『花物語・白詰草〜希望〜』作者:和宮 樹 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約24.15枚
・信仰




「愛している人の欠点を美点と思わないほどの人間は、愛しているのではない」
                        <ゲーテ『格言と反省』より抜粋>



 喧嘩するほど仲が良いという言葉は誰がつくったのだろう。
 じゃぁいつになったら俺たちは仲良くなれるんだ?
 いってみろよ”誰か”さん。
「まいったな……」
 恨めしいほどに澄み渡った空を見上げながら俺は頭を掻いた。
 先ほどまでいたバイト先の珈琲の香りが服の袖から鼻にとどく。不意に腹の虫が目を覚ました。感傷はおまえさんには似合わねぇよ? そういわれた気がして、俺は口の端を上げるとポケットに手をつっこんで歩き出した。

 就職活動がことごとく不発に終わり、大学にいくほどの頭もお家事情もかんばしくない俺はかといってさしてやりたいことがあるわけでもないため、とりあえず休養期間などという意味があるようで何一つ意味のない日々を送っていた。
 幸いウチの両親は放任主義のために口うるさくはいってこないがそれでもやはり息子の将来は心配なのだろう、ときどき夕食を食べにきなさいといってくれる。
 高校時代に貯めておいたバイト代でいまはひとり暮らしをしている俺だが、結局のところ自立しているとは到底いえない状況だ。
 別に両親に援助してもらってるわけじゃないけどね、内面の問題。
「さて、と。晩飯はなににするかな……」
 台所のこじんまりとした冷蔵庫を開けて食材の確認をする。
「ふむ……」
 メインになる食材が、ない。
 野菜はあるが肉がない。一大事だ。
 野菜炒めをつくれって? 馬鹿なことをいっちゃいけない。それには最低でも”豚コマ”が必要だ。
 なに? ひとり暮らしで肉なんて贅沢だって? これまた馬鹿なことをいっちゃいけない。自慢じゃないが俺は食事にゃうるさいんだ。そんなしみったれたおかずじゃ飯がうまく食えない。
「しかたない、買い物にいくか……えっと……」
 今日のお買い得品はなんだったかな?
 テレビの横に置いてある雑誌やなんかを入れたボックスからチラシを取り出す。
 ちなみに俺は新聞をとっていない。じゃぁどうして持ってるのか、て? え〜と、それはたぶん親切な誰か、たとえば隣の留守がちな人が俺の部屋のポストに投函しておいてくれるからだろ? …………えへ?
 ……気にするな。
 資源の有効活用というやつだ。うん。そうだ、俺は正しい。
「おぉ、今日は鳥のささみが特売だな」
 自分の正当化が見事成功したのでそのままのいきおいで――もしくは罪悪感という単語を思い出す前に――部屋をでてなじみのスーパーへと向かった。

