『蒼い髪16話』作者:土塔 美和 / t@^W[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 ネルガルはこの銀河を文明化するという名の下、実際は自分たちの飽くなき欲求を満たすために、友好を結ぶふりをして王子や王女を他の星系へ送り込み、次々と支配下に入れていった。そんな中、神と王と平民の血を引く王子ルカは、ボイ星へと送り込まれる。そしていよいよネルガル帝国がその本性をあらわにする。
全角50983文字
容量101966 bytes
原稿用紙約127.46枚
 M1アパラ星系第四惑星ネルガル。ここはネルガル帝国の作戦会議室。天井の大スクリーンには銀河の航宙図が映し出されている。中央にアパラ星系、そしてその周辺は緑色にマークされた星々が取り囲んでいた。それらの星々から少し離れたところに、幾つか黄色くマークされた星がある。これらが次の標的の星々だ。その中にM6星系第七惑星ボイも含まれていた。そしてそれが赤く変わった時、作戦開始を意味する。そして緑となった時、ネルガルの大地と化したことを意味した。 そして今、一つの星が赤から緑になろうとしている、ウィルフ王子の命と引き換えに。 



 ルカはホルヘたちの帰りを、カレンダーに印を付けるかのようにして待ちかねていた。
 とにかく、何事も無く無事に帰ってきてくれさえすれば、それだけでルカは満足だった。
「ただ今、戻りました」
 国王への報告を済ませたホルヘたちは、その足でルカの所へやって来た。
 ルカの開口一番は、
「無事に戻ってきてくれて、本当によかった」と、安堵の顔。
 どれほど心配していたかが、その様子で伺える。
「帰りはワームホールまでクリンベルク様の艦隊が護衛して下さいました。指揮はマーヒル様で」
 そこにカロルが同乗していたのは言わずもが。
「そうでしたか」
 ルカが一番心配していたのは、宇宙海賊を装ってのヴェルネ子爵の手の者による襲撃。だがクリンベルクが相手では、誰も手を出せない。
「カロルさんは、元気でしたか」
「以前一度お会いした時と、お変わりありませんでした」
「では、相変わらずですね」
 クリンベルク将軍が頭を抱えている姿が目に浮かび、ルカは思わず笑みをこぼした。
「ですが、お兄様のマーヒル様に引けを取らないほど背が伸びられ、軍服がよくお似合いでした」
「そうですか」
 ルカはその姿を想像しようとしても、十二、三歳の頃の悪戯好きなカロルしか思い描けない。
「これを、カロル様から」と、ホルヘは帰り際にカロルから預かった返礼の品をルカに差し出す。
「何かしら?」と言うシナカに、
「だいたい想像が付きます」と言って、ルカはその包みを開けた。
 箱の中には案の定、宇宙戦艦のレプリカ。
「最新型だそうです。おそらく邪魔だと言われるだろうから、そしたらお前の手で何処かに強引に飾っておいてくれ。と言付かって参りました」
 シナカが、まぁっ! と言うのに対し、ルカは苦笑した。
 知っているなら持たせるなと言いたい所だが、不思議とこれが嬉しかった。おそらくこれに勝る返礼はないだろう。これこそがカロルなのだから、彼は一つも変わっていない。
「一番目立つところに置きますよ、カロルさんの心ですから」
 そこにはありがた迷惑な響きがある。
「そしてこちらの品は、シモン様から姫様へ」
「私に?」
 ティエラだった。銀河の涙と賞賛されるグレアデス星系の石。この高級な石をふんだんにちりばて品よく作られている。シモン嬢様らしい見立てだ。
 ルカはそれをそっと箱から取り出すと、シナカの頭にのせた。
「似合うかしら?」
「このままネルガルの舞踏会へ出られそうです。きっとハルメンス公爵のような方がいっぱい声をかけてくれますよ」
 だがルカは、この高価な贈り物より、その箱の中に一緒に納められていた手紙の方をあり難く受け取る。
 手紙は二通。ルカとシナカに宛てたものだ。その文面はネルガル語でどちらも、まるで姉が弟をいたわるような言葉で綴られていた。
 シナカは自分宛の手紙を読み終わると、大事そうに懐へしまう。
「宝にしたいと思います」
 この人の初恋の人。どのような方かとおもっていたが、この文面を見て全てがわかった。私もこの方に負けないぐらいこの人を愛したい。姉としてではなく妻として。
 ルカはルカで彼女の気持ちがよくわかった。初恋には程遠い。彼女は自分を弟としか見ていない。カロルはカロルでやんちゃな弟。そして私は、理性的で合理主義。ただそれが行き過ぎないことを彼女は心配している。今回の事件でも、もう少し違う方法はなかったのかと。これでは敵を作るようなものです。それでなくともあなたは目立つのですから。容姿といい知性といい、あなたは気づいておられないご様子ですが。
 ルカの行動を面と向かってはっきり批評するのはナオミと彼女ぐらいなものだろう。
「素敵な方ね」と、シナカはシモンを評した。

 ホルヘとサミランが自室へ戻ったのは陽も傾いた頃だった。
「ご苦労様」
 待っていたのはキネラオだった。一息つけるようにと黄茶を用意してある。
「ネルガルはいかがでした」
「勉強になりました」と言ったのは、サミランだった。
 彼の特技は木工でも建築が専門。ネルガルの銀河の推移を集めた建造物の数々は、サミランを圧倒させるのに充分だった。貴族の館を見て歩くだけでも充実感を味わえた。
「しかし、クリンベルク将軍の館はもったいないですね。あれだけの立派な館なのに、名画や武具を必要以上に飾られておられる。あれではせっかくの建物が、否、名画ですら色あせてしまう。お互いがお互いを打ち消しあっているというか、飾り方にテーマがない。所構わずという印象を受けました」
 キネラオとホルヘは笑う。武具と名画の数のすごさはルカから話は聞いていた。ホルヘは今回それを実際に目の辺りにしてきた。
「あれは、保身のためだそうだ。実際将軍は、あれらのものを欲しているのではなかろうと、殿下は仰せです」
「保身?」
「私は物に執着しています。と言うことをアピールするためだそうだ」
「それがどうして、保身になるのですか」
 サミランにそう訊かれて、キネラオとホルヘも首を傾げた。
「私はネルガル人ではないから、わからない」と答えたのはキネラオだった。
 何故物に執着することが保身になるのか。
 ホルヘはホルヘで収穫があった。
「殿下の女性の好みがわかった」
 ホルヘのその言葉にキネラオは驚く。だがサミランは納得した。
 クリンベルク家でのシモンとの会話は楽しかった。前回はお会いすることのなかった人。サミランが言うように、まさに姫様にそっくり、気性がお強く、理性的、そして優しい。
「あれでは下手な男性では打ち負かされてしまいます」
 そしてクリンベルク将軍。あの方が現ネルガル帝国の全ての艦隊を指揮していると言うが、家族思いの温厚な方に見受けられた。

 一方、守衛たちの方でも、
「どうだった、久々のネルガルは?」
「皆、元気だったか?」
 ディスプレーを前に思い出話で盛り上がっている。
「トリス、どうだった、こっちは」と、仲間の一人がにやけた顔をして小指を立てた。
「それがよ、こいつ、下町へ行って喧嘩しても戻って来てから、一歩も外にでねぇーんだぜ」
「じゃ、花街には」
「しょうねぇーだろ、有り金全部すられちまったんだもの」
 さすがに孤児院へ全部寄付してきたとは柄でもないから言えない。
 ついてねぇーな。と皆が笑う。
「それでか、俺が何度も声をかけたのに、ホルヘの護衛があるからなんて言って、やたら真面目に仕事するふりして。ホルヘにはレスターが付きっ切りだし、クリンベルクの館じゃ、誰も手を出す奴などいないのに」と、ハルガンは笑う。
「せっかく高級娼婦、紹介してやろーと思ったのに」
 トリスはそっぽを向く。何とでも言えという感じに。
 あの時は、ただただ殿下と坊ちゃんに感謝したい一心だった。



 丁度その頃ネルガルでは、
「ウィルフ王子の仇を取ったぞ」
 凱旋があがる。M8星系との戦いは終焉を迎えた。
 仇を取るという言葉は、民衆を一番奮い立たせる。何も知らない民衆は、報道部の流す情報をそのまま鵜呑みにした。情報の溢れかえっているこの世界なのに、くだらない情報はうるさいほどあっても肝心な情報はその中に埋もれ、民衆が気づかないうちに流れさっていく、勝利というオブラートに包まれて。生活苦、せめて勝利の杯を供にというところだ。だが多くの民衆の血が流れたわりには、それで利益を得るものは極一部の貴族だけだった。そんなことも民衆は知らない。ただその利益の万分の一が民衆に些細な喜びを与えた。民衆はそれだけで満足した。
 そしてもう一つの戦争も終焉を迎えようとしていた。ネルガルは新たな獲物を求めて動き出す、現金主義と言うその貪欲な胃袋を満たすために。そしてその目が銀河宇宙図の一点に制止した。
「ボイ星か」
 憲法を制定し、しだいにネルガル的な国家体制を築き上げつつある。
「蛮族どもが、猿真似を始めよって」
 商取引も次第にこちらの言うままにならなくなって来ていた。今までは損得も知らない星人だと馬鹿にしていたのに。
「誰が知恵を付けているのだ」
「知恵が付く前に叩くべきだ」
「あそこには宇宙を航宇するための燃料が眠っている」
「どうせ奴等には宝の持ち腐れだ」
 どう因縁を付けるかがこれからの課題。
「まずは現政権に不満のある者を探し出せ。特にネルガル人が王子として君臨していることを快く思っていない者を」
 最終的にその者に王子の暗殺を依頼する。そうすればM8星系同様、哀れな幼い王子の仇を討つ。ということでボイ星へ総攻撃ができる。
「ルカ王子は人形のように美しいから、こういう役には適任だ」
「そうですな。平民にも人気がお有りのようでしたから、さぞ同情の声があがることでしょう」
 そのためには王子とボイ人との間に溝を作らなければならない。その第一の手段として、
貪欲な商人たちにボイの資源の貴重さを教え、あの星へ送り込む。だがその必要はなかった。彼らはもう既に移住し始めていた。後は背後にネルガル帝国からの法的保護を与えるだけで、否、黙認だけでよい、どんなことをしても黙認してやれば彼らの行動はエスカレートする。
 最初に新天地に渡るのは崇高な者たちからではない。大半はそこで一攫千金を掴もうとするハイエナのような者たち。彼らは利益のためなら手段を選ばない。強引な資源の採掘の結果、ボイ星がどうなろうと、そんなことは彼らに関係ない。資源が枯渇すれば、他の星へ移住するばよいだけのことなのだから。
 次第にボイ人とネルガル人の間に摩擦が生じる。そこへ関税、ボイの品は安すぎるからと、それに原産物のネルガル星以外の星への供給の禁止、運搬用の船はネルガル星船籍のものしか認めない等々、ネルガル人を通さないと貿易ができないようにネルガル帝国から言ってきた。
「どういうつもりだ」と、ボイの商人たちは騒ぐ。
「ネルガルからの意向なもので、私には」と、ボイの役人たち。
 その度にルカは知恵を出し、のらりくらりとネルガルからの誓約書を無効してきた。これには、緊急の時にはどうにもならないと、ハルガンが非難するボイの二重政権体制が役に立った。
 国王に言えば、政は全て宰相に任せてあると言い、宰相に言えば議会にかけて国王の採決を得なければならないと言う。
 この政治体制は慎重だが、緊急のときの判断は遅れがち。だが今までのボイには、そんなに急を要するような事件は起こらなかった。
 ルカはこの体制に助けられた。手段を講じる時間が稼げたのだ。一つ一つネルガルから持ち込まれる難題を吟味し策を講じた。時にボイ人たちと話し合い、時に独断で。次第にルカの邸にはボイの執務官たちが出入りするようになった。何時しか他のコロニーからも、王や宰相の代理がやって来る。
「頭のいい子だ」
「彼がいなければ、今頃我々は」
 ネルガルの恰好の餌食になっていた。
 まずネルガルの目標は、ボイの星間貿易をネルガル人の手に収めることだ。そうすることによって。しかしこの星は、貨幣経済で持っているわけではない。そのためこのやり方ではネルガル人が思っているほどダメージを与えられないが、それでもじわじわと首をしめられているのも事実だ。それがルカをいらだたせていた。このままでは何時か、ボイ人たちの不満は限界に達する。
 ルカは縁側に座り片ひざを立て、柱にもたれかかり苛立たしげに爪を噛む。
 シナカはその様子を暫く遠くから見詰めていたが、そっと近づくとその隣に座った。
「何か、心配事でも?」
 ルカは爪を噛むのを止めると、声の方に視線を移した。
「いいえ、何も」
 シナカに心配をかけさせたくないから、嘘を付く。
「あなたがそうやって爪を噛む時って、何か考えている時でしょ」
 ルカは慌てて手を隠す。
 いつもは右手の親指の爪。だが今回は手当たりしだいだ、左手の爪まで。どの爪もぼろぼろになっていた。
 シナカはそっとルカの隠した手を掴むと、自分の手で包み込む。
「私にも、何か手伝えることはないかしら」
 ルカは黙り込む。
「皆があなたのこと、感心しているわ。すぐに答えを出してくれるのですもの」
「私の答えなど役に立たちません。その場しのぎにすぎないのですから」と、ルカは呟く。
「あなた」と、シナカは心配そうにルカを見る。
「ネルガルはこれからも無理難題をしかけてきます。彼らが諦めるまでボイ人が耐えてくれれば、ボイの勝ちです。でも、耐え切れずに爆発した時は、ボイの負けです。ネルガルはボイが立つのを待っているのです。今戦っても、今のボイの戦力では勝てません」
 ハルガンたちが随分と彼らを鍛錬し兵器も揃えた。だがこれはあくまでも初歩的なもの。こんなものではネルガルの星間警備隊の軍事力にすらおよばない。
 もう少し時間が。否、時間を与えられたところで、戦争を知らないボイ人にどうやって人の殺し方を教えればよいのか。

 ルカはシナカに手を握られたまま大きな溜め息を吐いた。
「今の私の力では、あなたを守ってやれない」と、ルカは苦しげにシナカを見る。
「あなた」
 シナカはルカを胸の中へと抱え込んだ。本来なら夫が妻を抱きかかえるものだが、まだ九歳にも満たないルカは小さかった。
 ルカは母のようなシナカにしがみ付くように、シナカの背に手を回す。
 暖かい、せめてあなただけでも助けたい。
 ネルガル人が諦めるまでボイ人が耐えぬいてくれれば。

 ハルガンたちは二人のこの様子を池の方から眺めていた。
 そこへクリスが走り込んで来る。
「どうした、クリス」
「殿下は?」と言ったとたん、ハルガンはクリスの腕を引く。
「今は、やめておけ。何の用だか知らないが。どうせ大した用ではなかろう」
 クリスは息を整えると、
「ネルガルの商人とボイ人の間で」
 何かトラブルがあったようだ・
 ここのところ、バックにネルガルの外務部が付いたせいか、ネルガルの商人の態度が横柄になってきた。
 ルカがレイに法整備を急がせたかいがあって、今のところ彼らの犯罪はボイで裁けた。
 ルカは治外法権だけは絶対に認めさせなかった。それを認めれば内政が揺らぐ。同じ罪を犯しながら、片や無罪で片や有罪では、現政権に対する国民の不信感を招きかねない。だがこれですら何時まで続くかわからない。ネルガルがその気になれば、どんな言いがかりでも付けられる。完全なものは存在しない、まして人が人を裁くために作った法律など、あらを探せばいくらでもある。ボイの法律自体を否定されては。

