『アンバランスの夜』作者:やるぞー / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
クリスマスイヴ。予定のない美佐子はこの日、大輔を誘おうと試みるが……
全角10186文字
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原稿用紙約25.47枚
『アンバランスの夜』

 
 無理に足を動かしてしまい位置が歪む。そうするとまた冷たい手を動かし、その歪んでしまった炬燵の位置を正す。それから、炬燵のスイッチを切って、また点けた。
 暑いのか寒いのかよくわからない。炬燵の中はとにかく暑く、特に太股の辺りは燃えてしまいそうなほどだ。かと言って、炬燵からはみ出してしまっている上半身は冷気を直に感じるので寒い。特に手の甲から指先にかけては、元来生き物ならばどんなものでも持ち合わせているだろう温かみが、まるで消え去ってしまっている。死人みたいだ。冷たく、青白い。
 おまけに、こういう日には、ピアノの音が頭の中で響いてくる。小さな頃から親の勧めでピアノを習っていた。それで、コンクールなどに出て何度か優勝してしまったものだから、今はこうなっている。
 もう、ピアノはない。いや、ないというのは嘘で、本当は今でも家に置いてあるのだけれど、私の目にはまず映らない。埃をかぶってしまっている。もう二年も。
 大学生になってすぐ、意気揚々、ジャズ部へと入った。ピアノを演奏したいからだった。ジャズも大好きだった。ジャズ特有の躍動的なハネたリズム、ビート、感性、それらの音に乗せて即興でピアノを弾きたかった。
 でも、私には無理だった。決して弾けなかったのではないのに。それ以前の問題。弾くことから逃げていた。一人でジャズはできない。結局、いつもいつも私にはこの問題が付き纏う。じわじわ首を締めながら、少しずつ気力を奪う。悲しいかな、言わずもがな、でも、言えば世の常、言うに言われぬ。
 結局、この世は冷たいのだということを、私は知ってしまった。
 アンバランスなのがイケナイのだと思う。下半身だけを暖めて、上半身はもうどうでもいいというような炬燵君のスタンスには賛同できない。せめて、胸板あたりまでは暖めてほしいものだ。寒い寒い。街のイルミネーション。暖めてやろうとする温かな気持ちが欲しい。
 はて、何を考えているのだろう。一瞬、五メートル四方ほどの巨大な炬燵を思い浮かべてしまった。足の爪先から頭の天辺まですっぽり入る炬燵。立ったままで入れる。入ると薄暗くて、天井が赤く光っている。その光はなぜか暖かい。秘密基地のような部屋。それはもはや炬燵ではない。ふふ。
 私はパソコンのワードを使って、論文を書いていた。しかしその作業にも飽きた。やけくそはどうも続かないらしい。しょうがないので、私はおもむろに横たわっている携帯電話を手にとって、メールを送った。
「ね、ね、ね、何をしてるのかな?」
 そうすると一分ほどしてすぐに返事がきた。
「!? 僕はね、今ね、将棋をしているようだね。まぁ、そういうこと。君は?」
 そう書かれている画面を見て、非常に悲しくなった。私は忙しなく、きちんと動かなくなっている指を必死に動かし、文字を打ち込んでいく。
「へぇーそうなんだ。で、誰とやってるの?」
 携帯電話は小刻みに振動して光る。返事はまたすぐに来た。
「それは誰と一緒に過ごしているのかってことかい? マイダーリン」
 少しイラッとするが、すぐに返事をしてやる。
「そうですよーだ」
 すると、
「!? そうですか。ね、ね、ね、当てて?」
 ときた。フザケルナ。
「ああ、もしかしてママさんとか(笑)もしくはいつも一緒にいる親友の孝明君とか。確か将棋出来たよね。私もやったことある孝明君と」
「なぬ。どうだった買った」
 買ったではなかろう。勝っただろう。送る前に見直しもしないのか。一度くらいはするだろうに普通はよー。
「うん。買った」
 と送った。
「ほう狩ったのか。おぬしやるたちだね」
「まあね。それよりだれとやっているのかおしえてよだいすけくん」
「しょうがないねおしえてしんぜようそれはだいすけくんとだよ」
