すばらしかった。こんな感想はこの作品には似合わないかもしれない。僕の語彙力が少ないからなので許していただきたいです。文章はとても綺麗で緻密。語りなために入り込みにくいという人もいるかもしれないが、僕は好きだ。好きだからこそ、文句を言いたい。これは許してほしいのですが、段落がえをしたほうがいいところで、段落がえをしてないような気がします。読経が度胸になっている。表現として一部比喩的過ぎてわかりにくいところがある。主人公が喪服を買うところでの回想は必要ないかと思われる。話的には無常観を出すため、必要かもしれないが、回想の途中で短く現在時制での語りを入れられるのは文章自体が把握しにくいかと思う。
僕が思ったのはこの程度のささいな点です。このような話こそ、現代には必要だと思うので、推敲の上、文学賞などに出すなり、持ち込むなりしてほしいです。本当に、とても、すばらしい作品だと思います。このような感想ですみません。次回作を期待しています。
2006-05-16 20:04:08【★★★★☆】風間新輝
風間新輝さん、ありがとうございます。過分なことだと思っています。この作品は、新奇なこと、突飛なこと、ドラマティックなことを排除し、どこにでもある当たり前の凡庸さをどうやって表現するかに主眼を置いて書いたものですが、高い評価をいただいて意外というか、驚きも少々あります。
奇をてらうことじゃない。作品にヒッカケやオチを入れて筋立てとしてエキサイティングにすることじゃない。劇的な演出もない。なんの真新しさもなく、一瞬でも気を抜けば書いていてさえすぐに退屈になる、そういうタイプの作品を、どうにかして自分らしく、地に足をつけて書こうというのが先ず意図でした。自分としては、正直、このようなスタンスが文学賞なり持込に向いているのかどうか、つまり商業作品として向いているのか判別しがたいのですが、お言葉とてもうれしく思います。
さて、誤字指摘ありがとうございます。段落がえについては、ちょっと僕はどうもやたらと段落を変えすぎる風潮が疑問というか(笑) ありゃあどうも菊池寛だったかなあ? 原稿料を余計に稼ぎ出すために編み出した体裁だとどこかで耳にしたことがあるのですが、まあそれはさておいて、何だろう、語り手の時制のもんだいもあるのですが、改行すると淡白になりすぎるかなと。語り手の現在のポジションも、全く諦観している心境というわけでもないので、ひとつ乱れというか、過剰さを作り出したかったんですね。引きにおいて過剰さを沈静させてさっと終わらせて、ちっとバランスをとろうかなと。
何ていうのかな、これはプロットを幾何学的にやりすぎると、ただそれだけでおそらくドラマティックになってしまいかねないような、そういう因果関係のつながりになるっぽい気がするんですね。それはちょっと回避したいなあと。どこかに釈然とできるようでできないような錯綜、乱れですね、挿入したかったんですけれどそれがちょっと過剰だったかもしれないですね。
回想挿入については、これは一人称語りの体裁というのもあって、あまり松村や吉野といった友人の外見描写をやりたくなかったんですよ。友人の外見や人柄をを解説しつつ語るとかというのは、僅か以上は途端に不自然になる。それじゃあどういうつながりの友人かというので、やっぱり回想しかないなと。松村の場合はそれは電話をとる前のタイミングで仕掛けたんですね。これは自分では正解だったと思う。吉野の場合はそれがとても難しく、判断にこちらも困ったんですよ。通夜の描写では別の回想をひとつ差し入れることがプランとしてあったので、そこにもうひとつは厳しい。となればあのタイミングかなと。でもトーンがちぐはぐになっているのは確かに否めないんですね。悩みどころです。熟考してみます。魔術が使えたらいいんだけどなあ。
ご感想、ご指摘、ありがとうございました。
2006-05-17 06:07:31【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
拝読いたしました。
作風が、大学時代にゼミで扱っていた日本の近代文学の作家さんたちのものに近いかな、と感じました。この作品でレジュメを書くことを想像すると、「主人公」「吉野」「松村」「吉野の父」「主人公と死」などなど、章題や節題が浮かびます。言葉通りだけではなく、その表面的な描写から心情まで深めて読み解いていけるような手応えを感じる、といいますか…… そういう「深読み」に耐え得るテクストだと感じました。時折出てくる独特の比喩が印象的でした。
次回作も、楽しみに待たせていただきたいと思います。ありがとうございました。
2006-05-17 19:19:28【☆☆☆☆☆】河野つかさ
私には、文意的な部分であまりに矛盾が多いように感じられ、残念ながらこの世界そのものに同化できませんでした。『多分』『と思う』といった、すでに曖昧化した過去の回想的表現が多く用いられながら、少し後でその同じ事象・人物の描写・心理まで克明に掘り下げられていたりするのは、記憶という物の不安定さを表現しているのでしょうか。としても、今回のむしろ直球的モチーフにそれが適しているのかどうか、疑問が残ります。違和感が先に立ち、作中の『私』の存在・心理そのものに、矛盾を感じてしまうのですね。それによって『友人の死』という厳粛な喪失感に同調できず、少々歯痒い思いをしました。
