『Present』作者:月明 光 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角26694文字
容量53388 bytes
原稿用紙約66.74枚
「白鳥さん、白鳥さん……!」
「……ん……?」
 三度揺さぶられて、ようやく白鳥小雪(しらとりこゆき)は目を覚ました。
 椅子に座って、机に突っ伏して寝ていた所為か、身体が所々痛む。
 意識が朦朧としていて、頭が重たい。
「あれ……?」
 半開きの目で、小雪は周囲を見渡す。
 どうやら、まだ夢と現実の境目に居るらしい。
「ネコバスが……自転車と……接触事故して……」
「……どんな夢見てたんだよ?」
 意味不明な言葉を呟く小雪に、赤松拓郎(あかまつたくろう)が呆れて問う。
 放課後に図書委員の仕事をしていたら、カウンターが長蛇の列になっていたのだ。
 心配になって見に来てみれば、カウンター係の小雪がこの様である。
「代わってやるから、顔洗って来たらどうだ? ……え〜と、返却ですか? クラスと名前を教えて下さい。…………はい、確かに。今度は、ちゃんと期限を守って下さい。次の方どうぞー」
 小雪と席を代わると、赤松は客を次々と捌いていく。
「ふぁ〜……ありがと、赤松君……」
 小雪は、欠伸を噛み殺しながら、御手洗いに向かった。


 小雪が戻って来た時には、全ての客が居なくなっていた。
 ――こんなに接客上手いなら、始めからやってくれれば良いのに……。
 そんな事を思いながら、小雪は赤松の姿を探す。
 見付けた時、赤松は散らかった本棚を整頓していた。
 窓から差し込んでくる夕日が、図書室と彼を赤く照らしている。
「ごめんね、赤松君」
 本当の意味で目を覚ました小雪は、改めて赤松に礼を言った。
 そこでようやく、赤松は小雪に気付く。
「別に。……テスト勉強か?」
 作業を続けながら、赤松は尋ねた。
「えっ……う、うん」
 恐らく、居眠りの理由を聞いているのだろう。
 本当は、もっと違う理由があるのだが、小雪は頷いた。
 本当の理由を知られたら、少し不味い事になるからだ。
「まだ先の話なんだし、無理しない方が良いぞ」
 赤松は溜め息を吐きながら、小雪に忠告する。
 前にも、似たような事があった所為だろう。
「そ、そうだよね……」
 小雪は、冷や冷やしながら話を合わせた。
「そう言えば、赤松君って、ここで本借りた事無いよね?」
 そして、話の方向を、少し無理矢理変更する。
「欲しい本が、置いてないからな……」
「ふーん……どんな本を読んでるの?」
「えっ? え〜と……」
 小雪に問われ、赤松は言葉を詰まらせる。
 知られると、少し不味い事になるからだ。
「あ、もう閉館の時間だ。さっさと帰ろう」
「う、うん……」
 かなり無理矢理、赤松は話の方向を変えた。


「このトーンも買っておこうかな……ペンも予備が無かったっけ。原稿用紙は、まだ十分あるし……よし、これで暫くは大丈夫かな?」
 十一月中旬。とあるアニメ専門店。
 籠の中身を確認しながら、小雪は呟いた。
 背は百六十センチ程。長い黒髪が印象的だ。
 身体の発育具合は、身長と比べれば妥当と言うべきだろうか。
 手に持っている籠には、漫画を描く為の道具が大量に入っている。
「もうクリスマス……か……」
 クリスマス色に染まり始めた店内を眺めて、小雪は呟いた。
 ここだけに限った話ではない。
 大体の場所は、そろそろクリスマスに向けて動き始める。
 だが、小雪は、幼い頃からこの時期が好きではなかった。
 彼女の両親は、仕事の都合上、殆ど家に居ない。
 一人っ子の彼女は、もう何年も、独りでクリスマスを過ごしてきたのだ。
 もちろん、それはクリスマスに限った話ではない。
 お金にだけは不自由しないので、いつしか漫画に手を伸ばしていた。
 居ながらにして、様々な世界へと連れて行ってくれる漫画が、独りの小雪にとって無くてはならない物になるのには、さほど時間は掛からなかった。
 いつの間にか、時間とお小遣いの殆どを、漫画に費やすようになっていた。
 そして漫画を書き始めたのも、いつの間にかの話だった。
 漫画を読んでいれば、漫画を描いていれば、何もかも忘れる事が出来る。
 居場所が無い事も、独りの虚無感も。
「ふわぁ……眠い……漫画描いてると、ついつい遅くまで粘っちゃうな……。
これで、今日は全部かな。冷えてきたし、早く帰ろうっと」
 籠と財布の中身を確認すると、小雪はレジへと向かった。


「好きになった人を、片っ端から撲殺していく天使の話か……買ってみるか。……お、『樹の旅』の新刊か。これも買っておこう」
 十一月中旬。とあるアニメ専門店。
 ライトノベルを吟味しながら、赤松は呟いた。
 背は百七十センチ程。平均的な体型だ。
 少しフレームが大きめな、度が弱めの眼鏡を掛けている。
 手に持っている籠には、漫画やライトノベルが大量に入っていた。
「もうそろそろ、クリスマスだな……」
 クリスマス色に染まり始めた店内を眺めて、赤松は呟いた。
 ここだけに限った話ではない。
 大体の場所は、そろそろクリスマスに向けて動き始める。
 だが、彼にとっては、どうでも良い事であった。
 彼の家族が、異常な程に宗教に敏感で、他宗派の祭りを断固拒否しているのだ。
 特別な料理は出ないし、ケーキは買わないし、増して祝う事なんて無い。
 彼と、彼の家族にとっては、平日と何ら変わらない日だ。
 彼も、特にクリスマスを共に過ごす女性が居る訳でも無く、仕方がないから、去年は友達とカラオケでアニソンを歌って過ごした。
 だが、それなら普段と差ほど変わらない。
 アニソンを歌うのも、サンタルックの美少女に萌えるのも、普段と特に変わらない。
 いつもの習慣を、偶々クリスマスに行っただけの事だ。
 そんな訳で、赤松のクリスマスは、毎年何か満たされずに終わってきた。
 これまでずっとそうだったし、きっとこれからもそうなのだろう。
 ――今年は、声優のラジオでも聴きながら、ゆっくり過ごそう。
 そんな事を考えながら、赤松はレジへと向かった。


 小雪と赤松が、同じレジに向かい、顔を合わせる。
 二人は一瞬固まり、
「あ、赤松君!?」
「白鳥さん!?」
 お互いに、お互いの存在に驚いた。
 同じ高校の、同じクラスで、同じ委員会に務めている人に、よりによって、こんな場面を目撃されたのだ。
 ――オタクがバレてしまった……。
 二人の頭の中は、それだけで溢れかえっていた。


 十二月二十四日。
 街は、色とりどりの眩しいイルミネーションで輝いている。
 音楽と喧騒が混じり合い、よく判らない音になっていた。
 そんな中を、二人が歩いている。
 片方は、長い黒髪が印象的な少女。
 年齢は、高校生くらいだと思われる。
 防寒対策は完璧で、冷たさが入り込む隙は一切無い。
 片方は、フレームがやや大きい眼鏡を掛けている少年。
 年齢は、恐らく少女と同じ程。
 少女程に厚着はしていないが、それなりの防寒はしている。
「……本当に良かったの、赤松君?」
「何が?」
 小雪に唐突に問われ、赤松は質問で返す。
「その……クリスマスに呼び出しちゃったから……」
「別に。家族はアンチキリストだし、友達とアニソン歌うのもな……。白鳥さんこそ、聖夜の相手が俺で良いのか?」
 赤松は小雪の質問に答え、更に尋ねた。
 小雪は、
「うん。帰っても、誰も居ないし……」
 少し俯いて答えた。
「ご、ごめん。不味い事訊いたな……」
 赤松は、ばつの悪い顔をして謝るが、
「だから、誰かと一緒にクリスマスを過ごせる事が嬉しいの」
 小雪は微笑んで応える。
 そして、雲一つ無い、澄んだ夜空を見上げた。
 イルミネーションの所為で、星の煌めきは殆ど見えない。
「……雪、降らないかな……」
 少し沈んだ声で呟いて、小雪は溜め息を吐いた。
 せめて星が綺麗ならば良かったのだが、それも叶わない夢だ。
 そう思うと、街の輝きが、途端に機械的な冷たさを帯びた気がする。
 これではいけない。
 今年は、一緒に過ごしてくれる人が居るのだ。
 ――『あの時』は、心臓が止まるかと思った。
 だが、お互いに口外しない事を約束すれば、自分にとって初めての『趣味が合う友達』である。
 それだけでも十分満たされているのだ。
 満たされなければならないのだ。
 小雪は首を左右に激しく振り、雑念を追い払った。
 揺らされた頭がクラクラし、堪らず小雪は項垂れる。
 その時に、『それ』が目に入った。
「これ、何だろ……?」
 アスファルトに落ちている『それ』を、小雪は屈んで手に取る。
 一辺が十五センチくらいの四角い箱。
 カラフルな包装紙に包まれており、更にリボンで装飾されている。
「プレゼント……だな。どうしてこんな所に……?」
「誰か落としたのかも。交番に届けた方が良いかな?」
 二人が『それ』について話を巡らせていた時。
 小雪が突如、『それ』に引っ張られる様にして走り出した。
「し、白鳥さん!?」
「え……えぇ!?」
 赤松が戸惑いながら名前を呼ぶが、当の本人が一番驚いている様だ。
 小雪は、そのまま路地裏へと入っていく。
 それを追いかけて、赤松もイルミネーションの陰へと走っていった。