 は? 何を言っているんだこいつは。将棋は一人で出来ないだろう。棋譜でも見直しているのだろうか。そんなに将棋マニアだったのか。初めて知った。
「だいすけくん。あなた、どうしたのよ。ついに頭がおかしくなったのでせうか」
「いいえ違いますよ(笑)ホントに一人でやってたんですよ。そう、コンピューターとね。とね!」
 ふふ。いや悲しすぎるだろ。まぁ、私も同じようなものだけど。ふふ。
 かじかんでいた指がようやく温まり、きちんと動き始めた。
「なるほどそゆことね。そのコンピューター強い?」
「強い」
「そう」
「うん」
「ねぇそういう一言だけの返しやめてくれない腹立つから」
「ごめん」
 くわー。本当に腹が立つ。殴ってやりたい。メールを打つ手が震えてしまう。
「あっそう。ところでだいすけくん、いつまで将棋を続ける」
「今日は十二時までやるつもり。一緒にやってくれるような人いないから」
「そんなこといわないでこれからずっと五時間もぶっ続けでやってたら疲れるでしょ?」
「もう今の時点でピークの疲れを患っている」
「じゃあ今から外に出てみない?」
 ちょっとあからさま過ぎただろうか。五分経っても返事はこなかった。
 また指が凍りついてしまいそうだった。だから急いで炬燵の中に手を潜らせる。じっと携帯電話を見詰めていた。
 そして、ピカッと光った瞬間に広げて画面を見た。
「んん、かなり寒かろうに。部屋は暖かいし今日は将棋に勤しむよ。強くならないと孝明にも勝てないしな。来週ぐらいにでも飯食いに行くか。まあ奢りませんけどね。ワリカン(笑)」
 大輔にしては、やけに長い文章だった。ムカついた。一気に冷たくなる。顔だけが熱くなった。
 私は次のように、震える指をなるべくゆっくり動かし、返信した。
「ねぇ、言葉にしなくてもわかることってあると思う? 私は言葉にしなければ伝わらないと思うのだけれどだいすけくん、あなたはどう思う。教えて」
 寒いから指が震える。寒い。とても寒い。
「言葉がなくたって伝わると思う」
 大輔はそう言ってくれた。だったらなおさら応えてほしいのだ。
「本当に絶対に?」
「うん。絶対に」
「王将、詰んだ?」
 ねぇ、お願いだから。
「――まだ、詰みそうもない」
 私はそう書かれた画面を閉じて、携帯電話をポケットへとしまった。どうやって人とコミュニケーションをとればいいのかわからない。寒いのか暑いのかわからない。いや、わかっている。返事はもう書かない。
 何も言えない私は、心底かわいくない女だろう。
 すぐさま炬燵から這い出た。暑いのではないのだ。寒いのに暑いふりをしているだけなのだ。なぜなら、アンバランスとは誰にとっても冷たいものだから。ならばいっそのこと、冷たいままでいればいい。それが何だというのだろう。その方がいい。無駄な努力は必要ない。 
 そのまま転がっているバッグまで転がって行って、中から地味な色の財布を取り出す。爺臭い。どうしてこんな財布を持っているのだろう。カワイクナイ。顔もブサイク。メガネもかけている。洋服のセンスもない。頭も悪い。暗い。嫌われ者。ピアノさえ、もう弾けないのに。
 さあ、これからどうしよう。論文の続きは出来そうもなかった。炬燵にも入りたくない。指先はどんどん冷えてくる。指先だけではダメ。どうせなら全身を凍らせてしまって、キラキラ光を浴びて輝く綺麗な死体になりたい。
 窓を開けると、外は運よくホワイトに染まっている。まっ白雪。絶好の雪。嘆きの雪。
 外に出ようと思った。財布を持って近くのコンビニまで。それからアイスを買って夕食の後に食べよう。体の芯から冷やしてやろう。それから風呂に入って解凍して、もう早く寝てしまおう。一刻も早く、今日を終わらせるんだ。
 私は階段を駆け下りて、玄関へと向かった。その途中で、母さんに肩をたたかれ止められた。振り向くと私にだけわかる合図でこう言った。
「夕食の準備が出来たわよ。美佐子も二十歳になったからシャンパン飲めるでしょ」
 私も秘密の合図で応答する。決して音を出さない、秘密の言葉で。
「飲むよ、シャンパン。楽しみにしてる」
「美佐子、これからどこかに行くつもりなの?」
「うん、ちょっとアイスを買ってくるよ。母さんと父さんの分も買ってくるよ」
