『「あかしあ」の夜』作者: / V[g*2 - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
「言わなくても分かるだろ」そう言われ続けた少女。彼女は言葉のない世界を理解しようとした。「言わないと分からないでしょ」?そういわれ続けた少年。彼は自分を言葉にしようとした。でも、彼は何も言えなかった。そんな二人が、小さな街の小さな居酒屋で出会った。 見詰め合うこともなく触れ合うことなく、時だけが過ぎて。
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原稿用紙約6.85枚
 小さな街の小さな駅の裏に、寂れた商店街がありました。
 そこにひしめき合うように、小さな店が並んでいます。
 中学校を卒業したばかりの少年が、一つ年上の少女と出会ったのは、そんな場所にある、小さな居酒屋でした。
 軒先に下げられた赤提灯の上、トタンの壁に白いペンキで書かれていた店の名は、随分昔にに剥がれ落ちてそのままです。
 少年はこの店の調理師の見習いで、少女は女将を手伝って、注文を受けて酒や料理を運んだり、皿を洗う仕事をしていました。
 ここで三十年も夫婦二人で居酒屋を営んで来た大将と女将は、客商売をよく心得ておりました。どんな客にも愛想よく接し、無礼な客の我儘にも、決して笑顔を忘れません。ですから、店はとびきり繁盛しているとまではいきませんでしたが、会社帰りの常連客だけを相手にしていても、客に困ることはありませんでした。
 毎晩、最後の客が帰ってしまうと、夫婦はふっつり黙り込みます。金にならない笑顔は無駄だと言わんばかりの表情で、店の後片付けをし、売り上げを数えるのです。
 彼らは、少年と少女に辛く当たることがありました。辛くあたってやろうと思ってそうしていたわけではありません。金を払って雇っている従業員に対して、金を置いていく客と同じようするつもりがないだけでした。
 二人の仕事振りに少しでも落ち度があった日は、情け容赦ない仕打ちが待っていました。しかし、幼い頃からそういったことには慣れていた二人は、文句も言わずに毎日黙って働き続けていました。
 少年も少女も、無口で臆病でした。二人は、会話を交わすことはありませんでした。その必要を感じなかったからではありません。そうしたくても、何を話していいのか分からなかったからでした。
 二人の毎日は単調に過ぎていきました。客が来て、客が帰り、雇い主夫婦に罵られ、疲れた体を布団に横たえて眠り、また朝が来る。それだけ、でした。

 秋も深まりつつあった晩のこと。少年は客の使いで店を出ました。少し先にある自動販売機で、煙草を買ってきて欲しいと頼まれたのでした。ガタガタと音を立てる店の引き戸を閉めて、彼は客から預かった千円札を、少し強く吹き始めた、夜の秋風にさらわれないようにと、しっかりと握り絞めました。
 そうして彼はふと、何かの気配を感じて、店と隣の店の間の、細く薄暗い空間に目をやりました。
 薄汚れた街灯の光が、不規則に点滅していました。それは彼がその光を最初に見上げた日から、ずっとそのままでした。弱弱しい光は、暗闇の奥までをはっきりと照らしはしませんでしたが、彼を立ち止まらせるような光景を、ぼんやりと照らし出すには十分でした。
 先ほど、しこたま酒を飲み、奥さんの悪口と幼い娘の自慢話をして、上機嫌で店を出て行った常連客の一人と、その後すぐに、女将になにやら用事を頼まれて店の裏に出た少女が、暗闇の中に妙な形に絡み合うのが見えました。
 少年の目には、巣から落ちて動けなくなった瀕死の雛鳥を、大きな野良猫が面白半分にいたぶっている、そんな様子に見えました。
 少女は無抵抗でした。嫌がっているような素振りもなく、助けを求めているようでもありませんでした。それでも何故かその時、彼は見てみぬ振りをして、その場を通り過ぎることができませんでした。
 少年は、少女のそばに駆け寄ると、千円札を握りしめた手を、彼女の目の前に突き出しました。
 スーツ姿の常連客は、おや、というように少年を見ました。
「煙草、買ってきて欲しいって。ミウラさんが」
 少女はしわくちゃになった千円札を受け取り、はだけた胸元を素早く直しながら、こくりと頷きました。そして、彼だけに聞こえるように小さく、ありがとう、と言いました。でもそれは、彼の空耳だったのかもしれません。
 手ぶらで店に戻った少年を、大将と常連客のミウラさんが、不審そうな顔で出迎えました。そのすぐ後に、煙草を買って帰ってきた少女を見ると、女将は少年の顔を、意味ありげな視線で睨み付けました。
 「変な気回して野暮なことするんじゃないわよ! 」女将は少年の耳元で、吐き捨てるように言いました。

