- 『ある暇人の、ゴキゲンな夏の午後。』作者:宇多崎 真智 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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夏も盛り。
縁側に寝そべりながら、夏の暑さをかき立てる様に激しく自己主張する蝉の声を聞く。実際、こいつらの熱烈な求愛行動がなければ、夏も二割引くらいで涼しく感じるのではないだろうか。
(……ったく、何もここまで力んで鳴かなくてもよかろうに)
脳天に突き刺さるように響くミンミンゼミの声。もはや『ミ』より『ビ』に近い。相当気合いが入っている。
なんとなく自分の頭に無数の槍が突き刺さっているところなんかを想像してしまって。
(ンなに力みすぎると、脳の血管切れちまうぞ)
不機嫌な思いで届くはずの無い忠告。
(あー……空が青くて雲が白い。俺は縁側で蝉の音を子守唄に、優雅に昼寝。なんともゴキゲンな一時だ)
朝は日が高くなった頃に起き、田舎から送ってきた野菜なんかで適当に料理する。一番暑くてやる気も起きない時間帯は、こうして昼寝。いくらか涼しくなってきた夕刻には、読書なんかをしてみたり。そして夜になったらスイカと枝豆でビールを一杯。
なんとも腐った一日だ。しかしこの真夏の太陽の下では、そんな自堕落な生活すら赦されてしまうような気になるのは、俺だけではないだろう。
たとえ一時でも、そんな錯覚を抱かせてくれる夏は愛しい。
長い長い夏休み。せわ忙しないキャンパスライフから切り離されて送る、暑くて青くて白い、おめでたい時間。人生を見失っちまいそうだ。
しかし、その一歩間違えたら気が狂いそうな幻に浸るのは、悪くない。
どうせあと一ヶ月もすれば、短い夏は終わるのだ。
俺は、目を閉じた。何処かの家でぶら下げているのであろう、風鈴の住んだ音色が、鼓膜を震わせ頭蓋を優しく刺激する。
何故だか、胸に響いた。
夢を見ていた。
自由にならない視界で辛うじて見えるのは、黒い髪と白いスカート。切り絵のように鮮やかな、モノクロのコントラスト。
(……万理子?)
彼女の名を呼ぶ。長い黒髪の隙間から、赤い唇が見えた。ゆっくりと動き、形を変えて言葉を紡ぐ。
(ごめんね)
そう言ったような気がした。
おいおい、なんで謝ってるんだよ。
(……そんなんじゃ、納得できねーよ)
意に反して、飛び出てきたのはそんな言葉だった。……いや、俺はこの言葉を覚えている。いつかの会話。
となると、次の科白は……
(無茶苦茶言ってるのは判ってる。でも、これ以上あんたとは付き合えない。もう、駄目なの)
気の強い女だった。いつも俺をまっすぐ見据えて、ナイフより鋭い言葉を吐きやがる。
(他に好きな男、できたか?)
感情を押し殺して尋ねたら、そうじゃないの、と首を振られた。
(あんたの事、嫌いになったわけじゃない。むし寧ろ、馬鹿やったりする時には、あんたほど気の合う奴は居ないと思うわ。でも、恋人じゃいられないのよ)
見たくない。彼女の涙など、見たくない。だから俺は、万理子に背を向けた。そうだ、その日は暑かった。
(……今度かき氷でも、奢れよな)
ごめん、呟いた彼女の声は、見えなかったが震えていた。
ああ、そうだ。恋人に振られた俺は、こうして生きる目的を見失うまで自堕落な生活をしている。それは、何も見えない迷路の中に放り込まれたような気分だった。
もう、二ヶ月以上も前のことだ。なのに行き場を無くした俺の心は、初夏の風の中で身動きできないでいる。
その一ヵ月後、俺は万理子に電話をした。
(なぁ……やっぱ俺、お前無しじゃ生きていけねーよ)
(…………)
最初は普通に、会話していたんだ。挨拶の言葉こそ多少ぎこちなかったものの、すぐにいつもの――付き合っていた頃の、もしくはそれ以前の――調子で笑い合った。
パイトのこと、旅行のこと、趣味のこと……俺たちは以前から、性別とか関係なく気が合った。周りからもよく言われた。
そう思っていたのは、俺だけじゃなかったと思う。
(……お前じゃなきゃ、駄目なんだけど)
痛い沈黙。やがて受話器の向こうで、大きく息を吐く気配がした。
(……俊介。ごめん……)
(……お前には、俺じゃ駄目だってことか)
(……そうよ。もう、やめよう?)
