『剣の言葉』作者:かま / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 ――――生きてるよ、死んでないからね――――。

 ◇◇◇

 並び立つ虚無なる高層ビル群、蟻のようにその間を這い回る人間達、淀んだ空気、地球の様に丸い時計は無情に世界が変わらない証拠として自分をまざまざと見せつける。
 蛹のような大人達は社会という殻に閉じこもり抜け出さない、まるでカメレオンの如く七色の服で身を変えて自分を擁護する。
 否、殻に篭っているのは社会そのものか。
 人間が造ったシェルターは確かに効力を発揮し、彼らを護り続けている。しかしそれは過保護で、時には人を潰しかねなかったりそうでなくとも歪ませる力すら持った危険な代物と変質、変貌していた。ならばそこまでして人間は殻の中にいることを選択したのか、当然、『殻』の外に何かが蠢きそれに畏怖しているからだろう。それは何? 人間の一番畏怖するものなんて決まっている。
 人の姿で在りながらまったくもって異なり人智を凌駕する――人外。
 人外といえば一束にまとめられるが勿論そんな筈も無く、古来より恐れられてきた存在、つまり民話などに出てくるような物の怪、西洋の化け物(この言葉も正確では無いかもしれない)等、かなり恐れられるだろう存在が考えられる。
 きっと、とうの昔に人の先祖がそれらに絶縁状を叩きつけて『社会』が形作られて行ったのだろう。だって人は臆病だから、同じ姿の筈なのに完全完璧非の打ち所無く負けていることを認めたくなくて、殻の中で、自分達の世界で停滞と引き換えに人外との接触を経ったのだろう。
 人間の進化の可能性すら捨てて。殻の中に密集して、安定した高気圧になる事を望んだのだろう。結果として、人間は欲望に歪んだ。その後、人外はどうしただろうか。
 きっと、呆れただろう。せっかくの進化の可能性を捨てるなんて退屈だろうと思い、彼らを阿呆と卑下したことだろう。そんな者ばかりじゃなくても大半はそう思う。
 きっと人外は嵐を呼び雨を降らせ、全てを掻き回す低気圧。そして低気圧とは決定的に違うのは、それを愉しむ存在だということだろう。
 淀む空気を跳ね飛ばし、乾いた地面に雨を打ちつけ、矮小な存在を再現無く掻き回すそれらが人間の――人智を凌駕するなら簡単完璧塵すら残さずに破壊できる人外が社会のシェルターを壊そうとしないのは呆れたから、進化しようともしない彼らを掻き回しても何も出ないと思っているからだろうか、つまらなさそうだからか。もちろん例外もあるだろうが。
 きっと人外にとっては人間の楽しみなんて些細な事なのだろうと思う、人智を超えるのなら特に。それも恐らく人間が人外を恐がる理由なのだろうが。
 では、人外が人外として愉しむ事は――
「まあ結局、人間は被害妄想してるってことになるわね。
 私悲劇って言葉嫌いなのよね、被害妄想の産物だもの」
 と、いきなりの艶やかな女性の言葉で思考を中断させられる。大人一人分くらいの大きさの灰色の平たい岩の上に仰向けに寝転がっていた自分は上半身だけを起き上がらせる。
 そこは一面名も分からない花が広がっている。淡いピンクに染まっている花達はまるで鈴蘭のように頭を垂れていた、自分のどこにでもいるようなジーパンとTシャツの服装はこの神秘的な雰囲気にまったくそぐわない。空は快晴、雲は一つも無い。そして足元にいる岩に寄りかかるようにいる、目は燃えるようにルビー、西欧系の悪戯っぽく妖艶でいて大人の雰囲気をかもし出す顔つきでありながら、黒く腰にまで届くストレートな髪の女性を見る。
 服装は奇抜といえば奇抜で、真っ黒な服とロングスカートはボウシとホウキとマントさえあればいかにもといった感じで、それでいて白く輝くような肌の肩等が露出しているというある意味ハイセンスな服を完璧に着こなしていた。それでもふくよかな胸がしっかりと確認ができる。着痩せする質だとしても、常人よりかなり大きい。とそんなことを考えていたら
「残念、貴方の考えてる事ぐらい分かるわ」
 なんて言われてしまった。先程の思考でも読まれていたのだろうか。
 すると、今度は前の方の花の中に座っていたもう一人の女性がこっちを向いた。
「被害妄想してない人間は居ないと思いますよ?」
 優しい口調でそう言った、目は深淵のようなサファイアの色、けっして年寄りのようなものでは無くまるで真珠の如く輝いていて見るからに滑らかな背中まである白髪であり、こちらは清楚でいて優しそうな顔つきの彼女は岩の方に座ったまま近づいてきた。
 その女性の服装は下の方は花で確認がし辛いのだが、見る限りでは帯すら真っ白な和服だ、まったく模様の無いシンプルな作りをしている。黒髪の女性と同じくらい美しい肌と相まって儚げな印象を受ける。ちなみに胸は先程の女性とどっこいどっこいである。
一応高校生風情の自分よりも確実に年上に見える(実際そうなのだが)二人の女性を差し置いて岩の上にいるのもおこがましく感じ、岩から降りて花畑に座る。先程岩に寄りかかっていた女性は片肘を岩について向き直り、結果的に岩の周りを囲むようになった。ちなみに自分は胡坐をかいて、近づいてきた女性は足を横に出して、元から岩にいた女性は岩に体を乗り出している。
