『泣き虫』作者:メイルマン / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約20.29枚

 優は一人で留守番をしていた。
 父さんも、母さんも、姉ちゃんも、じいちゃんも買い物に出かけて、誘いを断った優だけが残ったのだった。時計の針が進むのが遅い。今年の春に発売された携帯ゲーム機の電池が切れかかっていることを思い出せていたら、多少の気まずさを我慢してでも一緒に買い物に出かけただろう。じいちゃんの家のどこに電池があるかなんて知るはずもなく、かといって財布に残っている十円玉ばかりの小銭をかき集めても、電池を買えないことくらいは知っている。昼時にアニメやバラエティなんてやっているはずもなく、TVは暇を埋めてくれそうにない。チャンネルを回しながら、おこづかいの少なさを少し呪った。
 優は庭に出た。秋を迎えようとしている庭の花たちは少しくたびれているように見えるのは気のせいだろうか。それでも彼らは鮮やかな彩りを与えてくれた。外壁に密着して手作りだと思われる、三段造りの木の棚があった。その上に、じいちゃんの大切な盆栽が並べられている。もっと小さいときに見せられたときは、じいちゃんが自慢げにそれらを見せる意味がわからなかった。少しは成長できたのだろうか、優はそれらを綺麗だと思った。一番大きなものを手にとると、優の細腕には厳しい負荷を感じたが、角度を変えてしげしげと眺めた。細部にわたって手入れがなされているのを、好奇心をもって観察した。
 しかし優の腕力はふとしたはずみに起こったバランスの危機を挽回できるほどのものではなかった。とっさに膝を曲げ、受け止めようとしても敵わなかった。大量の土が盛られた大きな皿が、庭の小路を仕切るブロック石に激突して割れた。根がむき出しになった木が無残だった。
 この時の優には、他の子供達がこのような場合に持つであろう、ただちにこれを取繕おうとする気力も、じいちゃんの帰りを待って謝ろうとする精神力もなかった。
 優は一目散に家の中に入った。知らず知らずのうちに足は家の最奥の部屋に向いた。日差しの差し込まない暗い部屋。二日前に整理した洋服タンスの中には、もう服が何も詰まっていないことを知っている。優は両扉をあけて、空いていたスペースに乗り込むと、内側から強引に扉を閉めた。闇があたりを満たして、優は自分が疲れていることを認めた。
 内部に残るワセリンの匂いを認めながら、優は徐々に、夢に落ちていった。

 座り心地の悪いタクシーの後部座席から外を見やると、初夏の日差しは惜しげもなく眼下の町に注がれている。最低限の荷物を鞄に詰め込んでから三時間、降り立った空港で見上げた空にも雲はなかった。今夜は良い星空になるんだろう。
 人工的なエアコンの冷気が気にいらなくて、発進してすぐに開けた窓は、顔に当たる涼やかな風を呼び寄せた。それはとても気持ちよかった。教科書に載るくらい有名な港町の風でも、潮の匂いがはっきりと感じられるのは水際に近い地域だけだ。丘の上で鼻に届いたのは紛れもなく、生まれたときから折につけ馴染んできた町の夏の匂いで、その匂いを思い切り、慎ましく吸い込んでみれば、微かな潮の匂いが探し当てられる気がした。
 景観は色とりどりの屋根が並ぶ町並み、良く行く大型のショッピングモール、鱗状に光る川、渡りなれた橋、見慣れた港、出航を待つ船、ただただ海らしい青い海、工場の煙突と白煙。車のそばを軽やかに流れていくガードレールと白線と信号と電柱、家並み、歩道と草木、人、それらの影。首を動かせば町の空には欠かせないかもめがちらほらと視界に入る。
 町は何も変わってない。
 車内にラジオ以外の音はなかった。当たり障りのない、場を持たせるためだけの会話は家を出て、電車に乗り、飛行機に乗って空港に降り立つ過程で全て出尽くした。パーソナリティがゲストのアイドルと楽しげに意味のない会話をしている。まるで知らないアイドルの、甘いだるい声が響く。空気にそぐわないラジオを流す運転手を何とかしたいとも思うが、本来運転手に罪はないし、むしろ誰かがラジオについて言い及ぶこと自体が、この空気にはあっていないのだろうかと察しをつける。
「良い天気ですねぇ」
メーターが90円分上がって――父さんも母さんも姉ちゃんも無言だ。優も、それには答えられなかった。

 ガラス戸越しに、犬が吠えている。
 砂利道続きの私道を奥へ奥へと進んでいくと、揺れの不快感が溜まりきった頃に、集合住宅地に立つじいちゃんの平屋が見える。白く塗装された外壁は綺麗で、父さんが子供のころから建っている家だとは思えない。玄関の隣には青いビニールシートがかかった車庫。家の面積の二倍はあろうかという庭は柵や木や花が雑然としていて、手入れがされているのかされていないのか判別がつかない。
 玄関に続くガラス戸を割りかねない勢いで、コロが吠えている。
 タクシーから降りると母さんの分の荷物も細腕にかけ、ガラス戸を慎重に開けた。コロは名前に似つかわしくない立派な体格を生かしたリーチで、優の肩に前足をかけて立つ。初めてコロと出会った八年前には、一気に駆け寄られて右手にかぶりつかれたこと思い出す。。どアップに迫ったコロに固まる優をよそに、家族はその傍らを通り過ぎて中へ入っていった。ガラス戸を閉めるのを忘れてはいけなかった。尻尾を高速でふったコロが外に出て駆け回り、目にとまった人々に吠えかかるから。
「おぉ、着いた、着いたか」
 じいちゃんがいそいそと出迎えてくれる。訛りをもった声は弱々しい。
 懐かしいじいちゃんの家の匂い。当然フローリングなんかじゃない。優の家に比べるとだいぶ古めかしいその内部。靴下越しでもほんの少し、ほんの少し床がべたついているのがわかる。奥に進むと居間には親戚が集まっている。ほとんどが知らない顔だ。七人もいれば手狭に感じる居間は日当たりが良いはずなのに、どこか重い空気が立ち込めて暗く、違和感を感じる。父さん方のおばさんと目が合った。おばさんは落ちついた表情だったけど、背中を丸めて正座している姿が本来の大柄な身体を小さく見せていた。
 場面は数秒後へとジャンプする。
 父さんが泣いている。人目をはばからず嗚咽している。大人が泣いている、しかも父さんが泣いている。その初めての衝撃に圧倒されて、他の記憶はひどく不鮮明だった。優は正座をしながら、ばあちゃんの顔を見る。死んでいる。これが死んでいるということ。鼻に白いつめものを認めた瞬間、場面はばあちゃんのいる部屋の窓から、家の前へとジャンプした。平屋の玄関前に、じいちゃんが煙草をふかして立っている。その傍らにはコロが尻尾を振って寄り添って――。
 この光景が真実ではないことを優は本当は知っている。じいちゃんはその時、うつろな目で居間からばあちゃんのいる部屋の父さんを見ていたし、コロは日当たりの良いガラス戸の前で老いた体を休めていた。でも、それは優が起きてから思い出すこと。

 コロが綱を引っ張る強さに、以前ほどの力強さを感じなくなったのは、自分の身体が少し大きくなったせいだけだろうか。コロが踏む草の音も息遣いも、何も変わってはいないから、その変化だけが気にかかる。もう歳だと言われ続けながら、コロは元気に生きているけれど。
 物心ついたころにはばあちゃんは入退院を繰り返していたし、じいちゃんの家を訪れるたびにばあちゃんは居間のソファに寝たきりだったから、随分長い間病気だったのはわかる。美味しいものも思うように食べられなくて、トイレに行くのも人の助けが必要なばあちゃんだった。
 近所の公園への散歩は三十分もかからずに終わった。親戚が増えた家の中には置いておけず、コロを車庫のそばの杭につないで、撫でた。コロはきっと、またばあちゃんが病院から帰ってきただけだと思っている。しばらくすればまた家を出て、また戻ってきて、その繰り返しがまだ続くと思っている。コロは尻尾を振って、体を一つ震わせた。
「わん!」
 自分が生まれる前から、じいちゃんはずっとばあちゃんのための生活をしていたと理解する。朝起きて、ご飯を食べさせて、薬を飲ませて、家事を済ませて、買い物に行って、病院にも連れて行って、体も拭いてあげて、希望をかなえてあげていたじいちゃん。
 そのじいちゃんがばあちゃんが死んだ日の話を、繰り返し繰り返し、誰に何度聞かせたかも構わずに、ひたすら語っている。何時に病院に見舞いに行って、何時に容態が変わって。かと思えば何も喋らずにだんまりと、ばあちゃんの傍らで視線をどこかへワープさせている。たくましくて優しいじいちゃんの、そんなところを見た記憶が、頭にこびりついている。

