『喪服』作者:タカハシジュン / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約18.43枚
 松村から電話をもらったのは多分夜、あまり遅くない時間であったと記憶している。
 当時私はまだ実家で両親と共に暮らしていて、実家から大学に通っていた。高校で同じクラスだった松村とはまず悪友といっていい間柄で、くだらないことを嬉々としてやっていたものだったが、私は地元の大学に入学し、松村は東京に出て、それ以来疎遠といえば疎遠であったから、不意に電話がかかってきたのは少しばかり妙といえばそうだった。
 電話は母親がとったと思う。松村からであると告げられて、久方ぶりに顔をあわせようかといった誘いなのだろうなと勝手に目星をつけた。確か二年くらいはその頃会っていなかった。電話のある前、一度地元で飲んだが、女の話しか交わしていなかったと思う。それも松村の、何人と寝たとかそういう馬鹿話だ。松村はまるで気軽に大勢と寝るために東京の大学に行ったようなものだとからかうと、松村もニヤニヤとしていた。その松村のわざと猥雑さを気取るような笑顔を思い浮かべ、私は受話器をとった。
 松村は、よう、と小さな声で言ってきた。それはまるでひどく遠い、彼方からささやいてきたもののようだった。私はその声を聞いて、どうして松村はそんなに遠くにいるのだろうと戸惑った。
 それは、私を何かひっかけてやろうとする冗談のわなとして遠ざかった声ではなかった。そのことは松村の声を耳にしてすぐにわかった。だが松村は遠かった。声色はひどく無機質だった。どうした、何かあったのか。私は尋ねた。ややあってから松村は私に用件を伝えてきた。吉野が死んだ。
 おい、冗談だろう。おい嘘だろう。私はひどく遠くそして無機質な松村の声色が何の実感も裏打ちせずただ事実のみを伝えてくるのに面食らい、何度も何度も松村に問いただした。いや本当だ。吉野が死んだ。交通事故だ。今日のことだったらしい。こっちに遺体を運んできて、明後日が通夜だ。場所は○○町の、わかるだろう。そうだ。それじゃあ向こうで会おう。俺もこれから実家に戻る。じゃあな。
 突然のことで、悲しみも実感もわきあがらない。呆然としてリビングの自分の椅子に座った。松村からの電話を取った母親が何があったかを尋ねてきた。私は呆然としたまま吉野が死んだという話の内容を伝えた。
 母親のほうが見るからに驚いた。私も驚かなかったわけではない。だが私の驚愕には何の実感も伴っていなかったと、今にして思う。私はまだ、いや今でも多分そうなのだろうが、死というものをよくわかっていなかった。例えば一番世俗的で雑務的な、どういう身支度をしてどうやって通夜に行き葬儀に赴くのか、それさえもわからなかった。いや、そういうものはテレビで見たこともあるし、実際に何度もちゃんと葬儀に出ている。だが私の中での死というものは、濡れた紙を一枚はりつけただけの薄っぺらさでしかなかった。それが何なのかちっともわからなかった。母親は当たり前だがそうではない。それなりの人の死に目にも逢ってきている。私から通夜と葬儀の日時と場所を巧みに聞き出すと、息子の同い年の友人が死んだ事実に痛ましい顔をして、明日朝一番で喪服を作りに行ってこいといって一旦奥に引っ込み、やがて戻ってきて、私に何枚か一万円札を手渡した。このとき私は情けないといえばそうである心地を噛み締めていた。友人を弔うのに身を包む服を買う程度の金がさっと用意できない私は無力であると思った。
 その晩私は酒を飲んだ。うずくような悲痛さを鎮めるためではなかった。それは湧き上がってはこなかった。吉野の顔が浮かんできたが、吉野が死んだとはどうしても実感がないのだった。悲しみの起こりようもなかった。ただそれは事実であろうと思っていて疑っていたわけではないのだった。それが事実であることは松村の声が語っていた。琥珀色をしたウィスキーは私の舌を焼き、咽喉の道すじを焼いて下っていったが、そこから先はどこを燃やすわけでもなく、どこに注がれたわけでもないようだった。
 私は今にしてその晩自分が寝たのか、寝付いたのか、よく覚えていない。多分まだ二十三で徹夜をしても体力的には平然としていられる頃だったから、記憶の残照となるような肉体的な疲弊感などはなかったのだ。ともかくも朝がめぐってきていた。白々とした朝だった。太陽が明白に雲を貫いて明るさを振り撒く日ではなかった。だが同時に、雲が歴然と太陽を遮蔽する暗澹とした日でもなかった。それはどこまでも曖昧に白濁としていた。私は実家でたぶん家族とあまり口もきかず、紳士服の量販店が開店する時刻をじりじりしながら待っていたのだと思う。頃合を見計らうにしては少しばかり早い時間に、車に乗って家を出た。母親が気をつけなさいと口やかましくいった。吉野が死んだのは交通事故であったということを母親には教えていた。ほんの悪縁でたまたま友人に訪れたことが自分の息子にはありえないということは断言できないのだと、当たり前のことだが母親は知っている。であるから口やかましく気をつけろといった。それでいておそらく母親は、そのように言うことにいくらかの罪悪感を覚えてもいただろうと思う。他家の息子が死んだことを戒めとする自分の姿に想像が及んでいたのだろう。それはエゴイズムなのだという自覚があったのだろう。だがそれでも母親は言わずにはいられなかったのだろう。