 突然だったので差をつけられたものの、それ程速い速度で移動していた訳でもなかったので、すぐに追いつく事が出来た。
「どうしたんだ!?」
 小雪と併走しながら、赤松は問う。
「それ……が……こ……つ然……勝手に……っ!」
 小雪は応える余裕すら怪しく、呼吸するので精一杯の様だ。
「白鳥さん、もう少し運動したらどうだ? バテるの早過ぎるぞ」
 いつの間にか、赤松は全く違う心配をしていた。
 ツッコむ余力すら、小雪には無い様だ。


 人気の無い広場に出て、ようやく小雪と『それ』は止まった。
 精根尽き果てた小雪は、荒い呼吸をしながら、その場に倒れ込む。
 ――こんな季節に、こんなに身体が熱くなるなんて。
 防寒着を脱ぎ捨てたいくらいだが、その余力すら残っていない。
「大丈夫か、白鳥さん?」
 そんな小雪に、赤松は心配そうに尋ねる。
 少し息を乱していたが、まだまだ余裕が有りそうだ。
「思ったんだけど……手を離したら良かったんじゃないか?」
「…………」
 赤松の今更な意見に、小雪は撃沈した。
「それにしても、何で動いたんだろうな、これ……?」
 小雪の手中にある『それ』を見て、赤松は呟く。
 手に取ってみるが、特に変わった様子は無い。
 振ってみても、同じ事であった。
 開けようかとも思ったが、流石にそれは躊躇ってしまう。
 色々と考えていると、再び『それ』は動き始めた。
 不意を衝かれ、赤松は思わず手を離してしまう。
 『それ』が飛んでいった方を向くと、十数メートル程先に、人影が在った。
 その人影の前で、『それ』はピタリと動きを止める。
「はふ〜、戻ってきた〜……」
 予想外に可愛い声を上げて、人影は『それ』を両腕で抱えた。
 どうにか回復した小雪を起こすと、二人は人影に近付いていく。
 灯の灯っていない広場だが、人影の回りは明るい様だ。
 肉眼で確認できる距離まで近付くと、人影は少女になる。
 背は百五十センチ前半くらい。
 銀髪のセミロングに、円らな紅い瞳。
 赤と白の、典型的なサンタルックに身を包んでいた。
「プレゼントを無くしたら、先輩に怒られるどころじゃ済まないですからね。本当に良かった〜……。……でも、時間が……果たして間に合うですか……?」
 独りで呟きながら、『それ』を足元の白い大きな袋の中に入れる。
 そしてその袋を、後ろの橇に積む。
 運搬用の橇らしく、袋を積んでも、人が乗るには十分だった。
 その橇は、太い紐で動物と繋がれている。
 大きな角が特徴的な、体長二メートル程の動物だ。
「あ、あの……」
 勇気を出して、赤松は少女に声を掛ける。
 そこでようやく、少女が二人の存在に気付いた。
 一瞬固まり、
「……見ました?」
 そのまま口だけ動かした。
 二人は、同時に頷く。
 少しの間、辺りは静寂で満たされ、寒風の通り過ぎる音だけが聞こえる。
 少しの間、だけだった。
「はわあああぁっ! ど、どうしましょう!? 一般人に見られてしまうなんて! 一生の不覚です! 私、クビになってしまうですか……!? そんなの絶対イヤです! 確かに、職場では、勤務日数の十六倍は怒られてますけど……でも! 先輩みたいに一人前になる為に、こんなトコでクビにはなれないですよ! こう言う時は……え〜と……はう〜、マニュアルに載ってないです〜……。……って、何を言ってるですか、私! マニュアルに無い自体に対応出来てこそ、一人前じゃないですか! 考えるです……えっと……えっと……えっと……!」
 少女は一人で焦り、葛藤し、決意を固めて頭を抱えた。
「だ、大丈夫?」
 見かねた小雪が、心配そうに声を掛ける。
「だ、ダメです! サン・タクロス社は秘密主義の徹底が最優先なのです! 新人とは言え、歴とした社員として、一般人の手は借りられないです!」
 が、全力で拒まれた。
 焦った余り、重大なミスを犯した事には、まだ気付いていない様だ。
「サン・タクロス社の新入社員なんだ?」
「!? 何で知っているですか!?」
「今、言っただろうが……」
 面倒な奴に絡まれたな、と内心呟きつつ、赤松は溜め息を吐いた。


「え……えっと……何と言うべきか……」
 平静を取り戻した少女は、二人にどう説明すべきか迷っていた。
 今、自分は、猫の手も借りたい状況に在る。
 だが、一般人に助けを請うのは躊躇われる。
 そして、こうしている間にも、時間は刻々と過ぎているのだ。
「取り敢えず、名前を教えてくれないかな? 私、白鳥小雪」
「俺は赤松拓郎だ」
 進退窮まっている少女に、小雪が助け船を出す。
「わ、私は、サン・タクロス社新入社員、識別番号H-7203のナツミです。不束者ですが、何卒よろしくお願いしますです」
 丁寧に自己紹介をし、ナツミは頭を下げた。
 話の切っ掛けを掴んだナツミは、更に続ける。
「私は、日本D-51地区での配達の為に、ここへ来ました。今晩中に、全ての配達を終わらせなければならないですよ」
「今晩中に全て……か。大変そうだな」
 赤松は、尊敬の念を込めて言った。
 見た感じ、年齢は自分とそれ程変わらないのに、聖夜の過ごし方がこうも違うのだ。
 どこかに勤める以上、当然かも知れないが……。
「まあ、憧れで始めた仕事ですから」
 赤松の言葉に、ナツミは笑顔で返す。
 自分の望んだ仕事をしている者の、眩しい程の笑顔だった。
「良いなぁ、夢が叶っただなんて……」
 小雪が、言葉通り羨ましそうに呟く。
 漫画を描いている者として、当然それで生活する事を望んでいるが、現実は、自分の思った通りに動いてはくれないのだ。
「はい。サン・タクロスを心待ちにしている子供達に、プレゼントを届ける……子供の頃から、ずっと、ずっと夢見ていたですよ♪」
 ナツミは、幸せそうな、弾んだ声で応えた。
「……ちょっと待てよ」
 赤松が、そこで何かに気付く。
 ナツミと小雪が、同時に赤松の方を向いた。
「サン・タクロス社だよな?」
「は、はい。そうですけど……」
 赤松の確認に、ナツミは怪訝な表情で答える。
 小雪も、赤松の意を理解出来ない様だ。
「何が言いたいの、赤松君?」
「『・』を抜いて言えば解る」
 赤松の言葉に、小雪は首を傾げたまま、
「サンタクロス……サンタクロス……」
 同じ言葉を何度も繰り返す。
「サンタクロス……サンタクロス……!」
 七度目でようやく気付き、小雪は驚愕の表情を浮かべた。
 ナツミも理解したらしく、
「あぁ、日本では『サンタクロース』って発音しますね。すみません。日本語の発音って、なかなか慣れないもので……」
 思い出した様に言う。
 赤松の予想は、的中した。
「……白鳥さん、クリスマスでも病院って開いてるかな?」
「う、嘘じゃないですよ〜!」
 赤松の意を悟ったナツミは、目を潤ませて訴える。
「赤松君、頭ごなしに否定するのは可哀相だよ」
「そう言われても……」
 小雪にまで咎められ、赤松は言葉を詰まらせた。
 だが、いくら何でもこれは無しだろう。
 てっきり宅配の仕事か何かだと思っていたのだが、一気に台無しになってしまった。
 ――一応、『宅配』ではあるが。
 しかし、小雪がナツミ寄りだとすると、具合が悪い。
 数が全ての民主主義において、これは余りにも痛い。
「信じて下さい〜! ここで疑われたら、話が進まないじゃないですか〜!」
 ナツミは半泣きになりながら、赤松の胸座を両手で掴み、前後に激しく揺らした。
 流石にここまでされると、赤松も苦しくなってくる。
「判った、判ったよ。話は聞いてやるから」
「本当ですか! 有り難うございます!」
 赤松が仕方無く折れると、ナツミの表情にパッと灯が灯った。
 そして、話を続ける。
「……で、配達をしていたんですけど……荷物をうっかり落としてしまいまして……。迂闊に人前に出る訳にはいかないので、これを使ったのですよ」
 そう言って、ナツミが白い袋から取り出したのは、掌サイズの磁石の様な物体だった。
「……何これ?」
「サン・タクロス社の秘密アイテムです! これはですね……」
 ナツミは、白い袋から、プレゼントの箱を一つ取り出し、赤松に手渡した。
 そして、何メートルか離れて貰う。
「こんな風に、落としてしまったプレゼントを……」
 ナツミが磁石の様な物体を掲げると、赤松の手に在ったプレゼント箱が、吸い寄せられる様に浮かび上がり、ナツミの前で停止した。
 それを手に取ると、ナツミはすぐに袋の中に戻す。
「ずいぶんな手品だな……」
「こんな感じで、呼び戻してくれるのです! ……で、それにお二人が連いてきた訳です」
 赤松の呟きは、ナツミには聞こえなかったらしい。
「……さて、本題はここからなんですけど……」
 急に、ナツミの声のトーンが下がる。
「その……新人なので、そうでなくても作業が遅い上に、
荷物を無くし、お二方一般人に見られた所為で、配達が間に合いそうにないんですよ」
「……それで?」
 赤松に促され、ナツミは少し躊躇う。
 暫く言葉を濁らせた後、
「こうして見られてしまったのも何かの縁ですし……配達を……その……手伝って……頂ければ……嬉しい……です……」
 指をモジモジさせながら、どうにか最後まで言い切った。
「さて、そろそろ行こうか白鳥さん」
「はう〜! 見捨てないで下さい〜!」
 無視しようとした赤松に、ナツミは涙目で縋り付く。
「そんな事言われて、信じる方がおかしいだろ」
 溜め息を吐きながら、赤松は言った。
 流石にこの歳になって、サンタクロースを信じる事なんて出来ない。
 第一、彼女は、一般的なそれのイメージと余りにも懸け離れている。
 年齢も、性別も……強いて言えば、似ているのは服装くらいであろうか。
 しかし、それでは只のコスプレイヤーだ。
「お願いしますよ〜! でないと私、とても間に合いませんよ〜! もし間に合わなかったら、クビになってしまいますよ〜! ……それに、このままでは、プレゼントを待って下さっている子供達が……」
 それでも、ナツミは赤松に懇願を続ける。
 ナツミの言動は、少なくとも、真摯なものであることは間違い無いだろう。
 そんなナツミの態度に、赤松の気持ちが揺らいでいく。
 サンタクロース云々はともかく、ここまで真っ直ぐに懇請されて無下に断るのは、流石に躊躇われる。
「……私、手伝うよ」
「ほ、本当ですか!? 嬉しいです〜! ありがとうございます!」
 小雪の承諾に、ナツミは言葉通り嬉しそうに頭を下げた。
 恐らく、ナツミの純粋な態度に感化されたのだろう。
 ――どうやら、俺の負けだな……。
「白鳥さんがそう言うなら、俺も付き合ってやるかな……」
「はう〜、ありがとうございます〜!」
「勘違いするなよ。一人じゃ暇だからな。
やる気が無くなったら、すぐに帰らせて貰うぞ」
 赤松も、とうとう折れる事になった。
 こうして、二人にとって最も忙しい聖夜が幕を開ける。