 翌朝、朝食の時に出た会話は、昨夜のネルガル商人の話題だった。これはさかのぼる事、半年前になる。
「水門を作る! 何処にですか?」
 ルカは驚いたように農務課の大臣に訊く。
 ボイ星は起伏の乏しい星だ。水も河として流れるよりもは面として流れる。そして最終的にはその流れは砂の中へ消えていく。
「水門など作っても意味がありませんよ、土地に傾斜がないのですから」
 堤防を決壊させるという今までのやり方でルカは充分だと思っている。どの田畑にも水が引けるのだから。下手に灌漑工事をしたところで、おそらく水は流れまい。
「灌漑用の資金を提供してくださるそうです。そうすれば今以上の収穫が」
 だがそれはあくまでも水利権を得るためのネルガル商人の口実に過ぎなかった。
 膨大な費用をかけて工事をしたところで、やはり水は流れなかった。ただ膨大な借金が残っただけ。
 そもそもこの工事を行うに当たってボイ人の意見は二つに割れた。神聖な湖に手を出すことに反対な者たちと水をより有効に利用しようとする者たちの間で。そしてその時の話し合いでは前者の方が優勢だった。ルカですら、まさかボイ人が神聖な湖に手を掛けるとは思ってもいなかった。この話はとっくに途切れたものだと思っていたのに。考えが甘かった。ボイ人はネルガル人に接することにより変わりつつある、それも悪い方向へ。なぜ。とルカは思った。餓死する者がいるならいざ知れず、既に皆が充分に食べることが出来ていたのだ、これ以上の収穫を望む必要もなかっただろうに。
 そしてこの膨大な借金を返すために、田畑に水を引くたびにネルガルの商人に金を払わなければならないようになった。
 水利権の確定だ。そしてそうするようになってから、湖はまた一回り小さくなったような気がする。水神様の怒りか。ルカはそんなことは信じない。だがこのままでは湖が枯れてしまうのも時間の問題。
 そもそも土地の所有権や水の使用権などというものはボイにはなかった。土地はコロニーのもので、成人すればコロニーからもらえ、死ねばコロニーに返す。ハルメンスが建てた館ですら、コロニーの人たちがそこに建てても良いと認めたから建てられたのであって、金を支払ったからではない。だがネルガル人は金を支払えば自分の物になったと思い込んでいる。ボイでは土地を所有するのに金を支払った支払わないは関係ない。支払わなくともコロニーの人々が認めれば土地は与えられる。では支払った代金は、寄付程度にしか扱われない。そのことによって土地が永遠に自分のものにならないのがボイの常識だ。無論、水利権も当然。その土地に住めば生活に必要な水はコロニーが保障してくれる。この感覚の違いが、ボイ人とネルガル人のトラブルのもとになった。
「レイ、どうにかなりませんか」
 法律に詳しいレイですら、どうすることもできない。
「契約書は、完璧です。借りた金を支払う以外は」
 ルカは爪を噛む。
「他にも、似たような契約をしたコロニーが」と言い出したのはサミランだった。
「いくつあるのですか?」
「四箇所ばかり」
 既にどの工事も完成まぢかか完成半ばだ。
「どうして私に相談を?」 してくれなかったのか。と今更ながらに思う。
「相談したところで、反対なさるのがわかりきっていたからです」
「当然だろう、こうなることはわかりきっていた」と、ルカは苛立たしげに言う。
「ボイ人は知らなかったのですよ」と言ったのは王妃。
 それに国王も頷く。
 ルカはこの二人の態度を見て、今の自分の態度を羞じた。
 ネルガル人の常識が他の星の常識にはならない。そんなことは知っていたつもりなのに、今の自分の態度は完全にそれを否定していた。そう、ネルガル人は自分たちの常識を他の星の者たちにも押し付ける。それだけはしたくないと思っていたはずなのに。
「済みませんでした。何かよい対処法を考えましょう。おそらく私がハルメンスさんにあそこへ館を立てることを許したのが、皆さんの誤解を生むもとになってしまったようですね。彼の目的は利益ではありませんから、いつでもあの土地から退去してもらえるのです。だから私も安心してあの土地を皆さんの許可を得て譲ってもらったのですが、他のネルガル人はハルメンスさんのようにはまいりません。その土地から甘い蜜が出ている間は、何処へも行きません、蜜が出尽くすまで。つまりその土地と住民たちが疲弊するまで」
 彼らに搾取されるだけ搾取されて疲弊している惑星が、この銀河にはどれだけあるか、まだボイ人たちはその真実を知らない。
「ですから彼らと契約する時は気をつけてほしいと言ったのです。彼らはこちらの欲しがっているものをよく知っておりますから、言葉巧みに近づいて来ます。彼らの言葉はよく吟味しないと、後でとんでもないことになります」
 だが既にとんでもないことは始まっていた。水の使用料は彼らの思いのままに上げられ、それが支払えない者のところには水が配給されないようになってきていた。収穫を前にして水を止められた田畑は、作物が枯れ始めた。
 皆の水なのに、どうして!
 水門のところで争いが起こる。獣ですら水場では争わないというのに。獣より知性を誇る人間が。
 生物にとって水は死活問題だ。ましてボイ星の水は限られている。今まで仲良くやっていたボイ人とネルガル人の間に、水を巡って亀裂が入り始めた。


 ボイの空気が次第に怪しくなるのを感じ始めた者達は、来るべき日のために、それぞれがそれぞれの手を打ち始めていた。
「とにかく、公達から殿下を守らないと」と言い出したのはケリン。
「それは、レスターに任せよう。奴なら公達だろうと何だろうと、ルカに銃口を向ける奴は皆殺しにするだろうから。それより俺たちは宇宙船のチャーターだ。この星を脱出させなければ」
「真っ先に、宇宙港は占領されるだろうな」
 それでも出航できる船となると。
 ハルガンは顎を撫でながら考え込む。
「やはりここは、頭を下げたくない奴に、頭を下げるしかないか」と、ルカのためなら渋々という感じに言う。
「ハルメンス公爵ですか。彼を使うとなると、後が高くつきますね」
「背に腹は替えられんだろー」と言う密談が決まり、ハルガンとケリンはさっそくボイ星にあるハルメンスの館へ向かった。

 ハルガンたちはここぞとばかりの豪華な部屋に通された。グラニット星系の石を敷き詰められた床、水晶のような結晶の円柱で支えられている天井。天井と柱の縁を飾る装飾の数々、そしてシャンデリア。一体何処からこれらの鉱物を運んできたのかと考えさせられるほどだ。そして待つこと暫し。
 ハルガンはいい加減いらついてきた。
「あの野郎、他人の足元を見やがって、ここぞとばかりに高飛車に出やがる気だ」
「曹長、少し落ち着きましょう。別に会わないと言われたわけじゃないのですから」
 ハルガンとハルメンス、この二人、ネルガルにいた時から女性をめぐって熾烈な争いを繰り広げていた。お互いあんな奴、俺の敵ではないと言いつつ。
「待たせましたね」と、気取って入って来たのはハルメンスとその腰巾着のクロード。
 ハルメンスのそのすました顔がいっそうハルガンの心を逆撫でた。
 この野郎と、今にも飛び掛りそうなハルガンをケリンは押さえ込む。
 絶対にこいつら、監視カメラで俺たちがいらつくのを笑って見ていたんだ。
 ケリンはハルガンに代わって話を進めた。
「私の船をですか?」
「ええ。乗せてもらうのは殿下と数名の護衛。もし駄目でしたら殿下だけでも」
 ハルメンスは楽しそうに微笑むと、
「それは構いませんが、一つ条件があります」
「条件とは?」と、ハルガンがむっとした顔で訊く。
「あなた方が私の親衛隊になってくださるのでしたら」
 クロードは吹き出しそうになった。
 ケリンはともかくとしても、ハルガンは絶対にうんと言うはずがない。
 ハルメンスはハルガンが館の門をくぐった時から嬉しそうだった。鴨がねぎ、否、鍋まで背負って来たから、少しからかってやりましょうかと。
 だがハルガンの反応はこれに輪をかけていた。
「いいだろう。ただし朝起きた時に、自分の首が胴に付いていると思うなよ」
 ついにクロードは笑いが堪えきれずに噴出した。さんざん笑ったあげくに、
「まあ、冗談はここまでにしませんか」と、冷静な顔をして話し出す。
「私がお訊きしたいのは、戒厳令下でも船を出航させることが出来るのかということです」と、またケリンが本題に入る。
「私の船ですよ、誰にも手は触れさせません」
 ハルメンスのその言葉に疑問がないと言えば嘘になる。だがやはりここは、彼の権威に頼るしかない。
「殿下をお願いします」
 ケリンは頭を深々と下げた。
「そのつもりで居りましたが」
 何のためにこんな辺境の星まで遊びに来ているのか。全てはこのためだった。
「よろしくお願いします」と、ケリンはもう一度頭を下げた。
 ハルメンスはにっこりすると、
「やはり平民はいいですね、紳士的で。それに引き換え貴族は、ものの頼み方も知らない」
 今はハルメンスの片腕と言われているクロードも、元は平民だ。

 ハルガンたちが去った数日後、ハルメンスの館にマルドック人の商人がやって来た。
「これはぼったぐり号のアモス船長、お久しぶりです」
「どうも近頃姿を見かけないと思っていたら、こんな辺境の星にいたのか」と、アモスはソファも勧められていないのにかってに座り、テーブルの上に用意されていた高価な果物と菓子に手を伸ばした。だが一緒に付いて来た仲間たちは遠慮している。まず第一にこれほどの大貴族の館に出は入りしたことのない彼らは、この時点で居心地の悪さを十二分に感じていた。シャンデリアで飾られた広々とした天井を眺めたり、豪華な調度品を眺めたりと視線に余裕がない。ついでに商人である彼らは彼らの悪癖とでも言うべき勘が働き、いつのまにかそれらの値踏みまでして、それらが天文学的数値であることを肌で感じていた。アモスはきょろきょろしている彼らにも座って食うように言う。仲間たちは一応、大貴族のハルメンスに礼を取りながらシミでも付けたら弁償できないほどの数値のソファに腰掛けた。
「辺境の星とは失礼な、この星は資源の豊かな星ですよ」
 そんなこと今更言われなくとも宇宙を股にかけている商人なら知っている。ただこの星の奴等は、商売をするのにやりにくいだけで。必要以上にがめついのも相手しづらいが、かと言って余りにも金銭感覚のない相手も、相手していて罪悪感が湧く。
「どうです、商売の方は?」
「ぼちぼちでんな。などと言わせたいために、俺をここへ呼んだ訳じゃなかろー」まして仲間までと言いつつ、食べやすくカットされている果物を口にほおばる。
 汁が飛ぶと気を使う仲間たちを尻目に。
 久しぶりに一緒に食事をしませんか、ご友人たちとも。と言うのがハルメンスの今回の誘い文句だった。
「それもそうですね」と、ハルメンスは苦笑いすると本題に入った。
「実は今日呼んだのは、一つ用意していただきたいものがありまして」と、ハルメンスが言いかけた時、
「いつも居る、あの腰巾着は?」
 アモスたちもいつの間にかクロードのことをそう呼ぶようになった。ルカの館での影響だ。
 いつも居るものがいないとどうも不自然。と言うより、商人の勘が働いたのか、頭の中で警戒音が鳴り響く。
「今、食事の用意をさせております。たまに見えたのだから、一緒に食事でもと思いまして。いろいろ旅先の話も伺いたいものですから」
「何が旅先の話だ」と、アモスは舌打ちする。
 こいつが商談より先に食事を振舞う時は、ろくな話でない。と言う事は、過去の経験から知り尽くしている。まして今回は仲間までだ。以前に増して頭の中に警戒音が鳴り響いた。
 アモスは果物を摘みながらハルメンスを睨む。
「今度は、どんなやばい仕事をさせる気だ」
「やばいなどと、めっそうもない」と、ハルメンスは顔の前で手を大げさに振るが、その目は笑っていない。
 やはり、ここは早めに退散するべきか。出来れば食い逃げというかたちで。
「イシュタルの」と、ハルメンスが言いかけた時、やはり来たか。とアモスは警戒する。
 イシュタルとはあの魔の星。ネルガル人が忌み嫌う以上に商人たちもあの星を恐れていた。あの星には何かある。なぜなら、商人の間では他人が行かない星ほど宝が眠っているという言葉があるほど、未知の惑星へ惑星へと一攫千金を夢見て行く者が多い。だがあの星だけは誰も近づかない。数千年というもの生きて戻って来たものがいないからだ。いつしか、あの星に近づいた船は宇宙の塵と化す。と言われるようになった。あの星の周りには何かある、あるいは本当に悪魔が存在しているのかも。だがここ一、二百年の間に、あの星に着陸できるようになったのだ。しかしまだ商人たちの間では恐れて近づこうとしない者が多い。無論アモスも、自分一人だけならよいが、自分の欲のために仲間まで宇宙の塵にするわけにはいかない。アモスの肩には仲間たちの命が乗っている。
「ちょっと待ってくれ。あの星は」
「別にイシュタルへ行ってくれと頼んでいる訳ではない。話は最後まで聞くことです」
「じゃ、なんだい?」と、アモスは少し弱みを見せたのが悔しいのか開き直った。
「イシュタル人の奴隷を十五人ほど用意していただきたいのです」
「奴隷?」
 これにはアモスの仲間たちの方が食べる手を止めた。アモス船長が一番嫌っているのが奴隷商人だと言う事を知らない者はいない。
「年は七、八歳から十五歳ぐらいまで、男女半々ぐらい。男女とも色白で線が細く美しい奴隷がいいですね」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」と、アモスはハルメンスの言葉を遮るように片手を前に突き出した。
 その時、クロードが入って来た。
「食事の用意ができました」と。
 何となく緊張したような部屋の空気を読み、
「どうかなさいましたか?」
「俺が、奴隷売買だけはしないことを、お前等だって知っているだろう」と、アモスは怒鳴るように言う。
 どんなにがめついだのぼったくりだのと言われても、アモスは奴隷だけは扱わなかった。がめついのではない、その危険に見合っただけの報酬を請求しているだけだ。商品を運ぶだけかもしれないが、ひとたび船が航宇にでれば、宇宙は広い、何が起きるかわからない。だが奴隷の運搬だけは断った。人を売買して飯を食うなど、人間のやることではない。
「後は食事をしてから、二人だけでゆっくり話したいのですが」
 それはただの奴隷売買でないことを物語っている。

