『独房【終結】1〜13』作者:STATE / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角19764文字
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原稿用紙約49.41枚
(1)

いつから俺はここに居たんだろうか。
自分の部屋だけど、何かがさっきとは違う…
何かが…


「なぁ、知ってるか?」

 今日のダルイ授業もそろそろ終わりを告げようとしていたその矢先、俺の前の席に座っている勝也が小声で話しかけてきた。
「何を?」
 あんまりこの授業では話したくなかったのだが、勝也はムシするとしつこい。だから最小限の注意をはらい俺は勝也をしのぐ小声で答えた。
「最近、行方不明者が増えてるって」
「…さぁ」
「何でも…独りで部屋に居るといきなり変な感覚に襲われて消えちまう、って話らしいぜ」
「…ふうん、消えた人からでも聞いたのか?」
 いつも勝也はこんなくだらない話ばかり俺にする。もう慣れたが、いちいち相手にしてられない。俺は目線を勝也から黒板、黒板からノートへとうつした。

「そーゆう噂なんだよ、ウワサ、…オレは俊を心配して言ってんだ」
 真面目なのか冗談なのかわからない。勝也はそういうとこがマイナスポイントだな。見た目はそう悪くないのに。
「わざわざ心配どうも」
「あ〜、信じてねぇなぁ?だからおめーは女の一人も二人も出来ねぇんだよ」
「お前こそ」
 口を軽くへの字に曲げ、勝也は教卓の方へ向き直った。

「うげ」
「新橋…毎回毎回お前だけは本当に…」
 時すでに遅し。目の前に教卓はなく、その代わり頭の相当キてる数学教師、笹野が勝也を睨み付けていた。
「俊〜」
「…ご愁傷さま」
 助けを求める目をそらし、俺は小声で言った。

 そらした俺の視線の先に、いつもは目につかない女が居た。須藤だ。目立つ女じゃない。
「・・・・・」
「え?」
 一瞬目が合って、何かを言われた…気がした。
 思わず声が出た俺を笹野が今まさに注意しようとしたその時、

カラーン…カラーン

「終わり、か…」
 笹野が呟き、前へと戻る。
「…もーっと早く鳴りゃ良かったのに」
 勝也が下唇を少し突き出し言った。



 最後のHRも終わった。俺は帰るべく自分のカバンを手にとった。そこへ勝也がかけ足でやって来た。
「もう帰んのかよ?」
「そりゃな、『帰宅部』だし」
「そっか、消えんなよ〜」
 すでに教室のドアに手をかけている俺に勝也は笑って言った。
「はいはい、また明日」
 消えるわけない。


 そう、きえるわけがないんだ。これはゆめなんだ。


(2)

「消える…か」
 勝也の言葉を思い出して笑みが零れる。有り得ないな、正直な感想だった。
「曽阿木くん」
「?」
 後ろから聞きなれない声に突然呼ばれて驚いた。『曽阿木』なんて珍しい名前、この学校には俺しか居ないだろう。その声の主を見て更に驚いた。

「…須藤…」
 須藤に声をかけられるなんて初めてじゃないだろうか。
「な、何?」
 …だせぇ。平静を装い切れなかった…。
 そんな俺を知ってか知らずか、須藤は表情一つ変えずに口を開いた。
「新橋くんの言ってたこと…有り得ないと思う?」
「え?」
「話、聞こえてたの…やっぱり、信じられないよね」
 何言ってんだ?俺の顔がそう言ってたに違いない。須藤は少し焦ってうつむいた。表情の硬さは相変わらずだが。

「…私の弟は消えたわ、いえ…”消された”…私の目の前で…」
「消 され た…?」
 理解の範囲を超えている。人が消えるなんて…そんなことが有り得るだろうか。いや、有り得ない。
「ええ…つい3ヶ月前よ…弟の部屋が急にひどく騒がしくなったと思ったら急に一切音がしなくなって、私は弟の部屋に入ったの」
 淡々と話す須藤を俺は呆然と眺めていた。
「…そしたら…」
 微かに須藤の地味だが端正な顔が歪んだ。泣くんじゃないかと俺は一瞬思った。実際は涙なんか流れてなかったけど。

「圭…弟は、下半身が消えてた…正確には”なくなってた”、切れ味のいい”何か”に切られたみたいに…臓器が見えてるのに不思議と血は一滴も出てなかった…弟は顔面蒼白で必死に声を張り上げてる”様子”だったわ…でもその声は全く聞こえてこなくて…無音、だった」
 須藤の瞳と髪はこんなに真っ黒だっただろうか、有り得ない筈の話を真面目に語る彼女を見て、俺はそんなことを考えていた。彼女の瞳は、何も映し出さない闇のように暗かった。
「その切り口が段々と上へ上がっていった…いたぶるように、ゆっくり…私は、目の前の光景を見てるだけで何も出来なかった…圭は、痛そうで、苦しそうで…まだ12歳だったのよ…」
 無表情のまま話し続ける彼女のその手が震えているのが判った。