「さて、まずはその服ですね。そんな厚着してたら、動き難いですから。私と同じ、サン・タクロス社の制服を着て貰います」
 早速、ナツミは準備を始める。
 何となく新人を教育している気分になり、少しくすぐったい。
 先輩には、本当に色々と教えられた。
 実践的な練習にも付き合って貰ったし、マニュアルに無い、現場に居るから判る事を、たくさん聞かせてくれた。
 今、ここでは、自分が『先輩』だ。
 実戦経験こそ皆無だが、この日の為に一生懸命勉強した。
 それを、この二人に急いで教えなければ。
「服って言われても……なぁ……」
 赤松は、ナツミの制服を見ながら言った。
 赤い円錐型の帽子は、頭に乗っているだけで、耳が隠れていない。
 手袋はしているが、そもそも服がノースリーブだ。
 服自体は、ふわふわな毛布の様で暖かそうなワンピースだが、スカートがやや短く、赤いニーソックスとの間の絶対領域は、素肌を完全に露出している。
 一言で言えば、この季節には寒そうな制服だ。
 こんな服装で冬の夜に放り出されたら、堪ったものではない。
「でも、可愛い……漫画で使おうかな……」
 小雪は、すっかり見入っていた。
 自分がこれを着る時の事は、殆ど頭に入っていない様だ。
「心配なさらなくても大丈夫です。サン・タクロス社の技術により、軽量と防寒の両立を実現した特別製ですから。無駄な部分を可愛くカットしたデザインと、冷え性対策万全な靴と手袋が、女性社員にはもちろん、男性社員にも好評なんですよ♪」
 そう言いながら、ナツミは白い袋から二人分の制服を取り出した。
 そして、それを二人に渡す。
「はい、こっちが男性用、こっちが女性用です」
「……で、どこで着替えれば良いんだ?」
 赤松が、率直な質問をぶつけた。
 ここは、冬の屋外だ。着替えるには余りにも寒い。
 それ以前に、男女が同じ場所で着替えるのは不味いだろう。
「あ、そうですよね。すみませんでした」
 ナツミもようやく気付いたらしく、再び袋の中に手を入れた。
 その時、強い寒風が吹き付け、赤松と小雪は目も開けられなくなる。
 次に目を開けた時には、二人の眼前に、電話ボックス程の大きさの簡易更衣室が聳えていた。
「ここで着替えて下さい。一つしか無いので、交代でお願いしますね」
「……どっから出した?」
 当然の疑問を、赤松はナツミに投げかける。
「はぇ? この袋ですけど……」
 当のナツミは、頭に『?』を浮かべた。
「いや、普通に考えておかしいだろ。その袋がこれに入るくらいだぞ」
「何を言うですか! この袋はサン・タクロス社の技術の結晶です! この袋は四次元バッグと言いまして、四次元空間と」
「やっぱ良い……聞きたくなくなった……」


「じゃ、私は荷物の準備をしておきますね。着替えた服は、この袋に入れておいて下さい」
 ナツミは、荷物を積んでいる橇へと向かった。
 どちらが先に着替えるかで少し迷ったが、
「御目汚しは、先に済ませる方が良いだろ?」
 赤松が先に更衣室に入った。
 それ程掛からずに、更衣室の扉が開く。
「男の制服が個性乏しいのは、どこも一緒だな……」
 自嘲気味に呟きながら、赤松は更衣室から出てきた。
 赤と白の長ズボンに長袖。
 オーソドックスなサンタルックである。
「次は私だね……サイズ大丈夫かな……?」
 小雪が、少しドキドキしながら更衣室に入る。
 ちゃんとドアを閉めた事を確認すると、着替えを足元に置いた。
 まずは、マフラーや手袋、イヤーマフラーを外す。
「白鳥さーん、聞こえるー?」
「えっ!? う、うんっ!」
 ドアの向こうから、突然赤松の声が聞こえ、小雪は動転した声で応えた。
「ごめんごめん。驚かせたか?」
「ううん、気にしないで。……何か用?」
 平静を取り戻すと、小雪は応対しながら厚着を一枚ずつ脱いでいく。
 今日はとても冷えるので、かなり着込んできてしまったのだ。
「今のうちに、何でナツミを手伝おうと思ったのか、聞いておこうと思ってな」
「……子供達の夢を守りたいから。一緒にクリスマスを過ごす人が居る幸せな子供には、最後まで幸せであって欲しいから。言ったでしょ? 『帰っても誰も居ない』って。私の家は、毎年そうだから。今までずっと、そうだったから」
 赤松の問いに、小雪は自嘲気味に答える。
 上着を一通り脱ぎ終えたところで、ひとまずそれらを畳んだ。
 重ねて積み上げ、その上にマフラーや手袋やイヤーマフラーを置く。
「……子供の頃は、皆がスゴく羨ましかった。親と一緒にケーキ作ったり、友達同士でパーティーしたり……そんな話を聞くと、皆がスゴく羨ましかった。そう言うのが、私にとっては『フィクションの世界の話』だったから。親からプレゼントこそ貰ってたけど……私が欲しかったのは、もっと違う物だった。……解ってたんだよ? 親が多忙なのは理解してたつもりだし、
漫画オタクのネクラには、到底手が届かない幸せだって事も……ちゃんと……」
 ずっと、そうだった。
 誰かのクリスマスの楽しい話を聞く一方で、自分には何の思い出も無かった。
 そして、そんな輪に加わる為の一言も、自分には発する事が出来なかったのだ。
 お小遣いの殆どを、漫画に費やす漫画オタク。
 そんな自分には、漫画以外の方法で、既存の輪に加わる術など無かったからだ。
「そんな私も、今では『子供と大人の間』って呼ばれる世代。だから……大人になって、子供の気持ちが解らなくなる前に、子供にとっての『本当の幸せ』を守ってあげたいなぁ……って。もし、心待ちにしていたプレゼントが、無事に届かなかったら……。期待や信頼を粉々にされるのが、子供にとって一番不幸な事でしょ?」
 少し沈んだ声で、淡々と小雪は言った。
 やり場の無い虚無感に襲われて、気が付けば、脱いだ服を縋る様に抱きしめていた。
 多分、自分は、これからも独りで生きていくのだろう。
 これまでずっと、そうだったのだから。
 自分には、今更誰かに寄り掛かる勇気など無いのだから。
 だから、せめて、幸せになるべき人には、幸せになって貰いたい。
 自分以外の、なるべく多くの人に、笑っていて欲しい。
 他の全員が笑ってさえいれば、自分一人くらい、大した問題ではない。
「確かにな。子供じゃなくても、そうかも知れない」
 赤松がドア越しに同意し、更に続ける。
「でも……まだ、幸せには手が届くんじゃないのか? 諦めるには、ちょっと早いんじゃないか? 自分の事ネクラとか言ってるけど、俺とは結構普通に話せてるぞ?」
「それは、赤松君が、私の趣味を理解出来る人だから……」
「理解して貰えなかった事は……あるのか?」
「えっ……?」
 赤松の一言が、小雪の胸に響き渡った。
 言われてみれば、自分では何もした事が無い。
 漫画に耽り始めた頃から、少しずつ人を遠ざけて、今に至る。
 遠退いていったのではなく、遠ざけていったのだ。
「多分、オタクって言うのは、自分でも知らないうちに人を遠ざけてしまうんだろうな。俺もそんな時期があったから、よく解る。でも、人間として出来ていれば、オタクなんて差ほど関係ないんだよな。……それでも毛嫌いする奴が居るから、困ってる訳だけど。オープンになれとまでは言わないけど……独りで生きるには、人生は長いと思うぞ」
「……うん」
 ドアの向こうの赤松に、どうにか聞こえるくらいの声で、小雪は頷いた。
「ま、少なくとも俺は理解出来ているつもりだし……もう少し『自分』を主張しても、失う物は無いんじゃないか?」
「そうだね……」
 赤松の言葉の一つ一つが、心に染み渡って、温かい気持ちになれる。
 手を引いて走り出してくれる様な、後ろから押してくれる様な、そんな優しさが感じられた。
 ――初めての『友達』が、赤松君で良かった……。
 そんな事を思いながら、ワンピースになっているサンタ服を着て、赤いニーソックスを穿いた。
「さて、まずはナツミの手伝いを、気が変わる前に終わらせないとな。
クリスマスに独り身だった者同士、それなりに頑張ってみるか」
「うん!」
 今度は、ハッキリと聞こえる声だった。
 服を畳み、帽子を被り、手袋を填め、鏡で一通り確認してから、小雪はドアを開ける。
「ど、どうかな?」
「うん。結構良い感じじゃないか?」
「そ、そう?」
 赤松の言葉に、何故か身体の奧が熱くなる感覚を覚えた。
 この服の、防寒効果が効き始めているのだろうか。
 小雪は、その場で一回転し、捲れそうになったスカートを手で押さえる。
「ナツミちゃんは、元々可愛いから似合うけど、私はちょっと……」
「謙遜するなって。自分に自信持たないと、『自分』は主張出来ないぞ」
「……そうだね。ありがと、赤松君」
 赤松の言葉に、小雪は微笑みで応え、赤松も笑顔で返す。
「準備出来ましたかー!?」
 ナツミの声が、橇の方から聞こえた。


