『The Power』作者:ムラヤマ / SF - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
舞台は近未来。アンドロイドの製造技術が進歩し、超能力の研究までもが行われ始めた。そんな中、ある一つの殺人事件が起こる。やがて、その事件は超能力研究をめぐる事件へと発展していく。
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The Power

第一章 事件

 レッド・フット街。早朝五時。空一面に灰色の雲がへばりついている。街は鉛色。風はない。張り詰めた空気が「俺は人を殺してやる」と叫んでいる。
 一人の老女が、煉瓦造りの赤茶けた建物の中から出てきた。自分の二倍はある、ばかでかい箒を両手で抱えている。老女は冷たい外気にあてられ、一瞬ひどく身震いしたが、やがて意を決したように皺だらけの顔をこわばらせると、階段を下りてきた。
 下に降りた老女は、すぐには仕事にとりかからず、血管の浮き出た喉元をグイッと反らせて頭上に浮かぶ分厚い雲を見上げた。
「雨が降るかね」老女はポツリと呟いた。そして、顔を下ろすと、赤茶けた建物の前を箒で掃き始めた。
 建物の角を曲ったすぐそこのところに、何者かが激しく嘔吐した跡があった。飛び散った白っぽい液体の真ん中で、乾ききっていない麺の残りかすがまるでミミズのようにのたくっていた。
「汚らしいねえ」老女は嘔吐の跡を見つけると、顔をしかめた。「ホースを引っ張ってきて、洗い流さなけりゃならないよ。ああ、面倒くさい。こりゃ、きっとリーさんの仕業に違いない。昨日も飲んで帰ったんだね。あの人ったら、本当にどうしようもないよ。今度ばかりははっきりと言ってやらなくちゃ……」
 その時、老女のすぐ隣で男の声がした。
「ちょっと失礼」
「え?」間の抜けた返事をして、老女は顔を上げた。そこには、老女の三倍はあるだろう大男が立っていた。
「失礼。驚かせてしまいましたかな?」男はやけに低い、くぐもった声で言った。
「は、はあ……」老女はおどおどしながら答えた。それもそのはずだ、男の背丈は老女の三倍弱。横幅も二倍はあるだろう。おまけに男は黒いコートと帽子で顔をすっかり隠してしまっている。声がくぐもって聞えるのは、男が自分の口をコートの襟の中に埋めたまましゃべっているからだ。
「少し、お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですかな?」
「は、はい、何でしょうか」
「リー・ジョーダン氏はここに住んでおられるのですか?」
「はい、リーさんなら私のアパートメントに住んでいらっしゃいますけど」
「今も、ご在宅でしょうか?」
「ええ、いると思いますよ」老女は足元の嘔吐物をちらと見た。「もっとも、今は二日酔いで寝ているとは思いますけど……」
「では、今、氏はこの建物の中にいるのですね?」
「ええ、そう思いますけれど」建物の中にいるのですね、なんて、変な尋ね方をするもんだ、と老女は思った。
「それならいいのです」男は、老女の側を通り過ぎ、建物の入り口へと続く階段を上り始めた。「リーさんの部屋は、何号室でしょうか?」
「三〇五号室ですよ。でも、行ってもまともな話しなんかできやしないと思いますよ。なにせ、二日酔いの時のリーさんは、とてつもなく機嫌が悪いんですから」
 男は黙って階段を上っていった。その時、老女は妙なことに気がついた。男が階段を一段上るたびに、何か金属が軋むようなギシギシという音が聞えるのだ。そして、男が地面に足を下ろすたびに、ガシャリというこれもまた重々しい金属音。そして、何よりも気になっていたのが、さっきから男の服の中から聞えてくる細かな音の群れ。カチャカチャカチャ。まるで、男の服の中で無数の歯車がうごめいているかのようだ。
 あの男は何者なんだろう、と老女は思った。こんな朝早くに人を訪ねてくるなんて、普通じゃない。それに、リーさんは二日酔いだといっているのに、そんなことはお構いなしといった様子で行ってしまった。その様子からして、どうやら、リーさんの仲のよいお友達、というのではなさそうだ。もしや、借金取り? あの風体はいかにもそんな感じだ。ああ、リーさん、厄介なことに巻き込まれなければいいんだけれど。

 しばらくして、男が階段を下りてきた。少し、慌てているような様子だった。