 嘘じゃない

 彼女を見ていてそれだけがひしひしと伝わってきた。でも…

 有り得ない

 二つの考えが頭の中を交錯する。混乱した脳で俺はやっと言葉を吐いた。
「周りは…親とか学校とかは…騒がなかったのかよ?」
 質問すべきはもっと他にもあっただろうが、今の俺にはこれが精一杯だった。
「…判らない、弟が消えてすぐ父さんに言ったら…『お前は一人っ子だろう』って…弟の部屋”だった”場所に戻ってみたら…弟の物は全てなくなってたわ」

「”存在していたこと”も消えたのか?」
 俺は少し落ち着きを取り戻した。なぜなら、彼女が『弟は居た』のだと信じ込んでいた、ってことならこの有り得ない話も納得がいく。きっと…彼女は心を病んでる。
「写真からも消えてた…私だけが、圭の存在を知ってたみたいに…」
 それを聞いて更にそのことを実感した。
 …驚かせやがって。俺は安堵と…少しの不安を感じていた。
 もう、関わらないでおこう、そう思った。

「…君の想像だったんじゃないか?全部」
「!」
 ふいに言った俺の言葉に、彼女はいつもの無表情を置いて、ひどく傷付いた顔をしていた。

 ズキ

 胸が痛んだ。でも…事実だ。
 人が消されるなんて…信じられるか。

「…部屋で違和感を感じたら、気をつけて」
 そう言った須藤はもういつもの表情だった。
「どうして俺にそんなことを言う?」
 背を向ける須藤に俺は一番の疑問を投げかけた。
「…わからないわ」
 俺を振り返ることなく須藤は答えた。

「…有り得ねぇ」
 帰り道、自分に言い聞かせるかのように呟いた。だが『不安』が俺の脚を早めさせていた。




 おれがあのとき、きみをしんじていたら。みらいはかわったのか?


(3)

 翌日、俺は須藤の言葉をこんなに早く実感することになるとは思わなかった。

 昨日は部屋に不安以外の何の違和感も感じることもなく、普通に過ぎた。
 俺の両親は3年前に事故死して、一人息子だった俺は引き取り手もなく中3から独り暮らしだ。それをいいことに友達…特に勝也は俺の家に入り浸っていた。
 だが、そろそろ勝也の親が怒り出したらしく一週間程前に自分の家へ嫌々帰宅した。

 よりによって一人の時に変な不安を抱いて過ごさなきゃならない。しかも何故だか洋館仕立てのこの一戸建てはやたら薄気味悪く感じる。…自分の家なのに。

 それにもう一つ気になることが。
 最近、夢で両親の事故死の瞬間を良く見る。当時居合わせた訳でもないのに。そして…


『お前を気に入った』


 その夢の最後に必ず、暗く低音で悦びを含んだ声が聞こえる。周りは父のものとも母のものとも判らない臓器と、粉々のフロントガラスがとびちり、血液で一面赤く染まった情景でその不気味な声を耳にして俺の夢は終わる。
 全く…目覚めが悪い。

 今日もそんな最悪な気分で目が覚め、朝メシも食べずに学校へと向かった。
 勝也に『消えなかったぞ』と言ってやろう、そんなことを考えて。


 しかし


 勝也は来なかった。
 と言うより”机がなかった”。確かに昨日までは38人だったクラスは、欠席者も含めて30人になっていた。教師も生徒も何も言わない。まるで初めからこのクラスは30人だと言わんばかりに。
 時間だけがいつものように過ぎた。授業と休憩の繰り返し。だが、今の俺の頭には英単語も年表も、簡単な数式すら入ってこなかった。

「先生…”新橋 勝也”って、知ってます?」
 数学の時間、近くに来た笹野に俺は聞いてみた。
「は?何を言っとるんだ?」
 ”知ってて当たり前”、俺は期待していた。


「そんな誰だか知らん奴の話をする前に、早くこの問題を解け」


「……」
 頭をポンと教科書で叩かれた。皆が笑う。


 全員”新橋 勝也”を知らない、という事実。


 昨日勝也に怒鳴っていたのは誰だ?
 俺は頭がおかしいんだろうか?

