『Not × Any Longer』作者:7com / V[g*2 - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
どこにでもある夏。どこにでもある悩み。今日も風鈴は揺れない。
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原稿用紙約9.95枚

 ギンタローの頭の中ではミサトの言葉が反芻していた。
『私、ギンタローのこと、異性として……好きだよ』
『ギンタローの、たった一言で安心できるのに』
 確かに馬鹿かもしれない、とギンタローは自分を嘲笑った。今まで触れたことのないものだから、絶対に失いたくないものだから、彼の中で恐れだけが膨らんでいく。たった一言で良かったかもしれないのに、その一言が言えずに。それは、たった一言で全てが崩れるような気がしたからなのか。
「ホントに、馬鹿なのかも、な」
 ギンタローが呟く。古い木造アパートの天井には染みが広がっていて、彼にはそれが笑っている顔みたいに見えた。いっそ誰か俺を馬鹿だと笑ってくれ。そう思っても、返ってくるのは遠くから聞こえるセミの声だけだった。


『 Not × Any Longer 』


 暑い夏だった。夏が暑いのは当たり前だが、盆に差し掛かろうとする頃の暑さは半端がない。風鈴に涼を求める青年は、今日も夏の休暇を持て余しながら、うちわを片手に畳に寝転がるしかなかった。出来る限り動かないように……そうすれば体温も上がらないはずだと、彼は考えているのだ。扇風機も回ってはいるのだが、温い空気をかきまわすだけの存在に成り下がっていた。
 ギンタローとミサトが知り合ってから、一年と四ヶ月が経とうとしていた。
それはどこにでもある話だった。大学のサークルで知り合って、距離が近付いてく。学部も学科も一緒の二人だったから、一緒に行動する機会が増えたことに違和感はなかった。周りから見れば付き合ってるんだろうな、ぐらいに見えたかもしれない。
 ただ、そこで他と少し違うのは、二人が付き合っているという形ではなかったこと。お互いに気持ちを語ることもなく、一年と四ヶ月という時を過ごした。その間、お互いに誰か別な人と付き合うわけでなく、授業も同じように受け、同じように笑い、同じように感動した。でも、気持ちは伝え合わなかった。

『共に歩むこと 共に生きること それだけで良かった それで満足だった』

誰かは、そう歌った。彼もそう思っていた。
その時、ピンポーン、と古臭いベル音が鳴った。ギンタローは思考を断ち切って勢いよく立ち上がり、ドアの方に歩きながら、どなたですか、と言う。内心ではミサトが来るのではないかと期待していた。もっとも彼女は実家に帰省中で、その期待は叶うはずもないのだけれど。
「わたしだけどー」
 ミサトとは少し質の違った、元気で快活な声が聞こえてくる。残念か、と言われればそうでもないのだが、でもやっぱり期待が外れたのに変わりはない。そんな下らない、叶うはずのなかった期待を頭の隅っこに追いやって、彼はドアを開けた。ドアの鍵は閉めていないから入ろうと思えば入れるのだが、それでも断ってから入る所が彼女の人の良さを表しているようだった。
「おう、どーしたんだよ」
 ギンタローが握っていたウチワをパタパタと振る。そこに立っていたのはユキだった。
「ケンカしたんだってねぇ」
 ニヤニヤと、彼女は笑った。
「……まぁ、入れよ」
 ギンタローがそう言うと、彼女はバタバタとサンダルを鳴らしながら脱ぎ、ドアを開けている彼の横をすり抜けて中に入っていった。それが、まるで念願の叶った子供みたいに見える。
 彼はドアを閉めながら部屋に戻った。中ではユキが暑いだとか臭いだとか、好き勝手に文句を言いまくっていたが、気にせずに部屋の隅の台所へ向かった。
「カキ氷食う?」
 ユキの方を振り返ると、さっきまでの不満そうな顔とは打って変わって、嬉しそうに頷いている彼女がそこにいた。ギンタローは小さく笑って、冷凍庫に手を伸ばした。