「リーさんには会えましたか?」老女は尋ねた。
「いいえ、会えませんでした。留守でした」
「そうでしたか」老女は残念そうな口調で言ったが、内心、この男がリーさんに会わなかったと聞いてホッとした。
「本当に、リー氏は昨夜帰ってきたんですか?」
「え、いや、実を言うと、私は別にリーさんが帰ってくるところを見たわけじゃないんですよ。ただ、あの人、よく酔っ払ったまま帰ってくるんで。それもべろべろになって。それで、よくあの角のところでゲーゲーやるんですよ。昨日の夜中も確か、そんな音を聞いたように思うんですよ。朝起きてみたら吐いた跡もあったし……てっきり、帰ってきていると思ったんですが」
「それはきっと、誰か他の人だったんでしょう」
「ええ、きっとそうでしょうね」
 老女は、改めて男を観察した。恐ろしいほどの巨体、黒いコートと帽子、顔は見えない。くぐもった声、そして、体の中から聞える無数の金属音。老女は、いつの間にか自分の体が小刻みに震えていることに気がついた。
(大丈夫、大丈夫よ、この人は安全な人だわ。ほら、何もしないで帰ろうとしている……)
「では、失礼します」
「あ、お名前を……リーさんに伝えて……」老女はそこまで言いかけて口をつぐんだ。老女の言葉に振り返った男の目、コートの襟と帽子のわずかな隙間から覗いたその目は、とても人間とは思えないほどの、とてつもない冷たさをもって老女をにらみつけていたのだった。
「何か?」
「いえ、何でもありませんわ……」老女はそう言うと、急ぎ足で階段を上り、家の中に入って鍵をかけた。
 雨が降り始めた。

「ねえ、マリイ」老女は台所で朝食の支度をしている娘に話しかけた。
「はい、何ですか、イグニスさん」
 イグニスというのは管理人の老女のことで、マリイは彼女が雇っている家事手伝いの娘である。
「ちょっと、リーさんのところへ行って、様子を見てきてくれないかい?」
「リーさんの? いいですけれど、どうしてまた……」
「さっき、妙な男が来たんだよ。朝の五時ごろに。リーさんに会いたいって言ってね」
「朝の五時? ずいぶんと早い時間ですねえ」
「そうでしょう? しかもその男というのが、私の三倍くらいはある大男でね。黒いコートと帽子で顔を隠しているんだよ」
「それは……何だか不気味ですね」マリイはそういうと料理を中断してイグニスの方を見た。不安そうな表情を浮かべている。
「それで、その男、リーさんの部屋まで行ったらしいんだけれど、留守だったって言って戻ってきたんだよ」
「じゃあ、リーさんはまだ帰ってきていないってことですか?」
「それがねえ、そこのところがどうも怪しいんだよ。リーさん、よく酔っ払って夜中に帰ってくるんだけれど、昨日もやっぱりそうだったと思うのよ」
「え、イグニスさん、リーさんを見たんですか」
「いや、見てはいないんだけれど、あの角のところで誰かがゲーゲー吐く音が聞えたんだよ」
「それは、誰か別の人だったんじゃないですか?」
「うん……あの男もそう言ったよ。私もそう言われた時は、ああなるほどな、と思ったんだけれど、後になってよくよく考えてみると、やっぱりおかしい感じがするのよ。やっぱり、昨日あそこで吐いていたのはリーさんで、今もやっぱりリーさんは自分の部屋にいるんじゃないかって……」
「ええ? じゃあ、その男の人が留守だって言ったのは一体何だったんですか。どうして嘘なんかつく必要が……」
「それは私にも分からないよ。あの男が言っていたことが果たして嘘だったのかどうかもね。だから、あんたにリーさんの部屋を見てきてもらいたいんだよ。リーさんが部屋にいなければ、それでよし。もし部屋にいたら、リーさんに直接事情を聞けばいいんだから」
「ええ? 私がですか?」
「そうだよ、あんたさっき、いいですって言ったじゃないか」
「そんな気味の悪い話だなんて聞いていませんでしたよ」マリイは涙目になって訴えたが、聞き入れられなかった。
「四の五の言わずに行っておいでよ。雇い主の言うこと聞くのが家事手伝いだろ」
「うう……ひどいですよ、イグニスさん」
 マリイは半べそをかきながら台所から出ると、廊下を渡って三〇五号室の前まで来た。
「リーさん、リーさん、ちょっとよろしいですか、聞きたいことがあるんですけど」マリイはドアを軽くノックしながら言った。