 母親の凡庸すぎる言葉は、車を運転している最中ずっと耳にこびりついていた。そして奇妙なほど薄っぺらく、私の半面にはそれとは逆の死というものがへばりついていた。ここで強引にハンドルを切れば私もまたあっけなく死んでしまうのだというささやきがあった。私は綱の上をふらふらと運転しているような空虚な実感を得ていた。両手の片方には、執着ともいえない何ら実感を伴わない生の執着のようなものがあり、別のほうには死という不可思議な、よくわからない、霧のようなその彼方の世界があった。吉野はそちら側に倒れ込んだわけだった。姿を消した。いや、松村とそうであったように吉野とも大学以来疎遠になっていた。もともと私にとって吉野はすでに姿を消していた存在だった。そこに死という線が引かれた。そしてその線は決して絶対なのではなく、むしろあっけないほどに私であっても通過することができるのだという不思議な感触がハンドルから伝わってくるのだった。
 吉野と最後に会ったのは、何年か前に一緒に東京に行った時だったろう。オーランドとニュージャージーが来日して日本で開幕戦を行うというのを聞きつけて、目の飛び出るような高いチケットを買ってのバスケット観戦のためだった。私はペニー・ハーダウェイのファンであったから、その金を惜しいと思ったことは今に至るまで一度もない。吉野はジョーダンに心酔していたがその年は丁度ジョーダンの一度目の引退から復帰したばかりで、未だ彼のセカンドキャリアの輝きを取り戻したとは断言できず、吉野もペニーに浮気をしていた。
 あの日のゲームはすばらしいものだったが、私と吉野の小さな旅は順調というばかりではなかった。その頃私は実家暮らしできちんとした朝食のない朝というものは耐えがたかったが、吉野にしてみればそれはたいした問題ではないのだった。最もチープで安直な、マクドナルドの朝のメニュという結論に達した時、私は内心の不満を抑えながら笑顔を見せなければならないのだった。そんな類のことがいくつか積み重なると、時折私もそれとなしに爪を出す。吉野は隣で困惑する。要は私は我侭で、特に私の我侭を引き受けねばならない少数の人間との旅や行動に不向きなのだ。私と吉野はゲームを堪能し、タオルマフラーやレプリカユニフォームといったみやげのアイテムを買い込み、それを抱えて帰りのバスに乗った。夜出て朝につくバスだった。車中のことは覚えていない。寝ていたのだろう。そして朝になった。五時ぐらいだったろう。到着した。私は先の停留場で降りた。朝もやの中で、多少の倦怠感や些細な気まずさはあったが、吉野との縁が切れる心配などしもせずに笑顔で手を振って別れた。吉野とは大学こそ違ったが同じ地元で生活していて、別に行き来に不都合もなかったのだが、やはりそれぞれの環境、新しい友人、別々の生活の中にあって、そこから時々抜け出して落ち合うというような真似をなんとなしにしないまま、一年か二年、三年、それぞれ過ごした。それは少なくとも永久の別離を覚悟した決別などではなかった。曖昧に、お互い地元にいるのだから、会おうと思えば電話一本で大丈夫なのだから、そういうザイルを持っていたせいだった。結局会わずじまいで終わってしまった。
 終わってしまった。
 紳士服の量販店に着くと、駐車場には従業員らしい車しか停まっておらず、強い風が吹いていて沿道に並べられたセールの旗が色とりどりにゆれていた。中に入ったとき、その店舗は別段奇をてらった陳列ではなかったのに、迷路のように感じた。とにかく喪服を探さなければならないと思った。よくわからなかった。店員に相談した。
 店員は、女性だったと思う。四十半ばぐらいだっただろうか、母親よりはいくらか若い年頃の外見をしていたように思う。私は喪服が必要であることを告げた。自分の声に抑揚がなかったことを話してみて自分ではじめて気づいた。松村の声と同じだった。店員は誠実な様子の人だった。あの痛ましそうな表情は忘れられない。彼女は精一杯、それが職業的な擬態なのだろうか、悲痛さと厳粛さが織り交ざった顔をして、ひとつひとつ、丁寧に私の相談に乗ってくれた。それが職業的な擬態なのか。わからない。だが私はそのときまで自体が痛ましいとあまり感じることができずにいた。擬態すら私の中にはなかった。名前も知らない、縁もない、ただ喪服を一着作りに行った店先の店員の表情を見つけて、はじめて私の中で吉野に対する哀憐がこみ上げてきて、私は涙を抑えた。それは私の中で置き忘れていた疲弊を呼び起こすものでもあった。寸法を測ってもらっている最中、私はずっと呆然としたまま波打つ感情の潮を前に愚直に立ち尽くしていた。店員は私にウェストのサイズが変更できる喪服を勧めた。多少体重が上下動しても、今後ずっと着ていられるとのことだった。今後。確かに今後。私は今しか頭になかった。だが今後というものは私にこれからずっと付きまとってくるのだとはっとした。死ぬまで続く。そして吉野は死んだ。
