『『ナイフ』   完結』作者:HAL / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約21.67枚
     【?】
 バンッ。教室の後ろの方で、大きな音がした。俺は窓際前から3番目のこの席で、ついさっき岡野から借りたばかりのマンガをぱらぱらめくる。ガタンッ。次に机の倒れるけたたましい音。俺は両足を机の上にあげると、イスの前脚を少し浮かせ、ふんぞり返ってマンガを読み始めた。後ろは向かない。俺だけじゃなく、この教室に居るやつみんな。決して気づいていないわけじゃなくて、何が起きているか、知っているから。
「お前なにガッコきてんだよっ」
 派手な顔した女、宮原とかいったっけ、そいつが、ドスのきいた声で怒鳴った。それを取り巻くようにして立つ女どもは、それぞれにくすくすと笑う。バカにしたようなあの笑い方が、俺はとにかく嫌いだ。けど、女のイジメに関わるなんてめんどくせーことの方が嫌いだから、気にしないふりをして、マンガのページを1枚めくる。
 宮原に突き飛ばされて汚れた床に倒れ込んでいた女、湯本が、ゆっくりと起きあがり、顔色一つ変えずに倒れた机を直した。もちろん、俺は後ろなんて見ていない。けど、わかる。いつもの事だ。
「そこ座ってろって」
 今度は他の女が、笑いながら言った。同時に、またがたんっと机が倒れる。

 湯本がこの3ー1に転校してきて、およそ1ヶ月がたった。真っ黒な長い髪で顔を半分隠し、先生に連れられ教室にはいるとすぐ、無言で一番前の席に座った。そのとき俺は、宮原の口元が微かにあがるのを見た。どこのガッコにも、1人はいるはずだ。誰かをイジメてないと、生きていけない奴。一種の病気なんじゃねぇかって思う。そして、次の日から宮原たちによる湯本イジメは始まった。

 チャイムがなって、宮原達の輪がばらけ出すころ、担任がスリッパをならしながら入ってきた。黒板の前に立ち教室を見渡すと、いつものように言う。
「湯本、早く座りなさい」
 この教室には、“イジメをする奴”“される奴”“されたことのある奴”“かかわりたくない奴”の、4パターンの人間しかいない。教師だって、例外ではない。


 6時間目、今度の球技大会の実行委員を、男女1人ずつ決める事になった。イヤな予感がした。その予感は、学級委員の2人が前に出るとすぐ、現実となった。
「湯本さんがいいとおもいま〜す」
 斜め前の宮原が、右手を大きく挙げて言った。学級委員の女は言われるままに、黒板に白いチョークで「湯本まり」と書いた。あちこちでくすくすと、女の笑い声が漏れる。
「他に意見はありませんか」
 クラス1の秀才君が、心なしか早口で言った。誰も手を挙げないことくらい、バカの俺にだってわかる。しかし一通りの儀式は済ませなければいけない。こいつも俺と同じ、“かかわりたくない奴”の1人だ。
「じゃぁ湯本さんで良いという人拍手をお願いします」
 秀才君がいうが早いか、女はすでに、赤いチョークに持ち替えていた。一部の奴の、大きな拍手が教室に響く。湯本の名前の上に、綺麗な花丸が描かれた。教室が、少し騒がしくなった。
「次、男子誰かいませんか」
 秀才君が声を大きくして言ったけど、宮原達はもう帰りの準備に取りかかっていた。「今日暇〜?」などと、化粧を直しながら言う。
「もう、クジでいいんじゃねーの?」
 俺の隣で、岡野が言った。さっそく紙切れでクジが作られ、前から順に回された。ゆっくりと開く。
「まじかよ」
 手でちぎられたいびつな形の紙の真ん中に、ちいさな丸が書いてあった。
「うわ、お前クジ運ねぇな」
 岡野が俺の手をのぞき込んで、大きな声で言った。俺の名前、「古山晴紀」が、「湯本まり」の隣に並んだ。女の話声が、一瞬止まった。