「リーさん、ちょっとよろしいですか」返事はない。マリイはホッとした。「やっぱり、リーさんは、昨夜は帰ってこなかったんだわ。外で吐いていたのは、誰か別の人だったのね。もう、イグニスさんたら、余計な心配なんかして。その男の人が言った通りじゃないの。おかげで私まで嫌な思いをしたわ」
 マリイは台所に戻ろうとした。イグニスには、やっぱり何でもなかった、あまり気味の悪い想像をしないで欲しい、とはっきり言ってやるつもりだった。
だが、マリイはそこを立ち去る前に、何故だか、リー・ジョーダンの部屋に鍵がかかっているかどうかを確かめたくなった。理由は特にない。ただ、何となく、ドアノブに触れてみた。そして、そのまま右にノブを回し、前に押してみた。
ガチャリ、という音がして、ドアが開いた。マリイは驚いて手を放したが、押し出されたドアはそのままひとりでに開いていった。
 マリイは部屋の中の光景を見た。

 マリイは悲鳴をあげた。この世のものとは思われない、すさまじい悲鳴だった。悲鳴は十数秒間続いた。マリイは悲鳴をあげ終わると、その場に仰向けにぶっ倒れた。
 イグニスや他の部屋に住んでいる者達がすぐに駆けつけてきた。そして、倒れているマリイを見つけると、イグニスの部屋に運んで介抱した。305号室の前に残された者達は、恐る恐る部屋の中を覗き込んだ。
 強烈な血のにおいがした。部屋の中一面が真っ赤だった。まるで、赤いペンキをぶちまけたようになっていた。床、壁、天井、窓といった、いたるところに、黒ずんだ肉の塊のようなものがこびりついていた。
 そして、部屋の左側にあるベッドの上には――その上にかけてあるのは白いシーツだったのか、それとももともと「赤い」シーツだったのか――もはや原型を留めていないリー・ジョーダンの無残な死体が転がっていた。

 警察がレッド・フット街二十四番地にある赤煉瓦の下宿に到着したのは、丁度リー・ジョーダンの死体が発見されてから五分後のことだった。何台ものパトカーがサイレンを鳴らしながら立て続けに下宿の前に止まったため、周辺の住人は何事かと窓から顔を出した。
 そして、最初のパトカーに遅れること五分、もはやサイレンも鳴らしていない状態で、最後のパトカーがやって来た。
「やれやれ、おれはまだ朝飯も食べていないのに」最後のパトカーから、一人の男が降り立った。男は、でっぷりとした胴体に、短く刈り上げた頭、岩でできているかのように無表情な顔をしていた。捜査一課のエドワード・ゴードン警部である。
「被害者は?」警部は、側にいた警官に尋ねた。
「三〇五号室です」
「遺体の状態は?」
「ひどいもんです。体が殆どふっとんじまっていて」
「どうやら、今日は昼飯も食えそうにないらしいな」警部はそう言うと、下宿の中へ入って行った。
 三〇五号室の中は確かにひどい有様だった。リー・ジョーダンは質素な生活をしていたらしく、部屋の中にはベッドと机、そして、少量の本が入った書架が置いてあるだけだった。しかし、今、それらの全てが部屋の主の血液によって真っ赤に染め上げられている。
 特に、ベッドの上はすさまじかった。リー・ジョーダンは死の直前までそこで眠っていたらしい。数時間前までは割合きれいであっただろうシーツは、今や人間の体液や肉片でぐっしょりと濡れていた。そして、その血溜まりの中央に、四肢がもげてぼろ雑巾のようになった胴体、そしてそれと皮一枚でつながっている男の頭部があった。
「こいつはひどい」警部はポケットからハンカチを取り出すと、口元と鼻を押さえた。「こんなのは、警察官やっていてもそうそうお目にかかれるものじゃないね」
 警部の隣にいた警官の一人が、嘔吐を催した。
「吐いてもいいぞ、ただし、現場を汚さないようにな」
 警部がそう言うと、警官は慌てて部屋を飛び出して行った。
「こりゃ、朝飯を食わなかったのが幸いだったな」警部は警官が出て行く姿を見ながら、ポツリと呟いた。
「第一発見者は?」
「ここの管理人の家事手伝いをしている娘です」
「彼女は今、どうしている?」
「死体発見の直後に卒倒しまして、一応目を覚ましましたが、ひどく錯乱しているため、病院へ連れて行きました」
「当然だね。若い娘がこんなのを見てしまっては。しかし、それだと話が聞けるようになるまでには大分時間がかかりそうだな」警部は顔をしかめた。時間が経てば経つほど、人間の記憶は曖昧なものになっていく。
「誰かを病院までやって、娘が面会できるようになり次第、すぐに連絡をよこせ」