「予備の橇を用意しましたので、二手に分かれましょう。荷物の配分は3:2です。……もちろん、私が『3』です」
 人気の無い広場に、同じ橇が二台並んでいる。
 そのどちらもがトナカイに繋がっていて、主人の命令をじっと待っていた。
「本物を間近で見るのって、初めてだね……」
 小雪は、トナカイに興味津々の眼差しを向ける。
 ――これが本当に、空を飛ぶのだろうか。
 そんな期待と不安の混じった眼差しだった。
 当のトナカイは、全く意に介さない様だ。
「漫画の参考に……」
 自分の探求心を合理化しつつ、小雪はトナカイに接近し、
赤松やナツミが気付く前に、その身体に触れた。
「ひゃっ!?」
 小雪が声を上げて、赤松とナツミは彼女の方を向く。
「どうしたんだ、白鳥さん?」
「こ……このコ、冷たい……!」
 小雪は真っ青になって、震える声で言った。
 当のトナカイは、やはり身動き一つしない。
 試しに赤松も触れてみるが、
「……冷たい」
 確かに冷たかった。
「あぁ、このコは、トナカイであって、トナカイではないんです」
 だが、主人であるナツミは、涼しい顔で言う。
 ナツミの言葉に、二人は怪訝な表情を浮かべた。
「このコは、トナカイに似せた機械なんですよ」
「えぇ!? でも、これ……」
 小雪は驚愕の声を上げ、信じられないと言った眼差しを、トナカイ――の様な物体――に向ける。
 素人目には、どこからどう見ても普通のトナカイだ。
 これが機械だなんて、とても信じられない。
 だが、体温は明らかに、哺乳類のそれではなかった。
「無理も無いです。私も、最初はスゴく驚きましたから。話によると、本物のトナカイを飼育するのは色々と負担が掛かるので、今では完全に機械化されたそうですよ。とは言っても、外見や動き方は、本物と殆ど変わりませんけどね」
「何か……夢を壊された気分だな」
 身動きしないトナカイに、赤松が呟く。
 『赤鼻のトナカイ』を筆頭としたクリスマスソングも台無しだ。
 そう思えば、自然とそんな言葉が出てきてしまう。
「仕方無いですよ。私達の仕事は『夢を見せる事』であって、夢を見る事ではありませんから」
 そんな赤松に、ナツミは微笑みながら言った。
「では、残りの詳しい事は、四次元バッグの中のマニュアルを読んで下さい。トナカイはオートで目的地まで行ってくれますし、命令すれば聞いてくれます。何かあったら、無線で私に連絡して下さい。周波数は弄らないで下さいね」
 急いで残りの説明を済ませると、ナツミは橇に乗り込んだ。
 ナツミの号令で、トナカイがゆっくりと動き出す。
「健闘を祈りますです〜!」
 ナツミは、橇から身を乗り出して手を振った。
 トナカイが空中を走り、橇も後を追って浮かび上がる。
 そしてそのまま、冬の夜空へと消えていった。
「いよいよだね……緊張するよ……」
 橇を見送った後、小雪が少し不安げに言う。
 こんな体験は初めてなのだから、当然だろう。
「取り敢えず、やるだけやってみるか。さっさと行こうぜ」
 赤松は橇に乗り込み、小雪を促した。
 橇は、一人で乗るには十分なのだが、
二人で乗るには少々狭く、二人は密着せざるを得ない。
「ちょっと……狭いね……」
 服の保温が良い為か、小雪の頬が少し紅く染まる。
「ま……仕様が無いだろ」
 赤松も、少し落ち着かない様だ。
 そんな二人を乗せて、橇はトナカイに引っ張られていった。


「た……高い……」
 空を行く橇の上から街を見下ろし、小雪は声を震わせた。
 その顔は血の気が無く、真っ青になっている。
「下は、あんまり見ない方が良いな」
 赤松は、やはり今更なアドバイスをした。
 身体の内側から迫り来る様な恐怖に耐えられず、小雪は赤松に抱き付く。
 周囲が目に入らないように、顔を彼の服に埋めた。
「お、おい……」
 赤松は拒もうとしたが、小雪の身体が小さく震えている事に気付く。
「ま……良いか」
「……ありがと」
 赤松の気遣いに、小雪は小さく礼を言う。
 顔が紅潮する感覚を覚えたが、幸い顔は見えない。
「さて、マニュアル読んでおくか……」
 赤松は、後ろの白い袋からマニュアルを取り出し、読み始めた。
 ワープロで書かれた文字と、手書きの文字が入り交じっていて、
持ち主が如何に熱心に勉強していたかが良く解る。
 暫くの間、橇の上は沈黙した。
 赤松は文字で埋められたマニュアルを読み、小雪は赤松に抱き付いたままだった。
「……何なら、今から降りても良いんだぞ?」
 暫くの後、沈黙が赤松の言葉で破られる。
 ずっと抱き付いたままなので、流石に心配になってきたのだ。
 移動の基本が空飛ぶ橇なのに、これでは話にならない。
 怖い思いをし続けるのも、酷な話だろう。
「私が言いだしたから……大丈夫だから……」
 小雪は、小さな声で決意表明をした。
 赤松は溜め息を吐いて、
「下じゃなくて、上を見たらどうだ? 『落ちそう』じゃなくて、『飛んでいる』って思えば良いんじゃないか?」
 諭す様に言った。
「上……」
 赤松に言われるまま、小雪は空を見上げる。
 黒一色に染められた空に、真っ白な月が輝いていた。
 月光が夜を照らす様な、夜闇が月を飲み込む様な、不思議な光景だった。
「ちょっとは……大丈夫になるかも」


 それから少し経って、最初の目的地が見えてくる。
 街から少し離れた、閑静な住宅街。
 一戸建ての二階の窓に、橇が横付けされた。
「何かしらの方法で部屋に進入し、プレゼントを置いて帰るのが、俺達の仕事だ。ただし、怪我人や破損物は出さない事。……ま、大体イメージ通りだな」
 そう言って、赤松は窓を確認しようとしたが、既に窓は開いていた。
 少し戸惑いながら、赤松は部屋の様子を見る。
 豆球が、ベッドで眠っている子供の顔を照らしていた。
 サンタが来るのを待ったまま寝てしまったらしく、かなり変な寝相だ。
 その枕元には、赤い靴下が置いてある。
 あの中に、プレゼントを入れて欲しいのだろう。
「よくもまあ、こんな季節に窓を……」
「私達を、ずっと待ってたんだね、きっと」
 赤松は心底呆れ、小雪はクスクスと笑った。
「さて……二人入っても足音が大きくなるだけだし、俺が行くか」
 赤松が袋からプレゼントを取り出し、窓の枠に足を置いた時。
「待って!」
 小雪が、突然赤松を呼び止めた。
 赤松の心臓が、一気に跳ね上がる。
「ご、ごめん……」
 赤松が何か言う前に、小雪は小さな声で謝った。
 これ以上怒る訳にもいかず、赤松は溜め息を吐く。
「どうしたんだ?」
「え……えっと……」
 小雪は少し躊躇して、
「一人に……しないで……」
 赤松の耳に囁いた。
 赤松は再び溜め息を吐いて、
「……判った」
 溜め息混じりに了承した。
 赤松が先に窓から入り、小雪の手を引いて中に入れる。
 そろそろと爪先で歩き、枕元の靴下にプレゼントを入れた。
 ホッと一息吐くと、二人は踵を返し、橇に乗り込む。
「メリークリスマス」
 二人は小さく呟いた。
 言われた当の本人は、すやすやと寝息を立てていた。


