『三秒間』作者: / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
「あなたは死にました」非現実的な真っ白な部屋で目覚め、黒い人型に死の宣告をされた僕。僕に与えられた『やり直しの時間』は、三秒間。
全角6504文字
容量13008 bytes
原稿用紙約16.26枚
 上から落ちてくる塊。周りから聞こえる悲鳴。隣で目を見開いたまま動けない君。冷静に動く僕の頭。ぼくは―――。

 僕は大学の二年だった。サークルにも入らず、ただ単位を取るためだけに学校に行っていた僕。目標は無く、それでも焦りだけは覚えていた。後二年、それでこの気楽は失せるのだ。
「なぁ、神山」
 名前を呼ばれて、僕は振り返る。そこにいるのは僕と同じくサークルに入っていない先輩。
「飯、食いにいこうぜ」
 返事を聞かず、彼は僕の肩に手を回し強引に体を動かさせる。抵抗もせずに従い、歩き始めると先輩は僕の束縛を解いてくれた。
 校舎を出て、中庭を抜ければそこは大学の外だ。しかし僕は、歩みを止めた。中庭の一角で、強烈な存在感を見つけた。
 君は絵を描いていた。その手は止まらずに紙の上を滑り、後ろに縛られた君の髪はそれに合わせてゆらゆら揺れる。後姿しか見えないのにそれは壮大で、静粛で繊細だった。
「あの子、芸術科の恩田だろ」
 河本さんも足を止めていた。僕と同じものを彼も感じたのだろうか。
「同じ学科の奴から天才だなんて言われてたな。でも性格は無口のつっけんどん。ああいう奴は―――」
 河本さんの言葉を最後まで聞かず、僕は君に向かって歩き出した。僕らに背を向けている君は、ひどく輝いて見えた。
 季節は冬だった。寒がりの僕はコートまで着込んでいるのに君は長袖のシャツを一枚着ているだけだった。薄着の理由は君に近づいた時、分かった。
 君の頬は微かに上気して耳まで赤かった。僕が隣りにまで近づいても君は反応すら見せずに、そのぎらぎらした目をキャンバスに向けていた。
 僕は眼中に無い。妙な疎外感を感じながら、結局、僕は絵に目を向けた。それはひまわりだった。鉛筆で下書きされた季節はずれのその絵は白と黒のみの彩りのなか、艶やかだった。
「これ―――」
 言ってから失敗したと思った。僕の声に君はぴくりと反応し、同時に今まで纏っていた全てが君からこぼれていった。君の目が僕に向く。
「ごめん、邪魔するつもりは―――」
「邪魔しないでよ」
 君の声は素っ気なく、その言葉は僕に向けられたものかどうかすら、すぐには分からなかった。ごめん、と言う必要はあるだろうか。多分、君はそれを疎ましく感じると思った。僕は何も言えずに再び情熱に包まれていく君を見ていた。昼間の陽光の中、再び動き出した鉛筆はしゃっしゃと小気味よく耳に残る。
 羨ましさと寂しさを混じらせた僕の視線の中、君はくしゃみをした。君の周りの止められない程の熱気が離散し、途端に僕は、君が近くなったように感じられた。
「ねえ」
 君は僕に目を向ける。
「駅前においしいラーメン屋があるんだ。行かない?」


