『「バビロンの空」 第3章』作者:Rightman / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角47471文字
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プロローグ     「永遠の平原」

眼下に雲が広がる…
上空は綺麗に澄み切った青空に、大気の束縛を幾分か解かれた太陽がその存在感を誇示すかのように紫外線を含んだ光を容赦なく照らす。
まるでまっ白の平原を疾走しているような幻想的な感覚だ。
この美しい風景が膨大なデーター処理を伴う緻密なテクスチャーとポリゴンによって表現されるデジタル管理された「映像」であることがにわかに信じられない思いがある。
この純白の平原が何処までも続いていてほしいような、あたかも「永遠」を象徴しているかのようなそんな感じさえしてくるのは俺だけだろうか。
この雄大な風景に人は憧れ、挑戦し、挫折を繰り返して到達した神様の世界。
この戦場の空でそんな宗教的なイメージを抱かせる。
この世界の創作者は天才だ。そして冷笑家だったに違いないと俺は思う。
彼らはココに何を求めたのだろうか。
この「バビロンの空」に…



Seen 1      「混乱」

 この幻想的な風景に、俺が乗っている戦闘機はミスマッチに思えるが、これがそうでもない。むしろシュールでさえある。
体に感じる規則的な振動とともに伝わって来るエンジンの音と、キャノピーから漏れる外気の音が幻想的なイメージをぶち壊してくれる。
高度4500mあたりから使用している酸素マスクのおかげで酸欠による思考速度の遅延も感じられないが、それがかえってこの耳障りな音をより鮮明に鼓膜に運んできて俺を少々苛立たせていた。
高度による気温の低下でコックピトは酷く寒い。防寒ジャケットを着用してはいるが、戦闘機パイロット用のジャケットは戦闘時に邪魔にならないよう、生地の厚みが少ないので気休めにしかならない。
もっとも、この寒さも脳が「そう錯覚させられている」だけなのだが…
なぜかこんな時、俺は決まって無性に煙草が吸いたくなってしまう。しかし残念なことにこの世界に煙草は存在しない。まぁ、仮に吸えたとしても酸素濃度の低いこの高度で酸素マスクを外し喫煙するのは自殺行為だろう。
ログインからすでに1時間半が過ぎ、俺は現在の高度を確認するため計器に目を移す。高度計は6300mを指していた。
操縦席から下をのぞき込むと雲海が広がっている。この雲の下の地上では雨が降っていることだろう。
俺の少し下を爆撃機が3機編隊で飛行している。GE陣営所属の重爆撃機でDo-217-Jという。今回の任務の雇い主だっだ。
後方を確認すると俺の後ろに2機、護衛戦闘機が続いて飛んでいるのが見える。
俺の愛機であるFW-190-A8/R2、すぐ後ろがP-51D、そしてその少し上に最後尾のTempest.Mk.Vが続く。
いずれも俺と同じ傭兵で、一緒に今回の護衛の任務に就いている。
P-51Dのパイロットはアルフレット。アルと呼ばれている。
Tempest.Mk.Vの方がミーシャ。
アルとは俺が傭兵になる前からの知り合いで、もう長いこと連んで飛んでいる。ミーシャは知り合って間もないが最近仕事で一緒になることが多く、今回も仕事を持ちかけた。
といっても実は単にネスト〈傭兵待機所〉に彼しか見知った奴が居なかったので誘っただけと言うのが本当の所なのだが。
それにしても今回の護衛対象であるDo-217-Jの編隊飛行は酷いものだ。
今回の攻撃目標は出撃した飛行場から400km離れた敵飛行場を爆撃するというものだった。同陣営の他の隊の連中があらかじめ敵の電探施設を破壊しているという情報があり、雨の中奇襲を掛けようと言うのだ。攻撃成功後我々の後ろから味方の輸送機が空挺部隊を降下させる手はずになっている。作戦が成功すればかなりのポイントが期待できるのだが、はたしてそんなにうまくいくだろうか…
俺の不安材料はこの作戦で重要な役割を果たすこの爆撃隊の連中であった。
出撃してすぐに雨の影響もあったせいか予定の高度が取れず集合に手間取ってしまった。
もたついて敵の電探が回復したら元も子も無いので仕方なく高度を下げて目的地に向かったわけだが、爆撃機は普通密集体型で編隊を組み、お互いの防御機銃の死角を補い機銃の密度を上げて敵機の来襲に備えつつ飛行するのだが、彼らときたら長機がある程度速度を調節して飛行しているのに対し、列機達がうまく付いて来れず、高度が思うように取れなかったり、長機を追い越してしまったりと素人同然の飛行である。
この練度で良くこのバビロンの空にアクセスしたものだ。
俺は早くもこの素人同然の爆撃隊を護衛する今回の任務に嫌気が差し始めていた。


不意にすぐ後ろに付けているアルから無線が入った。
「おいユウ、今回はとんだ貧乏くじを引いちまったかもしれんぜ?」
奴もうんざりしているらしい。まあ、この飛行を見ていれば嫌になるのも分かる。
「こんな事なら俺もリーンの話しに乗っておくんだったな。あっちも結構おいしい話だったんだぜ?」
リーンって奴も俺たち同様傭兵だ。もっとも奴は対地攻撃専門で俺も何度か組んだことがあった。ただ、対地攻撃の腕は確かなんだが変な几帳面さと非常に無口で何を考えているか分からないところがあるので俺は苦手なタイプだった。それに俺は元々対地攻撃が苦手だった。
「何言ってやがる。空戦こそ〈ヤハウェの子〉の証、なんてぬかしてリーンの話断ってたのはどこのどいつだ?」
「なんだ、聞いてたのか。しかしユウ、連中みろよ?まるっきりド素人だぜ。集合の時も酷かったし、コイツらじゃ今回の作戦は無理なんじゃねえか?失敗しても貰うもん貰わねと割に合わんな。そのあたり大丈夫なのかよ?」
「請けちまったもんはしょうがねえだろう。どんな連中だって請けた時点で俺らの客。俺はおまえと違ってお客は大事にする質なんだ。嫌ならアルだけ引き返すか?」
「けっ、言ってろ!今更戻れるか。燃料代で足が出ちまう。ましてや単機で戻る途中で会敵したら大赤字だ。そもそも俺だって傭兵のはしくれよ。1度請けた仕事から逃げたりしねえ。この商売、信義と評判で成り立ってるんだ。逃げて悪評が立つくらいならバビロンの空でロストしたほうがマシだ。」
相変わらず口数の多い奴だ。それでもそんな妙に人なつこいアルを俺は結構気に入っていた。殺伐とした傭兵のなかで、アルの様な存在は貴重だった。
「なら黙って飛んでな。そろそろ敵の哨戒空域に入る頃だ。各機全方位目視索敵。後ろのミーシャも聞こえているな?」
「了解…」
静かな声で後ろのミーシャから返答が帰ってきた。奴も無口な男だった。
「りょーかい。ったく東洋人は仕事熱心なこって。付き合わされる方はたまったもんじゃない…」
アルの言うように俺も心配が無いわけではない。確かに傭兵の報酬に関するもめ事は枚挙に暇がないのは事実だった。
アルの通信の後、違う声が通信機から流れてきた。少し訛りのある言葉使いを無理に修正している様な几帳面さが滲み出ている声だった。
「こちらワイバーンリーダー。ガーゴイルゼロワン聞こえるか?」
ワイバーンは爆撃隊、ガーゴイルは俺たち3人のこの作戦でのコードネームだった。
ワイバーンリーダーは爆撃機の長機に搭乗しているこの爆撃隊の指揮を取っている男だ。
「ガーゴイル、ゼロワン、聞こえている」
「もうすぐ目標上空に到達する。我々は2時に旋回して目標の東側から雲の下に出て爆撃コースに入る。貴官達は引き続き現在の編隊を維持しつつ迎撃機の警戒にあたってくれ。」
爆撃機の長機からの通信である。
「了解だワイバーンリーダー。爆撃の成功を祈る。Good Luck」
「Sankusuガーゴイルゼロワン。各員の健闘を祈る」
通信が終わり、俺は再度計器を見回し異常が無いことを確認する。
「ユウ?聞こえるか?」
再度長機からの通信だが、今度は個人チャンネルでの通信だった。
「なんだ?ジン」
この爆撃隊の隊長は俺の古い知り合いでジンという。奴はGEに所属している正規パイロットで階級はたしか少佐だったかな。
俺とアルはかつてGEに所属していて奴とは何度か共に戦った戦友だった。意見の食い違いからぶつかり合う事も多かったが、お互いに若かった。虚構のなかの生死とはいえ、過去共に死線をくぐってきた戦友の声に、俺は懐かしさを感じ当時呼んでいた名で返した。
「今回は請けてくれて礼を言う。情けない編隊飛行で嫌になっているだろうが…アルの文句が聞こえてくるようだ。」
ジンは苦笑混じりでそう答えた。
「音に聞こえたMidnight Sheeps〈真夜中の羊たち〉らしからぬ編隊飛行だな。何があった?」
「色々とな…。なぁユウ、この作戦が終わったら少し付き合えよ。久しぶりにお前と飲みたくなった。」
「かまわんよ。お前の奢りならな。」
「相変わらずのスコッチにラミーか?」
「チーズは良いんだぜ。」
「フッ、お前は変わらないな…良いだろう、了解だユウ。それじゃあとでな。勝利の美酒になることを祈ってGood Luck!」
通信が切れた。
お前は変わらない…か。じゃあお前は変わったのか?ジン。
とりあえず、今夜の酒には困らなくなったわけだ。長い夜になりそうな予感がする。俺は操縦桿を握り直し、2時の方向に旋回を始めた。
突然爆撃隊の正面、下の雲から何かが飛び出してきた。
「敵だ!」
アルが叫んだ。瞬時に俺は相手の機種を確認するべく、目を凝らす。
おそらくSpitfire F M.XIVe 。
スピットファイアはGBを代表する制空戦闘機で第2次世界大戦中の3大名機の一つである。初期に搭載されていたロールス・ロイス社製マーリンエンジンは当時の高性能航空機の条件の一つであった。後期型XIVe ではさらに高性能な1735馬力のロールス・ロイス・グリフォンエンジンを搭載して最高速度は時速700キロを越える高速戦闘機になった。旋回性能は悪いがロール性能が良く一撃離脱戦法を得意とする。武装は12.7mmが2門と20mmが2門だ。
とても優秀な上昇性能を持っているため一緒に上昇すると釣り上げられてしまう。
数秒遅れて3機雲から飛び出してきた。こちらはミーシャと同じTempest.Mk.Vだ。
こちらも同じくGB機で2200馬力 700km/h。
決して成功作とは言えないタイフーンの、優れた後継機でタイフーンとほぼ同じ大きさの機体ながら、航続距離や高空性能は大幅に改善されている。当初はタイフーンの改良機と言った扱いであったが、別機に近い改良をされた為にテンペストの名称が与えられた。
特に元々分厚い主翼は、当時画期的とされていた層流翼に換装され、期待通りの効果を発揮し、速度性能も大幅にアップしている。
本格的な実戦配備が遅かったために、目立ったドラマは無いものの、20mm×4の武装は強力で、ドイツのV1迎撃にも一役買っている。
また、既存機よりも伸びた航続距離のおかげでノルマンディー以降のヨーロッパ戦線にも投入されていた息の長い機体である。
中・低高度の巡航速度が速く、その高度では会いたくない相手である。
4機の敵機はそのまま上昇していく。
「ちっ、かぶられた。一度編隊をパスして前へ出る。ブレイクして各自回避行動にうつれ。
ワイバーン!後続機が居るかもしれん。下手に雲の下に出たら蜂の巣にされるぞ。」
「しかし今の我々の練度では雲中の編隊飛行は無理だ。空中衝突の危険性がある。」
「侵入ポイントまで雲の上を這え。下から攻撃されることは無い。上は俺たちが何とかするからそのまま爆撃コースに入るんだ。急げ!」
「了解。頼むぞ」
「ミーシャは爆撃隊に付け。アル!付いてこい。俺たちは前に出るぞ」
「了解!」
高度を落とし始めた爆撃隊を追い俺たちも降下し速度を上げ前に出る。
敵がロールで向きを変え撃ってきた。まだ距離があるので当たりはしない。おそらくこちらの意図を探るため牽制の意味で撃ってきているのだろう。
「おいっ、撃ってきたぞ!なにしてんだ早く追っ払ってくれ!」
爆撃隊の2番機から今にも泣きそうな声が入ってくるが五月蠅いので無視する。奴は半分パニックになっている。初心者にありがちなパターンだ。
編隊をパスする時、後ろで射撃音がしたかと思った瞬間、通信機にアルの叫びが入ってきた。
「うわっ!なにしやがる!!」
振り返るとDo-217-J2番機が防御機銃を乱射している。上空をパスしていたアルに何発か当たったらしい。
「手前え、何考えてやがる!味方殺す気か!?」
「お、お前らが早くやらないからだ!そこまで来ているじゃないかっ!」
通信に機銃音が重なる。本来爆撃機の防御機銃はAIによるオートなのだが爆撃機操縦をオートにして直接プレイヤーが操作することも出来た。本来爆撃機は複数で搭乗するのだが今回の2番機はどうも一人で搭乗しているらしい。
恐怖に駆られて乱射しているため手が付けられない。ミーシャも近づけないで居る。
「アルっ、大丈夫か!?」
「くそっ、フラップがいかれた、1段しか出ない。機銃も2門死んだみたいだが、幸いエンジンは無事だ。」
アルの機が上下左右に小さなロールを繰り返し行い、操縦系を確かめている。
「何とかなりそうか?」
本来なら、アルを離脱させるべきなのだろうが、今回は1機でも惜しい。この場合何「とかなるか」は「戦えるか」と言う意味だった。長い付き合いのアルはそれが分かっているのですぐさま答える。
「フラップは痛いが元々コイツには機銃が6門あるんだ。行けるぜ!しかしあの野郎・・」
「文句は後にしろ!来たぞ!ブレイク!!」
俺は右方向に維持旋回に移った。60度ほどバンクしての旋回なので敵機がダイブしてくるのが左に見える。やはりスピットファイアだ。俺の未来位置に猛烈な弾幕を張るが一瞬早く俺はFW-190-A8/R2の抜群のロール性を利用して左下にスプリットSを決める。体がシートに沈み込んだかと思うと次の瞬間尻が浮く感覚、そして世界が回転する。
敵はそのまま降下してくる。
俺は少し斜め下に降下して敵の射線を外しつつEを稼ぎ一度バレルしてロールアウェイに移行していた。敵は俺を追い抜き上昇し始めているが…反応が遅い!
俺は敵機の左側に上昇し追撃に入った。この位置取りだと、敵機の次の機動が読みやすい。
敵はぐんぐん上昇していくが、そのときスピットファイアの右前方に火線が走った。
アルの援護射撃である。
ちょっと距離のある角度の浅い偏差射撃なので当たらなかったが、あわてた奴は左に急旋回した。
貰った!その動きを読んでいた俺は奴の未来位置に向け6門の機銃を一斉射した。
FW-190-A8/R2は13mm、20mm、30mmの機銃が各2門づつの計6門という強力な前方火力の武装でコイツの斉射をもろに食らうと大抵機体は木っ端みじんになった。
次々にhit判定の文字が浮かびポリゴンの破片がまき散らされていく。次の瞬間、スピットファイアの左主翼がふっとび垂直尾翼が根本からもげた。強烈なリコイル〈機銃反動〉で一瞬機体が揺れるが、この快感がたまらない。アルには悪いが奴の12.7mm6門とは比べ物にならないくらいの破壊力である。
エンジンにも何発かhitしたらしく火を噴きながらクルクルと落ちていく。
しばらくしてパッと花火のように破片をまき散らし爆発。その横に丸い白い点が浮かび上がり、ゆっくり降下し始めた。どうやらパイロットはパラシュートで脱出したらしい。
撃墜の快感から解放されると列機であるアルを探すべく廻りを見渡す。
アルは300mぐらい下でテンペと交戦中だった。
アルが敵の6時を取り追っかけ回している。敵はバレルロールしたあと、上昇に移っていく素振りを見せた。
俺は頭を押さえる為、降下を開始する。
敵は俺を確認したらしくあわててスプリットSをするが、アルも読んでいてあらかじめ弾幕を張っていた。テンペはアルの弾幕に飛び込む形になり次々とhitする。そのうち煙を吐いて落ちていき、雲の中に消えていった。
俺たちは旋回しながらミーシャと爆撃隊を探すが見あたらない。どうやら目標の爆撃コースに侵入するため雲の下に出たらしい。
「アル、残りの2機相手にミーシャが心配だ、雲の下に出るぞ。」
「了解。」
俺たち2機は雲の下に出るため、降下を開始した。
雲を抜けると思った通り雨が降っていて視界が悪い。俺は周囲を見渡し爆撃隊を探す。
「いたぞ。ユウ、2時の方向。距離6500。20度下だ!」
アルが言った方向に目を向けると光の点線が空に向かって伸びているのが見えた。防護機銃の光だろう。
「確認した。高度を維持しつつ全速で向かうぞ。アル、ダメージは?」
「大丈夫だ。生きてる機銃の弾も燃料も十分残ってる。ミーシャの野郎落ちてねえだろうな…」
「2機残っていたからな。迎撃機が上がってきている可能性もある。急ぐぞ!」
「了解!」
俺たちは全速力で爆撃隊に向かった。
近づいていくとDo-217-Jが2機しか確認できない。しかも後方の機体はエンジンから煙が上がっているらしい。1機は落とされたのだろうか。
その爆撃隊の上を虫のような黒い点が不規則に動いている。数は4つ。どうやら空中戦を展開しているらしく時折機銃の光が交錯している。
「ミーシャはまだ落とされてないらしいな。」
アルがつぶやいた。俺は通信機に向かって喚いた。
「ワイバーンリーダー、こちらガーゴイルゼロワン。聞こえるか?ジン生きてるか?」
「ユウか?遅いぞ!」
通信に時折機銃の音が混じり副操縦士が何か叫んでいる声が聞こえる。
「遅れたつもりはない。状況を教えてくれ!目標はどうなった?」
「爆撃コースに乗ったとたん、先ほどのテンペに降られた。2番機の銃撃手は錯乱状態で、乱射した弾が3番機のエンジンに当たってしまった。」
「ジーザス…それで2番機は何処だ?落とされたのか?」
「コックピットに銃撃されパイロットが負傷したようなんだが、その後…消えた」
「消えた?」
オウム返しに聞き返した。何となく苦渋を含んだジンの声だった。
「リセット〈強制終了〉だ…」
「リセット…」
俺は言葉を失った。あきれて物が言いえなかったと言う方が正確なところだ。
「何とか爆撃したが、予定のダメージまでは至らなかった。それでもハンガーと滑走路半分は吹き飛ばした。まだ対空砲は生きているが後続の空挺隊には爆装したD9とF8が付いているらしい。何とか占領できると思うが…残念だ。」
ジンの最後の「残念だ」の言葉が「疲れた」に聞こえる様な寂しさを含んでいた。
「今更言ってもしょうがない。上の蠅はこっちで何とかする。ワイバーンはそのまま西に迂回して全力で戻れ。迎撃機が上がってくるだろうが敵は後続隊に気づいたら追っ手は来ないだろう。」
「お前達はどうするんだ?」
「ココで時間を稼ぐ。その隙に戦闘空域から脱出しろ。」
「殿張って無事帰還する確率は少ないぞ」
「少ないがゼロではない。舐めるなよ、殿は傭兵の日常業務だ。俺たちはお前らを帰す義務がある。それに被弾した重爆は足手まといだからな。」
自分で言ってて嫌になる。こんな時つくづく思うが、そもそも自分を犠牲にして味方を逃がすような奴が傭兵なんぞになる訳がない。…が、俺は苦笑混じりにそう答えた。
「ユウ…ガーゴイルゼロワン、感謝する、Good Luck!」
ジンとの交信が切れ、続いてアルに声を掛ける。
「アル、聞いてたな。」
「あ〜あ、またジリ貧かよ。因果な商売だなぁ」
アルがぼやいた。こういう時のアルの一言は妙にリラックスさせてくれるので俺は好きだった。
「いつものことだろ。」
「ちげえねぇ、むしろ俺たち傭兵にはお似合いかもしれねぇな。」
そう、俺たちは敵味方を問わず混乱を招く厄介者の傭兵だ。だが、そんな者達にもこの「バビロンの空」は公平だった。
爆撃隊の上空には複数の黒い点が上下に動いているのが見える。俺たちは今の高度のまま接近しBnZ戦法を仕掛けるつもりでいた。
BnZ戦法とは敵よりも高い高度から急降下し、高度を速度に変換して高速で敵機を射撃。その速度を利用して安全圏へ離脱し、再び高度を取り次の獲物に襲いかかることを反復して行う戦法である。敵機に射撃してすれ違った後、そのまま高速で離脱するので仮に敵機が6時に着いたとしても射撃のチャンスがほとんど無い。また敵機より高い高度からの突撃の為、戦闘空域の状況が把握しやすく、少数で複数の敵を相手にしやすい利点がある。
欠点は、高度を落としすぎると容易に撃墜されることと、同じ機動を繰り返すので敵に先読みされやすい。あと高速で敵機に接近し射撃するので高い射撃技術を要求される。
「ミーシャが苦戦している。突撃だ、アル」
「了解!」
俺たち2機はダイブし、乱戦の中に突入していった。