「あら、そう。寒いから早く帰ってくるのよ。一緒にケーキを食べましょ」
「わかった。それじゃ」
 私は玄関から外に出た。すぐに庭に飾ってある木に目がとまった。
 なぜなのだろう。いつもと違うバランスの取れない気持ち。なぜ、その木は、今日に限ってただの木ではないのだろう。飾られたイルミネーション、浮ついた街並み、木ではなく、ツリー。そう、クリスマスツリー。
 今日は、十二月二十四日。

 まばゆい白雪の道を行った。
 コンビニの前では、若いゴロツキのお兄さんやお姉さんが楽しそうに談笑していた。こんなところに溜まって一体何が楽しいのだろう。缶ビールを雪で冷やしている。ガラが悪い。何やら睨まれてしまった気がする。
 コンビニに来る途中にも、多くのカップルの姿があった。腕を組んで歩いたりしていた。あれじゃ、一人が転んだ場合、道連れで二人とも雪に埋まってしまうことになるだろう。
 それでも彼らは、楽しければ、幸せならばそれでいい。雪が少し降っていた。粉みたいな雪だった。とても幻想的。きっと私以外の人にとっては、ものすごくいいクリスマスになっている。
 彼らは基本的に温まるために外に出てきているのだ。一方、私は全くの逆。凍えるためにここにいる。だから、彼らの目に留まるのもしょうがないことかもしれない。
 それでも私は、彼らを何とかかいくぐって、このコンビニ内への侵入に成功したのだった。まったく危なげがなかった。たった一人、単独で大きな作戦を成功させたようだ。ただ、何の報酬もなければ、これといった意味もないのさ。ふふ。
 思えば、こんな真冬の雪がぱらついているときにアイスを買うなんて初めてのことだ。コンビニの店員さんもさぞ驚くことだろう。こんなにさみーのにアイスだ。もうこうなったら、ガリガリ君でも買ってやろうか。
 などと思いながら店員さんを見ると、なんと店員がサンタだった。こっちが驚いた。どうやら、クリスマスということでサンタのコスプレをしているらしい。結構、似合っているかもしれない。色白だからだろうか。垂れ下がった白いひげもなかなかお茶目だ。
 それにしても若い人だな。コスプレをしていてもそれぐらいはわかる。綺麗でもっちりとした肌をしていた。おそらくあの店員さんは私と同じくらいの歳ではなかろうか。もしかしたら同じ大学かもしれない。クリスマスイヴなのに一人で本当にご苦労さんだ。
 六個ほど籠に入れた。アイスだけ買えればそれで目的は達成される。帰ろう。もう十分に冷え切った。そんなことを考えながら、さっそくレジに向かう。そして、アイスがいっぱい入った籠を台へと乗せた。そのときだった、不意にポケットの中から振動が伝わった。
 前を見ると、店員のお兄さんが、アイスの一つ一つを少しばかり驚きの表情で持って袋に入れていた。それを確認した私は、よしよしと思いながら、地味な財布と一緒に光っている携帯電話を取り出して、メールの受信ボックスを開いた。
 大輔からのメールだった。何も返信しなかったから心配してメールをくれたのだろうと思った。せいぜい、そんなところだろうと思っていた。しかし、その予想は大きく裏切られたのだった。
 思わぬ文面。軽い気持ちでそのメールを開いてしまった私は、あまりの衝撃に泣いていた。
 そんな私を見て、店員のお兄さんがまたしても驚く。


 件名  詰まれた。

 本文  言わなくちゃ伝わらないことも確かにあるのかもなと思って。
     !? あ、さっき投了した。コンピューター君は容赦ない。ドSだ
     よこのコンピューター君は。
     嘘が一つある。疲れるから将棋は十二時までやらないんだ。もう止め
     ようと思う。
     僕はね、将棋をやっていたけどね、それは暇つぶしなのだね。本当は
     これから用事があるんだ。君の知らない人と逢う用事。
     君は友達だ。でも、僕には恋人が出来た。今、僕は言った。ちゃんと
     言ったよ。
     美佐子の言葉、聴こえてた。言わなくてもちゃんと聴こえたよ。
     ありがとう。マイダーリン。
     また飯でも食いに行こう。まぁ奢りませんけどね(笑)笑える?

