『バタ』作者:模造の冠を被ったお犬さま / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 こころはバタだった。魂もバタだった。躯さえバタだった。溶け合うふたりにしてひとりが冥闇(くらやみ)から脱したとき、そこに何を見るか。
全角4984文字
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バタ

 それは冥闇だと云えよう。
 冥い冥い冥い冥い冥い、冥い闇の中に私は居る。冥闇はしゅっぽりと私を包み、皮膜となって侵す。冒す。犯す。その快楽に身を任す。委ねる。揺蕩う。冥闇に抱かれる。堰き止めようのないドーパミンが無秩序に駆け巡る。

 滑らかに過ぎる肌理すらない?き手腕は頬を伝う。
 蔭なる蔭なる舌、ちろちろと這い出ては喉を侵す。
 濡れる、光亡き瞳が雫を垂らしながらじっと視る。
 芋虫のごとくにふくらとした下唇に首筋を舐られ。
 呼気を感じるほど近くに、臭気を鼻腔に吸引する。
 肌が粟立つ、その凹凸を愉しまんと指腹が纏わる。

 溶けて蕩けて恍惚。
 まっしろが滲みてゆく、冥く深く濃く鮮やかに漆?へと。たぷりたぷりたぷたぷりたぷたぷたぷり、たぷり浸かる。甘い匂い病気のような苦しくて力む呑みこめど甘い。
 流るる時間、刻まるる鼓動。遊ぶ耳朶に確かな時間をふと聴く。私が鳴らす心音が私を和ませる。心地良いビート。
 鼓動は定められた回数のみ鳴らすことができるカウンタ。蟲も、獣も、翼を持つものも、鰓を持つものも、葉緑体を持つものも、等しく一定値まで心を震わせる。薇のように、そう、薇のように巻かれた分だけ動く玩具。平等に巻かれるかちかちかち、かちかちかちかち、鳴らすどくどくどく、どくどくどくどく。大きく長きを生きるものたちは躊躇いがちにカウンタを積み上げ、小さく短く生きるものたちは爆ぜるようにカウンタを数える。
 闇にも鼓動がある。どっ──1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、25、26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、36、37、38、39、40、41、42、43、44、45、46、47、48、49、50、51、52、53、54、55、56、57、58、59、60、61、62、63、64、65、66、67、68、69、70、71、72、73、74、75、76、77、78、79、80、81、82、83、84、85、86、87、88、89、90、91、92、93、94、95、96、97、98、99、100、101、102、103、104、105、106、107、108──くん。長く、殆ど永い、その鼓動が私の鼓膜を打ちその意味を私が解したとき、私は反響板のように全身で震えた。狂喜に打ち震えた。冥闇は生きている。命あることがひとりきりの験ではなかった。私と同罪が在る。
 この冥闇は戮すことができる。
 耳を澄まして地を這って目を凝らして音源へと震源へと泅ぐ。冥闇の核が、心臓と呼べる中枢があるはず。大切なものは隠匿されている。重要なものは仕舞われている。深くを濳る。冥闇の懐を濳る。
 液化した冥闇の張力が強まり、私を反発して押し戻して拒む。禁断の果実を口にしないよう。禁忌の箱の蓋を開けぬよう。不可侵なる聖の神殿に足を踏み入れるよう。
 小賢しい。闇風情が。私は人間だ。