 ばあちゃんの写真はとても綺麗な笑顔だった。
 一番最後に見た白髪の疲れた皺だらけのばあちゃんより、少し若くて黒髪の、上手に化粧したばあちゃんの笑顔が、葬儀の主役になっている。葬式に参加するのは初めてだった。あたりの空気を観察したことを覚えている。身内が死んだにしては皆落ちついていて、でも本当に落ちついているかはわからないから、こういうものなのかとも思う。
 じいちゃんは辛そうだ。式場の一番手前の椅子に背を丸めて座って、反対側のばあちゃんの写真を見ている。はためから見ていても、辛くとも気丈に振る舞おうとしているのが手に取るようにわかることが、その辛さを物語っている。良い寺が借りられて良かったとか、立派な祭壇が出来てばあちゃんも喜んでいるだとか、そんな身内との話ももう尽きて、誰もじいちゃんに話しかけはしない。
――こんなに大人がたくさんいるのに、誰もじいちゃんを何とかしてはあげられないんだ。
 場面がその前日の夜に飛ぶ。
 人数の関係で親戚はじいちゃんの家とホテル組に分かれた。
「今日は疲れたねぇ。おやすみ」
 母さんの声で居間に敷いた布団に入ると眠気が襲ってきたのは覚えている。それでも、ばあちゃんのいる部屋から漏れている僅かな光と、じいちゃんと父さんの寂しそうな、泣き声混じりの話し声は鮮明だ。

 棺に花を詰めた。出棺の音を聞くのは初めてだった。
 火葬場の外はたまらない陽射しだ。ジュースを飲みながら姉ちゃんと日陰に入った。他愛のないことを話した。親戚の大人たちの噂話のこと。誰がじいちゃんの兄弟で、誰がその奥さんで、誰が優しいのか。
「あのおばあさん、皆からなんか嫌われてるよね」
 姉はいじわるな笑顔を見せた。
 白い骨が熱を持って出てきたときは、たまらなく恐ろしかった。ばあちゃんがこんな姿になった悲しさとか、怖さよりも、じいちゃんと父さんの反応が恐ろしかった。どうしてじいちゃんと父さんが恐ろしいのか、その時はわからなかったけれど、優は今理解した。自分がじいちゃんや父さんの立場になることが、恐ろしかった。大好きだった人がこんな姿になる気持ちを想って、二人の苦しさが今にも伝わってくるようで、それが恐ろしかったのだ。
 親戚を含めて箸は機敏に、遠慮がちに、正確に動いた。手術を繰り返したばあちゃんの身体の中にあった針金のようなものを、じいちゃんが拾い上げるのを見た。
「ああ、これが留め金だぁ」
「ああ、これかぁ」
 じいちゃんと父さんの、どういう会話なんだろう、これは。優には想像できなかった。二人は極力、事務的に作業に努めようとしているようだった。
 じいちゃんを一人家に残していくのは忍びないと思った。けれど荷物をまとめて、またタクシーに乗り込んだ。後部座席からいつまでも、じいちゃんとコロに手を振った。悲しい時間が短くなるから、少しでも手を振っていたいと、頭の片隅で思っていた。簡単に家が見えなくなって、砂利道の振動だけが残った。

 3ヶ月後の最近に場面が飛んでいる。
「優ぅ、良く来たなぁ」
 そう言って出迎えのじいちゃんが笑う。
 再び訪れたじいちゃんの家で、コロの姿は額縁の中にしかなかった。ばあちゃんの写真の横で、とぼけたくりくりの目が光っている。
 家の大掃除は大変な手間だった。近所の店でカーペットを買って、新たに居間に敷いた。舞った埃のイメージが強すぎて、がらりと変わった居間にも綺麗なイメージは抱けなかった。古いカーペットには、コロの毛が無数にこびりついていた。優は悲しい思いになった。
 じいちゃんは一人きりのこの家で、一目でわかるほどやつれていた。いつの間にかお経を覚えていて、仏壇の前で独り言を言うようになっていた。
「ばあさん、皆来てくれたぁ、来てくれたよぅ」
 それでも前に来た時よりはだいぶ食べるようになったし、だいぶ喋るようになった。墓の下見とか仏壇仏具の買い物、ばあちゃんが死んだあとの処理は精力的にこなしていたし、何よりお供え物を買ってくることだけは欠かさなかった。じいちゃんはこうやって、一人でばあちゃんとコロのいない時間と空間を過ごしてきたんだろう。
 時々は将棋をした。じいちゃんはものすごく強くて、手加減された一回以外勝てなかった。じいちゃんは気晴らしが出来ると喜んでいた。言葉の端々で、じいちゃんが自分を好いてくれていることがわかった。家族でずっとじいちゃんと一緒に行動した。少し足を遠くまで伸ばして、海産物で有名な街へと行った。車の中はあまり楽しい会話がなかった。期待された夕飯は美味しくなかった。
 じいちゃんは少し怒りっぽくなっていた。買い物をしていたスーパーの店員の対応が悪いと怒った。運転中、他の車の些細な割り込みにも怒った。TVの中のタレントにさえ怒鳴り声を上げた。そうしないと心を保てない。仕方ないことなんだと優は理解した。
 バランスをとらなくちゃ、気持ちが沈みこんで二度と起き上がれないんだ。

 じいちゃんがこちらに向かって怒鳴っている。じいちゃんの目が、こっちを睨んでいる。じいちゃんには怒られたことなんてなかったのに。原因は自分だ。仏壇の横の押入れを整理していた。小さい自分が押入れに登って、色々な物を取り出した。年季の入った人形も、埃を被った日本中のおみやげの数々も、介護の手間の中ではなかなか整理に取り掛かる気にはなれなかったろう。汚れた写真立ての中で、じいちゃんとばあちゃんとコロが一緒に写っている。息を吹きかけ、埃を払った。
 押入れから降りる時に体勢を崩した。わざとじゃなかった。床には自分が取り出した品の数々が軽率ながら散らばっていて、それを避けるために体勢が崩れた。倒れこんだ先には、蝋燭や線香や香炉、鈴などを乗せた台があった。何がどうなったのかわからない。場面が数秒ジャンプした。
 台の傍にあった、ばあちゃんの小さな写真を足で踏んだんだ。
 台の上のものはぐちゃぐちゃに散らばった。じいちゃんが何を叫んだのかは正確にはわからない。覚えていないのではなくて聞き取りにくかった。
「何をするんだこのぉ――!」
 激昂だった。取り乱しているようにも見えた。口から泡が飛んで、じいちゃんの顔はおそろしいくらい真っ赤になった。目がつり上がって殺されるのかと想うような形相になった。
「ごめんなさい! じいちゃん、ごめんなさい!」
 心臓が喉にせり上がった。頭がくらくらした。自分のしてしまったことが、ショックすぎて後を引いた。
 もう話しかけることなんてできなかった。気まずさが残った二日前のそれきり、じいちゃんとは口をきいてはいない――――。

 映像が、途切れようとしている。
 じいちゃんは辛いんだ。でも頑張ろうとしてるんだ。それは知ってる。じいちゃん、かわいそうなじいちゃん。
 そして自分はそういうことに対して、何の力も持っていないんだ。
 自分がそういうじいちゃんの心を乱してしまったことは、じいちゃんに孫を怒鳴らせてしまったことは、取り返しのつかないことなのかもしれない。ばあちゃんがいなくなってしまったことのように。
 一体どうしたら良いんだろう。一体どうすれば良いんだろう。
 映像は完全に途切れて、夢が消えていく。