 
 まったく笑えなかった。私はボロボロ大粒の涙を流してしまっていた。大輔は本当に変わった奴だ。どうしてこんな奴を好きになってしまったのだろう。
 目の前の店員さんは口をもごもごして、とても心配そうな顔をしている。迷惑な客だと思っていることだろう。こんなところを見られたくないし、誰かに迷惑もかけたくはない。
 私はレジの表示を見た。全部で七百七十三円。急いで財布を開き、千円札を一枚抜き取った。台の上にドンと置く。そのままレジ袋を持って逃げるように走り出す。
 振動でアイスが一つ、袋から落ちてしまった。でも構わない。早くここから出たかった。お釣りも要らないし、アイスももういい。早く帰りたい。
 ところが、自動ドアを出たところで、コンビニ前でたむろしていた集団に捕まった。私を待ち構えていたようだった。
 いきなり手を引っ張られて、顎を掴まれる。顔を間近で見られて、沢山の人に囲まれる。
「あれ、なんで泣いてるの? ねぇ、かわいいね。メガネとったらもっといいんじゃない」
「おいでよ。俺たちと一緒に遊びに行こうよ」
「やめてあげなよ。怖がってんじゃないこの子」
「いいじゃん。クリスマスなんだし」
「それ理由になってないし。ははは!」
「ははははは! ホントだ」
 怖い。強い力で引っ張られる。笑っている。大きな声で笑っている。でも私には口に出せる言葉がない。ヤメテ、そう言いたいのに……
「うう、うう……」
「ねえ、この女の子さっきから、うう、しか言ってないよ。口をパクパクして、なんか変じゃね」
「確かにそうだな。もっと腕、引っ張ってあげた方がいいのかな。ほら」
 痛い! そうだ、警察……
 咄嗟にそう思いついて、携帯を片手で操作するも、
「おっと、何やってんのよ。遊びに行こうって言ってるだけじゃん」
 強い力で取り上げられる。こんなに何人もの男の人に囲まれたらどうしようもない。
 みんな笑っている。なのに私だけが泣いている。私は弱い。涙が止まらない。
「だからなんで泣いてるのって。そんなに俺たちって怖い?」
「彼氏にでも振られちゃったのかな? ねぇ教えてよぉ」
 言葉さえあれば、思いが伝わる言葉さえあれば……悔しい。悔しい。悔しい。
「ああもうテメェ何か喋れよ! ムカつくなぁ。ほっとこうよ」
「そうだよー。カラオケでも行こーよー」
 金髪女たちがそう叫んでいる。怖い。殺される。
「ええー、だってこの子かわいいじゃん。手とかすっごい綺麗で細いし。すっべすべ」
「そうそう。しかもこのクリスマスに一人みたいだし。なぜかしらないけど泣いちゃってるし。寂しそうだろ。もう可哀想じゃない。これ、たまらんぜ」
「なぁなぁ、このメガネとってみようよ」
「おう、そうだな」
 両腕を塞がれた。ヤバイ! 突然、大きな手が顔面に迫る。ホントにヤバイ! ギュッと目を瞑った。ヤメテ、ヤメテよ――
 嫌だ! 怖い! 誰か助けて! 
 そう願った刹那だった――目の前の男が大きく揺らいで、直立不動のまま前へと倒れ込んだ。一瞬のことで何が起こったのかわからない。さらに次々と男たちが倒れて行く。甲高い声を上げながら逃げまどう女たち。そこには赤い姿が動いていた。
 それは、サンタだった。サンタが拳を飛ばしている。あっという間に、たむろしていた若者たちの姿がどこかへ消えた。
 私はホッとして、思わず腰が抜けたようにその場に座り込んでいた。雪の感触がして、とても冷たかった。助かった。こんなに怖い思いをしたのは初めてだった。それに、こんなに自分の弱さを感じたのも初めてだった。
 私の全てがアンバランスになった。とても寒かった。私の弱さ、このクリスマスイヴという日、また、たむろしていた若者たちのその一人一人も、きっと大輔君でさえ、みんなみんな、全てがアンバランス。必死にあがいているのだ。とても寒い中を。なのに私は……
 寒さ、冷たさの本当の意味がわかった。そして、その中でただ一つ、温かいものが指先に触れた。気が付けばサンタが私の手を握っていた。
「立てる?」 
 そう優しく言われてしまった。そして、そのままゆっくりと私の手を引っ張り、立たせてくれた。いつの間にかあれだけ流れていた涙が引いていた。
「あいつら、最近よくいるんだ。まったく、邪魔だっていうんだよなぁ。客も怖がってこれじゃあ店に入れないっつの。大迷惑だよ。君、大丈夫だった?」
 大丈夫、と私は言いたかった。
 大丈夫、それはあなたのおかげ、そう伝えたい。なのに私には、それが出来ない。悲しいけど、それが出来ないのだ。
 生まれつきだった。生まれつき、私の声帯は死んでいた。喉頭横隔膜症などという先天的な異常らしい。私は声を失った状態で生まれてきた。
 両親は、私が話せないと知ったとき、きっと悲しくて泣いただろう。どうして、なぜ、私の声帯は氷のように固まっていて、うまく震えてくれないの。そんな叫びさえ、届かない。
 病気なのだ。だから喋るということが困難だった。一生懸命訓練はしたけれど、やっぱり上手く喋れない。病気のせいだ。病気が悪い。