 放課後、さっそく委員会が行われることになった。俺は湯本の姿を探したが、みつからない。
  「ガキじゃねぇっつの」一人ごとのように呟いて、鞄を肩にかけ教室を出た。
 南校舎へ向かう渡り廊下に、湯本はいた。やはりというか、宮原達に囲まれている。俺には気づいていないようで、なにかヒステリックに叫んでいる。近くまで行ったとき、すこしだけその言葉が聞き取れた。
「なんでお前なんかが古山くんと!」
 バカくせぇ。どいつもこいつも、頭いっちまってんじゃねぇか。俺は湯本の鞄をつかんで、その輪から引っ張り出した。宮原達は、あっけにとられて俺をみた。
「委員会遅れるから」
 それだけ言って、俺は歩き出した。湯本もゆっくりと俺の後ろを歩き出す。宮原達は未だ状況がつかめてないようで、ただその後ろ姿を見ていた。
 別に、湯本を助けたわけじゃない。ただ、早く委員会を終わらせて帰りたい。それだけだ。


    【?】
 まず気が付いたのは、暗闇に浮かぶ小さなシルエット。
「この前、ユリちゃんとハルくん、いっしょに帰ってたんだって」
 1人の女の子が言った。俺はその声を知っている気がした。
「なにそれ、ひどーい」
「ユリちゃん、マキがハルくんのこと好きって知ってるのに」
 まわりの少女達も、口々に言う。
「じゃぁさっ!」
 一番背の高い女の子が、人差し指を立てて、言った。
「ユリちゃん、仲間はずれにしちゃおうよ」


「おい晴っ!!」
 岡野のバカでかい声で、真っ暗闇から引き戻された。目をこすって周りを見渡すと、すでに人の数は少なくなっていた。
「もぅガッコおわったぞ」
 どうやら俺は、5時間目のクソ退屈な家庭の時間から、ずっと眠っていたようだ。ぐっと両手をあげてのびをすると、少し涙が出た。
「なぁ、今日暇〜?」
 俺のがうつったのか、岡野もあくび混じりの声でいった。
 「超ヒマ」そう言いかけて、あっ。っと漏らす。俺はバッと体を起こし、もう一度教室を見渡した。岡野が驚いて、「どした?」と聞いた。
「湯本は?」
 球技大会まであと少し。この前の委員会で、俺たちはトーナメント表をつくる担当になった。かなりめんどくせぇけど、さぼって説教くらう方がもっとめんどくせぇ。
「いつもんとこ」
 岡野が軽く親指で外をさした。
「渡り廊下か・・・」
 あの日、俺と湯本が実行委員に決まった日から、宮原達が教室で湯本をいじめることが減った。その代わり、長い休み時間の後にはきまって、湯本は手や足に傷を付けて教室へ戻ってくる。
 「心配?」と、少し笑って岡野が言った。
「そんなんじゃねぇよ」
 鞄からガムを取り出して、1つ口に放り込んだ。ミントの味が、鼻から抜ける。岡野も差し出したガムを受け取って、口に入れると、言った。
「ユリの二の舞にならなきゃいいけどな」
 ドクン、と、心臓が鳴った。ゆっくりと、机の前に立つ岡野を見上げる。俺は今、どんな顔をしているだろう。わからないけど、岡野の顔から、笑顔が消えたのが分かった。
「ごめん」
 小さな声で呟く岡野に、俺はもう1つガムを渡して言った。
「俺、湯本待ってっから」
 岡野は、「分かった」と言うと、少し早足になって教室を出て行った。その後ろ姿を見送って、俺は、はぁっ。と大きなため息を漏らす。

 俺には凄く好きな子がいた。けどそのせいで、その子は仲間はずれにされていた。遠いところへ転校していってしまった後で、俺は初めてそのことを知った。なんてバカな奴なんだろう。自分で自分が情けなくて、岡野の前でボロボロ泣いた。もう、4年も前の話だ。


