『少年さくら』作者:マシそよ / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
いじめられっ子の少年は一人の女の子が好きだった。きっかけなど忘れるぐらいに好きだった。しかしいじめはエスカレートし、少年の心に限界が近づく。死にたい。そう考えるようになった少年は最後の心残りである女の子に告白をする。
全角9427文字
容量18854 bytes
原稿用紙約23.57枚
桜が。
狂おしいほどに真っ赤な桜が。
一本だけポツンと校庭の隅で強く自己主張をしていた。しかしその桜に注目を集める者はいない。まるで自分のようだ…いや、自己主張しているだけ桜のほうがマシか。
生暖かい風が頬を掠めていく。
手に持った卒業証書の入った筒が、とても重く感じた。
100Mトラックがギリギリ収まる、猫の額ほどの校庭では、軟式野球部が横2列でキャッチボールをしている。その校庭の脇を通り抜け、本校舎から新校舎へと移動する。新校舎は校庭を挟んで本校舎に向かい合うように建っている。校舎の窓に反射した夕日が眩しい。
新校舎の扉をくぐる時に立ち止まり振り返ると、再び視界に桜が見えた。その色を見て、血を連想した。それと同時に自分のこれからの未来を暗示するかのようだった。
階段を上っていくと、上のほうから吹奏楽部の金管楽器の音が響いてきた。その音に沿ってリズムを取るように足を動かした。
吹奏楽部の華やかさには、憎しみを抱くほど羨ましい。キラキラと輝いていていかにも青春の一ページを刻んでいます、という感じで。
今の自分には縁遠いモノだと思うがこれでも小学生の一時期、音楽クラブに所属してトロンボーンを吹いていた。ひたすら楽譜とにらめっこをする毎日。あの頃は、目に入ってくるもの全てが煌いて見えた。未来、夢、そういうものに心が溢れていた。
しかしそれも過去。
今、目の前の全てが澱み、光り輝くものなんてそれこそ夢だ。
それでも自分がここまでやってこれたのは、彼女の存在が常に支えとなっていたからだ。
苦しい環境の中で過ごしてきた自分は、いつしか彼女を崇拝するようになっていた。好意は信仰にとって変わり、文字通り生きるために必要不可欠となった。どんな辛い事が起ころうと信仰を思い出せば気が安らいだ。
だから、そんな彼女と口を聞くだなんて恐れ多くてできないし、目が合っただけで震え上がってしまうほどだ。お陰で彼女とはここ数年、目は合っても言葉一つ交わしていない。
そんな中学校を自分は今日卒業した。卒業といってもうちは中高一貫で、簡単な試験を受けて合格点をマークすれば難なく高校へ進学できる。
ちなみに自分はその簡単な試験に落ち、春休みを補修に献上することで進学を許された、いわゆる落ちこぼれである。
試験に落ちたことにそれほどショックはなかった。
こんな学校にいるくらいなら、いっその事退学にしてくれたほうがどれだけ楽だったかと何度も思ったが、それを口にできるほどの度胸はなかった。
親の意向に従い仕方なく学校へ通う、そんな下らない毎日を繰り返すくらいなら―――。
階段を上りきると、硬い鉄の扉のノブを回した。錆び付いた鉄が擦れる音がして扉が開く。
新校舎の一階と二階は吹き抜けになっている。二階は壁沿いの通路のなっていて、自分はそれを「空中廊下」と勝手に名づけていた。
その端にちょっとしたスペースがあり、昼休みになると学生の溜まり場になっている。
今は放課後、しかも卒業式のあった日なのでそこに人がいるはずなかった。
そう、自分が呼び出した人以外は。
「………」
彼女は窓の縁に腕を乗せ、校庭を眺めていた。そよ風が彼女の短い髪を揺らし、透きとおるような白いうなじを覗かせる。それを見て、鼓動が速まっていくのがわかった。体に電流が走ったかのように、妙な痺れが全身に広がる。その場から逃げ出したい衝動に駆られたが、必死に押さえ込みその場に留まる。