 私の中にある言葉たちは、決して私から出ていくことはない。溜まって溜まって底に沈澱している。そんな錆びついた言葉を口に出すと、絶対にそれを聴いた人は気持ちを悪くするだろう。掠れた小さな声だ。きっと変に思われるだろう。
 それがコンプレックスだった。私は、何時の頃からか、声を出すということをヤメテしまった。この声は、私の首を絞めるものだ。一生、私を苦しめる。これのせいで、私はダメなのだと思っていた。私がダメなのではない、これがイケナイのだ。
 人生を平均台に例えるなら、私はそれを渡るときにはいつも、風速十五メートルほどの風を受けているはずだと思っていた。
 だから、私はアンバランス。他の誰よりアンバランス。ジャズ部で、話したいけど話せなくて、誰とも友達になれなくて、誰にも近寄ってもらえなくて、誰もに嫌われてしまったのは、ピアノを弾かなくなってしまったのは、私のせいじゃない。私のせいじゃないなんて……
 間違っていた。私のせいじゃないんだと思っていたのは、この病気のせいだった。すでに私は負けていたのだ。
 平均台を渡ろうとする前に、自分からバランスを崩して座り込んでいた。
 風はどこにでも吹いている。でも歩かなきゃ。歩かなきゃ。歩かなきゃいけない。ゆっくりでもいいから、歩かなきゃ。じゃないと、一生私は、アンバランス。
 アンバランスは、もう嫌だ。
 言おう。変だと思われてもいい。誰だってそうアンバランス。必死にバランスを取りながら、前へと進んでいるのだから。
「……ありが、とう」
「うん。どういたしまして!」
 あ、言えたのかもしれない。
 絶対おかしな声なのに、言えたことが、伝わったことが、嬉しかった。
 そう思ったら、サンタが笑った。いい笑顔。でも、笑って、くっ付いていた白いひげが落ちた。大きな雪みたい。ふふ。
「おい、笑わないでよ。好きでこんな恰好してるわけじゃないんだから」
 明るい人だと思った。笑顔もとても自然な感じ。私にはないもの。羨ましい。
「あ、忘れてた。これだよこれ。いきなり泣き出しちゃうから、どうすればいいかわからなくて。ハイ、忘れ物だよ。かなり寒そうだけどね」
 笑いながらそう言って、サンタは私に腕を伸ばしてきた。ガリガリ君がそこにはあった。あのとき、落としてしまったアイスだ。ここで、ガリガリ君なんて……
「ガリ、ガリ……ふふふ」
「お、なぜか笑ってる。急に泣いたり笑ったりで、忙しい人だなぁ。ハイ、受け取ってよ。ちゃんと買ってくれたんだから」
 優しくサンタは微笑んでいる。何だかとてもおかしくなって、笑いながら私も手を伸ばしていた。
 とても寒いはずなのに、それは一番温かかった。
 降り積もった雪が作る一面の銀世界で、私はサンタからアイスを受け取った。
「それと、お釣りもちゃんとね」
「あ、ありが、とう」
「それはこっちの台詞だよ。大事な大事なお客様なんだから。こう見えても、俺、ボクシングやってるんだ。たむろするだけならまだしも、大事なお客さんに手を出すのはさすがに許せなくってね。ほんとはダメなんだけど。まぁ、手加減したからいいかな」
「い、いいよ」
 サンタは私の声など気にしていない。ありのままだった。嬉しそうに笑った。
「いいよ、って。ははは。いいのかな。まぁ、いいか。ありがとう。それじゃ俺、まだ仕事が残ってるから。気を付けて帰ってね」
 そして、サンタはあっさりとコンビニの中へ戻って行った。
 それを見届けて、不思議だけどとても優しい気持ちになれた。サンタがプレゼントをくれたらしい。
 私はいっぱいのアイスを持って、白雪降り積もる中、家へと帰って行った。
 今日はクリスマスイヴ。

「おかえり美佐子。どうしたの、ちょっと遅かったわね」
 玄関先では、母さんが私の帰りを待っていた。母さんは心配性だ。心配性にさせたのは、私のせいだろう。グラついてばかりいたからだ。
「ちょっと美佐子、お尻の所が濡れてるわよ。どうしたの」
 私たちにしか伝わらない合図で、母さんが心配そうに語りかける。私のために覚えてくれた言葉だ。大きな動作で手を動かして話す。これが私たちの言葉。私が傷つかないように、いつもこうして話す。
 確かに、言わなければ伝わらないことだってあるだろう。その意味で私は普通の人とは違うかもしれない。けれど、決して特別ではないのだ。
 だからいつまでもグラついているわけにはいかない。手話と一緒に言葉を話そう。それはブサイクな言葉かもしれない。錆びついた、埃だらけの言葉かもしれない。きっと、そうだろう。でも、少しでも伝わる手助けになれば、それで構わない。
 私はゆっくりと口を開いた。
「……こけ、ちゃった」
 あっ、という母さんの驚いた顔。久しぶりに見た気がする。
「ご飯、食べよう」
 涙目にはならないでほしい。
「そ、そうね。食べましょうよ」
 できれば、笑っていて……
「はらへった」
「うふふ」
 笑ってくれた!
