『ダーク・ダイブ』作者:浅葱 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
一度でも、ダイブしたいと思った人へ。私の話を聞いてみるといい。(読点の改訂のみ)
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原稿用紙約4.83枚
 皆のっぺらぼうになってしまえ。
 私は、一人自分の部屋の中ですすり泣いていた。ベッドの中にうつぶせになり、枕に顔をうずめる。
 目の前が、枕のやわらかい感触に包まれて真っ暗になる。その黒いキャンバスに彼の顔が浮かんでしまうのを、私はどうしても止めることが出来なかった。

 いつの間に、こんなに好きになってしまったのだろう。
 陸上部のキャプテンだった。さらりとした髪、きらきら輝く目、余分なところがまるでない、日に焼けた顔。真っ白な歯。細いけど、まるで鉄のようなたくましさを持った足。
 嫌味なところなんてまるでない。トラックに入るとまっすぐな闘志を見せて、常に全力で走る。
 優しい人だった。
 あの言葉を除いては。
「ごめん」
 その一言は私の心臓をまっすぐに貫き、いまだにその痛みは消えない。

 階下でFMラジオの音が聞こえる。母のものだ。陽気なDJの声が、今は異次元のことのように感じられる。
 彼の残像を探すかのように、私は部屋の中を見渡した。何もない。白い壁紙に沈みかけた太陽が真っ赤な色を与えているだけだ。
 赤……。
 血……。いっそ、このまま……。
 私はフっと笑った。冷たい素振りをしてみたつもりなのに、胸の中は焼けるように熱い。

 陸上部のマネージャーである私は、いつものようにハードルを用具室に片付けていた。
 でも、いつもと違うことが起こった。
 部長が、入ってきたのだ。

<あ、橋本さん、ウォッチ忘れてたよ>

 何気ない、何の変哲もないことだった。
 でもその時私は急に意識してしまったのだった。
 私は今、この狭い部室の中。
 この愛しい人と、二人っきり……。
 顔が急に熱くなっていく。ああ……、先輩……、こんなに、こんなに、近くにいるのに……。
<んじゃ>
 部長は踵を返そうとした。
 私は衝動的に、それを呼び止めてしまったのだ。
<待ってください>

 枕のカバーは、びしょびしょに濡れてしまっていた。太陽が沈み、光が消える。壁の色は、次第に赤から黒へと変わっていく。黒は黒でも、漆黒だった。
 明日から、何を支えにして生きていけばいいのだろう。友達への愛想笑い?それとも、陸上部?でも、そこには彼がいる。さっき、私をフッた、彼が、いるのだ……。

<どうして?>
 既に細い雫が頬を流れていた。もう敬語なんてことを考える余裕もなかった。
 彼は、私の顔を見ようともしてくれない。
<どうして私じゃ駄目なの?>
 尚も何も言わない彼の胸を、私は小さな拳でドンと叩いていた。
<何か気に入らないことがあるんなら、行ってよ!私、一生懸命治すから!先輩の気に入るような子になるから!>
 先輩は私の腕をつかんだ。思いの他強い握りかただった。
<……好きな人が、いるんだ>

 それは、この学校のミスコンでトップに選ばれた子だった。
 私なんかとは、月とスッポンという表現がピッタリの、天使みたいに可愛い顔を授かった女の子だった。
 私なんか……。
 自分の爪が自分の顔に食い込む。もはや痛みすらも感じない。
 もう、嫌だ。
 小さい頃からずっとだった。周りの男の子は、皆女の子を「顔」で選んでいた。そして、高校生になって、こんなにも大人に近づいても、まだそれは変わらないのか。
 目頭がまた熱くなる。冷たい枕に顔をうずめて、叫んだ。声は枕の中だけで響いた。こんな時までも周囲を気にしている自分が大嫌いだった。捨ててしまいたかった。
 もう、私には生きる理由も無いのだった。
 窓の外を見やる。窓の外にはあんなに限りない空が広がっているというのに、私は……なんて狭い世界に生きているのだろう。
 私が死んだなら、誰が悲しんでくれるだろうか。母は、父は、友人は……彼は?私を振ったことで、少しは罪悪感に浸ってくれるだろうか?
 ベランダの手すりに触れてみる。ひんやりとした鉄の感覚が妙に心地よかった。深呼吸をする。あと、3歩。
 ベランダの側に、足を近づける。あと、2歩。
 そうしていつのまにか、私は、右足をベランダの手すりに乗せていたのだった。
 あと、一歩。
 一歩を踏み出す勇気があれば、この苦しくて、哀しい世界から逃げ出せる。


 ……さよなら。


 全てを終えた後、思った。
 あれは勇気じゃなくて、逃避というものだったのだ、と。
 あの頃の私は、現実と戦っていくだけの強い心をもっていなかった。あのダイブを終えた今、私は思うのだ。
 死んだら全て終わるのだ。何もかも。
2005-09-13 19:29:42公開 / 作者:浅葱
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■作者からのメッセージ
読点の改訂のみです。
また今度、改訂版として書きます。
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