『第一夜』作者:SARA / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
男を殺す夢を見た。
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 第一夜

 男を殺す夢を見た。

 夢の中で、気がつくと私は、殺した男を腕に抱き泣いていた。
男は全裸で、私の腕に全体重をのせるように、ぐったりとしていた。顔は、どこかで会ったような、けれど名前は思い出せないような、そんな顔をしていた。中肉中背、目は大きくも小さくもない。鼻は高くも低くもない。眉毛のかたちも、普通。唇のかたちも普通。性器の形も、普通。つまり、どこにも特徴のない男の形をした人間だった。
私は、檜の良い匂いのする椅子に腰掛けていた。膝の上へ手を組んで、背筋を伸ばす訳でもなくただ自分にとって、一案リラックス出来る姿勢で、私は座っていた。
私の目の前には、灰色の空と、その光を反射した海が果てしなく続いていた。私は、灰色の砂浜に、椅子をたてて腰掛けていた。その夢には、色と音はあったが、椅子以外に匂いがなかった。だから海が広がっているというのに、磯臭い匂いはしなかった。私の肌は、暑さや寒さを感じず、汗も鳥肌もかかなかった。
 そして、私は、自分が体験した事柄を次々と忘れて行った。印象的なものから、シャボン玉がはじける様にして、次々とそれは消えていった。
 最初に、消えたのは子供が生まれた時の記憶だった。激しい痛みと出血を伴って、子供は体の真ん中を槍で貫くようにして、生まれてきた。それから、「オギャア」と元気に泣いた。私は、訳の分らぬ感情に揺さぶられて、泣いた。やがて会社から、大急ぎで駆けつけた夫も、わが子を見て、泣いた。そして、産湯で洗われ、タオルに包まれた赤子を抱いて、その小ささと軽さに驚いた。こんなに小さな生き物が、私の体から出てきたなんて。それも、あんな痛みを伴って。そう考えて、再び私は泣きそうになった。しかし、それをこらえて赤子の手を握った。いち、にい、さん、し、ご。ちゃんと、両の手に五本の指が付いていた。足の指も、数える。ちゃんとちんちんのついた、男の子。ああ、よかった、何も足りないものがない、ちゃんとした「人」が、私から生まれた。この子は、私の子。「ちっちゃい」と、赤子の手のひらを握って、私は言った。「フゲフゲ」と、赤子はぼやいた。夫は、「よく頑張ったな」と言って、裾で涙を拭った。「もう、泣かないでよ」と私は言って、再び目頭が熱くなるのを感じた。すると赤子も泣いた。幸せだった。しかし、この記憶は私の頭の中には、ない。忘れてしまった。
 次に消えたのが、初めて男の腕に抱かれた時の記憶だった。その男とは、私の夫ではなく、高校の時の教師だった。そして、高校生の私の目に、男のペニスはあるべき場所になかった。股間には、まず亀の甲羅が背中向きにくっついていた。それは、ミドリガメの甲羅だった。曼荼羅模様に似た、その甲羅を眺めている内に、男が「うう」と呻いた。すると、空の甲羅から、ミドリガメの頭が出てきたのだ。私は、自分の予想通り過ぎて、笑ったのを覚えている。ミドリガメは、鼻に水風船を膨らませて眠っていた。そのまま、男が近づいてきた。私は、ミドリガメを「起きてよ」と言って、舌先でつついて起こした。すると、ミドリガメは眠ったまま「あんたがっさ、どこさ」と言った。私は、亀の台詞が可笑しくて笑った。すると、男が私の両腕を掴んで、その場に突き飛ばした。そして「何をするんだ」と言った。私は「だって、寝てるんだもの」と言った。私は、男に殴られた。それから何度も殴られ、前歯が折れて、口の中を切った。私は、それから気を失った。途中で、目を覚ますと男がミドリガメを私の股ぐらに押し付けて、あれやこれやと大騒ぎをしていた。私は、面倒になって、気絶しているふりをした。そのまま眠ってしまって、目を覚ました時に、足の間から血が流れていた。私は、その血を人差し指で掬って舐めてみた。海の味がした。しかし、この記憶もまた忘れてしまった。