「もう、下品な言葉はダメよ」
 食卓には随分と豪華な料理が並んでいた。七面鳥にホワイトシチューにガーリックフランス、シャンパンに大きなケーキ。どれも文句なく美味しそうだった。
 そんな中、父さんだけが黙ってそれらの料理を眺めていた。私が帰ってくるのを待っていたらしい。さぞかし腹が減っていることだろう。
「おう美佐子、帰ってきたか。じゃ、そろそろ食べようか」
 努めて冷静に父さんはそう言った。だけれど、内心では早く食べたくてしょうがないのだろう。もうナイフとフォークを手に持ってスタンバイしている。ふふ。悪い事をしてしまった。
 お礼と言っては何だけど、
「父さん、ピアノ、弾いて、あげようか」
「えっ、美佐子、弾けるのか。ピアノ、弾きたいのか」
「うん。二年もやって、なかったから、弾けるかどうか、わからないけれど」
 もうナイフとフォークはテーブルに置かれていた。
「美佐子のピアノ、久しぶりねぇあなた。良かったわねぇ」
 と母さんが声を出す。父さんは本当に嬉しそうに顔をほころばせ、
「ああ、嬉しいよ。昔から美佐子のピアノが大好きだったから。それに今日は聖なる夜。最高じゃないか」
 と言った。
「違うよ、今日はね」
 長年被ったままだった黒い布のカバーをめくる。埃が飛ぶ。埃が舞う。積もりに積もった白い雪を、今溶かそう。
 クリスマスイヴ。けれど、私にとっては、
「アンバランスの夜」
 寒くて寒くて歩けない、そんなアンバランスな世界なら、せめて私はピアノを弾いて、ゆっくりゆっくり温まろう。
 言葉では伝わらないこともある。
 今日という、素晴らしい日に、ピアノが鳴った。
2009-12-26 16:01:27公開 / 作者:やるぞー
■この作品の著作権はやるぞーさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ども。やるぞーです。
クリスマスということで、もう終わっちゃいましたが、それを題材にして描いてみました。
全体的に展開が早すぎるような気がします。そこが、問題点かもしれません。
気軽に読めるものを心がけました。よろしくお願いします。

※設定に問題があったので少し修正しました。
この作品に対する感想 - 昇順
千尋です。
 あぁ、とても良かったです。あったかくて、冷たくて、また、あったかくて……。
 全体的に、とってもまとまっていた感がありました。伏線もきっちりしていて、その回収も唐突感がなくて、最後まで気持ちよく読めました。
 冷たい雪と、あたたかいピアノの音色が、リアルに感じとれました。こんな、クリスマス、素敵だなと、思えるような。
 美佐子は、すごい才能の持ち主ですね。ぜひこれからもピアノを続けていってほしいです。
 面白かったです!
2009-12-26 12:10:15【★★★★☆】千尋
こんにちは! 羽堕です♪
 大輔とのメールのやり取りは、面白いけど、ちょっと切ない感じが好きでした。そしてお母さんとの秘密の合図という所で、最初の一人では出来ないというのと大輔との言葉って意味が分かって、そこでまたズンと切ない気持になりました。
 そしてコンビニでのまさかの展開にと、ドキドキできました! まだ、何も始まってはいないのかも知れないけど、でも好きだなぁ良かったです。そして家に帰ってからで、ここで一番ホロッてきました。面白かったです。
であ連載の続き&次回作を楽しみにしています♪
2009-12-26 14:27:20【☆☆☆☆☆】羽堕
>千尋さま

感想どうもありがとうございます!
良かったと言って頂けて嬉しい限りです。
今回はたまたまうまくお話の流れが作れたようです。何とか最後まで読めるものになっていたようでほっとしました(汗
いや、ほんとに美佐子の才能はすごいですね。ちょっと凄すぎるレベルかも。
今、気がついたんですけども、どうもちょっと設定に無理があるような気がします。
さすがに耳が聞こえなくてピアノは無理だろうと(汗
さっそくで、ちょっとあれなのですが修正させてもらおうと思います。すみません!
