『残酷な支配者』作者: / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角4170文字
容量8340 bytes
原稿用紙約10.43枚
残酷な支配者
 


 私、趣味でこそこそ小説を書いてるんですけど。いや、小説って言えるほど立派なもんじゃないかな。まぁ、それなりに書いてます。普通のサラリーマンです。
 例えば今みたいに、仕事が山積みでしかも締め切りが明日っていう時に限って、なんだかいろいろ考えちゃうんですよね。それは哲学のようなモノだったり、悲観論だったり小説のネタだったりします。
 それでね、今もふと、思い浮かんじゃったんですよ。
 私たち筆者は、言ってみれば物語の支配者ですよね。その物語に出てくる登場人物は、私たちの思うがままに動きます。だから彼らにとって、一番恐ろしい存在は、近所のいじめっ子でもなく、生活指導の先生でもなく、ドラゴンや幽霊なんかでもなく、私たち筆者じゃないのかって。そう思ったんです。
 彼らの運命は完全に私たちの手に握られています。生い立ち、生活環境、仕事、恋愛、対人関係、死に様まで。私たちはストーリーの展開にあわせて、いくらでも変えることが出来る。
 何か、分かりやすい例でも挙げてみましょうか。
 そうですね。じゃあ簡単に、女の子が男の子に恋をする話。王道ですね。
 普通の学生にしてみましょう。女の子は、そうですね。『サキ』という名前にしましょうか。男の子は、『彼』とだけ呼びましょう。
 サキは高校一年生。毎朝、同じ時間に同じ電車の同じ車両に乗る。その車両の、いつも同じドアのところに、彼がいるからです。サキは高校に入ってその電車に乗るようになって、彼に一目惚れするんです。でもサキは話し掛けられない。そりゃ、よく知りもしない他人に話しかけるなんて、簡単にはできませんよね。彼の、かばんの傷や制服を軽く着崩した感じから、明らかに年上のオーラがでていて、その上カッコよかったので、内気なサキは最初見ることもためらったほどでした。
 ここまで考えても、やっぱりよくある話ですね。この後、サキが落とした定期を彼が拾ったりしたら、それこそありがちですから、ちょっと変えてみましょう。
 ここで私は、『彼』がサキにとってとても大切な人にするために、サキをいじめられっ子にします。サキは学校に行っても、友達がいない。みんながサキを無視します。だからサキは本当は学校になんか行きたくないけど、電車で彼に会いたいがために、毎日学校に行きます。こうすればサキにとって彼の価値が、普通の学生をやっているという設定の時より、ずっと上がりますよね。毎日友だちと楽しく過ごしている普通の子なら、彼のことが少し気になっても、学校の誰かといい雰囲気になったりして、彼のことをすぐ忘れてしまうかもしれませんから。
 でもまだ足りないな、と思って私は、サキの家庭を崩壊させます。父は別の女のところに行ったきり帰ってこない。母も男を連れ込んでくる。たまに顔を合わせば、出てくるのはお互いを傷つける言葉ばかり。可哀想なサキちゃん。サキにとって癒されるのは、電車で彼をこっそり見つめている時だけ。
 これでまた、『彼』の価値がサキの中で上がりました。もうサキは、彼のことしか考えられない。彼が生きる希望だと言ってもいいくらいです。
 今までのが、前置きですかね。ここからストーリーを動かしましょうか。さっきも言ったように、サキに定期を落とさせるのもいいですが、やっぱりそれは嫌なので、なにか別のイベントを起こしてみましょう。
 ある日、サキは猛烈にいじめられます。それまで無視するだけの女番長みたいな怖いコに、かなりひどい事をされます。理由は、女番長が好きな男子と、話をしてしまったから。それも、その男子が落としたペンがサキの椅子の下に転がったから、拾ってあげて、「ありがとう」と言われただけ。
「汚ねぇ手でシンヤ君のモノにさわってんじゃねぇよ!」と怒鳴られます。理不尽ですね。今時高校生にもなって、本当にこんなことがあるのかどうかは知りませんが、雰囲気がでればオッケーです。
 次の日、サキはどうしても学校に行きたくなくなりました。でも家には新しい男がいるから学校に行かないと、母親に疎まれます。サキはいつも通り電車に乗り、いつも通り彼を見つけました。サキが降りる駅の方が近いので、サキは彼がどこまで乗るのかは知りませんでした。制服もこのあたりでは見慣れなかったので、全く見当がつかなかったのです。