「分かりました」返事をした警官は、部屋の外に出て行った。
「さて、いつまでもこんなグロテスクな光景を眺めているわけにもいかないな」
 鑑識たちが部屋の中の写真を撮り始めた。
「早く終わらせてくれよ。早いとこ、この部屋を掃除しちまいたいんだから」

 二時間後、鑑識達の仕事が一通り終了した。
「よし、もうここの掃除を始めていいぞ。おい、ジム、ジムはいないのか」
「はい、何でしょうか、警部」廊下から、警部の腹心であるジム・ワトソンが顔を出した。丸顔のやさしげな男だが、身体は筋骨隆々としている。
「管理人のところに行って、この下宿屋のどこか一室を借りて来い。仮の会議室にするから」
「わかりました」ジムはすぐに引っ込んだ。
「さてと……」警部はゆっくりと血にまみれたベッドの方へ近づいた。「リー・ジョーダンはこの上ではじけ飛んだってわけだな。全く、盛大にやってくれたもんだ」警部は、壁や天井にまで飛び散った大量の血液を眺め回した。
(これだけ派手に被害者をバラしておきながら、部屋そのものには全く破損した箇所が無いというのはどういうわけか……)
「警部、この下の階にある二〇一号室を確保しました」ジムがやって来て言った。
「よし、見張りの警官を残して、あとは引き上げさせろ。下宿の人間は引き続き一歩も外へは出すな。あとトニーと『老いぼれ』を呼んで来い。お前たちは俺と一緒に二〇一号室でやらなきゃならないことがある」
「分かりました」
「あと、鑑識の結果ではっきりしているものは全てその部屋に持ってこさせろ。十分に検討しなければならない」
(今日はやけにあせっているようだな……)ジムは警部の言ったことをいちいちメモにとりながら思った。
「おい」ジムが部屋から出ようとすると、警部が言った。「お前、この被害者の死に方をどう考える?」
「この血の飛び散り方や死体の状態を考えますと……語弊があるかもしれませんが、『破裂した』と表現する他は無いかと思います」
「破裂? 生身の人間がどうやって破裂したっていうんだ?」
「それは、何か爆弾のようなものを使って」
「おまえ自身、そんな空論は信じちゃいまい」警部はゆっくりといった。「周りのものを一切破壊せず、人間の肉体のみを爆破し、何の痕跡も残さず消える……そんな都合のいい兵器がこの世に存在すると思うか?」
「すると、これは」
「お前、最近『潜在特殊能力研究所』で何やら不審な動きがあるのを知っているか」
「え?」
「潜在特殊能力研究所だ。最近、どこからか大量の研究資金を得たという情報が入った。その情報が確実なものかどうかは断言できないが……火の無いところに煙は立たず、だ。ちなみに、資金の出所、金額、使用目的などは全て不明」
「な、何を言っているんです? 警部、あなたはその研究所と今回の事件との間に一体どんな関係があると……」
「俺はな、ジム、笑わないで聞いてくれよ、この事件には例の『超能力者』とやらが一枚かんでいるんじゃないかと疑っているんだ」

 下宿屋の二〇一号室。今ここには四人の屈強な男達が集まっている。彼らは、各々の思考をフルに活動させがら黙りこくって座っている。
「それで?」部屋の隅にある椅子に腰掛けていた老人が口を開いた。「お前さんは、この事件に何か人間を超えた力を持つものが介入していると考えているのだね、エディ」
「その言い方は適切じゃないな」警部は腕組みをしてうつむいたまま言った。「俺から言わせれば、通常の犯罪者だって人間の能力を十分に超えた存在なんだよ、凶器を使っている限りはね。分かるかい、じいさん」
「ああ、分かるとも。だが、俺が聞きたいのはそんなことじゃない。俺が聞きたいのは『人間を木っ端微塵に吹き飛ばせる能力を持つ』人間のことだ」
「それなんだ、俺が考えているのは。被害者の体はおそらく、腹部を中心として破裂し、そのまま部屋のいたるところに飛び散ったと考えられる。それを一番手っ取り早く説明できるのは爆弾を使ったという説だ」
「小型爆弾を飲食物に含ませておいて殺害、というわけですか。あまり効率のいいやり方じゃありませんね。毒を盛るのと同じで、飲食物の出所から足がつく」若いトニーが言った。
「効率がいいか悪いかなんてのは関係ない。凶悪犯がいつも頭のいいやつだと思ったら大間違いだ。時にはとんでもない馬鹿もいる。まあ、とにかく、リー・ジョーダンの部屋そのものはどこも破損していなかったし、死体及びその周辺からも爆発物らしきものの痕跡は見つからなかった」