 さて、困った。
「ない……」
 目当ての”鳥ささみ”はすでに売り切れていた。とうの昔に売り切れていたのなら素直に諦めがつくのだろうが、周囲をちょいと見回すとそこココの奥様方のカゴの中にはことごとく”鳥ささみ”が……
「まいったな……」
 天井を仰いで頭をかく。そこに空はなかったがやはり服の袖からは珈琲の香りがした。
 人間目の前に目当てのものがあると、それをどうしても手に入れたくなってしまうものである。
 さりとてこの店にはもはや目当ての”鳥ささみ”はない。
 ついいましがた店員を捕まえて胸ぐらつかみ上げながら在庫がないかどうかを問いつめてみたものの、神様はそんな幸運を俺に与えてはくれなかった。
 神様ってのは融通がきかないらしい。
「しかたないな、他の店にいってみるか」
 今日はどうしても”鳥ささみ”という気分なのだ。鳥ささみとシメジとエノキダケとマッシュルームとタマネギのスライスを炒めて、そこに缶詰のホワイトソース半分と自分でつくったホワイトソース――バターをミルクパンで溶かしてそこに塩、胡椒、牛乳、水溶き片栗粉を入れるとできる。お好みで白ワインを少し加えるのもよし。あ、片栗粉は火を止めてから入れないとダマになるので要注意――にヨーグルトを加えてゆであがったパスタも一緒に全部を絡める。
 それが今日の晩飯の献立。
 それはもうどうしようもないくらいに、決定的なことなのである。
 だからそれを現実のものにするためには多少の金銭的問題も移動の労力にも目をつぶることにやぶさかではない。
 とにかくね、どうしてもそのパスタが食べたいの、俺。
 そうこうしているうちにまたもや腹の虫が抗議の声をあげる。
 どうやら事態は急を要する模様。いざゆかん。
 移動手段は自転車。いずれは車の免許が欲しいが当分はその予定はない。金がないから。
 しかし自転車というのは小回りきくしなにより燃料がいらない。非常に便利かつ環境にも俺の財布にも優しいヤツだ。
 軽快に土手沿いの道に自転車を走らせる。
 前髪が風で後ろに追いやられ、うなじの髪は幼子に引っ張られるような感覚でなびいていく。
 夏が近いせいだろうか、すでに6時をまわっているはずだが陽はまだ高く土手下のグラウンドではどこぞの少年野球チームが甲高い声をあげながら元気よく練習をしていた。
「ご苦労なこった」
 彼等の中にもあと数年後には俺と同じような状況におちいる者がいるのだろうか。
 今はきっとなにやらすばらしい夢というものを持っていて、それが叶うことを誰よりも信じて疑っていないのだろう。
 神様なんてどこにもいないのに。
 信じる、というのは言葉にすれば簡単なことだが、それだけでは何一つ叶うものはない。俺にだって夢を見、未来を信じて疑わなかった日があった。しかしそれにたいして努力をしなかったためにこんな現在がある。
 大概そんなものさ。
「あ、草太」
 誰かが俺の名前を呼んだ。
 確認するまでもない。その声の主が誰かなんて太陽を指さしてあれはなんですか? と尋ねるのと一緒だ。
「げ、まゆみ」
 彼女の姿をみて大げさに驚いてみせる。
 案の定、
「げ、とはなによ。あいかわらず失礼なヤツね」
 なんて返答がかえってくる。
 あぁその眉間にシワ寄せて”八の字”にした眉がなんとも愛らしい。という心中はおくびにも出さない俺。
「こんなところでなにしてるの? 散歩、じゃないよね」
「そういうおまえこそ」
 彼女は俺と同じ喫茶店でバイトをしている。陽にあたるとうっすらと茶色がかる髪とくるくるとよく動く瞳が印象的な女の子だ。
 まさかこんなところで会うとは思っても見なかった俺は、落ち着きのない心臓を必死に悟られまいとする。
 神様、あんたもなかなかイキなことをしてくれる。
「ちょっとねぇ、なんかこのあたりってホラ、クローバーがたくさん咲いてるじゃない?」
 いわれて土手を見渡す。
