『散歩道』作者:マイケル / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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「明菜、行くぞ」


南に田んぼ。北に店の開いた大通り。そんな環境に挟まれた、平凡な住宅街。
前田明菜(まえだ あきな)の家の通りには、小さな男の子と散歩する老人が一人。甲高い子供独特の声が青空に響いている。
今日はよく晴れている。この梅雨のジメジメした季節にはめずらしい。

父親が、玄関で明菜を呼んでいる。明菜はさっさと車に乗り込んだ。

「行きたくないね。じじぃのとこなんか」
心の中で、明菜はつぶやいた。
……今から、ヤツのとこに行くのかぁ。
明菜は、祖父が嫌いだ。
昔は、さっきの男の子のように、手をつないで田んぼ道を歩く仲だった。毎日毎日、夕方の五時になると、明菜は祖父と散歩に行きたがった。
「あーきちゃんはね、明菜っていーうんだ。本当はーね……」
祖父は、毎日明菜に歌って聞かせた。演歌好きの祖父の歌声は、どこか演歌のような発音が混ざっていた。明菜はそんな祖父の歌を真似て歌い、母親に変な顔をされたこともあった。

だが、小学3年生にもなると、明菜は祖父に苛立ちを覚え始めた。
祖父は耳が悪くなり、明菜は耳元で、大声で言葉を発しなければならなくなった。
補聴器を買ったが、正常には戻らないし、そう変わりもしない。
いつまでも、自分を幼い子供のように扱う祖父に、明菜は苛立ちを隠しきれなくなっていったのだ。
明菜は、祖父とあまり話さなくなった。

だが、後に明菜は後悔した。祖父は、それを境にするようにして、おかしくなり始めたからだ。


「昨日、××県○○市の住宅街に住む主婦相田君代さん(65)が、夫の富次郎被告(67)に殺害されました。富次郎被告は妻の君代さんの痴呆症に悩んでおり……」
車のラジオから流れるニュース。それを聞くなり、明菜はうなずいた。
明菜には、この男性の気持ちがよく分かったからだ。明菜の大好きだった祖父は、三年ほど前にアルツハイマーだと診断された。
一年ほど前までは、家の中で世話をしてきたが、祖母がノイローゼになり、老人の訓練施設「若葉」に預けられるようになったのである。
毎日、夜中に起床し、水道の水を流し続け、顔を洗い続ける。そればかりか、風呂場で用を足し、家の中を徘徊し続けた。同じ部屋で寝ている祖母は、毎晩祖父の奇怪な行動を見張っていなければならなかった。
祖父のおかげで、前田家の水道代は3倍に跳ね上がる始末。おまけに、祖父はトイレの場所が分からなくなっていた。おかげで、明菜たちは床に注意して歩かなければならない。前田家のストレッサーといってもよいほどであった。
最近よく耳にする、老人の殺人事件のニュース。
うちだって、おばあちゃん一人で面倒を見ていたら、おばあちゃんはあのじじぃを殺してたかもしれないな。と、明菜は思った。


だが、明菜の心はそんな反面、罪悪感が沸いていた。アルツハイマーとは、趣味、おしゃべりといった、日常的なことができていない老人にかかりやすい病だ。
祖父の趣味はパチンコ。おしゃべり相手は……幼い明菜ほどいい人間はいなかったであろう。
しかし、小学三年のとき以来、祖父と話すこと自体、極力減ってしまった明菜。
もしかしたら、祖父をあんなふうにしてしまったのは、自分なのかもしれない。明菜はそれを考えると、自然に涙がにじんだ。
あんなにやさしかった祖父の瞳は、今では生気をなくしている。話していることも、半分以上が意味不明であり、理解をするのは難しい。


若葉に着いた。足取りが重い。
別に祖父に会うのすら、そんなにも嫌なわけじゃない。明菜は、若葉の住人に会うのが嫌なのだ。祖父のように、死んだ目をした老人が何人もいる。いるはずのない孫と、かくれんぼをしているおばあさん。ずっと、手をたたき続けているおじいさん。大声で突然怒鳴りだすおばあさん。
まさにゾンビの館に忍び込んだような感じを受けるほどである。