人類の歴史は闘争の歴史である。
人間はこの地球上に発生して以来、同種科同士で飽くなき闘争を繰り返してきた生物である。
言葉や思想、または肌の色違いなどによって争いが生じ、論争、紛争、そして国家間の戦争へと発展していく。同じ民族同士でも内戦が発生したりする。
人は戦争を始める時、民族が死滅しても戦争をする有りもしない大義名分をでっち上げ、戦争を終わらせる時に命の尊さを説く。どちらが正しく、どちらが愚かなのだろうか。
人間には闘争に導く為のプログラムがDNAにあらかじめインプットされているのだと、物知り顔で説く学者も居るが、俺から言わせれば元来人が持っているエゴや欲はとどまるところを知らず、停滞しているようでも内部ではくすぶり続けているもので、他者との価値観の違いから、簡単に再燃してしまう。自分達とは異なるものへの恐怖や劣等感、優越感。はたまた憧れや憎しみと言った感情全てを受け入れて、完全にそれをコントロールすることが出来るほど、人の心は完璧ではなく、強くはないのだ。
では、統一された社会では人は生きていくことは出来ないのか?
宇宙船地球号的考え方で、残された資源を有効かつ平等に使用し、人類共通の考え方、通貨や言語を統一された社会において、人は己のエゴを飲み込み闘争への欲求を押さえ、豊に永遠に暮らしていくことが可能なのだろうか。
その答えの一つが現代であった。

 この時代、世界は平和だった。
戦争はすでに過去のものであり、地球規模の統一が進んでいた。
世界統一思想が叫ばれ、各国の国境が取り払われつつある。
これに反対した人々も多く存在し、各国で大規模な内戦があちこちで勃発したが、これにより資源が大幅に消費されエネルギー問題や、内戦で破壊された環境汚染が深刻になっていった。
ここで、人々は戦争が他の何よりも資源を浪費する事に気づくことになる。
その後内乱が沈静化していき、世界統一思想が一気に加速していった。
皮肉にも戦争が人々を共和へと導く結果となった。
人々は残された資源を人類みんなで共有し少しでも長く地球の恩恵に肖る道を選んだのだ。
未だに国や独自の思想にしがみつきデモを叫ぶ連中や各地でやたら長ったらしい名前の組織がテロ活動をしていたりもするが、ごく少数でありまた活動も小規模であった。
またこの地球規模の統一が一気に進んだ背景にネットワーク技術がある。
20世紀末期から21世紀に掛けてネットワーク技術が飛躍的に進歩し、世界の何処にいても瞬時にリアルタイムでほしい情報を得ることができ、また活用出来るシステム社会が出来上がっていった。
世界統一通貨の使用により物資の流通が円滑に行われ、世界経済に安定をもたらした。
物資や人の移動は前世紀に開発されその後発展が滞っていた技術が、皮肉にも動乱時の戦争により急激に発展し大幅に短縮出来た。
医療技術も発展したテクノロジーにより大幅に進歩し、特に人間の脳のメカニズムが多く説き明かされ、これにより人類は過去に不治の病だった様々な病気の不安からも解放され、人類の敵は自然災害と自分たちの欲求だけとなった。
安定した暮らし。統一された社会。昨日と似た今日、今日と変わらないであろう明日。変化のない平凡な毎日。
世界経済が安定し、戦争が無くなったことでやることが無くなった政府の指導者達は次に福祉政策に力を入れ始めた。これがそもそもの間違いだったと気づいたときはすでに遅かった。
過剰とも思える高福祉政策はやがて無数の失業者、浮浪者、または正体不明の遊民などを社会に生み出すきっかけとなってしまった。
政府が掲げた社会福祉政策により生存可能な最低限度の生活が保障されている。その安心感からか、人々は労働に対する情熱を燃焼しつくしてしまったのだ。
そして失業率が驚異的な数字を示し、生活保障福祉受給者が納税者を上回ると言うふざけた社会が出来上がり、再び世界経済は後退していった。
戦争もないが発展もない。停滞することで安定を保っている社会。
それを可能にしたのもまた科学技術であった。
国家は自ら掲げた政策により自滅したことで民を導くその役目を放棄し、資源の公平な分配と住民の管理、治安維持だけの機関となった。
科学技術によって安定し、かろうじて社会として成り立っている。それが現代である。
つまり過去の指導者達が目指した永遠の安定を主とするユートピアは政治や世界経済の大幅な後退によって実現する事になったわけだ。
飢えを満たし、病から解放され、平凡だが安定した暮らしを重ねて子孫を残すと言うただ単純な生物的欲求を満たす為に存在することに疑問を持ち始める頃、人は刺激を求めるようになる。
意味もなく暴れ、スリルを味わう為だけに窃盗、恐喝、殺人を行う若者が増えだし、犯罪に手を染める年齢が極端に下がっていく。
だが、物事に意味や意義を見いだそうとし、理想や正義に結びつけていく結果がどんな悲劇を生むかと言うことは過去の歴史で痛いほど懲りていた。
そこで、その欲求の捌け口を現実ではなく、仮想空間に求めていったことはいわば自然の成り行きなのだと俺は思う。


Tipe BABEL
21世紀初頭、ネットワークの初期の段階でオンラインゲームとしてその原型が生まれた。その後科学技術の発達に伴い飛躍的に進歩した脳内医療技術により脳のメカニズム解明で得た成果を導入し大脳のシナプスに直接電気信号を送り込むことによって人の意識をデジタルデータにシンクロさせ、被験者に視覚、聴覚を経由せずプログラムされた疑似空間を体験させる事が出来る画期的なシステムを開発するに至った。
開発者は不明。
元々は戦争が無く、資源の消費になかばヒステリックになったこの時代に治安軍隊の戦闘訓練に使用する目的で開発されたシステムだったがこれをゲームに応用しさらに発展して現在のBABELとなった。
プレイヤーは個人〈ソロ〉または集団〈スコードロン〉で各端末から仮想空間にアクセスし、プログラム管理された媒体等を使用し戦闘行為を疑似体験する。
ゲームは第2次世界大戦で実際に開発、使用された航空機に乗り込んで戦闘行為を行いその戦技を競う。
退屈しきった社会に意義を見いだせず、そのあまりあるパワーを持て余していた若者達が最初にこのゲームに飛びつき、やがて世界中に熱狂的なゲームファンを生み出し世界規模の社会現象になった。
早い段階から脳に障害が出る恐れが心配され、中でも〈死亡〉を疑似体験する事に奇異を感じる声も多かったがそんな意見も熱狂的なブームの中に埋没していった。
また第2次世界大戦という時代設定が現代の若者にとって新鮮だったこともブームに拍車を掛けていた。
開発者達がなぜこの時代設定を選んだのか、今では分からない。
BABEL
なぜこんなカルト宗教的なネーミングを付けたのかは不明だが、少なくともこんな戦場を舞台にしたゲームの開発者達が宗教家だったわけでは無いだろう。

「人々よ、かの建つる町と塔を見たまへ。
 かしこにて我ら下り、彼らが互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。
 故に、その名をBABEL(混乱)と呼ばるなり…」

プレイヤーズマニュアルの最初のページに刻まれている旧イスラエルの「旧約聖書」詩篇の一つ、バベルの塔の下りである。
この横にピーデル・ブリューゲル作「バベルの塔」の絵画の写真が小さく載っている。
彼の描いたバベルの塔は3枚ある。
その3枚のうちで一番大きいのがこの絵である。
俺の記憶では実物は確か縦114cm、横155cmだったと思う。
絵が世に出てからおよそ500年もの間、その解釈を巡って、人々を悩ませた作品と言われている。
本物は旧オーストリア・ウィーンの美術館に保管されていたが過去の動乱で行方が分からなくなっているそうだ。
大昔、人類社会創世記に人々の言語は一つだった。
バビロンという栄華を極めた国の人々が、空に憧れ、そこに居ると信じていた神様の元に行こうと考え建設を開始した建造物。
その後、神の怒りを買い、その力で人々は言語を乱され建造中止を余儀なくされ、互いに言葉が通じなくなった人々は各地へ散っていき、世界中に様々な言語が出来たと言う。
神の怒りに触れたその建造物はバベル(混乱)の塔と呼ばれた。
開発者達はその限りない空への憧れを込めて、こんな名前にしたのかもしれない。