 食事が用意されていた部屋は、この館にしてはこぢんまりとした部屋だった。それでも優に二、三十人は入れる。白を基調とした清潔感漂う壁。窓はなかったがその代わり壁には淡い感じの風景画や静物画、それに少女の横顔が描かれた絵などが飾られている。そして中央の大きなテーブルには宇宙の珍味が所狭しと盛り付けられてあった。
「すげぇー」と言う仲間たちのどよめき。
 アモスは料理を見てその危険度をいっそう確信した。
 椅子を勧められ、仲間がテーブルに着いた時、
「待て」と、アモスは仲間が箸を付けるのを止めた。
 各星々から選りすぐられた珍味、一般市民の間では話題になるが実際には口にするどころか見たこともないような。
 こんな物食ったら腹を壊す。それどころか命まで落としかねない。
「仕事の内容を聞こう」
「食べてからにしましょう。断るなら断ってもかまいません」
 今回の仕事は命がけだ、本気でやってもらわなければ成功しない。故に無理強いはしないつもりでいた。それに彼が口が堅いのは実証済みだし。
「さあ、どうぞ」と言って勧められたものの、これだけの料理、仕事内容が気になり、味どころか何処に食べたかもわからない状態だった。
 やはり仕事の内容を先に聞けばよかったか。しかし、聞けば聞いたで、おそらくその仕事を請けるか請けないかで迷っただろう。どのみちこの料理の味は俺のような貧乏人にはわからないようになっているのかと、アモスはがっかりする。俺たちのような貧乏人は食うなと神様が言っているようだ。
 ぼっーとしているアモスに、
「いかがでしたか?」と問うハルメンス。
 美味いと答えるべきか不味いと答えるべきか、いっそのこと正直にわからないと答えるべきか、アルスは迷った。
 ハルメンスはそんなアモスの心を見抜いたのか、
「仕事がうまくいったら、もう一度ご馳走いたしましょう」と言う。
「いや、俺はやっぱり屋台の飯の方がいい」とアモスは答えた。
 だいたい、こんな部屋でこんな気取った食べ方をすること事態、消化不良の一因なのだ。

 食後、お茶が出され、食べ物がこなせた頃に、ハルメンスとアモスは別室で密談に入った。
「私の友人が、マレー星に邸を構えたもので、美しい使用人が欲しいそうです。のんびりとした暮らしがしたいと言う事なので、いっそのことイシュタル人がよいかと思いまして」
 ある意味、ボイ人とイシュタル人は外見は違うが気質は似ている。欲が無いと言うか、食事さえ与えておけばネルガル人のようにがつがつしない。
 用は、その奴隷をマレー星まで運んで欲しいと言う事らしい。
 だが、嘘だ。とアモスは直感した、口にはださなかったが。これには裏がある。
「買い付ける奴隷は十四人」
「ちょっと待ってくれ、さっきは十五人だと」
 ここは商人、数と値段にはこだわる。
「一人は既に私の館におります。その奴隷を加えて十五人をマレー星まで無事に届けてくだされば」
 それ相応の報酬を支払うと言う。
「ただし買い付けの書類は十五人と言うことにしておいてください。無論、十五人分の代金をお支払いいたします」
 なるほど、ここら辺がきな臭い。だがアモスは何も聞き返さなかった。報酬の額から見て、かなりヤバイ仕事であることは間違いない。奴隷を運ぶことがか? 断るなら今の内だ。
 だがハルメンスの方が行動が早かった。そこは船長の腕を見込んでとおだてたあげく、
「他に頼める人がいませんので」と、困り果てたような顔をして泣き落としにかかる。
 先手を打たれて、アモスは断り辛くなった。奴には随分儲けさせてもらっているし。
 アモスは渋々ながら承諾した。
「やはり君なら、請けてくれると確信していました」と、ハルメンスは嬉しさのあまりアモスの手をしっかり握り、感謝の言葉を述べる。
 アモスは何か向こうのいい様に商談を進められたような気がしながら、ハルメンスの館を後にした。
「ただの奴隷の運搬だけではありませんよね」と、仲間のひとり。
「それは解っている」
「では、何で請けてきたのですか。奴隷運搬にしては、金額の桁が違いすぎますぜ」
「船長は人がいいから、また困った顔にでも騙されて来たのだろう」

 ハルメンスはマルドック人たちが去っていくのを二階の窓から眺めていた。
「承諾してくれましたね」とほっとした感じに、クロードがお茶を持ってくる。
「彼らに頼めば間違いはないでしょう」
 請け負ったからには命に掛けても依頼されたことをやり通すのがアモス船長だ。だからこそ、ハルメンスは少しぐらい運賃が他の船より高くとも彼らを使う。
 木の葉を隠すなら森の中、では人を隠すならやはり人の中でしょう。幸い殿下はイシュタル語がおできになる。
 ハルメンスはそう言いながら背後の扉に声を掛けた。
「もういいですよ、出てきてください」
 ハルメンスも権威だけで戒厳令下で船を動かせるほどネルガルの治安部隊が甘くないことを知っていた。ハルガンには自分の船で脱出するように言ったが。そこでハルメンスはハルメンスで別な手立てを考えていた。自分の船はあくまで囮。派手に囮の役を演じてやろうと思っていた。その隙にアモスたちは出航すればよい。ハルガンに知らせなかったのは、出来るだけ秘密というものは知っている者が少ない方がよいに決まっているから。彼らがここまで殿下を連れて来てくだされば、後はこちらで。
「やっと、あなたの出番ですね」
 そこにはルカと瓜二つの少年がいた。だが彼の実年齢はルカより三つ上。しかし幼少の頃の過酷な労働と栄養失調のため、実年齢よりも体が小さい。スラム街で行き倒れになっているところをクロードが連れて来た。
 他人のそら似と言うが、貴族の衣装に身を包んだ少年は外見だけならルカと見間違う。
「これなら、いけますね」
 ハルメンスは確信した。
 後は貴族としての振舞い方とあの方の癖。
「笛も教えなければなりませんね」
「それと、花冠の作り方ですか」と、付け加えたのはクロードだった。
 少年はよく覚えた。今ではルカと見間違うほど、仕種や考え方まで。
 ハルメンスは一度、この少年の仕上がりぐらいがどのようなものか、ナオミ夫人の援助しているスラム街で試してみたかった。あそこには元、ルカの館に仕えていた者たちがいる。
「君が身代わりになる人物が、どんな人物か知りたくないですか」と、少年を誘って。
「公爵様が高く買われている方なので、私はそれだけで充分です」と、答えた少年に、
その姿の時は私を絶対に公爵様とは呼ばないように忠告を与えてから、
「彼は、私のことをハルメンスさんと呼ぶのですよ。癖にしてください。それに久々にネルガルに戻るのです。ご両親に会っていきませんか」
 こちらの方が少年の心を動かしたようだ。



 何は無くとも、皆が力を合わせて掃除するだけでも町の雰囲気はがらりと変わってくる。ナオミの援助しているスラムはそれなりの発展を遂げ始めていた。瓦礫はきれいによせられ、件の広場を中心にそれなりに町並みが整い始めていた。空き地は開墾され、村から農業の専門家が来て農作物の栽培の指導をし、まだ自給自足とまではいかないがそれなりの収穫が上がるようになってきていた。だが、ここなら食えるという噂が広がり、浮浪者たちが集まってくるようになったので、町の人たちの生活は以前とあまり変わり映えはしないが、それでも町には活気があった。
「あれ、殿下じゃないのか?」
 一人の男が、ハルメンスが連れている少年に気づく。
 今、ハルメンスと少年は平民の恰好をしている。以前ルカをよくスラム街へ案内した時のように。
 噂は即座に町を走り、三人の女性が二人の前に現れた。
 最初は遠巻きに見ていた彼女たちが、近づいて来る。
「やっぱり、ハルメンス公爵ですよね。じゃ、殿下?」と、女性は少年の前にしゃがみ込む。
 少年はどうしてよいかわからず、少し目を伏せた。
「違いますよ」とハルメンスは言う。
 えっ! と女性たちは驚いたようにハルメンスを見る。
 少年の髪は薄茶、瞳はルカと同じグリーンだった。髪さえ紅ならルカと見分けがつかない。
「私の知人の子なのです。スラムが見たいと言いますから」
「見たいって、スラム街は見世物ではありません」と、女性の一人が少し怒り気味に言う。
「でも、そっくりね。私はてっきり殿下がボイから戻って来たのかと思った」
「そうよね、髪を茶色に染めてお忍びで、私達の様子を見に来たのかと」
「そう、ちゃんとやっているかどうかって。殿下ってそういうところあるものね」と、先程脹れていた女性が言う。
「お昼、まだでしたら一緒に食べませんか。お口に合うとは思いませんが」
「お腹がぺこぺこなので、何でも美味しく感じると思いますよ」と、ハルメンスは答えた。
「じゃ」と、女性たちは二人を広場の食堂まで案内した。
「ところでいつも一緒にいるあの腰巾着は?」
 彼女たちがクロードの仇なの発祥源。
 いつの間にかクロードは、ルカの館の人たちには腰巾着と呼ばれるようになっていた。
「彼もおりますよ、少し離れたところに」と、ハルメンスが指し示したところに、クロードと他に数人、見知らぬ者たちがいた。
 おそらくハルメンスの護衛、もしかするとこちらの坊ちゃんの。それほどまでに少年は粗末な服を着ていても品よく見えたようだ。
「そうじないと、腰巾着の意味がないわよね」と、女性たちは笑いながら彼らにも手を振り、一緒に食事をするように勧めた。
 食事は一汁一菜のようなものだが、それでも食べられるだけましと思わざるを得ない。夕飯にはここに一切れの魚か肉が付くようだが。
「以前より、随分発展しましたね」と言うクロードの言葉に、
「でも、後から後から浮浪者が増えてね、なかなか貧しさからは抜け出せないわ」
 それでもこのスラムは皆が助け合っているせいか、餓死することが少なくなっていた。
「しかし、殿下そっくりね」
「殿下、今頃どうしておられるのかしら」

 スラムを出てからハルメンスは少年に感想を訊く。
「いかがでした」
 少年はハルメンスを見る。
「同じスラムでも、あそこはかなり違うでしょ」
 自分のいたスラムでは、衰弱死した者の死体が町外れに放置され、そこから異臭が漂っていたものだ。
「あのスラムは、あの方のお母様が生活費を削って援助してきた結果なのです。ですからあの方は、王子とは言え他の王子のような贅沢な生活はしておられないのです」
 その人物こそが、自分が身代わりになろうとしている人物。下手をすれば命まで。
「ご家族に、会いに行かれますか」
 ハルメンスはあくまで少年に敬語で接した。これこそが貴族の振る舞いだという感じに。癖にしてもらわなければ困る。スラムでの粗暴な振る舞いは忘れてもらわなければ。
 少年の家族は約束どおりハルメンスが面倒を見てくれていた。戦争で両足と片腕を失った父には義足と義手が与えられ、その父の看病と生計を立てるために過労で倒れた母は快復し、妹や弟は学校に通い始めていた。
 ハルメンスは使用人たちが暮らす一角へ少年を連れて行く。ある部屋の扉を叩いた。
 中から婦人が出て来る。
「こっ、これは公爵様」
 婦人は慌てて一礼し、その隣に平民の服を着た少年を見つける。
「ケイト」
 婦人は少年の名を呼んで抱きついた。
「三日、休みをやろう。三日経ったらまたネルガルを離れます」
「わかりました、旦那様」
 家族の前ではあくまでハルメンスに仕える下僕の役を演じた。少年の真の仕事の内容は、家族には話していない。
「お母さんに甘えるといい」



 ここはネルガルの作戦本部。厳重に閉ざされた部屋の一室で、数人の幕僚たちにより、今後のボイ星のことが話されていた。
「やっと亀裂を入れることができたな」
「しかし、地位や名誉より水とは、愚かな奴等だ」
 彼らは現政権に不満を抱いている官僚たちに声をかけていた。ネルガルの配下に入れば、あなた方には今以上のポストを用意すると。だがそれになびくものはいなかった。
「奴等は、他人を支配するという感情を知らない」
「平等意識の強い連中だ」
「何が平等だ。他人より秀でて初めて人生が楽しめるというのに」
「いや、平等と言うよりもは怠け者なのだろう。人の上に立つには、人一倍努力しなければならないからな。棚から牡丹餅と言うわけにはいかない。結局、平等と言っていれは何も努力しなくて済むからな」
 幕僚の一人が笑う。
「それ、君から言われたくはなかろう。親の七光りで今の地位を得た者からはな」
「確かに」と、本人までが認めている以上、周りの者たちは笑うしかない。
「さて、最後の仕上げと行くか」



