「お、お待ち下さい!そろそろ外も暗くなっておりますし、一泊されてはいかがですか?お屋敷には飛脚を飛ばしますので」
 最初に、自分が誰か分かりますか、と聞いてきた人だ!えーっと、「清一郎」さん!だったかな?
 言われて外を見れば、確かに少し暗くなっていた。そうか、俺寝てたから……。そうだ、俺、学校とかっていうか早く家に帰らなきゃいけないじゃん!いや、その前にいっぱい聞きたいことがあるんだ!もしかしたら……もしかしたらここは……!
「その……すいませんっ!こ、ここどこですか!?そ……それと」
 少し、俺はごにょごにょと言葉を濁した。もし、この俺の考えが当たっていたならば、もしかしたら俺は帰れないかも知れない……もしそうなら、聞きたくない、嫌だ、と恐ろしく思ってしまったからだ。しかし、こんな所でウダウダしていたってしようがない。意を決して、俺は声を振り絞った。
「その……っ、ここは、え、江戸時代ですか!?」
 急に大声でそんな事を聞いたので、さっきまで平伏していたおじさま方が驚いたように顔を上げた。そりゃそうだろう。今何時代ですかーー?なんて普通訊かないよな。おずおずと、清一郎さんが答えてくれた。
「え、えぇ。今は徳川様の治める時代で御座います。そしてここは、大澤雅幸様が当主、大澤家のお屋敷にて御座います」
 その途端、目の前が真っ暗になった気がした。なんてこった、「着物」「ちょんまげ」「うだつのある町並み」「同心」「駕籠」「飛脚」……疑問が繋がった。ここは江戸時代!俺は……タイムスリップしてたのか……っ!うすうす、そうじゃないかと感じていたがまさか、本当にそうだとは思わなかった。かくん、と膝をついた俺を見て、清一郎さんと青年が俺の側に駆け寄ってきた。心配そうに声を掛ける二人の声は遠く感じた。大丈夫なのかこいつ、屋敷がどこか覚えているのか、と言うような周りのおじさま方の訝しがる声もぼそぼそと聞こえてきた。家への帰り道が無くなった。
「ど、どうした!?しぐ……では無かったな、川下殿!」
 うろたえた様子で雅幸様と清一郎さんが駆け寄ってきた。
「……どうしよう、俺、お、れ……!」
「ひ、ひとまずお屋敷へご連絡いたします。お屋敷はどちらに」
「無理ですよ、この時代に、俺の家は……無い、んだから……っ!」
 涙ぐむ俺に心配そうに清一郎さんが声を掛けてくれたというのに、俺はもうどうしようもない喪失感に襲われて八つ当たりするようにその手を払いのけてしまった。もう、本当にどうすればよいのか分からない、分からない!タイムスリップなんてどこの漫画だ、笑い事じゃねぇんだぞ……クソッ!!そのとき
「あら、時雨様が本当にいらっしゃるわ」
 女の綺麗な澄んだ声が聞こえた。優雅なその声のした方に振り向けば、一瞬にしてカッと俺の頭に登った血が降りた気がした。そこにいたのは最初に見た町娘など比にならないほどの絶世の美女。黒髪は絹糸のようで美しく金の簪はその黒髪により一層映えていた。白い肌に赤い唇、黒い大きな瞳に長い睫、とことん整った顔立ち。落ち着いた赤色の豪奢な着物はよく似合っていて、どこをとっても美しい。
「時雨様があのように声を荒げるなんて珍しい事もあるのね」
 艶やかに笑う、笑う。目が釘付けになる。こんな綺麗な人、見たことない。立ち振る舞いも仕草もどれもなめらかで綺麗で、高貴で言葉に言い表せなかった。
「いや、朱鷺姫。この者は……時雨、では無い。川下殿だ」
「まぁ。随分とおかしな格好をしていらしゃると思ったら」
 すっ、と音もなく雅幸様に近づいて側に座る朱鷺姫様。ぼんやりと呆けていれば、清一郎さんが小声で、この方は朱鷺姫様。雅幸様の奥様で御座います、と説明してくれた。ふぅん……ってえぇ!?この人が!?雅幸様と夫婦!?思わず目を見開いた。