「ごめん、我儘言って……」
 空を走る橇の上。
 小雪は、さっきの事を謝っていた。
 赤松に言われた通り、ずっと上を向いていて、まるで空に話しかけている様だ。
「ま、外は暗いからな……一人じゃ怖いだろ。折角二人でやるなら、役割分担するべきだな。一人がプレゼントを置いて、一人が見張る。これなら良いだろ?」
「うん!」
 赤松の提案に、小雪は迷わず頷いた。


 差ほど掛からずに、次の目的地が見えてくる。
 庭の木やベランダにライトを点けて、ツリーの様にしている一戸建てだ。
 街のイルミネーションと違い、周囲が真っ暗なので、一際輝いて見える。
「わぁ〜、綺麗……」
 小雪は、それをウットリと眺めていた。
 円らな瞳に、色とりどりの煌めきが映る。
「こう言うのって、電気代無駄にしてるよな……」
 赤松が、小雪に聞こえないように呟いた。
 橇が、二階の窓に横付けされる。
 窓は閉まっていて、部屋の中は真っ暗だ。
「やっぱり閉まってるね……」
 小雪が、結露で真っ白になった窓に掌を付ける。
 手を離すと、手形が付いていた。
 少し考えてから、今度は両手を付ける。
 離すと、やはり二つの手形が出来ていた。
 何だか楽しくなってきて、再び窓に手を付ける。
「…………」
「……魔が差したの」
 赤松の視線に、小雪はしぶしぶ手を離した。
「さて、こう言う時は……」
 白い袋から、直径一メートル程の輪を出すと、赤松はそれを窓に張り付ける。
 すると、輪の内側に空洞が出来、部屋の中が見えた。
「これで進入するんだそうだ」
「ねえ、これって……」
 小雪が、何か言いたそうにしている。
 赤松はマニュアルを見て、
「名前は、通り抜け……フ……」
 途中で言葉を詰まらせた。


「ねえ、あれってやっぱり……」
「もう止めよう。議論するだけ無駄だ」
 二人がさっきの事を話し合っている時、急に橇が止まった。
「うわっ!」
「きゃっ!」
 二人は驚いて周囲を確認する。
 トナカイが止まったのが原因の様だ。
 今度は、何故トナカイが止まったのかを確認する。
 双眼鏡で見ると、少し遠くの方に、まだ灯が点いている一軒家が在る。
 その窓から、子供が顔を覗かせていた。
 恐らく、サンタが来るのを、粘り強く待っていたのだろう。
「参ったな……」
 赤松は、言葉通り困った表情を浮かべながら、マニュアルを見る。
「これかな……」
 そして、白い袋から、種の付いたタンポポの様な物を取り出した。
 それに息を吹きかけると、一つの綿毛が風に乗り、問題の家の、問題の部屋に入っていく。
 少し経って、子供が窓から離れ、その部屋の電気が消えた。
「わ、スゴい」
 小雪は、言葉通り驚いてその様子を見ていた。
「何か、泥棒の七つ道具みたいで嫌だな……」


 次の家も、『例の輪』で難無く進入した。
 ベッドでは、人形に囲まれた少女がすやすやと眠っている。
 部屋も、全体的に女の子らしい雰囲気が漂っていた。
 赤松は、枕元を埋めている人形に苦心しつつも、どうにかプレゼントを置く。
「あ、赤松君!」
 突如、小雪が――声を潜めて――赤松を呼ぶ。
「どうした!?」
 その声が切羽詰まっていたので、「まさか」と思いつつ、赤松は小雪の方を向く。
「この漫画の初回限定版……私持ってないのに……」
 小雪は、本棚の前で、少女の本を物色していた。
 相当羨ましいらしく、半泣きの顔が豆球で照らされる。
 赤松の肩から、穴の空いた風船の様に力が抜けていった。
「……それで?」
 それでも、赤松は続きを促す。
「えっと……その……ギブアンド……テイク……」
 小雪の言わんとする事を理解し、己の行動を後悔した。
 流石に堪忍しかねて、赤松は小雪の額を小突いた。
「……ん……う〜ん……」
 その時、少女のものと思われる声が聞こえ、二人は石の様に固まる。
「ふわぁ……」
 少女はゆっくりと状態を起こし、大きく欠伸をした。
 二人は、身動きこそ出来なかったが、脳内では様々な感情が暴れ回っていた。
 頭から血の気が引いていく感覚を覚え、全身から嫌や汗が噴き出す。
「お兄ちゃん……おはよう……ふわあぁ……」
 どうやら半分以上眠っているらしく、寝ぼけ眼を擦りながら、居ない人に挨拶をした。
 赤松は色々と考えた末、他に打つ手が無い事を悟ると、
「こらこら。まだ子供は寝ている時間だぞ」
 様々な感情を内側に抑え、優しい声で少女に話しかけた。
 小雪は色々とツッコみたかったが、それが出来る雰囲気ではない。
「あれ……そうなの……?」
 どうやら、少女は真相に気付いていないらしい。
「ああ。だから、もう少し寝てろ」
 果たして、彼の内側では如何様な感情が巡っているのだろうか。
「は〜い……」
 少女は返事をすると、そのままベッドに横たわった。
 赤松が、丁寧に毛布を掛け直し、髪を梳かす様に頭を撫でた。
「お兄ちゃん……サンタさん……来てくれるかな……」
「来るよ。必ず」
 赤松が答えると、安心したのか、少女はすやすやと寝息を立てていた。
 全ての力を使い果たした赤松は、大きく息を吐く。
 掌や額は、ビッショリと汗をかいていた。
「赤松君……」
 そんな赤松を、小雪は可哀相な者を見る目で見つめている。
「いや、俺は最後の手段として仕方無く……」
「…………」
「そもそも、白鳥さんが人の家の漫画を……」
「…………」
「『お兄ちゃん』なんて呼ばれたら、漢として……」
「…………」
「俺の家、男兄弟だから……憧れてたんだよ……」
 とうとう本音が漏れてしまった。


 その後も、二人は次々とプレゼントを配っていった。
 危ない状況も少なからずあったが、知と勇でどうにか回避した。
 深夜の作業なので、何度も睡魔に襲われ、
その度に、白い袋の中に入っていた、目覚まし用のガムを噛んだ。
 ある程度場数を踏むと、作業にもある程度慣れてくる。
「最近テレビに出てるメイドカフェは、メイドの何たるかをイマイチ解ってない気がするんだよな」
「あ、解る解る。ちょっとやり過ぎだよね」
「日本特有の女中道的精神を、西洋のロングドレスとエプロンとヘッドドレスで飾ったのが、日本オリジナルの『メイド』なのに、あそこまでしゃしゃり出るとな……」
 次第に二人の間の氷も溶けてきて、橇での移動時間を世間話で潰すようになった。
 次の場所へ向かう途中、
「赤松さーん、白鳥さーん、聞こえますかー!?」
 白い袋の中から、ナツミの声が聞こえた。
 少し驚いて、袋の中から無線機を取り出す。
「聞こえるよ」
「調子はどうですか?」
「ああ。どうにか」
「良かった〜……」
 赤松の言葉に、言葉通り安心したナツミの声が聞こえる。
「……で、あといくつ残っていますか?」
「え〜と……」
 袋の中のプレゼントを数え、ナツミに伝えると、
「えぇ!? そんなに残っているんですか?!」
 予想外のリアクションに、二人は面食らった。
「ちょっとマズいですよ……間に合わないかも知れないですよ……」
 声だけでも、ナツミが焦っている事が伺える。
 彼女の焦りが、二人にも伝染し、二人は息を呑んだ。
「こっちはもうすぐ終わりますので、なるべく急いで下さい。すぐ援護に向かいます!」
「判った」
 連絡を終えると、 二人はすぐに準備に取りかかった。