 カラーン…カラーン

 俺はチャイムが鳴ると同時に、彼女、須藤の元へと向かった。

「…おはよう、曽阿木くん」
「…”新橋 勝也”って知ってるか?…知ってる、よな…?」
 祈るような気持ちだった。


「誰のこと?」


「……」
 絶望感が一気に押し寄せた。
「そう…か、悪いな…変なこと聞いて」

「嘘よ」
「え?」
 振り返った俺の目に、意地悪っぽく笑う須藤が映った。
「私の気持ち、少し判って欲しかったの」
 そういう彼女は、もういつもの顔だった。




 きみにもうすこしはやくであっていれば なにかちがったかもしれない。




 いえ、おなじよ。


(4)

「新橋くん…消されたのね」
「……みたいだな…」
 頭の中は依然めちゃくちゃだったが、一人じゃない、という安堵が俺を落ち着かせてくれた。
「勝也は…消えた人達は戻って来ないのか?」
「さぁ…でも心配してる場合じゃないわ」
 須藤の黒い瞳と一瞬目が合った。
「どういう意味だよ?」
 言葉に反して鼓動が早まる。

「私たちも、明日には…ううん、今日、消されるかもしれない」

 カラーン…カラーン

 始業のチャイムが鳴った。
 とりあえず席へ戻ろうとする俺に須藤は呟いた。
「今日、明日で消えてしまうかもしれないのに、何を学べばいいのかしらね」

 全くだ。

「おかしなことだらけだよ」




 もうその後の授業は聞いていないに等しかった。当てられた時は焦ったが、判る問題だったから助かった。
 俺はとにかく早く放課後になることを祈って授業中も、休憩時間も窓の外と時計を交互に見続けていた。


『気に入っているんだよ…』


 ”あの声”が微かに聞こえた気がした。そう、夢に出てくる、”あの声”。
「…気に入っている…?」




 やっと放課後だ。俺はため息を吐いた。
「曽阿木くん」
「…須藤」
「一緒に帰らない?」

「…あぁ、話したいこともあるしな」
 そう言って俺は席を立った。…心なしか須藤の頬が赤みがかってるのは気のせいか。表情は変わらないが。

 しばらくは無言で歩いた。珍しい組み合わせなのか、やたらと視線が突き刺さる。まぁ確かに、今回のことがなければ一緒に帰るどころか言葉の一言すら交わさなかっただろう。
「…急に、無口だな」
「え?あ…ごめん、男の子と帰るなんて初めてで…何か、変に緊張…」
「…ははっ」
 思わず吹きだしてしまった俺を須藤が目を細めて睨む。赤みがかっていたのはどうやら気のせいじゃなかったみたいだ。
「もう何も言わない」
「ごめんごめん…だけど、変な話だよな」
「…そうね、このことがなかったら私達きっと話なんかしなかったわ」
「ああ、須藤が実はオトコに免疫がない、なんて知ることもなかったよ」
「…もう、ホント嫌」
 お互い一人じゃない、ってことが気持ちを和らげていた。もし一人なら…そう思うとぞっとした。彼女は3ヶ月前に弟を”消されて”から一人でどう過ごしてきたのだろう、ふとそう思ったが聞かなかった。

「そういえば話したいことって…?」
「うん、まぁ当然行き当たる疑問なんだけどさ…何で俺たちだけが消えた人のことを覚えてるんだろうな」
「私もずっと思ってた…まだそのときは”私だけ”だと思ってたけどね」
 彼女は相変わらず淡々と表情を変えず話す。これが一人で過ごしてきた結果なのだろうか。そう考えると何だか胸の奥が熱くなった。
「まぁ、それは簡単に判りそうにないわね…他に最近気になることはある?」
「最近か、…夢で変な声を聞くことくらいかな」
「変な声?」
「ああ、『お前を気に入った』とか何とか」
 話すつもりはなかったのだが、気になることは他にこれといってなかった。

「お前を…気に入った…?」
「別に人が消えたことには関係ないだろうけどな」
「……」
 急に須藤が眉間に軽くシワを寄せ押し黙った。
「須藤?」


「私も…聞いた」



 おれがきえるときみはどうなってしまうんだろうか。それだけが こころのこりだ。

(5)

「私がその声を聞いたのは……弟が消えた直後よ」
「どういうことだ……その声を聞いた奴は消えたやつのこと覚えてる、って言うのか? ……有り得ないことだらけだな」
「だけど、現実よ」
 彼女はこんな信じられない状況に立たされながら、それを直視してる。全く強い、俺は自分が情けなくなった。

「…すぐには何も判りそうにないわね」
「あ、ああ……でも今日も明日も確実に人が消えていくんだろうな」
「そうね、私が気付いた時すでにクラスは40人だったから」
「え?」
「どうしたの?」

「俺たちのクラスって、元は何人いたんだ?」
 何てことだ。

「…45人いたわよ、この学校大きいもの」

 そうだった。俺はいつの間にか38人だと…減ってゆく数が正しいものだと思っていたんだ。今なら、教室がやけにスカスカする感覚が納得できる。
「そうか、そうだった……俺は勝也のことがなければずっと気付かなかった」
「…45人ももしかしたら正確じゃないかもしれないわ、でも私が気付いて思い出したのはその数だった」
「多分45人だったと思う……言われて思い出すなんて、人の記憶なんて曖昧なんだな」
「他の人たちはきっともう思い出すこともないだろうけど……私、気付いてからずっと考えてたの」
「何を?」