 到達す。
 点どくんどくん波紋どくんどくん中心どくんどくん。
 共振する。きょうしんきょうしんきょうしん、きょうしん?
 私が冥闇と共振する。私が? 冥闇と? 共振する?
 私がいつ冥闇になった。冥闇がいつ私になった。
 波長が違う。巨きな冥闇の永い鼓動が私の心音と共振する道理などない。
 何処だ。本物。贋物は。在る。求めるは。ドコダ。
 冥闇を握る。心臓を握る。掌握する。支配、コントロールする。征圧する。統制する。屈服させる。隷従させる。意のままになれ。
 腐泥のような冥闇が私を腐肉にする前に、この無限を測り出し、内側から破り出る。
 心音が乱れる。乱れて冥闇との共振が外れる。
 どくん……どくん……どくん……どくん……。
 ……どくん……どくん……どくん……どくん。
 贋物。贋物でもいい。本物を模した精巧な贋物。逢いに来た。何処に居る。
 冥闇の、闇の向こうに、そこに在る、心音の音源、鼓動の震源、これは、これは、これは。ひとりのひと。
 腕を伸ばす頬に触れる。空いた手で自分の頬にも触れる。鼻に触れる。自分の鼻にも。唇に触れる。自分の口にも。眼に触れる。自分の瞼にも。耳に触れる。自分の耳にも。頸に頸に。肩に肩に。腕に腕に。胸に胸に。腹に腹に。腿に腿に。膝に膝に。脚に脚に。
 これは私だ。
 近似ではなく同一。完全なる一致。頬も鼻も唇も瞼も耳も顎も肩も腕も胸も腹も腿も膝も脚も。そこに私が居る。
 眼の前に私が居るなどとは馬鹿げたことを云う私だ。無明無音の冥闇の中でついに狂ったか。
 私とは。この意識、この感覚。識ることと感ずること。認知するのみの物理的な要因はないとしたところで、この私を崩すことはない。意識も感覚も共有した覚えはない。共有しようと想わない。私は私として生まれる。私は私として生きる。そこに不純物の混じる要素は不必要だ。不必要であるどころかそれを許せば私である理由を無くす。私ではない私を生かしたところで何を得られるというのだろう。それはレウコクロリディウムに寄生された蝸牛のようなもので、私の躯がタクシー代わりに利用されているに過ぎず、運賃を払ってもらえないのであればドライバーにメリットはない。否、そうではない。そういう話ではないのだ。問題とするのはふたつの精神がひとつの躯に同居するのではなく、躯が、見える形で私の外部に存在するという不可想議について考えるときだ。否、正しい。これまでの考察は正しかった。精神がふたつ在ろうが躯がふたつ在ろうが話は変わらない。自己認識においてそれが外部にある状況は同じくしている。私なる存在が私以外から語りかけてくる、そのようなことがあれば私が崩すことはなくとも自壊する。私が私でないのだ。自我の消失、自己崩壊は避けられない。
 私は狂っていない。しかし、狂うのは時間の問題か。
 冥闇の触手が伸びる。私の頬を撫で回す。優しく甘く温かく柔らかに。冥闇は私の手をとる。曳かれてゆく惹かれてゆく。ひとりのさらなるひとりへ奥深くに。
 罵倒し嗷議し裏切った私に、冥闇は欲しいものを与えてくれる。孤独のための牢獄を提供してくれる。深く深く深く、冥闇の急所を突くためでなく弱点を握るためでなく。深く深く深く、こころの闇に通ずるまで。オーガニズムに至る引きこもりに専念する。
 ──侶伴。
 声。透き通った吟声のような。反芻するように内耳で木霊する。
 私の声しかし私の咽喉からではないしかし他に誰が居るというしかし確かに聴いた。
 コーリング、呼びかけ。私の音声が私の咽喉から発せられたのでないなら自明なこと。眼の前の私から放たれたのだ。
 ──誰?
 問いかけるは、私。
 ──その問いは詮無い。芽生えてからの感覚領野、己以外を受理したか。
 応えるも、私。
 冥闇。冥い。冥闇に人格を与えたのは誰だったか。冥闇に役割を与えたのは何故だったか。冥闇が底冷えするほどに優しさに溢れ甘きに過ぎるのはどうしてか。ひとりぽっち。ひとりぽっちだったから。人形遊びをするように。ストーリィを紡いでは。無邪気にじゃれ合い。共に悦んだ。私をふたつに分断し不便な障壁を横たわらせ手馴れない不器用な意思疎通を図る。自分自身と。他人と誤認するため。
 ──誰?
 再度訊いた。返答はなかった。
 冥い冥い冥い冥い冥い、冥い闇の中から浮き上がる。胸に空気を送り、浮上する。すーはーすーはーすーはー。吸う吐く吸う吐く吸う吐く。呼吸する。空気を入れ替える。換気する。浮かび上がる。上昇する。水中の気泡。ぐんぐんぐんぐんと上昇する。躯が輕くなる。潰れていたこころが膨らみ始める。
 瞼を開く。
 眼を開けても冥闇が広がっていることを想うと恐かった。恐ろしかった。本当の冥闇を視てしまうのは退路を断ってしまうことだった。だから眼を瞑った。避けた。逃げた。退いた。
 視界は漆?なれど嘆くことなし。手を伸ばせばそこに居て私と同じ顔ならば想像すれば良いだけのこと。
 触れる慈愛を込めた掌で私が私を人肌を血の通った熱の篭もった私という名の他者。口端が吊り上がった気がして挑まれている挑発を試されている試練をにやにやにやにや意地の悪く円舞曲。
 抱く。抱かれるのではなく。踊る。心躍る。魂の片割れとこうしてひとつになる。Hug。Hold。Embrace。幻想ではない液体、冥闇ではない液体、体液がふたりを包む。私と私は同性であるがために障害となるものは果たして在るものか。愛しければ自分を抱く。愛している。愛している愛している。初めて逢った外部。逢えて良かった。愛しくて愛しくて仕方ない。甘美を。官能を。