 いくつかの記憶を忘れた時、男がやってきた。男の上半身は裸で、下半身に濃いブルーのジーンズを履いていた。男は、首から上がなかった。男は海からやって来たらしく、全身が濡れていて、ジーンズは色の濃さを増していた。男は倒れたまま、こちらに向かって両腕だけで這って来た。その姿は、腕を得た蛇のようだった。男には頭がないため、私は男の首の断面図を見た。赤黒い肉の真ん中に、白い背骨が通っていた。
男はそのまま這って、私の足元までやってきた。そして、私の足首を掴んだ。その力があまりにも強かったため、私は「痛い」と思った。すると、突然男の首に、空から頭が降ってきて、男は「頭のない男」ではなくなった。私は、男が誰だか分からなかった。
 男は、頭を得た途端に、立ちあがり、こう言った。
「俺を、忘れてしまったのか」
 私は、ジッパーをあけてそそり立つ男性器を目の前に途方に暮れていた。私は、思い出そうとした。しかし、男が誰だか忘れてしまっていたから、どうにも思い出せそうにない。
 男は、口元をゆがめて、「悲しい」表情を作った。私は、それを見て何も感じなかったので、溜息をついた。
 男は、私の横で体育座りをした。それから、私と男の二人は、黙っていた。
 その間も、私は次々と色々な事を忘れて行った。
 初潮が来た日の事。私は、病気になったのだと思い、一日中布団にくるまっていた。「もう、死ぬんだ」と思い、遺書を書いた。「おとうさん おかあさん わたしは、からだじゅうからちがでて、しにます。 さようなら」今思えば、随分簡潔な遺書だった。中学生の下手な自殺の遺書よりも、まっとうな死に方だとさえ思う位だった。そうして、父親に布団をはぎとられて起きた時、「おまえも女になったのだな」と言われた。私は意味が分からないし、下腹は痛いわで母に泣きついた。九つのときだった。たぶん、学年中で一番早かったに違いない。
 しかし、またそれさえも忘れてしまった。次の瞬間には何を忘れたのかさえ、忘れてしまった。
 私が、いくつかの記憶を忘れ始めて数時間経った時、男が隣で何か言った。それは、最初小さな、何やら呟くような声だった。しかし、それはだんだんに大きくなっていった。そして、何やら変な調子で叫び始めた。しかし、それは聴いていて嫌な気持ちにはならなかった。
 男は、再び立ち上がり、その変な調子の声で歌いながら、私に手を差し伸べた。私は、その手をとっていいのか分からなかったが、男があまりにも嬉しそうに笑うので、その顔を近くで見たくなり、立ち上がろうとし、手を伸ばした。
 すると、突然、両手首から先が、包丁に変わってしまった。だから、私は男の手をきれいに切り落としてしまった。
 私は、その瞬間、得体のしれないものに襲われた。喉に鉛がつかえたような、吐き気にが私の喉を詰まらせた。しかし、何も吐かなかった。
 包丁は、鈍い鉛色をしていて、見る加減によっては虹色に光って見えた。両手とも、包丁に変わってしまったので、私は何も掴むことが出来なくなってしまった。私はその場にうつ伏せに倒れた。そうして、もう、立ち上がりたくないと思った。
 男が、困惑した表情を見せた。そして、歌うのをやめた。私は、男に「もっと歌ってよ」と言いたかった。しかし、声の出し方を忘れてしまっていた。だから、何も出来ずにその場へ倒れたままでいた。
 すると、男が私の腰を掴み、あおむけにした。私は、男の顔を見た。しかし、何も思いだせなかった。男は、私を両腕で抱きかかえた。私は腕を伸ばして、必死に男に刃物を立てまいとした。男の腕が、私の体を締め付けた。それは、悪いものではなかった。むしろ、心地よいものだった。抱きしめることの出来ない自分の体を呪った。
 何時間、そうしていたことだろう。だんだん、男が私に同化してきた。皮膚がくっつき合い、少し離れようとすると、痛みを伴った。私は、男と同化したくはないと願った。しかし、男はだんだんと私に癒着し、同化を始める。まず、胸がくっついた。乳首同士がくっついた。私と男は奇妙な生き物になりつつあった。
 私は、何度も剥がそうとした。しかし、痛みを伴ってどうにもならなかった。男の腕が、「ぎゅう」としめつけた。安心感が、私を包んだ。しかし、これ以上くっついているのは嫌だった。
 私は、男を両腕で抱きしめた。男の肩甲骨の下の辺りに、二本の包丁が突き刺さった。男は背中から血を流して、私から離れようとした。私は、ようやく男を抱きしめることが出来たのでしばらくそのままでいた。男はもがき、離れようとする。しかし、癒着していて、離れようとすると痛みを伴ったので、離れることは出来なかった。
「ぬくい」と私はつぶやいた。
 数十分後、男は沢山の血を流して死んでしまった。私は、男が死ぬと同時に離れることが出来た。男の顔を見ようとしたが、それは出来なかった。男には、再び頭がなくなってしまっていたからだ。私は、首の断面を見て、それから背中についた傷を見た。血は、静かに流れ続けた。
 私は、声を出そうとした。「うぅ」とうめき声が出た。私は、男の様に変な調子の声が出したくなった。そうして、先ほどの男のまねを始めた。腕を伸ばすと、包丁はいつの間にか元の手に戻っていた。
 何度も、呻き声を出しているうちに「ああ」という言葉を発した。それから、男の出していた「変な調子の声」を思い出した。
 これは、そうだ、確か歌というものだ。
 そのことに気がついた瞬間、私の声は叫び声に変わった。それから、涙が両目から流れた。私は、手の生えた腕に、頭のない男を抱いた。それから、両腕で固く強く、抱きしめた。そかし、それはもう温かみを持っていなかった。
 灰色の空と海は、相変わらず眼前にどこまでも広がり続けた。
                                       了
2009-11-15 17:20:24公開 / 作者:SARA
■この作品の著作権はSARAさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 最近、遠藤周作の「海と毒薬」を読んだ。純文学は彼までだというのが、分かる気がした。明確なテーマ、彼ならばキリスト者としての「医療」についてが主なテーマだと作品から私は受け取った。

