『新たなる訪れ』作者:vash / V[g*2 - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
フィクションのショートショートです。疲れた心に、染みる作品ではないでしょうか。共感できる方がいれば、幸いです。
全角2397文字
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原稿用紙約5.99枚
 天高く聳え立つ高層ビル群。空にはスモッグがかかり滅多に顔を出さない太陽だが。珍しく紅い空と輝く雲が見える。昼夜問わず聞こえる街の喧騒。無数の電信柱や張り巡らされた道路と人、人、人……。
――今年でここに来てもう五年も経つのか
 宮崎の片田舎を出て、東京でPCの製造会社に就職してから相当な月日が過ぎようとしていた。 入社した当初は毎日余りに忙しく、仕事に追われるとはこういうことなんだなと実感したものだった。最初はまず仕事を覚える事だと思っていたが、それ以前に知識や勉強の日々だった。本当に覚えなきゃならない事が未だに多い。製品の特性、材質の強度や、化学、力学、電気など、自分の専門分野だけでは到底やっていけなかった。
 一年目は工程の勉強の日々だった。二年目は仕事を精一杯するだけだった。三年目は仕事をある程度把握できた。 四年目は開発をする為にまた勉強だった。五年目は開発の苦悩と成功の喜びを知った。
 今日は三ヶ月ぶりのの休日をやっと部長からもらい、品川のアパートのベランダでビール片手に一人酒だった。案外、いきなり休みになるとすることもなく一日中昼寝ばかりだったのが笑える。後した事と言えば、愛車の洗車ぐらいのものだ。趣味ぐらいあれば少しは違ったのかもしれない。しかしそんな精神的余裕など皆無に等しかった。
――はぁ、あっという間だったな
その間に俺は、一切の楽しみを捨て完全な仕事人間になっていた。ただただ毎日が必死で。苦労も多く。休む暇もなく。改めて指折り数えて、もう五年も経った事に今更気付いた。なんだか空しかった。そして良くやったなと珍しく自分を褒めたりした。
 ふと子供達が網を片手に、アパート脇の道路を走っていくのが垣間見えた。男の子達の会話がなんとなく耳に入る。
「でっかい魚がいたってとこ、何処だよ〜」
「ここ曲がって、しばらく行った先のドブ川にさー」
――そうか今は夏休みなのか、子供達はと気付く
 二人の笑い声と足音が遠くにゆっくり消えていく。普段仕事が終わるのは深夜でこの時間帯の近所の風景にも新鮮さを感じる。余りに会社に居すぎて、世間の流れに無頓着になっていた。さすがに社会人として、新聞のトップニュースぐらいには目を通すが、それはあくまで報道からの世間であって、実感は薄い。
――季節感も薄れてきてるんだな
と夕焼けがビルの隙間に僅かに見える景色を改めて眺め、グラスにビールを注ぐ。あー大変だったし、これからも大変だなと思う。
――○×設計書の依頼用のディテール設計して、発注するの溜まってたなそういえば
あっ、いかんいかん、また仕事の事を考えてる自分に気付く。 思わず苦笑いが口元に浮かぶ。
 それにしても、休日に遊ぶ元気もないものなぁ。うちの部署は、電話――
「コンコン、宅急便でーす」
――っ!! 唐突すぎるんだよ
ったく、はて? 誰からだろう? 
思い当たる節がまったくない。訪問販売の新手の手口か?
「はーい」
玄関に向かい訝しげに戸を開けると本当に宅急便だった。背が高くガタイの良い男が額に汗をかきながらダンボールを抱えている。少し大きめのダンボールの差出人を見ると
――母ちゃん?
手早く受け取りのサインを済ませ。ダンボールを貰い、居間までノシノシと抱え戻る。目を瞑り再び思考の世界へ戻る。
――完全に忘れていた
確か帰ったのは、四年前だったかなーうーん。それさえも忘れていた。とにかく相当連絡を取っていないはずだが、何だろうとガムテープを剥がす。ダンボールの中からは、ビール瓶に詰まった何かが10本ほど入っていた。クッション用に地元の新聞紙が隙間なく詰めてある。