 同じ皮膚を持つもの同士、肌はとてもよく馴染む。
 唇を襲ね躯を襲ね求め求められ止められもせずに。
 生き写しの瞳が互いの瞳を映して瞳の私を愛する。
 舌を絡ませ指を絡ませ表皮の境界線を塗り潰して。
 こころも躯も魂も襲ね合わせて一体となり同化し。
 愛して愛して愛して愛して愛して変わらず愛する。

 溶けよ熔けよ鎔けよ解けるまで。
 願いは聞き届けられる。叶う。絡めた指先。組んだ脚。交わる視線。ずぶずぶ、ずずぶ。絡めた私の指先が私ではない私の手の甲に沈んでゆく。ねらねら、ねねら。組んだ四本の脚がゲル状となってそれぞれ一本化する。じりじり、じじり。熱い視線で溶け出した眼球は繋がる。愛する愛した私。
 外部は消失した。
 一緒になりたいと願った。嬉しみも哀しみも共に経験しようと想った。それが。
 人類の願いとは何故いつも愚かなのだろう。さらに愚かしいことに、何故その愚かしさに気づくのは叶ってしまってからなのだろう。
 冥闇の中でひとりだった。ひとりきりだった。冥闇に人格を分け与えた。本当を見ないために眼を瞑った。冥闇と戯れた。心音が聴こえた。冥闇を完全に支配下に置くことを考えた。私に逢った。冥闇が幻想と識った。眼を開いた。私を抱いた。私は忘れていた私を取り込んだ。
 結果。結果、またひとり。結果、ひとりきり。結果、ひとりぽっち。振り出しに戻る。
 失った。私を喪った。喪失した。絶えた。堪えられない。誰よりも理解してくれる私であったのに。赦せない。
 この私を戮してしまった。
 狂ってしまえるほど無責任ではなくて壊れてしまうほど脆くはなくて。赦せなくてやるせなくて切なくて哀しくてそれでも永遠は終わらなくて。そんなとき、どうしたらいいのだろう。
 冥くて。
 恐くて。
 心細くて。
 ひとりが厭で遊んだ冥闇も、また惑わかされるのが厭で翫べなくて。恐くて瞑っていた眼も、また瞑るのが恐くて瞑れなくなって。そんなとき。
 冥闇に穴が空いた。
 それが何かわからなかった。視たことがなかったから。晄だった。眼に刺すような晄だった。
 そこに遺体が、私の死体があったなら往かなかったかもしれない。私が私の中にあって、その私が「往け」と命じたから私は晄に向かって泅いだ。私のために泅いだ。生きるために泅いだ。必死だった。冥闇を無我夢中で泅いだ。
 苦しい息が続かない初めてだ冥闇の中で息が続かなかったことなんて。今まで生きていたことが嘘のように、今、生あることが苦しい。逃げてきた今までと立ち向かうこれから。
 頭が痛い頭痛がする。割れるようでなく締め付けるように。破裂すると感じた。柔らかい頭蓋骨など当てにならないと感じた。脳漿が煮詰まる感覚がした。