  カリカリとシャーペンが紙を擦る音に、俺はまた眠ってしまっていたことに気づく。オレンジに変わり始めた空を、うつろな目でボンヤリと眺め、それからハッとなって我に返った。
「わりっ、寝てた」
 俺は慌てて、湯本の隣の席に腰を下ろした。机の上には、すでに出来上がったバスケのトーナメント表が置かれていた。初めて見る湯本の字は、予想以上に達筆だった。
「別に」
 湯本は定規で線を引きながら、俺の方を見ずに答えた。真っ黒の垂れ下がった髪が邪魔で、表情がわからない。
 俺は湯本の机から画用紙を1枚取って、「何書けばいいの?」と聞いた。湯本は無言で、名簿を渡す。俺も、それを無言で受け取る。空気が、重い。早くやって、とっとと帰ろう。
 筆箱をあけて定規を取り出すと、消しゴムが転がって落ちた。俺より早く、湯本が手をのばす。微かにあがったセーラー服の袖。湯本の手首に、くっきりとヤケドの痕があった。
「ありがと」
 湯本から、消しゴムを受け取る。また前を向いて、作業を始める湯本。俺は、ずっと気になっていたことを、初めて口に出してみた。
「お前さ、なんでなんも言わねぇの?」
 湯本は手を止め、ゆっくり顔を上げると、俺を見た。初めて、しっかりと目が合う。真っ黒な瞳は、意外にも大きかった。
「いつもただ殴られてるだけでさ、顔色一つ変えねぇし。腹立たねぇの?」
 気圧されそうになりながらも、俺はじっと、目をそらさない。ぃゃ、そらせないだけかもしれなけど。
 先に視線をはずしたのは、湯本の方だった。スカートのポケットに手を入れて、ゆっくりと机の上に出す。カチャン、と音がした。
 黒く光る、ナイフだった。
「お前」
「ネットで買ったの。小さいけど、よく切れるのよ」
 湯本はそれを手に取ると、嬉しそうに言った。慣れた手つきで刃を出し、夕日に照らす。
「やばいんじゃねぇの、それ」
 俺はやっとのことで声を出した。背中を、冷たい物が這いまわるような感じがした。
「本当に使うわけないじゃない」
 言って、湯本はくすっと笑う。
「ただ、これ持ってるからね。私は負けないのよ。ぎりぎりの、ぎりぎりまでいって、最後に勝つのは、私」
 ゆっくりと、湯本の口元がつり上がる。やばい。こいつ、マジでやばい。
「誰も、助けてなんてくれないのよ。自分のことを守れるのは、自分だけ」
 湯本はナイフを、またポケットの中に戻した。俺はただ、じっと見ていることしか出来なかった。


     【?】
 湯本が、学校を休んだ。今日で3日め。傷だらけの机の上には、誰が持ってきたのか、一輪挿しの白い花瓶が置かれていた。
 放課後の教室で、俺は未だ出来上がっていないトーナメント表を仕上げる。綺麗に下書きされた線を、キュッキュと音を立てながらマジックでなぞる。教室に充満したシンナーの臭いで、頭が痛い。
「へたくそ」
 下書きからはみ出した線を見て、岡野が言った。
「うっせ」
 球技大会は月曜日。なんとしてでも、今日中に仕上げなければならない。俺は疲れた右手をブラブラさせて、2つ前の席を、置かれた花瓶を見つめた。どこで摘んできたのだろう。無造作に挿されたその花は、すでにぐったりとしたように下を向いていた。
 カタンと、席を立つ。俺はその花を抜き取って、花瓶の水と一緒に窓から捨てた。無性に腹が立つ。花瓶をたたき割ってやろうかと思ったけど、片づけるのがめんどくさいから、やめた。
「どした?」
 そんな俺を見て、岡野が聞く。右手には、太いマジック。
「べつに」
 なんでもない、こんな事。飽きるくらい、見てきた光景。湯本に情があるわけでもあるまい。なのに、なんだ。なんでこんなにイライラする。

 出来上がったトーナメント表を、職員室へ運んだ。担任は電話中で、俺に気づくと目配せをした。俺は画用紙を机におろすと、岡野の待つ廊下へ向かう。
 センセと目が合う直前、耳に入った。「湯本の母親が亡くなった」と、確かにそう言っていた。


 日曜日、塾の帰りに本屋へ寄った。分厚い参考書の前を素通りして、マンガコーナーへと急ぐ。今日発売のマンガを手に取り、クルッと体を返すと、一人の女と目があった。そいつはじっと、俺を見ていた。
「やっぱり」
 そいつは、嬉しそうに言った。小さな背、クセの付いた髪、大きな瞳。4年前と、何一つ変わっていない。
「久しぶり」
 ユリは、昔と同じように、えくぼを作って笑った。