1940年代。
空がまだ本当に青かった時代。
ゲームの仮想空間でプレイヤーが体験するデジタル世界の空。
汚染された現実の世界ではほとんど見ることが出来なくなった澄み切った青い空。
プレイヤー達はその空を、バベルの塔の伝説になぞらえて「バビロンの空」と呼んだ・・

BABELの端末は全国各所にあるゲーム運営会社所有のビル内に設置されていて24時間いつでも登録出来る。
ゲーム自体の予備接続が開始されるのは午前10時と午後6時の1日2回で、人気があるのは午後の部だ。
初めに登録するときにIDカードの提示と脳シンクロの適性検査があるが普通の生活をしている人であればほとんどパス出来た。
年齢制限は得にはないがID提示があるのでID登録が出来る年齢に達していなければならず最低年齢は自ずと決まってしまう。
上限年齢も得に決まっていないが、あまり高齢になると脳がうまくシンクロしないし、そもそも適性検査で引っかかってしまうだろう。
ただ俺が今まで会ったプレイヤーでは51歳が最高だったが、中には60を越えて適正検査をパスした”強者”も居るらしい。
登録は無料だが、ゲームのアクセス料は決して安くはない。そのアクセス料ほしさに恐喝、強盗傷害などを引き起こす若者も少なくなかったが、BABELのサービスが提供されるようになってから犯罪が極端に減ったのは皮肉といえる。若年層の犯罪の多くが恐喝であり、その目的が金銭の奪取である場合よりもむしろその行為そのものに刺激を求めていた若者が多かっただけに犯罪自体が減少するのは当然のことの様に思える。
BABELは大きく分けて4つのアリーナと呼ばれるフィールドに区別される。
まず初心者が操縦訓練を行う〈トレーニング〉
初めてアクセスしたプレイヤーはココで操縦の基礎を学ぶ事になる。ココのカリキュラムを全てクリアすることで他のアリーナへの選択権が与えられる。
そして、自分以外は全て敵の空戦のみを行う〈Free for all通称FFA〉
ゲームの運営者側がたまに企画する”イベント”を行う〈ラウンドテーブル〉
最後に5カ国で領土を争う〈テリトリアルコンクエスト、通称TC〉である。
TCにはさらにゲームレベルが設定されており過去に各設定ごとのフィールドが用意されていたがLv10へのアクセスが圧倒的に多く現在は中級設定のLv5と上級設定のLv10の2種類しか設置されていない。
ちなみに「バビロンの空」とはココTCLv10のアリーナを指す。
TCアリーナでは、プレイヤーはJPGEGBUSSUの五カ国から陣営を選択し、各陣営に登録しているスコードロンというチームに所属して戦闘に参加する。別にスコードロンに所属しなくても良いが、スコードロンに所属することで、ゲーム内における様々な特典を受けることが出来るので大抵のプレイヤーはどこかのスコードロンに所属している”正規パイロット”として戦闘に参加していた。
BABELの特徴の一つにバトル・ポイント・システム〈BPS〉と言うのがある。
これは戦闘結果のスコアーのことで、少し意味合いが異なるがロールプレイングゲームの経験値システムに近い物と考えて貰うとわかりやすいかもしれない。
BSPはログアウト後に個人またはスコードロンごとに与えられパイロットキャラクターのステータスアップや航空機の修理、弾薬、燃料または多少のチューンナップなどゲーム中に使用する様々な事柄をこのポイントで支払うことになる。
さらにBSPは現金に勧銀することが出来るのも魅力の一つである。
BSPはゲームの難易度によって大きく入ってくるポイントが異なり、当然難易度が高いアリーナでのスコアーは獲得できるポイントも多い。
スコアー判定は単に撃墜だけでなく、撃墜アシスト、爆撃、対地攻撃、または陽動など様々な任務において細かく判定基準が違う。
TCLv10は獲得出来るBPSが他のアリーナとは桁違いなのでアクセス数は最も多い。また他のアリーナと比べ、非常に条件付けが厳しく設定されていて生還すること自体も目的の一つとなっているから、戦果を上げて生還するとボーナスが加算される仕組みになっていた。
ポイントは先ほども触れたが個人またはスコードロン単位で入ってくるので、当然チーム内で分けた場合頭数で目減りしていくから一目ソロの方が割が良い様に思えてくるが、実はそうでもない。ソロでの作戦行動には限界があり為小規模な戦果しか上がらず、大規模な作戦行動による戦果のスコアーとは比べ物にならない。だから腕のいいエースパイロットを揃えたスコードロンは稼ぎが良い。
また先ほど述べたが、スコードロンに所属しているとそのスコードロンのランクで数値は違うが、機体自体の購入、機体の修理、燃料、弾薬といった必要不可欠な物がスコードロンから支給される。特定陣営に所属しているスコードロンは割引されたポイント料で購入出来る特典があるのだ。
同陣営内のスコードロン間のパイロットの移動は自由に登録書き換えが出来、メンバー同士の貸し借りもできるが、陣営移動の場合は再登録しなければならず、その際パイロットステータスや階級は初期値に戻され、使用していた航空機を売り払って異動先の陣営の航空機を購入して文字通り再出発することになる。
複数で搭乗する重爆などは値段が高いのでスコードロンで何機か所有していることが多くコレの搭乗員は機体を売ることが出来ない。異動先で中古格安戦闘機を購入し戦闘機乗りになるか、重爆の搭乗員を募集しているスコードロンに所属するかである。
だから重爆乗りは陣営移動が少なかった。
この陣営移動の際にもう一つ選択肢があった。
俺たち傭兵の様にフリーで最登録する事である。
フリーで再登録する手続きをとると、パイロットステータスや階級、使用していた航空機などが変更無しで移動することが出来るのだ。
これだけだと、みんなフリー登録をすれば良いじゃないか、と思われるだろうがフリー登録にはそれなりの条件が課せられる。
まずフリーで再登録すると、戦闘に必要な品物全てを自前で用意しなければならない。
実はコレが結構馬鹿にならず、燃料、弾薬の消費量は作戦によって大きく異なるが、燃費を気にしてタラタラ飛んでいると良い的になるし弾代ケチって撃たない訳にもいかないから撃つ時には撃たねばならない。いかに燃費を必要最小限に抑え、無駄玉を撃たずに戦闘をこなすかと言うことになるわけだ。
俺のFW-190-A8/R2は6門の機銃が装備されているが、調子に乗って毎回一斉斉射で弾幕張った戦闘していると大赤字になる。
機体のメンテナンスも重要で、BABELの航空機のパーツにはそれぞれ命数が設定されており、これも定期的に交換しなければならない。これを怠ると戦場で肝心な時に故障し形成を逆転され撃墜されたりする。大抵後悔したときは落とされているだろう。
それにほとんどのプレイヤーは自分の航空機に愛着を持っていて、そのメンテナンスにはそれなりの神経を使っているからその維持費にポイントを惜しまない。
大半の傭兵はその装備の維持費と獲得BPSのバランスに悩むわけで、高額な割り戻しの割にその経営は結構苦しいのが現状だった。
次になぜフリーのプレイヤーが傭兵と呼ばれるのかというと、TCアリーナで戦闘するプレイヤーは必ずどこかの陣営に所属しなければならず、しかもフリー登録の場合プレイヤー側から陣営を選ぶことが出来ない。だからどこかの陣営のスコードロンからの”召還”の形を取ることになる。つまりどこかのチームから招かれない限り戦えない訳で、ここがソロ登録との大きな違いだった。
第一、バビロンの空はソロで飛ぶことを簡単には許してはくれない。
そもそも単機では圧倒的に不利である。4,5機の敵に囲まれたらたとえ相手がAIコントロールの敵機だったとしてもよほどの腕と、それを上回る運が無ければ生還は難しいだろう。ましてや俺たちのアクセスしているLv10は元々集団戦闘を前提に設定されていて、AIでも必ず集団で行動するし、AIの知能指数も他のアリーナよりも高く設定されているからベテランの傭兵でさえ少しでも気を抜くと撃墜されることがあった。
元々傭兵なる役職はBABELには存在しない。便宜上1部のフリーのプレイヤーをそう呼んでいるだけだ。
何らかの理由で陣営やスコードロンに所属できないハイレベルなプレイヤーが居て、同じく何らかの理由で即戦力を欲しがるスコードロンとが、お互いの利害関係が一致した結果、そこに需要と供給の原理が生まれこの商売が成立している。
傭兵でやっていくにはまず腕がある程度立たなければならず、階級は大尉以上、総飛行時間1000時間を越えていて、なおかつパイロットレベルは最低でも2桁は行っていないと話にならない。
ロビーには一般のプレイヤーが集まる場所とは別にヴァルチャーズネスト〈禿鷲たちの巣〉通称ネストと呼ばれる傭兵達の集まるスペースがあり、スコードロンのリーダーはそこに赴き傭兵を捜して直接契約交渉を行う。
契約と言っても契約書のたぐいがあるわけではなく、契約内容全てが予備接続前の口約束にすぎず、報酬額も別にルールで明確になっているわけではないので傭兵個人によってバラバラだ。
だから傭兵の働きに対する報酬についてのもめ事は枚挙に暇がない。
ゲームの運営側も傭兵ギルドの設置を認め、ギルドへの技術的なサポートはしてくれるが、その運営に関してはプレイヤー側に任せており、内容については一切関知しない姿勢を貫いている。
ギルド側もその運営に支障をきたす場合を除いて、傭兵個人のもめ事には介入しない事になっている。
つまりゲーム運営側としては「自然発生した傭兵と言う存在は認めてやるが、勝手にやってくれ。問題が起こってもこっちに持ってくるな」ということを暗に言っているわけだ。
契約の詳細な内容を傭兵個人と依頼者とで取り決め、お互いの合意の上で初めて契約となるわけだが、戦闘終了後、報酬を支払う段階になって、やれ高いだの、割に合わないだののゴタゴタが始まるケースがほとんどで、最近は滅多に居ないが中には先にログアウトして報酬を払わずにトンズラしようとする馬鹿なクライアントもいる。
そんな連中は傭兵仲間からそれ相応の”オトシマエ”という実力行使があり、ゲーム内、またはリアルでつけ狙われる事になるし、最悪の場合傷害事件に発展するケースもあった。
日頃まとまりのない傭兵同士がこんな時だけは妙な連帯感を発揮するから恐ろしい。まあ明日は我が身という言葉もあるしな。
雇う側からすれば、安くない報酬を保証するのだから、見かけ倒しの傭兵を雇ってしまったら目も当てられない。凄腕で任務に忠実。窮地の際は決して逃げず身を挺して味方を守り、そして法外な報酬を要求しない。なんていう良いことずくめな正義の味方的パイロットを望む訳だが、そもそもそんなパイロットが傭兵になるわけがないとは考えないらしい。ただ、傭兵を選ぶ上での最重要項目「窮地に陥ったとき決して自分だけ逃げない」と言うこの点に関しては慎重に吟味する必要があった。
これについては仕事に対する信頼度や腕前を他のプレイヤーから聞く評判などから判断することになる。
だから傭兵達も次の仕事に繋がるよう腕を磨き、評判を上げるよう努力する。
アルの言った「この商売、信義と評判で成り立ってる」とはまさにその通りなのである。
もう一つアルの言っていた〈ヤハウェの子〉と言う言葉があったのを思い出して貰いたい。〈ヤハウェの子〉とは俺たち傭兵の俗称で〈エホバの子〉とも呼ばれ、両方とも傭兵を指した言葉であるがそこに込められた意味が少しだけ違い、一般的に〈エホバの子〉と呼ばれる方が多い
ヤハウェもエホバもバベルの塔の伝説で塔を崩壊に導いた神の名前である。
本来は前者の〈ヤハウェ〉と言う発音が正しく〈エホバ〉は誤って伝えられた呼び方だったそうだ。伝説ではその力で人々に混乱をもたらしたと言うことで、正規パイロットは敵味方を問わず混乱を招く者の総称として俺たち傭兵を〈エホバの子〉と呼んだ。
〈ヤハウェ〉の発音を使う連中は古参のプレイヤーが多く、こちらは神の力の代行者というイメージがあって、得に凄腕の傭兵を畏怖、畏敬の念を込めて呼ぶときに使われていたが、最近では使われる事が少なくなった。
今では俺たち傭兵仲間同士で使うぐらいだ。
もっとも、俺たちにはエホバの方がちょうどいいのかもしない。神の名を騙りバビロンの空を飛ぶ俺たちには…




Seen 2       「黄昏の円卓」

「お帰りなさい。ユウ」
どこからか聞こえる女の声で目を覚ます。
昔どこかで聞いた様な、記憶のずっと奥のデーターにある声と一致している気がして検索をかけ始める頃、失われていた体の感覚が戻ってきて検索作業が中断する。
手足の感覚が戻ってきたのを少し動かして確認したあと、深い息を吐いてゆっくりと上半身を起こしてヘッドギアを外した。
「お帰りなさい。ユウ」
声がする方に目を移すと、正面モニターにブロンドの女性がにこやかにほほえみ掛けていた。かなりの美人だ。
先ほどと全く同じスピード、同じトーンで繰り返し掛けてきた声で、この女性がAIであることが判断できた。
「お疲れさま。今回の戦闘結果を表示します。」
モニター画面が2つに分割され戦闘結果が表示される。俺はそれにざっと目を通し、壁に掛かった上着から煙草を取り出し火を付けた。
肺いっぱいに紫煙が広がり、肺の毛細血管一つ一つにニコチンが浸みていく感覚を味わう。ゲーム内の世界では存在しない煙草を吸うことで、俺はこの世界に帰ってきたと実感する、いわばこれは帰還の儀式だった。
しかし今回の煙草の味は最悪だった。自分に納得のいかない仕事をした後はいつもこうだ。
煙草を口にくわえたまま周囲を見渡し、体を伸ばす。
畳3畳ほどのスペースで部屋の中央にビニール合成皮のリクライニングベッドが設置してあり、その正面にモニター、ベッド上に天井からコードが生えたヘッドギアがアームでぶら下がっている。壁はステンレス製で床はビニールタイル貼り。端の方に洗面台があるだけの殺風景な部屋だ。
「ユウ、ここは禁煙よ。」
どこかにセンサーがあるのだろう。彼女は一応注意を促すだけで、得に警報が鳴ったり、たたき出されることもないので無視をする。
「撃墜4、アシスト1、被弾率17パーセント。少なくとも貴方は依頼者であるMidnight Sheepsを護衛し、戦闘空域からの脱出に最善を尽くした。任務に最後まで忠実だったわ。」
彼女はにこやかに話しかけてくる。
「Do-217-Jを1機落とされ、1機はリセットだぞ。ミーシャのテンぺは蜂の巣。おまけにアルは足が出ずに胴体着陸だ。」
「リセットは個人の問題だわ。貴方に罪はない。損害もあの状況では最小限の犠牲でしょう。いかに貴方でも全て助ける事は難しかったわ。」
「フッ、慰めてくれているのか?」
俺は苦笑混じりにそう聞いた。女は一瞬困った顔をした。彼女のこんな顔は初めてかもしれない。本当にAIなのかと疑いたくなる精巧さだ。
吸っていた煙草を壁にこすりつけて火を消し、脱いであった靴を履く。
「こんな日もあるわ。ユウ。占領は成功したそうよ。これでかなりのBPSを獲得できるでしょう。」
「他の連中はもうログアウトしているのか?」
俺は上着に袖を通しながら立ち上がり、部屋のドアに手を掛けた。
「ええ、貴方が最後よ。」
彼女はいつもの笑顔で答え、おそらく世界中のプレイヤーに掛けるであろうお約束な言葉を続ける。
「またね。ユウ。待っているわ」
「ああ、必ずまた来るよ。」
振り返りそう答えて、俺は端末ルームを後にした。