 サキは、思い切って彼について行ってみよう、と思いました。大きな決断です。お金はありました。この時間帯で、まさか県外の学校ということはないとめぼしをつけて、サキは学校をさぼるという一大決心を下します。
 それからしばらくして、彼が電車を降りました。急いでサキも後を追います。駅には彼と同じ制服を着た人たちがいっぱいで、サキは明らかに浮いていました。その上、乗り越し精算をしている間に彼の姿を見失ってしまいます。
 サキは慌てて後を追いましたが、彼は制服の波にまぎれてしまってどこにいるかわかりません。どうしようかと思案していると、列からひとつそれていく影がありました。それが彼でした。サキは不思議に思いながらも、彼を見つけたという安心感から、彼を追います。気付かれないかと不安に思いながらも、すたすたと歩く彼を追います。
 やがてふたりは、ふるぼけた木の建物の前まで着ました。半ば廃墟と化したその建物に、彼は吸い込まれるように入っていきます。サキはいよいよ不審に思いながら、入口の看板を読もうとしましたが、それすら風化しきっていて全く読めませんでした。
 廃墟の隣に、寺がありました。
 サキはなんとなく、中に入ってみます。小ぢんまりした本堂と、たくさんのお墓がならんでいました。サキはお坊さんに尋ねます。「あの建物は何ですか?」お坊さんは答えます。「あれは、○○高校の旧校舎だよ。もうずっと使われてないんだ」
 なるほど、旧校舎。サキは納得します。でも、じゃあ、彼はなんであんな所に入って行ったんだろう?
 ここで、私はまた考えます。『彼』の正体をどうしようか。皆さんもうお察しかもしれませんが、このままでは『使われていない旧校舎』と『寺』のキーワードから、彼は『幽霊』ということにせざるをえません。いや、何か訳ありの学生だという理由をつければいいかもしれませんが、それはまぁ、置いといて。
 幽霊ということにするにしても、ただの幽霊じゃつまらない。どうして彼は、サキの前に姿を現したんだろう? どうしてサキは、彼を追いかけるほどに心惹かれているんだろう? この問いに、明確な答えが欲しいですね。
 それからたいていの怪談では、幽霊は正体を見られると、それ以来姿を消してしまいますよね。私も、もう彼には登場してもらわないつもりです。では、これからサキはどうすればいいのか。生きる希望を失った彼女は、それこそどん底です。それはあんまりだし、物語のオチとしてもよろしくない。さて、どうしようか。
 私は、さっき考えた家族構成を直します。母親はまだ若く、朝、サキが家を出るのを見届けてから会社に向かいます。そして、父親はずっと昔に『死んでいた』ことにします。そう、母親は高校三年生のときにサキの父親と恋に落ちて、学生という身分でありながら身ごもってしまうのです。ところがある時、突然父親が事故で亡くなって、母親はおろすつもりだった赤ん坊を、父親の忘れ形見として生む事に決めます。女手一つで苦労して育ててくれた母親を前にズル休みなんて、あんまりできることじゃありませんよね。これでなんとか、辻褄があいました。
 そしてサキは、彼の正体を知ります。どうやって知るか。そうですね、和尚さんにでも聞きましょうか。父親は生前たいへん信仰が厚く、和尚さんと顔見知りでした。父の面影を持つサキに和尚さんが気付き、そうしてサキは父親の話を聞く。なんだか多少無理矢理な気もしますが、それでいいでしょう。
 なんと、彼は生前の父の幻だったのです! これを、さっきの問いの答えにしたいと思います。
 サキは旧校舎に向かいます。そしてそこで、父の形見を見つけます。何にしましょう。手紙でいいですかね。渡せなかった、母親への最後の手紙。詳しい内容はまたあとで考えることにしましょう。とにかくそこには、生まれてくるサキへのメッセージなんかもあって、サキは感動して、生きる希望を見つけるわけです。
 これでおしまいにしましょうか。結果的には、まぁ、ハッピーエンドになりましたが、考えてください。サキを救い上げたのは私ですが、どん底へ突き落としたのも私で、最後には父親も死なせてしまいました。
 今の話はまだマシなほうですけど、場合によっては孤児にしてみたり、先天的な障害を持たせてみたり、不治の病だったり。物語を盛り上げるためには、なんでもできます。物語の中でたくさんの人間が苦しんでいるのをみて、私は微笑みます。こうしておけばあとでもっと盛り上がるぞ。