「それを言ったらこの自分もそうですよ、確かに間違ってないけど。でもそれ以前に、そうであっても自分らは生きているんだけどね」
「確かにね」
 片肘をついている女性は自分の答えに何の感慨も抱かずに言った。
「本当につまんないわね、そんなガチガチに身を固めた生活をして何が愉しいのかしら」
「きっと、愉しむ以前に当たり障り無く生きることが大事だと思っているんじゃないですか?」
「それが意味不明ね……まあ、人間の楽しみなんてたかが知れてるけど。人間に干渉する人外も結構増えてきて、中には貴族みたいな生活を堂々としてる奴もいるのにまったくもって関係を持たない、なんて人間は保守的なのかしらねぇ」
「待って、自分も人間なんですが」
 二人の美しいの声の間に割って入るのは少々気が引けたが、さすがにこれ以上は愚痴になりそうな気がしたのでなんとか止めてみた。すると先程片肘をついていた女性が岩の上に四つんばいで乗り上がったかと思うと、滑らかな黒髪を揺らしながら自分の顔に近づいてきた。驚いている自分の顔を両の手で包むように持ち上げ、自分の体の上に彼女はあろうことか体を乗せてきた。彼女の顔は目の前にあり、服の上から柔らかな胸がくっついて来た。
「おわっ……わぁ!?」
 パニック自分。落ち着け自分。彼女はそんな事には意も解さず、少しだけ加虐的な笑みをたたえてぼそりと呟いた。長い髪が横から覗き見える筈の花を塞ぐ。
「貴方は特別なのよ、だって私達二人とこうして喋っている。それだけで貴方は外れてる、言うなら変わり者ってことね。まあ変わり者と言えば人間そのものの様な気がしなくも無いけど」
 言うと、黒髪を揺らしながら自分を上から抱きしめるようにさらに体を密着させてきた。顔は自分の右肩に乗せるような位置にあり、このまま押し倒されそうな錯覚までした。視界は回復したが、さらに胸等がくっついて落ち着かない。
 さっきの行動で混乱しつくしたのか分からないけど(それでもやはり驚きはしたが)、今回はさほど驚かずに対応する事が出来た。
「それは違うと思いますよ? 歪んだ人が歪んだ事をするのは普通で、実際外れてしまっているのは自分だけでしょうね」
 ……本当に、自分は何なんだろうか、まったく分からない。『自分』という『他人』が一番理解できない。
 それは、他の人にも言えるんだろうか。
「まぁ、それもありねぇ。
 あと、この状況で興奮しているのが若干一名」
「はい?」
 耳元で悪戯っぽく囁かれ、ふと岩の傍を見てみると。
「…………………………」
 まずっ……。
 和服の女性が白いはずの肌の顔を紅潮させ、落ち着かない様子でこっちを見ている。目は淫靡に潤んでいる。好きな人が見ればツボなのだろうか、残念ながらそういう趣味は無い。と断言しておかないと何か後で危険な気がする。
 魔女服の女性にどんな悪戯されようが和服の女性にどれ言い寄られようが跳ね除ける自信は……まあ、はっきり言ってあるわけじゃございませんが。
「貴方はどれだけ苛めてもまったく慣れない性格してるから、毎回こういうふうにされて驚く様を見て興奮してるんじゃないかしら?」
「誤解を招きかねない発言は止めて欲しいです……。
 じゃ、じゃあ自分はそろそろおいとまします」
 和服の女性と目が合ってしまい。なんだかこのままじゃかなりの確立で自分の貞操が危機に晒されているような気がしたので、さっさと自分は帰ることにする。
 その言葉を聞いた黒髪の女性はやっと自分から離れ、和服の女性は恥ずかしそうにまだこっちを見ている。正直こっちが恥ずかしいですって。
「ま、今回はこれまでね。じゃ、またね」
「ええ、ではまた」
「あと、このくらいいつもの事なんだから本当に少しは慣れなさいね。まぁ、それがいいんだけど」
「…………」
 恐っ、この人には絶対借りは作りたく無いな。さて、本当においとましよう。
 自分は立ち上がり、『魔女』と『雪女』に一礼をした。すると、どんどん視界が狭まり、目の前がぼやけていき、遂には意識が飛んだ。こうして自分は戻る、いつもの場所へ。
 ここが夢だと最初来た時は思っていた。しかしここは夢にしては非常にリアルで、さらに他の二者は人外ときた。信じ難いことではあったが、人外は人間の自分には出来ないことをやってのけるという、この花畑は夢では無いとだけ説明を聞いた。しかし彼女らがこの空間を造ったのでは無いという。
 ただ、今それはどうでもいい、問題は自分が彼女らと会話している事で、自分が花畑に辿り着いた事らしい。でも自分にとってはそれすらどうでもいい。
 面と向かうと言えないが、自分はただ彼女らと話す事を大切にしてきた。他の何かを犠牲にするでもなく、彼女らに尽くしている訳でも無いが、それでも何故か自分は彼女らにだけは嫌われたくなかった。その理由なんか分からない。
 自分が生を受けた年数と同じ年数彼女らと話していても、そう思うのだ。
 ああそうだ、最初に中断された思考の最後の言葉を教えてあげようか。これは彼女らに聞いた物だけど。
 人外が愉しむ事は主に――――『殺し合い』『殺戮』。