「あ 手紙だ」

 優治へ
 
 お前の好きな梅酢送るから
 これ飲んで、魂入れて
 頑張んなさいよ
 
 孫はいつ見せる気なの?
 あんたは奥手だから、
 彼女の一つも連れてこんでぇ
 お見合い考えてるから、暇が
 出来たら、帰ってきたら

 手紙には母の字でそう書かれていた。結婚か。はっきり言って、工業系の仕事場ってのは女性が殆どいないのが常識。かわいい好みの子と出会えるかも! なんて淡い期待は唐に捨てていた。第一そんな暇は俺にはないしな。女っけなど微塵もない職場に慣れすぎて、しばらく考えもしなかった事だった。
 ダンボールからビンを一本だけとりだし、ベランダに向かい柵に持たれ胡坐をかく。梅酢の入ったビンを片手で掴みながら。
――日常が。現実が。薄れてしまわないように
 梅酢のビンのツルツルした手の感触を感じようと勤めながら栓を開ける。するとビンの注ぎ口から自然の瑞々しい香りが空気中に漂った。
――あー懐かしい匂いだなぁ
 梅はうちではまだ青い内に採る。だから梅ちぎりは、結構痛い作業だった。それに木登りしながら採るのが一番早かったっけな。忘れていた子供の頃の田舎の風景が目に浮かぶ。焼酎で割ってしまおうか、と一瞬思ったがやめといた。そんな事をしていたら、味覚まで薄れてしまいそうな気がした。
 台所まで真っ直ぐに行き冷蔵庫から、氷と水を取り出す。子供の頃夏バテの時飲んだ懐かしい梅ジュースを作る。洗い終わって乾かしていた、茶色い箸を取りマドラー代わりにグラスの中をかき混ぜると。
――カラン、カラン
と心地よい音がした。その音を聞いているだけで、心の中の張り詰めていた何かがゆっくりと溶けていくようだった。ベランダにグラスを持ち戻る。立ったまま、夕日にかざすとキラキラと七色に輝いたように見えた。鼻元までグラスを近づけ甘酸っぱい香りをかぎながら、グラスを両手で転がしてみる。休みを一片取って田舎に帰ってみるかなと思ったりした。

