『小さい死』作者:マーモン / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 二学期に使う教科書を配ると言うので、あと数日で夏休みも終わるその日、久々に学校へ行く事になった。
 何だって昼日中の一番暑い時間に、それも一番日陰の無い時間に出歩くかなくちゃならないのか。
 燦燦と注ぐ陽光と、教科書配布日に今日を選んだ学校を密かに恨めしく思う。
 少しでも涼が取れるなら嬉しくて、普段は嫌いな電車さえもこの日は有り難く感じた。
 それにしても気分が重たい。苛々と不満が鬱積して、虫の居所がどうしようなく悪い。
 何故かと言えば、何の事は無い。数日前に身内と喧嘩をして、それが未だ尾を引いている。
 喧嘩の原因などは、馬鹿馬鹿しい程たわいないものだった様に思う。少し時間をおけばそう気付くのに、何故互いにあそこまで躍起になれたのかどうにも不思議だ。
 どちらが悪かったとも思わない。たった一言謝りさえしたら、それで済む事なのだ。けれど妙な意地が邪魔をして、こちらからそうするのを頑として許さない。
 頭と理屈では納得しているのに。ジレンマに陥った結果が今日の機嫌だ。
 お陰で大概、何をしても気は晴れない。それどころか普段は気にもしない事でも癪に障って、周りにまた理不尽な八つ当たりをしない様に堪えるのに苦労する。 
 座席ではしゃぐ子供も黄色い声が耳障りで、それを塗りつぶす様に音楽プレーヤーの音量を一気に引き上げた。
 誰かとうっかり目が合うのが嫌で、頑なに窓の外へ目を向ける。何時もは楽しみに眺める風景も、今日は夏の陽射しを反射してギラギラと目に痛い。結局直ぐに止めて瞼を閉じた。
 視界に訪れた闇の中で、ぐるぐると抜け出せない思案が回っている。暫くして割り込んで来た睡魔がその思案を遠ざけてくれるのにかまけて、考える事を放棄した。 
 