 さあ自分は帰還しよう――――――――――――――――
 何時血に染まってしまうか分からない、日常へ。

 ◇◇◇

 英雄らはかく戦いぬ。
 あっぱれ心平らかに、剣は激しく、殺戮と死をば決して。
                       ― 『八岐の園』 ―
 ◇◇◇

「あら、おはよう雄途」
 起きて学校の制服に着替えたその足でリビングに向かうと、朝ご飯を木製の四角い机に置いている女性が声を掛けてきた。
「ん、おはよう母さん」
 軽く自分も会釈し、机の前にある椅子に腰掛ける。母も着けていたエプロンを取って向かいにある椅子にかけてそのままそれに座った。 母は少し垂れ目で落ち着いた印象を周囲に与える。後ろの方の髪は後ろで纏められ、肩ほどの位置で垂れている。出る所は出て締まる所は締まっている体を覆うように長袖で襟の辺りにフリルの付いている上着と、落ち着いた色で地面につくんじゃないかと思う程のロングスカートは母の優しそうで落ち着いた印象を後押しする。あ、マザコンじゃないので。
 取り合えず置かれた食事を食べるため、箸を持つ。その手で左手に持った白米と綺麗な形の玉子焼きなどのおかずを交互に食べる、うまうまー。母も自分が食べ始めたのを見てから箸を持つ。
 ふと、自分と母の間にあるぽつんと置かれてある余った椅子が目に入る。
「……で、どうやら父さんは」
 そう呟くと、何故か母がにへらと嬉しそうに笑みをたたえた顔を片肘ついて支えながら喋った。
「そ、また出張よ。今度は青森の方とか」
「そうか、どうりで」
 酒の匂いがするわけか。
 この人、いっつもそういう時夜通し飲み明かすからなぁ……、しかも酔わないし。正式に言えば酔った時と普段のテンションが変わらないだけだろうけど。元旅好き……なのは関係無いか。
 父は民俗学者で、特に妖怪などの専門を調べているらしい。自分も小さい頃から書斎によく入れてもらった事もあり、普通の人以上にはそういう事を知っているつもりではある。
 まあ妖怪の存在は否定ということで昔から民俗学でも言われてきたらしいけど、気にしないことにしている。父は四十代とは思えないほどごつい体躯と渋い顔つきで、高い身長とこれまた渋く重い声色と相まって威厳を感じる風貌がある。実際に恐いけど、長い黒めのコートとか着るともう何処の組織の幹部さんですかって問いたくなるほどだったりする。分かりづらい言い方だけど。
 で、父が何処か行く時母はいつも出張祝いだかなんだか知らないけれど夜通し飲む、とりあえず飲む。多分寝てない、んでもって夜何をしてるかは不明。父もちゃんと寝るから多分一人で飲んでるんだろうけど。
「ん、もう時間よ?」
 不意に母が時計を見た。自分も見てみると確かに時間が無かった、学校へ行かなきゃ。取り合えず箸を置いて玄関に向かう。
 と、椅子の脇に置いておいた鞄も忘れないようにしないと。さっさと玄関へ向かって靴を履く、さすがに慣れたものである。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 後ろに立っていた母に一言放ち、自分は玄関のドアを開けて一軒家の外に出る。外は綺麗なほどに快晴だった。
 ブロック塀の間から公道に出て、学校のある方向に向かう。
 きっと自分の周りが血に染まるなら、まずこの景色が染まるんだろうな、と思いながら。

 

「いよーう当麻ぁ」
 朝日が入るコンクリートの教室に入るなり、後ろの方にある机に座っている男子に声を掛けられた。
「誰かと思ったら学力最低クラス赤点確実夏休みは補習必至の羽間隆司君ではないか」
「……お前よく悪意無しでそういう事が言えるよな、よく授業中に眠る奴がっ!」
「本当だろ? あと寝てても赤点は無い。じゃあオセロで使う駒の種類は?」
「二つ」
「さっすが」
 お話にもなりませんぜ。
 そんな雑談を交わし、自分も羽間の前の席に腰を下ろす。比較的新しい机の脇に鞄をかける。少し立て付けの悪い窓から気持ち良い風がふわりと中に流れてきた。
 自分達以外にも当然生徒は数人いる。各々がグループを作って話していたり、一人読書に耽っていたり、寝てたりしている。
 寝てるやつはもっと遅く来てもいいんじゃない?
 隣の羽間は、少しワックスがかかっている髪を弄っていた。中肉中背、顔については女子に言わせれば『面食いにはご馳走』と言わしめるほどに整っている。らしい。いや食うわけじゃないのは当たり前だけど。
「そういやさあ、お前知ってる?」
 と、いきなり羽間が後ろから話してきた。自分は後ろを向いて言葉を返す。
「名詞が抜けているのに知るわけないよ」
「あ、えと」
 言葉を捜すような羽間の素振りに笑いを噛み殺しながら彼の机で頬杖をつく、頬杖をつくのはきっと母を間近で見てきたからに違いない。うん違いない。
 そんな事を思っているとやっと的確な語を捜し当てたらしく、羽間が喋る。
「ほら、あの修道女服で身の丈をゆうに超えてる鎌をもった女の話」
 ああ、あれか。思いっきり都市伝説みたいになってるあれか。
 最近よく噂されている話で、昼夜問わずに先程の話のような女性、修道女服で顔まですっぽり包んで黒く身の丈を超える鎌を持った女性が誰かを捜しているんじゃないかという話がある。しかもその女性を見たという人は皆『ありえない脚力で空中を駆けていた』と口を揃えるとか。いや冗談かどうかなんて知るよしも無いけど、もし本当だったら明らかに人外。
 ――おかしいな、人外は普通気付かれないように行動すると聞いたけど。少なくともあの御二方は言っていたけどな……
「で、それがどしたの」
「ん、ああ。別に知ってるか聞いただけ」
「……あのなぁ」
 少し病院行こうか? もしかしたら馬鹿も直るかもしれないし。
 と、チャイムが鳴ると同時に担任が入ってきた。皆それぞれの席に着く。自分も前を向く。
「あーっ!」
 いきなり羽間が叫んだ、驚いてそっちの方を向く。お前一体どうした!?
「さっきの問題俺おもいっきり間違えてたのか! オセロのやつ!」
 …………誰かこいつに常識ってものをどんだけかかってもいいから教えてやってくれ、ただし金は払わないですから。