 けれど、私のこの作品、特にこのような象徴的な文章はそのテーマが読者は受け取りづらいのではないだろうか。途中で読む気をなくすかもしれない。私も、この作品は途中で読むのが嫌になった。燃やしたくなった。いささか。
 
 ごちゃごちゃ書いていても仕方ない。兎に角も、このあとがきを読んでいるということは、(スクロールしない限り)全文読んでいただいた方だと思うので、読んでくださりありがとうございました。これからも精進していけたらいいと思っています故、生温かい目で見守りくださいまし。
この作品に対する感想 - 昇順
人間は誰しも心の中に男性性と女性性を併せ持つ。
男性にとっての女性性をアニマ、女性にとっての男性性をアニムスという。
人間が自我を確立するにあたって、この両性をいかに統合するかが重要、だそうです。
時には(精神的な意味で)血を流すほどの荒療治を必要とする場合も。
主人公の女性が自らのアニムスを殺害し、自らのうちに取り込む姿は、必死で自我を自分のものにしようとしている印象を受けました。

『海と毒薬』は僕も好きな作品なのですが、印象的な場面があまり無いような気がします。
退廃的な感情を全て戦争のせいにしている。
そんな風に僕には思い起こされます。
個人的にはそれよりも『白い人』に強い印象を与えられました。
部屋の中を飛び回るハエをある評論家は神の視点を描いているといいました。
けれど僕はそれがハエであるという事実から、神ではなく悪魔だなと思います。
2009-11-15 18:56:08【★★★★★】プリウス
 イメージの流れを重ね合わた象徴的な文章がみずみずしくて良かった。
 その一方であまりにも飛躍する連想によって、作者のメッセージが薄められている。もっと言えば、内容がぼやけているのだ。
 私の読みが浅いせいかもしれないが、この文章が掴みがたいのは仕方がない。
2009-11-15 20:00:24【☆☆☆☆☆】クーリエ
SARA様はじめまして、頼家と申します!
作品を読ませていただきました^^
『頭部の無い』男性、そして頻繁に出てくる生殖器(また性)に関する描写から、私なりに夫……若しくはそれに順ずる男性を殺めた女性の内面が作品の舞台になってるのではないかな?等と考えながら読ませていただきました。しかも若干、男性不審とPTSDを主人公の女性は持っているような……あ、いえいえ『心理学』なんて小難しい物を私なんかが学べるはずも御座いません^^;読解力2の私の妄想です。
印象としては黒澤監督の映画『夢』に近い印象を受けました^^絵画的に描写される情景は非常に不思議で美しく、勉強になりました^^……いや、本当に勉強させて頂かなくてはww
それでは、次回作もお待ちしております!(……因みに『頭部が無い〜』は、失業など将来に対する不安の象徴らしいですね^^;)
               頼家
2009-11-15 23:18:13【☆☆☆☆☆】有馬 頼家
こんにちは! 羽堕です♪
 文章自体は読みやすくて、つっかえる事もなかったのですが、内容については分かるような分からないようなといった感じかもです。忘れた事を一人称で語っているので、全てを忘れてしまいたいけど、それが出来ない女性の葛藤なのかなと思いました。
であ次回作を楽しみにしています♪
2009-11-16 17:45:45【☆☆☆☆☆】羽堕
作品を読ませていただきました。よくわからない作品だなぁ。と言うか途中で理解することを放棄していたので文字面と文章のリズムを楽しんでいただけですけど。映像をつけてPVにすると面白そうだなぁと感じていました。では、次回作品を期待しています。
2009-11-23 10:02:03【☆☆☆☆☆】甘木
計:5点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。