 水の使用料を払えないと知ると、ネルガルの商人は容赦なく水門を閉めた。水門での小競り合いは日増しに大きくなって行った。
「こんなものを作ったから、俺たちの田畑に」
 ボイ人たちは農具を片手に水門を壊しにかかった。それをネルガルの商人たちは自衛団をもって阻止し、怪我人どころか死人まで出る騒ぎになった。
 ルカはその報告を居間でクリスから聞き、来るべきときが来たと悟った。
 とにかく、この暴動を鎮圧しなければ。話し合いで鎮圧できるようならまだ見込みがある、水利権を解除してもらう方法を考えれば。だが、出来なければ。
 ルカは爪を噛みながら考え込む。そして出た結論は、
「私が直接、話し合いに行きましょう」と、立ち出す。
 だがそれを、
「危険です」と言うキネラオの声と、「やめたほうがいい」と言うハルガンの声が止めた。
 その先をどちらが言うかと二人で顔を見合わせた結果、キネラオが先を続けた。
「既に暴動は他の水門でも起きております」
 水門打ち壊しの飛び火は早かった。一度堪忍袋の緒が切れると、ネルガル人に対する負の感情は怒涛のごとくボイ人の心の中に押し寄せ、それが行動を駆り立てた。常日頃我慢し続けていた感情が、水門を壊すという行為にいっきにはけ口を求めたのだ。
 最初は気絶レベルに合わせたプラスターを使って応戦していたネルガル商人の自衛団も、その数の多さに恐れをなし、殺傷力のあるレベルにアップさせたプラスターを使うようになっていた。死傷者が出れば暴動はエスカレートする。ついに警察の機動隊が出動するまでになってしまった。しかしこの場は一応、これで終止符が打たれた。常日頃ハルガンたちによって訓練されていた機動隊は、暴れているボイ人たちに共鳴しながらも、自分たちの任務を遂行してくれた。「お前等の主を信じろ」と言うハルガンの号令のもと。ハルガンの言った通り、今回の暴動では誰一人刑を受けるものはいなかった、情状酌量の余地があるということで。だが今後もこのようなことが繰り返されれば、彼ら機動隊が暴動者側に回るのは必定。その前にこの暴動の根源を断たなければ。
 次の日、中庭で会議が開かれた。ボイの方は国王を始め各界の大臣と、そうそうたるメンバーだ。いかにボイ星では水が貴重かを物語っている。そしてネルガルの方からは水利権を創設した商人。そして異例のことだが子供が一人出席していた。本来ボイでは十五歳をもって大人とみなす。よって十五歳未満の者は訴訟人でもない限り公の会議には出席できないのだが。
 初めて見るネルガルの王子に商人たちは驚く。美しい王子だとは噂に聞いていたし、確かにお美しいのだがあのお姿は。ネルガル人ならもう少しネルガル人らしくして欲しいというのが彼らの望み。
 ルカはボイの服に身を包み国王の横に座った。
 ネルガルの商人は、ボイの国王に対してよりもネルガルの王子であるルカに対して礼を取った。頭を下げるなら自分たちより劣る異星人よりも我が星の王子にというところなのだろう。この考えは彼らの偏見に過ぎないのだが、誰一人それに気づくネルガル人はいなかった。
 ボイ人からの申し出は水門の撤去だった。それに対し水利権で稼ごうとしていた商人たちは、損害賠償を求めてきた。
「しかし、水門を作ったところで、水は流れなかったではありませんか」
 役に立たないものを作られても。というのがボイの主張。
「ですから一旦高い位置にポンプで水を汲み上げて、そこから流せば」というのがネルガル商人の主張。まだ工事は途中だ。
 だがその設備にはまた膨大な費用がかかる。
「工事が途中だから、水が流れないのです」
 ここはあくまでも頭の悪い子供に言い聞かせるかのように商人たちは言う。
「今までの方法でよかったのではありませんか。あれでも充分田畑に水は行き渡っていた」
「しかしこの方法なら、より遠くに水を引くことが出来ます。収穫も今の倍は見込めます」
 これがネルガル商人の灌漑工事をやる上での口実だった。実際のところ収穫が増えようと増えまいと関係ない。用は工事をさせることによって膨大な借金を作らせること。
 結局、水門を作られたことによって今まで以上に水が行き渡らなくなった。そして水位も下がり始めている。このままではそう遠くない将来、水門も意味を成さなくなる。
「水門を撤去してもらえませんか、神が怒られない前に」
「あれを作るのに、どれだけの費用がかかったとお思いですか」
「池は、神聖なものなのです。手を加えることは許されません。それに水は皆のものです」
 これは水門を作ることに反対していた者たちの考えだった。彼らがもっとかんばっていてくれたらと、ルカは思う。
 あくまでも個人の利益を優先させるネルガルの商人と、コロニー全体の利益を考えるボイ人とでは、いつまで話し合っても意見は折り合わない。
「ご存知ですか、あの池には竜神様が住んでおられるのですよ。竜神様がお怒りにならない内に、手を引かれた方がよろしいと思いますが」と言ったのはルカだった。
 ネルガルの商人は驚いたようにルカを見ると、
「殿下、殿下はよもやそのようなことを本気で信じておられるのでは」と、念を押しにかかる。
 だがルカをよく知るボイ人にとってもこのルカの言葉は意外だった。なにしろルカが神を信じないのは彼らの間では有名。
 無論ルカもこのようなことは信じていない。だがここは、この手で行くのが一番ではないかと思った。平和的に物事が片付くなら神の手でも悪魔の手でも借りるというのがルカの考え。さすがは商人、彼らの行動は法的には何一つ非の打ち所がない。あくまでも商取引。下手に契約を破棄し損をさせれば天文学的な補填請求を持ち出されかねない。なら論外のところで向こうから手を引くように仕向けるしかない、神の怒りだの祟りだのと。それなら損害請求もたかが知れてくる。否、逆に契約不履行でこちらが賠償金を取れるかもしれないが、そこまで欲張って墓穴を掘ることも無い。要は、彼らがあの水を諦めてくれればよいことなのだから。
「池の周りで争うと、水が枯れるそうですよ。現に二つの池が過去に枯渇しております。そしてあの池も、水位が下がり初めております」
 商人たちは笑った。
「殿下はまだお小さいですから、そのような伝説をお信じになられるようですが、あれは迷信です。その二つの池が枯れたのも偶然でしょう。最初から枯れる運命にあったのです。水位が下がっていると仰せのようでありますが、それもたまたま偶然でありまして、また上がるかも知れません。竜神様などと、もってのほかです。我々はアパラ神しか信じません」
 敵も去るもの、神には神を持ち出してきた。神など信じていない奴等が。
 会議は数度と無く持たれた。だが話し合いは平行線のままだった。その間にも水道料の値上げによって水を奪われたボイ人が続出していった。とうとうたまりかねたボイ人によってまた水門の打ち壊しが起こった、今度は別のコロニーで。しかも規模は前回の比ではなかった。そしてその行動には計画性さえあった。水門は見事に破壊され、水は怒涛のごとく流れ出し下流の田畑を潤した。
 その報告はルカの元へも即座に届いた。
「誰かが指揮してますね」
「誰だか調べましょうか」と言うホルヘの言葉に、ルカは軽く首を横に振った。その必要はないと。
 例え犯人が誰だかわかったところで、彼を処罰することはできない。そんなことをすればボイ人たちの怒りを買うだけだ。今やその犯人は英雄だ。
 ネルガルの商人からは、犯人を直ちに捕らえ、速やかに引き渡すようにとの訴状がきていることをキネラオが伝える。
「どういたしましょうか」と、問うキネラオに対し、
「今、犯人を捜索中だと伝えて下さい。捕らえしだい引き渡しますと」
 ルカはそう言うものの、一向に犯人を捕らえようとはしない。治安部隊に犯人を探索して下さいと言っているわりには、ルカの親衛隊は一つも動かない。部隊の中枢をなす彼らが指示を出さないのでは部隊は麻痺したも同然。
 ハルガンに至っては、
「あのごうつく張りのネルガル商人の手前、犯人を探索しているふりをしろ」と指図する有様。
「曹長、それで本当によろしいのですか」と、隊の一人がハルガンに問い直す。
「犯人を捕まえろと言ったところで、お前等、俺の命令を聞くか?」
 そう問われて隊員たちは何も答えられない。
 ほれ、見たことか。とハルガンはにやけると、
「部下が聞かないような命令をだしていらいらするほど、俺は暇ではない。お前等だってわかっているだろう、どっちが正しいか。なんだったらお前等も、うっぷん晴らし奴等の仲間に加わったらどうだ。ぶち壊しというのは気持ちのいいもんだからな。ただし、軍に所属しているとは口が裂けても言うなよ」
「それではまるで、打ち壊しをけしかけているようではありませんか」
「けしかけているとはとんでもない。時には気分転換もいいものだと提案しているだけだ。言葉は間違えないでもらいたい」
 壊すだけ壊せば気が済むだろうから、何も民衆と治安部隊が衝突して怪我人を出す必要もない。それよりもは来たるべき日のために、体力を温存しておくべきだ。我々の真の敵はネルガル帝国なのだから。これがハルガンの考えだった。

「本気で捕らえる気はないのですか」
 彼らのあまりのやる気のなさに、キネラオは問う。
「彼らは正しい。行動は間違っていても結果は。彼らにあのような行動を起こさせてしまった法律のほうこそ、間違っています」
「ですが、それでは法冶国家としての」
 モラルがと言いたい所なのだろうが、ルカは大きく首を横に振って、
「それは、ネルガル人の台詞です。あなたがたボイ人が言うのはおかしい。あなたがたに法律はいらなかった。あるのは仁のみ」
 ボイ人にとって契約書に書いてあるか無いかは関係ない。関係あるのは唯一つ。それが皆が喜べば善であり、苦しめば悪。その判断でいけばネルガル商人がやったことは悪になる。良かれと思ったやった事が悪い結果なったのなら、それは速やかにやめればよい。それがボイ人の考え。そこにお金が幾らかかったかなどとは関係ない。まして契約がどうなっているなど。皆が苦しんでいる以上、その契約は無いに等しい。これがネルガル人が来るまでのボイの慣習。ルカはこの慣習を守りたかった。
 ルカが法律を否定した段階で、ルカの背後に控えていたリンネルやハルガンは覚悟を決めたようだ。
 ルカはそう言うと庭の池を眺める。神聖な水。
 本来、私的に水を引くことは許されていなかった。それなのに私のためにボイ人はそのルールを破った。この星の過ちはそこから始まったのだ。
「一度成功した暴動は、もっと大きくなって行くでしょう。ネルガルの商人は直、身の危険を感じボイ星を離れます」
 そうすれば昔のようになる。と言いたい所だが、そうはいかない。これはある段階の前触れに過ぎないのだから。
「彼らが居なくなれば、ボイはまた平和になりますね」と言ったキネラオの言葉に、
「そうなればよいのですが」と、ルカは答えただけ。

 案の定、ルカが予測したとおり水門打ち壊しの決起集会は大きくなっていった。警備の網を掻い潜っては、次々と水門が破壊されていく。もっとも警備自体が暴動を起こしている者たちに甘いのだから、警備していてもしていないのと同然。
「しかし、それにしてもよく裏をかかれるな」と言うハルガンの言葉に対し、
「内通者がいるからでしょう」と、ルカは平然と答えた。
「犯人がわかっているようだな」
「レスターが教えてくれました」
「トウタクか」
 今のところ、彼がリーダーと言うことになっている。トウタクは暴徒を指揮していた。
「彼は、表向きのリーダーでしょう」
「じゃ、ウンコクか」
 やはりハルガンも黒幕を知っているようだった。だが今のところ誰も彼の名前を表立って出す者はいない。おそらく知っているのは極一部の者。国王たちも知らないのでは。
「でも、彼だけではありませんね。これにはかなり土木工事に長けた者が居なければ」
 ああも見事に破壊できない。ネルガルの建造物は、一つや二つの爆薬で崩壊されるようなやわな作りにはなっていない。なにしろ戦時を前提に作られているのだから。ある程度の攻撃を受けても持ちこたえられるようになっている。それなのにどの水門も、お見事。と言うしかないほどに一回の爆撃で崩壊されている。これにはかなり長けた者がいなければ、ネルガル人が内通しているか、もしくはサミラン。彼ならネルガルへ行った時にその手の書物をあさっていたようだし、そもそも其の手の基礎知識は持っていたから。そう言えば近頃、姿を見せない。
「レスターに釘を刺したのはお前か」
「何をです?」
「惚けるな、ウンコクに手を出すなと言ったのだろう。ここの所あいつ、いじけていたからな。殺してしまえばけりが付くのにとも言っていた」
 ルカは大きな溜め息を付くと、
「殺したら暴動はもっと酷くなります。暴動とは言え、良きリーダーが居れば、民衆を必要以上には苦しめません」
「あのな、お前の立場が危ういんだぞ、この際、民衆など」
「ウンコクさんを暗殺する方が、もっと危うくなります」
 ハルガンはやれやれと肩をすくめると、ルカの背後でおとなしく控えているリンネルを見た。
 お前はどう思う。と視線で問いかけても、リンネルは黙っている。
「このままでは、せっかく作り上げた軍隊も、我々の手から離れるな」
「それも致し方ありません」
 自分の首を絞めるために軍隊を作ったんじゃないのだがな。とハルガンは胸の内でぼやきながらも、やはり最終的に頼れるのはネルガル星の時から同じ釜の飯を食っていた仲間だけかと確認した。
「ハルガン、ウンコクさんに手を出すことは、私が許しません」
 ルカはハルガンを忠告することによって、その場に居た全員に忠告をした。
「奴が、お前に手をあげない限りはな」と、ハルガンも承諾する。
 それはこの部屋にいた全員の承諾でもある。

 雲行きが怪しくなって騒ぎ出したのは公達だった。あの事件以来、めったにルカの邸に顔を見せなかった者たちが、近頃頻繁にやって来る。
「どうするおつもりなのですか」
「早くこの暴動を止めなければ」
「何でしたらネルガルから応援の軍隊を」
 如何にもルカの身を案じているようだが、自分たちだけでも早く非難したいというところだ。
 こうなったのもお前のせいなのだから、お前一人が責任を取ればいいと。何も我々の方まで連座されては。
 彼らはその足でキネラオたちの部屋に立ち寄る。我々ならネルガル帝国に援軍の要請ができると。万が一の時は、あなた方のお役に立てると。こう言っておけば、無下に殺されることもなかろう。政権が危うくなれば、なりふりかまわず援軍を求めるものだ。だがこれはネルガル人の考え。ボイ人が果たしてそう考えるかはネルガル人の彼らにはわからない。だがネルガル人である彼らはボイ人もそう考えると決め付けた。そしてその時が自分たちの脱出のチャンス。その時、殿下が無事なら一緒に連れて行ってやってもよい、後々の貸しになるから。自分たちが脱出した後、援軍がどう振舞おうと、それは我々の知るところではない。

 そして巷では、
「早めにこうすればよかったのだ」
 水門打ち壊しに携わった者たちは英雄扱いになっていた。
「やはり王子はネルガル人だ。ボイ人のことを考えてなどと言っているが、ネルガル人の利益を守る方が先だったのだ」
 少しでも損害賠償を少なくしようと試みたルカの苦労は徒労に終わった。それどころかそのために費やした時間が、結局民衆を水不足で苦しめるはめになってしまった。彼らがそう思うのも仕方ない。ルカの行為は一部のボイ人を除き誰にも理解してもらえなかった。これが法冶国家とそうでない国の違い。法冶国家はあくまでも法律の解釈で勝負するが、そうでない国は行動で結果を出す。だがそれをもって野蛮と言えるだろうか。この場合、法律を施行したほうが遥かに残酷だ。この星では水を独り占めすることは許されないのだから。

 ルカは庭の池の縁に立ち、じっと池を見詰めていた。水門のせいか気のせいか、池の水位が以前よりすこし下がったような気がする。
 ここ数ヶ月の暴動で、後残る水門はこのコロニーの水門だけになったようだ。彼らの凱旋の声が遠雷のように聞こえるような気がした。そしてその声は確実にこちらに向かっている。
 ルカは居ても立ってもいられず池の中に走りこむと、水面に映る月を思いっきり蹴り出した。
 死ぬのが怖いわけではない。ただ自分の無力さに嫌気が差しただけだ。否、やはり死ぬのが怖いのだろう。また生まれ替わるといわれても、ルカには信じられなかった。
 シナカが部屋に戻って見たのはルカのそんな姿だった。何度も何度も水面を蹴るルカ。
「あなた、何しているの」
 ルカはその行動を止めると、シナカに背を向けたまま、
「あっちへ行ってくれ。一人にしてくれ」と怒鳴る。
 シナカはルカのその怒声を嫉妬から出たものだと取った。
 ここのところシナカはキネラオやホルヘの部屋に入りびたりである。
 ルカは水門の打ち壊しを容認してからというもの、まったく指示をださなくなった。何を相談しに行っても、壊すだけ壊せば彼らの気も晴れますから、それまではどんな手を講じても無駄です。の一言だった。
 ルカは内乱だけは避けたかった。そのため警察の機動部隊も治安部隊も動かさないように指示した。仲間同士で争えば必ず禍根を残す。その禍根は日を増すごとにしこりと化す。何千年もの間争う事無く生きてきたボイ人は、元来穏やかな人種だ。水門を壊せば彼らの暴力的な行為も収まるだろう。その暴動が他に派生することはないだろう。そのために彼らの指導者を黙認しているのだから。しかし彼らが私に敵意を抱かないという保障はない。そもそもネルガル人がいなければこんなことは起こらなかったのだから。私をどう処理するかは彼らの自由だ。ただその時、シナカだけは巻き添えにしたくない。
 これがルカの考えだった。だがシナカたちはどうにかこの暴動を収めようとやっきになっていた、余り酷くならない内に。それでキネラオやホルヘたちと町の治安についてここのところ話し合っているのだが、なかなかよい案が出ない。いかにルカに頼っていたかがここへ来て身にしみてわかった。それでここのところ彼をほったらかしにしてしまった。
 怒ってしまったのかしら。
 それでシナカはおどけた感じに声をかけた。
「あなた、妬いているの? ここのところ私があなたを放置してキネラオさんたちと一緒だから」
 シナカのとっ拍子もない質問にルカは振り向いた。
 妬く? 私が? そんなこと考えている余裕もなかった。でも確かにここへ着た頃は、あの二人とシナカが楽しく話しているのを見ると寂しさを感じたものだ。自分にはあんな会話はできないと。それで一生懸命背伸びして大人の会話を学んだものだ。教師はハルガン、今思えばこれが不味かった。
 ルカは池からあがるとシナカの前に立った。
「やだ、びしょ濡れではないの」
 シナカは自分の掛けていたショールを外すと、それでルカの髪や顔を拭く。
「シナカは、キネラオさんとホルヘさん、どちらが好きですか」
 シナカはルカの頭を拭く手を止めた。
「どうしたの、いきなり」
「ただ、どちらが好きかと思って」
「私は、あなたが一番好き」と言うと、少し強めに髪をしごく。
「それでは答えになっていませんよ」
「では、あなたはどちらが好きなの?」
 ルカは少し考え込むと、
「一長一短ですか」
「まあ、二人に言ってやろう」と、シナカはちゃかす。
「キネラオさんは優しく気配りが上手な分、多くを考え過ぎるのです。決断力に欠けます。ホルヘさんはその逆ですか」
「つまり、二人揃って一人前ということかしら」
「それを言っては気の毒です。人は短所があるからこそ長所が引き立つものです」
 丁度ルカが感情に流されない分、的確な判断が出来るように。ある意味、冷たいと言われるが。
「もし私の身に何かあったら、再婚してもらえますか。あの二人のどちらかなら、私はあの世で容認します」
 シナカの手が完全に止まった。まじまじとルカを見詰めると、
「それ、どういう意味?」
「ボイ人は再婚しないと聞きました。でもあなたと私では大人と子供だし、もしこのまま私に何かあった場合、あなたは一生娘で終わってしまう。それでは不幸です。あの二人に話してみます、あなたのお婿さんになってもらうように」
「あなた、それどういう意味なの。あなたこそ、私の問いに答えていないわ」
「もしもの時のことです。このままならこのままでもよいのですが、でも世継ぎは必要ですよね」
 シナカはぐっとルカを抱きしめると、
「少し疲れていませんか? それとも私がほったらかしにしたことへの報復?」
「報復だなんて、そんなのではありません」
「ではやはり、疲れているのね」
 シナカは母が子供を抱くようにルカを優しく抱きしめた。