一際強い風が吹き、それに彼女は髪を押さえる。その女性らしい姿から目が離せない。その横顔はあまりにも綺麗に整っていて、普段の微笑みの絶えない表情とはまったく別人に見えた。
彼女は立ち尽くしているこちらに気付いて視線を向けた。
少し驚いたような、戸惑ったような彼女の様子が、瞳を通って伝わってくる。
今日、手紙で彼女をここに呼び出したのだ。
理由は言うまでもないが、今まで溜まっていた思いを伝えるため。
いや、そんな綺麗なものじゃない。
「伝える」なんて優しい言い方ではなく、「吐き出す」とか「ぶちまける」と言ったほうが近いだろう。なんせ一方的な好意を、信仰を相手に押し付けるのだから、彼女にしてみればいい迷惑に違いない。そう思いながらも、彼女が呼びかけに応じてここに来てくれたことが嬉しかった。
「あっ…………」
声を出そうとするが、情けない事に全身が強張ってうまく喋れない。昔からプレッシャーにやたら弱い自分だが、ここ数年でさらに悪化したようだった。
どうしていいか分からず、下を向いてしまう。
気まずい空気が場を包み始めた時、彼女がしびれを切らしたように口を開いた。
「ねぇ…用があるなら、さっさとしてくれない?」
彼女の口調には棘があった。苛立ちのようなものを内包したその言葉に恐る恐る顔をあげると彼女と目が合ったが、直ぐに目を逸らされてしまう。だがそっぽを向いているが、ちらちらとこちらに視線を送っているのがわかった。
これ以上、長引かせるのは彼女に申し訳ないと思って、全身のありとあらゆる力を振り絞り、口を開いた。
「と、突然呼び出してごめんなさい! えっと、重要な話というのは他でもなくて」
パニックになって、うまく言葉が纏まらない。喉がカラカラに渇いて、握り締めた手の中は驚くほどの量の汗を掻いている。こんな本番に弱い自分に何度自己嫌悪したことか。
今はそんなことより、自分の気持ちに形を与え彼女に理解させなくてはならない。今まで起きた彼女との数少ないやりとりが走馬灯のように脳内を駆け巡る。その全てで彼女は笑っていて、その優しい瞳を向けていてくれた。
しかし目の前にいる彼女は、笑うどころか瞳すらまともに合わせてはくれない。数年の月日が彼女との関係を捻じ曲げてしまった。これほど時間を憎んだことはない。この数年間何の行動もしなかった自分にも同じく怨んでいる。
自分は自分が大嫌いだ。内気で言いたいことをはっきり言えず、物怖じするし親や先生のご機嫌を伺ってばかり。さらに頭も悪く運動神経も切れてる。
何をとってもいいところなんてない自分に、彼女が振り向いてくれるはずない。
そう分かっていたから、今日、自分はここにいる。
「告白して振られるため」に僕は彼女を呼び出したのだ。
ダメ人間な自分は、当然学校では馬鹿にされクラスでは虐めにあっている。「ムカツクんだよ」の一言で殴る蹴るされるのにはもうなれてしまった。カツアゲやパシリなんて日常だった。そんな理不尽なことが毎日続くと、弱い人間は精神を守るために都合の良い考えにたどり着く。
自分は要らない人間なんだ、だからこういうことをされても仕方ないのだと。
なんども死にたいと思ったが、彼女の姿を見るだけでもう少し残ってみようという気になれた。彼女は精神安定剤のようなものなのかもしれない。
しかしそんな彼女も、彼女というだけあって一人の女性なのだ。数日前、自分と同学年の男子が彼女に告白したそうだ。
結果は知らないが、きっと付き合うことになったのだろう。
その時、自分の中で築いてきた心のバランスが音を立てて崩れ落ちるのが分かった。
今までどうにか狂わずに保っていた精神の均衡が、秩序が汚されたのだ。もう、生きている理由がない。今すぐ死にたい。そう思ったが、あと数日で卒業式だった。
死ぬのだったら、いっそ目立つように死のうと。