 冥闇が拓けた。
 別世界。晄、晄、晄、晄に満ち溢れる世界。音がある。響く。
 皓。純皓。冥闇に似た優しい声。きちんと鼓膜を打つ。
 希望が在る。未来が在る。可能性が在る。
 私、視えるか。聴こえるか。
 『在る』とはこういうことだったのだ。

 私は
 哭く意味を識る。
2006-08-19 13:23:51公開 / 作者:模造の冠を被ったお犬さま
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 何者だコヤツ、と驚きながら読み進めて、ああコヤツならばやりかねんと思った(笑) 言語性に対し俗として毒されていない、いやそうでなく、言語性にどうしようもなく付帯する毒された定形としての毒を解毒する、重力に抗う浮遊感。凡庸に感じ、凡庸に「物語」を享受して凡庸にそれを吐き出すしかできない精神の地平には決して届くことも、指先を伸ばすこともできない異世界であり、当たり前の世界。
 ここにある、常識の範疇としての因果の連鎖の崩壊、つまりはわかりにくいこと、何を言いたいのかさっぱりわからないということ、それを、その謎を、読み解こうという気はさらさら起きない。それは食べ方が違う。ただひたすらに奔放な言葉の連鎖、細かいモザイク紋様のさざめく姿、その有様を前にし、呆然と唖然と眺めやるだけだ。そしてその感触が心地いい。後背にある鋭い、切り詰められたイメージに圧倒されるのが心地いい。

 これを書きたい、そう思う時、待ったをかけるもの、それは非常に俗悪な、他人に理解を求めることであるとか、よりいっそう俗悪な、他人に理解してもらうために媚態をつくすとか、そういう心根になる。
 それを取っ払う。しかも功名心を感じない。蛮勇。それを見る。それが実にいい。
 宿命。この作品においてどうしようもなくつきまとうもの。それは帰結するということ。ラスト、帰結している。ところがこの作品は決して帰結しないもの。敢えて散漫な言葉で言えば堂々巡り。力学的に渦を巻くエネルギーが、そのはじまりも見えなかったものが、「終わる」 でもこれは多分目には見えない或る極めて厄介な世界を抱えてしまった表現者にとって、額縁を付与しなければならない、作品を作るということの逃れられない拘束でもある。終わらないものを終わらせている、そのことと、そのことの不自然さを覚えつつ、だけれど何ら終わっていない、決着などついていないことを類推する。そうあってほしいと思う。だから読了後のそれは願望。

 俗悪な意味において、「わかるか」と問われると、「わからない」と答える。だけれども、「わかる」ことを敢えて「わかる」として書くというのは、人生の無駄遣い。だったらもっと楽しいことをする。わからないものに対して全力で言葉を、文章を当てはめていく。それだから文学は楽しい。だから、この作品を読むことも、今これを書いていることも、僕にとっては自分の文学の本道を歩むことに他ならない。
 この場で、こんなことを書いているのがたまらなくうれしい。この場でこんなことを書ける日が来るとは正直思っていなかった。
 もうしわけない。例によって、こんなものを書いてしまうとこの後レス続かないかもしれん。承知の上で危惧しなお、力を傾注してこれを書く以外に遇する術知らず、やむなく。
2006-08-19 14:53:05【★★★★★】タカハシジュン
 まるで知らない物に触れてしまいました。簡単に言えば新世界、しかし、どこか心覚えがある世界でもあります。私はきっと、この物語の真意を十分の一も理解出来てはいません。しかし、確かに心に残る物はありました。これを感想にしてみたい。正直、これは挑戦です。
 その作品は、悉く私の「小説」と言う定義を破壊してくれた様に思います。何と言うか……この作品は「絵的」にも優れている様に感じます。言葉の流れ、語句の選択、繰り返し。そしてそれらを言葉としてでなく、一つの形として見た時。本当に流暢で美しく、正直、私は激しく嫉妬しています。素晴らしい小説、文学作品だと思います。
 世界、思想が深すぎるが故に私はこの小説に感想を書き込む気がありませんでした。しかし、タカハシ様の感想を読み、「書かなくては」と思いました。私もこの世界に触れたい! と強く望んだからです。とても読者冥利に尽きる作品だと思います。
 私は音楽でも小説でも、常に「永遠に楽しめるもの」を探しています。過去に読んだ本、聞いたアルバム、全て何年か経って聞き直すと物足りなく感じます。当然です。既にその内容を熟知してしまっているのですから。ありえない事だからこそ、それが私の夢です。
 この話は私のそんな夢へと向かう扉を開いてくれた気がします。私の知る世界はあまりに矮小で俗物的なものだった様に感じます。
 今の私の心中を素直に伝えられる力が無くて残念です。鬱の様な、恍惚とした様な、はたまた涅槃でも見た様な。
 嬉しく思います。悔しく思います。
 溶けよ溶けよ溶けよ解けるまで。
 深い言葉ですね。私は、最後の『解ける』とは束縛からの解放、平常心への帰還なのかな……と考えました。真意は知りません。ただ、こうして考えるのが至極幸せです。
 ありがとうございました。多感な時期にこの様な作品に出会え嬉しい限りです。モラトリアムな今だからこそ、私は喜び嫉妬できる。
 さてさて、気付いたら感想云々より自身の事を書いてしまっていました。なんだか申し訳ありません。やはり、私にこの話の細部に突っ込む度量はありません……。ただ漠然と全体を眺め、感性を頼りに書きなぐる事が限界で。それでも、私は今、この空間に立ち会えた事で自己満足に浸っています(笑)
 すいません。そしてありがとうございました。
2006-08-19 19:37:17【★★★★☆】仁科
 感想ありがとうございます。でも、そんなイイモノじゃありませんよ。あんまり褒められるとテレるし、勘違いして天狗になってしまうじゃないですか(笑