 確かにここにはいたるところに無数の三つ葉の絨毯が敷き詰められている。そしてところどころ雪を散らしたかのように白い花が咲き誇っていた。夕暮れ前で河の冷気を帯びた風が吹き上げるとその白詰の花や葉は笑いあい、肩を揺らすようにさやさやと身を躍らせる。
 同じように土手に視線をやっている彼女の横顔を気付かれないように横目でみる。
 頬にかかる髪を風で乱さないために右手で左耳を押さえるようにして庇う仕草が、まるで何かを祈っているみたいだ。少し細めた瞳には憂いすら見て取れるような気がした。腕でかくれた唇はかみしめるようにひき結ばれているのだろうか。
「四つ葉のクローバー、ありそうじゃない?」
「は?」
 髪を押さえていた手をどけると新しい玩具をもらった子供のような、にっ、と形作った唇と白い歯が現われた。
 感慨なんて言葉を知っているような女の子なら俺の気持ちにとっくに気付いてくれてるわな……
「ほら、手伝ってよ」
 こっちの用などお構いなしで手を引っ張られる。
「なに、四つ葉のクローバーって、信じてんのか? 幸運の神様」
「あったりまえじゃない。信じる者は救われるってね、いいから探しなさいよ」
「はぁ……もうちょっとさぁ、デートらしいこととか……」
「ん? なんかいった?」
「おまえがそんな信心深い女の子だとは思わなかった、ていったんだよ」
 俺がそういうと彼女は座り込んで落としていた視線を顔だけ俺のほうに向け、不思議そうな顔をしてこういった。
「嬉しくない? 四つ葉のクローバーみつかったら」
 考えたことがない。そもそもそんな少女じみたことなんて俺には無縁のことだ。
 どう答えればいいのかと頭をひねっていると、不意に彼女は立ち上がり、
「帰る」
 といってスカートの裾を軽く払って土手を上り始めた。
「お、おい」
 なんなんだよ、人をいきなり引っ張ったかと思えばろくに探しもせずに帰るのかよ。
 彼女は先に土手を上がると俺の方を振り返り、しゃがみこんで片手の平を上にして”おいでおいで”をしてきた。
 犬か、俺は。
「どうしたんだよ、探すんじゃなかったのか?」
 彼女の隣りに、同じようにお尻をつけないようにして膝を抱え、しゃがみこむ。
 スカートに半分ほど顔を埋めるようにして眼下の少年たちを眺めていた彼女は視線を動かさないまま、
「草太ってさ……」
「ん?」
「…………おみくじとかって引かないたち?」
「う〜ん、ここ何年かは初詣とかいってないからな」
 受験に備えてげん担ぎなんてするほどの真剣さを持っていなかった。そういうイベントでもないかぎり他の理由で神社にいくようなこともない。
「そっかぁ」
 おそらく彼女はおみくじの結果で一喜一憂するのだろう。毎朝の星占いなんか必ずチェックしているに違いない。
 いつだったかどこぞの星占いでラッキーアイテムがピーマンだったとかで、バイトの昼休憩のときに涙目になりながら食べてたことがあったな。
 女の子ってのはそういうものなのだろうか?
 まぁ彼女はそうとう変わっているとは思うが。
 なにもあそこまで無理しなくてもなぁ、結局あのあと気分悪くして帰ったしな。
 そういうところが可愛いなんて思っちまう俺もそうとうな馬鹿者かもしれないがね。
「ん〜……」
 なにをそんなに悩んでいるのかはわからないが、ひとしきりうなり声をあげたあと、
「よし! 帰る!」
 結論が出たのだろうか? 勢いよく立ち上がり「じゃね」と一言だけいってさっさと帰っていった。
「…………」
 台風が過ぎ去ったあとのような妙な爽快感の中、俺は彼女の背中を頬を掻きながら見送り、
「あぁ!!」
 急いで自転車に乗ってこぎ出した。
 スーパーがしまっちまう!
 いつのまにか少年野球の子供達は姿を消し、誰もいなくなった河川敷にはゆっくりと夕闇が濃い群青の帳を空から降ろし始めていた。
 四つ葉のクローバーね……
 ま、暇があれば探しておいてやるか。
 とりあえずは”鳥ささみ”のほうが今の俺には大事だ。
 
