『だいなまいと』作者:石田壮介 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角4301文字
容量8602 bytes
原稿用紙約10.75枚

 東京郊外の閑静な住宅街は、今晩も閑静であった。
 各々の家から、バラエティ番組の下品な笑い声やら、食器のぶつかり
合う音やら、子供の喧嘩、夫婦の喧嘩、さまざまな音色が迷惑を掛けな
い程度に乱れ飛んでいた。
 そんな折である。紫色のダボダボなとび職みたいなズボンをはいて、
同じく紫色の半袖のシャツを着た・・・そう、チンピラがダンボールを
脇に抱えて、もう片方の手でわき腹を押さえながら、右へ左へとよろよ
ろと力無げに歩いている。

「あがぅ、痛ぇよ。死んじまうよ・・・」

 彼の腹は、まるで彼自身を嘲笑うかのように適度に痛みを与えていた。
彼が顔面蒼白になり限界に近づくと止め、また落ち着いた頃に痛みを与
える。
 彼はビクッと震えた。痛みの臨界点を超えたらしく、その場に箱を置
いて蹲った。傍らの自動販売機が彼の額を照らし、どっと脂汗が出た。
ガクガクと痙攣が止まらない。今の彼はめまぐるしく錯乱する思考の中
で、こう思っている。バラエティ番組なんて見やがって、なんて平和な
奴らだ。この家、俺にくれ。

 ・・・そして、彼は走り出した。訳の判らぬ奇声を発しながら。

「なにあれ・・・」

 走り去る背中を見つめて、吉沢美津子(28)おつぼねOLは言った。
仕事帰りで、すっかり化粧もボロボロに崩れた落ち武者みたような美津
子は、ここの自動販売機でリポベタンAを買うのが日課であった。今日
は酷く忙しかったのか、財布を取り出すのさえ大儀そうである。非常に
緩慢な動作で小銭を取り出し、投入しようとする。しかし、直ぐ足下に
置かれた箱を認めて、彼女は思わず後退りした。

「なにこれ・・・」

 放っておけば良かったものの、一旦気になりだしてしまったものだか
ら、もう止まらなかった。美津子のオバタリアン精神は、既に開花の時
期を迎えていたのである。何かしら、と恐怖と好奇心で目を凝らしてい
る。ところへ、七三分けの男が通りすがった。彼、牛込雄二も会社から
の帰途だった。

「どうしたんです?」

 銀縁眼鏡を手でキラキラさせながら、彼は尋ねた。

「不審物発見!」
「はい?」
「ほら!」
「箱?」
「ええ」
「箱がどうしたんです?」
「危ないじゃないですか!」
「何が?」
「爆弾かも知れません」
「まさか!」

 美津子の突拍子もない発言に雄二は圧倒された。まさか、こんなとこ
ろでテロリスト!?俺は死ぬのか?いやいやいやいや、待て待て待て!
落ち着け!落ち着くんだ、牛込雄二。

「危機に晒されている男女は、恋が芽生えやすいと言うが、そういう人
と結婚してはならない。それと言うのは・・・」
『ひぃっ!』

 無機質な言葉を唐突に浴びせ掛けられた二人は、すっかり仰天した。

「何やってるんです?」

 彼は、きょとんして、二人を見つめた。彼らはほっと安堵のため息を
ついた。
 な、な、なんだ、おっさんか・・・。おいおい、これで解る!理想の
結婚なんて読んでるよ。きもっ!
 ランニングシャツ一枚の男は、石塚貴史(35)商店経営、未だ未婚
だった。腹が少し出ているのが、中年の気風をより一層際立たせている。

「いや・・・」
「爆弾ですよ」
「爆弾!?」
「ええ・・・ここは危険よ」
「違いますよ」
「どれが爆弾なんです?」

 貴史はじれったそうに尋ねた。

「あれが爆弾です」
「adidasって書いてありますよ」
「靴じゃないですか!」
「きっと、爆弾の型ね・・・」
「そうかも知れません」
「えぇぇ!?」
「逃げた方がよくありませんか?」
「そうだわ!そうよ!」
「でも、逃げてる時に爆発したら、どうします?」