 優は目覚めた。目を覚まして初めて夢を見ていたことに気づいた。どのくらい寝ていたのか判断できない。窮屈な格好で寝ていたので、身体が若干痛かった。
 闇の中で誰かが自分を捜している声を認めて、それでも優は起きたままの体勢でそこに止まろうとした。盆栽を壊したことは、起きた瞬間に思い出していたから。
 ところがやがて思いがけず、闇の中に縦に一本の光が走った。誰かが部屋の電気をつけたのだ。あっけなくタンスの扉が開かれて、眩しさに優は顔をしかめた。じいちゃんだった。
「おぉ、居たのか」
 慣れ親しんでいる優には愛着がもてる訛り声で、じいちゃんは言った。優は言葉を返せなかった。
「居た居た、見つけたぞぉ」
 じいちゃんは部屋を出て、居間へと引き返していく。優はその後を追った。身体からワセリンの匂いがする。めかしこんで遠出する機会がずっとなかったばあちゃんの服には、ワセリンの匂いがこびりついていて、それを処分するときには家族皆で泣いた。
 もう夕飯時だった。料理が作られる匂いと音が聞こえる。居間に足に踏み入れた優の目に飛び込んだのは、新しい受け皿と大きな盆栽の木、それに土が入れられた袋だった。それらが古びた低い机の上に置かれている。じいちゃんはその机の前の椅子に座って、受け皿の上に木を立たせようと土を盛りはじめる。
「それ、ごめんなさい。ダメにしちゃった……」
 限りなくか細い声で優が言うと、じいちゃんは安心させるような訛り声で言った。
「なぁに、問題ない、皿が割れただけだから、移し替えれば良いんだ。大したことねぇわ」
「でも、枝も折れちゃってる」
「なぁに、良いんだ」
 じいちゃんの、盆栽に向かい合ったままの横顔が少し笑顔になる。
 その「なぁに」は強くて優しい。
「ごめんなさい……」
「いいっちゅうのに」
 じいちゃんは声を出して、何でもないんだよという風に笑った。
「隆史、この机な、ばあさんがずっととっておいたんだぞ。おれが捨てろって言っても聞かねえんだもの」
 じいちゃんがソファに座っている父さんに言う。
「おれが小学生のときに使ってたやつじゃないか」
 机には、何かの落書きが判別が難しいくらい薄く、小さく書かれている。
「これはとっておくんだ、って言ってなぁ」
「へぇー」
 父さんは感慨深げに机を見つめる。
 優はなんだか泣きそうになった。それを知ってか知らずか、父さんが口を開いた。
「なにさ優、これ壊したのえらいことしたと思って隠れてたのかい」
「違うよ。暇で眠くて」
 言い訳は苦しかった。じいちゃんはいたずらっぽく、優のほうを向いて笑う。そのくしゃくしゃの、じいちゃんの方が泣きそうな皺まみれの笑顔を見て、優は目頭が熱くなった。
「優ぅ、泣いてるのかい」
 じいちゃんが言う。
「泣いてないよ!」
「おぅーい、ばあさん。優が泣いたよぉ。泣き虫優が泣いたぁ」
 声はとても明るく響く。
「泣いてないってば!」
 どうして涙が出るのかわからない。こんな気持ちになったことなんてない。
 母さんも姉ちゃんも、家族が皆笑っている。何故か幸せな気持ちになる。ちっともわからない。ばあちゃんは死んで、じいちゃんがかわいそうなのに、皆が笑って幸せだなんて。
 こみ上げる思いをどう名づければ良いのかわからないまま、優は涙を拭う。なんだこれ、なんだこれ。じいちゃんの声はばあちゃんに聞こえてしまっただろうか。
 秋の冷たい風が窓を僅かに揺らした。確実に進んだ針が八時を指そうとしている。
 盆栽がしっかりと立つまであと少し。


<了>
2006-09-06 09:35:38公開 / 作者:メイルマン
■この作品の著作権はメイルマンさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
読んでいただいた方ありがとうございます。
ご感想、ご指摘、ご批判、何か一言でもいただければ本当にありがたいです。
(1)純粋に面白かったか。
(2)時系列の理解も含めて、わかりづらい描写、想像の及ばない部分はなかったか。
(3)ラストの主人公の心理に同調できたか。
の三点にも触れていただけるとありがたいです。もちろんそれ以外のご指摘もお待ちしています。
どうかよろしくお願いいたします。
この作品に対する感想 - 昇順
優ちゃんと一緒に泣きました。
目覚めた後から、作品に一気に引き込まれました。
短い会話と、飾らない言葉だけで、
主人公の言葉に表現し難い心や、
黙って見守っていた家族の温かさを見事に描写していると思いました。

2006-09-06 11:40:22【★★★★★】碧
読ませていただきました。

面白かった否かと聞かれれば全力で「面白かった」と答えます。
風景や心情の描写など小説を書くのに必要な技術が総じて平均以上に高く安定した文で、最後までじっくり読むことが出来ました。
しかし自分より技術が上の人に対して重箱の隅をつつくようで心苦しいのですが……気になった点もいくつかあります。
作中で場面が数回ジャンプしますが、これは優の夢の中だからでしょうか?
だとしたら効果的な描写だとは思います。
ただ、じいちゃんの家で父さんがばあちゃんを前にして泣いている場面のあとにじいちゃんが煙草をふかして立っているところへ場面がジャンプしますが、このシーンが必要なのか疑問に思います。
ここがあるために前後の時系列で少し混乱してしまいました。
あとは「場面がジャンプする」という言葉の繰り返しも気になりました。
意図して繰り返しているのかもしれませんが、それまでテンポ良く読めていた所にこの文が入るといまいち座りが悪い気がします。
他の表現を使ってもいいかもしれません。
特に「ばあちゃんの小さな写真を足で踏んだ」辺りではそう感じました。


もう一つ。
私の家が田舎なのでじいちゃんの家を割とリアルに想像しながら読んでいたのですが、葬式は自宅じゃない場所で行われていますよね?
フローリングじゃないような古めかしい家なら、ある程度の広さがあって葬式も自宅でするのではないかと思いました。
事実私の祖母や村の人たちの葬式はそうだったのですが……そのため少し違和感を感じてしまいました。
いや、まぁ、私が勝手に想像してただけなんですが。
自宅外で葬式する方も当然いるだろうし、第一じいちゃんの家が田舎だなんて本文には書かれてないですしね。
適当に聞き流して下さい。
ばあちゃんが骨になった辺りは自分の祖母の葬式を思い出して泣きそうになりました。
最後の優の心理も共感できます。


面白い作品を読ませて頂いてありがとうございました。
次回作も期待しています。
2006-09-06 16:49:33【☆☆☆☆☆】七つ色
お読みいただきありがとうございます。
>碧さん
ご感想ありがとうございます。主人公の心のうちを読み取っていただけたようなので、一安心しております。読み手が主人公が泣くということに違和感を覚えられたり、その感覚に同調できなかったりすることは意図するところではないので、一緒に泣いたというコメントは大変嬉しいです。家族の様子も想像していただけたようで、場の雰囲気作りはまず成功したのかとも思っております。
今回、久々の投稿で少々緊張しておりましたが、ご感想がいただけて嬉しい限りです。ありがとうございました。