 そうして、私は気付きます。
 一番残酷なのは、他でもない、私だ。
 この考えを、馬鹿げていると思う方、たくさんいるでしょう。私もそう思います。だってサキも『彼』も、ただの登場人物に過ぎない。架空の人物に過ぎないのだからと。彼らに痛みはなく、苦しみはなく、物語の中でだけ生きている。それに、私が考えなければサキも『彼』も、存在することすらなかった。いや、『存在』という言葉さえ違和感を感じる。言ってみれば、ただの文字の羅列だ。『存在』しているのはサキでも『彼』でもなく、文字。『サキ』という文字。それらは一瞬で消す事ができる。存在を消す事ができる。
 そう、私は少しも悪いことはしていない。それは確かだけど、やはり考えれば考えるほど、私は思ってしまうのです。一番残酷なのは誰だ? 運命を弄んでいるのは誰だ? そんな風にね。
 ……おっと、思ったより長くなってしまいました。私はこれから、たまりにたまった仕事を、徹夜してでも終えなければいけません。それでは。



「その男は、壁についた小さなしみに向かって、延々とそう呟いていました」




2005-10-27 00:48:39公開 / 作者:早
■この作品の著作権は早さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 こんにちは。私的には冒険してみました。早です。口調が微妙にえらそうなのが恐れ多いです。
 今回の作品は、感想というよりもみなさんの意見を聞きたいな、と思って書きました。馬鹿げた考えだとはわかっています。でもなんだか、作った人物にある程度の「責任」みたいな、そういったものがいるんじゃないかな、と思いまして。

それから、別にお知らせするほどのことでもないんですが、この作品を境に、しばらく投稿は控えようと思います。理由はまぁつまり、「お受験」なんですが(^_^; 自分にけじめをつけるためにも、ここで言っておきたいな、と思いました。すいません。
感想、ご指摘、意見などありましたらうれしいです。それではこのへんで失礼します。
この作品に対する感想 - 昇順
拝読しました。興味深い内容ではあったので、一言感想を、と。僕がものを書くとき、一番恐れる対象は読者かな、と思います。もちろん期待を抱く対象でもありますが。物語を物語として読んだ時、僕は書き手の意図に気をくばる余裕はありません。気を配るような余裕を読み手に持たせる小説は、あまり読みたいと思いません。今作について言えば――反則かな、と。例えば、という断りの元に出された粗筋は、装飾を省いたただのネタとも取れる。逆に言えば、ネタを装飾しきれなかったからこんな形になったとも取れる。そして最後の一行について言えば、どんな意外なオチでも複線がなければ意味はないと考える僕にとって、完全に蛇足でした。物語と全く関係しない言葉を最後の最後に加えてしまったら、今までの物語は何だったの?という話になる。そしてそのような行為は、物語の支配者がすべき事ではないんじゃないかな、と。物語を作る人間は、キャラやストーリを作る以前に、ルールを作る必要があるのではないかと思います。どんなに悲劇的な展開でも、ルールに沿っていれば残酷とは思わないのではないでしょうか。残酷な面を強調されていますが、その逆だってあるわけですし。今作の「例えば」も、結局はハッピーエンドのようですし。……以上、感想とはやや違いますが、思った事をつらつら書かせていただきました。
2005-10-27 01:19:38【☆☆☆☆☆】ドンベ
拝読しました。統御することを残酷だとは思いませんが。過程に於て筋を通せばのはなしですけど。筆に染みついている拘りとやらも中中に厄介ですがね。語り口調のテンポは好きです。これに惹かれて読み進めました。ただ、書き手の意図、想いが曖昧であり、否、矛盾していて難解です。本編・コメントではそうやって操る行為は残酷と言い悩んでいるように読み取ったのですが、ラストの一行は完全にその残酷な行為そのものであって、真実何を言いたいのか伝えたいのか解りませんでした。御自身の想いはこの際置いていて、一作品内の理念理想のみは定めておくべきかと思います。次回作御待ちしております。
2005-10-27 17:14:18【☆☆☆☆☆】京雅