ユキは、ギンタローとミサトが所属する、同じ軽音サークルのメンバーだった。ギンタローはミサトと同様に、ユキとも、もうサークルに入ってからの長い付き合いになる。というのも彼女は、ギンタローがギター、ミサトがヴォーカルを勤めるバンドのベーシストだからなのだけれども。
『The sun don’t flash any longer――』
 ユキがイヤホンで音楽を聴きながら口ずさむ。
『そんな悲しい空は見たくないから――』
 やがて曲が終わると、彼女は満足そうにイヤホンを外した。
「やっぱりいいね」
「俺のギターと、俺の作曲が?」
「ミサトの歌声と、ミサトの作詞が」
ユキの言葉に打ちのめされてふてくされたギンタローは、途中になっていたカキ氷をかきこんだ。瞬く間に皿は空になって、お決まりのキーンとするアレが頭の中に響く。彼はそれを振り払うように言葉を発した。
「まぁ、二人の結晶みたいな感じだろ」
「よくそんなサブイ言葉が言えるね……」
 ユキもそう言ってから、既に溶けかけのカキ氷に手を伸ばす。
「……ほっといてくれ」
 容赦ないツッコミに、ギンタローはキーンとするアレが戻ってくるような気さえした。
「まーいいけど、大体何でケンカなんか?」
「んー、まぁ俺ら付き合ってるわけもなんでもないからさ、そのあたりの問題で」
「具体的には?」
「ミサトに、異性として好きって言われたのが始まりで……俺はどうなのかを聞かれて、俺は答えられなかった。何というか、急過ぎたのもあって、そのまま何も言えずに黙ってたわけよ」
 それを聞いて、ユキの顔がふと険しくなった。ギンタローが話を続ける。
「で、ミサトが怒った、と。だから、ケンカって言うよりは、俺が一方的に怒らせただけの話かな」
「……何で返事しなかったの?」
 そう。ギンタローはそれを後悔していた。ユキに言われて、もう一度考えてみる。散々考えたことなのに、まだモヤモヤしているようだった。それでも、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「簡単に言うと、怖かったから、かな。俺は今まで付き合うってことを経験してないしさ……そっからしてもカレシトカノジョになることで、何がどう変わるのかが分からなかったし、逆に気持ちを伝え合ってしまうことで、今のいい関係が崩れそうな気もしたし。とにかく、不安だった」
 ユキがしばらく考え込む。でも、カキ氷をかき込む手は止めなかった。
「へもはぁ――」
「……食ってからでいいって」
 カチャリ、とユキが器を空にして畳の上に置いた。
「でもさぁ、二人は一年以上も殆どずっと一緒に居て、こっちが見てても付き合ってるみたいだけど、でもやっぱり付き合ってるわけじゃないんだし――」
 ユキが後頭部を押さえた。今度は彼女がキーンとするアレに苦しみだす。
「――ん、もし私がその立場なら、このままでいいのかなって思う気がする」
「つまり……ちゃんと好きだってことを伝えて、カレシトカノジョって関係になるってことだろ?」
 苦しみから解放されたユキがふーと息を吐いた。
「そ。形だけみたいに思うかもしれないけど、そういうのって大事だと思う」
 ユキのその言葉には、リアリティがこもっていた。現在の彼氏とは、小さいころから幼馴染として友達以上の付き合いをしていたが、お互いに想いを伝えて付き合うという関係になった。彼女が高校二年の頃だったと、ギンタローは聞いていた。
 それはいわば、彼にとっての前例みたいなものだった。友達として付き合っている年数も違えば、年頃も違うけれど、親しい友達から恋人に変わるという事実に違いはなかった。
「恋人って関係はさぁ――」
 ユキが思い出す様に、空になったカキ氷の器を見て言う。
「なんか、強制力っていうか、束縛があると思うの」
「……それって、いいのか?」
 ギンタローはその言葉の真意を図りかねていた。強制力、束縛、どれもいい言葉には聞こえない。
「束縛っていうか、つまりはお互いに責任を持たなくちゃダメってことかな」
「責任、ね」
「もちろん、誰もがそうじゃないだろうけど……私はそうするべきだと思ってるから」
 彼は何となく分かりかけていた。それは、もっと相手を大事に、愛しく思えるということ。それは恋人という関係のスタートであって、またある意味では再確認なんだろう、と。
「あんまり細かいこと言っても仕方ないよね、ていうか、実はギンタローの中で答えは出てるんでしょ?」
「……まぁ、な。やっぱケジメみたいなものはつけた方がいいと思ってる」
 彼は空になった器を二つ持って立ち上がった。そのまま台所に向かう。
「でも、付き合って、それからどうなるのか、って考えるとなんか怖い気もするんだよな」
「変化って、怖いものだと思うけどね、でもきっと悪いものじゃないはずだよ?」
 ギンタローは器を流しに貯めた水に放り込んだ。
ユキの言葉にはさっきと同じリアリティがあった。ずっと同じでいられるものはこの世にはない。人も変わる、環境も変わる。変わるのを待つだけではいられない。だから、自ら変わらなくてはならない。ミサトが望んだのは、二人がこの先もずっと一緒に居られるための通過点というか試練を越えることなんだと、彼はそう思えた。そのためには『たった一言』でいいから、好きだと言わなくてはならない気がした。彼は、ミサトにだけ好きだと言わせたことを今更後悔していた。
「俺、今晩電話してみる」
 ユキは窓に向けていた顔を台所に向きなおした。ギンタローはカチャカチャと食器を洗っている。彼は顔はそのままキッチンシンクに向けたまま、更に言った。
「早く言った方がいいだろ?」
「当たり前じゃぁん」
ユキが嬉しそうに笑う。それを見てもいないのに、彼もなんだか嬉しい気分になった。





2006-04-02 01:30:40公開 / 作者:7com
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■作者からのメッセージ
なんか、久しぶりですね。

全体的にスッキリまとまったと思います。
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[簡易感想]続きも期待しています。
2006-04-02 03:05:11【☆☆☆☆☆】蘇芳
作品を読ませていただきました。長い物語の一場面を読んだような感じです。ありふれた人間関係のありふれたワンシーン、緩やかだけど背後にある物語を彷彿するような余韻がありました。ただ、読者の想像に任せている部分が多すぎる感じも受けました。では、次回作品を期待しています。
2006-04-06 08:08:33【☆☆☆☆☆】甘木
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