 次の目的地に着くと、二人はすぐに室内に進入する。
 同時に、子供と同じ部屋で寝ている親の姿を見付け、二人の心臓が跳ね上がった。
 幸い、誰も起きる気配は無さそうだ。
 ――焦り過ぎたな……。
 赤松は、心の中で自分を咎めた。
 入る前に室内を確認しておけば、危なげ無く入れた筈だ。
 こう言う状況だからこそ、焦ってはいけない。
 焦燥は、常々自分自身の敵だ。
 無闇に急ぐと、必ずどこかで失敗して、余計時間が掛かってしまう。
 焦らない程度に急ぐのが最も良いのだが、その力加減はなかなか難しい。
 もっと、冷静にならなければ。
「白鳥さんは、親の様子を見といて」
「判った」
 小声で指示を出すと、赤松は子供の枕元へ移動する。
 子供が眠っている事を確認すると、赤松はその場にしゃがみ込み、そっとプレゼントを置いた。
 作業が無事に終わり、赤松は息を吐く。
 赤松の方を見ていた小雪も、ホッと安堵した。
 その時、右脚の絶対領域に、何かが伝う感覚を覚える。
 小雪は気になって、その辺りを確認した。
 豆球で照らされているだけなので、少々判り難いが、直径一センチにも満たない蜘蛛が、
小雪の脚を這い回っているのが確認出来る。
 ニーソックスを履いているので、ここまで到達するまで気付かなかったのだろう。
 一通りの状況を認識すると、小雪の顔が見る見る青ざめていく。
「きゃあああああああぁぁぁぁっ!!!!!」
 小雪の悲鳴が、部屋中に響き渡った。
 突然の大声に、赤松の心臓が跳ね上がる。
 混乱する頭を抑えながら、状況を確認しようとするが、暗い部屋ではそれもかなわない。
 少しして、部屋の電気が点き、夜目が利いていた赤松は目を覆う。
 どうにか慣れて見ると、子供の親と思われる、三十代の男女が、二人を見ていた。
 蜘蛛を追い払った小雪は、ようやく自らが犯した過ちに気付き、真っ青になる。
 子供は、それでも未だ何事も無いかの様に眠っていた。
 ――終わった……。
 赤松が、何もかも諦めたその時。
「そうか。今年は君達が……。いや、驚かせて悪かった」
 男性が、特に驚く事も無く、ばつの悪そうな顔で謝った。
 予想外の反応に、二人は戸惑う。
「ごめんなさいね。うちは、蜘蛛を見付けても放っておくようにしてるの。気持ち悪いから殺すなんて理不尽な発想だし……ほら、害虫とか食べてくれるでしょ?」
 壁を這う蜘蛛を見て、女性も謝った。
 訳が解らず、赤松と小雪は顔を見合わせる。
「大丈夫。うちの息子は、ちょっとやそっとじゃ起きないよ。毎年済まないね。去年のプレゼント、息子が大変喜んでたって伝えておいてくれ」
「あ、あの……」
 赤松が色々と尋ねようとした時。
「ナツミと連絡が取れないと思ったら……こう言う事ね」
 窓の方から、柔らかい印象を受ける声が聞こえ、四人はその方を向く。
 そこに立っていたのは、二十代前半と思われる女性。
 身長は百七十程と思われ、脚はスラリと長く、ウエストは締まっており、出るべき部分は出ている。
 透き通った碧眼と、雪の様に真っ白なロングヘアが特徴的だ。
 ナツミや小雪と同じ、サン・タクロス社の制服を着ている。
 ナツミを『垢抜けていない、元気な少女』とするならば、彼女は『落ち着いた、優しいお姉さん』と言う印象だ。
「もしかして、貴女は……!」
 男性と女性が、とても嬉しそうに言う。
「はい。サン・タクロス社社員、識別番号F-0469のシルクです。……あの時は、本当にありがとうございました」
 シルクは自己紹介をして、深々と頭を下げた。
「やっぱり! いや〜、何年ぶりだろう! 息子が生まれる前だから……ずいぶん経つんだな」
 彼女がシルクである事が確定して、男性は嬉々として言った。
「そうですね。正直、もう会える事は無いと思っていましたから、再び会えて、とても嬉しいです」
 シルクも、笑顔で応対する。
「あ、あの……?」
 状況が飲み込めず、赤松はシルクに声を掛けた。
 そこでようやく、シルクは本来すべき事を思い出す。
「ゆっくりと話をしたいのですが、生憎、仕事がまだ残っています。もし会える機会があれば、その時にまた」
「そう……残念だわ」
 シルクの言葉に、女性は言葉通り残念そうに言った。
 シルクに促され、赤松と小雪は橇に乗る。
「……メリークリスマス」
 シルクが口惜しそうに言い、
「メリークリスマス。お仕事頑張れよ」
 男性と女性は笑顔で見送った。
 橇が、トナカイに引っ張られ、家からぐんぐん離れていく。


 赤松達が乗った橇は、明らかにナツミから借りたそれではなかった。
 ナツミの橇よりも大きく、空いている荷物入れに、二人が余裕で乗る事が出来る。
 シルクは前の席に座っていて、その隣には、残りの荷物を入れた袋が置かれていた。
 その橇は、二匹のトナカイに繋がれている。
 ナツミのトナカイよりも圧倒的に速く走っており、風圧が身体を押し続けていた。
「……あの」
「何?」
 暫く沈黙を守っていた赤松が、シルクに声を掛ける。
「貴女は一体……?」
「そっか。未だ説明してなかったわね。
私はシルク。サン・タクロス社社員。ナツミの先輩よ」
 赤松の問いに、シルクは改めて自己紹介した。
「何で、あの夫婦は私達を……?」
 小雪の質問に、シルクはクスッと笑い、
「あの二人は……未来の貴方達かも知れないわね」
 答えになっていない答えを提示した。
 小雪は、頭に『?』の字を浮かべる。
 赤松が、先にその意味を悟った。
「もしかして、貴女も……」
「さて……残りのプレゼント、早く届けてしまいましょうか」


「はふ〜、ようやく終わりました……」
 最後の一件を済ませたナツミは、急いで橇に乗り、無線機を取り出した。
 あの二人の作業が遅れているのは、何の関係も無い人を巻き込んだ所為だ。
 全部、自分の所為だ。
 だから、何としても、自分が最後まで責任をとらなければならない。
 ――あれから、どれくらい終わったでしょうか……?
 少し不安になりつつも、ナツミは無線機の電源を点けた。
「赤松さーん、白鳥さーん、聞こえますかー!?」
 少し経って、
「聞こえるよ」
 赤松の返事が返ってくる。
「あれから、どれくらい配れましたか!?」
「え〜と……」
 暫く向こうは沈黙して、
「……残りはゼロ。終わった」
 信じられない答えが返ってくる。
「えぇ!? どう言う事ですか!?」
 そんな馬鹿な。
 さっきの連絡で、あんなにプレゼントが残っていたのに……。
 どう考えても、これ程のスピードアップは考えられない。
「どう言う事って……そう言う事だ。詳しい事は、あの広場にもう一度集まってからにしよう」
「えっ、ちょっ……赤松さん!? 赤松さん!?」
 一方的に、連絡が途絶えてしまった。
 ――とにかく、二人と合流しないと。
 そう判断したナツミは、急いで広場へ向かった。


「よう、遅かったな」
「ナツミちゃん、お疲れさま〜♪」
 ナツミが広場に着くと、既に赤松と白鳥が居た。
 ナツミとは対照的に、至って涼しい表情をしている。
 状況が飲み込めないナツミの目に、トナカイと橇が映る。
 ――え?
 あの橇は、明らかに自分の物ではない。
 あんなに大きな橇を貸した覚えは無い。
 そして、貸したトナカイも一匹だ。
 なのに何故、二匹も居るのだろう。
 トナカイの数が多ければ多い程、速度は速くなる。
 荷物の配達が間に合ったのは、この為と考えて間違い無い。
 取り敢えず、最初の疑問は解決出来た。
 だが、それ以上に難解な疑問が、次々と浮かんでくる。
 それらについて考えると、否応無しに辿り着く一つの答え。
「まさか……」
 そして、その答えは当たった。
 赤松と小雪の後ろに居るのは……。
「し……ししし、シルク先輩!?」
 およそ最悪の事態が起きてしまった。
 一般人に見られた挙げ句、手伝って貰っただなんて知られたら、無事に済む訳が無い。
 配達は、他でもない自分の仕事なのだ。
 自分のすべき事を、他人に手伝って貰うなんて、言語道断だ。
 だが、仕方が無かったのだ。
 こうしなければ、とても間に合わなかったのは、紛れもない事実だ。
 ……もちろん、そんな事情が通用する訳が無いが。
「あ、あの……何故にここへ……?」
「無線に出ないから、ちょっと心配になって」
 ナツミの質問に答えると、シルクはナツミにゆっくりと歩み寄る。
 ナツミは数歩後退り、その場にへなへなと座り込んだ。
 移動を止めると、シルクとの距離が、確実に縮まっていく。
 それに比例するかの様に、ナツミの顔から血の気が引いていった。
 そして、シルクがナツミの目の前に立つ。
 ナツミは頭を抱え、その場に縮こまった。
「す、済みませんでした! この二人に見られたのは、全部私のミスです! この二人に手伝って貰ったのも、私の勝手な判断です! ……でも、仕方無かったんです。他に手が無かったんです。配達を間に合わせようと思ったら、これ以外には……。自分を正当化するつもりは無いです! 本当です!」
 必死に謝るナツミの身体は、小さく震えている。
 そんな彼女が受けたのは、叱責でも殴打でもなく、
「お疲れ様、ナツミちゃん」
 優しい労いの言葉だった。
「……はぇ?」
 予想外の出来事に、ナツミは戸惑いを隠せない。
「あ、あの……」
「……? どうしたの?」
 当のシルクは、至って涼しい顔をしていた。
「……その……怒らないんですか?」
 思い切って、ナツミは尋ねてみる。
「どうして?」
「だって……私‥…」
 怖々と尋ねるナツミに、シルクはフッと微笑んだ。
 そして、ナツミの頭にそっと手を置く。
 ナツミはビクッと身体を震わせ、上目遣いでシルクの顔を見る。
 シルクは、温かい笑顔でナツミの頭を撫でた。
「そう言う所が、貴女の直すべき点ね。一人で全部頑張ろうとして、一人で全部背負い込もうとして……。熱意は評価するけど、行き過ぎは考え物ね」
「でも、私は新人として、一日も早く先輩の様な」
 反論しようとしたナツミの顔を、シルクは緩く小突いた。
「一人で先走っても、誰も連いて来ないわよ。頑張るのは結構だけど、自分の技量に見合う範囲で。貴女は、一人なんかじゃないんだから。色んな人が支えてくれるから、貴女が在るのよ」
 シルクは、ナツミに諭す様に言った。
 ナツミは黙って話を聞き、小さく頷く。
「……でも、一般人を手伝わせてしまった事は……」
「それなら、気にしなくても良いわ」
 不安げに言うナツミに、対照的な表情でシルクは答える。
「大抵の新人さんは……もちろん私も、最初はそうだったから」
「……え?」
 さらりと衝撃的な事を言われ、ナツミは己の耳を疑った。
 シルクは、相変わらず笑顔に翳りが無い。