 翌日、彼女は予定の時間をいくら過ぎてもバイト先に現われることはなかった……



・希望



 喫茶店において一番重要なポイントはどこかというと、やはりいかに珈琲がうまいか、につきると思う。
 同じ豆を使っているとしても淹れかたしだいで味は格段に違ってくる。
「草太、カフェ・オレひとつ」
 マスターから声がかかる。
「ウィムッシュ」
 足を交差させ、左手を後ろにまわし、右手を胸にあててうやうやしくお辞儀をする。
「なんだそりゃ?」
「気にしないでください。最近のマイブームなだけです」
 呆気にとられているマスターを置き去りにしてさっそくカフェ・オレにとりかかる。
 まずは珈琲からだ。
 あらかじめ豆をフライパンで煎り、ミルで挽いたものをカップに適量投じる。次にサイフォンを用意して火にかけ沸騰までしばし待つ。
 そういえば今日はまゆみのやつどうしたんだろうな? どうも無断欠勤みたいだが、風邪でもひいて寝込んでんのかな。
 見舞いにいきたいのはやまやまだが住所を知らない。マスターから聞き出すってテもあるが、なんかそれって、ねぇ? いかにもって感じだろ? それにいきなり見舞いにいったりしたら彼女もびっくりどころかヘタすりゃひいちまうかもしれないしな。
 不覚にもいまだに携帯の番号も知らないありさまだし……我ながら奥手にも程がある。
 と、考え事をしてる間にお湯が沸いたようだ。ここであまり沸騰させるのはよろしくない。火から下ろして気泡を落ち着かせ、珈琲の粉を小さなカップ一杯分の大きさしかない専用の鍋にのせたドリッパーの濾紙にいれる。
 ここからが一つ目のポイント。
 いきなりなみなみとお湯を注いではいけない。まずは”○”を一つ描く。”蒸らし”という作業だ。これで香りがよくたつようになり、粉が”焦げる”のを防ぐことができるってぇわけだ。いきなり全部注いじまうと味にエグ味がでてしまうのだよ。
 その後は何回かにわけてドリップする。このね、湯の吸い込まれていく瞬間が好きなのですよ。なんかさ「あぁ俺は珈琲の伝道師なんだな」って感じるんだよなぁ。よくわからない? わかってくれ。
 これがわかる人、あなたはそうとうの珈琲馬鹿です。えぇ、間違いなく。
 ま、それはそれとして。
 背が高く細いグラスを用意。カフェ・オレはここからが難しい。
 サイフォンに少し余らせておいたお湯を注ぎ、二三度グラスの中で遊ばせて温める。お湯を捨てた後、硝子棒を使って中に珈琲をしずしずと流し込む。ここでできるかぎり波立たせないようにしなくちゃぁだめ。
 さぁ勝負所がやってきた。腕のみせどころだ。
 ミルクを取り出す。
 深呼吸を一つ。精神集中。
 落ち着いて、ゆっくりとミルクを注ぐ。するとミルクは珈琲とまざることなく黒の水柱の上に白の水柱を形成していく。
 黒7にたいして白3くらいの比率。完璧だ。
 珈琲とミルクの境目でかすかに身もだえするようにして白線が踊る。芸術とも呼べる一品のできあがりだ。
「はい、カフェ・オレあがりです」
「はいよ」
 マスターが慎重にグラスをトレーにのせて客席に運ぶ。運ぶのもまた熟練した技術が必要だ。まともな人間なら素人にカフェ・オレを運ばせるなんてことはしない。あの見た目がカフェ・オレの醍醐味だからだ。
「ふわぁ〜すごい綺麗……」
 客席の声が耳に届く。ニヤリ。駄目ですよ? お嬢さん。私に惚れても私にはもう心に決めた女性がいますので、ふふふ。
「あ〜毎度思うに、こいつを淹れるのは肩がこるなぁ……」
 カフェ・オレの注文が多いときはマスターに代わってもらうようにしている。俺じゃとてもじゃないが追いつきゃしないからね。うさんくさい髭をはやしたおっさんだが、やはり腕は特級品のようだ。
「しかしまゆみくんはどうしたのかね?」
 マスターがカウンター越しに話しかけてくる。客に尻むけるのは接客業としてどうかと思うんだが……
「今日は比較的混んでないし……草太、ちょっと様子みてきてくれないか?」
「ぬはぇ?」
 唐突な提案に頓狂な声をあげる俺。
「いや、そりゃ、まぁいいですけど電話かけたらどうなんです?」
「出ないんだよ。さっきから何回かかけてるんだが」
 そんなこたぁわかってますよ。電話は俺のすぐ横にあるんだから。ただ啓示のようなお話にがっついてしまうのもなんだなと思っただけです。
 めんどくさそうな態度をみせながら内心口がUの字を描きそうになるのをつま先に力をいれながらこらえる。
 あ、なんだか後ろの方で天使のラッパがきこえる。う〜んいい音色だね。
「住所教えるからちょっといってきてくれ。明日もこれないようなら他の子にヘルプをお願いしないといけないからな」
「ウィムッシュ」
 これはまゆみと親密な関係を築きなさいという何とか様の思し召しでござろうか? ながらくどうしようもない暗がりの中にいたこの恋心にようやく射し込んできた希望の光。これをモノにしないで男とはいえまい。
 マスターの書いたメモを深々と頭を下げて両手差し出し受け取る。
 王よ! ワタクシめは見事あなたさまの期待にこたえてみせましょう!!
 心の中で拳を握る俺。
「草太」
「はい?」
「おれってなかなか気の利くマスターだと思わないか?」
「……………………」
 スキップしながら店をでようとした俺は固まった。
 軋む音でも聞こえそうな動作で後ろを振り返ってみたが、マスターはすでに鼻歌うたいながら新しいストック用の珈琲を作っていたため視線は合わなかった。
 うさんくさい髭をはやしたおっさんは、洞察力も特級品だったらしい。