 そういった設定作りをすることが残酷だと思うのは、その動機にも拠ると思う。例えば(本歌取り)、ただただ読み手の白い感性を穢したくて何もかもを完膚なきまでに破壊する、片っ端から破壊するためだけに設定を作っていく。こんなのは残酷です。その書き物で壊されるもの・殺される人を思って私が残酷だと思っているのではなく、読まされる人間にとって残酷、書いた本人にとって残酷なのだと思います。
 登場人物とは身代わりなのではないかと思います。書き手にとっては書き手の。読み手にとっては読み手の。書く際において登場人物が残酷な仕打ちを受けていると思うのなら、自分自身に残酷なことをしている。
 私の理解できないものは、私の書く登場人物たちも知りませんし、登場人物ができないことは、私にも不可能です。書き物とは、書き手そのものを指すのではないでしょうか。

 最後の一文、私はそれほど悪いものと思えません。自らの作り出した創作の【サキ】に同情してしまう書き手という名の支配者。その支配者を、最後の一文で一気に支配される側へと転落させる。そんな構図は『マトリョーシカふぇち』の私としては好物です。
2005-10-27 22:49:53【☆☆☆☆☆】clown-crown
私は最後の一文が余計に思えました。もし最後の一文を書きたいならば、語り手の思考をあれこれ蛇行させずにもっと独善的に、もっと残酷に突き抜けさせたほうが、鮮やかな切れ味が出たと思います。
2005-10-27 23:16:49【☆☆☆☆☆】メイルマン
 こんばんは。ごめんなさい。ちょっと批判的な感想を書きます。
 すごく上手いと思うし、面白いとも思うのですが、僕はこういうメタフィクションには食傷気味です。二十歳くらいの時は大好きだったけど…。
 この手の作品って、結局、小説を書いている人(や書きそうな人)しか面白いと思わないんじゃないかな。大抵の実験は20世紀のうちに筒井康隆やらカルヴィーノやらによってやりつくされているようですし、どこまで進歩しても出口が無い気がします。
 小説の好きな方や、頭の良い方ほど、入れ子構造に凝って複雑なメタフィクションを作ってしまいがちなんだと思います。でも、仮想現実や内的世界が肥大しているこんな時代だからこそ、メタフィクションやトラウマ語りじゃなく、(自分のことを棚に上げて敢えて言えば)現実世界に向かって開かれた作品が読みたいです。頭より身体に効く小説が読みたいです。
 そして、現代においては、現実に向かって開かれたものを書くことのほうが、哲学的に凝ったものを書くよりもずっと力を要するんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 すみません。こういうのを筒井康隆氏なら八百屋批評(八百屋に行って、「魚が無い、肉が無い」と文句をつけるような批評)って言うんでしょうね…。失礼しました。
 まともに批評させていただけば、ぼくは最後の一文はいらないと思います。「実は妄想」とか「実は狂気」というオチは平凡だし、夢オチと同じで、どんなストーリーにでも使えます。(たとえば、僕の作品の最後にいきなり同じ一行をくっつけて終わらせる事だってできます)。だから使わないほうが良いと思います。
2005-10-28 00:55:11【☆☆☆☆☆】中村ケイタロウ
読ませていただきました。有栖川です。なるほどね、と思いました。これを小説としてどう見るかといえば、昨今、本屋で手にとっても「おいおいコレでご飯食べてんのかよー」という体裁だけどうにかしたらしい代物があふれかえっていることを考えれば、むしろ王道と呼んだってかまわないでしょう。語り口調にも破綻はなく、かといって共感できる部分があったわけではないですが、ふむふむという感じで読めました。サキの憧れの人の正体とか、けっこうのめり込んで気になってました。私自身はこういった「小説を題材にした小説」は書きませんし、作中で言われているような残酷性については考えたこともなかったですが、今まで読んだ同系の小説の中では過不足なくまとまっていたと思います。