「で、こうあるから……」
 授業中、だけど自分は壮絶に眠い。
 まずい、まずい。先生の喋る声さえ不透明ですよ先生。って何いってるんだ自分、しかもノリ突っ込み。
 うーんどうしよう、ノートは誰かに見せてもらおうかな。
 でも先生に怒られるのはちょっと勘弁願いたい、でも眠い。
 どうしよう……………………………………………………………………………………

 ◇◇◇

 結局こっちに来ました。御免なさい。
 自分はいつもどおり一枚岩の上に寝転がっていた、戻ったらどうしようか悩んでいたりいなかったり。
 周りの花はいつもどおり頭を垂れて一面にピンクの絨毯を広げている。空もいつもと同じ。
 さて、いつも自分が来た時に来るんだから、そろそろかな。
 ……当たり
「なんでいっつもこうジャストタイムで来るんでしょうかね」
 見上げていた空に、黒と白の物体が入る。
「ふふ、理由ならあるわよ」
 黒いそれは言った。
「聞きます?」
 白いそれは言った。
「とりあえずは」
 自分も言った。

「ああ、そういえば聞きたい事がありました」
「話を切り出す時の定型句ね」
「いやいやいやいや。そんな事言う前に話聞いて下さいって」
「……クスクス」
 ……なんで自分は雪女に笑われてるんだろうか。
 自分達は前と同じような位置で雑談をしていて話題を切り出してみた所、見事に茶化されたような感じがしなくもない状況になってしまった。自分は悪くないと思う。
「で、話って?」
「聞く気あったんですか」
 魔女に言われてとりあえず反抗してみる。とそれはいいとして話題の方を言わなければ。
 ――話題の修道女の話はしなくていいだろう。彼女達に関係ない事だし、自分もそれを言ってどうこうして貰う必要は無いし。
 大体、その話の真偽すら不明なのだから自分が何をしても意味はまったくもって無いと思う。
 で、他に聞きたい事は。
「なんでいっつも名前を教えてくれないんですか」
 実は自分、この御二方の名前を知らないという状態だったりする。
 自分の名前は普通に分かっておられますが。
「なんでそっちだけ」
「それは、当たり前じゃない」
「はい?」
 魔女は岩に頬杖をつきながら会話する、雪女も気持ちこっちに寄ってきている気がしなくも無い。自分は魔女の方を向いて話を聞く。
「貴方に会いに行く時に残してあるに決まってるじゃない」
「何故にですか」
「その方が楽しそうだから」
 聞いた自分が大馬鹿でした。
「何故ですか」
「さあ?」
 ……駄目だ、これ以上の追求はのれんに腕押しどころかジェット機とスピード勝負を挑むくらいに意味が無い。
「私もですよ」
 雪女まで。貴方もしや魔女と似た性格だったりしないでしょうね、サディストが増えるのはもう御免こうむるのですが。いやそのことは置いといてならば何故。
「自分の名前は聞いたんですか」
「あら、自分から言ったじゃ無い。自分は当麻雄途だって」
「貴方に聞かれて答えた幼少の記憶は間違いだって言うのですか」
「私も聞きましたよ」
 ……正直聞いてませんよ。つうか答えになってないと思われるのは自分の考え違いでは無いですね、はい。
「まあ、深い意味は無いってことで。現実で会いに行く時にまでのお楽しみって事で」
「どういう事でですか」
 疲れる。肩をがっくりと前に落とし一緒に頭を周りの花のように項垂れて溜息を少々。これくらいはまあ日常茶飯事だから大変で面倒臭いんだなこれが。
 っと待った。会いに行くまで? そういえばもう一つ聞き忘れた事があったんだった。
「いや、じゃあ何故今まで会いに来なかったんですか。まあ此処に居る時みたいにはいかないでしょうけど」
 顔を上げて魔女の方を向き息を吹き返したかのように言葉を出す。
 ま、正直な所言ったら会いに来ちゃうんじゃないかといままで言わないできたけど。よく考えたらその気になってもすぐあっちで自分は見つからないだろう。
 ふと雪女の方を見てみると、地面に腕をクロスさせたままつけてそれを枕にして寝息をたてていた。おいおい。
 確かにこの人はいつもそういう天然系な所を垣間見ることがよくあったりするけど、これはさすがにおかしくないだろうか――。
 刹那、横からぞくりと悪寒がした。
 まるで錆び付いた機械のように不自然にそっちに首から上を回して向けてみると。
 そこには。
「あれぇ……?」
 魔女はそれだけで、小動物を息絶えさせることが出来そうなほど淫靡に、優雅に、可虐的にそして。
「来て縛って無理矢理接吻されて犯されたいのかしらぁ……?」
 妖艶そして危険なまでに、微笑んだ。
 自分はさーっと血の気がチーターの全力疾走の如く消え失せた。つーか脈絡なさすぎだこの人。
 しまった、この御仁はまだこんなサデスティックな欲求持ってたんですか。というか、なんというか、そこまで言って無いでしょうが。その前に言動を直して欲しいとかも思ってたりするんです。流れる嫌な汗が止まらない。