 生きている間は、送り続けなければならない。そうやって最後に自分が送られてゆく。あれからもう何年もたって、何人も送った。その喪服も何度も着た。店員の判断は正しくて、多少体重の上下動はあっても今でも立派に着ることができる。
 裾の直しを、夕方までにやってくれるとのことだった。何もいわなくても店員がどんどんそうやって便宜を図ってくれた。私はうすのろだった。支払いを済ませて一旦帰って、言いつけを守るように律儀に出来上がりの時間に訪れて受け取った。家に戻って身に着けてみるといかにも着慣れていない自分の姿があった。ネクタイをうまく締めることができなくて困った。親が助けてくれた。見るからに板についていなかった。
 式場で松村を見た。以前よりずっと痩せていた。髪の毛を伸ばしていて、やはり喪服と不釣合いだった。目のふちが赤かった。
 松村と私と、あと幾人かの仲間がいた。まだ時間があった。ホールで話し合った。皆なんとなしにそれぞれの道に別れてしまって、億劫がって会うことをしていなかった。たまには会おうという話になった。吉野の命日に会おう。墓参りもしよう。そういう話になって、それから私たちは突然涙声になった。
 祭壇は花々に飾られて、遺影は飛び切りの笑顔であった。吉野の親族、学校や職場の同僚や友人の女たちのすすり泣きの響きが途切れなかった。喪主をやった吉野の親父はしゃんと背筋を伸ばして毅然としていた。丁重に参列者に礼を述べていた。後日になるが、社会的には何者ですらない私たち吉野の友人一人一人に、吉野の親父は礼状を送ってきた。喪主の挨拶でも、淡々と、吉野の事故の経緯を過不足なく語り、そして最後に吉野の友人である我々に参列の謝辞を繰り返した。立派なものだった。吉野の会社の上司が沈痛な表情で御霊に呼びかけをしたのにも、口先の言葉からははるかに遠い吉野に対するはっきりとした悼みが伝わってくるものだったが、吉野の親父の態度には感服せざるを得ないのだった。この後些細といえば些細なへまがあった。度胸を終えた坊主が挨拶をするときに、故人たる吉野の享年を間違えてしまった。私はそのとき、死んだ田舎の祖父の葬儀を咄嗟に思い出した。長年来祖父と、祖父の住む村のお寺の坊さんとは、小さな世界で接しながら暮らしてきて、坊さんは祖父の仕草まで思い出すのに苦労することさえなく記憶の中にとどめていてくれた。その中にある祖父の姿を祖父の葬儀の講話で、坊さんは語ってくれた。おおらかでともすれば鈍重なひととなりであるくせに妙なところで妙なこだわりがあって、囲炉裏の中の灰は製図されたかのようにきっちりと均されていなければ気が済まず、他人にそれを乱されるのをひどく嫌った祖父のことを語る坊さんの目元にうっすらと光るものがあって、多分私はその光景を生涯忘れることはなく、脳裏の中に祖父の思い出と共にそっとしまって置き続けることになると思う。そのことを思い出し、吉野が町屋の人間であるからそれはやむをえないのだ、それにもう祖父の時代とは違っているのだとわかっていながらも、また吉野の親族などではない身の軽い私などが些細なしくじりに云々思うということも場違いで非礼であるとも思いながら、私は何事かを思わずにはいられなかった。それは、私の中において、翌日の葬儀の吉野の出棺のときに行われた、それと同時に何処からか白い鳩が飛び出すという式場側の陳腐なセレモニーと対を成して、私の心の中にこびりついた。坊主にしてもそのセレモニーについてもひどく俗悪だった。そのことに私は得て勝手に腹を立てた。そういう私の心の乱れを救ったのは、やはり吉野の親父の立派な態度だった。吉野の親父は今にして思えばあらゆるものを引き受けているかのようだった。式場に呼ばれた坊主の講話のしくじり、式場側の陳腐な演出、参列する喪服の女たちの泣き声、私どもの悲嘆、そして残された家族と自分自身の心境の荒漠ささえ、吉野の親父は引き受け、泣きも乱れもせず毅然として背を伸ばしていたように思えるのだった。