>タカハシさん

 オー? ノーノー! ワタシ、ショタイメンデ−ス。と、いうのは冗談として。この書き物、「タカハシさんの目に止まるだろうなー」とは感じていましたよ。タカハシさんが登竜門に来たばかりのころ、意図的に言語と辻褄をブラした書き物がありましたからね。伝えたくても齟齬ばかりで三分の一も伝わらない、そう嘆いているのも聞きました。だったら始めからブラしておいて伝えたい部分にスポットを絞るという方法は、そんなに難しくなく辿り着けるチェックポイントです。この方法のおかげでいろいろと自由ができましたよ。冒険もできました。できうる限りのものを詰め込めたので満足しています。一本槍で勝負してしまっているから、感想も一個ぐらいかなと予想していたし、それでいいやと思っていました。
 【わからない】って、タカハシさんの感想もワケワカランよ。ね、もう。この書き物の感想を書くのは容易ではないだろうけれど、こんな手放しで褒められたらリプライも書きづらいよ。うーん。【わからない】で停滞せずに一歩も二歩も進んでもらえているだけで書き手冥利に尽きるというか、感謝しています。

>仁科さん

 そんな肩肘張ることはありませんって。真面目な人間ではこんな書き物しませんよ。
 『絵的』という評価、嬉しく思います。小説には視覚的な表現も必要であるし、それはまだ開拓されていない部分もたくさん残っていると思うのです。正規表現の読みやすさを認めたうえで効果としての文字表現を行うには、私ではまだ早すぎる気もしますけれどね。仁科さんの感想を読んでいると言葉の『音』も楽しんでいただけた様子ですので、少ない中での語彙選択をやりくりしてきたことが無駄ではなかったなあ、と胸を撫で下ろしています。
 『永遠に楽しめるもの』については私も昨日考えていたばかりでしたので驚いています(それとも、リンクを飛んで来てくださってから感想を書かれているのかな)。仁科さんの『永遠に楽しめるもの』ができること、私も願います。
2006-08-20 00:35:12【☆☆☆☆☆】模造の冠を被ったお犬さま
 実は読んでいて、僕もアレに似てるかなあって思ったのね。いや、クオリティはこちらのほうが段違いだから拙作を持ち出すのはおこがましいのだけどさ。
 何ていうんだろう。本来言葉で表現するのって、わからないものに対して架けられた架け橋なんだと僕は思うのね。だから疎通が容易なら、どんどん簡略化される。数十年来連れ添った老夫婦とかがさ、身の回りのこととかで疎通する時、あれとかそれとか、そういうのでわかる時がある(笑) それとは全く逆に、ほんの小さなことについて理解を求め、また理解しようとするのに、何万語も費やさねばならないこともあるし、それでも届かないことなんてザラにある。
 そのときに、わかったこと、疎通できたこと、それのみが価値を有するのか。「そもそもわかるって何さ。単にそれはわかったと思い込んでるだけじゃないのか」という疑問を側においての煩悶。そういうのがあるから、僕は言葉を弄し続けているんだよなあというのがあるんだよね。
 だから読んで感想を書くときに、こちらから必死に架け橋のばしましたですよ(笑) もちろんあなたのテクストも彼岸の彼方からこちらに向かって架け橋伸びてきてましたよ。そして、このふたつが開通すれば、そりゃあ結構なことだけれどさ、開通しなかったからといってそれがよろしくないという発想は、僕には到底できないし、ましてね、こちらはぽかんと口開けて向こう岸から橋がやってくるのを待っていて、橋が届かない、悪い、なんてことは口が裂けてもいえないですよ。昔拙のあの作品が叩かれた時(笑) 僕は大げさに言えばカルチャーショックだったものね。読み手は橋を伸ばさないのかと唖然としたもの。
