『死帰』作者:masato / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
ノンフィクションです。これは僕がまだ生まれる前に父から聞いた話です。かなり短編になっていて読みやすいと思うので情景を頭の中で描きながらぜひ読んでください。
全角1203文字
容量2406 bytes
原稿用紙約3.01枚
五月蠅い 五月蠅い 五月蠅い。

もういい加減にしてくれ、これ以上俺の中に染み入らないでほしい。

わかった、わかったから! もう充分だ。

ぐつぐつと怒りと淋しさが入り混じった想いが岩男を更に追い込んでいく。
閉め切った窓から蝉の声が攻撃的に突き刺さる。
便箋は白いままだ。筆は宙に浮いたままとまっている。真っ白な頭の中が急にミンミンゼミの命の儚さに変わった。
岩男は筆を置きペンに持ち替えた。おもむろにペンが進む。

『父さんはお前たちに何もしてやれなかった。今、父さんには誰も頼れる人がいません、仕事もありません。お前たちを食べさせていく事も出来ません。』
少しずつ文の乱れが文章に表れていくのが岩男にもわかった。

『総一郎、和夫、照子、父さんはお前達三人を大人にすることが出来なくなりました。神戸さんからも花巻さんからも友達の横山君からもお金を借りてしまい、返せそうにも返せません。いつかお前達が大人になった時、返してくれるようお願いします。』
勝手な言い草ばかりを並べている。岩男にはそんな思いなどみじんもない。

『お前達の母さんほど最低な女はいません。牧場を手伝いに来ていた大阪の若者と駆け落ちしたのですから。だから父さんは大阪まで行ってその若者に怪我をさせてしまい、前科者になりました。』

岩男は川口家の長男で跡継ぎである。
川口家は元々岩手がルーツなのだが明治初期、開拓民として函館へ越してきていたのだった。
酪農を営み今では50頭を超える牛を扱い、一応名の知れたほどになっていた。
そんな中での殺傷沙汰事件である。


三年ほど刑務所に入所して本家に戻れず、札幌で三人お幼子と四人暮らししていた。

『三人共ばらばらになるかもしれませんが、力を合わせて頑張ってください。』


突然岩男の顔つきが変わった。あの瞬間の憎しみが目の前に鮮明に現れたのだ。


           殺してやりたかった、二人共。


『総一郎、お前は長男なんだから二人の弟と妹の面倒もきちんと見てやってください。
                                        川口岩男
                                       昭和6年7月29日』


こう綴ってペンを置いた。

なおもミンミンゼミが強く啼き始めた。
外は日がさんさんと差しているのに、別世界の様にここだけは日が当たらない。
暑苦しく、息苦しく、それでも三人の子供はすやすやと昼寝をしている。

何も考えない、何も思わない、全てが白く霞む様な雲の上にたたずんでいる感じだ。
おもむろに横に用意してあった紐縄を天井の横柱に掛けた。


ミンミンゼミの声が遠く、遠く、遠く…。

2011-05-29 18:58:59公開 / 作者:masato
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