 そのことは、私にとって時間をかけて領解される性質のものであったことは疑いようがない。私は年頃に比してさえ未熟すぎた。幼すぎた。戸惑うばかりで肝心の吉野に対する悲痛さすらスムーズに湧き上がってこなかった。死というものに対する実感も、身近な人間がそれに直面するという歴然とした事実と向かい合うことも、全くはじめてで、面食らってばかりだった。軽々しく、それがいずれは自分や周囲に訪れるということを知識としては理解していても何ら実感なく、浮薄に、頭の中の知識の中に放り込んでいるだけの小僧だった。後になって若さを振り返るときはいつも、自分の至らなさ、幼さ、未熟さ、それがもたらす傲慢や思い上がりについて、やるせなさと苦さとを手元にひきつけずにはいられない。今もそうだ。吉野の遺影のこぼれんばかりの笑顔を見ていたあの時、本当にギリギリのところまで吉野に死があるということを今ひとつ実感できないでいた。だが、やがて対面が訪れた。吉野の顔を見るために、参列者の長い長い列ができた。それはどこまでもゆっくりとした、じりじりと進んでいるかのような行進だった。にじり寄るように、私たちは吉野を納めた棺に近づいていった。黒い喪服の列がまるで棺にまとわりつく蔦のように続くのだった。そして蔦は嗚咽した。棺の近くで泣いた。そこに何があるのか。無論わかりきっている。わかりきっている。
 言うまでもない。一番苦しいのは家族だ。ご親族だ。私はおこがましくて直面することが苦しくてならないなどとは到底言えない。そのこともわかっていた。だが私は心の中で怖じた。それを恥じもした。行列が続き、後の人々も続く。それに押されなかったら、私は逃げ出さずにちゃんと吉野と最後に対面できただろうか。
 私の順番が来た。
 吉野は数え切れない花の中で眠っていた。本当に吉野なんだろうか、私はこみ上げてくる情を押さえながら変わり果てた姿を見つめた。遺影の笑顔はどこにもなかった。
 最後の挨拶など、浮かんでくるはずもなかった。私は獣も同然だった。ろくに言葉も浮かばず、辛うじてうめくのを我慢するだけだった。ただ私の頭の中を支配することがあった。鄭重に、吉野のご家族に頭を下げなければならない。ご家族にすら何の言葉も浮かばず、出て気もしない。ただひたすらに対面を果たし、焼香を済ませた後は、ご遺族に頭を下げた。それしかできることがなかった。


 翌日の昼近くに葬儀があって、それを経て、抹香の移り香の多少残る真新しい板につかない喪服を引っさげて、私と松村は近くの喫茶店に行った。松村はソファに身を沈めると無作法に黒いネクタイを緩め、煙草に火をつけて吸った。私は向かいの席であてどなく漂う松村の紫煙の行方をぼんやり見つめた。
 何かそこで松村と特別な話をしたわけではない。ぽつん、ぽつんと、さして続きもしない言葉を交わした後、私たちは閑散とした喫茶店の古びた調度に取り囲まれて時間を浪費していた。
 やがて、松村は立ち上がって、じゃあなと軽く手を上げた。その声は電話のときのような隔たった遠さはなく、また近いでもなく、ただ輪郭の明瞭なものだった。ああ、私も芳醇さのかけらもない言葉で応じた。
 それ以来松村とは会っていない。時折メールなどで近況を報告するだけだ。そして、おそらく同じぐらいの頻度で、私は毎日の生活の海に浮かび沈みしながら、時々吉野のことを思い出す。

━了━
2006-05-16 18:52:49公開 / 作者:タカハシジュン
■この作品の著作権はタカハシジュンさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
この作品に対する感想 - 昇順
すばらしかった。こんな感想はこの作品には似合わないかもしれない。僕の語彙力が少ないからなので許していただきたいです。文章はとても綺麗で緻密。語りなために入り込みにくいという人もいるかもしれないが、僕は好きだ。好きだからこそ、文句を言いたい。これは許してほしいのですが、段落がえをしたほうがいいところで、段落がえをしてないような気がします。読経が度胸になっている。表現として一部比喩的過ぎてわかりにくいところがある。主人公が喪服を買うところでの回想は必要ないかと思われる。話的には無常観を出すため、必要かもしれないが、回想の途中で短く現在時制での語りを入れられるのは文章自体が把握しにくいかと思う。
 僕が思ったのはこの程度のささいな点です。このような話こそ、現代には必要だと思うので、推敲の上、文学賞などに出すなり、持ち込むなりしてほしいです。本当に、とても、すばらしい作品だと思います。このような感想ですみません。次回作を期待しています。
2006-05-16 20:04:08【★★★★☆】風間新輝
風間新輝さん、ありがとうございます。過分なことだと思っています。この作品は、新奇なこと、突飛なこと、ドラマティックなことを排除し、どこにでもある当たり前の凡庸さをどうやって表現するかに主眼を置いて書いたものですが、高い評価をいただいて意外というか、驚きも少々あります。