普段なら、明菜がここに来ることはない。けれど、今日は別だ。家族はめずらしくついてきたんだな、くらいにしか思わなかっただろう。
だが、明菜は今日の日付を毎年忘れたことはなかった。

「前田です」
父親はスミレ棟のインターホンを押した。
たちまち、厳重な扉が開けられる。係りの人がにこやかに出迎えた。
「あら、その子って、明菜ちゃん?」
愛想のよい係りのおばさんが話しかける。
「はい」
明菜がうなずくと、おばさんは祖母の顔を見ながら言った。
「毎日『明菜ちゃんはいないかね? 』って言うんですよ」

祖父は大部屋の真ん中にいた。車椅子の上で、だらんとしている。
「おーい、じいさん。きたぞ」
父が祖父に話しかけた。
祖父はうなるような声でなにかモゴモゴ言っている。
明菜は、ポケットに手を入れた。祖父は、饅頭が好きだった。アルツハイマーになった今もそうである。
だから、母について買い物に行ったとき、少々値の張る饅頭をひとつ買ったのだ。明菜はこっそりと、そのプレゼントをポケットに忍ばせていた。

「明菜ちゃん」
明菜の顔を見るなり、祖父は嬉しそうに話しかけた。
目は死に、歯は溶けて、外見も昔とは比べ物にならないくらい違う。けれども、明菜の名前だけは、わすれないし、大好きなものも変わらないようだ。
明菜はやり切れなくなった。
明菜の兄の名前や、息子(明菜の父)の名前は忘れがちなのに、明菜の名前だけは、一度も忘れたことがないのだ。小学三年のとき、あんなにひどいことをしたのに。何度祖父が話しかけてこようと、無視したこともあった。
なのに、祖父は明菜の名を忘れないでくれていた。

「誕生日、おめでとう」
明菜は、ひとつの饅頭を手渡した。祖父は顔を上げ、にこりと笑った。
口から見せる歯は溶けているし、顔も少し強ばっている。
だが、祖父の笑顔は、昔田んぼ道を一緒に歩いたときに見せたものと、ちっとも変わらないように見えた。
明菜には、祖父がそのときだけ、昔の優しいおじいちゃんに戻ったように見えた。明菜は祖父に微笑み返した。
そして、明菜は帰る間際に祖父の耳元でささやいた。
「また、来るからね」と。
















2005-07-02 22:22:40公開 / 作者:マイケル
■この作品の著作権はマイケルさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めまして。
私のじい様をモデルに書いてみました。
足りないところは大量にあるかと思いますので、たくさんアドバイスや感想をください。読んでくださった方、ありがとうございます。
この作品に対する感想 - 昇順
初めまして、京雅と申します。ええと、まあこれは感性の問題で御座いますけれどね。私の祖母と祖父も同じような状況で御座いまして、ああ、これくらいの綺麗というか何というか、まあ感情はもっていたいなぁと思わされました。いえ、アルツハイマーまではいってないのですけれど、ね。ここ数年夏になると毎年苦痛な時期がありまして。そんなわけで色色考えました、勝手に。ん、でも昔も今も好きな事には変わりないのかな、私も……。すみません、自分の事ばかり語っております。文章は読み難くなかったです。ただ文頭は一字下げたほうがいいですよ。次回作期待しております。
2005-07-03 02:40:07【☆☆☆☆☆】京雅
上下です。以後お見知りおきを…。上下の祖父は自分が生まれる前に死んでしまったのでよくわかりませんが、祖母はいい人です。だから、きっと祖父もいい人だったはず、だと勝手に思っております。いくら病気になっていたとしても、いくら苛立ちを覚えていても祖父のことをここエロのどこかで好いている明菜はたぶん、かなり精神面では強い子、なのだと思います。誕生日プレゼントまで渡しちゃって、上下にもくれ〜(意味がわからん!)それでは、次回も楽しみに待っています
2005-07-03 04:44:50【☆☆☆☆☆】上下 左右
>上下 左右さんへ
初めまして。明菜の性格を感じ取っていただけたことが嬉しゅうございます。(涙
おじいさまを亡くされましたか。私のもう一人のおじいさんは私が幼稚園のときに逝ってしまいました。だから、そちらはあまり思い出がありませぬ。(すまんじいちゃん
では、感想をありがとうございました。次回、もっといい話書けるように頑張ります。