「赤松さんと白鳥さん……だったわね?さっきの質問の答えでもあるから、よく聞いてて」
「は、はい……」
 さっきからずっと見ていた二人も合わせ、シルクの聴衆が三人になる。「新人が定刻通りに荷物を全て届けるのは、正直言って無理。どんなに頑張っても、本物の現場は戸惑う事だらけだから」
 まず、ナツミが一人でプレゼントを届けられなかったのは、必然である事を話した。
 一息吐いて、更にシルクは続ける。
「サン・タクロス社が新人に求めるのは、どうにもならない状況をどうにか出来る力。他の何よりも、子供達にプレゼントを届ける事を優先する心。そして、会社の構成員である以上、無くてはならない協調性。それらを身を以て教える為に、一般人に頼らざるを得ない状況に身を置かせるの。だから、貴女がした事は、何一つ間違っていないの」
 そう言って、シルクはナツミの頭を再び愛撫する。
 その仕草は、先輩から後輩へと言うよりは、姉から妹へと言った感じだった。
「私も、貴女と同じ新人だった頃、同じ様な体験をしたのよ。どうしてもプレゼントの配達が間に合いそうになくて、困っていた時に、若い夫婦に声を掛けられて……藁にも縋る思いで、必死に頼み込んだの。そうしたら、『子供の頃のお礼だ』って、快く承諾してくれたわ。さっき、会う機会があったんだけど……仲睦まじそうで良かったわ」
 ここでようやく、小雪はさっきの質問の答えを悟った。
 更にシルクは続ける。
「プレゼントを貰った子供達は、夢の有る素敵な大人になって、次代の為に新人達を手伝ってくれるの。私達は皆に夢を配り、皆は私達を育ててくれる。
こうして、ずっと、ずっと子供達の夢は守られていくのよ。……さて、もう納得してくれたかしら? 兎に角、三人共お疲れ様」
 シルクが、再び労を労う。
 それと同時に、ナツミの瞳から涙が溢れ、頬を伝い、ポロポロと流れ落ちた。
「あ、あれ……何で……?」
 当の本人が一番驚いているらしく、何度も涙を拭うが、その都度涙が溢れてきた。
 理由は、良く判らない。
 只、シルクの言葉で緊張が解け、全て終わったのだと安心した途端、目頭が熱くなったのは確かだ。
「あらあら。仕様が無いんだから……」
 シルクは微笑んで、ナツミをそっと抱き留める。
 暫くの間、ナツミはシルクの胸の中で、嗚咽を漏らし続けていた。


「さて、仕事も終わったし、そろそろ帰りましょうか。皆が、打ち上げの準備をして待ってるわよ」
「はい!」
 ようやく泣き止んだナツミが、軽快に答える。
 橇に乗り込もうとして、何かを思い出し、橇に積んであった白い袋から、赤松と小雪の服を取り出す。
「二人共、本当にありがとうございました。服を返しておきますね」
 ナツミが頭を下げて服を差し出し、二人はそれを受け取った。
「ところで、この制服は……」
「せめてものお礼です。貰って下さい」
 こうして、二人はサン・タクロス社の制服を貰った。
 サンタルックで街を歩いて帰らなければならない事は、未だ頭に無い。
 ナツミとシルクが会釈して、橇に乗り込もうとした時。
「あ、あの!」
 小雪が突然呼び止めた。
「何?」
 それでも、シルクは嫌な顔一つせずに振り返る。
 小雪は少し間を置いて、
「私‥…子供の頃に、貴女達から何かを貰った覚えがありません。クリスマスプレゼントは、全部両親が買ってきた物でした。今更何かを貰おうなんて思っていませんけど、理由だけでも教えて貰えませんか?……すみません。最後の最後にこんな……」
 最後の疑問を尋ねた。
「そう言えば、俺も貰った覚えが無いな。家族がアンチキリストだから、当たり前かも知れないけど」
 赤松も、それに便乗する。
 シルクは少し考えて、
「……ちょっと待って。貴方達の名前、確か聞いた覚えが……」
 何かを思い出そうとした。
 暫くの沈黙の後、シルクはポンと手を叩く。
「思い出したわ。社内で耳にした話なんだけど……」
 そう言って、シルクは再び話を始めた。
「日本のある所に、一人の女の子が居たの。その子は、両親が忙しい所為で、ずっと独りぼっちだったわ。親の愛情を知らずに育ったから、友達も出来ず、いつまで経っても独りだった。その娘の唯一の楽しみが漫画だったから、尚更孤立していった……。そんな女の子のクリスマスの願いは、『自分を受け入れてくれる友達』。サン・タクロス社も、流石にこれには困ったそうよ」
 恐らく、小雪の事だろう。
 更にシルクは続ける。
「日本のある所に、一人の男の子が居たの。その子は、家族が宗教に厳しい所為で、クリスマスをまともに楽しんだ事が無かった。そんな男の子のクリスマスの密かな願いは、『クリスマスを楽しむ事』。これもまた、サン・タクロス社を困らせたのよ」
 恐らく、赤松の事なのだろう。
「私達は、何年も悩んだわ。どちらも『物』じゃなかったから。……そして、つい最近、ようやく一つの結論に辿り着いたわ。この二人を巡り合わせれば、両方の願いを叶える事が出来る、と。女の子は、趣味の合う男の子に受け入れて貰える。男の子は、初めての友達に喜ぶ女の子とクリスマスを過ごせる。これが、私達の出した答えだったの」
「えっ……それってつまり……」
 赤松と小雪が、驚いて顔を見合わせる。
「そう。『二人が出会う切っ掛け』が、サン・タクロス社からのプレゼントなの。……さて、そろそろ帰らないと、打ち上げに間に合わないわ。いつまでもお幸せにね、二人共」
 そう言うと、シルクとナツミは橇に乗り込んだ。
 赤松と小雪は、驚きで声も出ない。
 二匹のトナカイが、空へと動き出した。
「赤松さーん! 白鳥さーん! 本当にありがとうございました〜! 絶対……絶対、この御恩は忘れませんからね〜!」
 ナツミが、橇から乗り出して、二人に向かって手を振る。
 橇が宙に浮かび、二人からぐんぐん離れていった。
 最後までナツミは手を振り続け、橇から落ちかけ、シルクに救われる。
 どんどん橇は小さくなって、とうとう夜空へと消えていった。