2006-05-17 20:14:27【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
初めまして。拝読させてもらいました。真摯にテーマに取り組んでいるのが分かります。誠実に取り組んでいく姿勢はとても共感出来るものでした。
個人的にはもっともっと主人公の考えを深化させても良いのだと思います。こうしたテーマを一人称で取り組んでいくのなら、初めはくどいと思われようとも、読者を置いてきぼりしようとも、決して解決出来ない様な事でしょうし。そういうくどさから、どうやって読みやすくしていくのかを考えるのは次のステップなのでしょう。ただ、こうした深化せずに安易に器用なもの読まさせられても、そこに感じるものなんてね、校長先生の朝礼の話みたいなものでしょうから。
当たり前や凡庸なんて考えずに表現してください。今や現在を表現するのに、マスコミ的でなく、文学として表現していこうとするのなら、僕は、今自分が立っている地点や周りの世界の視点から考えていく事が何より求められると思うのです。あまりにそこから離れたり、そこを上から第3者的に傍観するような視点で好き放題言うなんて、もっともっと子供の頃か、もっともっとお祖父さんになってからで充分でしょう。
2006-05-17 23:30:36【☆☆☆☆☆】カメメ
河野つかささん、ありがとうございます。クラシカルなものへの嗜好というのは確かにあって、過分なお言葉に恐縮しつつ、そういうご指摘が心地よくうれしいです。深読みに耐えうるか自信はないですが(笑) それにしても、こちらこそありがとうございますなのです。育児で、子供は褒めて伸ばす、みたいなもので(笑) 褒められて背伸びをするといい気分になって次もがんばれる現金さがありまして(笑) よしまたがんばろうという気持ちになれますねえ。また読んでいただける機会を作れるようがんばりたいと思います。
2006-05-18 03:48:45【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
バニラタヌキさんのご指摘に、意識的、といってもさほどに鮮明ではなかった自分の執筆中の立ち居地について自分で考え込んでみたんですけれど、何ていうんだろう、この直球的モチーフにどうやって距離をとって書いていくのか、そんなことを考えつつ、というより怯みつつ、書いていたと思うんですね。今にしてだけど。
死というモチーフが何故に厄介かというと、僕にとってはそれはもうあまりに物語化されている、それ単体ですさまじい重力を持っているというのがあって、多分完璧に整除された文章表現をやるのが怖くて仕方がなかったんですね。小細工、という自覚的な戦略戦術じゃなくて、もっと安直に、決定的な何かを回避しつつ対峙したような、そういう揺らぎが矛盾を積み上げていったような気もするのですよ。どうもそれをある面において乱れということで自分で書いていて是認して、安全地帯ということですかねえ、やったというような。
うん、厳粛な喪失なんですよね。でもそう思った瞬間に、僕は書き手としても個人としてもブラックホールに吸い込まれる、絶対にそれに抗えないっていう恐怖があった。何だか自白状態ですけど(笑) 厳粛な喪失をやろう、そのための万全の演出を施そうとした瞬間に身動きが取れなくなることを回避したいというのが、わけもわからず逃げ出すのに似て頭にあって、それを考えないようにして羅列していった、そのくせ部分部分における鮮明さがあるという、困った状況を作り出してしまった、というべきかなあ。でも一面において、このモチーフは断乎としたものを描くということにやはり躊躇いがあり続けるんですね。うん、こっちの書き手としての揺らぎのほうがよほど似非ブンガク的なのに自分で書いてて失笑してしまいます(笑) いっそのこと、この部分を取り込んだ作品にしちまえばいいのかな。
2006-05-18 04:04:29【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
カメメさんはじめまして。すみません、ちょっとカメメさんとご縁がなくていただいた感想のみで全貌を類推する困難さに、いまちょっと直面しているんですが(笑) まあ人によって言葉を使い分けるというわけではないんですけれど、取っ掛かりがないとなかなか話しづらいというところが正直ありますです。というのは、あたしゃ読者置き去りでさんざわからん、わけわからんと連呼されてきたクチでして、逆のご指摘をもらってちょっと困惑しているというか(笑)
ええと、何ていうんだろう、簡単に言うと自分が薄っぺらいんですね。というよりも、そうだなあ、自分が薄っぺらいくせに高邁で高尚で難解なことをやるのに飽きてきたというか、興味が弱まってきた(笑) というよりも、これまで自分が凡庸だと思い込んでスルーしてきたものをもう一度見つめなおしてみたいなという心地が最近とても強いんですね。それが僕の似非ブンガク的な資質(があるとすれば)を束縛する鉄環であるならば、居直りじゃないんですけど、好んでそれを求めているコンディションにあるんですよ。自分の薄っぺらさを隠しもしないし恥じもしない。まあ先々の展望があるわけでもないんですけれど、今はそれをやるべきだなというのが濃厚にあります。全部の作品じゃないけれど、そういうことはやっていきたいんだと。