ところで最後の一文がなかったら、この小説の価値は、がたんと下がるのではないかなと。これは言うほど「哲学的」な作品だとは思いませんし、むしろ読者は一歩高い視点に立って読めば、最後のオチにえもいわれぬ気味の悪さを感じ取ることが出来ると思います。作中での「私」に乗り移って読む必要がなかったことを、最後の一文が教えてくれる。そしてちょっと安堵する。よかった、私はこっち側だと。たとえば私たちが誰かの頭の中に住んでいるかもしれないことを、現時点で否定する材料はどこにもないわけですしね。考えすぎかもしれないですが、たいへんトリッキーで、なおかつ面白いと思いました。つまるところこのテのお話は、食わず嫌いがあるだろうから、読みたい人だけ読めばいいんじゃないかな、などと思ったり。
次回作も期待いたします。受験頑張ってくださいね^^
2005-10-28 11:13:00【☆☆☆☆☆】有栖川
こんにちは。ミノタウロスです。どうやら批判票の多い作品ですね。私はどちらかと言えば面白かった。作者であるあなた様の声を聞けて。突っ込みどころは皆さんが仰っているので特に私から言う事もなく、こちらを読んで、私は己はどうであったかを考えていました。私はハッピーエンドをほぼ書けないので、この思考に於いて私は残酷極まりない支配者です。しかしながら私は登場人物も、作品も愛してやってます。だからよくやるのがサイドストーリーを書いて自己を慰めます。こちらを読ませて頂いて、自分は筆者としてどうかと改めて考えさせられました。……中々に物を書くと言う事は、それを発表すると言う事は痛みを伴いますねぇ。
では、お受験を乗り越えて得た力をまたこちらに作品にして頂ける日をお待ちしております。
2005-10-28 11:51:48【☆☆☆☆☆】ミノタウロス
 そうかなぁ。
 この書き物が一般的でないないことは早さんも承知していると思いますよ。この書き物は読み手を『書き手になったことがある人間』と絞って書かれていると思って読んでいましたが。商業用の小説は自分の書き物とのわかりやすい比較対象ではあるけれど、評価するにあたってはそれ以上のものではないと思う(盗作は別)。登竜門(あるいはアマチュア)でしか通用しない書き方に突出していても別に問題ではないのではないかな。ただ、その書き方ばかりだと登竜門で学ぶ目的がどこにあるのかは問題になるでしょうけれど。書き手の苦悩を吐露されても同属嫌悪のような感情が芽生えるのかな。別にこれは「励ましてくれ」「教えてくれ」と言ってるわけじゃなくて「一緒に考えてくれ」ってスタンスだから私は素直に感想を書いたのだけど。書き手だから書き手にしかできない問題提起をしてもいいと思うのです(その場合は雑談掲示板に投稿したほうがいいのかな)。私はこの書き物を読んで登場人物と書き手の関連性について考えることができたので、このままでいいと思います。
 それと。
 中村さんが現在、連載している書き物を雰囲気を保ったままこの書き物のような最後の一文を加えるのと、この書き物にあの一文を加えるのでは雲泥の差があります。中村さんの書き物でやってしまうとオチをつけるために物語全体の指標を失うことになりますが、この書き物では必要性があってやっています(だよね?)。作中の書き手が自ら生み出した【サキ】に感情移入し「残酷ではないか」と疑念をもつ、という内容。それだけでも早さんの言いたいことは伝わりますが、もっと生身の人間に、もっとダイレクトに、伝えるためにあの一文を加えることは、主張したい内容に適った方法ではないかと思うのです。この一文があることによって【私】が背景へと貶められ、その代わりに急遽、読み手(書き手の経験がある読み手)が【私】と同じ問題に直面することになります。考えざるを得ない状況へと引っ張り出されるのですね(でもそれって、母親の「勉強しなさい」の台詞とおんなじようなもので、言われたほうとしては「もうやってるよ!」って気持ちになるのかもしれないなぁ)。
 中村さんに喧嘩売りついでに、もうひとり。
 この一文は有栖川さんの言うように読み手の立場を正しく認識させるものだと私も思いましたが、その効用はまったく逆だと読み取りました。【こっち側】は安堵を促す場ではなく、むしろ書き手としての自分を揺るがされる場。残酷な行為をされる者とする者、それを自覚したときにより強い衝撃を受けるのは行為を行った者のほうだと思うのです。【こっち側】とはイコール【加害者の側】です。知らないうちに残酷な行為を加えていた自分はきちんと責任を取ることができるのか、私はそれがこの書き物のテーマだと受け取りました。
 結びに。
 私はこの一文、主張をするための書き物として実に効果的じゃないか、と思うのです。それだけ。