 この人は微妙に偏屈した思い込みがあるから苦手だ。
 やっぱり言わなければ良かった。この人、もしかして自分の住んでる場所を特定できてるのかもしれない。そしたら最悪の事態としてもしかしたら……。
 そんなこんなで焦っていると、魔女は自分の両肩に手を添えて。
 思いっきり岩に押し倒した。
「いっ……いやいやいやいや!? ひっ……」
「ああ、とっても良い声ねぇ」
 必死に逃げようとするが両の手首を掴み自分の顔の両横に押し付けられただけで動けない。自分は足はそれなりだけど腕力がてんで駄目なのが昔からのコンプレックスなのだ。足も今ロングスカートの奥の足に絡められ上手く動けない。やばい多分いや絶対今凄い泣きそうな顔をしてる。
 この人がこんな嬉しそうな顔して迫ってくるとどうしても恐怖しか感じない。恐い恐い恐い。
 苦し紛れに雪女の方を見ると、こんな状態でもまだ地面に伏せって寝入っていた。
 ダ、ダレカタスケテー! 来る訳無いけど。
 突然、魔女の顔が自分の顔と抑えられている右手の間に落ちてきた。が。
「いぃぃっ!?」
 べろり、真っ赤な舌で首筋を思いっきり舐められた。
 暖かいとも冷たいとも分からない唾液が首筋をつたっていく感覚に全身に怖気が蹂躙する。変態みたいな自分の感覚にさっと思考が通常状態に戻っていく。
 うーわー、何されてんだ自分。恥ずかしい、羽間になんか見られたら鬱どころじゃすまされないなこれは。
 とりあえず、この状況をなんとか脱しよう。
「な、ん、で。毎回此処までくるのにじゃあその先は今までなかったんでしょうか、ねえ!」
 がつっ。
 思いっきり頭突き。
 痛い。当たり前だ。
「あっ、たー」
 思わず呻く。とりあえず頭突きで多少浮いた魔女の腕を振り払いそのまま岩の上からさっさと退散、なんとか逃げ切った。花畑の中にへたり込む。魔女はどうやら痛がっている様子だ。
 ちょっと人みたいな仕草に少しほっとしている。
 自分の頭も鐘が鳴ように鈍く響くように揺れてあまり気持ちのいいものではないが、当たる寸前気持ち引けてしまったのかそこまで長時間痛むことなく一分くらいで大分マシになってきた。
 気付くと、魔女は右手で頭突かれた箇所を押さえながらこっちを見ていた。
「だって、会った時までとっておきたいものよ」
 ……痛くないんですか。いや押さえてるから痛いか、わかんないですよもう。
 と、呻き声のような声が聞こえ、今度はそちらの方に目を向けると、雪女が復活覚醒した様子だった。
「おはようございます」
「……はい」
 なんでこんなにもタイミングが遅すぎるのか皆目見当がつきません。ついたらそれはそれで問題として取り上げるべきかもしれないけど。
「ま、他にも理由はあるけど、今はそんなんでいいでしょ」
 どうやら完全に痛みが引いて立ち上がった魔女は無責任というより思いつき的な言葉を発した。ちなみに、先程言った「此処にいる時みたいに」とはつまり簡潔に言うと気配がするということだ。
 確かに言われれば自分も戻った直後に“まだいるっぽい”と思った事はよくある。勿論その時は冗談交じりで信じてなかった訳だが、いなくなったかな、と感じる事もあった。どうやらそれはあっちも同じなようで、自分が来たのを感じたらすぐに来るらしい。
 どこまで暇なんですか。
 自分が帰ったあとすぐどちらも帰ってしまうあたり、三人で話す以外に目的はないと思われるので、もしかしたら二人は戻っても顔見知りなのかもしれない。
 なんか、自分を弄るために来てると思うと少しヘコみそうになるけど。
「――ま、別にいいか。そろそろ戻ります、話すことも無いし」
「ん、じゃ私達も帰りますね」
 雪女も自分の言葉に便乗するかのように喋った。まあさっき考えた通りならそれが順当だろう。
 が。
「あーちょっと待ってくれる? 雪女さんに話があるから」
「「え?」」
 不意に、魔女が雪女を引き止めた。自分達は呆けた声をシンクロして放ってしまった。
 本当に予想外の話だ、雪女も驚いていることから今までこんなことが無かったようだ。自分だってこんな例を知らない。
 何ですか、と雪女が聞いたが魔女は自分が帰ってからと言って聞かない。
「ま、女二人で話したい事もあるのよ」
「……わかりましたよ」
「何、嫉妬?」
「違います」
 仕方無いので、言われたとおりに帰ることにする。ま、このこの人は気まぐれが多いから大した事にはならないと楽観しても大丈夫だろう。
 そしてまた、思考が飛んで意識が落ちる――――――――。



「で、なんですか」
 当麻が帰ったのを確認した雪女は、岩に座り込んで放しかけた。魔女はその右横に並ぶように座る。花は変わらず頭を垂れたままだ。
「ん、まあそんな難しい話じゃないわよ」
 魔女は、さも冗談を言い放つような気軽さと、確認するような言い方で、さも当然の事のように。
 さっき当麻と話した時のような感覚で。
 矛盾を、口に出す。