 でも、でも……この二人はお似合いだ。美男子と美女、到底自分なんかには似合わない。そりゃ、自分だって不細工だとは思わないが、イケメンな訳でもないとは分かってる。知らず知らずのうちに、じっとその二人を見つめていた。
「あまり、そのような卑しきお顔で見つめないで下さります?」
 グサリ、ときた。こんな……露骨に、美人さんに初対面で嫌われるとは思わなかった。嘘、俺ってそんなに不細工!?思わず鏡が見たくなった。そこへ、雅幸様が朱鷺姫様をたしなめた。
「これ、朱鷺姫。お前はいつも、なぜか時雨には手厳しいな」
 不満げな表情をした後、朱鷺姫はフンと鼻を鳴らした。まだ棘のある口調で彼女は言う。
「で?その川下様が何の用?屋敷がないってどういう事?」
 ……本当のことを言っていいものか、迷った。下手に未来から来ました、なんて言って頭のおかしい奴と思われたくないなぁ……。でも、他にどう言えばよいのか思いつかなかった。目を泳がせていると、雅幸様と朱鷺姫様の視線がこちらに集中するのが分かる。
「どうした?川下殿」
「そ、その……信じて下さいます?」
「何よ、妙な前置きなんかして」
「……あぅ、その……俺、み、未来から来ました」
 沈黙。その後、一斉にざわめきが広がる。
「うぬぬ、この者本当に大丈夫か!?」
「未来から……信じ難いな」
 コソコソ、ぼそぼそ、小さくおじさま方の訝しむ声が聞こえる。後ろにいるおじさま方を見回すとどの顔も一様に怪しげな疑うような顔をしていた。あぁ、言わなけりゃ良かった!そりゃそうだよ!頭おかしいよ、もう!!今更悔やんでも後の祭りだ。眉をしかめていると、
「わーっはっはっはっはっはっはっはっは!!」
 ビクリ、と自分の肩が小さく跳ねた。さっきまでのざわめき声もその声に一瞬にして、消え去った。それほど大きな、豪勢な笑い声が部屋中に響き回った。その声の方に顔をやると、なんとその大音声を出していたのは雅幸様だった。今もまだ、笑い転げそうなほど大爆笑している。
「え、ちょ、ま、雅幸様?俺、それ本当ですから!」
 ここまで大爆笑されるとは思わなかった。少し赤い顔でそう言うと、はっはっはそうかそうか、とより大きな声で笑った。くっくっく、と笑いを堪えながら子供のような顔で雅幸様は俺の目を真っ直ぐに見てこう言った。
「お前、面白いなぁ!本当に時雨に瓜二つだ!!妙な格好で妙な言葉で妙な言い訳をするくせに仕草などは全て時雨のものだ!いやはや、そうか、未来からか!長旅だったろうに……ふっ、ふふふふふふ!」
 またゲラゲラ笑い出した雅幸様の隣で呆れたように朱鷺姫様が言う。
「雅幸様ったら下品ですわよ」
「そう言うな朱鷺姫ぇ!久々に気分が良いぞ、そうだ宴でも開こう。川下殿の歓迎会だ!」
 ポカンとしている俺に雅幸様は、今晩は泊まっていけ、お前と話がしたいと言ってまた笑った。
2011-07-19 13:45:55公開 / 作者:十五人
■この作品の著作権は十五人さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
おつかれさまでした。
拙い感がぷんぷんしますが……ご、ご愛嬌ということで見逃してくださいっ!
以前流行ったJINブームに地味に乗っかろうと、タイムスリップものです。
JINブームにしても遅すぎるか。
ほとんど、自分の偏見といいますか、イメージで送っているので本当の江戸時代の様子からは少しずれてるかもしれませんね……。
後編、小太郎より雅幸様や朱鷺姫様メインに動くと思います。どうぞ、よろしければ後編も見てやってください!
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