『菜々とクロのにゃんにゃん物語。』作者:ゅぇ / V[g*2 - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 【プリンス&プリンセス】

 

 俺は、黒い前足で黄色い欠片をつつく。
 『何これ、まずいな』
 俺の眼前には、黄色い団子みたいな物体が転がってる。
 菜々の飼い主である鈴木さんは両親と一人娘の三人家族だ。娘の唯子(ゆいこ)ちゃんが、どうやら学校の帰りに百円均一で買って来てくれたらしい。

 ――はい、いっぱい食べていいんだよ。クロちゃん。

 唯子ちゃんの手が持っているのは、「きみだんご」って書かれた猫用おやつ。
 串に三つの団子が刺さってるんだけど、どうやら「きびだんご」をもじって「黄身だんご」にしたらしい。何つーか、微妙なネーミングセンスだよな。原材料は鶏卵だって。
 しかもコレあんま美味いもんじゃねーぞ。前買ってきてくれた猫用鶏削りササミの方が美味かったぜ。
 『……どうも』
 一応唯子ちゃんを見上げて鳴いておく。

 ――わあ、お母さん。クロちゃん、美味しいって!!

 意思疎通ができないことに関しては、もう慣れた。ていうか、この唯子ちゃんとまともに意思疎通できたことは皆無に等しい。
 それで、だ。鈴木家の本来の飼い猫である菜々が今どこにいるかって? 昼寝だよ、そこの豪華なソファでよ。
 『ったく、何で俺がこんな目に……』
 唯子ちゃんが菜々を起こそうとしても起きないから、だから俺がきみだんごの犠牲になったんだぜ。
 ていうか幾ら眠くて機嫌が悪いからってよ、まだ幼い唯子ちゃんに噛みつくこたねーだろうが。白く綺麗で上品な毛並みをして、性格はきついんだから。
 ま、そこが可愛いんだけど。
 『おい、起きろよ。菜々、起きろって』
 『……っるっさいなぁ……あんたも寝てなさいよ!』
 『…………あ、そうですか。散歩に誘おうと思ったんですけどね、俺は』
 ぴくり、と菜々の右耳が動いた。
 『いいの、おまえ。俺もう誘わねーぞ』
 ぴくぴくっ、とまた彼女の右耳が動いた。散歩が好きな娘だから、こういえばだいたい一発で起きるんだ。
 『………………分かったわよ。行くわよ』
 真っ白な毛並みに映える綺麗な瞳が、まるでガン飛ばすオッサン猫か何かのように不機嫌に輝いて。
 そして彼女はぷるっぷると伸びをして起き上がった。彼女が伸びをする震動が、こっちまでソファを通して伝わってくる。
 
 そして俺たちは、いつものように夕暮れのアスファルトに出る。散歩のルートはいつもと一緒だ。
 鈴木家の隣のマンション前を通って、中学校の校庭を突っ切って、それから公園を通って――――……?
 俺は立ち止まった。いつもと変わらないはずの公園の隅っこで、何か黒いものが動いた気がしたからだ。
 『何してんのよ、クロ』
 『いや、ちょっと……』
 何ぐずぐずしてんのよ、という罵声を後ろに聞きながら俺は茂みのほうへ近づいた。
 夕暮れも遅い時間帯だからか、公園に人気はなかった。近づいた途端に、ばさばさばさっという物凄い音がして、俺は後ずさる。
 『おいおい、何だよ……』
 覗きこむと、俺がさっき認識したとおり黒いものがそこで佇んでいた。
 『見てるんじゃねえよ!』
 っと思ったら黒いソレが俺に罵声を浴びせかけてきた。犬だ。
 何なんだ? 何で俺は菜々だけじゃなくて、こんな見知らぬ犬なんぞに罵られなきゃならないんだよ? おまえ、こんなところで座ってる方が悪いんじゃねえのかよ。
 『何だ、おまえ』
 奴が俺を睨みつけて言った。俺より数倍でかい。何の種類か知らないが、ところどころに茶色の混じった毛並みの汚い犬だ。
 後ろでびくびくしながら待っている菜々の目が、また厄介なことに首突っ込みやがって、と怒っている。
 『そりゃこっちの台詞だろ、おまえ飼い犬なんじゃないのかよ』
 『うるせぇ。おまえに関係ないだろ』
 『まあ、ないけど。そんな首輪までしてもらってんのに、家帰らなかったらうちの人心配すんじゃないの?』
 一応親切心を出して、言ってみる。
 そのとき彼の瞳の奥が暗く揺れたのに気付いた。
 『消えろ、黒猫』
 唸り声とともに、ひどく憎々しげな表情をして彼は牙を剥きだす。このまま喋ってると噛み千切られそうだと思って、俺はひとつ溜息をついて踵を返した。
 犬は威嚇しながらもうずくまったまま一歩も動かない。もしかしたら怪我でもしてるのかもしれない――思ったけれど、食い殺されるのはごめんだった。
 『何なのよ、何であんたはすぐ見慣れないもの見つけたらすぐ首突っ込むのよ』
 小声で突っかかってくる菜々をなだめながら、鈴木家へ戻る。何だろう、何か気になるんだけどな。
 別に犬が好きだとか、そんなわけはない。柴犬に襲われかけたこともあるし、放し飼いの間抜けなプードルにさえ無駄に吠えられたこともあるんだ。
 犬なんて好きになろうと思ってもなれるもんじゃねえ。
 『犬なんかにちょっかい出したら、そのうち痛い目に遭うわよっ』
 前足でぶっ叩かれて、思わず喉が鳴る。痛い、爪引っ込めないままで叩くな。これでも彼女なりに心配してくれているんだろうけど、何せ気が強いから扱いにくいんだ。
 他の男の前じゃあ大人しく振舞ってるけど、おまえそんなんじゃいつか必ず化けの皮剥がれるぞ。