卒業式の夜に、静かに誰にも悟られず逝こうと。
矛盾する二つの考えの中で、そう決めたのだ。
でもそれではまだ足りない。味気なさ過ぎる。もっと自分を皆に、いや、みんなに印象付ける必要はない。印象付けたい人は彼女だけだ。ならどうすれば。
そこで、ひとつの賭けをすることにした。
卒業式の朝、比較的家が学校に近い自分は早くに家を出た。学校まではバスに乗る。
車窓から流れていく景色がいつもよりいっそう彩って見えたのは、きっとこれを見るのが最期だからなのだろうと思った。
学校に着くと自分の教室には向かわず、下の階の右から2番目の教室に入る。黒板には「卒業!!」の大きな文字の周りにたくさんの落書きが書かれていた。席の名簿表と実際の席を見比べて、ひとつの机に近づく。ポケットから、手紙を取り出すとその机の中に忍ばせると教室を飛び出した。これで後は彼女が手紙に気付き、手紙を読み、来てくれるのを待つだけだ。指定した時間は夕方。でもそれだけで、告白にたどり着く確立がかなり低いものだとわかっていた。むしろわざとそう仕向けたのだ。
その後、何食わぬ顔で卒業式に参加した。そのときに、皆勤賞の受賞者に自分の名前が呼ばれて、そういえば三年間一度も学校を休まなかったなとしみじみと思った。偉いぞ自分。別のクラスの列の中に、本の少し見えた彼女の顔に特に変化は見られない。たぶんまだ手紙を読んでいないのだろう。そう思うと安堵したような、少し寂しいような複雑な気持ちが沸いてきた。
卒業式は(自分は卒業式前にクラスの男子に殴られ鼻血をすすりながらも)スムーズに進み、予定時間の5分前に卒業生退場となった。
泣き出してしまう生徒もいたが、卒業式とは形だけでしかない。大体の生徒はこのまま同じ校舎で、中学校の延長のような感じで高校生活を迎える。
それなのに何を悲しむことがあるのだろうか。正直理解できない。つらい思い出ばかりの自分だからだろうか。
教室に戻り担任教師の話を聞く。少しばかり年配の女性で、楕円形の眼鏡と煌びやかな黄色いスーツが印象的だ。涙を流しながら、教師は今までの一年間を振り返るように話す。教室のあちらこちらからむせび泣く声が聞こえた。
自分はその話を聞く振りをしながら、別のことを考えていた。彼女も泣いているのだろうか、卒業というひとつのイベントを楽しみ、思い出を胸に刻んでいるのだろうか。
その思いを共有できない自分がひどく虚しかった。
副級長が、クラスの女子からカンパして買ってきた花束を、隠していたロッカーから取り出して教師に手渡す。すると教師は号泣し始めてしまった。解散まではまだまだ遠くなりそうだ。それを億劫に感じながら、窓の外に舞う真っ赤な桜の花びらを見つめ、綺麗だなとただ単純にそう思った。
「これから、みんなでカラオケなんだけどお前も来る?」
完全に今年度の学校が終わり、教室前をふらつきながら夕方までどう時間を潰そうか迷っていると、いいタイミングでそう誘われた。誘ってきたのは2年の時に、同じクラスだった友人だ。いじめられっこでも友人ぐらいはいた。友人といっても、修学旅行の時や班行動で仲間はずれにされないように位の付き合いだったが。
ここでぼーっとしていても仕方がないので、その誘いを喜んで受ける事にした。
学校の最寄の駅から電車で4駅、ものの10分程で繁華街へとたどり着くと、学生服を着た5人の中に自分も混じり、大通りに沿って歩く。カラオケ屋はすぐ近くにあった。5人の中で一番騒がしい奴が、受付の名前記入欄に「ゴルバチョフ」と記入して、周りの連中は腹を抱えて笑い出す。自分も周りに合わせて笑うが、内心着いていけないなと思った。
エレベーターで7階へ、通路を通り一番端の715と書かれた部屋に入る。5人が使うには結構広めで、椅子の背後は窓になっていて下を覗くと大通りが広がっていた。