 夢、だろうか。ひどく懐かしい、君との思い出。あれからも君は素っ気なくて、そして僕は君の眼中に入ろうと必死だった。
 辺りを見渡すと、ここは僕の部屋ではなかった。白い部屋、壁も床も天井も、全てが白で統一されそれは光の中にいるかのような錯覚を起こさせる。ここはどこかと思いを巡らせても、記憶の中で僕はこの部屋を知らない。一番新しい記憶、さっきの夢からちょうど一年後。そこで、僕と君は―――。
 ぱち、ぱち、と緩慢に手を叩く音が部屋に響く。白い部屋の隅に突然小さな黒が混じった。それはゆっくりと形を作り、やがて曖昧な輪郭を持つ人型に落ち着いた。
「見事な死に様」
 澄んだ声が部屋に響いた。この黒が人間じゃないのは確実だ。しかし僕はそれよりも大きい、頭に組み上がった記憶の方に鼓動を激しくさせられていた。
 死んでる。
「即死ですね、観覧車のゴンドラが外れて落ちてきた。あなたは彼女を押し飛ばしてその場を動けず、体は潰されその場で死亡」
 不思議だった。僕は死んでいる。そして今ここにいる。それは足場が無いようで、でもどこか安心を持って、僕は死の後悔を湧かせるほどの理解を持っていなかった。
「彼女は?」
 情報収集、乾いた何かを潤そうと僕は黒に問いかける。足場を固めないと心は安定を取り戻せないと思った。
「かすり傷程度、あなたのおかげで」
 良かったと思うのは心の片隅で、大部分はさらに情報を求めていた。
「ここは?」
 聞くと黒は、ううむと唸る。
「説明は難しいですね。止まった時間の外の世界、あの世じゃありません」
「止まった時間?」
「今世界はあなたが死んだその瞬間で止まっています。私のおかげで」
「あなたは?」
 この質問が最初に来るものだったかもしれない。なぜ問わなかったのか、恐怖を覚えずに接することができたのか、僕は自分が知れなかった。
「善意を残すもの」
「善意?」
「あなたは死にました。あの状況で冷静でいたあなたはその場を逃げることができた。それをしなかったのは善意による彼女を救うという行動のためです」
 褒められている。そんなかっこのいいことをできたとは、僕は思えなかった。
「それは予定に無かった。あの場で死ぬのは彼女の方だった。あなたは逃げ、六十九で病死するまで生き続けるはずだった」
 予定、それは運命というものだろうか。聞くと黒はそのとおりと拍手をくれた。
「ほとんどの場合、予定に変化はありません。予定を変えることができるのは善意と悪意、その二つだけなんですよ」
「善意と悪意……」
 収集した情報は僕にさばききれるものではなかった。何度も口に出し、頭に浮かべ、黒の言葉を理解しようとする。黒もまた慣れた様子で僕の整理を助けるよう、ゆっくりと言葉を流してくれる。
「私はその善意を残そうと思っています。あなたにそれほどの善意が備わるのは予定無かったこと。だから私は世界にあなたを残しておきたい」
「僕を死なせない、と?」
「そうです。時間を戻し、あなたは生きるべき行動する」
 僕には死の記憶はあっても死の実感はなかった。そして今この場で思考していることがよりいっそう死の恐怖を紛らわせる。しかし時間が巻き戻れば、僕はまた君と生きれる。


 君が絵を描くのはどうしてだろう。毎日毎日、僕は君の背中を見ていた。誰も寄せ付けないその棘だらけの背中を、どこか憧れを込めて。そしてその棘が抜け落ち、その背中から鬼気を孕んだ情熱が消え失せるのを夜中になっても待っている。

 一度だけ聞いた事がある。絵を描くのは好きなのか、と。君は首をかしげ、「何とも言えない」と苦笑した。好きかどうかなど通り越したのだと言った。
「神山は? 好きなこと」
 問い返しは当然こうだった。確か夜だったと思う。先を行く君の、振り向いた瞳の中の好奇、それを満たすほどの答えを僕は持っていなかった。この時はじめて、君は僕の事を聞いたんだ。それなのにと僕が何も言えずに俯くと、君は興味を失ったように前に目を戻す。
本当に、僕はつまらない。