2005-10-28 19:01:51【☆☆☆☆☆】clown-crown
この掲示板において、これが小説というのであれば、私は去りましょう。何が言いたいのかさっぱり分かりません。おこがましいとは思いますが、お話ってのは読まれてなんぼのものでしょう。自分のため、特定の者のためだけに書かれたお話なんざ公開すべきじゃない。それとも私が場違いなのかな、ここは“そういう”板なのかしら。
2005-10-29 09:19:34【☆☆☆☆☆】一読者
 こんにちは。二度書き失礼いたします。
 作者の残酷さ、という、早さんの提起なさったテーマに関してですが、【作者は登場人物に対して何ら倫理的な責任を負わない】と僕は思ってます。
 我々書き手は、現実世界の人々と、「人間対人間」の関係にある。
 登場人物は、作品世界のほかの登場人物と、擬似的に「人間対人間」の関係にある。
 しかし、現実の人間と作中人物は、レベルの違う世界に住んでいるので、人と人の関係にはないと思います。つまり、僕らにとって登場人物は「人間」ではないし、登場人物にとって僕らは「人間」ではない。だから相互に責任を負わない。というか、責任能力が無いと思います。こう書いてしまうと、いささか杓子定規で情の無い考え方みたいですが。
 もちろん、その壁を越えようとの試みがメタフィクションという技法であることはわかりますが、しかし登場人物のほうが現実世界に飛び出てきたりはしない以上、いかなるメタフィクションも虚構の自乗、三乗でしかありえないでしょう。たとえば作中に作者を出したりしてみても、作中の作者は現実の作者じゃなくて、あくまで、作者をモデルにした登場人物でしかないですもんね。
 書き手の責任とはあくまで、読み手に対して、あるいは作品そのものに対して負う責任なんじゃないでしょうか。つまり、書き手の書きたいことや書くべきことを、読者に伝わるように正確に書くこと。真実が残酷であると思うなら(あるいは、残酷な話が面白いと思うなら)、断固として、確信を持って、ときには愉しみつつ、非情になって、決然と残酷な話を書くこと。それが書き手の責任なんじゃないかな。
 というのが僕の考えです。
 
 ところで、clownさんが僕を名指しされているのでちょっとびっくり。「感想というより意見」を書いてくれと早さんもおっしゃっていることなので、(ここで議論をしていいのかどうかは知らないんですが)申し訳ないけどこの場を借りて少し書かせていただきますね。
 せっかく「喧嘩」を売ってくださったんだけど、僕にはcrownさんのご意見は至極まっとうに見えます。これといった反論もありません。だから喧嘩は買いませんが、ただ、立場がちがうようです。「登竜門でしか通用しない書き方でもいい」というご意見には正直びっくり仰天しました。ああ、そういう考え方もあるのか、と。
 僕は、プロでもアマでも、どんな形で発表するにせよ、小説というのは何か普遍的なものを目指すものだと思って疑ってませんでした。「読まれてなんぼ」というのとは微妙に違います。自分が書くべきこと、伝えるべきことをきちんと伝わるように書いた上で、結果的に難解になったり、読まれなかったりしたとしても、それはそれで止むを得ないと思ってます。そういうのが、小説を書く姿勢というものだと、ぼくは思ってたんですが。
 でもこれは、考えてみればあくまで僕の主義でしかないので、「そうじゃなくてもいいじゃん」と言われれば、「そりゃそうですけど」と返すしかありません。僕の脳内野党はclownさんに近い立場ですし、そういう姿勢から学べるものもあると思うので、ここでは喧嘩せずに、東西ドイツみたいに統一を夢見ながら共存すれば良いんじゃないかな、と思いました。
 最後の一行のことに関しては、僕の筆が滑ってたですね。逆説のつもりが、逆説になってなかったです。要するに、伏線が必要、ということが言いたかったんです。

 では、家主の早さん、長居してごめんなさい。僕はそろそろ帰ります。失礼しました。
2005-10-29 14:12:14【☆☆☆☆☆】中村ケイタロウ
『サキ』『私』『作者』の三層構造でしょうか。もうこの使い古された手法に驚くことはないと思っていましたが、この作品にはちょっと新鮮な驚きをおぼえました。「伏線がない」という御意見がちらほら見受けられますが、私はこれ、最後の一文以外は全て伏線であると読みました。ただ、最後は別に一行で済ませる必要はなく、もうちょい書いて『私』をもっと(それこそ『サキ』以上に)残酷な境遇に突き落とさないと構図が生きないと思います。
