『二人の夏』作者:美優 / V[g*2 - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
「海に行こうぜ」 突然誘われた夜中のドライブ。それは、とても楽しくて。 今まで、見たことの無いあなたの姿を見ることが出来て。 それでも、いつしか二人が「二人」で居られなくなるときが来る。 赤いベンチに座ってた二人。 二人が「思い出」となったとき、その赤いベンチもなくなってしまう。
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原稿用紙約10.63枚
「海へ行こうぜ」
 そんな単純な言葉から始まるものもある。

 八月の真っ只中。ガソリンスタンドでのアルバイトは、本当に大変。
 焼けたくないのに、白い肌は日に日に黒くなる。
 どれだけ水分を補給したって、その全てが汗に変わっていく。
 それでも、お客さんのいないときには木陰の赤いベンチに二人で並んで腰掛けて。
「今年で卒業だもんな」
「あっという間だろうね、就職するまで」
「しかし暑いな」
「しょうがないじゃん、夏なんだもん」

 そんな当たり前の会話が楽しい二人。
 一緒に座る赤いベンチ。そこが二人の指定席。
 会話の内容なんて、どうでもいい。ただこうして並んでいられるだけで、楽しいから。
 二人に残された時間が、もう少ないから。バイトを辞めたら、もうこのベンチは二人にとっては期限切れになるから。
 冬が訪れる頃には、こんなふうにしてのんきになんてしていられない。
 だから、まるで残された時間にしがみつくようにして、二人はいつも一緒。

 洗濯機の中でグルグルに巻きついた雑巾を取り出しながら、
「よく先輩と仲良く、ずーっと二人で話せますよね」
 三歳年下の女の子が言う。
「どうして?」
「だって、先輩っていつも怒ったみたいな顔してるじゃないですか。私だったら二分も会話がもちませんよ」
「そう? そうでもないよ。あいつと話し始めたら二時間でも三時間でも話題は尽きないよ」
 コロコロと丸い笑顔で、それでもほんの少しうらやましそうに笑う女の子。
 きっと、憧れているんだろうね。
 それも、優越感の一つかもしれないとは思うけど。
 ちょっぴり嬉しいのは、隠せない事実。

「海へ行こうぜ」
 店じまいをしているときに「さりげないふうに」装って言うあなたは、空に輝く満月と同じように静かに笑ってる。顔をくしゃくしゃにしながらも。

 赤い車を走らせて、夜中の国道十六号線を南へ、南へ。
 途中に立ち寄った岬では、缶コーヒーを飲みながら寄せては返す波の音に聞き入っていた。
 静かな海に浮かぶ、満月の灯り。波に揺られてなんだか提灯みたい。

 いきなり轟音をたてる改造車が次から次へと岬に近づいては、駐車場のそばの公園の周りをグルグル、グルグル走り回り始めた。急ブレーキの音。タイヤがめいっぱい泣き叫んでる。
 あれじゃぁ、車がかわいそう。せっかくの岬もかわいそう。
「ああいうやつらの気が知れねえよ」
 そんなあなたの車も、本当はかなりの改造されたエンジン音がするじゃない?

 しゃがみこんでたら、いつの間にか足がしびれてた。
 立ち上がろうとすればするだけ、ビリビリ、ビリビリ。泣きたいのか笑いたいのかわからない感覚。
「立てないよぉ」
「仕方ねえな」
 肩を支えて、ゆっくりと一緒に歩いてくれた。
 そのぎこちない振る舞いが、なんだか却って心地よくて、普段は気にすることがなかった柑橘系のコロンの香りがほんのりと伝わってきた。
 あなたの車の芳香剤と同じ香りだ。

 そして、また車は南を目指す。赤い車は疾走する。
 午前二時を過ぎると、国道でも車は少ない。それでも夏の夜は、あっという間に明るくなる。

 海岸に面する小さな駐車場を見つけたのは、午前四時少し前。
 突然目の前に繰り広げられた、空色一色の太平洋の海。
 仮眠を取ることも忘れて、二人一緒に浜辺へ駆け出す。
 夜明け前の小さな浜辺には、当然誰もいない。

 岬で眺めた海とは好対照。静かに波打つ海も綺麗だけど、力強く、時にはうねりながら大きな波音で、朝を待つ浜辺に打ち寄せるこの海は、かすかに顔をのぞかせる真夏の太陽と寄り添って見える。

 浜辺に足を投げ出して、波の音に耳を傾けていると、言葉なんて必要なくなる。
 いつもなら、しゃべってばかりの二人でも、自然と無口にさせる大いなる自然。

「バイト、今日は行きたくねぇな」
 すでに太陽は二人を容赦なく照りつけ始める。
「休んじゃおうか?」
「それじゃ、密かにデートしてたのがバレバレじゃん」
 顔をくしゃくしゃにして笑ってる。

 デート……だったんだ。

 こんなデートは生まれて初めて。
 夏の海がこんなに綺麗に見えるのは、あなたが隣にいるからかしら?
 だとしたら、これは一世一代のデートになるわね。

 あれから数年間、あなたと過ごした日々はあったけど、たくさんの思い出が二人を包んだけど、あの夏の朝陽を共に過ごした時間は、どんな思い出よりもかけがえの無いもの。

 そして……

 いつしか、時は残酷なまでに二人を引き離した。
 誰が悪いわけでもなく、それが二人に用意されていた、避けることの出来なかった結末。

 いつだっただろう。
 思いがけなく、朝の電車であなたと鉢合わせしたのは。
 スーツを身にまとったあなたは、なんだか見慣れなくて、知らない間に大人になってた。
 見ているだけで、哀しくて。
 取り戻せない二人の夏を、思い出して。
 流れる涙を、青いハンカチでそっと拭ってくれたあなた。
 同じ駅で電車を降りたけど。でも、二人の目指す出口はまったく逆。