「いつ頃から、人が消えはじめたのか、って」
 彼女は俺より少なくとも3ヶ月は前に”事実”を知っていた。考える時間は充分あった訳だ。自分がいつ消されるのか、と怯えながら。
「それで……判ったのか?」
「半年前の記憶では45人居たわ、そこからすると……5ヶ月前頃からみたい」
「5ヶ月前……」

「…ハッキリとは断言出来ないけど、今日みたいに1クラスだけで8人も消えたのは初めて……3ヶ月前から今までは多くて2人、クラス内では誰も消えない日もあった…きっと初めのうちは1人ずつ消えていたんだわ」
 須藤は前方を見つめ、真剣に話す。歩調が早いのはあまりにも真剣なのだろう。俺は頭を整理させて聞いた。
「あくまでも私たちのクラスでだけ、よ……もしかすると、他のクラスや他の場所でならもっと減ってるかもしれない」
 背筋が寒気に襲われた。それがこの現実味のない話に対してなのか、もっと他の何かになのかは判らないが。


 それから5日過ぎた。俺と須藤はまだ消えていない。クラスの人数は19人。学校全体で、世界全体ではどれだけ減っただろう。日本だけだと思っていたらそうじゃなかったみたいだ。あの有名な州知事も消えていた。だが別の人が前から自分のポジションはそこであったかのように振舞っていた。誰が何の為に人類を消しているのだろうか。テレビから有名人もどんどん消えてゆく。動物だけは何故か消えていないようだった。もしかしたら気付いていないだけかもしれない。どうやら俺が認知していない人物は消えても、もとから知らないのだから記憶に組み込まれないらしい。

「おかしな世界になってきたな」
 俺は公園の芝生の上で隣に座る須藤に独り言のように言った。もう学校へは3日前から行っていない。人数の減る教室、平然としている人々…その中で正常でいられそうになかったからだ。
「ええ……いっそ皆みたいに記憶がなくなればよかったのかもね」
「…さあね、こうなったのが現実だから……仕方ないな」
 彼女は俺から見ても判るほど疲れきっていた。
「…強いのね」
 俺が思っていたよりも彼女は強くなかった。でも、彼女の黒い瞳は依然として強いままだった。
「一人じゃないからな」
 正直な気持ちだ。もう一つ正直な気持ちがあったが、言わないでおいた。
 だって、もう彼女の頬はすでに赤かったから。俺に見えないように反対側を向いてたけど。
「そうね……私もそれは思うわ」
 最近、無表情の彼女の言葉一つ一つが俺にとって大切なものだと感じる。そんな状況じゃないんだけど、そんな状況だからこそ感じれるのかもしれない。

「俺たちいつ消えるんだろうな」
「…私、親友が消えたのに気付かなかったの」
 彼女は突然口を開いた。心の重しをゆっくりどかすかのようにゆっくりと。
「弟が消えてから、記憶をたどってるうちに思い出して…最低よね、すごく大事で…大切な人だったのに……」
 初めて涙を見た。黒い瞳からとめどなく溢れ出す。
「…でも、忘れてた自分が許せない……」

「…曽阿木く…ん」
 俺は彼女を抱き寄せた。
「須藤は悪くないよ、悪くない……俺たちだけが消えた人を思い出せる、覚えていられるんだ」
 クサいことを言ってる、自分で思う。だけど、彼女を抱き寄せる手は緩めなかった。こんな気持ちは初めてだったから。

「……」

 小声で聞こえた”ありがとう”。暖かかった。たとえ今日消えてしまっても俺は後悔なんかしないだろう。

 キイィィ……ン
『お前らを気に入ったんだよ』


「!!」
 突然何処からともなく耳鳴りと共に”あの声”が聞こえた。どうやら幻聴じゃないようだ。須藤も目を見開いている。
「今の…?」
 頭がひどくズキズキする。
「”あの声”だ…っ」
「曽阿木くん? 大丈夫!?」
 須藤はどうやら頭痛がしてないようだった。

 キイィィ……ン
『名前を、な……ククク……』

「な…まえ……?」
「しっかりして!」
 気付けば俺は芝生の上に崩れ落ちていた。頭が割れるように痛い。須藤の顔がぼやける……


 俺の意識は途切れた。



(6)
――須藤 美玲side――
 私はいたって普通の女子高生。
 優しい父さんと可愛い弟、それから、綺麗で大好きな母さんと平和な日々を送ってた。
 病気がちだった母さんは私が12歳の時に亡くなった。死に顔も天使のように美しかった。