また、面白いと言っていただけるものを目指して頑張ります。ありがとうございました。
それでは、よいお年を〜


>羽堕さま

感想ありがとうございます!
メールのやり取りは面白かったですか!? ああ、良かったですほっとしました。
かなり異質なメールのやり取りなのですが、あの二人、かなり仲がいいんですよ(笑
切ないけど温かいお話を目指していたのでそう言って頂けて嬉しいです。
コンビニのサンタさんとは、まだ確かに何もないのですが、きっといい未来が待っていると思います。
連載のほうは全く進んでいないのですが(汗)何とか完結できるよう頑張りたいと思いますww
それでは、よいお年を〜ではでは。
2009-12-26 14:59:16【☆☆☆☆☆】やるぞー
やるぞーさま、はじめまして。
 大輔君は誠実な男なのかも知れないですが、やっぱりメールを読んで泣き出した美佐子さんがかわいそうだなあと思いました。クリスマスにこれは泣くなあ……。
 しかしその救いの無い状況から、コンビニのサンタさんに助けられることによって救いへと転じさせて、最後は家族の温もりを感じられる幸せなクリスマスにまで持っていく展開はうまいなあと思いました。
 サンタに救われたあとの立ち直り、それに前向きに生きようと決意する展開がちょっと早すぎる気がするのが気になりましたが、そこ以外は展開が早すぎるという感じもそんなにしませんでした。
 ただ、確かに耳が聴こえないのにピアノを弾くというのは天才級の才能だと思うので、無理があると言えばそうなのかもしれませんね。しかしそこの「アンバランス」さをあえて追求すれば、さらに話に奥行きが出そうな気もしました。
2009-12-26 16:16:00【☆☆☆☆☆】天野橋立
 ども! みずうみです!
 大輔とのメールが独特の雰囲気を出していて、良かったです。メールだと結構おかしな会話もしちゃってるもんですよねーw
 時々、アレ? とか、ん? と思う所があったのですが、なる程、しゃべれない病気だったのですか。もう色んな事をぐるぐる考えてましたよw
 短い文章で、少女が傷つき、成長する過程が描かれていて、すごいなぁと思いました。俺的にはもっと長い文章も読んでみたいです^^
 それではっ。
2009-12-26 17:45:40【☆☆☆☆☆】湖悠
>天野橋立さま
感想ありがとうございます!
仰る通り、大輔君は誠実なやつです。誠実だからこそ、悩んだ挙句、このクリスマスという日に、自分の思いを告げたのでしょう。おふざけじゃなくて、いつもとは違うその誠実さを美佐子のほうも察しますから、余計に切ないですね。
優しさというのは温かいだけじゃない、冷たい部分も含まれているのだ!(何をカッコつけているw)
まぁでも、その後の展開で何とか、温かいクリスマスを過ごすことができてよかったです。
ただ、立ち直り、気持ちの整理をするところを、もう少しスムーズかつ丁寧に描ければよかったのですね。ちょっと急ぎすぎていました。他の展開は違和感がなかったようでよかったです。
なるほど確かに、耳が聴こえないところ、そのアンバランスさを逆に追求すれば、奥深いものになりますね。おお、目から鱗です。
ただ、今回は自分の力不足もあり、耳が聴こえない→声が出せない、という設定にして、何とか整合性を保つようにさせてもらいました。最初から気づけよって話なのですが、申し訳ない。
それでは、ありがとうございました。よいお年を!

>湖悠さま
メールだと意味不明な文脈でもなんとなーくいいんだよって感じですよねww絵文字なんかを組み合わせるとさらに崩壊します。
短いのでなるべくその中でも楽しんでもらえるよう、ちょっと謎めいた感じにしました。少しは効果があったようでよかったっす。ぐるぐる考えちゃってください。
最近忙しくてなかなか文章を書くのに時間を費やせないのですが、もっと長いものを描ける力、体力が付いてきましたら、また挑戦したいと思っています。
さて、そろそろお年玉を拝借しに行かねば。それではよいお年を!