「爆弾説、没ですか」
「今のところはな」
「それより、リー・ジョーダンについては何か分かっていることはあるのか」と老人。
「今のところ、ゼロ、だ。奴の人となりについて我々に有益な情報をもたらしてくれるような手がかりは、残念ながら部屋の中からは何一つ発見されなかった」
「どこで、どんな仕事をしていたのかも分からないのか」
「ああ。だから、それをこれから事情聴取して明らかにしてやろうというんじゃないか。まずはじめは、管理人の婆さんだ。よし、そろそろいいな。ジム、ここへ婆さんをお通ししろ」
「はい」
「こんなごつい男ばかりで、婆さん、びびってしまわないかな」
「そうは言っても、あいにく、一課には伊達男のストックが皆無なんだ」警部はくすくすと笑った。

「リーマ・イグニスさんです」
 小柄な老女が部屋に通された。老女は少しの間、四人の屈強な男たちに囲まれて、物怖じしたようだったが、やがてキリリッと顔をしかめると、前に進み出て椅子に腰掛けた。
「私が、ここの管理人をしております、リーマ・イグニスです」
「やあ、どうも、イグニスさん。この度はとんだ不幸なことが起こってしまって」
「本当に、そうですよ」
「お気持ち、お察しします」
「でもね、私の気持ちなんて本当はどうでもいいんですよ。かわいそうなのはあのマリイですよ。ああ、私がリーさんの部屋を見て来いって言ったばっかりに……私、本当に責任を感じていますわ。刑事さん、本当にマリイには悪いことをしたと思っています。あの娘、大丈夫でしょうか。まさか、気が狂ったなんてことは……」
「ご安心ください、マリイさんは今、市内の病院で安静にしています。少しばかり錯乱していたようですが、大丈夫、しばらくすれば回復するでしょう」
「そうですか、それならいいんですが……」
「それでは、イグニスさん、こちらの方から幾つか質問をしますので、それに答えてくださいませんか。まあ、これは半分くらい形式的なものなのですが」
「はい、かまいません」
「そうですか。では。イグニスさん、あなたがリー・ジョーダン氏を最後に見たのはいつですか」
「はあ、それが不思議なんですよ」
「え?」
 イグニスは昨日の夜のこと、そして今日の朝リー・ジョーダンを訪ねてきた奇妙な男のことを話した。
「なるほど、では、こういうことですな。あなたは昨夜、ジョーダン氏が帰宅したような音を聞いた。その音によると、彼はすっかり酔っ払っていたようだった。そして、次の日の朝、五時頃に顔を隠した大男がジョーダン氏を訪ねてきた……」
「そうなんです。それで、その男はこの建物から出て来た時、確かに『リー・ジョーダン氏は留守だった』って言ったんですよ」
「なるほど、しかしその男の言ったことが気になったあなたは、マリイさんにジョーダン氏の部屋を見てくるように言いつけた、と……」
「そうなんです、でも、私、あの部屋の中があんなことになっているなんて、思いもしなくて、それで嫌がるマリイを無理やり……」
 老女が涙ぐみそうになったので、警部は慌てて彼女をなだめた。
「さあ、イグニスさん、元気を出して。そんなに泣くことはありませんよ。マリイさんは絶対に無事ですし、あなたのことを悪く思ってなんかいやしませんよ。あなただって、何にも知らなかったんですから」
「でも、私、何か嫌な予感はしていました。あの男の様子が、あまりにも怪しげだったので」
「帽子とコートで顔を隠していたことが、ですか?」
「いいえ、それだけじゃないんです。その男が歩く度に、ギシギシという何か金属が軋むような音がしたんです。それに、あの男のコートの内側からは、カチャカチャという不気味な音が聞えたんです。まるで、体の中でたくさんの歯車が回っているみたいに」
「ええ?」警部は驚いて顔をしかめた。そして、後ろにいる老人と顔を合わせ、互いに頷き合った。「それは、本当ですか、その男から、金属や歯車の音がしていた、と?」
「ええ。間違いありませんわ。私、これは一体どういうことなんだろうって、とても不思議に思いましたもの」
 警部はしばらくの間、腕組みをしてうつむいた。老女は、その様子を不安げに眺めていた。やがて警部は顔を上げて言った。
「イグニスさん、貴重な情報をどうもありがとうございます。他に、何か事件の前後で気が付いたことはありませんか。どんな些細なことでもいいんですが」
「いえ、もう何もございません」