 次の日、シナカは守衛所に足を運んだ。
「大佐、リンネル大佐はおられますか」
 出迎えたのはハルガンだった。
「これは奥方様、何か御用ですか」
「リンネル大佐は? 大佐に少しお話があるのですが」
 シナカの思い詰めたような顔を見て、ハルガンはシナカを休憩中の大佐の所へ案内した。
 リンネルの私室。外観はボイ風だったが内装や調度品はボイ製でもネルガル式だった。特別にボイの職人に頼んで作ってもらったようだ。畳の上をいしゃって歩くより、フローリングの方が使い勝手がよいとのことで。
 部屋には既にケリンが居て、テーブルをはさみ何やら話し込んでいたようだ。
 シナカは雰囲気的に何やら不味いところへ顔を出してしまったと思いながらも、自分の話も重要なことだと思い、ケリンの話より優先させてもらうことにした。話しが済んだら直ぐに出て行くつもりでもいたから。
 ケリンとハルガンは、シナカが自分たちを見る視線から、自分たちには聞かせたくない話だと悟り部屋を退出しようとした。その時、
「やはり二人にも聞いてもらいたいわ」
 ルカがこの二人には気を許していることは知っている。
 どのように話そうかと迷っていると、
「まあ、お掛け下さい」とリンネルが椅子を勧め、ネルガルのお茶を入れてくれた。
 椅子に座り三人を目の前にして、話すべきか話さずにおくべきか、ここに来て迷った。最初はとにかく、リンネルに相談しようと意気込んで来たのだが。
 シナカの迷っている態度を見て、ハルガンが口先を開いてくれた。
「殿下の、夕べの水遊びのことですか」
「しっ! 知っていたのですか!」
「レスターから報告を受けておりますから。ただ奥方様がお見えになったので、後は奥方様に任せたとのことでしたが」
 ハルガンもシナカの気持ちを察してか、いつものルカの前で使うようなくだけた言葉遣いではなかった。
「では、会話は?」
「そこまで野暮ではありませんから」とハルガンは苦笑する。
「そう」と言って、シナカは大きな溜め息を吐いた。
 どうせなら、会話も聞いてくれていればよかったのに。もっとも聞いていれば今頃こんなのんびりはしていないでしょうに。
 話そうにもためらっているシナカを見て、こんどはリンネルが優しく訊いて来た。
「何か、言われたのですか? 例えば、離縁とか」
 シナカははっとしてリンネルを見る。
「やはり、そうですか」
「離縁ではありませんが」
 リンネルたちは暫し黙り込だのち、リンネルが静かに口を開いた。
「殿下が奥方様に何を仰せになられたのかは存じませんが、それはあなた様を巻き添えにしないための殿下のお心遣いかと存じます。お気を悪くせず、心の隅に留め置きくださいませんか」
「再婚です」
「そうでしたか」
「しかも、相手まで決めて」
 ハルガンはニタリとすると、
「ちなみに、殿下の推挙した相手の名前を伺ってもよろしいですか」
 訊かなくともだいたい想像はつくが。
 シナカはむっとした顔でハルガンをねめつけると、
「驚かないのですね」と、三人に問う。
 三人とも予期していたようだ。
「殿下でしたら、そうお考えになられるかと思いまして」とリンネルが答える。
「娘のままでは不幸だとも」
 それを聞いたとたん、ハルガンは口に含んでいたお茶を噴出しそうになりむせる。
 その様子をリンネルとケリンは見詰めながら、
「曹長、殿下に何を教えたのですか」と、ケリンが鋭く問いただしてきた。
 ハルガンは三人の視線を気にしながらも、軽く両手を胸の前にあげながら首を横に振ると、
「別に、俺は何も」と、惚けて天井を見る。
「殿下はまだ子供なのですよ」
「頭だけ発育したな」
 この二人の会話にリンネルは大きな溜め息を吐いた。
 シナカも、リンネル同様溜め息を吐きたくなった。この調子では彼らをどこまで信じてよいか迷った。
 リンネルは咳払いすると話を戻す。
「殿下は、暴動はすぐに収まると仰せでしたが」と、リンネルは渋い顔をする。
 一度暴れ出した民衆は、誰かを血祭りに上げなければなかなか元の鞘に収まらないのが常。これは幾多の経験から味わってきたことだ。
「そのための密談でしたか」と、シナカは率直に訊く。
「それもありますが」と、リンネルは語尾を濁した。
「まだ他に何かあるのですか」
「この絶好の機会を奴等が利用しないとは考えられないからな」と言ったのはハルガンだった。
「曹長!」
 ケリンが驚いたようにハルガンの言葉を制する。
 奴等とは誰? 利用するとは何に?
 シナカにはますます疑問が募った。
 この疑問、訊くべきなのだろうか。だが訊くには少し気が引けた。
 そんなシナカの心を察したのか、ハルガンが言う。
「奥方様にだけははっきり言っておいた方がいいんじゃないか、俺たちの真の敵はネルガル帝国だと言う事を」
「ネルガル帝国?」
 驚くシナカにハルガンは優しく話しかけた。
「実は、奥方様に頼みが御座います」
 ハルガンは姿勢を正すと床に跪きネルガル式の礼を取る。
「殿下を我々に返していただきたい。あの方を本当に必要としているのはボイではなくネルガルなのです」
 シナカは唖然としてしまった。暫し言葉が無い。やっと出た言葉は、
「返すと言われましても、私達が離縁すれば、ネルガルとボイとの和平は」
 どうなるのだろう。
「出来るだけあなた方には迷惑がかからないようにするつもりです。あの方を無事に我々の手に帰してくだされば、あの方をギルバ帝国の玉座に座らせ、後日、必ずボイを救いに参ります」
 ハルガンの言葉は反乱を意味していた。
「あの方以外に、今の腐りきったネルガルを変える事ができる王子はいないのです。お願いいたします」
 リンネル大佐とケリンの密談は、このことだったのか。
 シナカは何と答えてよいのかわからなかった。
「このこと、殿下には内密にしていただけませんか」
「どうして? ルカはこの事、何も知らないの?」
 ハルガンは頷く。
「殿下にはまだ何も話しておりません。あの方がネルガルへ戻るということは、ボイとネルガルの和平が決裂すると言う事ですから、あの方が同意するはずがありませんから」
「では、ネルガルへ帰すことは出来ないのではありませんか」
 二年以上ルカと一緒に生活していてシナカは、シナカなりにルカの気性を理解していた。現実的で合理主義者。それが時に冷たいとも取られる。そして、こうだと決めると梃子でも動かないところがある。力ずくで彼を動かすことは出来ない。
「近い将来、我々にとっても絶好の機会が到来します。その時、奥方様のお力を借りたいと存じます」



 ここはネルガルの作戦本部。
「やっと、暴動が起きましたな」
「これが内乱まで発展するのも時間の問題だろう」
 ネルガルの軍部は、ネルガルの商人の下で働き貨幣による快楽を知ったボイ人を利用して、暴動を煽り立てていた。



「水門を壊せ!」
「こんな物があるから、水を使うたびにお金を払わなければならなくなったのだ」
 貨幣というものをあまり利用しないボイ人にとって、水道料の貨幣での支払いはいっきに生活を困窮させた。
 水門が壊れると水はいっきにかさかさに荒れた田畑を潤した。
 歓喜の声があがる。
「そもそも水は水神様からの贈り物。誰に遠慮がいるか」
 そうだ、そうだ。歓声があがる。
「水はネルガル人のものではない。我々のものだ」
「我々から水を奪うネルガル人を追い出せ」
「そうだ、この星からネルガル人を追放しろ」
 水に対する怒りは、次第にネルガル人へと向けられるようになって行った。
「ネルガル人が来てから、ボイはおかしくなった」
「奴等が来てから、池が小さくなった」
「水神様が怒っておられるのだ」
「水神様の怒りを買う前に、奴等を叩き出せ」
 その白羽の矢は、ボイでのネルガルの中心人物、ルカへと向けられるようになった。
 各コロニーから集まったネルガル人に不満を持つ暴徒たちは、何千人と膨らみ、ネルガル人俳斥のスローガンとプラカードをかかげ、最後の水門を壊すために進軍を始めた。


「いよいよ来るな」と、ハルガン。
「このコロニーの水門が壊されるときが、運命の分かれ道だな」
 ハルガンと同じ考えを持っていた者がもう一人いた。
「いよいよですね」と、クロードはハルメンスに言う。
「内乱が起きる前に、一度妃殿下とじっくり膝を交えて話をしたいものですが」
 気の小さな商人は先を見越して次第にボイ星を離れつつある。
 ハルメンスの館も次第に警備を厳重にし始めた。だがまだ、この星を発つわけにはいかない。

 キネラオたちは何も手を打たないルカに苛立ちを募らせていた。
「殿下はどうなされたのでしょう。いつもの殿下なら」
 的確な指示を出してくるのに。
 この期に及んでも、ルカは治安部隊はおろか警察の機動部隊すら動かそうとはしない。痺れを切らした治安部隊の一部が、奴等がやって来たら町が破壊されるかもしれないと応戦の準備を取ろうとすると、その度に、
「彼らの目的は水門なのですから、水門を壊せば引き上げて行きます」と言って、応戦をすることを硬く禁じた。
 キネラオたちは幾度と無く殿下のその言葉を治安部隊に伝えなければならなかった。そんなある日、
「彼らの狙いは水門だけではないような気がする」と、治安部隊の一人がキネラオに言う。
「俺も、そう思う。おそらく彼らの狙いは殿下なのでは」
 治安部隊の隊員のほとんどが、水門を壊すことには同意しても、ネルガル人までは憎めなかった。なぜならこの部隊を作ったのはネルガル人なのだから。彼らから作戦や武器の扱い方、怪我の応急の仕方などを教わっているうちに、次第に仲間意識を持つようになっていった。
 ネルガル人全員が悪いのではない。極一部の者たちが強欲なだけなのだ。殿下を始め一般のネルガル人はとても良い人たちだ。
「このまま彼らが攻めて来るのを、指をくわえて見ていてよいものなのだろうか」
「殿下にもしものことがあれば、ネルガルとの和平は」


 一方、ルカはルカで覚悟を決め始めていたようだ。シナカたちが治安部隊に翻弄されて居ないのをよいことに、ルカはハルガンとケリンを私室に呼び、今後のことを話し合うつもりだった。
「おそらく最後の水門を壊せば、彼らの怒りは私に来るでしょう」
 ルカも水門を壊しただけでは収まらないことを知っていたようだ。シナカの手前、水門を壊せば解散すると言っていたが。
「私の首ですが、ハルガンさん、あなたにお願いしたいのですが」
 誰かがネルガルに届けなければならない。
「その時、公達と一緒に引き上げて下さい。私の首と引き換えに彼らの助命を願い出るつもりですから」
「逆にした方がいいな」
「そういうわけには参りませんよ」
「じゃ、俺は断る。奴等の首ならいくつでも抱えて行ってやってもよいがな」と、ハルガンは笑ってから。
「俺は生意気なことをべらべら喋る首は好きだが、何も話さなくなった首など、ただの生ゴミにすぎないからな、ネルガルまで後生大事に持ち歩きたいとは思わん」
 ハルガンにはっきり断られたルカは困り果ててリンネルを見る。だがおそらくリンネルは私の後を追って来るだろうから。
「では、ケリンさん」
 ケリンは片手を顔の前で振ると、
「俺は駄目です。逃げるのが忙しいですから」
 そこへクリスがお茶を持って来た。
 陰でお茶を出すタイミングを見計らっていたようだ、話は全部聞いていた。
「ではクリスさん、お願いできますか」
「私も駄目です。力、ありませんから、重いものを何時までも持ち運べませんよ」
 ルカは唖然として三人を見る。
「酷いですね、最後の頼みだと言うのに」
「殿下、いっそのこと、自分で運ばれたらどうですか」と、提案したのはクリスだった。
「それは、いい考えですね」と、ケリンが賛同する。
「今までも体の上に乗せていたのですから、重いとは思わないでしょうし」
「そりゃ、そうだ」と、ハルガンは大笑いをする。
「もう、いいです」と言うと、ルカは立ち出す。
「もう、あなた方には頼みません。頼った私が間違いでした」
 ルカは怒って部屋を後にした。
「少し、やりすぎたかな」と言うケリンの言葉を待たずに、ハルガンはがばっと立ち上がるとルカの後を追った。
 廊下でルカに追いつくと後ろから抱き上げた。十歳にも満たないルカは軽かった。片手でも持ち上げられるほどに。
「俺が、ネルガルまで運んでやるよ、こうやって。首も胴も付けたまま、おまけに心臓の鼓動もな」
「無理です」
「無理かどうかはやってみないことにはわからないだろう。俺たちを信じろ。頼ってくれ。伊達に軍でつま弾きになっていた連中じゃない」
 実力があったからこそ、実力のない上官に仕える気がしなかっただけだ。そんな連中の寄せ集め。これがルカの親衛隊だ。
 ハルガンはぐっとルカを抱きしめた。
「俺たちを頼ってくれ」
 ルカはハルガンの服をぐっと握り締めると、
「内乱だけは避けたい。特にキネラオたちがボイ人の槍玉にされることは」
 もしボイがネルガル人によって踏みにじられるようなことになれば、彼らを中心にして。彼らなら必ずボイを立て直すことが出来る。
 この期に及んでも、自分のことより他人の事かとハルガンは思いつつも、
「わかっております。彼らがボイ人から白眼視されるようなことはしない」と答えた。
 ルカはハルガンからその言質を取って安心した。
 もともとネルガルを発つ時に捨てた命。今更欲しいとも思わないが、彼らを頼ってもよいかなと思えた。
 ルカはそっとハルガンの胸に顔を当てた。力強い彼の心音が聞こえる。
 ハルガンはルカの頭を大きな掌で覆い、ぐっと胸元に押し付ける。その時、ルカの体が小刻みに震えているのに気づいた。
 こいつはやっぱり神なんがじゃない。俺たちと同じ死を怯える人間だ。
 ハルガンは初めてこいつが愛おしいと思えた。命に代えても。
「おい、怖いなら怖いと言えよ。その方が可愛げがある」