ひとつ不本意であったのは、別段読み手に右顧左眄する意図を持ってこういう作品を書いたのとは違うんですね。結果としてそうなっているという風に見えてしまうのは、繰り返しだけれど校長先生の講話程度のメンタリティしか僕にはないということの自白ですので。書き終えたら作品は読み手のもので、書き手が不本意と茶々を入れるのもなんですが、ただ執筆する際のスタンスについてだけはうるさがたのジジイのようになりたいですね(笑) そう見えてしまった事実は甘受しますが、そういうつもりはございませんと僕としては申し上げておきますね。まあいいわけと同然ですが。
2006-05-18 04:19:36【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
初めまして。Jという者です。とても丁寧な筆致だと思いました。 松村からの連絡、そして経過、葬儀などきちっと伝わってきました。趣味の問題ですが、『私』という主語を抜いても大丈夫だと思う箇所もありました。全体的には特に精緻さを堪能しました。
2006-05-18 19:36:53【☆☆☆☆☆】J
Jさんありがとうございます。文章表現を評価してもらえるのは本当にうれしいことです。「私」については、この多用はこちら側の趣味で(笑) 削りこめるところを敢えてつけているというのは何箇所か設けました。遊び心というと浮薄になってしまうけれど、挿入したときのこのリズムが書いていて心地よかったですね。
精緻さが煩雑さとならぬところで書きたいと思っておりましたので、大変うれしく思います。ありがとうございました。
2006-05-19 02:29:58【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
読ませていただきました。清潔な御作品だと思いました。死に理由を問わない姿勢が良かったと思います。関わりとしての死を重ねることで「私」を構築するほうが、表面の淡さに反し印象は大きいのだなと思いました。ひねくれ者の私には、主人公の心象は驚くほど清潔なイメージでした。思えば、若いころの死に対する想いは、徒爾であった気がします(いまもたいして変わりませんが)。きっと、感情を自分の中に築くことに必死になっていたのですね。湧いてこなければならないはずの感情が意識できないことが怖かったのかもしれません。自然と涙が溢れ出すような人を見て羨みこそすれ不可思議だったりもする、その時間は死者への悼みなど奈辺にもなくて、ただ自分中心に流れるのですね。それが死を見つめるということに繋がるのかどうかは、やはり気づきません。御作品の中で、ラストの尻切れ蜻蛉のような印象は、そういった意味で、偉そうな云い方ですが、潔かったと思います。友人の声が明瞭なものに変じるさまも、わざとらしくなくて清潔な印象でした。
2006-06-03 00:05:40【☆☆☆☆☆】松家
松家さんいつもご丁寧にありがとうございます。さて、死という物語と、その物語から情感的に断絶してしまっている自分という様相、それでいて死により確実にもたらされる喪失ということ、ご指摘を受けて非常に刺激を受けております。
おっしゃるようにこの作品は死それ自体の哲学性や宗教性云々というより、また鎮魂というより、『関わりとしての死を重ねることで「私」を構築する』ことを自分なりに目指したものです。かつて唐突に訪れた友人の死というものが自分の中でこびりついていて、その中で時を経過している、そんな「私」のデッサンになろうかと思います。うん、清潔というのは、狙ってそれに達することなどできませんので、とてもうれしく思います。書いた甲斐があったとも思います。
書いていて、他者への悼みよりも、自分のために時が流れ、自分のために時が澱んでいるということに、僕自身ひとつエゴというものを実感していたのですが、うん、書いている僕もこれが何かの死を見つめ、死とはこういうものであるという定義をする気には到底なれなかったですね。この作品のフィールドの中で手探りをしたものについては手探りの実感だけのことを書き残したのですけれど、それが万人のそれぞれの終焉に当てはまるとは到底思えない。ひとつのそれについて実感を込められればなと。それが自分中心でも、突飛で隔絶していずとも、衒わずさらけ出したいなと。
ラストは、これは公理的なものでなくて、やはりローカルな実感なのですが、やっぱりこの逡巡というか、堂々巡りのようなものって終わりじゃないんですね。作品世界としても自分の中としても、何らかの結論なり救済がそこに用意されているわけでもなく、またエンドマークがあるわけでもない。この作品の時空というのは閉鎖されているんじゃなくて、何かこう、ずっと連結的に続いているものの上端と下端を切り取ってきて、という感触で。それでラストはこういう形になったというところがあります。環のなかにいることの是認とでもいうのかなあ。それが潔さでもあるのならばうれしいです。