 風の冷たい公園で、並んでベンチに座った。俺は落ち着きなく、腕を組んではまたほどく。
「この土日ね、おばあちゃんのとこ帰ってきたんだ」
 ユリは、砂場で遊ぶ小さい子供をニコニコ顔で見ながら言った。
「そか」
 俺は、今度は両手をポケットにつっこんで、息だけで返す。のどのあたりがギュッとなって、上手く声が出せない。久しぶり、元気だった?何度も出かかっては、のどの奥で消える。
「前にもここに、2人並んで座ったことあったよね」
 ユリは、今度は俺の顔を見て言った。笑っているような、沈んでいるような、複雑な表情。
「ごめん」
 やっと、声が出た。ユリの顔を直視できずに、下を向く。ずっと、言いたかった。それだけが、伝えたかった。センセに聞いた、新しい住所。何度も何度も、机に広げては、ぐちゃぐちゃに丸めた便せん。
「ごめん」
 声が、震える。気づかなくて、守れなくて・・・好きになって、ごめん。
「自分で、どうにかできるって思ったの」
 しばらく2人黙りこくった後、ユリが、ゆっくりと口を開いた。
「恥ずかしいから、知られたくなくて。けど、そんな時、親に転勤の話が出た。逃げたんだ、あたし。弱虫」
 言って、ははっと、微かに笑った。俺は、顔をあげられないまま、じっと足下をにらみつける。弱いのは、俺だ。
「けどねっ」
 ユリはバッと顔を上げて空を見ると、声を明るくして、言った。
「好きだったよ。小さいなりに、真剣に。だから」
 がしっと俺の顔をつかむと、自分の方に向ける。
「好きになってくれて、ありがとう」
 にっこりと、笑った。涙が、出そうになった。
「何言って」
「はあっ。すっきりした」
 俺の言葉をさえぎって、ユリは立ち上がると、両手を上げてのびをした。その背中は、昔と違って、なんだかたくましく見えた。
「これだけはどうしても、伝えたかったんだ」
 振り向いて、また笑う。俺もぐっと涙をこらえ、負けないくらいに笑ってみせた。


     【?】
 教室の中は、いつも以上に騒がしかった。今日は、俺たちにとって、最後の学校行事。これが終わると、もう受験へ一直線だ。と、担任が言っていた。
 ガラッと、前のドアが開いて、湯本が入ってきた。ほんの一瞬だけ、教室が静まりかける。俺は教室を見回した。宮原達の姿は、ない。トイレであのケバイ化粧でも直しているのだろうか。いや、それより。湯本の様子が、何かおかしい。
 湯本はまっすぐ席に向かうと、いつの間にかまた新しい花の刺された花瓶を見て、それをそっと窓辺に移した。左手を、スカートのポケットに入れる。俺の頭に、黒いナイフとあの時の言葉が浮かんだ。
 「誰も、助けてなんてくれないのよ」
 ぐっと、下唇を噛んだ。
「おい、行くぞ」
 岡野に呼ばれて、湯本の横を通りすぎると、俺は教室を出た。


 体育館は、ざわざわとやけに熱気立っていた。もうすでに、円陣を組んでいる奴らもいる。俺たちは、バスケの集合場所へ行くと、腰をおろした。久しぶりにはくバッシュ。ギュッとヒモを結んで、2.3回踏みならした。床と擦れて、キュッキュと音をたてる。その音が、妙にいい感じに聞こえた。
 俺のクラスは、クジで運良くシード権を得た。試合まで、だいぶ時間がある。岡野と2人、体育館の隅に、どかっと腰を下ろした。ピーッと高い音が鳴って、1試合目が始まった。
「昨日、ユリに会った」
 冷たい壁にもたれ掛かって、組んだ腕を前に伸ばした。一緒に、あくびも漏れる。
「へぇ」
 ワンテンポ遅れて、岡野が気の抜けた返事をした。どう返したらいいのか分からない。そんな感じに聞こえて、思わず笑えた。
「あいつな、ちっともかわってなかった。けど」
 なんかたくましく見えた背中と、もう1つだけ、昔と違っていたこと。
「くすりゆびに、シンプルな指輪してた」
 中学生のくせに、なんつって。クラスにも、何人かいる。それは、好きな奴がいるって証。
「幸せになったんだなぁって。なんか、良かったな」
 良かった。心から、そう思えた。
 別れ際、ユリが言った。「次の子は、ちゃんと守ってあげるんだよ」と。それは決して嫌みではなくて、逆に俺のなかの何かを、あっさりと拭い去っていった。「ありがとう」そう言って、さよならをした。
「そか。良かったな」
 岡野が言って、俺の頭をがしがし撫でた。
「むかつく」
 ぼそっと言って、けど、ガキみたいだけど、その優しさが、嬉しかった。