端末ルームを出た俺は先にログアウトしている仲間を捜しにロビーへ向かった。
途中ネストの前を通り過ぎるときに、声を掛けられた。
振り向くと、小柄な年輩の男が近づいてくるのが見えた。
「いよぅ、ユウ。また派手にやっていたな。」
彼の名はロビンソン。傭兵相手に装備や燃料、パーツなどを売り歩いているいわば武器商人だ。傭兵ギルド所属、BABEL公認の武器商人の一人でゲーム運営側以外で個人データーの書き換えを行える権利と技術を持っている数少ない人間だった。
俺たち傭兵は装備を自前で揃えなければならないが、スコードロンに所属していないから正規ルートで購入した場合かなりの出費になってしまう。そこで彼のような武器商人から安くその装備を購入するわけだ。中古、新品、格安品から掘り出し物と様々な品物を取りそろえている。品物の出所は企業秘密で一切口外しない。
個人の機体データーをいじれるわけだから悪用出来るわけだが発覚した場合、先に述べた権利の剥奪はもちろん、それ相応の処罰が運営側から下されるが、それよりも恐いネスト流の〈制裁〉があるので、悪用しようとする商人は皆無だった。
中には粗悪品を高値で売りつける悪徳な奴も居るが、それについては「掴まされる方が悪い」的な考えをする傭兵が多く〈制裁〉までには至らない。せいぜい当人同士の殴り合いがほとんどだった。たまに用心棒を雇っている者も居て帰り打ちに合うケースもある。
ロビンソンとは傭兵になってからの長い付き合いで、俺は他の商人より信頼していた。
もっとも格安品に飛びついて痛い目にも遭っているが、この親父はどうも憎めないなにかがあった。
「なんだ、見ていたのか」
俺はため息混じりにそう答えた。
「確かに、仮の仲間とはいえ身内からリセットを出すのは嫌なもんだ。しかしお前さんの殿もたいしたもんだったぞ。FW-190-A8/R2の斉射はいつ見てもスカッとする。ユウは景気よくぶっ放すから良いお得意さまだ。」
「やめてくれ、あんたの鬱憤はらしに弾撒いてる訳じゃない。だいたいあんな戦闘は俺のポリシーに反するんだ。」
この親父にも慰められている。そんなに気落ちした顔をしているのだろうか。
「なに、これでお前さんの傭兵としての評判も上がるってもんよ。次の仕事もすぐ依頼が来るさ。ところで、今回は占領が絡んでるんだろう?ポイントに余裕があるんなら実はとっておきの掘り出し物があるんだがどうだ?安くしとくぞ?」
目の奥に金が泳いでいるのが見えるようだった。この親父のとっておきは良いのに当たった試しがない。
「今度にするよ、ロビンソン。それよりもクライアントを捜さないと取りっぱぐれちまう」
俺はなおも詰め寄るロビンソンを振りほどきロビーへ向かう。
「あとで来いよ、弾と燃料は補給しなくちゃならんだろう?その際は是非ロビンソン商会に!」
叫ぶロビンソンの声を背中に受けながら早足で歩き出しロビーに向かう。
ロビーには中央に巨大なモニターが4つ四方対面に設置されていて、そのモニターにはゲーム内の戦闘が映し出されている。BABELではゲーム内の戦闘はココで中継される事になっている。中継される戦闘はランダムに選択されるが、大抵派手な戦闘が繰り広げられている空域が選択されることが多い。
そこの廻りには予備接続の回線空きを待つプレイヤー達が群がり時折歓声が上がっていた。
そこかしこで作戦会議に余念がない接続前のスコードロンが円陣を組んで座り込んでいる間を抜け、精算機へ向かい進んで行くと、右手からアルとミーシャがやってくるのが見えた。
ミーシャは相変わらずの無表情だが、アルは左肩を押さえ仏頂面である。
「いや〜、全く、ひでぇ目にあった…」
「不時着の後遺症か?お前が〈疑似裂傷〉に掛かるとはな。」
〈疑似裂傷〉とはゲームで体感した傷などが、ログアウト後に体感した体の部位に痛みを伴い残ることである。
良く催眠術に掛かった人にただの木の棒を見せて「これは”焼き鏝”です」と暗示を掛けた後、その棒を体に押しつけると皮膚に火傷のような跡が残ることがある。俺は医学者ではないので専門的な事はよく分からないが、これは脳が本物の焼き鏝を押し当てられたと錯覚し、皮膚の再生機能が誤って働く事で起こるらしい。体の神経全てを司る脳本体が錯覚しているわけだから当然痛みを伴う。熱心なキリスト教徒に時々見受けられる手などから血を流したりする”聖痕”などがこれに該当するらしい。
純粋で思いこみが激しく、神経質で暗示に掛かりやすい性格の人間に多く見受けられる症状だが、アルがそうだったとは意外だった。
「俺はこう見えてもデリケートなんだよ。不時着した際に羽がもげて飛んできてよ、キャノピーのフレームが内側にひん曲がりやがった。危うく喉を持って行かれるところだったぜ。まったく、生きてるのが不思議なくらいだ。」
アルは左肩をさすりながら毒づいた。奴がデリケートであるかどうかは別にして、俺は長い付き合いであるアルの意外な一面を見たような気がした。
「ミーシャは何ともないのか?」
「俺はパラで脱出してその後リセットだ。機体はオシャカだがパイロットダメージは無い。」
まともなのは俺だけだった。
「おいユウ、そんなことよりジン達を探そうぜ。2番機のヤローぶっちめねえと気がすまねえ。逃げられたら目も当てられない。」
ジンは逃げたりする様な男じゃなかったが俺たちは急いで精算機カウンターに向かった。
ジンは精算機カウンターの前のソファーに腰を下ろし、俺たちを待っていた。その横に一人若いのが立っている。コイツは俺も知っていて、ジンのチームの一人で名前は確かオキタだったと思う。精算はまだのようで俺たちが来るのを待っていたらしい。相変わらず律儀な男だ。
「おいジン!味方撃った馬鹿は何奴だ!」
会うやいなや、アルがジンに食って掛かった。ジンは何も喋らず、顔を左に向け、アゴで示した。その先に壁際にしゃがみ込んで女と話してるスキンヘッドの男が居た。半袖のシャツを肩の部分から破り、タトゥーの入った肩が露出している。何が可笑しいのか時折高い声で笑い女との話に没頭している。
アルは早足で近づき女を引っぱがし、男の胸ぐらを掴んで強引に立たせ、顔を思いっきり近づけて睨みながら男に話しかける。女は「なんだ手前ぇ」と文句を言いかけたが、アルを確認したとたん、一目散に逃げていった。
アルは身長195、体重100キロの大男で一見するとプロレスラーのような風貌をしているから女が逃げ出すのも無理はない。この体格でどうやって飛行機に乗り込んでいるのか見てみたい気もするが。
「この味方殺し野郎っ!味方撃ってリセットでトンズラとはどういうつもりだ!そんなに恐けりゃ家でタマでも握ってマスでも掻いてろっ!」
アルが喚いた。品のかけらもない暴言であるが、まあこの男に品を求めること自体、無理な話だ。それに内容が内容なだけに、アルがキレるのも無理はない。
リセット〈強制終了〉とはBABELプレイヤーの最終選択肢で緊急脱出用コマンドの事である。リセットを宣言したパイロットはいかなる状況においても即座にBABELのシステムから解放され、パイロットデータは最後にログインしたデータに戻される。
パイロット単独自体で考えれば撃墜と変わらないが、作戦行動中の部隊内ではその様相が大きく異なる。チームプレーを原則としながらリセットの判断が個人に委ねられているというこの独特のシステム故に部隊が全滅、さらにはメンバー間の相互不信につながり解散に追い込まれるということも少なくない。
少なくともバビロンの空にアクセスする者たちにとって、リセットは決して許すことの出来ない臆病者の烙印であり最大の恥辱として考えられていて死を恐れて戦場から逃亡するパイロットを侮蔑して憚らなかった。
「な、何だよオッサン。ズッ…ああ、ズッ…あのムスタングあんただったのか。ズッ…ハハッ、悪かったな。ズッ…」
変に陽気にスキンヘッド男が答えた。歳は20代前半と言ったところか。肩の骸骨のバニーガールというふざけたタトゥーの下にデスパーティーズと英語で入っている。
妙に陽気なのと時折鼻をすする仕草はコカイン常習者に共通する仕草だった。先にログアウトしてトイレかどこかで決めていたんだろう。もしかしたらあの異常な乱射も、恐怖で禁断症状の発作を起こしたのかもしれない。
麻薬のたぐいは脳のシンクロを乱すのでプレイヤーの間ではもっとも忌み嫌われる物の一つだった。
「悪かったで済むか!おかげでこっちは着陸時に足が出なくて死にかけたんだぞ。」
男は態度を全く変える様子がない。アルの様な大男に詰め寄られてもビビらない奴は少ないのだが、もしかするとこれもコカインの影響かもしれない。
「おいおい、何熱くなってんだよ、たかがゲームじゃん、ズッ…」
これには俺も頭に来た。「手前ぇ・・」とアルがなおも締め上げようとした時、アルの肩を誰かが掴んだ。事の成り行きを終始沈黙して見ていたジンだった。「何だ・・」と文句を言うアルを無視して振りほどき、無言でモーションに入ったと思うと、次の瞬間握った拳をスキンヘッド男の顔面にめり込ませた。
一瞬廻りが静まりかえる。アルも俺もジンの人となりを知っているだけに、これには驚いた。
男は奇妙なアクションで床に倒れ込んだ。立ち上がろうとする男の鼻先をジンはもう一度今度は蹴り上げた。男は血が噴き出した口を押さえながら何か言っているが折れた前歯から空気が漏れて良く聞き取れない。ジンは続けて男の胸ぐらを掴み顔を引き寄せて静かに言った。スキンヘッド男の目には動揺と明らかに怯えの色が浮かんでいる。
「1度しか言わないから良く聞け。Lv.10はお前が先週まで居たLv5とは別物だ。バビロンの空は戦士の空だ。臆病者の来るところではない。」
男は先ほどの陽気さはどこかに吹っ飛んだらしく、無言で聞いている。
「リセットしたくなるほど恐くなったら我慢せずにそう言え。俺じゃなくとも誰かが射殺してくれる。それで少なくとも他人を巻き込まなくて済むだろう…それとな、たかがゲームと思うなら最後まで戦って見ろ。」
男はカタカタとまるでゼンマイ仕掛けの人形のように、ただ顔面蒼白で首を縦に振るだけだった。
ジンは静かに立上り男をそこに残してもと居たソファーの方へ歩き出した。俺たちも後へ続く。廻りは事が起こっている最中はギャラリーも居たが、事が収束に向かう兆しが見えた頃、元のガヤガヤとしたいつものロビーの喧騒に戻っていた。
「済まなかったな、アル。お前の機体の修理はMidnight Sheepsのポイントで払う。」
ジンはアルに向き直りそう言った。
「あっ、ああ…それは良いんだが…俺はお前が切れるのを初めて見たぜ。奴はあのままで良いのか?」
アルもそうだが俺もジンがあんな風に他人を殴るのは初めて見た。今日は古い知人の意外な面をよく見る日だ。
「かまわん。どうせ奴とは今回限りだ。ユウ、今回の報酬だが獲得ポイントの30%を一人づつ持っていけ。俺たちは残りを貰う。」
それを聞いてアルの目が輝いた。接続前の契約では俺たちの報酬は個々の撃墜ポイントは別で全体の20%のはずだ。今回のBSPは目標の破壊だけではなく占領も絡んでいるからかなりの額になる。
「ちょっと待て、それではお前の所はいくら陣営所属とはいえ、修理と補給でほとんど残らないだろう。アルの機体の修理は別にして、俺たちは元の契約通りでかまわん。俺はお前からボルつもりはない。」
俺は抗議しようとするアルを制して答えた。ミーシャの機体の件もあるがそれは別の話だし、当のミーシャは相変わらずの無表情で沈黙したままだ。関心が無い訳では無いのだろうが、当初の契約ポイントさえ貰えれば別にかまわない様子だった。
「いや、良いんだ。別に気にしないでくれ。先ほどオキタとも話した結果決めたことだ。傭兵に持ち合わせているかわからんが、どうしても”良心”が痛むというなら、ユウ、今夜の酒はお前の奢りにしてくれ。それで今回はチャラとしよう。」
横にいたオキタも頷いていた。俺はジンが結構頑固者でプライドが高いということを知っていた。アルへの詫びもあるだろうが、おそらく自分たちの今回の戦闘に恥を感じているのだろう。これは奴なりの精算だった。
「わかった。それじゃ遠慮なく貰うことにする。」
奴は言い出したら聞かないだろう。俺は素直に貰うことにした。
俺たちは精算を終え、ジン、オキタ、俺にアル。それといつもは断るミーシャまでが珍しく同行する事になり総勢5人で飲み屋に向かうことになった。出口に向かって歩いていると、横合いから声が掛かる。見ると中年男1人と若いメガネを掛けた男のペアが接近してくる。若いのは初めて見るが中年の方は知っている顔だった。
「よう、今日は派手にやったそうじゃねえか?ユウ。」
この中年男は同じ傭兵仲間でウェンリーという。愛機はUSのP-38ライトニングだ。
「ネストじゃ結構話題になってるぜ、お前さんの獅子奮迅の闘いは。しかも占領がらみだろ?ロビンソンが目の色替えてお前達を探してたぞ。」
そういえば後で寄ると言いながら忘れていた。まあ、今日じゃなくても良いだろう。
「お前の方こそリーンの話に乗っかって稼いだんだろう?あっちも結構おいしい仕事だったもんな。」
アルが言葉を挟む。ウェンリーはアルとは結構仲が良かった。同じUS機同士、馬が合うのかもしれない。
「ああ、お前達ほどでは無いがな、そこそこ稼がせて貰った。ところでこれからどうするんだ?」
「これから飲みに行くところよ。」
上機嫌なアルが即座に答える。さっきまでの肩の痛みは、報酬額と修理代のボーナスでどこかに吹っ飛んだらしい。現金な奴だ。もしかすると、疑似裂傷も修理代をジンに請求するための演技だったのかもしれない。
「そうなのか?、いや俺たちもよ。なぁ、ユウ、俺たちも一緒に行ってもかまわんか?なに、俺たちの払いは自分たちで出すよ。」
そう来ることは予想できたが、今回はジン達もいる。
「今回は連れが居るんだが…」
俺は少々面倒に感じたが、振り返り一応ジンに返答を促す。