 そもそも俺が彼女に惚れたきっかけは彼女がバイトの面接にきたときのことだった。
 その日、俺は今日はいまから新しいバイトの面接をするから入り口側のテーブルを拭いていてくれ、とマスターに頼まれて布巾をかけていた。
 からん、というベルが鳴りひとりの女の子がはいってきた。
 第一印象。まぁそこそこだな。
 女の子は入り口のところでしばし店内を見回したあと、俺の方に迷うことなく歩いてきてこういった。
「あの、こちらの店長さんですか?」
「どれだけ童顔だよ、俺ぁ」
 んなわけがあるか。
 三十路過ぎのおっさんがこんな若々しい顔してるわけがないだろう。いや、まて、もしかして俺が老け顔だっていいたいのか? コイツは。
 第二印象。馬鹿者か、コイツ。
「俺はただの店員。マスターはあっち」
「あぁ!? ごめんなさい!」
 口元に手をあてて勢いよく頭をさげる彼女。
 え〜その瞬間を逐一思い返してみましょう。
 彼女のたっていたところは俺からみて左前方。店内は細長く、間仕切りはしていないが通路と客席は段をつくって分けてあり柱が通路に沿って等間隔に立っている。テーブルの位置を柱の位置として考えてくれれば構わない。
 つまり。
 テーブルを拭いていたということは、通路にいた彼女と俺の間には柱が一本立っていたってことだな。
 んで、彼女は勢いよく頭を下げた。するとどうなるか?
「んひゃぅ!!」
 すばらしい重低音が彼女のおでこと柱によって奏でられた。音から察するに意外におつむにゃつまるもんがつまってるらしい。
「んっく〜…………」
 その場にうずくまる女の子。
「マスター!」
 俺は店内に客が数組いるにもかかわらず大声でマスターに呼びかけると、片手を腰にあて、もう片方の手をマスターに向かって突きだし、親指を”おったて”てウインクした。
 第三印象。コイツ最高だ。惚れちまったぜ!
 面接が終わって彼女が帰ったあとマスターと二人、爆笑したのはいうまでもない。
 なに? そんなことで惚れるのか、って?
 ははぁ、おたく外見を重要視するタイプですな? そりゃ俺だってまず初めに見るのは顔だけどね、惚れるかどうかってのはそんなものに左右されやしない。考えてもみろよ、外見だけでそんなもんが決まるんだったらかわいい子や美人が目の前にあらわれるたびにコロコロと好きな相手が変わっちまうだろう?
 かといって内面の問題かというとそうでもない。そんなもん長いつき合いのなかで気付いていくものだからな。
 あ〜だこ〜だと相手の好きなところを並び立てるヤツの気が知れないね、俺は。じゃぁ同じ条件の異性があらわれたらどうするんだ? って話。
 好きになるってのはそういうことじゃない。自分の中の”基準値”と、ほんのちょっとしたきっかけさ。
 俺にとっては彼女がそうだった、ってだけのこと。ただ、惚れたからにはとことんだ。
 相手の一挙手一投足が心をくすぐる。まいった。お手上げ。どうしようもない。
 恋は盲目? それの何処が悪い。人様に迷惑かけるんでなけりゃ大いに結構なこった。

