『手紙・前編』作者:ゆりこ / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約5.29枚



 東京での一人暮しの生活に、手紙などめったに来ない。

 それでも、その日は違った。

郵便受けに入っていたのは薄緑色のきれいな封筒だった。

無機質な部屋の中で、それはなぜか特別輝いて見えた。

差出人の名前はない。あて名もない。

切手もはられていなく、それは本人の手によって

直接この郵便受けに入れられたようだった。

僕はそれにひどく興味をそそられた。

一体、誰からなんだろう。

手紙を裏返し、のりで丁寧に止められた封をやぶる。

その時の僕は、子供の頃クリスマスにもらった

プレゼントを開けるあのわくわくした高ぶる気持ちをしていた。

でも中に入っていたのは黒い目のティディベアではなくて

封筒とお揃いの色をした便箋が一枚入っているだけだった。

開いて中を見る。



 この手紙を受け取ったあなたへ

 突然、こんな手紙を受け取ってとても驚いているかもしれません。

 手紙を出しておいてこんなことを言うのはおかしいかもしれませんが

 私はあなたを知りません。でも、このゲームにお互いの

 自己紹介なんて必要ないと思うので、あえて省きます。



 そこまで読んで、僕は自分の鼓動が高鳴るのを感じた。

なんだ、これは。

少し疑う気持ちもあった。

からかってるのか?

 小さくかわいらしい字。

たぶん女の人が書いたのだろう。

僕の頭の中で色白の女の人が

日当たりのいい部屋でこの手紙を書いている姿が想像された。

その人はとても柔らかく笑う。

それはまるで天使のようだ。

それでも何か言い様のない迫力のようなものを感じる。

けど、これは何かの宝の地図のような気もした。

続きを目で追う。



 じゃあこのゲームとは一体何なのか。

 大したルールはありません。ただ主旨のようなものが

 あるとすれば「たくさんの人々の幸せの連鎖」でしょう。

 そしてこのゲームはたくさんの人々によってもう五年以上も

 続けられています。今日からあなたもその人々の一員となるのです。

 このゲームを拒否することは出来ません。

 そしたらこのゲームは止まってしまうからです。

 これから私は毎日あなたの家へ手紙を届け続けます。

 それには誰かが幸せになるためにあなたがすることが書かれています。

 それは大したことではありません。

 例えば「会社の人にお茶を汲んで上げる」や

 「通勤中のバスの中でお年寄りに席を譲る」などせいぜいそこらです。

 ほら、なんだか出来る気がしてきたでしょう?

 あなたは幸せをまわりに配るのです。

 今日の課題は「十人以上に「おはよう」と「ごくろうさま」の挨拶をする」ことです。



 そこまで読んで、僕は一息ついた。

どうやら怪しい手紙ではない。

むしろ、僕は胸が弾むような楽しい感覚さえある。



 最後に。私は毎日あなたに手紙を届けに来ます。

 そのためには毎日あなたの家に行かなければいけません。

 どうか、待ち伏せなどはしないでほしいのです。

 というか、これはルールです。

 このゲームは相手の顔を知らないことで成り立つ面もあるのです。

 それでは、行ってらっしゃい。



 それでこの手紙は終わっていた。

なんだか随分勝手な内容だ。

だけど気分の悪くなるものではない。

誰かの幸せのために毎日少しずつ頑張って行く…。



 その日から僕は変わった。



 その日は言われた通り十人に「おはよう」と「ご苦労様」を言った。


 二日目は「誰かの肩をもんであげる」だった。

これからのことを考えて上司の肩をももうと思ったが

いつもありがとうの意味を込めて部下の肩をもんだ。

その時の部下の顔がなんとも言えない

半嬉しさ、半驚きの顔が僕を小さく笑わせた。



 三日目は「みんなの前でものまねをする」だった。

最初はなんだ、これは…とあきれていたが

いざ、会社ではしっかり北島三郎の歌まねをしている自分がいた。

なぜ彼のものまねをしたのか自分でも不思議だが、

昔友人に「声が似てる」と言われたのを思い出したからだ。

ウケはいまいちだったが、北島ファンの上司に気に入られた。



 結局、そんなことが一ヶ月も続いたのだった。

けどこの一ヶ月、僕にとって実に楽しいものだった。

自分が何かをするたび、笑顔が一つずつ増えていく。

それまでは地味に仕事をしていた僕だったが

だんだんと飲みに誘ってくれる仲間も多くなった。

それはまるで枯れかけだった花が水をもらって

また綺麗に咲いていくのと似ていた。


2005-07-05 21:42:03公開 / 作者:ゆりこ
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