 
 昼休み、教室へ帰ってバスケの仲間と弁当を食べた。満たされた腹をさすって、空を見上げる。真っ青な秋晴れの空に、飛行機雲が走っていた。
「なんか、けっこうイケるんじゃねぇの?」
 隣で茂森が言った。俺たちは、午前の試合を順調に勝ち進んでいた。5人中2人が元バスケ部。俺たちにだって、意地がある。
「キャッ」
 教室の後ろで、女子が短い叫び声をあげた。机が、ガタンと音を立てる。
「あんたがヘマするから負けたんじゃん?最悪」
 宮原が言って、顔のところまで挙げた左手を、ゆっくりと開いた。パラパラと何かが落ちて、床に散らばる。湯本を見て、分かった。乱雑に切り落とされた、前髪。
 血の気が引くって、こんな感じのことなのだろうか。それにしては、けっこう落ち着いているような気もした。宮原達は、いつもと同じように、ニヤニヤと笑いを浮かべている。湯本は、机にもたれ掛かって下を向いたまま、動かない。
「なぁ、俺ってさ、いつからこんな、正義マンみたいな奴になったんだろな」
 俺は、視線を湯本から外さずに、問いかける。
「前からじゃん?」
 岡野が、答えた。湯本の左手が、ポケットへと伸びる。
 ガタンッ。大きな音を立てて、気づいたら俺は、湯本の前に立っていた。しっかりと握りしめた、湯本の左手。黒いナイフ。
「キャアッ」
 少し遅れて、まわりの女子が、今度は大きな叫び声をあげた。湯本は、狐にでもつままれたような顔をして、俺を見上げる。自分でも、なんでこんな状況になっているのか、よく分からない。けどもぅ、そんなことどうだっていいと思えた。
「使うわけないんじゃなかったのか?」
 俺は湯本の手から、すっとナイフを抜き取った。湯本は、腰が抜けたかのように、ストンとその場に座り込む。教室は、静まりかえっていた。全員の視線が、俺たちに注がれている。
 俺はくるっと身を返すと、あっけにとられる宮原達に向き直った。ゆっくりと、無言で、近づく。宮原の肩が、ビクッと震えた。
「俺さ、こーゆうの、もう耐えられないんだよね」
 できるだけ、精一杯、声を柔らかくして言う。
「こんなつまんねーこと、そろそろやめねぇ?」
 俺は、黒いナイフを、鋭く光る銀色の刃を、目の前でちらつかせて、言った。
「今度こーゆうことしたら」
 そこで、とめる。したら、なんだ。「殺すよ?」なんて、ただの脅し。そんなこと、なんの問題でもない。大事なのは、そこじゃない。
 宮原は、小さく頷いたかと思うと、湯本と同じように、そのまま床に座り込んだ。周りの奴らが、慌てて声をかける。俺は、カチンと、ナイフの刃をしまった。後ろで、空気がザワッと呻いた。
「晴っ」
 岡野の声に後ろを向いて、思わずぎょっとする。湯本が、顔を崩して泣いていた。
「・・っく」
 声にならない声をあげて、泣きじゃくる湯本。何で泣いてんのかとか、俺にはよく分からないけど、初めて見た湯本の泣き顔を、本物だ、と思った。どんなに強がってたって、所詮15歳の女の子。どうして俺は、あの時気づいてやれなかったんだろう。