>七つ色さん
ご感想ありがとうございます。重箱の隅と仰いますが、読み手が違和感を覚えてしまうとしたらそれは私の望むところではありませんし、改善の余地が残っている箇所でもあるのでご指摘の方、大変嬉しいです。夢を見ているということを前提にした描写をしたので、「これは夢なの?」と思わせてしまったことはちょっと手痛い失敗かもしれません。ご指摘を受けた箇所は書いているときにちょっと悩んだところだったので、余計な違和感を与えてしまったかと少し困りました。もう一度考えて見ます。「ジャンプ」が流れを妨げるとは思っておりませんでした。ご指摘感謝いたします。葬式に関しては私の祖父が住んでいた田舎(とはいっても町なのですが)で、寺を借りて広めの場所で行った記憶をもとに書いたのですが、物語の根幹に関わる部分ではないのでちょっと予想外の違和感です。そこらへんの事情を説明するべきかどうか。骨の部分はちょっとあざといかとも思ったのですが、そういう匂いがなかったようで良かったです。最後の心理に共感できたという言葉が何よりも嬉しいです。どうもありがとうございました。
2006-09-06 23:38:25【☆☆☆☆☆】メイルマン
(3)の部分に限らず、全編の心理はほぼ同調できたと思うので、(1)の回答もまた、『面白い』というよりは、主人公としみじみ同調できたことの嬉しさがあった、そんな読後感です。
さて(2)の観点だと、『場面がその前日の夜に飛ぶ。』や『3ヶ月後の最近に場面が飛んでいる。』といった硬質な表現が、主人公の意識内というより作者の都合による説明に思えてしまう、そんな違和感を感じました。夢なのですから時系列はもっと錯綜しても不自然ではないのですが、その転換をどう当人の夢らしく繋ぐか、ですね。私はむしろ『ジャンプする』という表現のほうが少年の主観に近いと思ったのですが、こちらもやはり多用しすぎかと。
それから、夢の最初のシークェンス、最後にようやく家族と同乗している旨の描写が出て、それまでただ主人公の視線や感覚をのみ克明に追っていた身には、やや唐突感がありました。『むしろ誰かがラジオについて言い及ぶこと自体が、この空気にはあっていないのだろうかと察しをつける。』のニュアンスを生かすためには、その前に『誰か』の情報を、入れておく必要があるかと。つまり(2)の時とは逆の意味で、主人公の主観(これはとても巧みと思います)と、作者の『作品の外に』語る意識のバランスが、釣り合っていないように感じました。
色々指摘しましたが、このモチーフの情感は、素敵です。
2006-09-07 02:40:12【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
 叙情、情感、そういうものを感じられる良作だと思います。取り立てて奇抜なところのない、だけれどもそれだけにしみじみと感じるもののある、そういう事柄に丹念な視線を向けた作品だと思います。
 ただまあ、ここまで表現力が達してしまうと、もう非常に小さな領域での彫塑が避けては通れないと思うのですね。例えば秋の庭の花、とだけ書いておしまいにするレベルじゃないと思うんです。具体的な姿を思い浮かべ、具体的な名を出すか、その様子を描写するか、その作業を行う中で、主人公が見つめるべき花であるのかそうでないのかという判断が生じるし、それによってその花を見つめる主人公とはどういうものであるのかという逆流の造形も生まれ得る。そういう意味において、今一歩踏み出さずに留まった感がいくらかの部分において、なくもないです。
 
 そして、構成の錯綜というより、別の要因によって、作品がやや散漫に見えるのですが、それがこの作品の心棒をどこに置くべきかということではないかと思うのです。僕はそれは盆栽だと思う。エピソードが多岐に渡っていて、その中に盆栽が埋没した印象がありますね。僕は、短編は幾何学的だと考えるのですが、この作品は長編の発想で短編を書いた部分があるのかもしれないと思いますね。
2006-09-07 07:28:54【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
初めまして。完成度の高い作品に意見すると言うのは難しいのですが、敢えて。まず、おもしろく、優に共感できました。しかし、夢がどうしても引っ掛かります。少し長すぎると思ったこと。夢の中で語った部分で、例えばおじいちゃんと気不味くなった部分は冒頭に出してしまってたほうがすっきりするんじゃないか、と素人考えですが思ったり。あまり参考にならない意見ですが……。
ほろりとさせられる作品でした。では、また。
2006-09-07 21:10:32【☆☆☆☆☆】ミノタウロス
ご感想ありがとうございます。
>バニラダヌキさん
同調していただけたようで嬉しく思います。ご指摘の点は言われるまで硬質感にも唐突感にも気がつきませんでした。確かに作者の説明くささや違和感が出てしまっています。夢を見ているということをまだまだ自然に表現できないところ、主人公の世界と感覚のどこをどのようにして伝えるかの判断と方法が未熟なところは私の実力不足と反省するところです。最後の情動のためには大部分を占める夢の場面が重要なので、避けて通れない課題を一つでも提示していただいてありがたいです。
ただこの情感が(例え誰しもが想像したことのある、同調しやすいテーマと密接に関わる感覚であったとしても)伝わって素敵だと言っていただけたことは、まだまだ改善の余地があるこの作品の中でも伝えたかった部分は成功したと考えて良いと受け取らせていただいております。いつもご感想本当にありがとうございます。