 僕自身にとってこの作品はね、わからないものに対して必死に立ち向かった作品だし、読むということがただ単に享受するということでなく、読むことそれ自体がクリエイトである作品。彼岸から伸びてくる霞んで見える橋に向かってこちらも架橋する作品。そして、あなたの自由、あなたの冒険に感嘆してしまう作品ですよ。
 そういうところに価値を置いて読まねばならない作品。僕はそう思っております。だから大いに照れておってください(笑)
2006-08-20 07:38:30【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
作品を読ませていただきました。素直に感想を書くと何を言わんとしているのか私には理解できませんでした。文章の断片をまき散らした文字の万華鏡を見ているような、見知っているようでいて分からない不可思議さを感じました。途中からは単純に単語の持つ「音」だけを楽しんでいたと言っても過言ではありません。私には理解できない作風ですが、世の中には色々な書き方をする人がいると知らしめてくれた作品でした。「模造の冠を被ったお犬さま」様のこれからの活躍を楽しみにしています。
2006-08-20 22:48:23【☆☆☆☆☆】ARADO196
 思ったより感想が多くて嬉しい。

>タカハシさん

 『ワケワカランの小説』。
 まるで読み手を拒む難解といえそうなワケワカラなさに満ちたふてぶてしい書き物を、私はそのあまりある好意と厚意を総動員して真剣に立ち向かい頭をフル回転させて読破したとして、それでもワケワカラン書き物はやっぱりワケワカラン書き物としてそこにあったとき。
 うん。ハラ立つわ。私でも。
 そこでじゃあ腹いせに「こんなもん公共の場に載せるんじゃねえ」って怒鳴り込もうと思ってもその書き物はなんだかとても神妙な顔をしていて「『小説じゃない』とでも言い出すつもりかいフフン」ってな雰囲気でいられると振り上げた拳はやり場をなくして「どっちに転んでも相手の思う壺、やりあうだけ無駄じゃねえか」とがっくりと肩を落としてしまう。
 そんなとき残されている道はふたつあって、ひとつはこのワケワカラン系統全ての書き物を今後一切読まないようにし読書中に似たような芳香が漂ったら直ちにその本を壁に叩きつけるというワケワカラなさを全部諦めてしまう方法に出ることともうひとつ、こちらは書き手の伝えたいことを読解することだけ諦めてそのワケワカラなさを読み手である自分自身が補完してしまい読み手がオリジナルの書き物の印象を作ってしまうというふたつの方法。
 タカハシさんはこの後者の方法を採っている、と感想から読み取りました(というか、感想を焼き直しただけ)。
 恋愛の名言に【私の正面にあなたがいなくてもいい。同じ方向に顔を向けて一緒に歩むことのほうが大事だから】みたいなのがありましたが、そんな感じかなあと思いました。書き手と読み手が対照とならずに互いに立場を入れ替えることのできるようなよく似た存在になるような。
 でもそんなとき、当の書き物は「ひとに『小説じゃない』とは言わせないけど、でもやっぱり私って小説じゃないんじゃないかなあ」と悩んでいるような気がします。