 少女は、しばらくしてから店を辞めてしまいました。あの常連客も二度と現れませんでした。
 スーツ姿の男と、二人連れ立って歩いていたのを見たとか、結婚したけれど、旦那によく殴られているとか、離婚した後、隣町のあまりいい話を聞かない店で働いているらしいとか、店の常連が噂をするのを、彼はたまに耳にすることがありました。
毎日は、相変わらず単調に過ぎていきました。少年は、いつしか少年ではなくなっていました。
 何年かして、大将が病に倒れて働けなくなった頃には、、彼は一人前に店を切り盛りできるようになっていました。それから何年かして、女将もこの世の人でなくなると、子どものいない叔母夫婦の店を、養子の彼が引き継ぎました。
 彼は、調理師としての腕は悪くありませんでしたが、客相手に笑顔の仮面をつける方法を知りませんでした。店の常連客も次第に現れなくなり、ついには、客が一人も来なくなりました。
 それからは、商売用の酒を飲みながら、たった一人で店に座るだけの毎日でした。
 誰も来ないのは分かっていましたが、他に何をしていいのか分からなかったのです。
 ある日、ガタガタと音をさせながら店の引き戸が開いて、でっぷりと太った、けばけばしい中年女が入ってきました。ぐるりと店を見回し、たった一人所在無く酒をあおっていた彼を見ると、彼女は狡猾そうな目に、少しだけ優しい光を灯して言いました。
 「良かったら、うちの店で働かない? 」
 かつて少年だった男は、首を横に振りました。
「そう……」
 かつて少女だった女は、そう言うと、黙り込みました。
 随分昔に、二人の間にいつもあった沈黙が、そこにありました。
「じゃあ、お酒と、何かおつまみを」
 女はカウンターの椅子に座り、男は無言で女の注文を受けました。
「この店の名前って、「あかしあ」って言うんだよね」
 かつて少女だった女は、はがれたままの白いペンキを思い浮かべながら言いました。
「女将の好きな花だったそうですよ。似合いませんね。この店にも、あの女将にも」
 男は、少し酔っていたようで、普段よりも少しだけ長い返事をしました。
 二人は、心の奥底でずっと望んでいたのでした。
 二人だけの空間で、二人きりで会話をしたいと。
 でも、実際にその機会が訪れた今、これが二人にとって精一杯の、最初で最後の会話でした。
2006-10-07 21:19:43公開 / 作者:碧
■この作品の著作権は碧さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
アカシアの花言葉は、「プラトニックな愛」なんですって。

プラトニックって私はなんとなく、悲しいものに思えてしまうんです。相手に何も望まない愛なんて、不自然。
無理。私には絶対に無理。
そんな気持ちから書きました。

読んでくださった方に感謝します。
この作品に対する感想 - 昇順
 こんばんわ〜
 
 新作ですね。
 さっそく読ませていただきました。アカシアの花がこの話のテーマなんですね。なるほど、「プラトニックな愛」ですか。現実の世界でも愛の価値観の相違はトラブルを巻き込むことがあり最近のニュースをみてもそんなきっかけで起こる事件がおおいだけに考えさせられます。
 オープニングで少年と少女の過酷な幼少時代がとてもリアルで、読んでるうちに引きずり込まれました。続きあるんですよね? 男と女になった二人がどのような愛を表現してくれるのかたのしみです。
2006-10-07 21:46:09【☆☆☆☆☆】有
>有さま

読んでくださってありがとうございます。残念ながら、続きはありません。お互いに自分の気持ちを打ち明けられず、相手の気持ちも知ることもできず、触れ合うこともないまま、年老いてしまった男女。その結末を書きたかったので。何も言わない、何もしない。でも、何も思っていないわけではない。そんな臆病な愛があってもいいはずですし、今も昔も、そう変わらずにあるんじゃないかとも思っています。私としては納得いきませんが。
 でもやっぱり、こういうのって分かりにくいですよね。
 私は最近よく聞くニュースには首を傾げてんばかりです。理解不能なものが多くて。
 私、やっぱり恋愛小説は無理かも――。
2006-10-07 22:13:14【☆☆☆☆☆】碧
こんばんわ。何度か名前をお見かけしておりましたがこれがお初だと思うので、はじめまして、ゆるぎの 暁(あき)と申します。これから、よろしくお願いします。
 語り口調の文体で、何となく昔話のように感じました。ん、違うかな昭和時代の恋物語かも。全てがセピア色の動かしようのない写真(記憶)のような物語。いや、これは私の偏った見方なのですが。なので、どうしようもなく切ないというか哀れな空気がこのお話の根底に流れている気がします。彼らの間に流れていたものが愛だったのか?それさえも虚ろで。もしかして同じ痛みを感じていた互いの傷を見つめ合っていただけのようにも思えました。けれど、遠くから何も言わずただ見つめている。これが秘めた愛なんですね。情けないことに私はそういう感情に疎くて感情移入がしにくくなってしまいました。それが残念です。
あ!変な感想を書いてしまって、ごめんなさい。愛や恋というのは本当に掴めなくて、グルグルしてしまいます。理解できるように、どんどん経験値つんでいこうと思います!
2006-10-07 22:31:09【☆☆☆☆☆】ゆるぎの 暁
 はじめまして。碧さま。上野文と申します。
 『「あかしあ」の夜』を読みました。
 勇気が足りなかったな、少年。
 それが最初の感想でした。
 傷つくことに怯えて、傷つけることに怯えて、結局「大事なとき」に踏み出せなかった。
 そして、大人になった時には遅かった。
 とても興味深く面白い恋愛小説でした。
 では。
2006-10-08 14:26:01【☆☆☆☆☆】上野文
ども、初めまして。読ませていただきました。
なんだか、「めでたしめでたし」といった感じの終わり方でしたね。
短編らしくてこれはこれで良かったのかも知れませんが、もう少し感情が見られる描写が欲しかったなぁと。
もっと深みが欲しかったです。