「会社に行く前に、化粧を直してから行けよ」
 片手を振って、あの頃と変わらないくしゃくしゃな笑みを浮かべて去っていく後姿からは、あの頃に感じた柑橘系の香りはしなかった。
 そういえば、差し出された手も、ガソリンスタンドにいた頃に、どうしても落ちなかった軽油の汚れが、綺麗に消えていた。
 それとなく、自分の掌を広げてみると……
 やっぱりそこにはシミ一つ見つからなかった。

 人ごみの中を、スイスイと流れるようにして歩き去るあなたは、振り返ることも無く……
 その後姿すら、見分ける自信を失って……
 だけど、視線は探してる。あなたの広い背中を。

―― あの日の夏から一人取り残されたままでいることなど、思いもよらないでしょうね。

 本当は、夏の海って好きじゃなかった。
 ベトベトして、ただ暑いだけで、人ばっかりがたくさんいて。
 でも、あなたが見つけてくれたあの海は、夏の海を好きにさせてくれた、たった一つのかけがえの無い海。どんな海よりも大事な海。

 遠ざかるあなたの後姿は、いつしか見えなくなっていたけど。
 それでも、あなたの姿を探してる。

――海へ行こうぜ
 その単純素朴な一言を、あなたの声でもう一度聞ける日が来るような気がして、あなたの後姿を探してる。
 そんな日が来ることはありえないってこと、解り過ぎるほどに解っているけど、どうしても期待してしまう。夢見てしまう。あの夏を……
 
 どうして、二人が離れ離れにならなきゃいけなくなったのかは、もう思い出せないけど。
 きめ細かな砂浜。
 陽が昇りきる前の、ほんの少しだけ涼しげな真夏の早朝の風。
 透明より透明な空色の波。
 全ての現実から、逃げ出せそうな気分にすらなれた、たった一日だけの二人の夏休み。
 それだけは、忘れるなんてできやしない。

 振り向いたって、あの頃には戻れないけど、二人には必要な時間だったのね。
 二人が「永遠」じゃないことを知るために必要な時間。
 残酷だけどそれが現実。
 戻りたいけど戻れない。
 やるせないけれど、それが真実。

 改札口を出ると、容赦なく真夏の陽射しが照りつける。一瞬思い出す。
 毎日二人で浴びた、ガソリンの臭いに包まれた太陽の陽射しを。
 でも、その陽射しは、あの頃に感じた夏の日々とは全然違う。
 毎年訪れる夏の太陽の感じ方が一年一年変わるように。
 人はそうやって、少年から青年へ、少女から女性へ変わっていくように。
 あれから何度も訪れる夏は、いつの間にか他人顔へと姿を変えていった。

「やっぱりバイト休もうよ」
「眠てえもんな」
「休もう、休もう」
「気軽に言うなよ」
「だって、海がきれいじゃん」
「それってどういう意味になるわけ?」

 意味不明な会話が楽しかったね。
 どんな些細なことでも笑ってたね。

「今度は家で酒でも飲もうぜ」
 くしゃくしゃな笑顔であなたが言ったのは、それから何週間後のことだったかしら?
 アイドル歌手のコンサートビデオを観ながらいつの間にかぐっすり眠ってしまった二人。
 眠っている間に、薬指からはずされた三連のリングが、起きたときにはあなたの小指にはまってた。
 まるでそこが本当の定位置のように。
 その日の夕方からは、赤い車で筑波山まで予定外のドライブ。
 山の上から見えた街灯りが、まるであちこちに灯されたアロマキャンドルみたいだった。
 季節はずれのクリスマスのようだった。

 数年後、あのガソリンスタンドの前を通ったとき、赤いベンチはもう無くなっていた。
 二人の指定席が。
 それは、あの夏が「思い出」に変わった瞬間みたいに感じられたよ。

 その年の冬、あなたが結婚するという事を教えてくれたのは誰だっただろう。
 
 本当に「思い出」になっちゃったね。
 あの日。
 眠たい目をこすりながらも、結局バイトは休まなかった二人。
 夜中に買ったポッキーが、いつの間にか赤い車の中でドロドロにとけちゃって、それをおいしそうに食べたよね。
 そんな些細なことでも本当に「思い出」になっちゃった。

 最後に手紙を出そうかと思ったけど、やめた。
 「二人の夏」を汚したくなかったから。
 あなたの「未来」を不安にさせたくなかったから。

 振り向いたら負け。どうしたってあの頃には戻れないんだから。

 駅を出て、真夏の太陽にさらされながら会社へと急ぐ。
 通りしなに、小さなガソリンスタンドがあることに、初めて気が付いた。
 店の奥に小さな赤いベンチが見えたけど、それは見知らぬベンチ。
 思い出の中の赤いベンチは、もうどこにもないのだから。
 そして、その赤いベンチに二人が並んで座ることも、もうありえないのだから。
 永遠に……
2007-06-15 17:57:52公開 / 作者:美優
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■作者からのメッセージ
 若い頃だからこそ出来る無茶苦茶なドライブ。
 でも、そういうことが楽しいと思えた日々というのは、今となると楽しいだけじゃなくて、ほんのり苦いコーヒーの後味みたいなものがあります。
 どうして「二人」でいることができなくなったのか。それすら思い出せなくなってしまうほど、人間はどうしても年を取ってしまうのですね。
 それが哀しいけど、現実なのですね。
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