「時間を戻せれば、僕はあの事故にあわない。そういうことですね」
 黒は僕の問いに答えない。顔の無い楕円の黒い頭が僅かに俯く。
「できません」
 無意識に息を飲んだ。心臓に重い負担がかかる。
「どういうことですか?」
「時間は戻せます。しかし、その時間は実に短い」
 事故の回避は無理。僕がそう呟くと黒い頭がこくりと上下した。
「時間はどれくらいなんです?」
 黒はゆっくりと三本指を作った手を僕に向ける。
「三秒間」
 僕は何も言えずにその黒い三本指に見入る。三秒。それはあまりにも不十分だ。黒は僕が即死だったと言った。それならばゴンドラが落ちてくるまでにちょうど三秒。
「それじゃあ」
 助からない。
「なんだよ、それ」
 意味が無いじゃないか。僕のそんな怒りを正面から受けても黒は動じた様子を見せない。もっとも、表情も無いのだが。
「事故の回避は不可能です。ですが、三秒は意外と長いものですよ」
「でも事故にあったら無事じゃ済まない。三秒間で何ができるって言うんです?」
 黒は押し黙る。何かを言い辛い、僕にはそう見えた。やがて沈黙を破って黒が口を開く。
「あなたは生きるべきです。その善意は消すには惜しい」
 もしかして―――、自分を嫌いになるような可能性が頭に浮かぶ。それは、考えてはいけないことだ。
「あなたが死なない方法。彼女を助けず、二歩、後ろに下がればあなたは無傷で助かる」
 僕の表情が爆ぜた。感情の爆発が心と体をつなげることを、僕は初めて味わった。
「あんた、なに言ってんだよ!」
 人に掴みかかるなんて初めてだったから、どうするかも考えられず僕は黒に突進した形になった。影みたいな黒の体は実体を持っていたらしく、僕と黒はもつれあって白い床に転がった。
「彼女の絵はすごく綺麗で、彼女はすごく強くて、あんたに彼女のことなんか」
 言葉になんかならなかった。最後はなんだか悲しくて、僕の声は震えに霞んだ。
 大の字に転がった僕の視界に黒の顔が写る。もう立ち上がったのか、僕は呆然とその真っ黒な顔を見つめる。
「彼女は弱いですよ。あなたより、ずっと」
 こいつは、嫌いだ。生まれてから死ぬまで、こんなに他人を憎んだことはない。
「時間を動かしてください。僕の生きることが彼女の死なら、僕はこのままでいい」
 もともとそうだったんだから。言い聞かせる、のではない、はずだ。
 それを聞いて黒はさも残念そうに溜息を落とす。
「正直、嫌になりますよ。あなたがた善人には。みんながみんな自分よりも他人を重く考える」
 その声に含まれている濃い嫌悪の色に、僕は驚いた。善人と呼ばれ、残したいと言われ、嫌われている。
「そう考えられる人間は本当に極わずかだ。それなのにあなた方は自分のことに精一杯の連中に手を焼き、死に、満足そうに笑う。
そのことが世界そのものにどれだけ痛手か、考えもしない。その素晴らしい考えが善意なのは分かる。それを持っていないと善人ではない。そして、善人は、すぐ死ぬ」
 ああもう、と黒は声にやるせなさを滲ませる。僕は、こんなにも人を苦しませる人間だったろうか。
「お願いします、生きてください。あなたにはその価値がある」
「少し、考えさせてください」


「なんでひまわりを描いてるの?」
 君の描く絵は、圧倒的にひまわりが多かった。冬に出会ってから半年間毎日見続けた君の絵、その八割はひまわりだ。
「好きなの、ひまわり」
 半年間ことばを交わしても一向に親密を見せない君の口調。毎日とは不思議なもので微弱にその声音が柔らかくなったことに僕は気付いていた。そして、そのことに内心、僕は胸を張っていた。
 綺麗だね、と言おうとして僕は声を押し戻した。この絵は綺麗、だけではないのだ。君の得意な繊細な線の中、太く堂々と構えているようにも見えた。軽やかな佇まいを見せつつ、その両足はその場その場でしっかりと地に食い込ませる。
 これは、君だ。

パレットにはオレンジよりも濃い、そう、ひまわりの色だ。色が入って、この絵は、情熱は、君は、鮮やかに輝くのだろう。そう思いながら、僕は君の後ろの椅子に腰掛ける。音を立てないようにひっそりと。