 母さんが死ぬ前に私に残した言葉が忘れられない。

『あなたの名前は”みれ”だけど……あなたの”み”は”び”なのよ』

 今になっても全く意味がわからないんだけど、ずっと心に残ってる。



 母さん、私、これからどうしたらいい?
 弟、圭は3ヶ月前に消えました。
 父さんは……昨日、消えました。


 母さん、私……


「彼、お目覚めみたいだぞ」
「え!?」
 曽阿木くんが目を覚ましたらしい。”あの声”を聞いた途端急に倒れた彼を、私は運ぶことも出来ずにいた。
 そこにやって来て曽阿木くんを近くの自分の家まで運んでくれたのが、このハーフの彼。彼を先頭に曽阿木くんがいる部屋へと歩いた。
「あの、ありがとうございました」
「お礼なんかいらないよ、助け合いは大事でしょ……かなり困ってそうだったしね、アンタ」
 端整な顔立ちの割に結構ぶしつけな物の言い方するのね、この人。まぁ助けてくれたんだからよしとするわ。
「……広いお屋敷ですね」
「まあね、メイドも親も消えちゃってもう一人さ」

「!?」

「消えた…って?」
 私は血が逆流しているような気がした。もしかして、この人も…?
「さあ、ただいきなり居なくなったんだよ……何? オレに興味でもある?」

 何、この男。期待して損したわ……。この人も人が消されることを知ってると思ったのに。……居なくなった?
「”記憶がある”のね……」
 私は思わず口に出していた。
「記憶?」
 ”失礼な恩人”は首をかしげながら私を見た。
「どんなメイドさんが働いていたとか、どんなご両親だったかとか……覚えてるのね!?」
 何て非常識な質問だろう、自分で思った。だけど、今の私たちには違う。そのことがいかに大事なことか。充分過ぎるほど判っていた。
「当たり前だろ、変な奴だな」
 ”当たり前”! この人には記憶がある!
 鼓動が一気に早まった。でも、それが普通だと思っているこの人に”人が消える”なんて話しても信じてもらえないだろう。
 彼は首をすくめ、目にかかった金髪を指で軽く流した。

「ここだよ」
 そう言って彼は部屋をノックした。ドアを開けて私を先に通してくれる。
「曽阿木くん!」
 私は走って曽阿木くんに駆け寄った。半分体を起こしている。様子からするともう大丈夫そう。
「須藤! ここは……?」
「よかった……」
 何故か凄く安心している自分がいた。
「曽阿木くんが倒れた後、彼が通りがかって助けてくれたのよ、ここは彼の家」
「そうだったのか、ありがとう……」
 握手しようと彼は恩人に手を差し出したが、名前が判らない様子だった。そう言えば、私も彼の名前、聞いてない。
「あ、僕の名前は 朔間=ラセル=スミス、ラセルって呼んでくれ」
 そう言いながら恩人は極上の笑顔を見せ、握手を交わした。
「わざわざ悪かったな、俺は 曽阿木 俊 だ、俊でいい」
「シュンね、OK……ところで、あの連れの彼女は何て言うんだ?」
 片方の唇だけを器用に上げて恩人は私を指差した。確かに私は失礼だったと思うけど……彼もなかなか失礼だと思う。でも私は頭を下げて言った。
「ごめんなさい! 須藤 美玲 です……本当に、ありがとう」
 頭を上げると目前には朔間=ラセル=スミスの極上の笑顔があった。
「どういたしまして、ミレ」
「須藤です、朔間さん」
「……ラセルでいいのに」
「いえ、朔間さん」
「……アンタ達は恋人か何か?」

 ……本当にいけ好かない奴。


(7)
「はは、そうなるかもなぁ」
 ラセルの第一印象は好青年、って感じだった。須藤は何故か無表情、と言うより仏頂面になっていたが。
「何言ってるのよ」
 俺の冗談を須藤が軽く流す。……そんなにハッキリ言わなくても。
「へぇ、ミレはそんな気ないワケだ、男ならミレみたいな黒髪の綺麗な女性を恋人にしたいと思うな……僕なんかどう?」
 おぉ、流石! なんて少し感心してしまった。
「馬鹿なこと言わないで……鳥肌立っちゃったじゃない、それに、それどころじゃないの」
 肝心の須藤は全く相手にしていないが。確かに恋だの愛だの言ってる場合じゃない。
「冷たいねぇ」
 ラセルは明るく笑う。