自分は一番奥に座り、鞄を降ろすと背伸びをした。隣には誘ってくれた友人が腰掛ける。早速一曲目を歌い始めた友人を余所に、自分は窓の外を見た。竦み上がってしまうほどの高さだが、ここから落ちればきっと痛みを伴わず楽に逝けるだろう。それはとても甘味な誘惑だった。下の道路を眺めているとまるで自分が吸い込まれそうで―――。
「おい、窓の外になんかあるのかよ?」
隣の友人が声をかけてきて、それで我に帰った。
友人も窓の外を眺めるが、当然何もあるはずがない。
「なにもないよ、ただいい天気だなってさ」
嘘はついていない、今日は本当に雲ひとつない青空で、見ていて清々しい気持ちになる。友人は不思議そうに首をかしげると、盛り上がり流行曲を歌う友人達に目を向けた。
世界がこいつみたいな性格の奴だけで構成されていればいいのになんて考えながら、とりあえずその場の雰囲気に乗って曲を歌った。いつもよりはしゃいでしまったのは、これが最後の娯楽になると思っていたからかもしれない。
時間はあっという間に流れ、日が落ち始めたころ、駅前で友人達と別れた。
行きと同じ線路で学校へと戻る。赤く染まり始めた空に青白く光り始めた月がゆっくりと昇ってくる。
この時間、夕焼けと夜の間ほど好きな情景はない。
空を赤く染めて、一日の終わりを皆に知らせる合図。毎日が苦痛でしかない自分には、それが十分救いに聞こえた。
一日で一番楽しみにしていることは、祖母と母が作る夕飯、一番風呂、読書、そして中でも一際好きなのが睡眠である。
真っ暗な視界の中、自分が起きているのかそれとももう夢の中なのか、その曖昧な思考の中で全てを忘れ静かに目を閉じる。それがまるで死ぬ瞬間みたいに思えて、眠ってしまったらもう目を開けることがないのではないかと考えるが、必ず朝はやってくる。そしてまた生き地獄へと放り込まれる。
そんな毎日を繰り返し、今日まで生きてきた。
だがそれも今日で終わり。
自分に朝が訪れることはない。
学校の前に着くと、校門の横に大きな看板が横に倒れていた。そこには周りを紙の花に囲まれた「卒業式」の文字。
春風にでも吹かれて倒れたのだろう。
看板を起こして、壁に立てかける。一応自分の卒業式なのだから、片付けられるまでその存在を示していて欲しい。それは自分のことを言っているみたいで、悲しくも切ない気持ちになった。
終わる(死ぬ)までに、誰かに自分の生きてきた事を刻みたい。
それが自分のたどり着いた答えだった。
親には数え切れないほどの愛情を贈ってもらった。それに自分が応えられる力がなかったことに。暴力を振るうクラスメイトに反抗する勇気もないことに。何一つとして取り柄のない自分に。
自分は自分に失望していたんだ。
何の達成感も味わえず、ただ安穏と生を貪る事に。
だから生きる理由が見つからなくなったあの瞬間、全てを決めたのだ。
最期に彼女に告白をして、振られて死のうと。
正確的には、最後に会った人を彼女に設定して、彼女の記憶に自分を刻み付けてやろうと。
今まで特に悪いことはせず善良に生きてきた自分だから、最期くらい最低なことをしてもいいだろう。
たとえそのせいで、彼女に一生の心の傷を残したとしても。
でもそれではつまらない。どこか虚しい。面白くない。
だから賭けをしたのだ。
もしも告白が成功し、彼女が僕の彼女になったのなら、終わる(死ぬ)ことを考え直す。
その条件に満たなければ即終わり、ゲームオーバーだ。
賭けをするしないにしても、振られる確立が下がるわけじゃない。だから自分が明日を迎えることはないだろう。
ただ振られるだけ、なにも難しいことはない。そう言い聞かせて彼女の前に立ったのに、全身は情けないほどに緊張しきっていた。
いや、緊張というより。
今ここで思いを言ってしまったら、信仰を伝えてしまったら、感情を吐き出してしまったらもう後戻りはできない、という恐れが自分に躊躇いを生じさせているのかもしれない。