 数日後、ハルガンのもとにハルメンスからの呼び出しがあった。それは妃殿下と心許せるボイ人を二、三名、ボイでの最後の食事に誘いたいとのことだった。
 あの野郎もいよいよ逃げ出すのか。と思いつつも、否、ただの食事会ではなかろうという気もした。なぜなら、そこにルカの名前がない。
「なぜ、私は招かれなかったのでしょう」と、ルカが疑問をぶつける。
「そりゃ、奴は、奥方様に用があるんだろー。心配するな、俺が見張っていてやるから」
 それではますます心配になるばかり。
 シナカはルカの目線までしゃがみ込むと、
「心配しないで、直ぐに戻って来ますから」
「彼もいよいよボイを離れるのでしょうか」とキネラオ。
 近頃ネルガル人に対する嫌がらせも多くなって来た。それと同時にネルガル人と親しく付き合っているボイ人にも。身の危険を感じたネルガル人は、暴動がこれ以上大きくならない内にボイを離れ始めていた。
「気をつけて行って来て下さい」
 招かれない以上、同行するわけにはいかない。かといって行くなと言うのも大人気ない。ルカはしぶしぶシナカを送り出した。危険な送り狼を添えて。
 町には次第に見知らぬボイ人の姿が目立ち始めて来た。おそらく別のコロニーの人たちなのだろう。


 エントランスにはハルメンスが自らで迎えに出ていた。他に人気がない。
「珍しいな、お前が入り口まで出て来るとは」
 ハルガンのそんな挨拶を無視し、ハルメンスはシナカの前へ行くとネルガル式に挨拶をした。
「よく来て下さいました。実は半分諦めていたのです、殿下が放さないのではないかと」
 その時は、ハルガンに打ち明けてもらうしかないかと考えていた。
「まあ、どうぞ」と、ハルメンスはシナカの手を取り客間へとエスコートする。
 ハルガンたちは取り残されたようになる。
「あの野郎、女以外は人間だと思っていないのだから」
 番犬が三匹付いて来たような扱いだ。
 だが通された客間は意外にもあっさりしていた。十人程度が寛げるスペース。淡いブラウンを基調にした落ち着いた感じの部屋で、中庭に面した窓にはマジックミラーが入れられてある。こちらから外は見えても外から中は見えないようだ。そして水の音。壁際を小川を思わせるような音をたてて水が流れている。昔から水の音は人の会話を消すと言われている。密談をするにはもってこいの場所だ。先日ハルガンが通された客間とは雲泥の差。先日の客間はこれ見よがしに飾り立てられていた。
「意外だな、お前にしちゃ」
 それでもそこは大貴族、それなりに目を飽きさせないぐらいの高価な調度品が置いてある。それを手でもてあそびながらハルガンが言う。
「ここはプライベートルームなのです。私の気に入った方しか通さないのです。まあ今回は、間違って付属品も付いて来てしまいましたが」
 ハルガンはむっとした顔をして、
「悪かったな、間違いの付属品で」
 シナカは可笑しかった。この二人、顔を合わせれば牽制しあう。おそらく似すぎているから合わないのね。
 既にテーブルにはお茶が用意されていた。それをハルメンスは自らの手でカップに注ぐ。
「あれ、いつもの腰巾着は?」
「食事の用意をさせております」
 使用人を全員下がらされているのがハルガンには不審に思えた。やはりこの会食、ただの会食ではない。
 しばしハルメンスの旅行談などで時間を潰していると、クロードが呼びに来た。クロードはすっかり給仕の恰好をしている。
「へぇー、お前でもそう言う恰好をするのか」と、ハルガンは珍しいものを見たように言う。
「これが私の本来の姿です。私はそもそもアルシオ様の従僕としてハルメンス家へあがったのですから」
 あっ、そうだった。とハルガンは今更ながらに思い出した。
 こいつは平民だったのだ。それが貴族より貴族らしい振る舞いをするから、てっきり生れ付きの貴族だと思っていた。
「そう言うなクロード。私はお前を従僕だなどと思ったことはない」
 ハルメンスにすれば唯一心の許せる親友。
 クロードがハルメンスに深々と頭を下げようとした時、ハルメンスはそれを制するかのように、
「食事の用意ができたそうだ。冷めない内によばれましょう」と、急いで立ち上がりシナカを食事の間へとエスコートする。
 ハルガンは横目でクロードを見た。この腰巾着、ハルメンスに何かあれば刺し違えてもと言う感じだな。それはハルガンがルカに対する気持ちと同じ。
 食堂も小ぢんまりしていた。本当に気心の知れた友人とだけ食事を楽しめるようなスペース。テーブルは丸く、中央に低く生けられた花の周りには、皿が六人分。一つはクロードの席かと納得しながら、ハルメンスを中心にその隣にシナカ、ハルガン、キネラオ、ホルヘと座っていった。
 飲み物が注がれ食事も運ばれ、クロードも掛けるのかと思えば、彼はハルメンスの後ろで控えている。
 では、この席はと思っていると、
「お呼びしてもよろしいですか」と、クロードがハルメンスに伺いをたてる。
 ハルメンスはやれやれと言う顔をしてそれに答えた。
 クロードは軽く会釈をすると部屋を出て行った。
 俺たち以外にまだ客人がいたのか。と暫くしてボイの服を着た少年を一人連れてきた。
 シナカが慌てて席を立つ。
「あなた!」
「やはり心配で、後を追いかけて来てしまいました」と、少年が答える。
「やはり、お見えになりましたか」とハルメンス。
「それはそうです。狼が二匹も居る中に、シナカ一人を行かせる訳には参りません」
「これは酷い言われようだ」と、ハルメンスは笑う。
「ハルメンスさん、どうして私だけ抜け者にされたのですか」と、少年は不服げにハルメンスに抗議する。その仕種といい、抗議の仕方といい。
 キネラオとホルヘも慌てて立ち上がり会釈をして向かえる。だがハルガンはテーブルに肩肘を着いたまま、じっと少年を睨み付けていた。
 少年もその視線に気づき、
「ハルガンさん、何か?」と、問う。
「いや、別に」とハルガンは一旦視線を少年からはずしたが、また向けると、
「お前、誰だ?」と訊いてきた。
 少年はたじろぐ事も無く、
「ルカですよ、もうアルコールが入っているのですか」と問う。
 ハルガンはおもむろにテーブルの上に肘を付きなおすと顎を乗せ、少年を上から下へとねめつけた。
 少年はそんなハルガンにはお構いなしに、クロードが椅子を引いてくれたシナカとは反対側のハルメンスの隣に座った。
 ルカが座るのを見て、全員が着席する。
「どうしたの、ハルガンさん」と言うシナカに、ハルガンはまた同じ質問を少年に投げかけた。
「お前、誰だ?」
 少年は困ったようにハルメンスを見る。
 ハルメンスは微かに笑うと、
「やはり、誤魔化せませんでしたか」
 ハルメンスのその言葉の意味がわからず、キネラオとホルヘは顔を見合わせた。
「どこで、わかりました?」と、ハルメンスはハルガンに訊く。
 仕種も話し方も完璧に思えた。だがハルガンは、少年を見たとたん、ルカでないことを見破っていた。
 ハルガンは姿勢を正すと、
「見事だよハルメンス。だがあいつは、一度約束したことは破らないんだ。例え心の中で信用しなくともな。今頃、熊のように部屋の中を歩き回っていることだろう」


 案の定、ルカはハルガンが推測した通り、爪を噛みながらぶつぶつ言いつつ、部屋の中をうろうろしていた。
「ハルガンが一緒なら、まず間違いはないだろう。どんなことがあってもハルガンならうまく潜り抜けてくれるはずだ」
 否、ハルガンだから心配だ。
 暴徒たちに囲まれても、ハルガンならどうにかしてくれる。だが別の意味で心配が残る。やはりケリンにすべきだった。彼なら、否、リンネルの方が。だが招待状はハルガン宛だった。
「殿下、そんなに心配でしたら、一緒に行かれればよろしかったのに」とルイ。
「そんな、招待状がないのですよ」と、ルカは忌々しげに言う。
「招待状などなくともよろしいではありませんか。今から追いかけてはいかがです、迎えに来たと言うことで」
「ハルガンさんに頼むと言ってしまった手前、迎えに行くわけには行きません。それではハルガンの顔を潰すことになってしまいます」
 結局、そんなこんなでルカは部屋をうろつくしかなかった。
 モリーは慣れたもの。落ち着きないルカの行動を横目に、編み物をしている。
「もう、あなたはいいですね、他人のことだと思って」
 モリーにまであたる始末。
「ハルガンさんを信じたのでしょう。でしたら最後まで信じるべきでしょう」
「ハルガンは何もしませんよ」
 だがこの場合、何もしないと言う事が罪になる場合もある。ハルメンスさんも居ることだし、
 そのクールさが好き。などと言って。
「シナカの心が動いたら」
「殿下! それはありません」と、強い口調で否定したのはルイだった。
「それでは殿下は、姫様を信じていないことになります」
「そんなことはありません」
 今度は強く出たのはルカだった。
「私はシナカを信じております」
「でしたら、なぜ?」
 モリーが二人の仲裁に入るかのように軽く笑う。
「ルイ、許してやって下さい。殿下は、自分に自信がないだけなのです」
 モリーはルカの全てを知っているようだった。何しろルカがナオミのお腹にいる時からの侍女。


「やはり、無理でしたか」
 ハルメンスのその言葉で、少年は席を立とうとした。
 それをハルメンスは制し、
「何時までも騙せるとは思っておりませんでした。しかし、こんなに早いとは」と、ハルガンを見る。
「あいつは俺に奥方を頼んだんだ。頼んだ以上は、俺の顔を潰すようなことはしない」
「なるほど、追って来たと言う事が不自然でしたか。これは私の作戦ミスですね」
「あんたは奴を、よく知らないからな」と、ハルガンはニタリとする。
 奴に関しては俺の方が上だという優越感が顔に出てしまった。
「しかし、驚いたな」
 そこへクロードが給仕に入る。
「私が」と言う少年に対し、
「成果を見ていただきましょう」とクロード。
「これはどういうことだ」と言うハルガンに対し、
「まあ、話は食事をしながら」
 所作も会話も違和感はなかった。最初に偽者だと指摘されなければ、そのまま会話が流れてしまう。
「身代わり?」
「そうです。これでしたら、あなた方以外の人々は誤魔化せるでしょう」
「それで我々を呼んだのか」
 ハルメンスは頷く。
「やはりこう言う事は、一番身近な方々の協力なくして出来るものではありませんから」
 ハルガンはまじまじと少年を見る。
「身代わりと簡単に言うが、それがどういうことを意味しているのか、知っているのか」
 ハルガンの意味することは、ボイ人は知らないことだった。ネルガル人でも上層部の極一部の者しか。
「存じております」
 少年は透かさず答えた。そこには全てを知って承諾したという意思が込められている。
 ハルガンはもう一度少年をまじまじとねめつけると、
「強要されたのか?」
「いいえ、自分の意思です」
 ハルガンはハルメンスを見た。貴様が洗脳したのか。と言わんがごとくに。
 ハルメンスは違うとばかりに首を横に軽く振った。
「歳は?」
「十二になります」と、少年は答える。
「それにしては小さいな。成長抑制剤でも使われたか?」
 それにはクロードが答えた。
「栄養失調による発育不全です」
 どういう意味だ。と言いたげにハルガンはクロードを見た。
「あなた方には理解できないことです」
 本当はあなた方貴族にはと言いたいところだったが、少なくとも今目の前にいるこの二人の貴族は、他の貴族より自分たちの、否、大方の平民の境遇を理解してくれている。
 ハルメンスはやれやれという感じに肩をつぼめて見せた。
「死ぬかも、知れないぞ」
 否、かもではない。完全な死だ。ハルガンはシナカたちの手前、そう言っただけ。なぜなら、奴等が欲しがっているのは王子の首なのだから。例えボイ人が手を下さなくとも、何らかの方法で王子を暗殺にかかる。その方が、後々やりやすいから。
「覚悟しております」
 全てを知って、この少年は承諾した。
 ハルガンはもう一度ハルメンスを見る。
 ハルメンスは黙って頷いた。
「一つだけ訊いていいか。何故、そこまでして」
「今のネルガルを変えられるのはルカ王子しかいないと聞きました。彼のネルガルでの事業も見て来ました。それで確かにという確信を得ました」
「それで、身代わりを?」
「彼に死なれては、元も子もありませんから」
 ハルガンは考えた。
「十二だよな。俺が十二の頃は」
 豪邸で好きなことをしていた、世間のせの字も知らずに。
「名前は?」
「ルカです」
「お前の本名だよ、一度だけ名乗れ」
 少年はまたハルメンスを見る。どうやら口止めされている様だが、ハルメンスは頷く。
「ケイトと申します」
「ケイトか」
 ハルガンは暫し宙に視線を漂わせると、もう一度少年を見る。今度は真正面からしっかりと、
「ケイト、一つだけ約束しておこう。お前が死ぬようなことがあれば、俺も一緒だ。あの世は、俺が案内してやろう」
「キングス伯!」
 ハルメンスが驚いたようにハルガンの名前を呼んだ。
 ハルガンは薄ら笑いを浮かべると、
「俺が奴の傍に居ないのは不自然だろう。おそらくリンネルも。逃がすのはルカ一人だ。後は全員、この子に付く。でなければ敵を騙せまい」
 確かにとしか言いようがない。だがハルメンスとすればハルガンやケリンも欲しかった。使いこなすのは難しいが、ルカさえこちらの仲間に引き込めれば。
「いいのか、殿下を一人、私の手元に送って」
「お前の魂胆など、とうに知っている」
「既に手は打ってあると言う訳か」
 ハルメンスは暫し考え込むと、
「クラークス・デルネール伯爵ですか。彼が相手ではあなたより手強いですね」
 ハルガンは何とでも言え。と心で毒づきながら、本当に手強いのはクラークスなどではない、ルカ本人だ。お前は奴の本性を知らない。あの一見ひ弱そうな姿の中に隠されているマグマのような力を。お前はルカを利用する気でいるが、お前こそルカに利用されるなと、俺は言いたい。
 ハルガンはケイトに視線を移す。その目は今までの目とは違い優しさを滲ませている。
「心配するな、坊主。一人では(あの世へ)行かせない」
 ボイ人たちには意味がよくわからなかった。ハルガンは彼らの手前、暴動がこれ以上拡大して終止符が打てなくなった時のためにと言うことで、説明をした。万が一、ネルガル人として責任を取らされる場合には、彼が身代わりになるそうだと。
「そっ、そんな。ボイに死刑はありません」と、シナカは泣き出しそうに言う。
「ボイ人にはな。だがネルガル人にはある。まあ、そうならないことを祈るがな」と、ハルガンは付け足す。これもシナカの前でのリップサービスに過ぎない。