 さてはて、メモを頼りにまゆみの自宅へと足を向けた俺。
 初めは花束でも買おうかとも思ったが病気なのかどうかもわからぬままにそんなモノ買っていくのもなんだか馬鹿らしかったのでとりあえずケーキを店から拝借。当店特製のチョコレートシフォンでござい。うまいよ。でもこれ以上食べ物の話してると料理話ばっかりになるんで割愛。想像で楽しんでくれ。
「っと……ここか」
 塀を隔てて向こうに佇む一軒家を見上げる。
 白塗りの木造住宅。屋根は黒っぽい紺色だ。夕暮れ色といったほうがしっくりくるかな? 窓は外開き式の木組みの雨戸と押し上げ式の窓。アンティックな雰囲気漂う作りだな。
 ちょっとしたバーベキューパーティーでもできそうな庭にはよく手入れされた芝生と色とりどりの花の咲いた花壇があった。
 ほほぅ。俺は男だが思わず”素敵”という言葉が思い浮かんだね。俺としてはこれでシュナウツァー犬でもいれば完璧だなと思う。
 犬は別に好きじゃないけどね。絵柄的に。
「ごめんください」
 インターホンを押して呼びかける。
「はい。どちらさまでしょう?」
 紙コップを口にあてて喋っているような声がインターホンから聞こえた。
 まゆみのバイト先の同僚だということと、今日休んだので病気でもしたのではないかと思いお見舞いにきたのですが、と伝える。
「少し、まってもらえるかしら」
 言葉通りほどなくして玄関からまゆみの母親らしき女性がでてきた。
 なんだか緊張して顎をひょいと出すような中途半端なお辞儀をすると、お母様はニコリと笑って俺を中に招き入れた。すみません、不作法者で。
「ごめんなさいね。あの子連絡してなかったのね」
 なぜだか笑いをかみ殺しつつ謝罪の言葉を述べるお母様。
「まゆみさんは?」
「二階のあがって右の部屋にいるわ。よかったら見舞ってあげて。ふふふ」
 お母様の含み笑いがどうも気になるところだが、ふむ。ついに禁断の園へ……もとい、恋しき乙女の部屋へと足を踏み入れることになるのだな。おぉ、この胸の高鳴りはどうしたことか、不整脈?
 階段を上がるときってのはどうしてこう規則的な足取りになるのかね? しかしまぁそのおかげで一段上るごとに不整脈も落ち着きを取り戻していく。
 目の前にドア。目線の少ししたあたりに「まゆの部屋」という古典的な札がかけてある。いちいちツボをついてくるなこのオナゴは。
 ノックを二回。これはエチケット。
「ふぁい」
 口にモノを入れているときのような声で返事がかえってきた。しかしそれでも彼女の声であることは間違いない。
「俺」
「ふひ!?」
 おかしな声をあげたかと思うと部屋の中であわただしく動き回る音がした。ほほほ、いいよいいよ片づけしてるのね? 待ちましょう待ちましょう。
「いいよ……」
 さぁて、普段はくだらない会話とか言い争いばっかだが、今日はせっかくの仏さんの思し召しだ、あれ? これって神様のほうがいいのか? まぁいいや。とにかくキメるとこキメよう。うん。
 一度咳払いをしてから、おっと深呼吸も忘れずに。中に入る。
 そこには、
「っぷ…………」
「…………」
「っぶぁっはっはっはっはっはっは!」
 右の頬を盛大に膨らませたまゆみの姿があった。
 彼女は”おやしらず”が虫歯になっていたのだった。
 

 

 

2004-05-20 18:21:10公開 / 作者:和宮 樹
■この作品の著作権は和宮 樹さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
第二話〜希望〜です。
気付いた方もいらっしゃるでしょうが、副題は……そういうことです。

ちょいとだけ二人の関係が進みそうな予感?
しかしこの主人公の語り口、結構難儀しております(苦笑)
そしてやはり食にこだわる主人公。
次のネタはなにに……いや、そういう話ではないし。
冴渡さん、バニラダヌキさん、石田壮介さん、卍丸さん、風さん、ご感想ありがとうございます。
さてはて、この二人、どうなりますやら……
幸せになれるのでしょうか? (オイオイ
それでわ……
平伏
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