「貴方、眠ってなんかいないでしょう?」

 ◇◇◇

「おい、当麻。おい」
 同じ言葉のリピートに若干うざがりながら顔を上に上げると。
 強面顔の歴史教諭の少し怒りに震えた姿が目に入った。ちなみに、自分は暗記ものの成績はいい。別に聞いてもいないが。
 ただこの教諭の授業は話してノートに写す(普通授業なんてそんなものなのだろうが)だけの単調な作業で正直つまらないので自分はいつも眠くなるというか寝てしまう。
 ただ、さすがに回数が多すぎたようで。
「そんなに寝て一体何がしたいんだろうなぁ?」
「バスケがしたいです」
 言ってみた。
 殴られた。

 
「痛かった」
「いや、お前はある意味凄い」
 いや、なんとなく言っただけなんだけどな。とりあえずお前に言われたくはない。
 放課後、授業中の出来事を話しながら少し夕焼けで赤く染まりかけてきた校内を下駄箱目指して歩いていた。
「にしても、修道女服の女ねえ」
 不意に、羽間が声を出した。自分と羽間は止まって話す。
「どうした」
「んにゃ、もしその女に会ったらどんな美人なのかなって」
「お前の脳は真面目な方向に働かないのか」
 呆れて、自分は先にまた歩き出した。後から羽間も並ぶようについてくる。
 でも、一般の人間が考えるのなんてあまり本質とは関係無いような話だろう。そんな詳しく調べても引かれるだけだし、こういう話は中高生にとっては只のネタ話。
 階段を下る途中、羽間は数人の女子とすれちがいざまに声を交わしながら進んでいく。本当に人気自体はあるみたいだ。
 自体、という含みのある言葉は彼女がいないことを指して言っているのだが。羽間は。
「まあ、認めたくないがそういう恋愛事に疎いのは分かってるからな、そういう自分のミスで双方が痛い目見るのはさすがに目覚めが悪いさ」
「おお、馬鹿っぽくない」
「待て」
 照れくさそうに言う羽間の言葉を茶化しながら下駄箱で靴に履き替える。
 次々と生徒が脱兎のように校門に向かって歩いていのがここからでも視認できる。自分達もさっさと外に向かう。校門近くの木々からの赤い木漏れ日の中を通って公道にでる。
 羽間は、先程の話を続けた。
 羽間に似合わないような、恥ずかしい顔をして。
「それに、どう足掻いたってカレンダーに俺が死ぬ日が載ってるのなら、それまでにどれだけ泣けずにどれだけ笑えるかが一番大切だと思うしな」
「だから、泣きたくないし泣かせたくない、か。おいおいお前の馬鹿キャラに似合わないぞ。もっと何も考えずにいてくれないと、あと台詞がクサイ」
「……えええ」
「冗談、それにな……」
 そろそろへこんできた友人をほんの少しだけ慰め、今度は自分も話す。
 歩みは、止めない。
「泣かないか泣くかなんてその時まで分かる訳ないだろ。シュレディンガーの法則って言うやつかな」
「何ソレ」
「それは置いといて、他人も自分も選択してから結果が出るんだ。選択した瞬間に結果が決まる訳じゃあないんだよ、そんな弱気じゃ年とってから昔に戻りたいって思っちゃうぞ。
 前に誰かが言ってたんだが、今未来をやりなおせって言ったんだ。十年後、五十年後から今戻ってきたんだってな、だから、また戻ってから同じ事なんか思うなよ、ってな」
 誰が言ってたかは、もう忘れてしまったけど。
 少しだけ風が吹き、自分達の髪や周りの葉も一緒に揺れる。
「――成る程ね、分かったよ」
 清聴していた羽間は一言だけの感想だった。
「馬鹿なのに分かった?」
「ひでえ、めんどくさいのは後回しにして早く帰ろうとしただけだ」
「いや、おま……」
 もういいや。
 やっぱりコイツは馬鹿なんだ。
「にしても、羽間と一緒に帰るのが当たり前だな」
「当たり前だろ、友達なんだから」
 でも。
「もしかして羽間、約束を覚えてたりしないよな」
「あ、お前も覚えてたんだ。小学校上がる前にしたよな、友達同士仲良しでってな」
「下手に記憶してんのな、もしかしてお前はその約束があるから自分といる訳じゃないよな。それだったら少し考え物だぞ」
「だーいじょぶ。そうじゃなくても友達さ」
 こいつの。
「ま、もしかしたらお陰でここまで同じ学校でクラスにいるのかもな。まあ邪測なのかもしれないが、安心しろ」
 こいつの。
「約束してようがしてなかろうが、一緒に同じ道を歩いて帰ったあの日から体が腐るまで、俺とお前は友達だろ?」
 こいつの言う事は、たまに少しだけ格好いい。
「――そうか」
 自分は微笑んで返した。

 ◇◇◇

「貴方、眠ってなんかいないでしょう?」
 花畑の中での魔女の問いかけに、雪女はいつも通りの口調で答えた。
「別に、眠かったけど眠れなかっただけですよ」
「じゃあ、何故私があの子を前倒しした時前みたいにしなかったのかしら?」
「あれは貴方なりのマーキングですよ。貴方の魔力……で語弊は無いですか? 貴方はそのあたりが曖昧ですから、とにかくそれを唾液に混ぜるかなにかして浸透させて、遠くにいても場所を分かるようにしたんですよね。最近向こうでは会ってませんがそのぐらいは分かりますよ。
 ……会う気満々ですね」
「――――――――ふ、まあいいわ、この話は保留にしときましょう」
 魔女は自分から話題を切った。つまりのこの為に雪女を引き止めた訳では無いということになる。
 雪女は魔女に向き直る。
「じゃあ、なんのために?」
「貴方、向こうであの子の名前を聞いた事は」
「あります」
 問いかけに即答する。いいわ、と魔女は確認する。
 どちらも口調や態度などは当麻と話している時と変わらない様子だ。また先の会話の様子から二人は向こう――現実の方で面識があるらしい。
 魔女は話を続ける。
「じゃあ、当麻の名を知名度は分かるわよね。
 別にそのためにあの子と居る訳じゃないけど、一緒にいれば端っこぐらいは分かると思っていたけど……あの子も分からないのかしら。