俺は、粘ってみた。みっともないことは百も承知で。
本気で万理子に、惚れているから。
(……こないだ、あの男と歩いてるの見たけど。……縒り戻したわけか?)
(ち、違うわよ! ……そりゃ、やり直さないかって言われてるけど……それと俊介と別れたのは、関係ないわ)
(……好きなのか?)
わからないわよ、と彼女は乱暴に言った。
万理子が俺と付き合う前に惚れていた男は、俺にしてみれば最低の男だ。詳しくは言わない。全部挙げる前に、日が暮れちまう。
(……あんたも、あたしの事なんか忘れて新しい女、つくりなさいよ)
じわり。胸を抉られる、痛み。
(……忘れていいのか?)
(え?)
(もう、恋人じゃいられないんだろ? だったら、選んでくれよ。
前みたいに馬鹿やってるような関係でいるか、俺たちの関係そのものを断ち切るか。
……選んでくれよ)
今にしてみれば、何故そんなことを言ったのか分からない。こんな事を言っても、彼女を困らせるだけなのに。……相当、俺も参っていたのだろうか。
(……いい加減にしてよ。馬鹿)
目の覚めるような衝撃。胸にの圧し掛かる、重い痛み。
(もうやめましょ。さよなら)
電話は無慈悲に切れた。後に残ったのは、やるせなさに包まれた俺だけ。
ああ。この痛みは。
ナイフでも何でもない、ただの鉄の棒で胸を抉られるような、そんな痛みだ。
「お――い先輩。生きてますかー?」
顔に風、鼓膜に振動を感じ、俺は目を開けた。見知った、間抜け面。
「ああ。生きてた」
「……勝手に人を殺すんじゃねえ。
今、何時だ、浩一」
町内の花火大会か何かの団扇を手に、同じ大学の一つ下の後輩は呆れたように答えた。
「そろそろ三時っすよ。いつから寝てたんすか?」
「あ――……一時半くらいかな……」
ゆっくりと、起き上がる。けだるさに包まれた身体が、ひどく重い。脳みそがじんわり、痺れているような感触。
「それより、何の用だよ。不法侵入と安眠妨害で訴えるぞ」
「相変わらず寝起き悪いっすね。
先輩方に誘われたんですよ。ほら、コレ」
そう言って差し出されたのは、浩一が手に持っていた団扇。やはり花火大会の日時が印刷されたもので、見るとその日付は今日になっていた。
「俊介先輩は絶対暇してるはずだから、連れて来いって言われたんですよ。
行きましょうよー、塚田先輩や吉川も来ますよ」
「悪かったな、暇人で。
……塚田と吉川が、どうしたんだよ」
呟くと、浩一は意外そうな顔をした。
「あれ、だって先輩、万理子先輩と別れたんでしょ。駄目っすよ、いつまでも引きずってちゃ」
「ほっとけ。呪うぞ、コラ。
……お前は……何つったっけ、あの娘とまだ続いてんのか?」
失礼っすね、と口を尖らせる。……ということは、まあうまくやってんだな。
嗚呼、世の恋人たちに不幸あれ、なんて思ってしまう俺を誰が責められる?