 



 三日降り続いた雨が上がり、俺は昼寝から覚めない菜々を置いて散歩に出かけた。
 『………………ぉっと』
 思わず俺は足を止めた。あの公園の脇に、車が止まっているのを見つけたからだ。ただの車なら別に気にも留めない。――――保健所の車だ。茂みに隠れてひょいと覗くと、ちょうど乗せられた何頭かの犬と眼が合った。
 こういうとき、猫は捕まりにくい。飼い主なんかに突き出されない限り、身体も小さいし小回りもきくから逃げやすいんだ。それに比べて大型犬なんかは目立つから、捕まりやすい。
 (そういえば……)
 そういえば、あの犬はどうした? 数日前にこの公園の隅っこで座り込んでいた、あのガラの悪い黒犬は。
 (いや、でも首輪してたしな……)
 車のほうを見ながら、俺の視線はひとつところで止まった。制服みたいな繋ぎを着て軍手をはめた男二人に、引きずられていく一頭の犬の姿。
 あいつだ、数日前のあの犬だった。
 『………………』
 あれだけ図体のでかい犬なら、振り切って逃げることもできそうだと思った俺の考えはすぐに改まる。そいつは、びっこをひいていた。
 数日前の凄みのある威嚇から考えれば、想像もつかないほど惨めな姿だった。
 『ちょっとあんた、あたし置いて何一人で散歩来てるのよ』
 『……菜々……』
 菜々がいた。純白の毛並みにほっそりとした身体を包み、いつもの強気な瞳でこっちを見ている。
 俺の視線に気付いて、菜々もまた車に乗せられる黒犬に眼をやった。
 『あら、あの犬じゃない。連れて行かれるのね』
 菜々の声色に、特に目立った感情はなかった。