 雄二の一言に一同は閉口した。尤も、そう言われたら逃げようがな
い。背中に破片が刺さったら、さぞ痛いだろう。肺なんかに刺さった
らどうしようなんぞと思うわけである。
 深い静寂が支配している中から、やたら『大袈裟に』啜り泣く声が
聞こえた。美津子だった。

「私、お嫁に行けないまま、死ぬのね・・・」

 哀愁を帯びたフリのその姿に何を思ったのか、雄二は唐突に箱と彼
女の間に割って入った。

「僕が盾になります」
「まあ・・・」
「結婚かぁ・・・僕もしたかった」
「未婚ですか?」
「ええ」
「じゃあ、結婚しましょ」
「良いですよ」

 危機に晒されている男女は、恋が芽生えやすいと言う奴か。貴史は
ピンと来た。そして、彼もまた雄二の横に並んで、盾になった。

「私も盾になります!」
「デブは嫌いなの」
「東大卒の僕でいいのかい?」
「ええ」
「キャリアだよ」
「ええ!」
「証券マンだよ」
「地の果てまでも、ついていきます」

 美津子は少女漫画の如き潤いを瞳に称えて、雄二を見つめた。雄二
もまた眼鏡の奥から、真剣に見つめている。

「あのぉ・・・」
「なぁに!?」
「私も未婚・・・」
「死ね!」
「箱、開けてみませんか?爆弾じゃないかも知れないし」
「そんな、あなた危険よ!」
「そうですね」

 ずずずぃっと貴史が前へ出て、箱の前まで行った。半ば自棄であっ
た。

「ちょっと!」
「大丈夫です。僕が盾になります」
「まあ・・・」
「開けますよ!」

 苛々して、貴史が言った。箱へ手を伸ばした。爆発しようが、構う
もんか。そんな気持ちだった。上蓋へ手がかかる。そして、

「あ、でも、開けたら爆発する仕掛けかも・・・」

 貴史は歩いた。雄二の隣まで来ると、

「さぁ、盾になるぞぉ!」
「何やってるのよ!もう少しだったのに」

 何かが駆けてくる足音がした。その方を振り向くと、紫色の・・・
そう、先刻のチンピラであった。白いスーツを着た大柄の男を連れて
いた。

「あ、ありやしたよ!兄貴!」
「おいおい、気ぃつけろよ!」
「・・・すんません。うんこしたかったんです」

 美津子は走り去っていった男の事を思い出した。箱の持ち主はあの
人に違いない。しかし、明らかにその道の人に向かってなんなのか、
聞く勇気も出なかった。

「中身はどんなだ?」

 聞く兄貴分にチンピラは上蓋を開けて見せた。

「こんな感じなんですけどね」
「こりゃヤバイなぁ」
「危ないですよ!」
「あ?」
「い、いえ・・・」
「どうですかね?」
「ヤヴァイな。赤と青のライン入ってるしなぁ」
『赤と青!?』
「派手にも程があるぞ」
『派手に!?』
「もう・・・一分しかないッスよ」
『一分!?』
「あぁっ!?」

 三人はすっかりタジタジであった。ヤクザがすごんだからではない。
爆弾があと一分しか持たないからである。一体何を考えているのだろう。
自爆テロだろうか。赤と青、どっちを切れば助かるのだろう。この奇妙
な状況に、奇妙な展開が重なって、三人はすっかり冷静さを欠いていた。
そうして、その混乱の中で、美津子はどんと強く背中を押された。

「オラ、まだ死にたくねぇだぁ!」

 背中を押したのは雄二であった。我が身の可愛さについにとち狂った。
彼は訳の判らぬ悲鳴をあげながら、猛烈な速度で逃げ去った。

「ち、ちょっと!」

 美津子が制止の言葉をかけようとした時には、もう姿はなかった。た
だ、ヤクザ達の小さな話し声だけが、耳についた。
 美津子は心細くなった。貴史はこういう時こそ、前に立つのが男だと
思った。怖い。しかし、男として、プライドとして、人として、前に立
つべきだと恐れを振り払った。

「私が盾になります」

 どうだ!これが本当の『漢』というものだ!