 **
 電車を降りると、喧噪と湿気と熱気の有り難くも無い歓迎を受ける。
 学校に塾、病院にコンビニ、飲食店。色々なものが近くにひしめき合う様に並ぶ場所。人も建物も、此処には色々なものが密集する。
 駅の外は音で溢れ還っていた。隙間無く音が詰まっている。
 大勢の人間がバラバラに、一度に喋る音。車の行き交う音、クラクション。そして残りの隙間を埋める様に、空一杯に蝉時雨が響く。
 信号が赤から青へ変わるのを待つ間、多くの人と同じ様に駅の屋根の下の日陰に引っ込んだ。
 真昼の陽光で、コンクリートの地面が真っ白く光っているのを黙ってみていた。
 信号が調子外れな、短いメロディを奏で始めたら次の日陰へと急ぐ。其処はスクランブル交差点で、皆が行きたい方向へ好き勝手進む。人の波を縫う様に歩いた。
 茹だる様な暑さに、忘れようとしていた苛立ちがまた頭を持ち上げる。足取りは逆に、寧ろ鈍くなった。
 こちらの気なんてまるで解さず、数m先では二羽の雀が街路樹の木漏れ日の下で仲良く跳ね回って遊んでいる。
 そのまま近づくと、雀は二匹ともパッと飛び立って道路一つ挟んだ向かいの通りへ移動した。それからまた、同じ様にちょろちょろと走って遊びだす。この暑いのに、それもあんな羽毛を纏っているのによくもまぁ元気なものだ。
「鳥に夏バテって無いのかな」
 何時か知人が口にしていた疑問が蘇る。その他愛なさに、ほんの少しだけ気が軽くなった。寒すぎるくらいクーラーの効いた建物に入れば気も静まるだろうか、なんて思い立つ。
 目的の場所までは後少し。街路樹の向こうに聳える見慣れた学校を見た。何時もは辟易している教室の寒さに、意味の解らない期待を抱いて愚図っていた足を速めようとした。
 真横の方から、けたたましい鳥の鳴き声が上がった。非常ベルか何かの様にぐりぐり、ぐりぐりと耳にねじ込んで来る。
 折角少し前向きになった気分に水を差された気がして、何事だろうと不機嫌な顔でそちらを見た。
 道路一つ挟んだ向かいの通りで、雀二羽騒いでいた。定かでは無いけれど、それは先程遊んでいた二羽の様だ。
 そしてその内の一羽――一際つんざく様に叫ぶ雀の首を、烏が嘴でしっかりと挟み込んでいた。
 よく見かけるハシブトカラスとか言う種類の烏だ。
 何時かテレビでハシブトカラスは鳩を襲って食べる時もあると言っていた。実際にそのシーンを捉えた生々しいVTRも見たけど、画面越しの映像は何処かリアルに欠けていて余り怖くも思わなかったのを浮かばなかったのをぼんやりと覚えている。
 見た瞬間はぎょっとした筈なのに、何で私の頭は場違いにもそんな事を思い出しているのか。
 けれど目を逸らす事は出来ない。他の景色が、音が、全部ピントを外した様に意識から閉め出された。
 痛そうな雀の悲鳴が間断無く鳴り響く。真黒で冷たい、烏の無表情な目玉が雀をジッと見ていた。茶色い小さな翼が懸命にもがいてコンクリートの地面を叩いていた。それでも真黒な嘴は、無慈悲に雀の首を挟み込んだまま離さない。もう一羽の雀にまで、急に街路樹から飛び降りて来た二羽目の烏が襲いかかった。その雀は上手いことその烏の爪を避けて、最初の烏に掴まったままの雀の傍でまた大声で鳴き立てる。
 ――助けたいんだろうか。
 再び二匹目の烏に狙われながら、それでもその場から離れない片方の雀を見てそんな事を考えた。
 ――あの位しか出来ないんだろう。
 小さな小さな命が一つ、食われかけている。
 眼中に無い様子で、茶髪の若い男の子が三人、げらげらと談笑しながらその脇を通り過ぎた。
 一向に黙らない雀を銜えたまま、最初の烏が飛び立った。真っ黒い姿が、それに加えられて暴れる姿が遠くなる。雀の鳴き声も未だ煩いとはいえ、心なしか弱くなっていた。
 ――あの雀は死ぬんだな。
 無感動とは違う、けれど何だか異様に落ち着いた気分。
 二羽目の烏は直ぐに飽きてしまったのか、もう一匹の雀はなんとか難を免れて、それでもジッと連れて行かれる仲間を見て鳴いている。
 ――終わりだろうか。
 そう心の中で呟いた私に反発でもする様に、何だか妙に力の籠った、雀らしからぬ鳴き声を一つ発してその雀が飛翔した。怒っている様な鳴き声だ。
 そのままその雀は烏に追いついて、小さな嘴で烏を突っつきに掛かった。――そうしている様に見えた。癇癪を起こしたスズメバチみたいにしつこくつきまとって離れない。
 鳥に表情があると思った事は無いが、その時ばかりは一つしか無い筈の烏の表情が不意を突かれて驚いている様に見えて仕方なかった。
 そうこうしていたら、遂にぽろりと零れる様にして烏の嘴から捕まっていた雀が逃れた。落ちてしまうのでは無いかと杞憂をする私の前で、解放された雀は元気に自分の翼で飛翔する。
 それから二羽、直ぐに一緒になって、一目散に烏から逃げ出した。
 二羽は私の直ぐ後ろ、街路樹の下にあった小さな茂みに飛び込んだ。びぃびぃ、そこでまたさかんに騒ぎ立てる。鳴いているのか、それとも泣いているのかよく解らない。
 烏のしゃがれ声が、怒った風に降って来る。応じる様に返った別の烏の声は、げらげらと笑っている様だった。
 意識の外に追い出されていた他の音が、ざぁっと押し寄せる様に戻って来た。最早煩いとは思わない。
 人々の喧噪も、蝉時雨も車の音も、全部が一緒くたになって輪郭を失い、酷くぼんやりとしたものとして耳の中に響いている。周波数の悪いラジオでも聞いている気分だ。
 妙に現実感を取り戻せない中で、ぼんやりと周りを見回した。
 潰されて半分ほど身体が無くなってしまった芋虫を、巣に運ぼうと蟻が群がっている。
 蜩が何処か近くで、声を限りに無いていた。私の足下では油蝉が一匹、その生涯を終えてコロリと転がっている。
 甲高いサイレンの音が走りすぎて行く。振り返れば、幾らも離れていない所に建つ病院から救急車が出て行く所だった。
 かと思えば、病院の人に見送られて家族の待つ車へ笑顔で歩いて行く老人が居る。
 
 生と死の距離はこんなに近いものだったろうか。

 蒸し暑い風に通り越されたのに、何だか背筋が寒くなった。
 何かに急かされる様に、残り少ない距離をまた歩き出す。
 
 先程の雀の事を思い出したら、安堵とも感動とも、よく解らないのに涙が零れそうになるので困惑した。
 それを堪えて居たから、結局私は険しい顔のままだったろうか。けれど溜っていた重たい何かは不思議と消えている。
 さっきまでは開く事すら躊躇われた携帯を取り出して、あっさりと家の番号を押す。

 謝ろう。
 

2010-08-29 05:09:34公開 / 作者:マーモン
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■作者からのメッセージ
おはようございます。
ミッシングリングの更新を止めた訳では決して無いです。
昨日見た事を突発的に書きたくなったマーモンです。
小説じゃなくて日記じゃないの之、と知人につっこまれつつ。失礼しました。
この作品に対する感想 - 昇順
作品を読ませていただきました。夏に生と死を感じるのはよくありそうで失礼な言い方をすれば、よくある題材なんですが、淡々と事象を書くことによって上手く書かれていたと思います。ただ、最後の主人公の行動への繋がりは唐突感がありました。では、次回作品を期待しています。
2010-09-12 22:06:01【☆☆☆☆☆】甘木
計:0点
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