2006-06-03 10:52:09【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
読ませていただきました。
まず文章力の高さに脱帽しました。読んでいて、上手いなぁと思うところがあっても、不快感を感じることが全くありませんでした。ただ現在の思考と過去の反芻が若干ごっちゃになって、時制がよく分からなくなってしまうところはいくつかありました。これは自分の読解力の問題なのかもしれないので流してください。
ご自身でも書かれていますが、この作品の特徴は徹底的にドラマ性を排したところだと思います。それを、「死」ということをテーマに完遂できることは脱帽としか言い様がありません。自分は少年漫画で的なドラマに満ち溢れた作品が好きです。でもそう言ったドラマは所詮フィクションで、作品の中でどんな素晴らしい話を展開してもそんなものは現実では何の力も持ちません。そう言った作品から得る感動も涙も勇気も、それらも所詮偽物なものだと思います。自分は勇敢な少年が魔物を倒したり、心に傷を負った少女が恋愛したり、頭の切れる青年が殺人事件に巻き込まれたり、そう言う作品に大いに楽しませてもらいながらも、どこかで引っかかる物を感じてきました。
でもこの作品にはそれが無い。死について勝手な哲学を述べるでもなく、答えを探すでもなく、徹頭徹尾淡々とした「私」の描写がこれが現実なのだと思わせてしまう力があると思います。
2006-07-25 03:39:49【☆☆☆☆☆】junkie
レス遅れてすみません。junkieさんご丁寧なご感想大変ありがとうございます。
さて、この作品も終えてからしばらく時間が経過したことによって、自分の中で沈静化したり距離を取ることができたりして、改めて見えてきたものがあれこれありますね。
時制の問題について、やはりこれは文法上のケアレスミスでなくて、整合性のないかたちを作りたがっていた自分自身を良く考える必要があるのだなと。やはりこれはこの作品世界を見つめる「私自身」というもうひとつのメタ構造的な構成をとるべきだったんですね。自分の躊躇、自分の煩悶、そういうものも作品として組み込むべきであったと、今にして思います。
文章について、本当にうれしいことです。というのはやはり一番神経を使うのが文章ですので、個々のよしあしが一番骨身に響くんですね。しかし精進はぜんぜん足りてないから、もっともっと前を目指さねばと思います。
さて、それでドラマ性です。この点について評価してもらえたことが本当にうれしいし心強いですね。
ドラマ性を排除すること、排除したいと願うことは、とりもなおさず僕が非常にドラマ性に侵食されているということの裏返しであると思います。それは単にフィクションを前にした場合ばかりでなく、日々の生活の中においてもね、やはりものを見つめ、洞察しようとすれば、そこにドラマ性が機能してくる。現実は現実として歴然と存在しているんですね。でもそれを僕が見つめようとすると、現実として受容することが完全にできずに、ドラマとして解釈しちゃうことがある。
どうも、自分は、そういうものに常日頃からだまされすぎているんじゃないか、というところから、自分にとって確実な何かを手にしたいと思い、またその道具として自分でフィクションを用いるという、実にケッタイな図式に、今あるわけですが、そしてそのことに長らく絶望していたのだけれども、しかし「これは偽物だ。そして、これを偽物だと感じること、本物でないのだと違和感が警告してくれること、そういう感覚が、だまされてしまう感覚と並立していたとしても、ちゃんと僕の中にある」という、現実と触れ合うことのできる自分自身を根拠にしてですね、書きたかったんですね。
その結果として、僕の現実という実感を伴ったある感覚が、陳腐で、凡庸で、説教臭いものになったとしても、それはそれで僕自身の現実であり事実なんだと。凡庸を、ドラマは時として恐れ排除するものだけれど、そうじゃなくて、僕は凡庸であってもちっともかまわないのだと、だから死という、軽薄にアプローチしようと思えばいくらでもそうすることのできるものに対して、淡々と凡庸に挑もうと思ったんですね。
それが表現技術上どこまで作品における真実と昇華したかはわからないんです。もしかしたらまるっきり無意味であったかもしれない。でも、定型的なドラマをやって失敗しないことより、暴れまわって玉砕したほうがナンボかマシだなと(笑) そういういいかげんな蛮勇さでのりだしてみたのでした。
幸いなことに得手勝手なものに多くの皆さんからの好意あるコメントをつけてもらいまして、損得勘定としてはもう大成功で(笑) 自分としてもこの作品の鉱脈から多数の資産を回収できたとほくそえんでおります。今回またそのひとついただきまして、挑戦してよかったという実感が再び湧いてきます。
とまあこういうワガママな書きっぷりなのですが、今後も別作などよしなにごひいきいただければうれしゅうございます。どうぞよろしゅうお願いいたします。
2006-07-27 18:43:04【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
計:4点