「先輩、なんか目が恐いっす、目が」
「気のせいだ」
で、その幸せな彼女の名前は何といったか。
「確か、杏とか茜とかいう名前だったか?」
「梓ですよぅ。半年近く同じサークルでやってるんだから、いい加減名前覚えてくださいシュン先輩」
ひょっこりと、浩一の後ろから小柄な少女が顔を出す。長めの黒髪、白いワンピース。不意に、夢のひとかけ一片が頭をよぎった。
「……ああ、そうだったな。梓だ梓」
「先輩……悲しいのは分かりますけど、庭のお手入れくらいしてあげなきゃ駄目じゃないですか。
花はカラカラ、草はボウボウ。
植物の状態は主人の精神状態を表すとは言いますけど……なんかまるで、心の中砂漠ですねぇ」
今まで姿が見えないと思ったら、庭のあちこちを見ていたらしい。慰められているのか、責められているのか。ちょっと情けなくなってくる。
「それも鳥取砂丘とかいうレベルじゃなくて、タクラマカン砂漠かどこか。知ってます? タクラマカンって、ウイグル語で『生きて帰れない』って意味なんですよ」
何でそんなこと知ってるんだか……。はあ、と大きく息をつき、悪気はないんだと自分に言い聞かせる。
「いや……庭のことは放っといてくれていいから」
「庭師の娘として放っておけませんよ。バイト代頂けるなら、私が半日でこの庭を生まれ変らせてさしあげますけど。一時間八百円からでどうですか?」
「高いって。それ。
いつか暇見て自分でやるし」
「暇見てって……今も充分暇そうに見えますけど」
「またそんな痛いところを」
俺と梓の会話を黙って聞いていた浩一は、まあ、よかったっすよ、とため息混じりに洩らした。
「よかったって……何が」
「先輩ですよ。ちょっと前まで直哉先輩とかが、大分ヘコんでるって心配してましたから。でも、思ったより元気そうで安心しました」
「……直哉が? そんなこと言ったのか」
沈んでいるという自覚はあったが、周りに心配されるまでとは思わなかった。
「サオリ先輩とかも言ってましたよ。マリコ先輩と別れてから、抜け殻みたいだって」
抜け殻……ねぇ。まあ、自分でも頷けないことはない。失ったものが、あまりにも大きすぎて。バランスが取れないのは事実だから。
「ベターハーフ、だと思ったんだけどな……」
恋人とかカップルとか、俺たちはそんなありふれた言葉で定義されたくなかった。
……死ぬほど好きだった、万理子。彼女も、俺を好きだと言ってくれた。しかし、あいつには俺じゃ駄目だったんだ。
あいつに否定されて、それを受け入れるのが恐かった。
例えそれを受け止めても、それを捨ててさっさと歩き出すことは、今の俺には出来ない。――万理子がそれを、望んでいるとしても。
仕方ないから俺は、多少重くてもそれを背負って歩いていくよ。後輩や悪友の手前、いつまでも座り込んでいるわけにはいかないから。
まあ、人生まだまだ長いわけだし、この先もう一人くらいは命懸けて好きな女ってのができないとも限らない。
だから──何故か視界が、クリアになった気がした。
そう、だからその日までサヨウナラゴキゲンヨウ、オレノアツイナツ。
「センパ――イ。大丈夫っすか? 急に黙っちゃって」
いきなり交錯する視界。今度は浩一が、目の前で手を振っていた。
あ、戻ってきた、などと呟く梓。どうやら結構な時間、俺は旅立っていたらしい。
たっぷりと二人の視線を浴びた後、俺は唐突に言った。
「……お前ら、スイカ食うか?」
ぽかんとした表情の後、一も二もなく飛びつく後輩ども。
飽きる様子もなく、蝉は鳴き続ける。
ああ、ゴキゲンな青い空。景気よく広がる白い雲。
底抜けにゴキゲンな友人と、ハメの外れた花火大会。
風に抱かれて揺れる風鈴、夏の音色が脳に溶け、骨まで染みこむ。
何かを失い、何かを悟った夏の午後。
嗚呼、ゴキゲンな、俺の夏――― - 2003-09-27 19:03:43公開 / 作者:宇多崎 真智
■この作品の著作権は宇多崎 真智さんにあります。無断転載は禁止です。 - ■作者からのメッセージ
私の思い描く大学生像は、概ねこんな感じです。憧れます。結構前に書いた作品ですが、色んな意味で痛い話だなぁと再確認しました(苦笑)
でも自堕落の中にそれなりの前向きさを練りこんだつもりです。最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
- この作品に対する感想 - 昇順
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なんか気だるい夏ってかんじで読んでて楽しかったです!
2003-09-28 02:12:03【★★★★☆】Lil' Pun計:4点
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