「そうそう、本当にそれどころじゃないの」
 ラセルを押しのけて須藤が俺の横へ来る。
「どうした?」
「朔間さん、働いていたメイドさんやご両親が突然居なくなった、って」
 居なくなった? 話す須藤の表情が少し明るいのは気のせいだろうか。
「消えたのか?」
「ええ、多分……でもそこが重要じゃないの、彼、そのメイドさんたちやご両親の記憶があるのよ」
「記憶が! 俺たちだけじゃなかったのか!」
 俺と須藤の会話をラセルはぽかんとして聞いていた。当然の反応と言うべきか。
「おい!」
 ラセルが会話の間合いに入りこんで来た。俺たちは動きを止めてラセルを見る。
「さっきから何の話をしてるんだ? 当たり前のことだろ? アンタ達は何言ってるんだ」
 そりゃそうなるよな。俺もそう思ったよ。……何て昔を思い返してる場合じゃない。
「当たり前だよ、だけど今の世界には当たり前じゃないんだ」
 俺はラセルの目を見て言った。青く澄んだ瞳。やっぱりハーフなんだな、と思った。
「何を……言ってるんだ?」
「一応説明するけど、信じてもらおうなんて思っちゃいないから気の狂った戯言だと思って聞いてくれ……俺たちもそうであって欲しい」
「………」
「今、世界では人が消えてる」
「……はぁ?」
 予想通り、いや、予想より間抜けな反応。まぁ、そう言いたくもなるか。
「変な話だけど……事実なの」
 須藤もたまらず口を出した。彼女はこれで”2人目”だからな。
「そ、そんなの信じられる訳ないだろう、アンタ達は頭がおかしいんじゃないのか」
 ラセルはよっぽど混乱しているようで、目をきょろきょろさせている。俺もこんな感じだったのかな。皮肉なもんだ。俺が信じてなかったことをこうやって今は人に話してるんだから。
「まぁ、信じてもらえるとは思ってなかったよ」
 俺は自然に笑えた。淋しいとか、苛立ちなんてなかった。あるのは諦めだけ。あの時の須藤もそうだったのかもしれない。
「知らせない方がいいのかもしれないけど、本当なの」
「ミレ」
「私たちみたいに記憶があるのが当たり前だった……だけど、人が消えても気付かないのが今の現実なのよ」
 須藤も笑顔だった。俺たちの考えていることはきっと、同じだと思う。
「人が消える、なんて……」
「……私たちの通ってる学校の、初め45人居たクラスメイトが今じゃ21人、いえ、それ以下かもしれない……半分以上減ってるのに教師も生徒も平然としてる」
 太陽が沈んできたみたいだ。窓から離れた場所は段々と薄暗くなってきた。須藤の顔に夕陽となった太陽の光が当たり瞳の黒さを際立たせた。
「皆、消えた24人の名前も顔も……存在すら覚えてない、記憶がないの」
 ラセルは無言だった。
「その24人の中に俺の友達も居たんだ、でも……そいつの存在を覚えてたのは俺と、須藤だけだった」
 ラセルは俯いた。
「芸能人、政治家、世界中の色んな人が消えてる、ただ誰も認識してないだけで」
「私と須藤くん、そしてあなた以外の誰もがね」

「はは、からかうのもいい加減にしてくれ……じゃあ何で僕たちにだけ記憶があるんだ」
 ラセルの混乱は収まらない様子だ。
「…判らないわ……でもあなただって急にメイドさんやご両親が居なくなっておかしいと思ったでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
 須藤とラセルが言い合う中、俺はふと”あの声”が言った事を思い出した。

 ……名前……
「須藤! 須藤は俺が倒れる直前”あの声”を聞かなかったか!?」
 突然俺が大声を出したから、須藤もラセルも驚いていた。
「私たちを気に入った、って……」
「その後だ! 名前を気に入った、って」
 俺の言葉を聞いて須藤は首をかしげた。
「……? 聞いてないわ」
「きっと、名前に何か手がかりがあるはずなんだ」
 須藤は眉をひそめる。そこでラセルが今までとは違った表情で口を開いた。


 もうそろそろかな。


 まだみたいね。

(8)
「とてつもなく信じ難いんだが……僕の母によれば、僕の名前”racell”の綴りを並び替えると”recall””記憶する”という意味になるらしい……」
「綴り……!」

 つながった。

 俺はすばやく身を起こすとベッドから飛び降りた。
「ありがとう! ラセル、お陰で前に進めそうだ……須藤、帰ろう」
「え、えぇ、朔間さん、ありがとう」
 俺は須藤の腕を引っ張り、ドアへと向かった。
 ラセルが慌てて俺たちの方を振り返る。
「待てよ! ……百歩譲って人が消えるとしよう、だけど名前の意味が判った所でどうなる? アンタ達も他の人も消えなくなるわけじゃないだろう」

「…ああ、だけど何もしないよりはいい」
「記憶が私たちにある限り、何もしないでただ消えるのを待つよりはずっといいわ」
「ラセル、色々ありがとう……また、逢えるといいな」

 ラセル、きっと君は正しい。俺たちが例えその謎が解けたとしても、解けなかったとしても、俺たちはいつか消えるかもしれない。少なくとも、何の保障もない。

 だが、俺は俺たちが間違っているとも思えない。”あの声”が俺たちに何らかのヒントを与えている以上、何かをすべきなんだと思う。
 須藤、君もそう思うだろ?