いっその事、彼女が痺れを切らしてこの場から走り去ってくれたらどれだけ楽なことか。
そうなれば、自分はまたいつもと変わらぬ日常に。
そう思って、突然強烈な恐怖に駆られた。
日常に戻る? そんなの死んでいるのと同じだ。
一生という長い時間を死んだまま生きていくのか。
それとも、死に新しい人生で生きていくのか。
答えはもう決まっていた。
「僕は……高橋のことが好きだ、ずっと前から…」
自然と言葉が溢れてきた。駆け引きも何もない、純な気持ちを言葉へ変える。平凡すぎてベタな告白だが、これが無難。
いや、どうせ振られるのだから無難もあったもんじゃないだろう。それでも、心のどこかで彼女が恋人になってくれたらと思い描いてしまう。
しかしそれも、あと一言言うだけで全て浅はかな幻想、いや妄想だったと思い知るだろう。
その言葉に、壮大な絶望とささやかな希望を乗せて呟いた。
「僕と、付き合ってください」
噛まずに言えたのが奇跡だと感じた。
僕はそう言いきって頭を下げた。高橋の様子を窺う事はできないが、きっとマイナスな印象を与えているに違いない。
こんな取り柄のない自分の恋人になって、なんのメリットも発生しないどころか、リスクのてんこ盛りである。
沈黙が自分の心臓の音を大きく、早くさせる。体が小さく震えている。足なんか変に力んでいて、下手したら攣ってしまいそうだ。そんな僕を彼女はじっと見ているのだろう。今すぐに顔を上げて彼女の表情を確かめたいが、それを出来るほど僕に度胸はない。
気が付くと、外の野球部の掛け声も吹奏楽の楽器の音も止んでいて、まるで時が止まったかのように錯覚するその瞬間、彼女は口を開いた。
「私は―――。」
僕は目を見開いた。
彼女の発した言葉が自分の思考を追い抜いたのか、聞こえているのに頭に入ってこない。どんな意味を持っているのか理解できない。僕の脳は完全にその機能が停止してしまった。
それはどういう意味なのか聞こうと僕が頭を上げるその前に、彼女は走り去る。
僕はその突然すぎる出来事に対応できず、腰の曲がったお婆さんみたいな体勢で、彼女の逃げるように扉をくぐる背中を見ることしか出来なかった。
しばらくその体勢のままで固まっていると、野球部の掛け声も吹奏楽の楽器の音も聞こえてきて、やっと自分の時間が動き出した。
窓の外を見るともう夕日は沈んでいて、赤から黒へと世界を包む色が変わっていた。
野球部は、校庭の端に備え付けられたスタンドライトの明かりの下、滞りなく練習を続けていた。でも自分にはスタンドライトはなく、突然暗闇に放り出されたような気分だった。
「…僕はどうしたらいいんだ」
そのとき、ふと校庭の桜が目に入った。
スタンドライトの光と背後に浮かぶ少し欠けた月と相まって、絶好の夜桜となっている。
季節が過ぎれば散ってしまう桜を儚いと思いながら、そこになぜか自分を重ねて見ていた。
随分と暗くなってから学校を出た。暗いといっても、車のライトや建物の明かり、街灯などで全然暗くはない。
バス通学をしている自分は、学校の前に設置されているバス停のベンチに座った。幸いにこの時間は待っている人はいなく、後数分でバスが来ると分かって安堵しながら夜空を見上げた。
さすがにこの都会のど真ん中で星を見るのは難しい。見つけた、っと思っても大抵新聞社のヘリとか飛行機だったりすることが多い。それでも月は、雲に隠れない限り夜空の中心で爛爛と輝いている。今日は少し欠けていて明日辺りに綺麗でまん丸な満月を拝むことが出来そうだ。覚えておかなくちゃ。
そんなことを考えていると、背後から喧騒が近づいてくるのが聞こえた。何処かの部活が終わったのだろう。野球部か?と思ったが、女子の声も混じっている。うちでは運動系の部活は、男子と女子が別々に部活動をすることが多い。その為部活動の終了、解散もずれる。ということは文化系の部活だろうか。今、校内に残っている文化系の部活といえば…。