ではでは〜
2006-10-08 17:13:49【☆☆☆☆☆】rathi
作品を読ませていただきました。感情を抑えて描くことによって、読者に感情の補完をさせる余地をおく手法は面白かったです。物語の前半はこちらの感情を非常に励起してくれるのですが、物語の後半はラストを急ぎすぎたのか平坦な感じがしました。ラストでの「二人は、心の奥底でずっと望んでいたのでした。二人だけの空間で、二人きりで会話をしたいと」の部分を書かなくても、読者に二人の感情が伝わるシーンを入れて欲しかったですね。戯れ言を失礼しました。では、次回作品を期待しています。
2006-10-09 00:37:57【☆☆☆☆☆】甘木
はじめまして。読ませてもらいました。
優しい文体で描かれていますね。読んでいて心地よくさせてもらいました。

内容的にはそこに「生活」が見えない事。なので、特に大人の人物達があまり感じられませんでした。愛も恋もそれのみを抽出してしまうよりも、僕はそこにある「生活」が絡み合っている方がその感情もしっかりとしたものとして伝わってくるのではないかと思ってます。
恐らくは大人になる過程において、被害者になる事以上に、加害者になる事をどこかで受容していくような過程が存在しているのではないかと思っています。ある部分では加害者にならざるおえないと感じてしまう時、そんな瞬間に少年が出会っているのかもしれませんね。
好きな感想を失礼しました。また読ませて下さい。とても好感のもてる文章だったと思います。
2006-10-09 10:00:37【☆☆☆☆☆】カメメ
>ゆるぎの 暁さま

美しい感想をありがとうございます。私も、これは現代じゃないよなぁ、という気持ちで書いていました。さらに言えば、登場人物になんの感情移入もできないまま書いていました。私はというと、愛や恋を掴めず、経験値も上げられないままリタイヤしてしまったので、ゆるぎの 暁さまの今後に期待したいと思います。

>上野文さま

恋愛っていうのは、一番オイシイ時期があると思うのです。私は。もちろん、老いらくの恋も悪くはありませんが、少年の頃にできなかったこととを中年になってやり直しても、どうなんだろう? と。恐れることはない、突っ走れ若人よ! そんな私の気持ちもどこかにちょっぴり入っているかもしれません。

>rathiさま

これはこれで、ハッピーエンドだと私は思っているので、めでたしめでたしだと思っていただけたのは良かったかな、と思いました。感情面は、やはり、弱いですよね。私自身の弱さ、表現の弱さ。もう一度、自分を見つめ直さなくては。

>甘木さま

二人の感情を表すシーン。言葉とは別のところで、感情を表したり、物語を進めるという技を、他の人の作品のなかに見つけると、これね!と参考にさせていただいています。で、そういうものがある、というところを掴んだだけで、まだ自分の技として使えるに至っていないのですが。これはもう、今後に取り入れて生かしていきたいと思います。

>カメメさま

生活。完全にすっ飛ばしていました。傷つけあうことを恐れて、逆に傷つけあうというようなことは、未熟な恋愛関係ではよくあることじゃないかな、と思っています。カメメさんのおっしゃるように、加害者になることも受容していかないと、結局、ずっとそのままなんですよね。それはそれで、とても悲しい。

皆様から頂いた感想に感謝したします。こうして、いろんなことを考えているうちに、次はこうしようとか、こう書きたいとかいった、制作意欲が湧いてきます。反省を踏まえ、この先書いていくものの糧にしていきたいと思います。これからも、宜しくお願いいたします。
2006-10-12 20:55:18【☆☆☆☆☆】碧
計:0点
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