 どれだけ時間が経っただろう。白い部屋で僕は目を閉じて頭を抱える。黒は何も言わずに待っていてくれていた。
 決めろと言うのは、あまりにも酷い。そんな権利、過ぎた事を変える力などいらなかった。それで変わる結果はどちらもハッピーエンドでは有り得ないのに。
「決められませんか?」
 先程の激昂が嘘みたいに黒の声は穏やかだった。僕は何も返さずに首を二度ふる。
「言いましたよね、予定を変えるのは善意と悪意だけだと。変えられた予定はすぐに変わった方向での予定を打ち出し、私はそれを知ることができる」
「僕が死んで彼女が生きた場合の運命?」
 そう、と静かに黒は答える。君はきっと絵を描き続けるのだろう。もしその絵に陰りなどが入ってしまったら、それが僕のせいなら、それは嫌だった。
「彼女はあなたの死を嘆きますよ。他の誰よりも」
 はっ、と僕は顔を上げる。頭を束縛していた両手は自然と離れていく。
「彼女が?」
 黒は頷きを一つ、くれる。
「二週間、絵を描かない」
「その後は?」
「三週目、絵を描きだす。今まで以上に熱心に」
 思わずでた溜息は、安堵のものだった。絵を描いている君が、君の描いた絵が、僕の人生においてのもっとも大切な宝物なのだ。それが失われるのは自分の死後であっても耐えられなかった。
「四週目、彼女は人生において六枚目のひまわりを描き終える」
 よかった、君はちゃんと君のままに生きるのだ。しかし、同時に悲しみに似た痛みがちくりと刺さる。僕の存在は、やっぱり軽い。僕は何を考えていたのだろう。君が二週間絵を描かないと言った時、どきどきした。君が衝撃を受けた。そのことに何か、期待をしていたのかもしれない。
「翌日、彼女は死にます」
「嘘だ!」
 返事はすぐにできた。それは準備ができていたみたいに。
 嘘だ、それだけは絶対に。彼女が死ぬなんて。僕が、黒がこう言うのを予想していたなんて。それほどの衝撃が僕の死によって君が受けてくれると期待していたなんて。そんなのは、駄目だ。嬉しいだなんて。
 僕は力の抜け落ちた足に従って膝を床につける。呆然が張り付いた表情の潤んだ双眸からは涙が流れ落ちる。これは、なんの涙だろう。
 悲しい、はずだ。君は死ぬ。僕が助けた命。僕が憧れた命。僕の死によって死に誘われる命。
 嬉しい、のかもしれない。僕の憧れが僕の存在を重く考え、泣いて、後を追ってくれる。
「僕は、善人なんかじゃない」
 憎悪、僕はそれをいつも自分自身にばかり向けている。
「それが言えることは、悪人でない証拠ですよ」
 黒の言葉、それは僕の耳には入らずに消える。確信があるのだ。僕は、最低だと。
「私は善意を残したい。あなたが死ねば、彼女も死ぬ。なら、あなたは生きるべきだ」
 もう止めて欲しかった。価値があると言われ、生きて欲しいと言われ、なぜこんなにも苦しいのだろう。僕の中はどうなっているのだろう。
 自分が分からなかった。
 生きることに覚える戸惑い。それは君を失うからだろう。でも、僕が死んでも君は死ぬんだ。僕が生きても君は死ぬ。ならいっそ。
 僕は苦笑する。弱くて小さい。惨めで情けない。選ぶべき道は一つなんだ。勇気、それを持つ必要があるんだ。君ぬきで、君のいない未来を、僕の未来を、歩くんだ。
 善意がどうだろうと知らない。僕は生きる、君を目の前で殺して。いつか、君の隣に座れるように。君と正面から向かい合えるように。
「お願いします」
 涙が一粒、頬を伝う。黒は僕の顔を見ただけで、こくりと頷く。
 三秒間、君との最後の時間。


 君の横顔。周りから聞こえる悲鳴。棒立ち状態の君。上から落ちてくるゴンドラ。僕の頭は一度目よりも鮮明で明瞭だった。
 ここで二歩、下がればいい。
 一。
 そうすれば僕は助かる。君は死ぬ。この情けない三秒を僕の命に刻むんだ。いつか、君のような灼熱を背負えるように。
 二。
 僕は―――。
 どうしてなんて聞かれても答えられない。でも、体が勝手に動いた、だけじゃない。強いて言うなら三秒は意外と長かったんだ。
 力強く押し出された君の体はゴンドラの作り出した丸い陰の外にまで届いた。これで最初と変わらない。僕が死んで、君も死ぬ。変える方法があるだろうか。無いならせめて、僕は―――。

「愛してる」

 三。


 

END.
2007-07-20 16:12:40公開 / 作者:薫
■この作品の著作権は薫さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
こういう現代ファンタジーが好きです。
この作品に対する感想 - 昇順
私もこういうif系が好きです。
あと一秒、なにもしないで助かった彼はもう一度黒い影が現れても、やはりこれでいいと言うのでしょうか。
2007-07-20 19:25:20【☆☆☆☆☆】翼
計:0点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。