>ARADO196さん

 ワケワカランよね。それが通常の感想ですよ。でも書き物は通常じゃない。通常じゃない書き物に通常に感想は書きにくかったことだろうと思います。ARADO196さんが快と感じたか不快と感じたかはちょっとわかりませんが(【楽しんだ】と書いてあるから悪くはなかったと思っておこう)、感想ありがとうございました。
2006-08-22 19:13:55【☆☆☆☆☆】模造の冠を被ったお犬さま
 ああダメだ。レスが派生して面白くなりすぎてるよ。申し訳ない。書かせてくださいまし。
 うん、恋愛になぞらえるのすごく面白いし適切だと思う。あの、やっぱり、愛して愛し抜いてですね(笑) 墓場まで共にするような相手がいたとしてもね、その人間の全てを理解するのって極めて困難だと僕は思うのですよ。それほどの間柄の他者であっても他者は他者で、それはもう絶望的に彼岸にいる。それが僕らのリアルライフだと思うんです。(こう書くと非常に虚無的かもしれないけど、だんだんとそういうことに慌てなくなってきた。当たり前だものね)
 だからわからない間柄というのは、少なくとも僕にとっては極めて当たり前の常態なのですよ。
 もちろんその折々において、わかった、心が通ったという瞬間も存在すると思う。それがただ単に個々人の妄想だ、と冷厳に切り捨てられるほど僕も血の通わない人間じゃないからね。でもそれは美しい思い出(笑:さぶいぼやね) という極小の例外になるほどの常ならずなものでね。基本的には地面は自分の範疇までしかつながっていないものでしょう。まあ相手の地平線まで自分がつながっているっていう幸せな人もいるかもしれないんだけど。
 僕に言わせると書くことも全く同じなんですね。
 他人の世界を捕食して、自分のものにすることはできるけど、自分が思う書き手の世界と、書き手の思う書き手の世界とは、イコールではないから。
 文学というのは面白いんです。言葉、という作品を組み立てるパーツ、ユニットは、共通であり、共有されることによってはじめて価値を有するものなんです。ところが個々人がその言葉に抱く個々人の身勝手な思いや世界まで一緒になって共有されるわけではないんですね。
 読むという行為は、だからどうやったって自分なりにしか読めないし、どう読んだって本質的には自分独自のクリエイトになるんですね。それが書き手のいる岸辺に向かって橋をかけること、或いは書き手が存在すると思っている岸辺に向かって橋を架けることで、もう恋愛と一緒(笑)
 書くということも、架橋である。となると、読み手と書き手の橋が合致するのは、橋としての規格を整える必要がある。というので、小説には体裁、ルール、常道定石というものが、まあ存在するわけですよね。書き手というのは読み手が有している規格に適合する、規格品としての橋を作る、その巧拙によって評価されるべき、という考え方もあるわけです。
 面白い、スンナリ読める、そういう評価というのは、読み手になるべくオリジナルの部品を作らせないようにして橋を架けさせることだと思う。それはそれで書き手としては正しいありようですね。
 ところが悪いことに書いていると、規格品の部品で、規格内の工法で橋を架けることが苦しくて仕方がなくなることが、まあ僕にはあるんですよ。橋は開通した。向こう岸で読み手は喜んでいる。だけれども僕は自分が架けた規格品の橋に何も感じることができない。
 この時、本当の意味で橋は架けられているか。というと、またそういうわけでもないんですわね。全面的にノーとは言わないけれど、イエスからも遠い。
 そして、僕はもう純粋に読み手として作品を読むことは随分減ってしまっていて、必ずどこかに書き手としての意識が関与してしまうけれど、それだけに、読み手に回った時に向こう岸から架けられてくる規格品の橋に辟易しもするのですね。自分がそうだから、橋を渡ったその向こうに本当に書き手の世界があるのだろうかといぶかしんでしまう。そして、機械的に自分の中でも規格品の橋をこしらえて書き手の伸ばす橋と合流することが、面白いわけでもないし興奮するわけでもない。書き、読み、その中でクリエイトしている自分自身が乏しいですからね。
 だから、橋がちゃんとこちら側まで届いた。道が開通した。そういうのって、小説としては先ず第一に尊ばれるけれど、僕はそれはどうでもよくて(笑) 橋それ自体より、橋をかけてくる書き手の作業の様子に勝手に感動したりして(笑) 検討があっているのか違っているのか、自分で好き勝手に規格品じゃない橋を架けたがるんですね。
 