>タカハシジュンさん
ご感想ありがとうございます。主人公に同調してもらうためには主人公の状況の理解と主人公の思考の理解、そしてその感情を匂わせれば足りると思い、細部の映像的な説明は極力少なくなりました(狙ってやったわけではなく、取捨選択のうちで自然と)。最低限の読み手に任せる情報に加えて、主人公の印象に強く残った映像を組み合わせていけば展開としては十分だと思いました。感覚的な部分で書いていったのですが(だから自分で気づかない違和感が生まれたのかもしれませんが)、例えばその一歩踏み出さなかったことによって読み手がどんな感覚を受けるかがわかれば良いのですが、ちょっと自分では判断できないようです。
またちょっと考えすぎなのかもしれませんが、エピソードを多岐に渡らせて、その一つ一つに感じ入ってもらう意図は私にはありませんでした。あくまで状況の説明とラストの感覚への下準備、そんなイメージがありました。ですので読みきった後にラストの主人公の感覚に読み手の情動が収束する、そんな意図がおそらく成功していなかったように(ご感想から深読みして)思えます。これはやはり自分の力不足によるものです。こんなことをあとづけで言うのは反則なのですが、盆栽を完全に心棒に置いてしまおうかという考えが投稿直前に思い浮かびました。けれど、私が描きたいのはあくまで最後の感覚でした。盆栽のエピソードは「壊れてしまったものから立ち直る」イメージでじいちゃんの心象にも重なる部分があるけれど、ばあちゃんは「なぁに」で済ませられるようなものではないという私自身の主観から、あえて印象付けを強くする必要はなくそこから読み手が何か感じ取るならそれでも構わないと考えました。ですので作品の散漫な印象を与えてしまうのは、やはり最後への収束が不完全であることの証拠かなとも思っております。
ご感想を本当にありがたく思います。またよろしくお願いします。
2006-09-07 22:35:59【☆☆☆☆☆】メイルマン
ミノタウロスさん、ご感想ありがとうございます。
参考にならないなどとんでもございません。書き手からすればわからないことだらけですので、作品から感じた感覚を伝えていただけることは大変ありがたいことです。夢の長さについてですが、読み手に蛇足な、必要のない情報だと捉えられた文章があったため長く感じさせてしまったのかと思います。皆さんの感想を読んでみて夢の造りが甘いということが身に沁みましたので、重要な構成自体(夢の順番)を含めてまだまだ検討する必要があると感じています。
ご感想ありがとうございます。
2006-09-07 22:47:07【☆☆☆☆☆】メイルマン
作品を読ませていただきました。
(1)ですが、頭では理解できますが、感覚では理解していないと言うのが本音です。それは作品そのものに問題があるのではなく私自身が祖父祖母との接点が弱かったため、優が持っているであろう肉親(両親)を超えた存在(祖父祖母)に対する遠慮とか親しみとかが感覚として理解できなかったことに起因します。故に純粋に面白かったかと問われると、分からないと言う答えしかできません。
(2)時系列はバニラダヌキさんも指摘されていますが現実と夢の境界をもっとぼやかしてもよかったと思います。「ジャンプ」「場面が飛ぶ」などの明確な表現が、物語のギヤチェンジを唐突なものにしているように感じられました。映像ならば違和感がないでしょうが、文章だと冒頭で持っていた雰囲気を徐々に変化させる(読者に気付かせることなく変化させる)方が読者を作品世界に引き込みやすいのではないでしょうか。夢の持つ幻想感や異常さは現実の延長線上にあるものだからこそ、現実との境目を曖昧にすることで祖父への感情変化を楽しませるという手法もあったと思います。
(3)は(1)で書いたように、私には実体感のない存在(祖父祖母)の話のため同期はできませんでした。
(1)〜(3)で色々書きましたが、些細な日常の中から生み出された感情のぶれは面白かったです。長々と戯れ言失礼しました。では、次回作品を期待しています。
2006-09-08 00:39:26【☆☆☆☆☆】甘木
甘木さん、ご感想ありがとうございます。
話を作ろうとしたときに、読み手の人にそれぞれの祖父母を当てはめてもらった方がいいかと思いまして、祖父母が本来どういう人物であるとか、主人公とどう関わっているのかを説明しない方が良いと思いました。同調してもらうために、主人公自身がどういう人物かも極力描かないで、なるたけ読み手自身が主人公に同化して、話を追いながら状況を把握できないかとも考えて書き始めました(常に意識して書いていたわけではありません)。ただご感想をもらって、あらためて作品を見返してみて考えて、余りにも難しすぎることを意識してしまったという思いもします。これならば三人(特に二人の)係わり合いと人物像をもっと描いたほうが良かったのではないかとか、そのように人物を確定させて描くことで、必ずしもラストの心象が伝わりづらくなるとは限らないのではないかとも思っております。そうすれば甘木さんのような接点の弱い方にも楽しんでいただけたかもしれません。
夢を描く際に余りぼんやりした描写をするよりも思考と感情と映像の骨子を確実に描いて、場面をさっと飛ばしたほうが夢らしいかなとも思ったのですが、こうも皆さんの印象との乖離がひどいとまずいです。皆さんの感想を参考にしてもうちょっと、というか大幅に夢の部分の(とはいえ大部分ですが)表現を変えなければならないかと思っております。
と、このように角度を変えて作品を考えることが出来るようになる感想は、私は決して戯言などとは呼べないのです。どうもありがとうございます。
2006-09-08 03:00:36【☆☆☆☆☆】メイルマン
 感想を書きに来ました。
 タイトルの『泣き虫』というのはつまらないです。メイルマンの名前じゃなかったら読まないです。全体を通して結びつく単語なら納得できるけれど、そんな風には感じないです。私が単語をタイトルにもってくるなら、今書いたように全体と調和する単語で、さらに、聞きなれない「えっ」と思わせる目に留まるようなタイトルにします。
 他の方も挙げている時系列入れ替え時の文章のまとめ方ですが、入れ替え時に固有の『技名』のような言葉をつけてみたら面白かったのではないかな、と思うのです。今の文体だとそれが浮いてしまいますが、全体をコミカルにしたら気になりません。情緒に欠ける分をコミカルに回すことで成立させるのです。このひとり語りの形式を利用すれば、寂寥を必要程度には維持させることができます。
 最後に、父が泣く必要があったのかわからないです。ラストの場面で父も登場させるのなら泣いていないほうがよかったのではないでしょうか。登場させないならそれでもよいとは思いますが、このタイトル『泣き虫』を最大限に生かすためには優だけが泣いている構図が一番適当だと思いましたです。
(1)こういう話は面白いとは思わない(ジャンルの問題)。
(2)わかりづらいところは別になかった。むしろ、良かった。
(3)できる。
2006-09-09 12:54:57【☆☆☆☆☆】模造の冠を被ったお犬さま
ども、お久しぶりです。
文体もしっかりしており、描写も、文の流れも、申し分ありません。ただ、面白いか否かと聞かれれば、正直「普通」と答えるほかにありませんでした。
シーンとしては面白いのですが、これ単体で完結と考えると、どうにも面白いとは感じることが出来なかった、というのが本音です。まぁ、好みの問題が大きく出ているとは思いますが。
少々酷な言葉になってしまいますが、あまりにも普通すぎたのが敗因かと。
辛口な感想で申し訳ないです。

ではでは〜
2006-09-09 18:42:08【☆☆☆☆☆】rathi
どうもご感想ありがとうございます。
つまらないタイトルですみません。タイトルがクローズアップされるとは思わなかったので、自分で納得できるタイトルであれば構わないと思っていました。他に適格だと思うタイトルが思いつかなかったので(盆栽は浮かびましたがやはりつまらないですよね)、主人公のことをさしている泣き虫で良いと思いました。タイトルが作品を生かすとは思ってはいませんでした。作品がタイトルというただの記号を生かすと思っていました。作者のセンスに大きくかかりますし、このタイトルは特に生かされていませんけれど。
ちょっとコミカルな形というのが思い浮かばないのですが、私はひとり語りの形式で書こうとしませんでした。結果的にそう受け取られているのは不本意ですが、一応夢は三人称で書いたつもりです。
技術的な、技巧的な問題は本人に自覚がなくてもあとづけでいくらでも語れますが、父が泣いているという状況に主人公がショックを受けたということがわかれば良いし、加えて主人公の心理を少しでも想像してもらえれば良い、くらいで書きました。タイトルが「泣き虫」であったから父が泣いたことが必要ないと思われたと解釈していますが、確かにこれはそうですね。本当は最後の感覚に名前をつけられれば良かったんですが、それができませんでした。これはクラウンさんの感想の本旨とはずれると思いますが、私は必要である必要ではないで作品を作ってはいません。というか作れませんし、たとえできてもそういう風に作品を作ると私自身が楽しくないと思いますから。
私の知らない視点からの感想、ありがとうございました。
2006-09-09 19:03:49【☆☆☆☆☆】メイルマン
どうもご感想ありがとうございます。
正直に言いますと、これまでに登竜門でいただいたどんな感想よりもショックを受けております。私が書きたかったのはラストの一シーンの感覚なのですが、それをあまりにも普通すぎたと言われると言う事は、rathiさんが感じた面白いが私の伝えたい面白いではないという技量の問題か、そもそもこの伝えたいこと自体が本当に普通すぎる感情なのかという私のセンスの問題かという話になります。技量の問題でセンスは問題ではないということなら、私の筆力が本当に雀の涙ほどもないということですし、センスの問題で技量自体はそれほどの問題ではないとしたら、私自身の心の動きをくだらないと評価されたようなものです。両方足りないなら憤死ものです。どうか技量の不足でありますように。
ご感想ありがとうございました。
2006-09-09 19:21:49【☆☆☆☆☆】メイルマン
作者メッセージのおかげで非常に感想を書きやすくなったので、感じたままを書いてみようと思います。
(1)純粋に面白かったか。→これに関しては普通でした。面白くなかったわけでもなく、かといって「面白かった!」というわけでもなく。わたしには、場面ごとにもう少しボリュームがあったほうが(文章の量というか描写の量というか)面白く――というかすっぽりと物語のなかに入っていけたような気がしました。
(2)ありませんでした^^分かりやすかったです。
(3)同調できたかどうかは微妙です。ただ安堵感のようなものを感じました。言葉にならないような、「ああ……」(涙の笑顔付き)といった感じの。すぐ上のレスを読んだ後にこの感想を書くのもちょっとだけ躊躇われたのですが、わたしはどちらかといえばセンスの問題のような気がしました。でもそれはメイルマンさんの心の動きがくだらないという評価のつもりではありません。わたしには、ごくありふれた、けれど何かあたたかいもの。そんな印象の「普通」でした。あんまりにも漠然としているというか、あやふやな物言いですが、素直な気持ち。これがわたしの感想です。
2006-09-09 20:00:39【☆☆☆☆☆】ゅぇ
 ええと、多言駄弁を弄することに後ろめたさを感じつつ。