「俺達は別にかまわん。」
ジンはさして気にした風もなくそう答えた。オキタはジンが良ければ反対する様子は無いようだった。
「よし、じゃあ決まり。コイツはパク、俺と同じ”メザシ”乗りだ。な、場所は何処にする?」
ウェンリーは横にいた若いメガネの男を簡単に紹介した。無口なのか、単に緊張しているだけなのか、無言で軽く頭を下げ、向き直る時に俺と目が合った。これと言って特徴のない風貌だが、メガネの奥の眼差しが妙に冷めた、氷のような印象の男だった。
メザシとはP-38ライトニングのあだ名である。
ロッキードP-38ライトニング
150馬力2発 1675km/h
双胴の悪魔と呼ばれた、双発双胴の重戦闘機である。日本の連合艦隊山本五十六元帥乗機を撃墜した機体であることで有名。双胴双発の機体の中央にコクピットを設けたその形が、とにかく印象に残る機体。30平方m以上の大きい翼面を持つが、それ以上に2つのアリソン液冷エンジンと2つのターボ過給器系統から来る大重量のおかげで、200kg毎平方メートルを越える翼面加重の為、水平面での格闘戦はとてもできないが、900km/hにも達する急降下制限速度を利した一撃離脱戦なら、追随できる戦闘機は無いと言われる。
高速迎撃機としての開発コンセプトから装備されたターボ過給器のおかげで高高度における戦闘能力は優秀で、双発大型機ゆえに航続距離も長いと来れば、M型、9923機に及ぶ生産機数はうなずける。
太平洋戦線では重火力と大航続距離を生かし、ヨーロッパ戦線では高高度能力のおかげで、初期の爆撃機護衛戦闘機としてB17やB24の護衛を引き受けていた。
標準武装は20mm機関砲1門と12.7mm機銃4門だが、一部には変更された機体もある。翼内武装は無く、機首に集中装備されている為効果的に火力の集中が行われるメリットがあった。
それとコイツの対地装備はほとんど爆撃機の域に達しており、爆装したP-38は対地攻撃も出来る一種の万能機であった。
通常の戦闘機の操縦桿と同じ操作系統だが、大型機の操縦桿のような変わった形の操縦桿を装備していて両手でがっちりとホールド出来るようになっているのだが、高速で急降下した時の引き起こし時には有効だったと思われる。
ちなみに当時の日本軍パイロットは、格闘戦に持ち込めば簡単に落とせる事からぺろっと食える「ペロハチ」や、その形状から「メザシ」というあだ名で呼んでいたらしい。
「2ブロック先に良い店知ってるんだがそこに行ってみるか?」
得に店を決めているわけでは無かったので、みんなウェンリーの後に続き歩き出した。
ウェンリーのお勧めの店は俺やアルの予想を裏切り、結構洒落た店だった。店の名前は〈Wildcat〉という。
店に入るとカウンターに2人客が居るだけだった。カウンターの奥にはマスターとおぼしき白髪交じりの親父と、従業員であろう30前後の長身の男が、カウンターの客の相手を勤めていた。
俺たちはトイレに近い、店の奥のテーブルを陣取り、思い思いに席に着いた。
「ココのマスターは昔BABELのプレイヤーだったんだ。US陣営のF4F乗りだそうだ。」ウェンリーは上着をハンガーに掛けながらそう言った。
なるほど、それで店の名前が〈Wildcat〉なのか。
グラマンF4F Wildcat
1200馬力 512km/h。太平洋戦争時代、序盤戦で日本の零戦に対抗しえた唯一の戦闘パターンであったサッチ・ウェーブ戦法の考案者ジョン・S・サッチ少佐の搭乗機であることでも知られるUSの戦闘機である。
通常は12.7mm機銃4門の武装だが、一部には6門を装備したタイプもあった。しかし、生産ラインの違いや、重量増加による飛行性能低下を危惧され、すぐに元の4門装備へともどされている。
実際の所、重武装は高馬力のF6Fに任せれば良いと言う事になったのではないかと思うが、後継機F6Fの量産がそれだけ急ピッチに進んだと言うことでもあろう。
同時期に開発された1000馬力級の名機「零戦」に比べてパッとしないイメージがあるが、終戦まで護衛空母などに搭載され防空、哨戒、対地攻撃などに活躍した事を考えると派手さは無いが「良い」機体だったと言えよう。
席に着くとマスターがオーダーを取りに来た。
「いらっしゃい、ウェンリーさん。私はまだ現役のつもりなんですがねぇ。私のデーターはまだ、BABELに残っていることでしょう。適性検査だって通る自信はありますよ。」
冗談とも本気とも取れる言葉を言いながら、愛想良くおしぼりを渡してくれた。
「何言ってるんだかこの親父は…。でも60を越えた様には見えないだろう?」
そうウェンリーが言うと自然と一同の視線がマスターに行った。確かに60代に見えない肌の色つやだった。いってても50前半に見える。老兵は死なずと言ったところか。
「フフッ、嬉しいこと言ってくれますね。今日は大勢ですねぇ。まぁ、ゆっくりしてってください。」
そう言って一同一通りの注文を取り、老兵はカウンターの奥へ消えていった。
「雰囲気のいい店だな。店の飾りも気が利いている」
ジンは店の中を見回してつぶやいた。俺も同感だった。店のいたるところに飾ってある飛行機の写真やレプリカであろう航空機の部品も、決して煩わしく無く家具とマッチしていてマスターのセンスの良さを伺える内装だった。
程なく、先ほどの長身の男が、乾き物と酒を運んできた。
「そうだろう。何となく落ち着くんだよなこの店は。まずはとりあえず自己紹介といこうか。」
自分が案内した店が受けたので気をよくしたウェンリーが場を仕切り始めた。
「まず俺はウェンリー、さっきもちらっと紹介したが、こっちの辛気くさいのがパク。こんな奴だが腕は確かだ。2人共傭兵だ。」
パクはさっきと変わらず無表情で軽い会釈をするだけで、沈黙を続ける。
「このでっかいのがアル。その横の東洋人が…」
「知っている。」
ウェンリーの紹介を遮り、パクが沈黙を破った。
「元GE所属グラーフ隊のユウだろ。”鷹”の列機だった男。」
俺はスコッチのグラスを持ち上げる手を止め、アルが煙草に火を付ける動作の途中で固まり、パクを睨む。
「”鷹”のスコアーはあんたのアシストあっての物だったそうだな。」
俺は黙ったまま、パクの目を見つめ返す。別にパクの挑戦的な言い方が、かんに障った訳ではない。久しぶりに聞いた鷹という通り名の男を記憶から呼びだしていただけだ。
「そっちの2人も知っている。GE所属の爆撃隊Midnight Sheepsのアルファとその副官、爆撃成功率はGE1だそうだが、れいの件では災難だったな。だが、アルファたる者、伏兵の存在を常に考えて置くべきだったんじゃないか?」
喧嘩を売っているような挑戦的な言い方だが、当のジン本人は涼しい顔でグラスをあおってから、冷静に答えた。
「確かにその通りだ。」
その後にアルが口を開く。
「喋りすぎだぜ、兄ちゃん。口は災いの元だとママに教わらなかったか?」
アルの脅しのような物言いにも全く動じず、そのメガネの奥の氷のような瞳をアルに向け、話を続ける。
「ああ、あんたもユウと同じグラーフ隊の生き残りだったな。グラーフ隊自体強かったが中でもあんたら3人は強かったっけ」
俺はグラスを置き、パクの目線を外して聞いた。
「よく調べたな。リアルでは探偵でもやっているのか?俺たちのファンでサインがほしいわけでもあるまい。」
「別に、調べた訳じゃないさ。この世界は案外狭いって事だよ。実は俺も5年前の77CM攻防戦にUSで参加していたのさ。あの撤退戦でのあんたらは強かった。得に鷹は凄かった。俺はそのころ駆け出しの訓練生ですぐに落とされ、パラで降下中、鷹の闘いぶりに見とれていたよ。」
パクは目を細めて語っていた。当時の記憶を思い出しているのだろう。
「パク、もうそのぐらいにしておけ。色々相手を詮索しないのが傭兵家業の鉄則だ。場が白けちまうだろ。さっ、楽しい話でもしようや。」
ウェンリーが割って入ってパクも黙った。
その後はまた沈黙を続けるパクを除き、一同たわいもない話で盛り上がり、夜が更けていった。
午前1時を回った頃、最初にオキタがつぶれ、ウェンリーがトイレに行ったきり戻ってこなくなった。ミーシャとアルはいつの間にか床で眠り初めていた。
残り3人になって、かなり酒のペースが落ちた。
俺はある程度酒が回り始めてきたが、ジンとペグは全く変わる気配がない。ジンが酒に強いのは知っているが、ペグもかなり飲んでいるはずなのだが、顔色一つ変わらないところを見ると、酒にはめっぽう強いらしい。
酒が完全に回る前に、ジンに聞きたいことがあったのを思い出し、俺はジンに話しかけた。
「おいジン、いったい何があったんだ?お前の隊の他の連中はどうした?」
不意にパクが興味ありげな顔を俺に向ける。
「俺のことは気にしないで話を続けてくれ。それに俺はその件を知っている。」
そう言うとパクは自分のグラスに酒を汲み始めた。それを合図にジンは静かに語り出した。
「先月の話だ。俺たちはJPの爆撃機ベースに高々度爆撃する作戦があった。結構規模の大きな作戦で2チームの爆撃隊6機と3チームの護衛隊15機からなる総勢21機の編隊を組んだ。」
これはかなりの規模だ。普通1つの作戦行動で攻撃隊を編制する場合、多い方が有利だと考えるだろう。確かに本当の戦争だった場合、敵の主要基地を叩くのには出来る限りの戦力で攻撃する方が作戦の成功率が上がる。敵より多い兵を揃えるのは兵法的観点から見ても間違いではないし、強固に守りを固めた敵に対して、攻撃側は、防御側の約三倍の戦力を必要とすると言われている。
しかし、BABELはあくまでゲームである。最終的にゲームの目的が陣取り合戦であり、5陣営の内、いずれか一つの陣営の航空施設が0になった時点で1ゲームが終了するわけだから、数に物を言わせて攻め込めば良い様に思えるが、ここにBPSが絡んでくると考え方が変わってくる。爆撃機3機の編隊に護衛機が3機乃至4機程度で作戦をこなさなければ獲得BPSに足が出てしまうのだ。
この条件は敵にも当てはまるのだが、防御側の場合、基地の防御対空砲の他に迎撃に上がる戦闘機があり、さらにBPSの割り戻しが関係ないAIコントロールの戦闘機が加わる。
AI戦闘機の各陣営の保有率はその陣営が保有する工場の工業生産率に比例し、これを迎撃に使用するか攻撃隊に着けさせるか、はたまた哨戒に使うかは各陣営のスコードロン会議〈通称SQD会〉で話あいによって決まるが、大抵は哨戒か迎撃に使われる。
戦闘レベル設定が高いとはいえ、所詮はAIであり、複雑な機動で敵をくらますベテランパイロットには敵わないということだ。だが迎撃機として数を上げられた場合少々やっかいで、他の飛行場から援軍が到着するまでの時間稼ぎにもなる。
つまり施設攻略戦の場合、いかに少数戦力で効率良く短時間で敵の主要施設を破壊するか、という所にポイントが絞られる事になる。
基地攻撃の指揮を取る者は、作戦終了時の獲得BPSと攻撃時の戦力とのバランスに悩む事になるわけで、ここにBABELにおける爆撃戦略の難しさあるのだ。
先の事情から考えると、1つの基地を攻撃するのに21機の大編隊は明らかに過剰であり、間違いなく足が出る、効率の悪い作戦と言わざるを得なかった。
この作戦を主催した者は、BPS精算時には、参加者から相応のクレームを覚悟しなければならないだろう。それにしても、いくら酔狂好き、お祭り好きの多いGEとはいえ、良く21機も集まった物だ。
「攻撃目標は47CQ。例の〈要塞〉だった。」
頭の中にTCLv10のマップが浮かぶ。
47CQは現在JP陣内の一番南に位置する爆撃機飛行場で、元々爆撃機飛行場は対空設備が多い規模の大きな飛行場であるが、ここの廻りには戦車基地が密集し、攻撃すると即防御戦車や対空自走砲が殺到してきて猛烈な対空砲火を浴びせてくる。おまけに隣の40CM飛行場と距離が近くて、ぐずぐずして居ると援軍が殺到してくるという極悪なJPの地上施設で、まさに要塞と呼ぶにふさわしい様相を呈していた。
「あそこの攻略には、まず別働隊で40CMに牽制をする必要がある。あそこから迎撃機が上がってこられるとやっかいだからな。その後爆撃機編隊による高々度からの絨毯爆撃で地上施設を破壊する。高射砲や対空自走砲が届かない高々度爆撃なので爆撃自体はそれほど難しい事ではないが、絨毯爆撃と言っても廻りの工場全てを一度に破壊することは不可能だ。この作戦はむしろ爆撃した後湧いてくる地上車両が問題で、あの猛烈な対空砲火の中、上がってこようとする迎撃機を低空に貼り付け、占領部隊が到着するまでの間、バルチを仕掛ける続ける戦闘機隊が肝だ。そこで俺は護衛戦闘機隊15機全部をバルチに振り分けた。これでもおそらく半数は落とされると覚悟していたがな。」
そこまで話してジンはグラスに入った酒を口に含んだ。
確かにあそこの対空砲火は並じゃない。俺も何度か飛んだことがあるが、まるで洋上艦隊に急降下爆撃を仕掛けている気分だ。飛行場やいくつかの施設が破壊されて高射砲の数が減っているとはいえ、工場そのものの高射砲は健在であり、湧いてくる戦車や対空自走砲の数も半端ではないだろう。
47CQ攻略は獲得BPSかなりの額で魅力的だし、それ以上に名誉なことで成功させた者は文字道理、英雄だった。ただゲーム序盤で攻略が成功すれば、それなりに戦略的にもその後の戦闘を有利に展開できるのだが攻略に対しあまりにも戦力を消耗するので、あまりまじめに取り組む者が居ない。ゲーム終盤で、日頃人数の多いJPに対する鬱憤晴らし的な感覚で、1t爆弾多用の採算度外視した人数のお祭り的無差別攻撃で破壊するのが多かった。
「JPの領土とGEが拮抗していて、JPとの戦線は膠着状態だった。一気に状況を動かす起爆剤にするつもりだったんだ。」
なるほど、あそこを落とせば一気に畳み込む事も可能だろう。