「まあ・・・」
「高卒ですよ」
「ええ」
「フリーターですよ」
「ええ!」
「アパート住まいですよ」
「あなた以外に何もいらない!結婚しましょ!」
「ええ!」

 二人は輝く眼差しで見つめあった。その瞳に浮かびたるや、希望の二
文字であった。

「っつか、あんたら、何なんだ?」
「何って・・・」

 突然、白いスーツに声をかけられた。ここで負けるものかと、貴史も
震える声で返した。

「何じゃねぇよ・・・」
「ああ!先輩急ぎやしょう。時間ないッス!」
「おう!」

 ヤクザは舌打ちを一つして、じっと二人を睨み続けた。チンピラが箱
をもって、駆け足した。仕方なしにヤクザも駆けていった。
 去り際に、

「やっぱ、この靴ヤバイッスかね〜?」
「姉さん、怒るな」
「はぁ・・・」

 夜の静寂だけが残された。一体何をしていたのだろうか。そんな疑問
に頗る虚しさを覚え、ただただ放心状態になった。漫画のひゅぅという
風はこういう時に吹くのであろう。

「靴?」

 美津子は呟いた。

「や、やっぱり、adidasだったみたいですね」

 貴史の言葉に、美津子はみるみる内に眉間に醜い皺を作った。

「ばっかみたい!じゃ・・・」
「あ・・・」
「何よ?」
「結婚・・・」
「は?デブは嫌いって言ったでしょ!だいたい高卒で、フリーターで、
アパートって何よ。世の中なめるのも大概にしてくれる?フン!」

 美津子はコツコツと殊更にやかましくヒールの音を立てながら、夜
の闇に消えていった。一人取り残された貴史は、ただただ自分が何を
したのだろうかと、不思議で仕方がなかった。何か彼女の機嫌を損ね
る事でもしただろうか。恋愛を余り知らぬ彼には、彼女の行動がよく
解らなかった。ともあれ、これで良かったのかも知れないと適当にま
とめて、再び理想の結婚を取り出した。

「危機に晒されている男女は、恋が芽生えやすいと言うが、そういう
人と結婚してはならない。それと言うのは、危険な時程、人間は存外
素直になるもので、性悪な女を引く確率が高いからだ。覚えのある方、
結婚しなくて良かったですね♪」

 貴史はため息をついた。

 でめたしでめたし・・・。
2004-04-22 06:42:35公開 / 作者:石田壮介
■この作品の著作権は石田壮介さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
昔書いた脚本をいじってみました♪
暇でしたら、ご一読よろしくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
面白かったです!箱を前にして、彼らのアホながら真剣なやりとりがなんとも!!赤と青のadidas欲しいです(爆)
2004-04-22 10:16:17【★★★★☆】卍丸
失礼ながらよまさせていただきました。私はこういう短編ものが好きなので個人的にお気に入りです。最後の落ちがadidas・・・私もこれまた好きなメーカーなのでなんか驚いています(笑)またいつか短編がみられるのを楽しみにしてます。
2004-04-22 16:41:11【★★★★☆】エボイック・ソード万
独特のリズム感が良いですね。 くだらないって言ったら失礼かもしれませんが、素朴な感じの題材が根底にある気がして、身近に感じます。。
2004-04-22 20:11:53【★★★★☆】藍
藍様、エボイック様、卍丸様、お読みいただきありがとうございます。元々は彼女との別れ際に書いたg○ftという脚本から作ったショートの脚本です。実際の一時間半程度の脚本は、別れた後だったので、彼女の自宅のポストへ黙って放り込んできました。去年の5月に上演すると最後のメールで言っていたのですが、一体いつになったらやるのやら。(苦笑)情報求む!(爆)今後とも、よろしくお願いします。
2004-04-22 21:40:28【☆☆☆☆☆】石田壮介
テンポよく読めました。もとが脚本だからかな? 何気に子供の喧嘩、夫婦の喧嘩というくだりに笑いました。
2004-04-23 01:39:13【★★★★☆】晶
晶様、読んでいただきありがとうございます。我ながら、ミーハーな作品なので、
2004-04-23 22:41:03【☆☆☆☆☆】石田壮介
(続き)と言うより、元カノに命令されて作らされたので、微妙だったのですが、ご好評いただき恐悦至極に存じます。これからもよろしくお願いします。
2004-04-23 22:42:32【☆☆☆☆☆】石田壮介
計:16点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。