 人外で、あの子の名前を知らない子がいるわけ無いみたいなのにね」
 二人とも、まったく変わらない様子でいる。
 周知の事実、ということだろう。
「……ですね。聞いた話は尾ひれがついている感じですけど、直接聞いても」
「ダメでしょうね、嘘を見抜くは得意だけどそんな感じじゃあないもの。
 むしろ、今まで名前だけで特定されなかったとはいえ、人外と一度も会ってないのが驚きよ」
 名前が広まった理由として挙げられるのは。
 一つ、彼が人外の範疇内で何かをやらかしたか。
 一つ、彼が向こうでも人外と話し、それが広まったか。
 一つ、彼が実は人外であり、名指しで語られる程の実力者か。
 そして、この空間の事情が不特定多数に漏れている。もしくは漏れたか。
 全て、肯定する材料も否定する素材も無い。
「今はそんな事別に気にする事も無いですが、何故今会いに行くのですか?」
 確かに今までその事を分かっていたのに放置していた。つまりさして重要な話題では無いという事ではない。本当に重要なら当麻の気心を無視して聞くような質の筈なのだ。
 それなのに今会いに行く、という明確な理由も分からない。
 気まぐれでは説得力に欠ける。
 魔女は立ち上がりその事に対して説明する。
「まあ、さっきまでのは前置きよ。
 ま、やっぱり死刑囚は死刑にしかならなかった。という事かしらね」
「?」
 訳が分からずに魔女の顔を見る。
 魔女は疑問符が自分に対して投げかけられたのが分かり、溜息交じりに言い放つ。
「貴方もけっこう鈍感ね。
 当麻の居場所を特定した奴がいる、ってことよ」
「――!」
 雪女は声が詰まる。
 魔女はそのまま話し続ける。
「でも考えてみれば妥当よ? 今まで名前だけ一人歩きしてたんだから、会おうとする奴は多いでしょう。それがあの子自身にとって悪魔であろうとなかろうと。
 で、この話を聞いて貴方はどうす」
「殺します、もしもそれがあの子を危険に晒すなら」
 即答、よりも早く答えた。
 口調も顔も、先程と全然完璧完全にかわってはいない。
「皮を剥いで目を潰し、脳漿や臓器は全て混ぜて磨り潰して捨て、代わりにそれの糞でもふんだんに詰めて三途の川に浮かべるんじゃなくて沈ませてやりましょう」
 繰り返す、雪女は態度や口調は変わってはいない。
 一欠片の違和感も無い。
「ふ、貴方らしい。でも居場所は分かる?」
「大丈夫ですよ。貴方と結構長く居たんですから貴方のそれぐらい感知して行きます」
「オッケー。出来る限り表に出ないようにしといたから他の奴が来る心配は無いわ。
 ヤってやろうじゃないの、私もそろそろ欲求不満よ。中のモノ全部ぶちまけてくれないとつまらないわ。二人の女が一人の子を求めて子供で綱引きした時、その腕が躯が千切れようと求める続けるようなイカれた存在でありたいわ」
 雪女も立ち上がり、魔女に背を向けるような立ち位置に動く。
 そして二人とも薄れてく――――――。

 ◇◇◇

 口をもって犯す過ち、唇の言葉、傲慢の罠に
 自分の唱える呪いや欺く言葉の罠に
 彼らが捕らえられますように
          ― 旧約聖書 詩編五十九章十三節 ―
 ◇◇◇

「ん、じゃーな」
「おう」
 日ももう数十分で落ちようかという時間のころに丁度自分の門前に着き、羽間と別れの挨拶を交わす。
 羽間は、少し小高い丘の方にある家へ向かって歩いていく。そこに在る家は遠めから見ても分かる程に巨大な日本家屋であった。
 あの家はこの街の象徴的でもあり、実際この地域に昔から根付いている一家である。しかし家系で見ると大きく枝分かれしてあり、全国に血筋はいるとは羽間の言葉。一時は憑き物筋として嫌悪されたらしいけどそれは今ではどこ吹く風。街の発展に昔から地道に援助してきた実績と技量が相まって、もうこの界隈で一家を嫌う人は殆ど見ない。藹藹とした木々の中に立つ古さと威厳、そして情緒を感じさせる家屋は堂々とその姿をこの近くで一番高い場所に見せている。
 にしても、憑き物筋と聞いてよく人外を思い出しりもする。
 羽間は狭間、人ならざるモノとの間、か。出来すぎな偶然だ。
「ま、いいか。ただいま」
 とりあえずずっと呆けて居る訳にもいかないため、自分の何処にでもある様な玄関の扉を開けて靴を脱いで家に入る。
 中は比較的片付いており、向かって右側に階段。その奥は母の部屋等に続く。
「あ、おかえり雄途」
 少しゆるめな階段の奥にあるリビングへと繋がる安そうな、というより実際安かったのれんの先から呑気な母親の声がした。テレビでも見ているのか。かまわず自分は玄関近くの階段を一段ずつ上って二階の自室の扉を開けて中に入る。
 中は特にそれといった特徴もなく少しくすんでしまった白い壁紙にパイプのベッド。木製の使い古している机、大きめの本棚、服がきっちりと詰まっているクローゼット。どれも一般的な高校生の私室らしさ(偏見だろうか)を感じさせる。いや実際そうなのだが。
 自分はクローゼットの中から適当に私服を引っ張り出し、制服から着替えようと胸のボタンを外しにかかる。
 不意に、玄関の呼び鈴が鳴った。
 母がはいはいと忙しそうに言いながら玄関に応対しに行ったようだ。家事してるならともかくさっきリビングで間抜けともとれる声を出していたのはこの際突っ込まないでおこう。
 玄関の扉が開けられる音とともに、着替える作業を再開する。
 後で脱いだ制服を洗濯に出しておかなきゃ――。
「あれ!? お久しぶりですー!」
 二度目にして最大の着替えを妨げる声は、本当に驚いたような母の音量の加減が無い声であった。
 絶対外に声響いてる。近所迷惑プラス息子として恥ずかしいの恥辱コンボが今此処に発動したようだ。
 普通に話すのなら必要ないどころか迷惑クラスの大声な母親の声は困った事によく響く声で、外にいても綺麗に会話が聞こえるぐらいなのだ。
 母の恥じらいの無さは昔からだけど、やはり慣れるものは慣れても慣れないものは絶対慣れないという事をいつも実感する。
 父さんも父さんで、結構尻にひかれたりすることも多々ある訳だったりするし。
 どうやら聞こえてくる話から察するに、旧友との再会であろうか。
 どちらにしても、少し長くなりそうな空気であった。勿論、母はその間ずっとこのテンションを保つと推測できる。一応そのぐらいは分かる。
 ううう……。
 