2009-12-28 18:25:09【☆☆☆☆☆】やるぞー
どうも、鋏屋でございます。御作読ませていただきました。
美佐子の『ふふ』って笑いが良いなぁww
コレって『少女祭り』で出してみても良かったかもなぁって思いました。『沈黙少女』とかでw
雰囲気が良く出ていたと思います。美佐子の気持ちがひしひしと伝わってきて切なくなりましたが、最後はほんのり暖かくて、聖夜にはなかなか合った物語だったんじゃないかなって思います。
ふふw
鋏屋でした。
2009-12-29 23:59:27【★★★★☆】鋏屋
拝読しました。水芭蕉猫です。にゃあ。
なんというかね、心の琴線に触れるというのは、こういうことを言うのかなと思ったり。最初携帯メールのシーンで二重括弧が使われていなかったのは、後々のこういう複線のためだったのかと素直に感心しました。主人公、きっと良い恋ができるはずさ! 声が出ないのは大変だけど、やりようはきっといくらでもあるはずだからとうっかり励ましの言葉をかけたくなってしまったり。
面白かったです。
2009-12-30 00:07:39【★★★★☆】水芭蕉猫
作品を読ませていただきました。クリスマスらしい綺麗な話しですね。最初は大輔とメールばかりしているのが気になったけど、読み進んで理由がわかった。理由がわかると大輔って凄く普通の感覚を持った人なんだと改めて感じました。サンタがヒーローというのはやや定番だけどそれは良いと思う。ただサンタに助けられてからの心情の変化にワンクッション置いて欲しかった。ちょっと唐突すぎる印象を受けました。ところで母親となぜ手話をするのだろう? 耳が聞こえないわけではないから母親が手話をする必要はないと思うのだが。喋れないから会話になれていないとしてもピアノを弾いていて音を聞き分ける力は常人よりあると思うのですが……。では、次回作品を期待しています。
2010-01-03 17:37:22【☆☆☆☆☆】甘木
新年明けましておめでとうございます。
ちょっと実家に帰ってお年玉など、あれやこれやを有難く頂戴したりしておりましたので、うひひひひ、返信が遅れてしまいました。申し訳ありません。
それでは、今年も皆様、よろしくお願い致します。

>鋏屋さま
感想ありがとうございます!
『ふふ。』が良かったですか。これは嬉しい限りです。
ちょっと抑えた笑いなんですよね。何を抑えているのかはちょっとよくわからないですがww
沈黙少女はいい題名ですね。乗り遅れてしまいましたから、次回祭りが開催された時にはぜひ、参加させてもらいたいと思います。
最後ほんのり温かくなる、希望が見える感じになっていたようで、ホッとしました。やっぱりクリスマスですから、悲しいだけじゃ悲しすぎますもんね。
ありがとうございました。

>水芭蕉猫さま
感想ありがとうございます!
心の琴線に触れるだなんて、もったいなすぎるお言葉です。何かすみませんって感じです(笑)
今回は凝り固まった頭が珍しく動いてくれたようで、ストーリーや伏線を張ることについては、そこまで悩まずに描くことができました。なんでだろw寂しいクリスマスを過ごしたからかなぁ(笑)
美佐子はきっといい恋ができると、僕も思います。アイス=愛す、ということで(ダジャレか!)ぜひ応援してやってください。
それでは、ありがとうございました。

>甘木さま
感想ありがとうございます!
クリスマスらしいお話を描きたかったので、綺麗なお話と言って頂けただけで、本当に良かったなぁと思いました。そうですね、大輔は案外、普通なやつなのかもしれないですね。普通に誠実なやつです。
サンタがヒーローは定番ですよね(笑)まぁ、そこはいいとして、やはり心情の変化がやや唐突過ぎましたか。ここは自分でも自覚はしていたところなのですが、何をどうすれば改善されるのかわからなくなってしまったところです。
でも、こうやってご意見を伺っていくうちになんとなーくですが、方向性が見えてきた気がします。また時間を置いてゆっくり考えたいです。
家庭内でなぜ手話を? ということですが、僕の設定では、美佐子は声がうまく出せないということにコンプレックスを持っていて、それはなぜかというと、学校などで友達ができなかったり、嫌がらせをされたりということがあったから。なので、美佐子の両親は、そんなにも美佐子が声の事で悲しんでいるのなら、もう声を出そうと努力しなくていい、声の事はもう考えさせないでおこう、そんなものがなくたって会話はできるのだから、という思いで手話をしていた。という設定です。ちょっと無理やりすぎますかね。
こういった人物関係の部分ももっと突き詰めて考えなくてはなりませんね。うーん、力不足だ。いろいろと勉強になりました。ありがとうございます。
それでは、この辺りで失礼します。また気がついたところなどがあれば、よろしくお願いします!
2010-01-06 20:32:16【☆☆☆☆☆】やるぞー
計:12点
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