>京雅さんへ
初めまして。あなた様のおじいさまとおばあさまもでございますか。ちなみに私のおばあちゃんはうるさいほど正常です。好きなものは変わっていないようですが、嫌いなものは(味わからないので)形変えれば食べると思います(ぇ
では、感想&アドバイスをありがとうございました。
次、生かしたいと思います。
2005-07-03 19:53:49【☆☆☆☆☆】マイケル
羽堕です(o*。_。)o読ませて頂きました♪アルツハイマーと言う病気は怖いですよね、今だにハッキリとした原因とかも解らないらしく、痴呆と違って、確実に進行していきますからねo(TωT )( TωT)o明菜の気持ちが伝わってきたように思います(*゜▽゜)*。_。)自分のせいではないかという罪悪感は、子供にとって相当な負担だろうなと思いました(¨ )(.. )文章が読みやすかったと思います(≧∇≦)ノでは次回作、楽しみしています(。・_・。)ノ
2005-07-03 23:33:32【☆☆☆☆☆】羽堕
作品読ませていただきました。自分の肉親がアルツハイマーやウエルニッケ脳症などで記銘力が過去だけの記憶のみの姿になったら辛いでしょうね。アルツハイマーの場合なら当人は苦痛はないか。文章は読みやすかったです。明菜が祖父と会うシーンが短すぎ少々物足りなさを感じました。昔好きだった祖父と現実の祖父を比較しながらも、やはり祖父が好きと言った感情を描いても良かった気がします。また「歯は溶けて」「歯は溶けている」と言う表現を使っていますが、どちらか一方は違う表現の方がよいと思います。戯れ言を書いてすみませんでした。では、次回更新を期待しています。
2005-07-04 00:14:57【☆☆☆☆☆】甘木
初めまして、菖蒲と申します。
私の祖父と祖母は今だ仕事もしているという元気な状態ではあります。それはとても嬉しいし、恵まれているのだと思っております。けれど、それは母方の方で、父の方は祖父の余命を宣告されるほどに容態が悪いのです。ほとんど会いはしないのですが、糖尿病とその他の病気の併発により吐血を繰り返し入院も帰った途端にまた逆戻りという感じです。
明菜という少女が、初めは自分の祖父に対して疎ましく思っている感情のみのところから、先に進み病院へと近づくにつれてその思いにも揺らぎや後悔の念が見えてくるところがリアルであり、感じやすかったです。それでは、次回作にも期待しております。
2005-07-06 16:20:07【☆☆☆☆☆】菖蒲
>羽堕さんへ
初めまして。文章が読みやすいなんてもったいないお言葉をありがとうございます(涙
そうですね、アルツハイマーって脳が縮んでるってことしか知らないし。……どうか私はなりませんように〜!!

>甘木さんへ
初めまして。やっぱボケはかわいそうな病気ですよね。本人自覚ないし、周りからはうらまれるし。(とほほ
いろいろとアドバイスをありがとうございます。(確かに再会のシーンは手抜きな気がしてきました

>菖蒲さんへ
初めまして。そうですか、おじい様が……。大変ですね。
明菜の感情変化、リアルでした!?ありがとうございます。もう舞い上がっております。屋上から飛び降りる勢いで跳ねまくってます(飛び込め!

では、失礼いたします!ありがとうございました!!
2005-07-07 19:09:35【☆☆☆☆☆】マイケル
計:0点
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