『線路』作者:黒みつかけ子 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 赤いコートの少女が、前を覚束ない足取りで歩いていた。
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原稿用紙約3.2枚
 線路

 赤いコートの少女が、前を覚束ない足取りで歩いていた。どこで落して来たのか、その足は何も履いていなかった。黄色い線の外側を思わず踏み超えてしまいそうな危なっかしさに、僕は少女の腕を強く掴む。
「おうい、大丈夫か。酔っぱらっているのか」
 少女はくるりと振り返った。おかっぱ頭の女の子かと思っていたが、それは年老いた老婆であった。思わず手を放すと、老婆は喉の奥から絞り出すような引きつった笑いをもらした。それは閑散としたホームに、からっ風と共に響き渡る。
 乾いた唇に、無理矢理のせたピンクをゆがめて、老婆は再び歩き出した。僕は気味が悪くて仕方が無かった。しかし、このままだと彼女は線路に落ちかねない。年末にミンチを見るのは御免だと、すっかり酔いのさめた頭を落ち着かせて後を追った。
 こんな場末の駅だ、終電前となればほとんど人が居ない。吹きあげる風にポケットにいれた手をぎゅっと握りしめる。
 老婆は千鳥足のままで、ホームの先に立った。ここから先に道はなく、ただ冷たい線路が夜の闇に向けて続いている。外灯が申し訳なさそうにぽつりと佇んで、彼女を照らしていた。すると、それがスポットライトであるかのように、歩いていただけの彼女が腕を振り上げて、突然飛んだ。五本の指は何かを掴むようにのびて、腕が宙をかいた。そして、間髪いれずにまた飛び跳ねる。それは、奇妙な踊りだった。跳ねるたび、素足がぺたん、ぺたんと地につく音が耳の裏に貼りついた。
ぶんと振った腕の反動で、彼女はバランスを崩した。背筋がひやりとして僕は思わず叫んだ。
「危ないっ」
 すると、すんでのところでくるりと回って、態勢をたて直した。そして、こちらをゆっくりと振り返った。僕は胸をなで下ろすとともに、その顔を見て嫌悪した。老婆は唇を左右に引き伸ばして、にたりと笑っていたのだ。
「あなたには見えないのね」
 しわがれた声は何故か憐れみを含んでいた。わけが分からないまま、口を開きかけたが、吹きつける風に思わずまぶたを閉じた。ゴミが入ったようで、視界がぼやけて赤いコートが二重にも三重にも重なって見えた。
「さきほどからあたしを誘う、星色をした蝶の姿が」
 そう言って宙を指差した。勿論、そこには星ひとつない夜空が広がっているだけで、蝶なんてどこにもいなかった。その代わりに、頭の上からアナウンスが降りて来た。
 遠くに四つ目ライトの列車が、ごうごうと唸りながら線路の上に現れる。老婆は再び飛び上がった。その瞬間、手のひらが、何かを捕えたかのようにぎゅっと握りしめられたのを、僕は見た。赤いコートを突風が突いた。列車はファンと音を鳴らして四つ目をぎらつかせた。彼女はよろめいて、難なく一歩を踏み越えて、宙に落ちて行った。眼前に白い光が広がる中、満足げに笑みを浮かべる老婆は、まるでうるわしい少女のようだった。
 目の片隅に赤い切れはしを残したままの僕の背中を、蝶が通った気がして、思わず振り向いた。しかし、そこには冬が黙って座っているだけだった。

 了
2010-12-03 00:02:48公開 / 作者:黒みつかけ子
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■作者からのメッセージ
 肩に力をいれずに仕事をこなせるようになってから、ようやく戦いの準備が整うのでしょうか。
この作品に対する感想 - 昇順
はじめまして、白たんぽぽと申します。
作品拝見しました。情景描写が豊かで素敵な作品だなぁ、と感じました。
少女のような老女と星色の不思議な蝶は、どちらも不気味な存在感があって、それがいい感じに場を盛り上げる要素になっているな、と思いました。
特に星色の蝶は、この作品では謎だけを提供して消えてしまったように思えましたので、他の作品でこれがなんだったかの説明なんかがあったらいいな、と野暮なのかもしれないですが、思いました。
ではでは、次回作など書かれましたら、また感想など書かせてくださいね。
2010-12-03 16:18:21【☆☆☆☆☆】白たんぽぽ
計:0点
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