 
 飼い猫と野良猫の間には、越えられない壁がある。
 飼い猫と野良猫の間には、埋められない溝がある。

 
 俺は、あの光景を見て平然としていられる菜々が不思議だ。きっと生粋の飼い猫だからだろうな。
 捨てられる恐怖とか、野良の恐怖とか。そんなもんは、菜々には縁のないことだから。 でも俺は他人事じゃない。今は鈴木家に半分飼い猫みたいな形で置いてもらってるけど、それでも俺は野良としての自分を忘れられない。
 人間の支配下に置かれることに嫌悪感を抱いているし、それに人間の一存で自分の生死が決せられるのも反吐が出る話だ。
 『どうなるの、あの犬』
 『引き取り手がなかったら殺されるさ』
 『殺されるの?』
 菜々が驚いた顔で俺のほうを見た。世間知らずのお嬢さんだ。俺は菜々のことが大好きだけれど、時々言いようのないほどの距離を感じることがある。
 それがつまり、おそらくのところ飼い猫と野良猫の間に横たわる溝なんだ。もともと全然違う環境にいた者同士なんだから、そりゃあお互いの心が分からなくて当然なんだけどな。
 『でも仕方ないわよ、所詮野良犬みたいなものなんだから』
 『………………』
 『運が悪かったのよ。諦めるしかないわ』
 何だろう。俺、別に菜々に何か言うつもりもなかったんだけど。
 菜々がそう言った瞬間、妙にカチンと来たんだ。
 『……人間に生死を決められるなんて、おまえそんな簡単に諦められることか?』
 『……何よ、どうしたの急に』
 そんなきょとんとした顔で俺を見るなよ。余計切なくなるだろ。
 おまえ、死ぬってことがどういうことか分かってる? 分かってないから言えるんだろ? 
 死とはまるで無縁の場所にいるから。
 『ちょっとクロ……』
 別にあの犬に同情してるわけじゃないさ。俺にとって大事な存在でも何でもない。
 だけど何かやりきれないものを感じるんだ。
 俺たちの生死を決められる権利ってもんが人間にあるっていうんなら、それを筋道立てて誰か説明してくれよ。なあ、誰か説明できるわけ? 
 俺たちは道端で死んでても放置されるのに、人間が死んでたら大事になるのは何でだよ? 
 人間から見れば些細でバカみたいなことだろう。でもそんな些細なことが、俺たちには凄く引っかかるんだよ。
 『おまえは幸せだよ、菜々』
 『クロ? でもあんただって……』
 『ああ、俺も今幸せだよ。野良も経験してるから、今どれだけ恵まれてるかが痛いほどよく分かる。でもおまえは違うだろ。生まれたときからその環境だ。自分がどれだけ恵まれてるか、分かってない』
 『ちょっと……』
 『先帰れよ、菜々。ごめんな、俺頭冷やしてから帰るわ』
 複雑だ。
 ものすごく複雑だった。少し茫然とした菜々を置いて、俺は鈴木家と反対方向へ歩き出す。
 今は、人間のいる場所に戻りたくなかった。