「そうですか、では、次の質問に移らせてもらいます。リー・ジョーダン氏についてです。彼は、ここに住み始めてから何年になりますか?」
「三年になります」
「では、リー・ジョーダン氏がどのような仕事をして生計を立てていたか、ご存知ですか?」
「はあ、私が聞いたところでは、以前は小学校の教師をしていたそうです」
「以前は、というと?」
「はあ、何でも二年ほど前に、教え子に手を出そうとしたとかで、解雇されてしまったそうです。その時はもう、自分の部屋でお酒を飲んで、めちゃくちゃに暴れましてね。周辺の部屋から苦情がたくさん出て……後で事情を聞いてみたら、小学校をクビになったって」
「その話は、ジョーダン氏から直接に聞いたのですか」
「はい」
「では、ジョーダン氏は、その小学校を解雇されてからは、一体どうやって生計を立てていたんでしょうか?」
「それが、私にも分からないんですよ。私も何度かリーさんに聞いてみたんですけれど、『割のいいアルバイトが見つかった』と言うだけで、その仕事が何なのかは答えてくれないのです。何か、危ない仕事なんじゃないかと疑ったこともありますが……」
「なるほど、分かりました。いや、色々とご協力下さり、ありがとうございました。これで、一通りの質問は終りです。また、何か思い出したことがあったら、連絡して下さい」
「あ、あのう、まだこの建物の中から出てはいけないんでしょうか」
「はあ、もうしばらくの間、我慢していて下さい」
「分かりました」老女はそう言うと、ジムが開けたドアから廊下へ出て行った。
「いやあ、なかなかの伊達男ぶりだったよ」老人がおどけて警部に言った。
「じいさん、つまらない冗談はやめてくれよ」
「それにしても、収穫はあったな。謎の男と、リー・ジョーダン氏の謎のアルバイト」
「ジョーダン氏へ入る金の流れを調べれば、何か手がかりがつかめるかもしれないな」
「ジョーダン氏が誰かを恐喝していて、その人物に逆に殺されたっていう可能性もあるわけですね」トニーが興奮気味に言った。
「推測するのは自由だがね、まだそうと決まっちゃいない。結論を出すのは調べた後の話だ」警部が苦笑しながらたしなめた。
「あの怪しげな男の話はどうだ?」と老人。
「まるで映画みたいな話だな。とはいえ、あの老女が嘘をついているとも思えない」
「その男が、ジョーダンを殺したんでしょうか?」
「断言はできないが、恐らくは」
「あの金属音だの歯車の音だのの話はどう思う?」
「一応、アンドロイドの製造工場を当たってみることにしよう。特に身長一八〇センチ以上の大型アンドロイドの配給先を詳しく調べるんだ。何か出てくるかもしれない」
「はあ、超能力者の次はアンドロイドか。科学文明万歳ってところだな」老人がぼやいた。


(第一章はまだ続きます)
2009-03-02 02:11:34公開 / 作者:ムラヤマ
■この作品の著作権はムラヤマさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
まだ、序盤です。一応、話の筋は決めているんですが、大丈夫だろうか……。
ちなみに、主人公はまだ登場しておりません……。
ご意見、ご感想、どうぞよろしくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは!読ませて頂きました♪
ミステリという事だったので伏線を読み逃さないように読みましたが、私は犯人もしくは真相などを当てた事がないので、これからどんな展開になるのか楽しみです。まだ始まったばかりなので、これからを待ちたいと思います。この世界でアンドロイドの一般的な外見や機能などについても、そのうち分かればと思いました。特に読み難いとかではないのですが少し会話文で話が進み過ぎてるような気もしました。あと細かいのですがマリイが朝食を用意している時間が何時頃から地の文でもあった方がいいと思います。イグニスが「朝の五時ごろに」とわざわざ言い直すという事は、それなりの時間経過があったと思うので。あとイグニスの話を聞いた警部が「次の日の朝」と言ってますが「今朝」や「今日の朝」とかのがイグニス相手なら分かりやすいような気がします。
では続きも期待しています♪
2009-03-02 17:02:29【☆☆☆☆☆】羽堕
計:0点
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