GEは隣接する陣営がGBとJPで、主にこの二つの陣営との戦闘が激しく行われる。SUとUSは海に挟まれており、向こうの機体は航続距離が長くてたまに攻撃を仕掛けてくるが、GEの場合、全体的に足の短い機体が多く、艦船を運用した作戦行動によってでないと攻撃を仕掛けることが出来ないのだった。
「だが、ジン。1機も護衛に残さずに全機バルチに回したのか?お前にしては無茶な選択だな。」
俺は率直な感想を述べた。ジンらしからぬ采配のように思えたからだ。
「我々の高度は9700mに達していた。10000mに手が届くこの高度まで短時間に迎撃に上がってこれるJP機は居ない。仮に上がって来れたとしても、この高度では著しく性能が低下するはずだ。こちらは3機づつ密集体型で飛行しているから機銃の密度も高い。我々はその高度を維持しつつ2次爆撃のコースに入った。」
確かにジンの言うこともうなずける。JPと言わず、BABELの航空機でその高度で行動能力を損なわずに攻撃を仕掛ける事が出来る機体は少ない。
「確実に次も行けると思っていた矢先、予想外の事態が起きた。」
ジンはグラスの中の氷を眺めながら話を続けた。
「突然、上から攻撃を受けたのだ。我々のさらに上空から攻撃してくる敵機があった。混乱の中俺は上空を見上げ敵機を探した。ちょうど太陽を背にして一機の戦闘機が急降下してくるのが確認できた。太陽のため目視による機体確認は出来なかったが機種はすぐに分かった。ユウ、お前もわかるだろう?」
その通りだ、言わなくても分かる。高度9000mをこえて飛行する爆撃機のそのさらに上空から機体の運動能力を損なわず急降下攻撃を仕掛けられる戦闘機は、全陣営の戦闘機中1機しか存在しない。
「Ta-152 タンクか…」
俺は静かにつぶやいた。それと同時に記憶にある機体のスペックデーターを引き出す。
Ta-152 フォッケウルフ クルト・タンク
1870馬力 750km/h
現在の俺の愛機でもあるFw190シリーズの延長上に位置するGE陣営の機体。アスペクト比の大きな美しい主翼は幅が14.4mもあり日本最後の艦上爆撃機「流星」の主翼の幅とほぼ同じだけの長さを持っている。
10000m上空で750km/hを出し、与圧キャビンまで装備している為、高高度ではP51ですら手足が出なかったのではと言われる。レシプロ戦闘機としては、究極と言ってもいいだろう。
武装は30mmが1門と、20mmが2門。
残念ながら登場した時期的にさほど活躍できず、生産数はわずか60機ほどで、実戦配備された機体は、そのほとんどが世界初の実戦配備ジェット戦闘機であるMe262の離着陸時の援護に使用されていたらしい。
FW-190Dに搭載されていたJumoエンジンから、ダイムラー製 DB605の発展型へと換装されていて、これは凶悪な上昇力を誇るBf-109 Kシリーズの最終バージョンK4型と同じエンジンである。
また長時間の上昇飛行に対応して燃料搭載量が多く、足の短さがネックの他のドイツ機に比べるとかなり長い航続距離を持つ。
その特徴的な機体形状と類を見ない高々度性能から、〈究極のレシプロ戦闘機〉〈成層圏に棲む怪鳥〉などと呼ばれ、BABELの爆撃機パイロットから恐れられている機体である。
ただ、陣取り戦略の強いTCにおいて、爆弾を搭載できないタンクは戦略性に難があり、使用するパイロットは少なかった。
「傭兵の存在を忘れて居たとは言わないが、JP陣営は元々人数が多く、傭兵をあまり使わない。そういう固定観念もあったせいか銃撃されたとき隊は混乱に陥った。最初にうちの2番機が食われた。距離400でまずコックピット銃撃、続けてスイープして右翼の付け根を打ち抜かれ、翼が根本から折れた。2番機はクルクル回りながら落ちていった。最初の一撃でパイロットは即死だっただろう。奴はそのまま水平飛行に移り、後方の爆撃機に襲いかかった。我々は防御機銃で応戦したが、バレルロールでかわされ全く当たらなかった。奴は後方の1番機と3番機の間をすり抜け、すれ違いざまに両機のコックピットを打ち抜き、左下後方へ抜けて上昇に移った。恐ろしく正確な射撃で、一瞬のうちに我々は3機のDo-217-Jを失った。」
そこまで話してから、ジンは深いため息を吐いた。
「ちょっと待て」
俺は話を続けようとするジンに口を挟んだ。
「最初の一撃は別にして、時速700キロ前後で接敵しているんだ。いくらバレルによって速度が多少落ちたとしても、すれ違う訳だから相対速度になる。距離2000以上からのHO〈ヘッドオン〉状態の接近ならともかく、防御機銃の雨の中、その速度でそんな精密な射撃が出来るわけがない。」
確かに爆撃機は戦闘機に比べて、機動性は無いに等しい。元々空戦を目的で作られているわけでは無いから当たり前だ。大量の爆弾を搭載するわけだから図体もでかくなるし、スピードもでない。戦闘機にとって格好の的になる訳だが、爆撃機はそれを考慮に入れ防弾が優れているし、防御機銃による弾幕で敵機を寄せ付けない。堅い上に機銃による弾幕が厚いのだ。
余談だがUSのB-17が大戦中ラバウルなどの日本パイロットから〈空の要塞〉と恐れられていたのは防弾と機銃による弾幕が他の爆撃機に比べ高く、死角が少なかったことにある。
この場合のコックピット射撃は有効な攻撃になるわけだが、機体の大きさから考えて操縦席の風防ガラスの面積が占める割合は極めて小さい。時速700キロ前後で飛行する戦闘機から射撃するチャンスはいいとこ2,3秒の世界だろう。
ちなみに大戦中ラバウルのリヒトフォーフェンと言われた笹井醇一中尉も初めてB-17を撃墜したのが、正面攻撃による操縦席狙いだったと言われる。
最初のジン達の2番機を食った時は、上空からの降下中に狙いを付ける時間があるが、後方2機をすれ違いざまに、しかも同時に命中させることは、曲芸に近い。ましてや防御機銃をバレルロールでかわしながらとなると、もはや神業と言っても良い。
「だが、奴はやってのけた。そこで寝ているオキタも見た。」
ジンは床でひっくり返っているオキタをアゴで指した。
「後方に抜けた奴は、上昇して再度急降下攻撃を仕掛けてきた。各機回避行動を取りながら防御機銃で応戦したが、結果は同じく瞬く間に2機食われた。今度もコックピット直撃のPK狙いだ。残るは俺の機だけになった。時間にしてわずか78分の出来事だ。たったそれだけの時間に5機の爆撃機を落とされたのは、俺の経験のなかで初めてだ。そんな芸当が出来る奴は俺の記憶で一人しか知らない。」
俺は黙って聞いていた。だれを指しているかはすでに分かっている。しかしその人物ではあり得ない事も分かっていた。
「そのまま下に抜けていき、今度は突き上げて来た。俺は60度ほどバンクして、左に急旋回した。すると何故か奴は腹下の防御機銃破壊して、再び上昇、続けて背中の機銃打ち抜いて水平飛行に移った。この時点で俺の機は前方機銃を残すのみの、ほとんど丸腰状態だ。完全に遊ばれていると悟ったよ。そこから俺の機の下に潜って左のエンジンに射撃、左エンジンが停止した。」
「なぶり殺しにされたわけか…」
俺はつぶやいた。嫌な殺りかたをする。
「そこで奴は急上昇したかと思うと、速度を上げ、離脱してしまった。一瞬見逃してくれたのかと思ったが違った。エンジンが1機停止しているため高度が下がってきた俺たちの機は40CMから上がってきた迎撃機に補足され、袋にされた。奴はそこまでわかっていたのさ。だからとどめを刺さずに離脱した。何せほとんど丸腰だ、何とか一矢報いようと残りの爆弾を落とすことも試みたが、ハッチのオープナーが破壊されていて無理だった。下にもまだ何機か味方の戦闘機が頑張っていたが、程なく落とされ、我々は全滅した。その後はクレームの嵐さ、当初作戦を指示していた者も批判側に廻り、俺たちは参加者から相応の報復を受けた。」
俺は黙ってジンの話を聞いていた。この場合作戦内容云々と言うより、結果が全てなのは本物の戦争と同じだった。むしろ撃墜されたパイロットもログアウト後に再会が約束されているBABELの方が批判は激しいのかもしれない。
「8人いたMidnight Sheepsのメンバーも5人抜けてしまい。今では俺を含めて3人だ。ほぼ解散と言っても良い。」
一度信用を失ったチームがそれを回復するのは難しい。ランクが下がりメンバーが抜けて大きな作戦に参加できなくなると、稼ぎも悪くなると言う悪循環にはまっていずれは解散と相成る。ジン達のチームもその例に漏れず、抜ける人間が増えたのだろう。アルファとしては胃が痛いところで、新たに新メンバーを募集し再出発するか、解散するかの重要な選択を迫られる事になる。
「なあ、ユウ。お前にどうしても確認しておきたい事があるんだが…」
不意にジンが聞いてきた。少し歯切れの悪い質問の仕方だ。
「なんだ?」
「あいつは、本当にロストしたんだろうか?」
俺はしばらくジンを見つめた。少し考え、ジンが言う”あいつ”が俺が思い当たるそれとわかり、本気で聞いているのか確認したかったからだ。
「何が言いたい。そのタンクがあいつだとでも言うのか?それがあり得ないことぐらいお前も分かっているはずだ。」
「俺も馬鹿げた事を聞いていると思う。だがな、戦っている最中に俺は奴のタンクの尾翼に鷹とAのマークを見た。オキタも確認している。アレはあいつの機体マークだった。俺もあいつと何度か一緒に飛んだことがある。見間違える訳はない。パイロットタグでパイロットネームを確認したら”A”としか示されていなかった。」
ジンの顔は真剣だった。それだけに俺はバカバカしく、腹立たしく思えて少し声が大きくなってしまった。
「だからといって、そのタンクがアキラであるはずが無い。あいつがロストして病院に搬送されるのをお前も見ただろう。あの事件から俺は何度も病院に足を運んでいる。行くたびに、意識がないまま薄く目を開き、鼻や口から管をはやしてベッドに横たわる人形のようなアキラの姿を確認している。医者は回復する可能性は限りなくゼロに近いと言っていた。そんな状態でBABELにアクセス出来ると思うか?」
俺はテーブルを叩いてジンに言った。叩いた拍子にジンのグラスから酒がはねてテーブルを汚した。
ロスト〈未帰還〉とは、希にゲームからログアウトしても意識が戻らなくなる現象の事で、ロストした者は、完全に意識が無く、植物状態になってしまう。
運営側はこの現象についてシステム側のバグでは無いという公式発表をしているが、裏では専門の機関を設け調査していると言う噂で、BABEL運営に反対している民間団体などから抗議が多いらしい。
元々ロストするケースが少なく、そこに至までの課程に共通点が少ないことから、原因は未だに特定できていない。
俺は1度ロストして、そこから回復した例は聞いたことがなかった。
「では、アキラのその後に変化は無いと言うことだな。それを確認したかっただけだ。済まない、くだらん事を聞いた。忘れてくれ。」
ジンはこぼれた酒を拭きながら俺に謝罪する。そこへ今まで沈黙していたパクが口を挟んだ。
「鷹の最後を見たのは、ユウ、あんただけだと聞いている。だが撃墜を確認してはいないんだよな?」
「確かにアキラの撃墜は確認していない。かなりの乱戦だったからな。列機は長機を見失わないように飛ぶが、あの時点では俺も敵機をさばくのが精一杯だった。アキラも4機ほどまとわりつかれて苦しそうだった。落とされて反吐を吐きながらログアウトしたときには、すでにアキラのログイン表示は消えていたんだ。」
思い出したくないが、嫌でもその当時の記憶がよみがえってきて、俺の気分を暗くさせていった。
場を沈黙が支配した。
少ししてパクは独り言の様につぶやく。
「ロストした者の意識はどこへ行くのだろう…。まだバビロンの空を残留データーとして彷徨っているのだろうか…。」
それにジンが答える。
「それは有りえん。データーはあくまで記憶メモリだ。意識をシンクロさせるシステムとはいえ、人間の意識そのものがデジタルデーターに記録されるなんて事はあり得ない。」
人間の脳はものすごい情報量とプログラムデーターの固まりだ。それら全てをコピーすることは膨大なメモリーを必要とするだろう。BABELのシステムはその脳を錯覚させることで、あたかも本当に体験している様に見せるだけのシュミレーターにすぎない。
人間の意識を抽出してプログラムに統合されるなんて事が起こるのなら、もはやそれはゲームでは無いだろう。
では、ロストした者達の意識は何処へ行くのだろう…
しばらく3人とも沈黙し、それぞれの思惑を頭の中で巡らせていた。少ししてジンが口を開いた。
「酒も無くなったし、そろそろ帰るか。」
その一言で、俺もパクも帰り支度を始めた。
席を立つ際、合ったときと同様、冷めた目を俺に向けたまま、パクが言った。
「俺は、1度だけ見た鷹に取り憑かれているのさ。出来る事ならもう一度会って、戦いたい。出来ることならな…」
俺たちはそれについて何も答えなかった。アルとミーシャをたたき起こし、俺たちは店の外へ出た。外はいつの間にか弱い雨が降っていた。
みんなは適当に別れ、各自帰路に就いた。
俺は傘も差さず、濡れながら人影のない道を一人駅に向かい早足で歩いた。
大昔は眠らない町と言われたらしいが、こんな時間に環境汚染の影響で少量の酸を含む雨の中を、傘を差さず歩く人間なんていやしない。
歩きながら、俺はアルコールの回った頭で今日1日を振り返っていた。
『ロストした者の意識はどこへ行くのだろう…。まだバビロンの空を残留データーとして彷徨っているのだろうか…。』
パクの言った言葉が俺の頭の中でリフレインされる。
ジンはああ答えていたが、実はそれは俺もずっと考えていたことだった。
かつて、俺が唯一友と呼んだアキラという男の事を思い出しながら歩いていたのだが、アルコールのせいか、次第にアキラの輪郭に薄もやが掛かり、雨の音がゆっくりと後退していく。何処かに座り込んで気の済むまで眠りたい感覚に襲われながら、俺は駅に向かう足を速めた。