 奇をてらうことじゃない。作品にヒッカケやオチを入れて筋立てとしてエキサイティングにすることじゃない。劇的な演出もない。なんの真新しさもなく、一瞬でも気を抜けば書いていてさえすぐに退屈になる、そういうタイプの作品を、どうにかして自分らしく、地に足をつけて書こうというのが先ず意図でした。自分としては、正直、このようなスタンスが文学賞なり持込に向いているのかどうか、つまり商業作品として向いているのか判別しがたいのですが、お言葉とてもうれしく思います。
 さて、誤字指摘ありがとうございます。段落がえについては、ちょっと僕はどうもやたらと段落を変えすぎる風潮が疑問というか(笑) ありゃあどうも菊池寛だったかなあ? 原稿料を余計に稼ぎ出すために編み出した体裁だとどこかで耳にしたことがあるのですが、まあそれはさておいて、何だろう、語り手の時制のもんだいもあるのですが、改行すると淡白になりすぎるかなと。語り手の現在のポジションも、全く諦観している心境というわけでもないので、ひとつ乱れというか、過剰さを作り出したかったんですね。引きにおいて過剰さを沈静させてさっと終わらせて、ちっとバランスをとろうかなと。
 何ていうのかな、これはプロットを幾何学的にやりすぎると、ただそれだけでおそらくドラマティックになってしまいかねないような、そういう因果関係のつながりになるっぽい気がするんですね。それはちょっと回避したいなあと。どこかに釈然とできるようでできないような錯綜、乱れですね、挿入したかったんですけれどそれがちょっと過剰だったかもしれないですね。
 回想挿入については、これは一人称語りの体裁というのもあって、あまり松村や吉野といった友人の外見描写をやりたくなかったんですよ。友人の外見や人柄をを解説しつつ語るとかというのは、僅か以上は途端に不自然になる。それじゃあどういうつながりの友人かというので、やっぱり回想しかないなと。松村の場合はそれは電話をとる前のタイミングで仕掛けたんですね。これは自分では正解だったと思う。吉野の場合はそれがとても難しく、判断にこちらも困ったんですよ。通夜の描写では別の回想をひとつ差し入れることがプランとしてあったので、そこにもうひとつは厳しい。となればあのタイミングかなと。でもトーンがちぐはぐになっているのは確かに否めないんですね。悩みどころです。熟考してみます。魔術が使えたらいいんだけどなあ。
 ご感想、ご指摘、ありがとうございました。
2006-05-17 06:07:31【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
拝読いたしました。
作風が、大学時代にゼミで扱っていた日本の近代文学の作家さんたちのものに近いかな、と感じました。この作品でレジュメを書くことを想像すると、「主人公」「吉野」「松村」「吉野の父」「主人公と死」などなど、章題や節題が浮かびます。言葉通りだけではなく、その表面的な描写から心情まで深めて読み解いていけるような手応えを感じる、といいますか…… そういう「深読み」に耐え得るテクストだと感じました。時折出てくる独特の比喩が印象的でした。
 次回作も、楽しみに待たせていただきたいと思います。ありがとうございました。
2006-05-17 19:19:28【☆☆☆☆☆】河野つかさ
私には、文意的な部分であまりに矛盾が多いように感じられ、残念ながらこの世界そのものに同化できませんでした。『多分』『と思う』といった、すでに曖昧化した過去の回想的表現が多く用いられながら、少し後でその同じ事象・人物の描写・心理まで克明に掘り下げられていたりするのは、記憶という物の不安定さを表現しているのでしょうか。としても、今回のむしろ直球的モチーフにそれが適しているのかどうか、疑問が残ります。違和感が先に立ち、作中の『私』の存在・心理そのものに、矛盾を感じてしまうのですね。それによって『友人の死』という厳粛な喪失感に同調できず、少々歯痒い思いをしました。
2006-05-17 20:14:27【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
 初めまして。拝読させてもらいました。真摯にテーマに取り組んでいるのが分かります。誠実に取り組んでいく姿勢はとても共感出来るものでした。
 個人的にはもっともっと主人公の考えを深化させても良いのだと思います。こうしたテーマを一人称で取り組んでいくのなら、初めはくどいと思われようとも、読者を置いてきぼりしようとも、決して解決出来ない様な事でしょうし。そういうくどさから、どうやって読みやすくしていくのかを考えるのは次のステップなのでしょう。ただ、こうした深化せずに安易に器用なもの読まさせられても、そこに感じるものなんてね、校長先生の朝礼の話みたいなものでしょうから。
 当たり前や凡庸なんて考えずに表現してください。今や現在を表現するのに、マスコミ的でなく、文学として表現していこうとするのなら、僕は、今自分が立っている地点や周りの世界の視点から考えていく事が何より求められると思うのです。あまりにそこから離れたり、そこを上から第3者的に傍観するような視点で好き放題言うなんて、もっともっと子供の頃か、もっともっとお祖父さんになってからで充分でしょう。