 人生って、いろいろあるもんだぜ。







 隣町の、芝生が綺麗な公園で。春の陽射しの心地よさに眼を閉じながら、俺はぼんやりと今日の食事を考えていた。あれから二週間、鈴木家には戻っていない。
 隣町を仕切っていたボスと喧嘩して、少々かすり傷を負いながらも俺はこの町の支配権を得たってわけ。過去にそのボスとは三回喧嘩してるけど、俺は負けたことがない。
 (あそこのゴミ置き場は人目につきやすいからな……)
 それとも市場の魚屋で可愛らしくねだってみるか。
 花見のシーズンが終わってしまうと、俺たちも食べ物に楽にはありつけなくなる。花見の時期なら、河原でも歩けばそこらで残飯が手に入ったんだけど。
 一昨日から不運にも食べ物にありつけず、俺はぺこぺこの腹を抱えながら昼寝をする。
 『おい、クロ』
 『………………なんだよ』
 俺は眼を瞑ったまま答えた。俺と同じ齢くらいのキジ猫で、いったいどんな親近感を持ったのかよく俺に親しげに語りかけてくる。前のボスが大嫌いだったらしい。
 『さっきから汚ねぇ白猫がこっち見てるんだけどよ』
 『………………』
 うっすらと眼をあける。寝起きでぼやけた視界に、はるか向こうでちょこんと座っている白い猫の姿が見えた。
 (……何やってんだ、あいつ……)
 菜々だ、と一瞬で分かった。
 菜々がどんなに汚れていても、俺にはわかる。
 俺と眼が合ったことに気付いたのか、彼女はすたすたとこっちに向けて歩いてきた。久しぶりに見る菜々の姿に、やっぱり俺は懐かしいと思ってしまう。どんどん近づいてくる菜々の白い身体は、灰色に汚れていた。いつもの美しい白い毛並みは、そこにはない。
 『おい、何してんだよ菜……』
 前足で思いきり殴られた。首に噛みつかれて、俺は慌てて飛び退る。
 (痛ぇ!)
 『痛い、菜々、痛い!』
 一瞬本気で殺されるのかと思った次の瞬間、菜々の噛む力が弱まった。何なんだいきなり、と思って見下ろして驚く。
 気高くて世間知らずで苦労知らずで、それから物凄い気の強い菜々が、泣いていた。
 どうしたのおまえ、と言おうとした言葉が出てこない。
 『……っ心配したのよ!! あたしがどれだけ探したと思ってるのよ!? バカじゃないの、いっぺん死んできなさいよ!?』
 涙ぐんだ瞳で怒鳴られる。驚く一方で、思わず可愛いと思ってしまうのは男の性だ。仕方ない。
 『ほ……保健所にでも連れて行かれたのかと思って…………!!』
 (――――!)
 俺は言葉を失った。
 『考えたのよ、何であんたがあの日あんな態度になったのか!』
 あの日っていうのは――俺が鈴木家に帰らなくなったあの日のことだ。
 『考えて、分かったと思ったときにはあんた帰って来ないし!!』
 菜々の興奮は収まらない。尻尾を立てて膨らませて、眼を剥いて本気で怒っている。あの日機嫌を損ねてたのは俺だったはずなんだけどな。
 『バカよ! あたしがどうでもいいと思ったのは、見も知らない犬だからでしょ!?』
 『………………』
 『あんたが保健所に連れて行かれて、殺しでもされたらどうしようって!! どれだけ心配したか分かってるわけ!?』
 一匹ぎゃあぎゃあ叫ぶ菜々の声に、公園の滑り台のほうから子供が数人興味深げにこっちを見ている。俺のほうが恥ずかしい。
 痴話喧嘩で責め倒される男みたいで。
 『あたしは、あんた以外のことはどうでもいいのよ。あんたがあたしの傍で、無事でいるからあんなことを言えるのよ!! それくらい分かりなさいよ、このバカ猫!!』
 (ホント、気が強いんだから……)
 そんなに心配したのか、菜々。
 いつも綺麗にしてなきゃ気がすまない白い毛並みを、そんな土だらけにしてまで。腹に泥がこびりついている。薄汚れた身体は、お世辞にも綺麗とは言えない。
 そんなになってまで俺を心配してくれたの?
 『分かったよ、ごめん。俺が悪かった』
 『ごめんで済んだら、世の中苦労しないわよ!』
 珍しくまともなことを言ってくる。
 (やっぱり可愛い)
 『心配かけて悪かったよ、菜々。な?』
 『………………っ』
 まだ何か文句を言いたそうな顔。涙と泥と葉っぱで汚れた額を舐めてやる。つん、と顔を背けながらおとなしくなった菜々が、今までで一番美人に見えた。


 飼い猫と野良猫の間には、越えられない壁がある。
 飼い猫と野良猫の間には、埋められない溝がある。

 でも俺と菜々の間には、時間と愛情があるから。


 越えられない壁も越えられる。
 埋められない溝も埋められる。

 


 

 ――仲いいよね、クロと菜々。

 久々に帰った鈴木家で、唯子ちゃんがにこにこときみだんごの袋を開ける。

 ――クロはかっこいい王子様だね。ね、お母さん。

 当たり前だろ、俺を誰だと思ってるんだ。漆黒の毛並みをもった黒猫のプリンスさ。そして菜々は、純白の毛並みをもった白猫のプリンセスなんだ。



2005-05-01 21:39:29公開 / 作者:ゅぇ
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■作者からのメッセージ
申し訳もございません!!最初に土下座して謝ります。病気です、おさまっていたはずの病気が不意に襲ってきました。【長編疲れた読みきり書きたい病】です。一度書いたことのあるショートの、何だろうこれは。続編だか番外編だかのノリで書きました。特に深い意味もありませんので、「ああ、猫かわいいよね」くらいの感じで流していただけると幸いです。特にこれといったテーマもないし…なら書くなよ、っていうのは内緒で。さてさて、うちの家の「ナナちゃん」も、これまた勝気な猫だったりします。もちろんあたしよりも立場が上だと思ってらっしゃる女王様。そして作中「きみだんご」も「削りササミ」も実在する猫おやつ。ササミはおいしそうだけど、きみだんごはイマイチ……。さてと、こんな病気の果てに出来たショートを皆様のお目にかけるのは気が引けますが、まあ…どうか…お許しを…(笑)というわけで、ちょっとびくびくしながら作品投稿するゅぇでしたっ★
この作品に対する感想 - 昇順
[簡易感想]しんみりしました。良かったです。
2013-08-28 12:26:23【☆☆☆☆☆】Rose
計:0点
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