テーマ自体が“神としての作者”というあり触れたものなので、「だから何なの?」的な読後感を持っていて好き嫌いが分かれることでしょう。私もどちらかというと興味がないのですが(笑)、それを割り引けばたいへん面白かったです。
2005-10-29 15:06:15【★★★★☆】明太子
しばらくこないうちにあまりにたくさんの返信があって驚きました。多い上に中身が濃いので、失礼ですが個々に返事はしないでおきます。ごめんなさい。
もっと補足的なことを最後の「作者からのメッセージ」に書いてもいいかと思ったんですが、みなさんの考えを聞きたいのであえて深く書きませんでした。
最後の一文の有無についてなんですが、私も悩みました。京雅さんの「残酷な行為そのもの」という意見ですが、それは私(早)の台詞だと思ってくれたらうれしいです。悩んでいるのはあくまでサラリーマンの「私」で、台詞は本当の筆者である私(早)のもの。「私」は「わかりやすい例」としてサキの話を作りましたが、実際はそこも私(早)の「わかりやすい例」だったというか……タイトルは私(早)のことを差しているというか……わかりにくくてすいません(・・;)
それから「小説」ではない、という意見もありますが、そこも悩みました。こういった考えは自分のうちに留めて置くべきものだし、確かに自分でも「これって小説じゃないじゃないかなぁ」と思いました。ここからは私の勝手な都合のなので申し訳ないのですが、私が自分で作った話を誰かに見てもらえる機会は、インターネット上にしかありません。ましてこういった意見も聞いてもらえない(というか私が話さないだけなんですけど)。だから決してこの場を軽んじているわけではないのですが、ここでならいいかな、と、そんな気持ちで投稿しました。不快に思われた方、すいません。
やっぱりみなさんはこういったことは考えないんですね(^_^;)私が深く考えすぎてるみたいですね。むしろ、混同してるのかな。
それともうひとつ、私が行き当たりばったりな書き方をしているからかもしれませんが、文中で「雰囲気がでればオッケー」「無理矢理な気もするがそれでいい」等、かなりこじつけ、曖昧、あやふや、現実にあるかないかわからないことを平気で書いていることです。文中の「私」が言うように、本当に今時高校生にもなってあんな低レベルないじめがあるのかどうか私は知りません。実際私の通っている学校でも聞いたこともありませんし、漫画やテレビでしか見たことがありません。それも実際あったことから作られているのかもしれませんが、ああいったことも実はもうなくなっていて、ただ過去にあった経験が、今も通じる便利な常識になってしまったんではないか、とそんな皮肉な意味もこめて書きました。特に後者の「和尚さんが生前の父を覚えてる」なんて自分でも、こじつけっぽい! と思いながら書いていました。そこを突っ込む人もいなくて、ちょっと驚きました。絶対ないということもないんでしょうが(いじめについては特に)。
今回のお話、「小説」とは言いがたい上、かなり「勝手な」話だったと思っています。存在そのものが場違いだったし、中身も設定を途中で変えてしまったり、「まぁいいだろう」で知りもしないことを平気で書いたり。でもそんな筆者の「勝手な」感じをだそうとしたのも確かです。
みなさんの感想を時間をかけて読んでちゃんと理解してから、また何か自分なりにわかったことがあれば書き込みをしたいと思います。自分で書いておきながら、返事が難しくてすぐに理解できません……(-_-;)
長くなってすいません。しかも議論みたいな感じになって管理人さんにも申し訳ないです。それではこのへんで失礼します。みなさまたくさんの意見、ありがとうございました。
2005-10-29 21:59:34【☆☆☆☆☆】早
作者は主人公にではなく、作品に対してのみ責任を負うべきである。作者が小説と感じない物を投稿することは、作品に対して責任を放棄する行為であると私は思います。
2005-10-30 09:30:57【☆☆☆☆☆】甘木
計:4点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。