2006-05-17 23:30:36【☆☆☆☆☆】カメメ
 河野つかささん、ありがとうございます。クラシカルなものへの嗜好というのは確かにあって、過分なお言葉に恐縮しつつ、そういうご指摘が心地よくうれしいです。深読みに耐えうるか自信はないですが(笑) それにしても、こちらこそありがとうございますなのです。育児で、子供は褒めて伸ばす、みたいなもので(笑) 褒められて背伸びをするといい気分になって次もがんばれる現金さがありまして(笑) よしまたがんばろうという気持ちになれますねえ。また読んでいただける機会を作れるようがんばりたいと思います。
 
2006-05-18 03:48:45【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
 バニラタヌキさんのご指摘に、意識的、といってもさほどに鮮明ではなかった自分の執筆中の立ち居地について自分で考え込んでみたんですけれど、何ていうんだろう、この直球的モチーフにどうやって距離をとって書いていくのか、そんなことを考えつつ、というより怯みつつ、書いていたと思うんですね。今にしてだけど。
 死というモチーフが何故に厄介かというと、僕にとってはそれはもうあまりに物語化されている、それ単体ですさまじい重力を持っているというのがあって、多分完璧に整除された文章表現をやるのが怖くて仕方がなかったんですね。小細工、という自覚的な戦略戦術じゃなくて、もっと安直に、決定的な何かを回避しつつ対峙したような、そういう揺らぎが矛盾を積み上げていったような気もするのですよ。どうもそれをある面において乱れということで自分で書いていて是認して、安全地帯ということですかねえ、やったというような。
 うん、厳粛な喪失なんですよね。でもそう思った瞬間に、僕は書き手としても個人としてもブラックホールに吸い込まれる、絶対にそれに抗えないっていう恐怖があった。何だか自白状態ですけど(笑) 厳粛な喪失をやろう、そのための万全の演出を施そうとした瞬間に身動きが取れなくなることを回避したいというのが、わけもわからず逃げ出すのに似て頭にあって、それを考えないようにして羅列していった、そのくせ部分部分における鮮明さがあるという、困った状況を作り出してしまった、というべきかなあ。でも一面において、このモチーフは断乎としたものを描くということにやはり躊躇いがあり続けるんですね。うん、こっちの書き手としての揺らぎのほうがよほど似非ブンガク的なのに自分で書いてて失笑してしまいます(笑) いっそのこと、この部分を取り込んだ作品にしちまえばいいのかな。
2006-05-18 04:04:29【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
 カメメさんはじめまして。すみません、ちょっとカメメさんとご縁がなくていただいた感想のみで全貌を類推する困難さに、いまちょっと直面しているんですが(笑) まあ人によって言葉を使い分けるというわけではないんですけれど、取っ掛かりがないとなかなか話しづらいというところが正直ありますです。というのは、あたしゃ読者置き去りでさんざわからん、わけわからんと連呼されてきたクチでして、逆のご指摘をもらってちょっと困惑しているというか(笑)
 ええと、何ていうんだろう、簡単に言うと自分が薄っぺらいんですね。というよりも、そうだなあ、自分が薄っぺらいくせに高邁で高尚で難解なことをやるのに飽きてきたというか、興味が弱まってきた(笑) というよりも、これまで自分が凡庸だと思い込んでスルーしてきたものをもう一度見つめなおしてみたいなという心地が最近とても強いんですね。それが僕の似非ブンガク的な資質(があるとすれば)を束縛する鉄環であるならば、居直りじゃないんですけど、好んでそれを求めているコンディションにあるんですよ。自分の薄っぺらさを隠しもしないし恥じもしない。まあ先々の展望があるわけでもないんですけれど、今はそれをやるべきだなというのが濃厚にあります。全部の作品じゃないけれど、そういうことはやっていきたいんだと。
 ひとつ不本意であったのは、別段読み手に右顧左眄する意図を持ってこういう作品を書いたのとは違うんですね。結果としてそうなっているという風に見えてしまうのは、繰り返しだけれど校長先生の講話程度のメンタリティしか僕にはないということの自白ですので。書き終えたら作品は読み手のもので、書き手が不本意と茶々を入れるのもなんですが、ただ執筆する際のスタンスについてだけはうるさがたのジジイのようになりたいですね(笑) そう見えてしまった事実は甘受しますが、そういうつもりはございませんと僕としては申し上げておきますね。まあいいわけと同然ですが。