「…………」
「…………」
 二人が去った後も、赤松と小雪は立ち尽くしていた。
 同時にお互いの方を向き、目が合い、思わず顔を逸らす。
 顔が紅潮し、心臓が高鳴っている感覚が感じられる。
 さっきまで普通に遣り取りしていたのが、まるで嘘の様だ。
「……赤松君が……」
 小雪が、沈黙を破る。
「赤松君が……私へのプレゼントなんだね……」
「白鳥さんが……俺のプレゼントなんだな……」
 自分で言って、かなり恥ずかしくなってくる。
 二人同時に横目で見て、目が合って、目を逸らして……それを三回繰り返した。
「ま、まあ……悪い気はしないな」
「結構……嬉しい……かな」
 思った事が、口で湾曲して放たれる。
 そんな自分に、再び恥ずかしくなった。
「……帰るか」
「う、うん」
 ぎこちない遣り取りの後、二人は早朝の街を歩き出す。
 赤松は少し考えて、かなり躊躇して、どうにか覚悟を決めたあと、小雪の手を握った。
 驚いて、小雪は赤松の方を向く。
 何か言おうとしたが、
「何も言うな」
 すぐに赤松に止められた。
 暫く歩いた後、三番目の信号待ちの途中で、小雪が赤松に寄り掛かる。
「し、白鳥さん?」
「……眠い」
「ここで寝たら不味いって。家まで送ってやるから頑張ってくれ」
「……お前の血は……何……い……」
「…………」
 どうやら、夢の世界へと旅立ってしまったらしい。
 赤松は溜め息を吐いて――それでも表情は曇る事無く――
「世話の焼けるプレゼントだな……」
 小雪を起こさないように呟いた。
 雲一つ無い空は、太陽が顔を覗かせる時を待つばかりだ。
2005-12-25 18:12:31公開 / 作者:月明 光
■この作品の著作権は月明 光さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
クリスマスに間に合わせたいが為に、一日中パソコンに向かっていました。
もう限界です。夢幻花 彩さんの返信にも応える余力が無
この作品に対する感想 - 昇順
始めまして。きっともう既に誰からも覚えていてもらえないであろう古参の夢幻花です。
 クリスマスものですね。サンタクロース関係の会社設定はそう珍しいものではありませんが、これからの展開に期待しますね。文章の方で気になったのは、文の途中での改行です。恐らく見やすくしよう、という配慮なのだと思います。ただ、eメと違って小説の場合は、特に意味のない改行ならしない方が見やすいと思います。地の文を長くしてみるのもいいのではないでしょうか。
少し厳しめの感想になってしまいましたが、続きも期待していますね♪
2005-12-16 23:44:06【☆☆☆☆☆】夢幻花 彩
拝読しました。今のところ軽快なストーリーをなぞるに止まっているので、これからの展開を楽しみにしております。全体的に角が無いと云うか、突出しているものが無いように思えるので、例えば主人公どちらかを軸に置きもう少し心情描写を増やす乃至背景や容姿の描写を簡素にではなく書き綴るなど、モノローグを厚くしても良いと思います。とんとん拍子、そんな印象が強かったです。次回更新御待ちしております。
2005-12-17 07:28:30【☆☆☆☆☆】京雅
作品を読ませていただきました。物語の展開速度は良い感じで、ポンポンと読んでいけます。ただ、文章があっさりしすぎています。背景や状況が必要最小限しか提示されておらず、なんだか読み足りない感じがします。文章のリズムを壊すことなく、もう少し描写を増やして欲しいですね。では、次回更新を期待しています。
2005-12-17 23:37:05【☆☆☆☆☆】甘木
皆さん、感想ありがとうございます。
>夢幻花 彩さん
サンタの会社設定は、私自身映画で見た事ありますし、ベタでしょうね。
これからがこの小説の個性を決める事になるでしょうか。
文の途中の改行は、次の更新の時に直しますね。
>京雅さん
次辺りから、キャラの心情を掘り下げていきます。
詳しくは書けませんが、次は小雪に軸が置かれると思います。
>甘木さん
地の文関係の話は、もう慣れた気さえしますね(ぇ
それだけ、いつまで経っても地の文が苦手と言う事なのでしょうが。
書いていく中で身に付くのを待つしかないかな、と思ったりしています。
2005-12-19 13:00:40【☆☆☆☆☆】月明 光
初めまして、読ませて頂きました。自分はアドバイスなんて言える立場じゃないので感想だけにさせていただきます。冒頭のネコバスで笑ってしまいました。軽く読めたので、もう少し読みたいかなあ、と……。続きを楽しみに待っています。
2005-12-21 12:19:01【☆☆☆☆☆】ぱん
ぱんさん、感想ありがとうございます。
ネコバスで笑って頂けましたか。初めて言われたので安心しました。
どんな寝言を言わせようかと考えた時、真っ先に『ネコバス』が浮かんだので……。ジブリの人に謝ります。すみませんでした(汗
2005-12-21 14:06:38【☆☆☆☆☆】月明 光
続き拝読しました。後半のシーンは小雪に絞られていたので心情も解り易かったです。前半のナツミの心理がぽつんと浮いているように感じましたが、これから彼女にもライトがあたるのでしょうか。文章のことで、モノローグは兎も角科白に至るまでもほぼ一文毎に改行され非常に読み難い印象があります。文章の定義は文の集まりであるため、繋げるところは繋げるべきかと。次回更新御待ちしております。
2005-12-24 07:25:02【☆☆☆☆☆】京雅
始めまして。読ませてもらいました。楽しく読ませてもらいました。小雪にも主人公にも感情移入しやすくてよかったです。気になった点ですが、台詞の途中で改行されると少し読みづらかったです。小雪の台詞ですが、結構長い台詞なのに心理描写がないのは少し寂しいかな、と感じました。台詞の間に小雪の心理描写を書いて台詞を少し区切っても良かったかも知れません。こんな考え方をする人もいるくらいで聞き流してくれるとありがたいです。次回更新楽しみにしてます。
2005-12-24 11:18:06【☆☆☆☆☆】アタベ
>京雅さん
感想ありがとうございます。
ナツミにライトは……当たります。当てます。きっと。
科白の改行、了解しました。次の更新で直します。
>アタベさん
感想ありがとうございます。
台詞の改行は、京雅さんへの返信の通りです。
小雪の台詞ですか……判りました。これも直しておきます。
2005-12-24 18:31:28【☆☆☆☆☆】月明 光
しばらくきてなかったので、まとめて感想を。
小雪ちゃんのクリスマスへの夢とか憧れっぽいものを入れたのは良かったと思います。全体的にも一話より向上してるし。凄く。ちょっとだけ気になったのは、いえギャグだって判ってるんですけど、小雪ちゃんのギブ&テイクかなぁ。。。その場で読もうとした程度に収めといた方が良かったかもなぁ、なんて思いました。漫画オタクを小雪ちゃんのキャラの一つにしてるから不自然ではないんですけど、全体的に「優しい感じのおっとりした子」で来てるからちょっと違うかな、と。ナツミちゃんは出来れば小雪ちゃんとは違う感じの系統でスポットライトを当てて欲しいなぁなんて勝手な事を思っています(笑)その辺は月明さんのセンスに期待して。地の文に関してですが、〜だった。〜する。〜。(単語)などとすると長くなるし良い感じに行くかもしれません。上手な人の作品を読んで技術を奪うのも手です。そういう偉そうな私はちなみに下手です。私の文章なんて読めたものじゃありません(笑 駄目じゃん)
それでは、次回ラスト予定ということで、頑張ってくださいね!
2005-12-25 02:31:13【☆☆☆☆☆】夢幻花 彩
最後まで読ませてもらいました。いっそうクリスマスが寂しくなりましたが、最後まで楽しませてもらいました。こういう内容は自分好みです。でも少し地の文の改行が気になりました。ここは改行しなくてもいいんじゃないのかなぁと思う箇所が何個かありました。こんなことしか書けず申し訳ないです。
2005-12-25 18:58:34【☆☆☆☆☆】アタベ
色々と落ち着いたので、ゆっくりとレスしてみます。

>夢幻花 彩さん
≫ちょっとだけ気になったのは、小雪ちゃんのギブ&テイクかなぁ
案外、好きな物を目の前にすると、人間変わるものだと思いますよ。
……とでも言わないと、書き直すのが辛いのが本音です(苦笑)
≫ナツミちゃんは出来れば小雪ちゃんとは違う感じの系統でスポットライトを当てて欲しい
私の中では、小雪が少しおっとりした感じで、ナツミが生真面目で元気な感じなのですが、伝わったでしょうか?

>アタベさん
≫ここは改行しなくてもいいんじゃないのかなぁと思う箇所が何個かありました
元々、「横に長い文章は嫌だ」と言う個人的な好き嫌いで改行していましたからね……。その辺りの加減が難しいです。
2005-12-27 19:22:20【☆☆☆☆☆】月明 光
続き拝読しました。もっと深く心の変質を描くのかと思っていたら、表面的な事象の動きに焦点を合わせた物語でしたね。随所のコメディ要素は面白かったのですが、ラストの種明かしで解決(融解)してしまう一連の流れもやはり表面的に思え、主人公の二人に思い出を想起させるなり感情の吐露をさせるなり、内面的な掘り下げがさらに仕組まれていたほうがよりプレゼントの件が生きてくると思います。また、ギブアンドテイクの件ですが、そのすぐ後の「そんな赤松を、小雪は可哀相な者を見る目で見つめている」から先の小雪の心情が能く解りませんでした。自責・感嘆するならまだしも、いかなる想いで「可哀相な者を見る」に至ったのか、難解です。次回作御待ちしております。
2005-12-29 05:20:32【☆☆☆☆☆】京雅
続きを読ませていただきました。クリスマスらしい物語でしたね。合間合間に入るギャグは十分楽しかったです。お伽噺的な展開は読みやすいのと同時に物足りなさも感じました。小雪や赤木が子供の頃に抱いた望みが、現在に至るまでどのように続いていたのかという内面的な描写を入れて欲しかったですね。それによってプレゼントの有り難みが倍増してきたと思います。では、次回作品を期待しています。
2005-12-29 08:26:34【☆☆☆☆☆】甘木
京雅さん、甘木さん、感想ありがとうございます。遅れてしまって申し訳ないです。

>京雅さん
今回は『クリスマス』と言う〆切がありましたので、焦る余り人物の掘り下げが不十分でしたね。反省します。
≫「そんな赤松を、小雪は可哀相な者を見る目で見つめている」
多分、応対する様が楽しそうに見えたのではないでしょうか。真相は彼女のみが知るところですが(汗

>甘木さん
急いで書いたので書けませんでしたが、今になると書けば良かったな……と言うエピソードが結構あります。無闇に書き直すのも良くないので、多分これはこのままになると思います。これを切っ掛けに成長できればな、と思っております。
2006-01-04 14:28:23【☆☆☆☆☆】月明 光
計:0点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。