「あっ…」
一つの答えに行き当たり思わず声を上げたのと同時に、喧騒の元が姿を現した。
紺色で大きな直方体の鞄を持った生徒がぞろぞろと出て来る。その面子を見て、あぁやっぱりか、っと思った。入り口にたむろって皆で楽しそうに談笑しているのをボーっと見ていると、その中の小柄な男子生徒が僕に気付いて走り寄ってきた。
「あれっ、なんでこんな時間にいるの? 部活かなんか?」
彼もイジメられっこの僕に普通に接してくれるうちの一人である。部活では確か、トランペットを吹いていたはずだ。彼の右手には、彼の顔二個分くらいの大きさの直方体の鞄があった。中に楽器が入っているのだろう。
そんな彼の質問に、
「ちょっと友達と話してたら遅くなっちゃって」
と適当な答えを返し、会話は卒業式の話へ流れた。しかしこんな時、僕はいつも罪悪感を感じて止まない。平静を装いたわいもない会話をしている僕の中で、音楽を楽しみ充実した毎日を過ごす彼らに対して紛れもない嫉妬が湧き出している。
それを彼らは知るよしもない。
吹奏楽部は僕にとって、羨望の対象でありそれと同時にもっとも忌むべきものなのである。
そうこうしているうちに、道路の向こうから緑の車体が近づいてくるのが見えた。バスが停車すると、友達に別れを告げ車内に乗り込んだ。
定期を見せると同時に入り口のドアが閉まった。長年の経験が僕に早く何かに摑まれと警告している。
咄嗟に手すりに手を伸ばすが、指先が触れる前にバスは急発進した。車内に唐突なGがかかり、僕はバランスを崩し体を椅子にぶつけた。
なんとか、上からぶら下がった丸型の手すりに摑まり体勢を立て直す。
運転席を睨むが、運転手はのうのうとハンドルを握っている。
約3年バス通学をして学んだことだが、運転手によって走り方も違う。丁寧に乗客が席に着くか、手すりに摑まるまで待ってバスを出発させる者もいるが、今のように客が乗ったらすぐ出発という荒々しいのもある。後者の場合大抵運転も雑で、車内がよく揺れること。よく車内アナウンスで、転倒事故があいつで降ります、などと言っているが相次ぐ原因は、こういう運転手の所為じゃないだろうか。
この運転手は幸いにも酷くはないようだ。
ブレザーの胸の内ポケットから、MDプレイヤーを取り出す。最近はMP3に圧され気味で過去の物へとなろうとしている。こいつとは2年の付き合いになる。もう本体とイヤホンを繋ぐリモコン部分は壊れてしまい、本体に直接イヤホンを挿して聞いている。耳にイヤホンを付け、ボロボロに剥げ落ちたロゴシールの下にある本体の再生ボタンを押す。頭の奥のほうで物静かな旋律が流れ始めた。外の音が次第に聞こえなくなっていく、頭の中がスピーカーになったかのような錯覚と街のチカチカした灯りが思考を奪っていく。何も考えず、ただ静かに曲を楽しむ。それが自分にとって唯一の娯楽だった。
バスがいつも自分が下りるバス停に近づく。バス停を降り、大通りに沿って、鉄橋の下をくぐって歩いて10分ほどで家へたどり着く。家の中では暖かい夕飯と、優しい家族たちが笑顔で迎えてくれる。
しかし今日は違う。
いつものバス停を通り過ぎても、自分はバスを降りない。
だって今日は特別な日だから。
いや、特別な日になるはずだったのだから…。

2008-07-22 21:42:10公開 / 作者:マシそよ
■この作品の著作権はマシそよさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
続きは考えてません。ここまでですが読んでくれる方がいるのならとてもうれしく思います。
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