2006-05-18 04:19:36【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
初めまして。Jという者です。とても丁寧な筆致だと思いました。 松村からの連絡、そして経過、葬儀などきちっと伝わってきました。趣味の問題ですが、『私』という主語を抜いても大丈夫だと思う箇所もありました。全体的には特に精緻さを堪能しました。
2006-05-18 19:36:53【☆☆☆☆☆】J
Jさんありがとうございます。文章表現を評価してもらえるのは本当にうれしいことです。「私」については、この多用はこちら側の趣味で(笑) 削りこめるところを敢えてつけているというのは何箇所か設けました。遊び心というと浮薄になってしまうけれど、挿入したときのこのリズムが書いていて心地よかったですね。
 精緻さが煩雑さとならぬところで書きたいと思っておりましたので、大変うれしく思います。ありがとうございました。
2006-05-19 02:29:58【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
読ませていただきました。清潔な御作品だと思いました。死に理由を問わない姿勢が良かったと思います。関わりとしての死を重ねることで「私」を構築するほうが、表面の淡さに反し印象は大きいのだなと思いました。ひねくれ者の私には、主人公の心象は驚くほど清潔なイメージでした。思えば、若いころの死に対する想いは、徒爾であった気がします(いまもたいして変わりませんが)。きっと、感情を自分の中に築くことに必死になっていたのですね。湧いてこなければならないはずの感情が意識できないことが怖かったのかもしれません。自然と涙が溢れ出すような人を見て羨みこそすれ不可思議だったりもする、その時間は死者への悼みなど奈辺にもなくて、ただ自分中心に流れるのですね。それが死を見つめるということに繋がるのかどうかは、やはり気づきません。御作品の中で、ラストの尻切れ蜻蛉のような印象は、そういった意味で、偉そうな云い方ですが、潔かったと思います。友人の声が明瞭なものに変じるさまも、わざとらしくなくて清潔な印象でした。
2006-06-03 00:05:40【☆☆☆☆☆】松家
松家さんいつもご丁寧にありがとうございます。さて、死という物語と、その物語から情感的に断絶してしまっている自分という様相、それでいて死により確実にもたらされる喪失ということ、ご指摘を受けて非常に刺激を受けております。
おっしゃるようにこの作品は死それ自体の哲学性や宗教性云々というより、また鎮魂というより、『関わりとしての死を重ねることで「私」を構築する』ことを自分なりに目指したものです。かつて唐突に訪れた友人の死というものが自分の中でこびりついていて、その中で時を経過している、そんな「私」のデッサンになろうかと思います。うん、清潔というのは、狙ってそれに達することなどできませんので、とてもうれしく思います。書いた甲斐があったとも思います。
書いていて、他者への悼みよりも、自分のために時が流れ、自分のために時が澱んでいるということに、僕自身ひとつエゴというものを実感していたのですが、うん、書いている僕もこれが何かの死を見つめ、死とはこういうものであるという定義をする気には到底なれなかったですね。この作品のフィールドの中で手探りをしたものについては手探りの実感だけのことを書き残したのですけれど、それが万人のそれぞれの終焉に当てはまるとは到底思えない。ひとつのそれについて実感を込められればなと。それが自分中心でも、突飛で隔絶していずとも、衒わずさらけ出したいなと。
 ラストは、これは公理的なものでなくて、やはりローカルな実感なのですが、やっぱりこの逡巡というか、堂々巡りのようなものって終わりじゃないんですね。作品世界としても自分の中としても、何らかの結論なり救済がそこに用意されているわけでもなく、またエンドマークがあるわけでもない。この作品の時空というのは閉鎖されているんじゃなくて、何かこう、ずっと連結的に続いているものの上端と下端を切り取ってきて、という感触で。それでラストはこういう形になったというところがあります。環のなかにいることの是認とでもいうのかなあ。それが潔さでもあるのならばうれしいです。
2006-06-03 10:52:09【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
読ませていただきました。
まず文章力の高さに脱帽しました。読んでいて、上手いなぁと思うところがあっても、不快感を感じることが全くありませんでした。ただ現在の思考と過去の反芻が若干ごっちゃになって、時制がよく分からなくなってしまうところはいくつかありました。これは自分の読解力の問題なのかもしれないので流してください。