「へー、結婚なされて、おめでとう御座います〜。それでこっちに戻ってきたんですか?」
 しばらく経ったが、母親のしゃべりは止まる事を知らず、その間自分はずっと上の自室から出れずじまいである。今階段から降りてしまうと玄関から見えてしまうため、自分も話に巻き込まれそうで怖いのだ。
 ちなみに、勿論着替えはとうに終わっている。
 日もすでに落ち切った。正直ここまで母のテンションにあわせて喋れる人も殆ど見ない。
 流石に旧友やっていないということだろうか。
「ええ、もうここに根を張って生涯過ごそうかと思って」
 良く通る声、声色からしてけっこう年をとっているような、そんな声で訪問者はそう言った。
「あら、じゃあいつでもお話が出来ますね」
 マジか。
 この大音量が続くのか。
 自室で軽く鬱を感じつついると、どうやらやっと訪問者が帰ったようで、ドアが閉められるような音が静かになった家の中に響き渡った。
 自分もやっと二階から降りる事ができ、玄関から戻ってくる母親とぴったりのタイミングで階段を下りた場所で会った。
「母さん、誰だったの」
「ん、ああ。むかーしここに住んでた人でね、気立てのいい人なのよ」
「へぇ……」
 どんな人だったかは聞いていない気がする。
 まあ、そこらは許容範囲内だからいいのだけれど。
「さぁーて、御飯作りましょうかー」
「――手伝えと?」
「正解」
 伸びをしながらリビンクの方にあるキッチンへ向かおうとしていた母は、振り返って頼むわねといわんばかりの顔で親指を立てた。
 お茶目のつもりで立てた母の親指を、不謹慎ながら一瞬だけ折ってみたいと思った。
 
2006-08-02 18:32:53公開 / 作者:かま
■この作品の著作権はかまさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
どうも、かまです。
遅筆どころじゃない騒ぎですがなんとか更新しました。
話進んでない上予定よりかなり短い量で更新してしまったこともお詫びしなければなりませんorz
すいません。

こんなんだから感想がつかないんでしょうね……orz
この作品に対する感想 - 昇順
作品を読ませていただきました。難解だ。物語の主題が解らないまま、1話の終わりを迎えたと言うところです。世界には人間と人外が存在していること、人間が一方的に閉塞しているというのは理解できますが、主人公とおぼしき少年がなぜ人外と接触しているのか解らず、物語が宙に浮いている感があります。また、人外が楽しむ殺戮と人間が起こす殺戮の差異なども不明で消化不良の感がありました。では、次回更新を期待しています。
2006-05-07 23:18:11【☆☆☆☆☆】甘木
更新してから感想に気付いたorzすみません
>甘木さま
感想有難う御座います、一応難解なのは仕様……のつもりです。個人的には最初の投稿部分は一話と以前の序章的な位置づけなつもりなのであえてあまり何も書きませんでした。これからどんどん出すつもりです。一応。
2006-05-08 17:30:03【☆☆☆☆☆】かま
続きを読ませていただきました。前回の硬質感を持った雰囲気が今回も続いている感じで、少し文章が硬い感じがしました。母親や自宅の描写に対して羽間の描写が少ないですね。修道女の話も羽間なりの意見(人外を知らない一般人としての意見)を一言入れても良かったと思います。では、次回更新を期待しています。
2006-05-16 07:34:52【☆☆☆☆☆】甘木
感想有難う御座います 
>甘木さま
しまった羽間の描写忘れてたorz。精進します。一般人の見解ですか……確かに必要ですね。頑張ります。
2006-05-20 16:31:31【☆☆☆☆☆】かま
以前の作品に続き、日常と非日常の間に
主人公がいるという感じがとても好きです。
これからも頑張ってください。
2006-06-07 16:36:05【☆☆☆☆☆】大河
感想有難う御座います
>大河さま
むせび泣くほどに感謝です。どうか最後までおつきあい下されば光栄です。
2006-06-18 18:48:44【☆☆☆☆☆】かま
計:0点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。