――了――
2006-09-11 16:53:41公開 / 作者:vash
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■作者からのメッセージ
初めての投稿になります。
正直な批評をしていただけたら、本望です。
面白いか。解りやすいか。不自然な点などはなかったか。などなど。
さまざまな感想。批評。お待ちしています。
よろしくお願い致します。
この作品に対する感想 - 昇順
読ませていただきました。最後の主人公の心境は想像はできるのですが、心に沁みはしませんでした。日常から解き放たれてほっと一息つく感覚に同調するには、その日常の張り詰めているという感覚を描写によって読み手にもっと訴えかけたほうがいいのではないかと思いました。ちょっと忙しさが伝わりづらかったです。
2006-09-11 21:29:45【☆☆☆☆☆】メイルマン
過酷な環境で仕事漬けになっている割に、主人公はてそんなにお疲れではない感じがします。
俺は何のために仕事をして、何のために生きているんだろう?なんていう後ろ向きなところが
これっぽっちもないし、ものすごく頑張っているはずなのに、自然体。
梅酢のように爽やかな好青年を思い浮かべてしまいました。
お母ちゃんにとっては、都会で頑張る自慢の息子に違いありません。
帰って来なさい、ではなく、帰ってきたら、で終わる手紙に、
息子を信じて待っている、母の深い愛情を感じました。
 音、色、香り、触感の表現がストレートに伝わってくるようなスッキリした文章で、
いやみのない爽やかな作品という印象を受けました。
2006-09-12 00:11:34【★★★★☆】碧
感想、意見ありがとうございます。
>メイルマンさん
この話はほぼ実体験に基づいて書いていまして、辛く忙しい状況を書く描写が抜けていることに気付きませんでした。直接的に言葉として書くのではなく、ニュアンス的な描写だけで伝える難しさを痛感しています。読み手に訴えかけるような、出来事を回想として付け加えるべきだったのかなと今思っています。例えばありえない不良問題でラインが止まり、三日間徹夜付けで体を壊したとか。客先の納入している機械的トラブルで取引できなくなり、謝りに一ヶ月通い続けた描写とか。実際に経験したような出来事を入れるべきでした。これからの作品に生かしていきたいと思います。
>碧さん
やはり冒頭で忙しさや暗さを強調した方が、後の梅酢の爽やかな感じにインパクトがあり繋がりますね。母の優しさとさりげない心の後押しを感じてくれたようで、嬉しいです。現実的な五感の感覚をなるべく入れるように、心がけて書きました。それと文章に心の明暗をはっきり書くようにしていたのですが、どうしても暗い感じで書くのが苦手で、爽やか路線で最後までいきました。後味が悪い感じは自分でも嫌なんで、よっかったです。
2006-09-12 16:44:38【☆☆☆☆☆】vash
 うん、文章表現が安定していないですねえ。冒頭は構えている印象があるし、中盤以降はそれに比べると雰囲気が食い違っているかなあ。エフェクトとして敢えてそうしたというわけではないように思えたんですね。
 と書くと、瑣末の技術論的な話の進行になるようなんですけれど、実はあながちそうでもなくて、こういう作品は自分で自分を見つめるのにどういう角度で光線を照射するか、というのが大きなかかわりを持ってくると思うんですね。それは技巧でもあるし、作品の体裁にするためのフォーマットされた思考でもあるし、もっと作品における底辺にあるものでもあろうと思います。
 といって、底辺にあるべきものがないとか、そういう話じゃないんですね。見つめるまなざしに曇りはないのだけれど、それが安定を欠いている。或いは、計算ずくで振幅をしかけてきたというのとも異なっているかな、ということですね。
 自分で自分を見つめ、自分の中に自分を見つける。自分というのはそうそう軽んじられるものではないのだから、じっくり時間をかけて鉱床を掘っていっていいのだと思うのですよ。採掘されたフラグメントはしっかり実感のこもったものだと推察されますのでね。
2006-09-12 20:56:27【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
えっ、ここで終わり!? と、戸惑った私です。夕景とノスタルジアの雰囲気は、決して悪くはなかったと思います。休日は寝てすごしてしまう、というというのも、私自身、身に覚えがありすぎて(笑)、思わず、うんうん、とうなずいてしまったり。ただ、お話の趣旨を感じ取れたかというと、私はちょっと首を捻ってしまいます。私は、心で感じて読んだというよりも、頭で考えて読んでしまいました。「この作品はなにを言いたかったのかな?」という疑問が読後にふっと浮かんできたので、序盤は頭で読んでいたものの、途中から心で読めるようになり、しかし、結局最後は頭で読んでしまった、という感じでしょうか。個人的には、もう少し展開がゆるやかだったらうれしかったかなぁ、と思います。
2006-09-14 18:40:33【☆☆☆☆☆】エテナ
感想、意見ありがとうございます。
>タカハシジュンさん
正直小説初心者の私めには、難しい技術的な感想でありましてちんぷんかんぷんな文章になるかもしれませんがご了承ください。安定していないということは、文章の並び方がバラバラだからですかね。前半は主人公の過去や頭の中での描写中心、そして後半は梅酢が届く事のよって、現実的な動の描写が多いと。まだ荒削りな所も多いのは、やはり力量の問題かもしれませんね。今後の参考にしたいと思います。
>エテナさん
展開がちょっと唐突すぎましたね。寝る所は共感を得られたようで嬉しいです。^^「何をいいたいか」ですね。メッセージ的な内容かと言われると、そうですね。自分を見失わないように、原点に返ってみると見えることもあるんじゃないか。みたいな感じにしようと思っていたんですが。そうなると、田舎に帰った後の話もいるし、それなりの悩みや葛藤を入れるべきだった気もします。今後の作品に生かして生きたいです。ありがとうございました。
2006-09-15 19:47:53【☆☆☆☆☆】vash
作品を読ませていただきました。私は社会人なのでサラリーマン勤めの雰囲気は知っているつもりなのですが、作品からは四六時中精神を仕事に占められている窮屈さを感じられませんでした。ラストの清涼感を生かすには、もっと主人公の精神的な余裕の無さを表現した方がいいと思います(それによって物語にメリハリが出ると思います)。全体として淡々としていた印象でした。では、次回作品を期待しています。
2006-09-18 09:38:09【☆☆☆☆☆】甘木
 >vashさん
 自分の体験に基づく、というのは、自画像を描くということですね。
 みょうちくりんな表現になりますが、自画像を描こうと鏡で自分を見つめると、自分はどう見えるか。他人には恥ずかしくていえないけれど、他人が見ているよりちっとはイカスように自惚れてみたり(笑) 逆にひたすらヘコんでみたり、ひらきなおったり(笑)
 自分を描くということは、自分をどう見つめるかによるわけですし、自分を見つめるまなざしというのはかくのごとく難しいものですね。
 さらに、自分をベースに小説を書く場合、自分をどのように見つめるかということと、自分をどのように作品にふさわしく演じさせるかという、それぞれの問題をパラレルに解決しないとならなくなりますね。この場合自分とは、作品におけるアクターでもあるし、作品を管轄するディレクターやプロデューサーにもなってくる。そういう様々な要素の中で自分自身をどのように処するのか、そういう部分がまず不足していたかなと。瑣末の技術というのはそういうものががっちりしていれば自ずからついてくるものだと思うので、心配なさらずとも、書き続けていれば上達すると思います。
2006-09-18 10:52:21【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
計:4点
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