 メイルマンさんのレスを読んで考えたのですが、うん、このスケールの収束になると、短編ではなくて長編サイズになってくるのではないだろうかとも思うんですね。自分の手の中にこの素材があるとすると。場面の転換のある作品は特にそうだと思うのですが、やっぱりコンパクトでなしに、ある程度枚数をかけると展開の進行に余裕が出てくるというというのもありますよね。説明に量を傾けるという短絡的な発想ばかりでなく。何ていうんでしょう、ディテールの顕在化というのも、読み手が展開を思い浮かべてスウィングする中での余裕のひとつでもあると思うんですね。ただ、描写の水準を高めることは読み手のとっつきやすさとはどうしても反比例しますから、僕ならばそれでもかまわないほうを選んでしまうけど、反対を選択すべきかもしれないですね。
 何ていうんでしょう。下賜じゃないんですね(笑) 感想をつけて差し上げるというのは僕にとって忌むべき態度で、テクストを肴にああでもない、こうでもないと語るのが僕は好きなのです(笑) 読み手と書き手と、いずれが一方の奉仕者になるなんてとんでもないことで、僕はfairnessとequalityをもってその関係性を結びたいと思います。少なくとも、ものつくりの人間同士の間においては。批判とかアドバイスとは趣が違うことを御理解いただけるとありがたいです。

 さて、それはそうと、他人様の作品で他人様の意見と意見に反応するのもどうかと思ったのですが、しかしちょっと唖然としてもいます。
 この作品に珍談奇談の類はない。感情の振幅も極めて凡庸である。だけれども、そのことが欠陥であるとは僕は全く考えません。僕は、書き手が自分の心に兆す情感を素直に、率直に、装飾なくまた無意味な陶酔なく見つめ、描き出そうとした作品であると思います。
 珍談奇談の全てがそうだとはいわない。だけれども、殊更に奇妙奇矯なものを描こうとする書き手の態度は、自分の心に照らし合わせて全く素直ならざる情感を、歪曲して、装飾だらけで、しかもその自覚なく筆走ってしまいがちです。その恐れを知っている書き手ならば、珍談奇談を用いるにあたってはむしろ常以上に凡庸さというものに対して慎重に、真摯に向き合うはずだと思う。
 純粋な読み手、生涯に於いて小説を書こうなんてこれっぽっちも考えたことのない読み手ならば、またどうかはわからない。だけれども、同業の人間で多少ともこの作業に練達していれば、書き手がどういう心底で、どういう態度で、自分の情感やものを書く姿勢と向き合っているのかそうでないのか、一読してわかるものです。書き手が隠しておこうとする部分までも見通せるものです。そこにものを書く本当の恐ろしさがある。そして、であるからこそ書き手のものを書くという態度それ自体に心動かすという本当の楽しみがある。
 もちろん、作品と読み手である自分自身とが、いつも情感をリンクできるわけではない。それは作品の巧拙とはまた全く別次元の話の場合も多々ありますね。良作、傑作であることを知りつつも情感が重なり合わないということは読書生活の中ではごくあたりまえのことです。また、そんなものを求めるのは僕にいわせればファナチックだ(笑) 自分自身でさえ長い年月の中で常に情感を振幅させている。むしろ、自分の情感とフィットしてしまう作品との邂逅が奇跡的であるとさえ思います。だから、自分が理解できない=この作品は悪い という発想はどうにも理解できない。軽薄でさえあると思います。
 書き手は、作品を理解してもらうために全力を傾注するものです。それはリアルライフにおいて自分自身を理解してもらうために力をつくすのに等しい。そして、リアルライフで自分自身が万人に理解されることも、また万人を理解することも不可能であるのと同じように、それが立派な人間であれ立派な作品であれ、理解や共感ができないということはありふれている。そのときに書き手は媚態を示すべきなのか、また読み手は書き手に更なる媚態を求めるべきなのか。僕はそういうのは冗談じゃないですね。読まれないこと、理解されないことに対してはやむをえない。だけれども自分がそれに費やした尽力に胸を張って毅然としていたいと思います。そしてそういう想いがあるから、逆の立場に回っても、短絡的で浮薄に断じるということをせぬよう自分を戒めたいと思いますね。
2006-09-09 20:14:38【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
一番言いたかった感想を忘れてました。