 美味しいはずの食事は、少なくともボイ人にとっては後味の悪いものになった。これではまるで、殿下を処刑するような。そんな響きが残ってしまった。だがハルガンにとっては、これでルカをボイ星から脱出させる見通しが付いた。あの少年には気の毒だが。
 しかしあの野郎、いつから準備していたのだ。あの少年の立ち振る舞いからして、かなりの歳月をかけているはずだ。


 そしてハルメンスの方は、彼らを見送った後、
「うまく行きましたね」と、クロード。
 ハルガンの協力が得られれば鬼に金棒。
「お手柄だ」と、ハルメンスは少年の肩を叩いた。
「あの男をあそこまで引き付けるとは、殿下顔負けですね。もっとも彼は、渡りに船だったのでしょうが」
「後は、殿下が承諾してくだされば、ですね」
 ハルメンスは腕を組むと、
「それが一番問題ですね」と、微かに笑う。
 この作戦の一番のネックはそこだった。
 後は、ハルガンの仕事だ。私がここまで段取ったのですから、打ち壊さないで欲しいものです。
「殿下は、うんと言うでしょうか」
「説得しだいでしょう」
 二人の会話を聞いて、少年は疑問に思う。
「あの、つかぬ事をお聞きしますが、お二人の会話を伺っておりますと、ルカ王子はこの話に乗ってこないように聞こえますが」
「そうですよ、乗ってきません」
「どうしてですか、どうして自分の命が助かるのに」
「そういう人だからこそ、あれだけの人物を引き付けることが出来るのです。ここで一言忠告しておきます。ハルガンを見てお解かりかと思いますが、殿下の親衛隊は誰をとっても一癖どころか二癖も三癖もある者ばかりなのです。彼らの主になったら気を付けてください」
 軍隊が飼いならせなかった野獣たちを、ルカはいとも容易く猫のように飼いならしてしまった。その器だけでも充分。


 帰りの車の中で、ハルガンはシナカに頭を下げた。彼を返して欲しいと。
「以前にも言いましたが、彼を本当に必要としているのはボイではなくネルガルなのです。ネルガルを変えるためには」
 奴の力が必要。
「このままではネルガルは銀河の嫌われ者になってしまう」
 否、もう既になっているが。だがそれだけではない。内部から腐る。否、もう腐り始めている。
「この通りだ」と、ハルガンはもう一度頭を下げた。
「ですが、そうしたらネルガルとボイの和平は?」
「それは、ケイトを利用する」
「身代わりを」
 ハルガンは頷く。
 だがこれも、シナカの前だけの話だ。ネルガルの狙いはボイの内乱、それによる王子の処刑もしくは暗殺。総攻撃の準備は着実に進んでいるはずだ。
 俺が処刑される前に国王夫妻とシナカ、それにこいつらの身の保障をクリンベルク閣下に取り付けたいのだが、おそらくその時間的余裕はないだろう。殿下はさぞ怒るだろうな。とハルガンは苦笑した。
 まあ、殿下があの世に来たら、謝るとするか。それまでは天国の貴婦人を相手に。
 ハルガンにとっては天国の女神も、超高級娼婦にすぎない。
 シナカは考え込んでいた。
 ハルガンは一仕切りの妄想から冷めるとシナカを見詰め、
「奥方様」
「何ですか」
「このことは、殿下には内密にお願い致します」
 おそらく説得は無理、強硬手段を取るしかない。あの方が、身代わりなどに同意するはずがないのだから。


 巷は他のコロニーから来た暴徒たちで膨れ上がっていた。彼らはいよいよネルガルの商館まで襲い始めていた。特に水を商っていた者たちは酷い。ここぞとばかりに店を壊しつくされた。
「お前たちのせいで、俺たちの畑は」
「ネルガル人は、出て行け!」
 ルネルガル商人も黙ってはいない。自衛団を金で抱え込み応戦に出る。怪我人が数人出たところで、やっと治安部隊が動き出した。
 混乱の中に割って入る。
「お前等は、どっちの味方だ」
「お前等は、ボイ人じゃないのか。なら、俺たちに味方しろ」
「治安を乱しているのは、お前等ボイ人だろう」と、ネルガル人の一人が怒鳴る。
 治安部隊は空砲を天に向かって撃ち、周囲を鎮めた。
 隊長の一人がおもむろに前に出ると、
「殿下からの伝言です」と言って、紙を読み上げる。
「暴徒諸君に告ぐ。水門を壊したら速やかに引き上げるように。それ以外の破壊行為は処罰の対象とする。ネルガル人に告ぐ。彼らが引き上げるまで、門を閉じ中で大人しくしているように。とのことです」
「なっ、何だそれは」と言うネルガル商人に対し、
「つまり、水門を壊すことは罪に処せないということか」
「この文面からいきますと、そういうことになりますか。そもそも殿下は水門建設には反対でしたから」
 暴徒たちは暫し大人しくなった。
 水門を作り、暴利を貪っているのは殿下だと聞かされていた。誰から?
 ネルガルの息のかかった扇動者がいる。
「話がおかしいじゃないか」と、暴徒の一人。
「とりあえず、水門は壊そう」
 それが最初の目的なのだから。


 ルカは心配していた、治安部隊と暴徒たちがぶつかるのではないかと。だが幸い、衝突は起きなかった。
「内乱だけは、よくない。我々ネルガル人を悪者にしている分にはよいが、内乱は憎しみを残してしまう。そうなっては取り返しが付かない」
 出来るだけ武器は使わないように指示した。君たちの部隊を養ってくれているのは彼らなのだから。彼らが働いて収穫したものが、治安部隊の食糧になっている。彼らに銃口を突きつけることは、親に突きつけるも同じ。よく肝に銘じて欲しい。かといって正当防衛まで認めないわけではない。ここら辺が難しい。
 治安部隊が何事も無く戻ってきたのを聞いて、ルカはほっと胸を撫で下ろした。
 治安部隊の指揮官が報告に来る。
「彼らは?」
「水門を壊したら引き上げました」
「そうですか」
 水門が破壊されると田畑は潤った。水道料を払う必要もなくなった。以前のボイに戻った。
 水は誰のものでもない。水神様が我々ボイ人に与えてくださったもの。


 一旦鎮まったかに見えた暴動も、やはり水門を壊しただけでは終止符が打てなかったとみえ、また再燃し始めた。
「やはりネルガル人をこのまま居座らせておけば、また同じことの繰り返しになる」
「彼らはネルガルに戻るべきだ」
「ボイ星にネルガル人はいらない」
 これはルカのことを差しているようでもあった。
 やはり誰かが扇動しているのは確実。
 今度は暴徒たちはネルガルの商館を狙うようになった。打ち壊しはネルガルの商館だけではなく、ネルガルと懇意にしているボイ人にまで及ぶようになったのも時間の問題だった。
 このままでは町の秩序が。だがここで治安部隊を動かせは、今度こそ彼らとぶつかるのは必定。
 暴徒たちは日に日に膨れ上がり、ついにルカの住む邸の近くまで押し寄せてきた。
「ネルガル人は出て行け!」
「帰ってもらえ!」
 そもそも戦などなかった星だ。邸の垣根は外敵の侵入を防ぐと言うよりもは、外観の見てくれだけに作られているものだ。乗り越える気ならいくらでも。治安部隊が取り囲む中、一人の暴徒が垣根を乗り越えようとした。
 その時、一条の光。光線は男の肩を掠めたようだ。男はもんどりうって転げ落ちた。
 そのレーザーを治安部隊が撃ったのかどうかは定かではない。だがそれをきっかけに暴徒と治安部隊は衝突してしまった。
 幸い治安部隊が手加減したおかげで、死者だけは出なかったものの負傷者はかなりの数に上った。
 この事件をかまきりに、ボイの世論は二つに分かれた。ネルガル人に組みする者とそうでない者に。だがそうでない者たちの数が圧倒的に多かった。彼らはさんざん水で苦しめられたのだから無理もない。
「このままでは危険です」
「何処かへ一旦、身をお隠しになられては」
 キネラオやホルヘの提案に、ルカは軽く首を横に振る。逃げたところで同じ。
「ネルガルへ、戻られては」
 シナカがぽつりと言う。
 ルカはシナカの言葉に、一瞬、我を失った。
 戻ればって、もうあなたは私を愛してくれないのですか。こんな役立たずの私だから。
 ルカはシナカの心を聞きたかった。だがキネラオたちの手前、出た言葉は、
「それでは、ボイとネルガルの和平は?」
 そんなこと、どうでもよかった。もうここまで来れば決裂したも同然。
 このまま私が引き上げた方が。だがネルガルが攻撃を仕掛けてくるのは必定。その時、シナカたちは。誰がネルガルと戦い交渉するのだ。
 ルカはシナカとキネラオとホルヘの顔を見た。
 彼らを置いては行けない。どうにかネルガルの手から守ってやらねば。だがその前に私が暴徒の手にかかっては。
 ルカは暴徒たちに訴えたかった。あなた方の本当の敵は、ネルガルの王朝ギルバ帝国なのだと。

 そんな中、ハルガンは件の作戦を実行することにした。まずは協力者、ケリンとオリガーを自室に呼びつけた。
 ハルガンの自室は、壁にはサバイバルナイフのコレクションと言いたい所だが、飾ってあるのは数本。彼も上流貴族の一員。部屋は貴族らしい調度品でほどほどに満たされていた。無論、床張り。どうもあの畳とやらに地下に寝る気にはなれない。野戦じゃあるまいし。例え野戦でもハルガンはテントを張り簡易ベッドを用意させていた。
「まあ、掛けてくれ」
 ネルガルの酒を片手に、ハルガンは話し始めた。
「身代わり?」
 ハルガンは頷く。
「どこに居るのですか? その身代わりを買って出た人物は」
「ハルメンスの所だ。こちらの支度が出来次第、いつでも送ると」
「うまく行くものですか?」
「やって見ないことにはわからないだろう。奴等に踏み込まれてからでは手遅れだからな」
「このこと、奥方様は?」
「知っている。キネラオとホルヘの協力も得ている」
 ケリンとオリガーは暫し腕を組み考えていたが、それしか方法が無いと結論付けたのか、
「わかった」と、頷く。
「ところで私は何を協力すればいい」
「睡眠薬を頼む。まるまる一日、熟睡するやつを」
 オリガーは頷く。
「ケリン、お前はこれを」と、ハルガンはハルメンスから受け取ったチップをケリンに手渡す。
「偽王子の生態情報だ。摩り替えておいてくれ」
 万が一、指紋や遺伝子情報を照合された時のために。
 決行は二日後と決まった。

 二日後、ハルメンスから一つのスーツケースが届く。開けると中から少年が出てきた。その少年を見て、ケリンとオリガーは息を呑んだ。
「この世には自分に似ている者が三人は居ると聞いたが」
 ハルガンは少年の手を引くと椅子に座らせた。
「ケリンにオリガーだ」
「存じております」
 その仕種といい、話し方といい、オリガーは開いた口を塞ぐのを忘れた。
「これは、驚きましたね」と、ケリン。
「失礼だが、痣は?」
 少年は静かに胸元を開いた。
 オリガーはそれをルーペのようなものでじっくり観察する。
「確かに、見事な復元だ」
 少年はケースの中に一緒に入っていた包みを取り出すと、
「これで殿下の髪を黒茶に染めてください」
「黒茶?」
「イシュタル人に多い髪の色だそうです。それとこの衣装を」と、少年はそれらの品をハルガンに手渡す。
「この衣装は?」
「イシュタル人のものです」
 はっ? とハルガンは一瞬ほうけたものの、
「何、考えているんだ、あいつは」と、吐き捨てるように言う。
「奴隷として、逃がすつもりでは。幸い殿下はイシュタル語が話せますし」とケリン。
 それからケリンは気づいたように少年を見ると、
「お前は、イシュタル語は話せるのか。殿下はかなり上手だ」
 すると少年は苦も無くイシュタル語で挨拶を始めた。
「ハルメンスさんの館の奴隷に教わりました」
「完璧だな」と、ハルガンは両手で膝を打ち立ち上がる。
「よし、決行は今夜。明日の朝食はボイ国王夫妻と同席してもらうからな」
「わかりました」
「これよりお前は俺たちの主だ。それらしく振舞え」

 食事で邸が留守になっている間に、ハルガンは少年をもう一度ケースに入れるとルカの部屋まで運んだ。納戸に少年を待機させると、オリガーが用意した睡眠剤をしみ込ませたハンカチをポケットに押し込む。
 その様子を見て少年は訊く。
「説得されたのでは?」
「あいつが、説得したぐらいで、はい。と言うたまか」
 ハルガンには、はなから説得するなどと言う七面倒くさいことをする気はなかった。強行突破あるのみ。これが元参謀本部勤務とは聞いて呆れる。余程ネルガルも人材に事欠いていたのだろう。
「一度、お会いしたかったのですが」
「意識が無くともよいならな」と、ハルガンは衣装を整えながら。
 本当は話をしたかったのだが、致し方ない。お姿を拝見させていただくだけでも。
「それでも構いません」
 自分が身代わりになる人物。
「じゃ、手伝え。そうすれば必然的に会うことになる」

 ルカが食事をすませ居間で寛いでいると、
「殿下、お話が」と、ハルガンは、いかにも大事そうな話があるかのようにルカの耳もとで囁き、いきなりルカの口にハンカチを押し当てた。
 目を白黒させて抗うルカ。だがその抵抗もハルガンの力強い腕に押さえつけられ、次第に静かになった。
 シナカは動くことすら出来なかった。ただそれを呆然と見ているだけ。
 これがこの人との最後の別れになる。ネルガルへ戻れば決してボイには。私のことも、直忘れてしまう。そしてネルガルの美しい貴婦人を。
「奥方様」とハルガンは、呆然としているシナカに声をかける。
 シナカは軽く頷く。既に覚悟はしていたはずだ。あの時、ハルメンス公爵に話を打ち明けられた時に。
 ハルガンが合図すると、奥からケリンとオリガーが現われた。既に部屋で待機していたようだ。そして少年。
 オリガーは注射器を用意するとルカの袖口を捲り上げ、針を射す。
「これで、明日の今頃まで目は覚めませんよ」
 オリガーの手際を確認すると、
「よし、まず髪を染めるか」
 そこへクリスがキネラオたちとやって来た。
 倒れているルカを見て、慌ててクリスは駆け寄った。
「殿下」と、声を掛ける。
 そしてハルガンの背後に。
 クリスは驚いたが、キネラオとホルヘは悟ったようだ。
「今日、決行なら決行と一言言ってくだされば」
「秘密は、知る者が少なければ少ないに越したことはない」
 と言うより、何事もハルガンは行き当たりばったりの主義のようだ。
「何か、手伝うことは?」
「髪を染めたい」
「それは私が」とシナカが名乗り出た。
「最後なのですから」
 少しでも触れていたい。
「では、頼みます」
「ルイ、手伝って」
 ルイも驚いていない。どうやらシナカから事前に話は聞いているようだ。
 驚いているのはクリスだけか。
 キネラオがルカを抱え、シナカの化粧室へと連れて行く。
 シナカとルイで丁寧に髪を染め始めた。
「モリー、彼を頼む。部屋を案内してやってくれ。おおまかな間取りは知っているようだが」
 髪を乾かすとイシュタル人の服に着替えさせた。
「変わっている服ですね」と、ホルヘ。
 どことなくボイの服に似ているが、ボタンもなければ飾りもない。ただ前を合わせて紐で縛るだけ。
「イシュタル人がよく着ている服だ」
 ハルガンもネルガルの娼館で下働きをしているイシュタル人を何度か見たことがある。皆同じような服を着ていた。わざとこの服を着せておくのは、ネルガル人と間違えないため。それほどイシュタル人はネルガル人に似ている。
 リンネルはこの一連の騒動を、部屋の片隅でじっと見守っていた。ハルガンに相談された時、進んで同意もしなかったが、反対する気もなかった。やはりルカをこの星から助け出すにはこの方法しかないだろう。だが、
 リンネルは池のほうに視線を移す。そこにはこちらをじっと見詰めている一人の女がいた。
(ヨウカ殿)
(無駄じゃ、そんなことをしても、あやつはここを離れぬ)
(どうしてですか)
(それがあやつの性分だからじゃ。頑固で、生き方が下手なのじゃ)
「これなら、どこからどう見ても、普通のガキだな」と、ハルガンは眠っているルカをしげしげと眺めながら言う。
「きれいな方ですね」と、少年。
「どんなに磨いても、この肌だけは」
 シミ一つない、透けるような白さ。
「私のような野良仕事をしてきた者には」
「こいつが、苦労を知らないとでも言いたいのか」
 ハルガンの冷ややかな言葉に、少年は驚く。
「こいつほど苦労している奴もいないぜ。苦労は何も肉体労働だけではない。お前も食うや食わずで苦労して来たようだが、こいつは生れた時からずっと、針のむしろの上に座って来たんだ。そしておそらくこれからも。ネルガルが変わらない限りは」
 これから俺は、よりいっそうの針の山にこいつを追いやろうとしている。その横に、俺はいてやれない。
「ハルガン、止せ。彼とはこれから仲良くやらなければならないのに」と、ケリンがさり気なく忠告する。
「随分と、崇拝したものだな」と、オリガーは感心したように言う。
「悪かったな、なんせこいつは神の子だからな」
 神など信じてもいないくせに。