 急に静かになった廊下を、岡野と並んで歩く。手に持った缶ジュースを、口に運んだ。
「優勝おめでとっ」
 岡野が改めて、ガッツポーズを作って言う。
「はいはぃ、おめでと」
 また一口、ジュースを流し込む。乾ききったのどに、アクエリがしみる。2位の景品は、100均のクリアファイルだったらしい。換えてくれと言われて、丁寧にお断りした。
「あの」
 不意に後ろで声がした。2人同時に振り返る。
 そこにいたのは、湯本だった。その後ろに、クラスの女子も2人いる。そいつらに切ってもらったのだろうか。綺麗に整えられた前髪を、しきりに触っている。短くなったその髪のおかげで、黒く大きな瞳が、はっきりと俺をとらえる。
「さっきは、どうも」
 照れたように、小さい声で呟いた。今までのトゲトゲしさは、もうそこにはなかった。
「べつに。俺が腹立っただけだから」
 俺は言って、また背を向けると歩き出す。
 岡野はそんな俺を追って来ると、わざとらしく言った。
「あんれー、晴くん顔赤いよ?」
 ジュースをゴクンと流し込んで、窓から見える夕日を睨んだ。岡野の言葉は、聞いていないふりをした。
 
2004-04-17 18:56:23公開 / 作者:HAL
■この作品の著作権はHALさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ナイフこれで完結です☆目を通して下さった方、心からありがとうございました(*^∀^*)
この作品に対する感想 - 昇順
あ、すいません。全4話です☆続きます。
2004-04-11 23:29:22【☆☆☆☆☆】HAL
こんにちは、よもぎと申します。えっと…この作品を読ましていただきましたところ、最初の部分にある「ばたんっ」や「がたんっ」という擬音ですが、ここは平仮名ではなくカタカナにした方が良いのではと思います。意図的になさったことであるのなら仕様がないのですが、擬音が平仮名で表されていると、どうしても読者にマヌケなイメージを与えてしまうような気がします(私的に)。全体的にシリアス調のイメージがあるので、やはりここは擬音や動作の表し方も考慮なされた方が、読者にもHALさんの意思が伝わり易いと思います。続きも楽しみにしていますね(^^)
2004-04-13 17:17:19【☆☆☆☆☆】よもぎ
よもぎ様、ご指摘ありがとうございます!ほんと、間抜けな効果音になってますね↓気づきませんでした;本当に、ありがとうございました☆これからも、よろしくお願いします。
2004-04-13 18:58:46【☆☆☆☆☆】HAL
すごいよかったです。話のテンポがよかったので最後までハラハラしながら読めました。私が中学のときには、クラスでターゲットをぐるぐる回していじめがありました。中学入学にあわせて引っ越してきた私は一番初めにターゲットになったんですけど。そのころのことを思い出したんですが、いじめがあるときってそれに安心してしまうんですよね。その人がいじめられてたら自分は大丈夫、みたいな。 次回作も楽しみにしています。
2004-04-17 20:11:17【★★★★☆】白雪苺
白雪苺さま、ありがとうございます!やっぱどこでもありますよねぇ。うちは陰口だけですんだけど、大変な事件になった子もいて。。。確かに、ターゲットが決まっているときは何処かで安心していたかもしれませんね(汗 ではでは、次回もまた頑張ります☆ありがとうでした♪
2004-04-18 23:13:42【☆☆☆☆☆】HAL
重松清のショートといった感じか。この短さでこれだけのストーリーを詰め込んだ構成力が秀でていると思う。学校を舞台にするとついつい色々な生徒を登場させたくなるものだが、この作品にはそういう余計な人物を一切出さず、テーマをきちんと絞っているので物語に集中できた。流れを切るようにグダグダと登場人物設定を説明しないところも○。内容については、タイトルでもある「ナイフ」があまりスポットを浴びていないように思われ、ナイフを持つ者の気持ちを主人公が考えてみるような場面を増やしても良かったかと思うが、そこまで求めるとちょっと長くなり過ぎるか。つかこのコメントが長いな。一言でまとめると、面白かったです。
2004-04-19 06:35:20【☆☆☆☆☆】TAMA
TAMAさま、感想・アドバイスありがとうございます。重松清さん大好きなんですよ!!やはり、影響うけてるんでしょうね;実は「説明的な文は抑える!」というのが、いつも気にかけていることの1つなのです!だから褒めて頂けて本当にうれしいです。「ナイフ」について、実は晴が、自分がナイフ握ったとこを少しづつ想像して〜という場面も考えたのですが、上手くまとまらなくて;またゆっくり考えてみようと思います。全然長くないですよ!詳しいコメント頂けてうれしいです!ありがとうございました。
2004-04-19 18:58:24【☆☆☆☆☆】HAL
計:4点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。