2006-08-23 19:08:46【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
 途中でミスって送信しちまった(汗)

 作品としてのワケわからなさというものを必死に解明する、或いはそれができなかった。そのことに僕は落胆したり、憤ったりってないのですよ。もちろん書き手が不誠実で技術も乏しくて、殊更に混迷させるような作品を書いてしまったならば、それは全く話が別だけれども、尋常の橋、規格品の橋の存在をわかっているだろうに、何か得体の知れない方向を向いて橋を架けようとしている、そのエネルギーと向いている方向の世界の奇異でしなやかな美しさというものに心を動かしてしまうんですね。書き手が架けてきた橋について感動するのではない。橋をかける書き手の思惟の流れ、意思、覚悟、そんなものに感動してしまうのですね。それってリアルライフで他人に期待したり落胆したり、妥協したり諦観したりするのと全く同じなんです。僕にしてみると。
 現実がわけわからなくて不条理ばっかりだからせめて虚構の世界ではわけわかる楽しいものを、という発想もわかるし、そういうものを全く評価しないわけじゃないけれど、やっぱり僕は僕の虚構との係わり合いというのはリアルライフと地続きなんですね。どうしてもね。

 そしてもうひとつ。
 他者、自分、と、ここまで便宜上ふたつは揺るがないものとして話を展開したけれど、でも僕は少なくとも書いている最中にあっては、自分自身を丸ごと完璧に捕まえてなんていないのですよ(笑) 読み書くということで相手に向かって橋を架けているようでいて、それは自分に向かっても架けている(笑) 大体僕は自分自身がもっともワケワカラナイ、神秘だもの(笑) 瞬時に変転し、逃げ去り、消えうせて別のものに変化している、そういう自分のどこに向かってかしらないけど、橋を架ける。
 だからわからないというそのことに対して他人様を怒る気になれないんです(笑) 何より自分が意味不明だから(笑) 僕はだから自分という領域の中のほんの一部分を引っさげて、迷路の中でウロウロしてるんですね。だからわからないのは当たり前なんだ。ただヘコむこともあるし、それは作品をわかってもらえないというより、何で橋を架けているのかとかそういう自分の立脚点が疎通されてないとね、それはヘコみますよね。仕方がないんだけどさ。
2006-08-23 19:21:25【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
初めまして。読ませていただきました――というより、何度も何度も読み返している、のですが。勝手に「考えるな、感じろ」の精神で文章の流れに心地よく酔わせていただいております。解釈なんておこがましいことは出来そうにないのですが、自分でもよくわからない部分が刺激されるのです。気持ちがふわふわします。頭がぐるぐるします。と、幼稚な表現しかできない私がお恥ずかしい。笑 終盤、ちらりと見える光は私の錯覚でしょうか。その部分にすっぱりとしたカタルシスを感じてしまっているのですが。
素敵な議論の間にこんなものを挟んでしまっては失礼かと思ったのですが、どうしても何か言いたかったのです(すみません)。色々考えさせていただきました。ありがとうございます。
2006-08-24 20:46:43【☆☆☆☆☆】キイコ
 愛を込めて(いらねえよ)。

>タカハシさん
 自らの皮膚を殻にして、その内側に閉じこもって引きこもって、想いだけをぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる何度も何度も巡らせて、手脚は悴み、頭を抱えて、内なる部分へと突き詰めていって、凝縮して、ただ一点に絞り込んで、
 そして何も視つからない。

>キイコさん
 何度も読み返していただけたのですね。ありがとうございます。『酔う感じ』そうですね、そんな感じでふわふわ気持ちよさを感じていただけるなら書いた甲斐がありました。思わず親指が立ちます。幼稚な表現というのは私のことですよ。こんな寸足らずな文章を書けるのは私ぐらいしかいません。
 失礼なことはまったくありません。そんなことで謝ったらそれこそ私は許しません。こちらこそありがとうございました。
2006-08-28 23:08:23【☆☆☆☆☆】模造の冠を被ったお犬さま
計:9点
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