『盆栽がしっかりと立つまであと少し』という一文が、一番一番だいすきです。技巧的にどうこうではなくって、とにかくこの一文に心を持っていかれました。 
2006-09-09 20:18:11【☆☆☆☆☆】ゅぇ
ゅぇさんご感想ありがとうございます。
文章のボリュームですか、確かにもう少しあった方が良いかも知れません。どんな場面を書くか自体が手探りでしたし、それがどの程度ならどのような印象を持たれるだろうか、という予想が全く出来ないままの投稿だったのですが(他の人ってできるんだろうか。苦手なんだけれど)、そういう感覚的な部分を教えていただいてありがたいです。
ちょっとこれを言うと自信過剰だと思われて怒られるかもしれないんですが、最後に主人公が感じている感覚を思い浮かべたとき、私は「ああ、良いな」と思ったんです。なんと呼べばいいかわからないんですが、素敵な、何か揺さぶられるもののある感情だと思ったんです。例えば「主人公がコンビニに行くまでの過程を描いて、目当ての商品がなくてがっかりしたところで終わる」作品があったとします。私はその感覚は普通だと思います。良くあることじゃん、と。だからそのがっかり感を小説に書こうとしてる人はいないと思うのです。普通ですから。でも私は最後の感情が普通とは思わなかった。何かしら、ちょっとしたいつもとは違う感覚があると思ったのです。だから「普通」はちょっとこたえました。けれど言い方というのは難しくて、他人の「普通」がどんなものかは把握できないんですよね。けどゅぇさんの感想を見ると、ああ、どのくらいかはわからないけど伝わってはいるのかな、と思えました。そういう言い知れない、良くわからないけど切なくて安心して尊敬して(この形容自体に自信を持ちづらいのですが)、そういう感じのものを表したかったです。
あとこれはかなり嬉しかったんですが、最後の一文は私も大好きなんです。この一文思いついたときはものすごく感動しました。自分のイメージした情感に自分で心を持っていかれました。なんてことを話していると本当にあほみたいなんで、自分の実力不足を嘆きつつ失礼します。
どうもありがとうございました。
2006-09-10 01:24:35【☆☆☆☆☆】メイルマン
 タカハシさん、どうもありがとうございます。
 ああ、なるほど。確かに読み手の余裕を考えれば、そういう細かな部分の表現も検討してみる必要がありそうです(スウイングするというイメージがタカハシさんと合っているかいまいち自信がないのですが、なんとなくイメージしてみました)。情報の少なさは描写が巧みでなければ読み手への不親切につながると思いますから。描写の水準を高めるということが具体的にどんな状態かわからなかったのですが、ちょっと私の描写の水準を高めるとは違うと思います。私は反比例しないと思いますので。難しい表現を選択するということなのでしょうか。
 感想は下賜じゃないですね(笑)。主観の問題ですから他者との違いは如何ともしがたいですが、下賜ではなくて親切です。それも自分にも利益がある、あるいは満足感が得られる、感想を書く側にも都合の良い親切です。おばあさんがハンカチを落とします。男性が拾って渡してあげます。おばあさんがお礼を言わない、または財産のほとんどを投げ打ってハンカチの恩に報いるのは正しいか。男性が拾ってやたんだから恩に報いろと言うのは正しいか。それだけの話ですよね(外形的には。内面はどうであろうと良いです)。何が批判とかアドバイスとは趣が違うのかという、対象がわかりませんでした。
 作品を読んで、ああでもないこうでもないと語るのは私も好きです。楽しいですから。
 さて、ちょっと疑問を感じていますが、私も意見に反応してしまいます。「同業の人間で多少ともこの作業に練達していれば、書き手がどういう心底で、どういう態度で、自分の情感やものを書く姿勢と向き合っているのかそうでないのか、一読してわかる」、というのは本当でしょうか? そこまできっぱりと断言されてしまうと、実は自分がまだそういう作業に練達していないだけで、本当は一読してわかるものなのかぁ、なんて錯覚を起こしてしまいます(笑)。私なんかは色々なタカハシさんの感想を見て、作品への技術的な指摘には同意することが大いにありますから、そういうこともあるのかと信じてしまいそうになりますけれど。そうではないでしょう。向き合っているか向き合っていないかという問題は、それが赤か赤ではないかというような、証明可能な問題ではないですから。赤は皆が赤だと証明できます。ですから、「私はある色が赤かどうか一目でわかる」と言う人が本当にそうであるかどうかは皆が判断できます。けれど「私は幽霊が見える」という人が本当にそうであると、誰が判断できましょうか。私はテレビで霊能者を見るたびにうさんくさいと思います。「貴方の肩に霊が乗っています」「ええ、やっぱり! 何か肩に感じるものがある。先生は本物ですね」「当然です、見えますから」なんてやりとりが冗談でなくあったりするのですから。でもどうして誰も霊能者を糾弾しきれないかというと、霊がいないということを誰も証明できないからですよね。「いると言ったらいるんだ」と言われれば、はいそうですかと引き下がるしかない。失礼ですがタカハシさんのその感覚も、そういう類のものだと思います。証明不可能ですし。「同業で多少ともこの作業に練達している人間」の大半が、「いずれわかるようになるものだよ」と主張すればまだ少しは信じられなくもないと思いがちですが、多少とも練達している人間の基準が曖昧なので、「わかるようになると主張する人=練達している人」、「わかるようにはならんだろうと主張する人=練達していない人」なんて構図が成立しかねません。また、向き合っていないと判断された人が「ええ、向き合っていませんでした」ということもあるかもしれませんが、向き合っているという状態がどのようなものかについて、それを判断される者と判断するものとの間に確かな共通の理解が存在するのでしょうか。抽象的すぎると思います。私はその判断は、皆がわかるような共通性のない、甚だ主観的な判断であると思います。 外形的な基準のない、個人的な思いだけで成立してしまう判断です。
 「書き手のものを書くという態度それ自体に心動かすという本当の楽しみ」というのはタカハシさんの楽しみですね。他の方の楽しみとは一致しないと思います。だって練達しないとわからないものを楽しむことなんてほとんどの人はできませんし、練達している人がたくさんいるならば、小説のスタンダードな楽しみ方がそれになっているはずですから。でも私の考える限り、小説のスタンダードな楽しみ方はそうではないと思います。だから書き手が自分の情感やものを書く姿勢と向き合っていないと言う事を指摘するときは、「わからない人もいるかもしれないけれど、ある程度練達するとわかる私の感覚に基づいて言います。書き手のものを書くという態度それ自体に心動かすという小説の本当の楽しみ方ついて言えば、この作品は書き手が自分の情感やものを書く姿勢と向き合っていません(だからダメだ)」となりますよね。その感想は自分の主観の価値基準を絶対的に信じて、作品を評価していると同時に自分の正しさを主張している感想だと思います。私は嫌いなんです。○○だからダメだという風に、作品を評価するという行為が。評価するという行為は、小説に評価の基準値がない以上、自分自身の感覚をもとにしかできないですから。そしてそれが正しいなんて、その人の価値基準が正しいなんて誰も証明できないんですから、言ってるほうは自分の感覚に基づいて言いたい放題できるんです。自分が正しいと好き放題言えるんです。答えがないから。そういう答えのない主張を、読み手同士でやるのは面白いんですけどね。書き手に対して言ってしまうと、それは先導であり教育でもある。先導も教育も、対等なfairnessとequalityで結ばれた関係ではありえない現象です。「評価」がアマチュアの間で成立するとすれば、評価の受け手側が評価する側をよほど信奉していて意見を信じるという、対等な関係ではない場合だけだと思います
 ですからタカハシさん。私はその考え方を到底支持できませんし、そういう視点を感想欄に書き込むこともありえないと思います。
 普通の人が作品を楽しむ上で必要のない、作者の姿勢に目をつけ、その姿勢が感じられない作品はダメで、その姿勢が感じられない作者は上達していかないなんていう、それが正しいかという確証を誰も掴めない事柄を、自分の判断を元に作者に指摘している。それが正しい判断だという確証がない以上、私にはそれが「自分が一番正しいんだぞ」という主張の押し付けに思えてしまうんですね。そしてそういう主張が、タカハシさんのような、言葉を持った実力的にも初心者とは離れた場所に到達している方が、こういう初心者も多くいて、上達の道を探っている人が多くいるサイトで語られることは、大変危険なことだと思います。
 理解できないから悪い作品だと考える人はよほど偏屈な人でなければたぶんあまりいないと思うので、きっとはわからないものはわからないなぁ程度に思ってくれる人は多いと思います。そんな時、媚態というとちょっと言葉が悪いのですが、書き手が読み手のほうへ近づいていくのが正しいと私は思います。
 何のために力を注いだのか。読み手に理解してもらうため。何のために読んだのか。作品を楽しむため。
 もちろん近づいていくにつれて理解して欲しいことが変質してしまっては本末転倒ですけれど、私は近づいていきたいのです。私の作品を理解して欲しいから。
 ご感想ありがとうございます。
2006-09-10 13:19:13【☆☆☆☆☆】メイルマン
夢を夢と割り切って乾いた映像を目指されたのかもしれませんが、この夢の部分が作品の大半であるため、「純粋に面白かったか」と問われると個人的に物足りなさが残りました。個々の人物像が薄いとでも言いましょうか、もう少しバックグラウンドが欲しかったように思います。わかりづらい箇所は全くありませんでしたが、強い映像が残りませんでした。人物像の薄さに加えて、主人公が「ゆうちゃん」でなく「まさる君」である、と確信できなかった点も画が描けなかった原因のひとつ(笑)。
(3)については、同調とまでは行かなくとも理解はできたつもりです。ちなみに私が一番同調できたのは「留め金」のシーン。あのような会話をする二人の心理、それを不思議に思う子供、いずれも。この場面が一番好きです。
2006-09-10 14:36:30【☆☆☆☆☆】明太子
 まあエスパーや幽霊ハンターじゃないんだから、確かに書き手の思うことなんて見通せるはずはないんです。誤読のない読解もありえない。そこは正しい(笑) ただ、どういう「態度」で向かい合っているかというのはまたちょっと次元が違うんじゃないかな(笑) ぼんやりとだけどそういうものって見えちゃうときがあると思うんですね。まあ見えた見えないは不毛だからいいや(笑)
 少なくとも、ものを書くというのは、そういう部分を読み取られてしまいかねないリスクはあると思うんですよ。それこそ幽霊話みたいだけれど、僕はもうそういう恐怖体験なんて何度もあって(笑) 書くことが精神的なストリップだと錯乱してアタマ抱え込んでた時期もありましたねえ。そのうちどの道脱ぐしかないんだよなって開き直ったけど(笑)
 怖いですよ。シャレにならないくらい怖い。書くのって。つくるのって。ここで作品投稿するのもそうだし、今こうやってハラの中さらけ出すのもね。それはビギナーも熟練者も関係ないんじゃないかなと思う。飽きたら怖くなくなると思うし、そういう恐怖がなくなったら僕は筆を折るだろうなあ。