ご自身でも書かれていますが、この作品の特徴は徹底的にドラマ性を排したところだと思います。それを、「死」ということをテーマに完遂できることは脱帽としか言い様がありません。自分は少年漫画で的なドラマに満ち溢れた作品が好きです。でもそう言ったドラマは所詮フィクションで、作品の中でどんな素晴らしい話を展開してもそんなものは現実では何の力も持ちません。そう言った作品から得る感動も涙も勇気も、それらも所詮偽物なものだと思います。自分は勇敢な少年が魔物を倒したり、心に傷を負った少女が恋愛したり、頭の切れる青年が殺人事件に巻き込まれたり、そう言う作品に大いに楽しませてもらいながらも、どこかで引っかかる物を感じてきました。
でもこの作品にはそれが無い。死について勝手な哲学を述べるでもなく、答えを探すでもなく、徹頭徹尾淡々とした「私」の描写がこれが現実なのだと思わせてしまう力があると思います。
2006-07-25 03:39:49【☆☆☆☆☆】junkie
 レス遅れてすみません。junkieさんご丁寧なご感想大変ありがとうございます。
 さて、この作品も終えてからしばらく時間が経過したことによって、自分の中で沈静化したり距離を取ることができたりして、改めて見えてきたものがあれこれありますね。
 時制の問題について、やはりこれは文法上のケアレスミスでなくて、整合性のないかたちを作りたがっていた自分自身を良く考える必要があるのだなと。やはりこれはこの作品世界を見つめる「私自身」というもうひとつのメタ構造的な構成をとるべきだったんですね。自分の躊躇、自分の煩悶、そういうものも作品として組み込むべきであったと、今にして思います。
 文章について、本当にうれしいことです。というのはやはり一番神経を使うのが文章ですので、個々のよしあしが一番骨身に響くんですね。しかし精進はぜんぜん足りてないから、もっともっと前を目指さねばと思います。
 さて、それでドラマ性です。この点について評価してもらえたことが本当にうれしいし心強いですね。
 ドラマ性を排除すること、排除したいと願うことは、とりもなおさず僕が非常にドラマ性に侵食されているということの裏返しであると思います。それは単にフィクションを前にした場合ばかりでなく、日々の生活の中においてもね、やはりものを見つめ、洞察しようとすれば、そこにドラマ性が機能してくる。現実は現実として歴然と存在しているんですね。でもそれを僕が見つめようとすると、現実として受容することが完全にできずに、ドラマとして解釈しちゃうことがある。
 どうも、自分は、そういうものに常日頃からだまされすぎているんじゃないか、というところから、自分にとって確実な何かを手にしたいと思い、またその道具として自分でフィクションを用いるという、実にケッタイな図式に、今あるわけですが、そしてそのことに長らく絶望していたのだけれども、しかし「これは偽物だ。そして、これを偽物だと感じること、本物でないのだと違和感が警告してくれること、そういう感覚が、だまされてしまう感覚と並立していたとしても、ちゃんと僕の中にある」という、現実と触れ合うことのできる自分自身を根拠にしてですね、書きたかったんですね。
 その結果として、僕の現実という実感を伴ったある感覚が、陳腐で、凡庸で、説教臭いものになったとしても、それはそれで僕自身の現実であり事実なんだと。凡庸を、ドラマは時として恐れ排除するものだけれど、そうじゃなくて、僕は凡庸であってもちっともかまわないのだと、だから死という、軽薄にアプローチしようと思えばいくらでもそうすることのできるものに対して、淡々と凡庸に挑もうと思ったんですね。
 それが表現技術上どこまで作品における真実と昇華したかはわからないんです。もしかしたらまるっきり無意味であったかもしれない。でも、定型的なドラマをやって失敗しないことより、暴れまわって玉砕したほうがナンボかマシだなと(笑) そういういいかげんな蛮勇さでのりだしてみたのでした。
 幸いなことに得手勝手なものに多くの皆さんからの好意あるコメントをつけてもらいまして、損得勘定としてはもう大成功で(笑) 自分としてもこの作品の鉱脈から多数の資産を回収できたとほくそえんでおります。今回またそのひとついただきまして、挑戦してよかったという実感が再び湧いてきます。
 とまあこういうワガママな書きっぷりなのですが、今後も別作などよしなにごひいきいただければうれしゅうございます。どうぞよろしゅうお願いいたします。
2006-07-27 18:43:04【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
計:4点
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