 スーツケースの中に寝かせる。シナカは最後の別れとばかりに、ルカの頬を手で覆う。
 シナカの頬に一筋の涙。
 ハルガンはルカがケースの中で頭をぶつけないようにと、クッションを丁寧に押し込みながら、
「許してください奥方様。こうするしか今の腐れ切ったネルガルを救う道はないのです。玉座から一番遠いこいつを玉座に据えるしか」
 王子でも、一番末席にしか座れない王子。
 少年が言う。
「ケースは中からも開けられるようになっておりますが、教えなくとも」
 よろしかったのですかと。
「その必要はない」と、ハルガンはきっぱり言う。
「クリス、お前、ハルメンスの所までこのケースを届けろ。そしてその先も、こいつに従え。決してこいつの傍を離れるな。もしお前の人相からこいつの身が危うくなるようなら、整形してでも」
 クリスは頷く。
「そして、完全に逃げ切れたら、クラークスに繋ぎを取れ。奴にはこの星へ来る前に話してある。決してこいつを、ハルメンスの手に渡すな」
 少年は耳を疑った。公爵とハルガン、この二人、仲間ではなかったのか。
「畏まりました」とクリスは頭を下げる。
「頼む」と、ハルガンはクリスの肩を叩いた。
「奥方様、ケースを閉めますが」
 シナカは慌てて「これを」と、笛を持って来る。
 誰もが一番肝心なものを忘れるところだったと気づく。
 ルカの笛。この笛はルカ以外の者が吹いても意味をなさないと言われている。そしてルカが死ねば、この笛はナオミ夫人の故郷の社に自力で戻り、来世のルカの誕生を待つ。
 ハルガンはその笛をルカの手にしっかりと握らせた。
 シナカは最後の別れに、ルカの頬に軽く唇をあてる。
 ケースが静かに閉じられた。
「どうか、ご無事で」
 これは今この部屋の中にいる者たち全員の祈り。
 頭が上になるようにケースを静かに立てると、クリスの手に渡す。
「頼む。今から発て」
「私、一人でですか」
「おそらくレスターが護衛するだろう。そしてそのままお前たちの後を追うはずだ。奴はクリンベルク閣下に仕えているわけでも、この親衛隊に属しているわけでもないからな。ただここに籍を置いておくだけだ。奴が仕えているのはルカ本人、ルカがいなくなった親衛隊に、もう奴は興味を持つまい」
 クリスは背筋を伸ばすと、ネルガル式に敬礼をした。ハルガンもケリンもオリガーも、それを敬礼で返す。それからクリスはおもむろにリンネルの方に向き返ると、最敬礼をした。リンネルもそれに答える。既にそこに言葉はいらない。
 クリスはケースを押して静かに部屋を後にした。
 クリスの姿が見えなくなると、ハルガンは少年の方に視線を移した。
「さて、ルカ」
「何でしょうか、ハルガン」
 ハルガンはニタリとする。
「ご婦人に、ハンカチぐらい出してやったらどうだ。奴ならそうする」
 シナカは声を殺して泣いていた。
 ルカ王子はこの星の王女を心から愛しておられる。王子のご趣味は気性の激しいご婦人のようだ。ナオミ夫人も、一見お淑やかそうなお方だがご気性の強い方だった。特に曲がったことのお嫌いな。ハルメンス公爵はそう私に教えてくれた。
 この方が、殿下が愛された方。
「申し訳ありません、気が付きませんで」と、慌ててポケットを探る少年。
 その仕種が何となくルカに似ているので、シナカは泣きながら笑う。
 ハルガンはやれやれと言う顔をして、自分のハンカチを少年に手渡す。
 まあ、あいつもこんな感じなんだよな。と諦めながら。
「しっかり、やってくれよ」と、少年の肩を思いっきり叩く。
 少年はその勢いによろける。その仕種さえ、ルカに似ている。
「全員、残すのですか」と言うオリガーの問いに対しハルガンは、
「おもなメンバーは残す。他のものは隙を見て後を追わせる」
 幾らあいつでも、手足が無ければ何もできなかろう。本来なら大佐やケリンに後を追わせたいのだが、彼らの姿が見えなくなれば怪しまれる。ここはあまり目立たない連中しか動かせな。奴等だって居ないよりましだ。レスターも居ることだし。まあ、理由を訊かれたら、暴徒が怖くって逃げ出したとでも言っておくか。少し不自然かもしれんが。
 ハルガンは片手で顎を撫でながら思案した。
「おい、オリガー。お前、暴徒を怖がっているような演技をしろ。医者のお前なら、暴徒を怖がっても不自然ではなかろう。数名連れて行け。人選はお前に任す」
「どうするのですか、こちらは」
「どうにか、するさ」
 ハルガンは去り際に、
「寝室は同じだ。ただし、ベッドは別にしろ」と、少年に言う。
「寝台を二つ用意したら、怪しまれますよ」と言うシナカに対し、
「こいつは、畳の上に寝かせろ」
「そんな、かわいそうだわ」
「私は別に、それでかまいませんが」と、少年。
 結局、寝台の真ん中に毛布を丸め、陣地をはっきりさせて寝る事にした。

 次の日の食堂での朝食、ハルガンたちは少年がうまく演じきれるかどうか気が気でなく、早いうちから食堂に集まっていた。

 そしてその頃ルカの邸では、モリーが物音に気づき立ち出した。そして居間で見たものは。
「殿下!」
 髪を黒茶に染め、イシュタルの服を着たルカが立っていた。背後にはボコボコにされたクリス。
「皆さんは?」
「朝食ですが」と、モリーはおずおずと答える。
「モリー、済みませんが手当てしてやってください」
 モリーは奥から救急箱を持ってくると、瞬間冷凍したタオルをクリスに渡す。
「少し冷やした方が」
 すり傷の方を丹念に消毒しながら、
「どうしたの、暴徒にでも襲撃されたの」と、子声で訊く。
 クリスはただ首を横に振るだけだった。

 暫くすると廊下が賑やかになった。
「うまくいったな」
 ハルガンの声。
「本当にお父様たち、お気づきになられなかったのかしら」
 シナカには、気づいていてもこちらに合わせてくれていたような気がしてならない。
「まあ、それならそれで、こっちの作戦を認めたことになる。つまり協力は惜しまないということだ」
 そして彼らが居間に入って見たものも、
「おっ、お前、どうしてここに。お前はまだ眠っているはずじゃないのか」
 まるで幽霊でも見ているようだ。
「ここは、私の邸ですよ。私はこの通り、起きてます」と、ルカは両手を軽く広げた。
 足も付いている。
 クリスはソファに座り、俯いて顔の痣を冷やしていた。ハルガンからの言葉に怯えながら。
「クリス、これはどういうことだ」と言うハルガンの叱責の声。
「それは私の方が訊きたい、ハルガン」と、やはりこちらもルカの怒りの声。
 そこへキネラオたちも姿を現した。朝食の出来を褒め称えるために、
「うまく誤魔化せましたね」と言いつつ。
 そしてやはり見たものは、幽霊?
 全員の顔が揃った段階でルカは悟った。これがハルガンだけが仕組んだ罠ではなかったことを。
「そうですか、あなた方全員で私を」
 ルカが怒っていることは、目に見えて明らか。キネラオたちも言葉を失った。気まずい雰囲気。だが、この場に救いの手を伸ばしたのはシナカだった。
「あなた、勘違いしないで。皆さんは、あなたのことを思って」
「ボイはどうするのですか」
 ルカの声には厳しい響きがある。
「お前が居ても、どうにもならない」
 ハルガンの現実を直視した意見。
「そうかもしれません」
 これはルカも認めざるを得ない。ルカも現実派だから。
「でも、私を逃がしたところで」
 現状は変わらない。
「ハルメンスの組織を乗っ取れ。お前ならそのぐらい出来るだろう。そうすれば再起はある」
「それまでボイを、あなたが支えると」
 ハルガンは肩を落として軽く苦笑する。
「お前に出来ないことが、俺に出来ると思うか。俺はそれほど自信過剰じゃないぜ」
 ハルガンは暫し宙に視線を遊ばせると、
「ボイは一旦、ネルガルの支配下に置かれる。だが、取り返せばいい。お前なら出来るだろう。そのために逃がしてやったのに、何、のこのこ戻ってきやがったんだ」
 ルカは黙り込んだ。
「大局を見ろ、大局を。目先のことにこだわるな」
「ハルガン、私が居なくともネルガルは大丈夫です。ネルガルにはジェラルドお兄様がおられるのですから」
「あっ???」と、ハルガンは一瞬、ほうけてしまった。
 開いた口が塞がらない。だが心の底からふつふつと怒りが湧き出すのを感じた。
「あんな馬鹿に、何が出来る」
 思わず怒鳴ってしまった。ネルガルをどうにかして救いたいと思っている矢先に、あんな白痴を。
 ルカはむっとした顔でハルガンをねめつけた。
「ハルガン、一言言っておきます。私のことを何と言おうと、それは許します。なぜならあなたは私を私以上に知っているから。だが兄の悪口だけは許しません。あなたは兄のことを何も知らない。考えても見てください。兄には、クラークスさんのような人が付いているのですよ」
 丁度私にハルガンが従ってくれているように。
 ハルガンは黙り込んだ。クラークスの才能は知りすぎほど知っている。何故、奴がジェラルドの元を離れないのか。それは奴のミスでジェラルドをあのようにしてしまったからではないのか。他に理由があるとは思えない。奴は俺など足元に及ばないほど責任感の強い男だから。
「私はあなた方こそ、兄の所へ送ろうと思っていたのです。何をするにもよく動く手足は必要でしょうから。あなた方は頼るに充分値しますから」
 そう言われて悪い気はしない。ふつふつと沸いた怒りが鎮まるのをハルガンは感じた。だがこの怒りをもう一度湧きあがらせるにはかなりの体力が必要だ。ハルガンはまたやられたと思いつつも、黙るしか手が無かった。
 ネルガル帝国を相手に戦えば勝てない。これはこの銀河の住人なら誰でも知っていることだ。それほど膨大な軍事力。これ程の軍事力を持っている星は、今の所この銀河には存在しない。
「ボイ王朝が滅ぶなら、私も一緒に滅びます。私はもうネルガル人ではないのですから」
 ルカはそう言い残して自室へ去って行った。
「おい、ルカ」
 ハルガンが呼び止めても答えない。
 ハルガンはじっとクリスを睨み付ける。これはどういう事だ。と言わんがごとくに。
 クリスはおどおどと、
「私が武術で、殿下に勝てるとお思いでしたか」
 その証が顔の痣。
「何故、ケースを開けた」
 開けなければいくら武術の達人だろうと。
「ケースの中から音がしまして。耳を当てると苦しいと仰せでしたので」
 今思えば、ケースを開けさせるためのルカの作戦。だがあの時は、
「苦しいと言われてはな」と、ケリンは納得する。
 ハルガンは舌打ちした。戻って来てしまった以上、別な手を考えなければならない。
 だが、ハルガンたちにその時間的余裕はなかった。
 廊下を土足で踏みにじるような複数の足音。
 ハルガンがホルスターを構える前に取り囲まれていた。
「武器を捨ててください」
 聞き覚えのある声。
 ホルスターを構えている者たちの背後から現われたのは、
「サミラン!」
 シナカが叫ぶ。
 それと同時に、こちらも聞き覚えのある声。
「殿下! 大変だ。クーデターだ!」
2010-04-28 22:53:53公開 / 作者:土塔 美和
■この作品の著作権は土塔 美和さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 今日は、続き書いてみました。感想、お待ちしております。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは! 羽堕です♪
 ボイ星に帰ってきたホルヘ達の挨拶や、贈り物や手紙など良かったと思います。ルカとシナカの仲も深くなったんじゃないかなと。それとトリスの想いなども触れられていて良かったです。
 ネルガル人の悪い影響を受けて、そして、そこにつけいれられての不利な契約など、ルカとボイ人達との亀裂にもなりつつあり、ネルガルの思うツボというような感じが上手く書かれていると思いました。ルカ達だけが頑張っても、やはり限界はありますからね。
 そしてハルメンスのアモスなどを使った、ルカのボイ星脱出作戦なども着実に進んで行き、本当にボイ星を追われるような目にあるのかなど心配になってきました。ケイトの存在も気になりました。
 水門を壊す暴動と、それをやった者が英雄となり、またルカの立場が危うくなってきてるなと感じれました。でもシナカを始めボイ人の中でもルカの味方が多くいる様で、少しホッとします。だけどルカは自分の命と引き換えにして丸く治めようとかんがえたのかぁ。ルカらしいと言えばルカらしいけど、それを許してはくれない仲間がいる事には、まだ気付けないのが子供らしさなのかなと。
 ハルガンの熱い想いなど伝わってきて良かったです。だんだんと余談を許さない状況になってきたなって感じです。
 やはりルカが他人の意思だとはいえボイ星を離れられないだろうなと思っていたので、結果的には良かったと思うのですが、クーデターと、ここからどうなってしまうのか続きが気になります!
であ続きを楽しみにしています♪
2010-04-27 19:24:59【☆☆☆☆☆】羽堕
 羽堕さん、いつも感想有難う御座います。ルカとボイ人たちの亀裂、不自然ではありませんでしたか。亀裂の原因を何にしょうかと迷ったあげく、たまたま仕事帰りに立ち寄った本屋で、水利権の背表紙を見ました。これだと思って飛びついてしまいました。ルカとシナカの関係、ルカを取り巻く人たちの性格、うまく描けたかどうか気残りです。それとリンネル大佐の影の薄さ。
 次回もよろしくお願いいたします。
2010-04-28 23:40:54【☆☆☆☆☆】土塔 美和
計:0点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。