 正しさについてもね、メイルマンさんの言うことは正しいと思いますよ。でも僕らって、つまるところ、自分にとって正しいかどうかでしか最終的にはものが言えないんじゃないかしら(笑) 大体今これがそうだしね(笑) 
 他人様を支配する気なんてさらさらないけど、自分にとって正しいことを言う、表現するというのはそういうリスクと隣り合わせというのは身につまされてわかりますね。
 利口者ならばさ、それはやらないで黙ってる(笑) バカは口にして損をする(笑) でも文芸のコミュニティで世故長けて老練であるより、青臭いほうがナンボかクリエイターとして本道じゃないかしら(笑) 言いたいことを言えない人間は、書きたいことは書けないだろう(笑) それは、自分にとって正しいことを主張するということが、表明するということが、どんなにか苦しく切ないことであるかを身をもって知っていればこそではないでしょうか。それがあるからこそ、愛でる心も、そうでない心と共に湧いてくると僕は思うな。でもまあそれこそ人それぞれ。でも僕にとっては人それぞれというのは自分の旗幟を曖昧にすることとは違うんだな(笑) リアルライフでそれやったら生きていけないですよ(笑) でも文芸のコミュニティではそういうことが許されてほしいという願望はありますね。
2006-09-10 17:03:01【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
……難しいことは言いません。私は相手になにを求められようが、自分のできることだけをやります。……それでもいいのでしょうか。
まず、私も多分、メイルマン様のお名前でなければ読まなかったような気がします。ごめんなさい。
それから、いろいろと皆さんのご意見もたくさんあるんですけれども、皆さんのご意見もまともに読まないまま自分勝手に感想書かせていただきます。ごめんなさい。
最初のサボテンを割ってしまうシーンから感じていたことなのですが、優ちゃんというのは、押入れに隠れるくらいですから、そんなに大きな子ではないですよね。まして大人ということもないでしょう。それなのに、文章がかなり大人びていて、あれ? と思いました。この子を主人公にして書くなら、もうちょっと柔らかい文章の書き方のほうがいいような気がしました。優ちゃんの考えることも子供らしいといえばらしいんですけれども、文章のどこかに必ず大人の視点が混ざっているような気がします。
あと、優ちゃんの親戚はともかく、家族の皆が本質、温和であるのかないのか、そのあたりがはっきり分からなかったように思います。おばあさんが死んでしまうという悲しい出来事ゆえなのか、会話も少なかったですし、どこか優ちゃんに対してよそよそしさがあったように思えました。本当は家族の皆は優ちゃんに対しては優しいし、温和なのでしょうか。
バニラダヌキ様ともかぶりますが、『ジャンプ』の多用は私も気になりました。
最後、余談になるんですけれども、私はどうも最近動物キャラに弱いらしく、コロちゃんが可愛くて可愛くてしかなかったです(笑)。「わん!」なんて鳴かれたらもう、愛しくて愛しくて……。実際目の前に犬がいたら逃げますけどね(笑)。目の前にいるわけじゃないから可愛いだけで。そばにいたら怖ろしいだけです。ぶるぶる……。
2006-09-10 18:16:02【☆☆☆☆☆】エテナ
ご感想ありがとうございます。
>明太子さん
夢の場面が濃密でなくても最後の感覚を理解してもらえるのでは、という予測自体が誤りだったと思います。最後の感覚を感じてもらえるには、バックグラウンドをしっかりと描いていなければ難しいのだなぁと、皆さんの感想を見て反省しております。強い映像を夢で残したくないとは思ってました。作品を読み終わって感じて欲しいのは最後の部分でしたから。けれど強い映像を残すのとしっかりと描写するのは別の問題ですよね。むぅ、また勉強になりました。ちなみにすぐると読む人はいるかもしれないとは思っていましたが、まさるは予想していませんでした(笑)。
どうもありあとうございました。

>タカハシジュンさん
「見えた見えないは不毛だからいいや」という姿勢でよろしいんでしょうか?
例えば誰かが誰かに親切をして感謝され、時には何かの見返りを受けたとします。それが偽善といえるかいえないかは、誰にも判断できませんし、逆に誰もが判断できる、不毛な判断です。タカハシさんがやっているのは、「そういうものが見えちゃうときがあると思う」といって、色々な人の親切な行為を、偽善である行為か偽善ではない行為かを判断して、偽善でなければ良く、偽善は良くないと評価する行為です。そういった「見えちゃうときがある」という実感を、タカハシさんは今まで親切な行為をしてきた中で誰かに心中を見透かされ、偽善であると見抜かれた経験があるのかもしれませんが、だからといってそれが本当に見透かされていたかは定かではないでしょうし、タカハシさんが見透かせる証拠はありません。
問題なのは、それを「偽善だからだめだよ」と伝える行為です。確証のない自分の信仰、判断の押し付けをすることです。
向き合っていないという言葉が、事実とは全く違ういいがかりになる可能性を認識していらっしゃいますか? その向き合っていないという言葉は、そんな言いがかりになる可能性、リスクがあったとしても読み手に伝えるべき事柄なのですか? その判断を下せる自信がありますか? その判断のもとになるのは、「見えるときがあると思う」という思い込みではないですか? そして自分は正しいと思うことを言うという方針は、そういう言いがかりになってしまう可能性を考慮してもなお、貫いていかなくてはならないようなものですか?
私が言いたいのはそういうことなのです。その言いがかりの根拠に納得できないときは尚更です。

>エテナさん
ちょっと書き方がおかしかった、残念だったと感じるのは、初めは三人称で始まりますけれど、夢の中でも主人公の視点に移行したつもりはなかったんです。ただ主人公の心情を「○○と思った。○○と感じた」といちいち表すのが硬いかと思って、そういう言い方を少なくしようとも思って地の文での感情の説明が多くなりました。エテナさんの感じた違和感は、そういった書き方に由来するのでしょうね。うーん、反省材料です。
家族のことにしてもジャンプのことにしても、感想があるから私がそういうことに気づいて改善していけるのですから、私が感謝することがあっても、エテナさんが謝る事なんてありません。
どうもご感想ありがとうございます。
余談ですが私も犬は昔苦手でした。けれどいざ噛まれそうになったら蹴ってやれば良いや(笑)という精神で触れ合ってみますと何とかなりまして、自分に親愛を示してくれるようになると可愛くて仕方なくなりました。コロもモデルはいますね。それでは失礼します。
2006-09-10 20:28:52【☆☆☆☆☆】メイルマン
 ああなるほど、そこをメイルマンさんはおっしゃりたかったわけですね。自分の見えること、或いは信じるということが単なる言いがかりか。なるほどな。
 まあ確かにそうでしょうねえ。確証なんてないしね。言われた方にしたらたまったもんじゃないわな(笑) わかりました。控えましょう。
2006-09-10 20:57:59【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
切なくて、安心して、尊敬できる――ですか。そうだなぁ、わたしは「切なくて安心して、そしてとても大切で美しいもの」そんな感じが、わたしのなかで一番しっくりくるかもしれません。
あほみたいとおっしゃっていますが(笑)、自分自身で感動できる一文があるということはほんとに素敵で、幸せなことだと思います。「これしかない!」と思える一文とか、そんな表現が出てきたらとても嬉しいと思います。

ついでに「普通」っていうのの基準が、こんな話をしているとちょっと分からなくなるというか、不思議なものに思えてきました(笑)普通なんだけど、特別(←何かもうわけわからんこと言ってるなと思うんですが、何となくニュアンスだけでも伝われば……笑)。ありふれているんだけど、崇高なもの。わたしがこの作品で感じた「普通」というのは、そんな感じの「普通」であるように思います。
2006-09-11 01:59:50【☆☆☆☆☆】ゅぇ
どうも、お返事が遅くなりました。
すみません、色々考えてみたんですが、。例えば人の死を描いた作品があって(ゅぇさんが昔書かれた戦闘機乗りの話とか)、それは作者が訴えかけたいことが「普通」ではないですよね。けれどその作品で読み手の感情が大きく動かなければ、「普通」の悲しい話になっていまいます。でも読み手の感情が大きく動けば、普通の話ではなくなりますよね。訴えかけたいことがたとえありふれたものであったとしても、読み手の感情が大きく動けばそれが「普通」と思われることはあまりないと思うのです。
まぁ色々考えても仕方がありませんので、今回の足りないと自覚できた部分は次に生かしたいと思います。皆さんのご感想が本当にありがたかったメイルマンでした。
2006-09-13 00:39:37【☆☆☆☆☆】メイルマン
 初めましてでしょうか。遅ればせながら拝読しました。
(1)面白いではないですが、しみじみ色々感じられました。
(2)ありませんでした。むしろ解りやすいです。
(3)最後よりも中盤あたりがやけに優とシンクロして仕方なかったです。

 普段思い出しもしないようなことがゴリゴリ記憶から捻出させられるような文章というのは久しぶりだったような気がします。
2006-09-14 23:21:58【☆☆☆☆☆】水芭蕉猫
どうも初めまして(でしょうか)。ご感想ありがとうございます。
しみじみ感じられたと仰っていただいて嬉しいです。中盤のあたりは同調にはあまり気を払っていた部分ではないのですが、お言葉をいただいて嬉しいです。最後のあたりにもっとシンクロしていただけるようにしたいと思います。
こんなに後ろに来てからも読んでいただけるのはありがたいです。次回、次々回ともっともっと良い作品を描いていけるように努力しますので、今後ともよろしくお願いします。
2006-09-15 21:44:36【☆☆☆☆☆】メイルマン
計:5点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。