「私たちは間違ってないわ」

「……ああ」
 やっぱり君は強いよ。


 俺と須藤はラセルの広い家を後にして、歩き始めた。
「ラセル、いい奴だったな」
 俺のこの言葉に須藤は少し笑った。
「レディーファーストには感心したわ……これからどうするの?」
「そうだな、とりあえず俺と須藤の名前をスペルに直して何通りも調べよう」
「そうね」
「短時間とは限らないけど、大丈夫か?」
「ええ、父さんは昨日消えたし、一人で居たくない」
 もう辺りは薄暗い。俯き加減の彼女の表情が見えなかった。ただ声が震えていた。自然に彼女の右手と俺の左手が触れた。俺はその手をとった。
「俺の家に昔父さんの部屋だった書庫がある、そこなら辞書もあるし、調べものにはうってつけだろ」
「……ええ」
 須藤はきっと頬が赤いだろう。俺は可笑しくなった。
「何よ?」
 須藤が少しムッとした顔で俺を睨む。
「何もないよ」
 俺は笑った。
 須藤も、笑った。


「ここだよ、まぁ入って」
 俺は両開きの扉を片方だけ開け、須藤を通した。
「広い、のね……曽阿木くんの家」
 須藤は入るなり上や辺りを見回してキョロキョロしている。ホコリかぶっているからあまり見ないでもらいたいのだが。
「使う部屋は一部だけだよ……掃除も使ってる部屋しかしてないから、ほとんどしてないようなもんだ」
「……凄いわ」
 須藤は言葉を失ったようだ。
「無駄にな、ここが書斎」
 キィ、と木の軋む音とともに書斎のドアが開いた。もう何年も使っていないから、本や木の古い臭いが堰を切ったように外へ溢れ出してきた。ボロい書斎だが、広さと書籍量は凄かった。円形の部屋の隅から隅まで真ん中のテーブルを囲むように広がる円形の本棚。そこにおびただしい程びっちりと詰め込まれた本。自分の家の部屋なのにこんなにちゃんと見たのは初めてだ。まぁ、父さんが生きてた頃は俺に入らせてくれなかったからな。

「……ほこりっぽい、な」
 俺は苦笑いを浮かべた。
「ふふ……少し、掃除しようか」
 彼女は手に持っていた鞄を床に置き、笑顔で言った。相変わらず無表情に戻るのが早いが。
「ああ」

 とりあえず、俺と須藤は掃除を始めた。須藤が床を綺麗にしていくその間、俺は父が汚くしたであろう机の上を整理していた。写真立てに俺と母さんが移っていた。ホコリを拭き取ろうと写真立てを持ち上げた。

「?」

 紙が足元へハラリと舞い落ちた。俺はしゃがんでそれを拾う。

『――死神よ わたしと妻、そして息子は最後だ――』

 それは明らかに父の筆跡だった。




 きみをもうひとりにしない。


 うそつき。


(9)
「? どうしたの、曽阿木くん」
 微動だにしない俺を不思議に思ったのか、須藤が俺の隣へやってきて腰をかがめる。
「俺の……親父が書いたみたいだ」
 そう言って俺は立ち上がり須藤に紙切れを渡した。
「……どういう意味なのかしら」
「さあ、な……本気で書いたのかすら怪しいけど」
 俺の知る限り、父は生真面目で神はもとより、天国も地獄も信じちゃいなかった。話すだけで怒ってた。その父親が”死神”……?
「冗談で書いたものを写真立てになんて挟むかしら」
「本気で書いたんだとしても、全く意味が判んないよ……とりあえず、このことは保留だ」
「そうね」
 俺たちは片付けを再開した。

 ようやく一段落ついて、俺と須藤は椅子に腰掛けた。
「片付けだけで日が暮れそうだな」
「ええ、思ったよりハード」
 そう言って須藤は笑いながら溜め息を一つはいた。俺も疲れていた。だけど、休む暇はない。
 二人とも判っていた。
「さ、もうじき片付くわ」
「ああ、じゃあ俺飲み物でも持ってくるから先に始めといてくれ」
「判った」

 キッチンへ来た俺は部屋の奥にある棚からグラスを二つ取り、その隣の冷蔵庫を開けた。
 その時

 パチッ
『…………』

 テレビがついている。
 それも驚くべきことなのだろうが、俺はテレビの中の情景に言葉が出なかった。

 誰も映っていない。

 だが、放送が止まる訳でもない。ニュースのキャスター席がただ、静かに映っているだけ。
 俺はとっさに他のチャンネルに変えた。

『昨日、午後未明……』

 このチャンネルには”居る”。
 俺は全てのチャンネルを回した。結果、地方番組も入れて7放送のうち2放送がキャスター不在、うち1放送がCMもなくただカメラが回されている状態、残りはカメラのテープが切れたのだろうか、ザーッと粒子が音を立てるだけだった。