een 3  「狭間」

翌日、俺は住んでいるアパートから6ブロック先にあるアキラが収容されている病院を訪ねた。
バスを降りて、病院へ続く長い坂を上っていく。昨日の飲んだ酒の影響で軽い二日酔いになっていることもあるが日頃運動をせず、BABEL通いの毎日で、俺の足腰はすっかり退化してしまったらしく、坂の中盤で早くも悲鳴を上げている。
俺は休もうとする膝に鞭打って坂を登っていくと、しばらくして木々の間から病院の白い建物が見えてきた。
病院の正門までたどり着いて深呼吸し呼吸を整え、病院を見上げる。建物はまるでそこだけ時間の流れに取り残されたようなひっそりとした佇まいで来訪者を迎えていた。
俺は病院の玄関へ向かった。
玄関前のロータリー内はちょっとした公園になっており、昼食後の散歩を楽しむ患者達が多く見受けられ、俺はそこを抜け玄関の自動ドアをくぐった。
左手にある受付で、来訪者の記帳をすませ、受付で貰うビジターカードを胸に付けて奥へ進むと程なくガラスの扉が見えてくる。隣にはテンキーの付いた端末とセンサー付きのモニターがあって来訪者はそこで目的の病室を告げ、ビジターカードを識別されるとドアのロックが外れて先へ進むことが出来る。
目的の病室は病院の一番奥の病棟だった。
病棟へ続く長い廊下を進んでいく。人の気配は全くない。左には窓が連続してあり、外は中庭になっているらしいが、正面の公園とはうって変わり、昼食後の散歩や談笑している患者は一人も居なかった。この長い廊下を歩いていると、まるで違う世界に迷い込んで仕舞ったような様な感じになって、酷く心細くなってくる。
廊下の突き当たりに、入り口と全く変わらない自動ドアが有り、一瞬入ってきたのか出てきたのか分からなくなる。廊下が長いせいか考え事をしながら歩いているのでそう感じてしまうのかもしれない。俺はいつも連続した廊下の窓の向きで判断することにしている。
ドアを潜り、病棟に足を踏み入れると他の病棟とは明らかに違う点があることに気付く。酷く静かなのだ。そしてとても殺風景だった。
ココは植物状態の患者が集められた専門の病棟だった。時折、車いすを押している看護婦や、ストレッチャーを押しているスタッフにすれ違うが、一様に無表情で、挨拶をしても軽く頭を前方に傾斜させるだけで愛想というのは皆無だった。
植物状態の患者は、みなその表情に一片の意志の介在を認められない人形の様な顔で、どの顔も全て同じに見えてしまう。
人間の顔は、そこに表情が無いと、その人の顔を記憶に留めておくことが困難なのだ。患者と会っても、その人の顔を人間の顔という認識はあっても、その細部の特徴を覚えておくことが出来ない。俺はココに始めてきた時にそう気づいた。
ここのスタッフはどうやって患者を区別しているのだろうと考え、それが必要ではない事に気付き、俺は慄然としたことを思い出す。
意識が無く、回復の兆しも見えず、外界と接触する術を持たない人形のような者にとって、そもそも他者との区別など必要なかった。
社会的地位や過去、感情や記憶を一切リセットされた生ける人形達を、ただ人道的な立場で収容し、その世話をしている病院のスタッフ達としては、工場の流れ作業的な感覚になっているのかもしれなかった。
そんなことを考えながら、俺は目的の病室の前にやってきた。

ドアを開けると、ベッドが3つ並んでいて、一番奥に、前回訪れた時と全く変わらない趣で彼は横たわっていた。他のベッドは空いていて病室には彼一人だった。病室にはおきまりの花などは無く、傍らの生命維持装置意外は何もない、外と同様殺風景な部屋だった。
窓が開いていて時折レースのカーテンが風に揺れている。
普通、お見舞いとなれば花や果物などを下げて来るのだろうが、俺は手ぶらだった。初めてここを訪れたとき、花を持ってきたのだが、看護婦から、ここの患者には意識が無く、スタッフの仕事が増える等の説明を受け、もって帰る羽目になってしまったからだ。
俺は隣まで行き、前回の時と同じように、ベッドに横たわる男をのぞき込んだ。
他の患者同様、青白く無表情で薄目を開け、鼻から管が伸びている。その顔に意志を思わせる色は全く感じられない。布団から出た左腕からコードが伸びて傍らの生命維持装置に接続されていた。
俺は来るたびに、彼の体の何処かにスイッチがあって、それを入れるとあの懐かしい声で「何だ、来ていたのか、ユウ。」
と声を掛けてくるのではないかと、そんなことを思ったりして酷くやるせない気持ちがこみ上げてくる。
かつて、俺の戦友であり、バビロンの空で半ば伝説化している成績を収め、多くのプレイヤーから畏怖、畏敬の念をこめ”鷹”と呼ばれた男の現在の姿だった。
俺はベッドの横にある椅子に腰掛けて、彼を見つめながら、過去のアキラを記憶から引き出していた。
戦友としてのアキラという男を語るには、そう多くはいらない。
もっとも、彼のプライベートなことは、過去、経歴、家族構成、自宅、本名に至るまで全く知らない。と言うより知る必要が無かった。
これは彼に限ったことではなく、バビロンのプレイヤーの多くは本名を語らず、ハンドルネーム(接続名)やニックネームでお互いを呼び合い、お互いのプライベートに触れることはタブーなことだったからだ。
当然、アルやジン達の本名も知らないし、知りたいとも思わない。俺のユウキという名前もハンドルにすぎない。
つまり俺たちBABELのプレイヤーにとって、個人の本名などは必要ない。仮想空間である戦場での存在がその個人の全てであり、逆にそれ以外のリアルでの個人の要素こそ虚構であって、意味のない物であった。
そこを飛ぶ者は現実世界の年齢、キャリア、役職、権力、地位など、様々な差別的要素は一切役に立たず、プレイヤーには生き残る条件は平等に与えられる。そこで生きるには、自己の技量が全てであるのだ。BABELでのキャラクターは一つとして同じ者が無く、登録解除、またはBABELの運営が停止しない限り永遠の存在である。しかもプレイヤー達が等しく求めるハイレベルなキャラクターは先に挙げた権力、地位、または金などでは決して手に入れる事が出来ない。そしてそれは現実と違って何度でもやり直す事が出来る。皆が夢中になるのは当然と言えた。
それがバビロンの空を飛ぶパイロットにとって不変のルールであり、またかけがえのない誇りでもあった。
バビロンの空はいつもそんな人間達で一杯なのだ。
アキラもそんな人間達の一人だった。
彼こそは紛れもなく理想的なプレイヤーだった。冷静な判断力と正確な戦況把握能力を兼ね備えた隊長であり、驚異的な集弾率を誇る正確な射撃技術を持つパイロットであった。Ta-152をこよなく愛し、いつしか陣営内外から”鷹”と呼ばれるようになった。
俺は彼ほどバビロンの空に愛されたパイロットを知らない。
彼の交戦規定はBABELの原理に忠実だった。
突撃は常に有利な空位から攻撃を仕掛け、一撃離脱戦法を多用し、ひとたび不利と判断すると速やかに引く。そこに奇をてらう戦術は存在せず、乱戦になれば俺と2人1組のロッテで敵を攪乱しつつ味方部隊を収拾して確実に帰還に導く。無駄な戦闘は極力さけ、たとえその時の戦闘結果が意に添わなくとも、無理をせず確実に帰還し戦闘データーをセーブする。列機であった俺が言うのも何だが、俺やアルなど同じスコードロンの仲間もアキラの期待に良く応えていたと思う。
リアルでも間違いなくエリートの道を歩んでいたであろう彼が、何故BABELで疑似戦闘に明け暮れていたのか、今となっては探る術は無い。
気さくな性格で陣営内の人気も高く、少年のような人なつっこい笑顔が印象的で、彼を悪く言う者は皆無だった。
GE陣営で彼と共にバビロンの空を飛んでいた数年間は、友人関係に乏しく、殺伐としていてパッとしない俺の現在までの人生のに於いて、一番輝いていた頃といえるだろう。


俺が初めてアキラと会ったのは、8年ほど前だった。
当時、俺はTCLv5で腕を磨き、バビロンの空にデビューするべく、GEでメンバーを募集しているスコードロンを探していた。
ロビーの端末で募集しているスコードロンを検索していたが、なかなか良さそうなスコードロンが見つからず、Lv5でプレイしてはフロアーを上がりLv10のロビーで検索し、コーヒーを飲みながら中央モニターの戦闘映像を眺めては、期待に胸を躍らせている毎日を送っていた。
ある日、俺はいつものように端末で募集掲示板に目を通し、コーヒーを飲みながらモニターを眺めていると、声を掛けてくる男が居た。そちらを振り向くと、プロレスラーのようなひげ面の大男と、俺とさほど変わらない背丈の、ちょっと童顔の男が立っていた。
「あんた、バビロンの空は初めてかい?」
童顔男は少年のような笑顔で話しかけてきた。当時俺は20代後半だったが、俺より確実に年下だと思った。後で俺と同じ歳だと聞いて驚いた覚えがある。
俺が童顔男の質問に答えようとしたとき、続けて隣の大男が話しかけてきた。
「さっき端末で募集を検索してたろ。スコードロンは見つかったのか?希望陣営はGEか?」
矢継ぎ早の質問攻めに、何から答えて良いのか分からず、戸惑っていると、童顔男が大男の腹を軽く叩きながら言った。
「そう、急ぐなよ、見ろ困ってるじゃんか。物事には順序ってもんがあるんだよ。すまんね、コイツなれなれしくて。悪い奴ではないんだが…」
童顔男に言われ、すまなそうにしている大男の姿が、妙に滑稽で自然に笑みがこぼれてしまった。
「俺はアキラ。こっちのでっかいのがアル。2人ともGE所属のパイロットだ。もっともバビロンの空で飛んでまだ半年、階級は2人ともまだ少尉なんだけどね。」
アキラは軽く笑ってそう言った。これが俺たち3人の出会いだった。
「俺はユウキ。Lv5では、ユウって呼ばれていた。察しの通りバビロンの空は未登録だ。Lv5でのファイター階級はGeneral〈大将〉だ。」
俺はコーヒーを飲みながら答えた。2人は顔を見合わせてにんまりしていた。不思議がっているとアキラが説明し始めた。
「いや、ゴメン。馬鹿にしてにやけたわけではないから誤解しないでね。Lv5でもGeneralまで行くなんて、相当やり込んでると思ってさ。なるほど、Lv5とは言えGeneralとなると…、あっ、俺たちもユウって呼んでもいいかい?」
腕組みしながら少し考えて、アキラはそう聞いてきた。
「ああ、それはかまわないけど…」
「でも、Generalって言ったってLv5での話だろ?ここはあそことは別物だぜ。」
アルが口を挟んだ。
「何言ってんだよアル、俺と同じだよ。お前なんかMajorGeneral〈少将〉だったじゃん。」
「はは、そうだったかな」
アキラにつっこまれて、アルはそうはぐらかした。この二人の会話は本当に見ている方を楽しくさせる何かがあった。つい口元がほころんでしまう。
「それで、2人とも俺に何の用だったんだ?」
2人の会話をもっと見ていたい気もするが、このまま放置して置いたら話が前に進まなそうなので、俺から切り出した。
「そうだ、くだらない話で本題に入るのを忘れていた。今度俺たち新たにスコードロンを立ち上げるんだ。そのメンバーを探していたんだ。その結成メンバーに、ユウ、を正式にスカウトしたい。どうだ、一緒にやらないか?」
これには驚いた。そう来るとは予想していなかった。
「ちょっと待ってくれ。今会ったばかりでお互い知らないし、俺はまだバビロンの空を経験していないLv5のプレイヤーだ。この男の言うとおりGeneralって言ったってLv5での話だ。空戦技術だって見ないとわからんだろう。何故俺なんだ?」
俺は焦ってそう聞いた。変に期待されるのは苦手だし、嫌でもある。俺にしたってこの2人が新手のプレイヤーキラーかと思わない事もなかった。
戸惑う俺を見て取れたのか、アキラは笑みを浮かべながらこう言った。
「メンバーは、俺とアル、それにもうひとりボルクって奴が居る。今のところこれだけ。ボルクはアルと相性がいいからアルとロッテを組むつもりだ。俺は俺とロッテを組む列機を探していたが、なかなか見つからない。そんなとき、ボルクからLv5で俺によく似た闘い方をする、生きのいい奴が居るって情報が入って見に行ったんだ。実は、先週から時々俺はLv5のフロアーに行ってはモニターでユウの闘いを見せて貰っていた。」
俺は黙って聞いていた。彼から見た俺の評価を聞いてみたかったのだ。
普段、他人の評価などに絶対耳を貸さない俺がそう思った。この時点で、俺はこのアキラという男の内なる魅力に飲まれていたのかもしれない。そう思わせる何かが、彼にはあった。
「で…。俺はあんたしか居ないと思ったよ。俺もまだまだ偉そうな事は言えないけどね。多少荒削りだが、敵との距離を測る空間把握能力。それに伴った未来予測。突撃のタイミング。空戦は3次元の想像力が物を言う。それがなければあれだけの偏差射撃は出来ないだろう。」
アキラはそこまで言うと、胸ポケットから煙草を取り出し火を付けた。
「そこまで言われると気分はいいが、俺よりうまい奴も沢山居たはずだ。階級も俺より上の奴がな。」
それなのにどうして俺を選ぶのか、それをどうしても聞きたかった。彼は俺の目を見つめながら静かに続けた。
「確かに、先に挙げた技術では、ユウよりうまい奴も居た。すぐにでもバビロンの空で飛んでもそこそこ稼げる奴がね。けどね、俺が惹かれたのはそれだけじゃないんだ。」
沈黙しながら、俺は彼の言葉を待った。
「ユウの機動を見ていて分かったんだ。ユウも感じるんだろう?相手の”意志”が…あの機動を見ていて分かったよ。ユウは俺と同種の人間だ。」
そこにアルが口を挟む
「何だそりゃ。そんなの初めて聞いたぞ!?お前そんなこと俺に1度も言わなかったじゃないか。」
アルは不満そうにアキラにつっこむ。当のアキラは涼しい顔で答える。
「俺も他人にこの話をするのは初めてさ。アルはそんなもん感じなくても十分やっていけるから安心して良いよ。よけいな事考えずに本能だけで飛ぶ方がいい結果に繋がると思う」
「お前、それフォローになってなくねえか。そもそも一体なんだそりゃ?」
「自分に対する”敵意”の感知…」
アキラがアルに答える前に、俺が静かにつぶやいた。
「何言ってやがる。それじゃ何か?敵の考えていることが分かるって言うのか?そんなの有りえねぇだろう、映画じゃあるまいし。」
アキラはアルを制して、話を続ける。
「いや、ユウの言うとおり、確かに分かるのさ。俺も調子が良いときは相手のトリガーを引く瞬間の緊張まで明確に伝わってくる。そこまではっきり感じるのはBABELの中だけだがな。リアルでもそこまで正確ではないが漠然と相手の考えていることが分かる時がある。ユウもそうなんじゃないのか?」
確かに俺は常にアキラの言う相手の敵意を感じながら戦闘している。
ガキの頃からそうだった。
どんなふうに感じるのかを問われると、説明に困るのだが、例えば何かの理由で喧嘩になったとする。
誰でも喧嘩の相手が切れる瞬間や、殴りかかってくる時は何となく分かると思う。俺の場合その瞬間がもう少し明確に感じ取れるのだ。殴りかかってくる瞬間の相手の思考やどちらの腕で殴るとか、はたまた蹴りを入れてくるのかとか…
つまり、逃げられない状況で話を早く終わらせたくてわざと殴らせる場合を除き、俺に敵意を持って仕掛けられた攻撃を簡単に避けることが可能なのだ。
だから俺はガキの頃から、喧嘩であまり大怪我を負ったことが無かった。相手の攻撃方法や狙ってくる部位などが漠然と感じ取れるから、殴らせるときも急所を外させるので当然だ。
残念なことに、映画などで出てくるテレパシーとは違って、俺のこの能力は敵意に限定されるのが不便ところで、敵意のない相手や事故などには全く役に立たない。
リアルではただ漠然と伝わってくるのに対し、BABEL内ではそれがより鮮明に感じ取れた。少し意識をそちらに集中すれば、まるでラジオのオープンチャンネルの様に多方面から他人の様々な思考が頭の中に流れてくるのだ。
最初のうちはBABELの一機能なのかと思っていたのだが、しばらくして自分だけなのだと気づいた。
しかし、あの数分間のモニター映像を見ただけで分かるとは…このアキラという男の洞察力に、俺は正直驚いた。
「昔、人間は電気で動いていると言う学説を説いた学者が居た。脳からの指令を各神経に伝達する際大脳と神経を繋ぐニューロンには微弱な電気信号が流れる事から、その学者はそう言ったそうだ。その信号を出す際に微かな電磁波が発生する。この発生する電磁波の周波数のチャンネルに自分の脳を無意識に合わせてしまう人間がたまに存在する。それがテレパシーの正体だという話だ。この学説は当時誰も相手にしなかったが、彼の死後しばらくしてクローズアップされた。現に前世紀では都市部にあふれる電磁波の影響で脳や身体機能に悪影響を及ぼすとされ社会問題になったこともある。BABELは大脳に直接人為的な電気信号を与えてプログラムにシンクロさせるシステムだ。おそらく視覚、聴覚を経由しないで脳内の活動を人間が行動できる状態まで覚醒させ、それをデジタル信号によってあたかも実際に体験している様に脳を錯覚させる為、行動時に発生する相手の電磁波を受信して居るんだと思う。BABELはデジタルの仮想空間だ。誰でもと言うわけではないが、元々リアルでもその感覚を少し覚醒させている俺やユウみたいな人間は顕著にその症状が出るのだろう。この能力はBABELでは有利だぜ。何せ敵機の行動が手に取るようにわかるんだからな。」
アキラは少年のような笑顔でそう言った。
確かにあり得る話だ。この時代、様々な脳内のメカニズムが明らかになったとは言え、まだ人間の脳は未知の部分が多い。その脳に外部から人為的に信号を送り、プログラムにシンクロさせ、あたかも現実のように錯覚させるのだから五感のほとんどを使用しない。そのような条件下に置かれた人間の脳が別の感覚に頼ろうとしているのかもしれない。
それは置かれた状況に適応しようとする生物の生存本能のような気さえしてくる。
脳の未知なる領域を喚起させるシステム―――――
この話をするまで、俺はBABELというゲームをこんな形で考える事はしなかった。
元々原型は〈戦闘訓練シュミレーター〉という話だが何となくこのBABELというシステムの”ゲーム”以外の違う側面を垣間見た気がした。
そもそもBABELのシステムには発表当初から謎が多い。
システムの概念自体の解説はあっても、技術的な発表は企業秘密として公にされていない。プログラムセキュリティも万全で国家機密なみのガードが設けられている。ハッキングに対抗するべく何重にもプロテクトが掛けられており、毎日パスワードが更新されガードを突破するのは不可能に近い。
過去、いくつかの世界的にも名の知れたハッキング組織がBABELのセキュリティに挑んだが、その全てが、ことごとく失敗に終わり逆に所在を割り出されて一斉検挙。壊滅させられていた。そのことから、裏の社会ではBABELは”手を出してはいけない物”という暗黙のルールが出来たようだ。
実現できない計画、事柄などを「バベルの塔」と言うらしいが、まさにその通りであると言える。
その当たりの事情もBABELにまつわる謎をより一層ミステリアスな物にしている。
もしかしたら、このシステムそのものがまだ実験段階なのかもしれない。そんな得体の知れないシステムが与える快楽に興じている俺もまた、この時代を象徴している人類の一人なのだという妙な実感が湧いてくる。
未知なるシステムが与えるリスクが、何の変哲もない平凡な毎日が与える退屈という名の苦痛より遙かにマシだと思える人々にとっては、破壊と殺戮に満ちたBABELの世界こそまさに理想の世界なのだった。
「それじゃお前、相手の弾なんか絶対当たらねぇじゃねえか。なんかズルくねえか?」
アルが不満そうにつぶやく。
「1対1のドックファイトならな。けどバビロンの空はそうじゃないだろ。敵機の動きが多少先に解ったところでそれに対応する操縦技術を持ってないと意味がない。それに乱戦ともなれば敵弾全てを交わせはしない。そんな万能な能力じゃ無いよ。」
アキラは眉を寄せ、紫煙を深く吐きながらアルに答えた。
「けど、列機までその能力を持っているとなると強力なロッテになる。ゾクゾクしてこないか?突撃のタイミングなんか計らなくとも多分ピッタリ同時だぜ!なあ、一緒にやろうよ、ユウ!」
俺の喉元に視線を移しながらアキラは言った。
アキラのその仕草に俺は何となくアンバランスさを感じた。何がどうというわけではないのだが、奇妙な違和感を覚えたのだ。似たような違和感を、昔どこかで体験したような気がするが思い出せない。どうせ思い出せないのは、大した事では無いのだろう。色々考える事が複雑に絡み合い、軽い混乱を招いていた俺は記憶の検索を中止して、今言える最も凡庸な言葉を返すのが精一杯だった。
「少し考えさせてくれないか?」
俺はそのときこう答えた。仮に彼が言うように、その通りで、俺の能力を彼が正確に把握していたとしても、何事にも決めつけられるのが嫌いだったからだ。
といえば、聞こえは良いが、単にそれしか思い付かなかったという方が極めて実情に近い所だ。俺の人付き合いの悪さもこのボキャブラリーの無さに起因しているのかもしれない。
しかし、そう答えたものの、節操なく次の日には俺はアキラの主催するスコードロンに所属し、彼の列機でバビロンの空を飛ぶことになっていた。
スコードロンの名は〈グラーフ・ツェッペリン〉通称グラーフ隊といった。
正直、アキラの戦闘は見事の一言に尽きる。天才とは本当に居るのだと改めて認識した。彼の能力を評価する上で、射撃技術の高さや戦略、戦術の評価が高かったが、俺としては特にそれが崩れた時の撤退戦での部隊収拾能力を高く評価し、また信頼していた。
作戦はあくまで計画であり、現場では何が起こるか分からない。勝ち戦ならいいが、負け戦の状況でこそ、人はその真価が試される。
戦略、戦術の周到さは当然として、作戦が失敗したときの混乱状態を収拾し味方部隊を確実に退却させる能力は、現場指揮官にとって部下に絶対的な信頼を得る最高の要因だと俺は思う。
撤退戦という極限な戦闘の中、混乱状態に陥った兵士にとって”彼に付いていけば生き残れる”と言う意識を持つことがどれだけ心強いだろうか。それについては現実の戦闘でも虚構の戦闘でも変わらないのだ。
指揮官は時として部下を将棋の駒のように扱わなければならない状況に直面する。
大局を見据え、時には捨て駒として運用しなければならない時もある。頭では解っていながらも、捨て駒になるパイロットの心境は複雑だ。もちろんそれは指揮官も同じだがその捨て駒をどう割り切るかではなく、どう生かすかによってその指揮官の器量が決まる。
パイロットが指揮官を裏切り、または指揮官がパイロットを切り捨てる。そのうちにチーム内に疑心暗鬼が生まれ、やがて解散していくチームは掃いて捨てるほどある。
人は恐怖や打算によって容易に他人の信頼を裏切る。そうであると解っていながら人を信じずにはいられない。それによって裏切られ、また自らも他人を裏切る。
たとえそれが虚構の中の生死とはいえ、あくまで他人である仲間信じ、自分の命を預けるのは難しい。むしろ戦死したあとにリアルでの再会が約束されているBABELでの戦闘の方が、その人間の評価について当人と向き合う分、厳しい物になる。
戦場が人の真価が試される場であるなら、その意味でBABELは人間が作り出した究極の戦場であるといえよう。戦場こそが人を試みる最適の場所であると言っても過言ではない。
そのあたりの事情をひっくるめて、アキラは信頼に値する指揮官だった。
我々グラーフ隊は、最終的に8人になり、2人1組のロッテといわれる最小戦闘編隊を組み、さらにそのロッテを2つ組み合わせたシュヴァルムという編隊を2編隊形成して戦闘にあたった。
ロッテとは、1938年、スペイン内乱末期にドイツ空軍ヴェルナー・メルダース中尉(当時)によって編み出された編隊戦闘法である。
それまでの編隊は、長機1機に対して列機2機がサポートする「ケッテ」と呼ばれる 3機編隊が主流だった。
メルダースは当時最新鋭だったBf 109メッサーシュミットを駆って戦った最初の実戦において、その固有の戦闘性能をフルに引き出すには既存の編隊戦闘理論では無理があるとの結論を導き出した。そこで考案されたのが、長機と列機の2機編隊を基本に集団全体を編成するロッテ戦法だった。主に攻撃を担当する長機に対して列機の任務は長機の後方警戒と戦果確認だったといわれる。
このメルダースが考案したロッテ戦法はその価値が認められ、第2次世界大戦におけるドイツ空軍の代名詞的機動法となった。
後に連合軍側もこの戦法を模倣するようになるのはロッテの集合編隊であるシュヴァルムに対抗するにはシュヴァルムしかなかったという事実の現れだとも言われている。
ちなみに味方のロッテ戦法に対して敵機も同じ戦法をとっていた場合は、非常に複雑な結果となるが、実際には最初にバックを取られた時点で攻撃された側の編隊はその隊形を乱すことがほとんどであり、ロッテ戦法といえども高位から先に敵を発見した方が有利な事に変わりはなかった。
またロッテ戦法の場合はごく1部の例外を除いてその戦闘は基本的に一撃離脱、乱戦を避ける事で列機を守るという手法を採ることが多かった。
なおシュヴァルムでの戦闘の場合は、前方に位置するロッテが攻撃専門、後方のロッテが防御を担当するという形になることが多いが絶対ではなく、パイロットの技量に応じて攻撃と防御を入れ替えることも珍しくはない。こうした臨機応変な機動が可能だったのもロッテ=シュヴァルムの最大の特徴でありそのバリエーションは限りなく存在する。
我らグラーフ隊もこのロッテ=シュヴァルム戦法での一撃離脱攻撃を徹底していた。
これはアキラの無駄な戦闘は極力避けるという交戦規定に合致していただけでなく、GE機自体が格闘戦を想定した機体がほとんど無く、GE機特有の抜群のロール性、スピード、上昇力を生かせる最良の戦法だったからだ。
ロッテで問題なのは、長機と列機の連携である。連携がうまくとれたロッテはかなり強い。俺たちグラーフ隊のロッテは陣営内外からも評価が高かった。
特にアキラと俺の1番隊ロッテは自分で言うのも何だが強かった。なにせお互い例の相手の意志を関知する能力を持っているから、敵機の意志を関知した直後に2人とも同じ回避行動に移ることが出来る。
攻撃に際しても、敵機の機動を先読みして牽制射撃を行えば、アキラにとって理想的な射撃ポイントに敵を誘導する事が出来た。加えてアキラの偏差射撃の技術は天才的だった。
俺も射撃技術には多少の自信があったが、アキラのそれは桁違いに正確で、俺も戦闘中しばしばその射撃に見とれることがあったほどだ。
アキラの驚異的な撃墜スコアは、確かに例の能力の効果もあったろうが、この正確無比な射撃技術に因るところが大きい。
俺はアキラの長機としての能力を信頼し、アキラも俺という相棒を信頼していたと思う。
俺たちグラーフ隊は、アキラの指揮の元、様々な作戦に参加し、めきめきと実力を付け月のランキングでは常に上位に入るチームへと成長した。
そんなある日、あの事件が起こった――――


2005-01-21 19:44:06公開 / 作者:Rightman
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■作者からのメッセージ
第1章、第2章が長くなりすぎました。
どの当たりで区切ったら良いか迷ってしまいあのように長くなってしまいました。
第3章は少し短くしました。
世界観を伝えようとするとどうも説明文になってしまう傾向があり、読みにくい物になってしまいました。
改めて難しさを実感しております。
感想、アドバイス等、宜しくお願いします。
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