 時間が、ない。

 俺は痛切にそう感じた。


「遅いじゃない、もう終わったわよ」
 疲れきった様子で須藤は帰ってきた俺に言った。
「…どうしたの?」
「もう消えても”変わり”がいなくなってきてる、今テレビを見たらキャスターが居ない番組や、カメラが回りっぱなしの番組があった……スタッフも消えたのかもな」
「今も確実に数が減ってるのね……」
 そう言いながら、須藤は床に置いた鞄からタオルを取り出し俺の額を拭った。いつの間にか俺の額にうっすらと汗が滲んでいた。
「…始めましょう」
 須藤はタオルを机の上に置くと椅子に腰掛けた。手には本棚から取ったであろう辞書を抱えて。
「ああ」

 俺たちは作業を始めた。気の遠くなりそうな作業。まず須藤の名前から取り掛かることにした。”美玲”を”mire”と”mile”に変え、その二単語を二人で分担、並び替え、そして調べる。その作業の繰り返しだった。結局ぬかるみだとかマイルだとかどう考えても話がつながらない意味の単語しか出てこなかった。
「さっぱり判んねぇ」
 俺は須藤の足元でうんざりしていた。
「……あなたの”み”は”び”……?」
 意味の判らない言葉を口にしたかと思うと、彼女は突然椅子から腰を上げ、俺の隣に座った。
「そう! 私の母さんが言ってたの、私の”み”は”び”だ、って! ”みれ”じゃなくて”びれ”で調べてみましょ」
「…もう何でもやってみるしかないな」
 半ばなげやりな気持ちだった。

 須藤の提案で俺たちはさっきの要領で”bire””bile””vire””vile”この四通りを二手に分けて調べることにした。
 頭がこんがらがってくる。単語として当てはまらないどころか、折角当てはまっても競争者だとか裂けるだとか、話にならない単語ばかりだ。
 しかし、”vile”を調べていたら一つひっかかる言葉があった。

 ”live”=”生きる”

「須藤、終わったか?」
「ええ、是と言ってピンとくるものはなかった……曽阿木くんは?」
「…ハッキリとは判らないけど、これ」
 そう言って俺は意味のある単語を抜き出して書いた紙を須藤に差し出した。”live”の部分を丸で囲んで。
「live……生きる……?」
「他の単語はいかにも関係なさそうだろ? 下品、有害、とかさ」
「ええ……でも、どういう意味なのかしら」
「さあ、ね……もしかしたら須藤は生き残る、なんてね」
 冗談のつもりがやけに生々しく聞こえた。

「…一応私の名前は調べ終わったことにして、曽阿木くんの方、調べましょう」
「そうだな」
 俺たちはまた気の遠くなる作業へと戻っていった。




 ごめん


 またね

(10)
 俺の名前、俊は”shun””syun”の両方から調べてみても”回避”という単語以外は単語に為りえなかった。
「どういうことだろう」
「私が生きて、曽阿木くんは回避出来る、ってこと?」
「……さぁ」
 何だかしっくりいかない。何故だろうか。親父の言葉が残っている。

 SOAGI SYUN

 ローマ字に改めて書いてみた。『わたしと妻、そして息子は――』

 最後?

 SAIGO

「!」
 もしかしたら。だけど、今まで英語の意味に沿っていてどうしてこれだけローマ字読みなんだ。

 キイィイイ
「曽阿木く…ん! これ!」
『どのみちこの世界は終わりだ、ほんの遊び心さ……楽しい余興だったろ』
「く……っ」
『世界の最後を見届けられるのは一人、最後に消えるのも一人でいい、お前らを選んだんだよ』

 ガンガンと響く頭の中に”奴”の声が聞こえた。
 やっぱりそうか。親父にもこの声が聞こえていたんだ。死神だとか、幽霊だとか信じざるを得ない、だからこそ信じたくなかったんだろう。だけど、曽阿木は俺と親父と母さんの3人いた。だから”死神”は事故を起こした。俺一人だけ最後に消すために。
「よくも……」

 本当は、信じていたのかもしれない。調べることで人が消えるのを食い止められるんじゃないか、と。
 でも、判ったのは絶望的だということだった。

「そんな……じゃぁ私は……生き残ってしまうの!? たった……一人で?」
「………」
「消える方がマシだわ……」
「…何故須藤の母親は”み”じゃなく”び”だって須藤に伝えたんだろう」
「さぁ…母さんの名前にも何かあったりして、もう今さら何か判ったところでどうしようもないけど…」

 俺にも須藤にももう気力が残っていなかった。本棚にもたれかかり虚無感と絶望感を感じていた。何もしないで消えるのを待ちたくなかった。でも、俺は皮肉なことに何も出来ずに消えるのを待つしかなくなり、彼女は消えることすら出来なくなった。
「死神は何でこんなことをしたんだろうな」
「ホントね……いっそ消えてしまえばよかった」
「…『余興』……全ては死神の気まぐれ、ただの退屈しのぎにすぎない、ってことか」
「……母さん病弱だった、でも私たちをすごく可愛がって大切にしてくれた……一度だけ母さんと二人で出かけたの、その時母さんは…自分のこと天使だ、って……変な母親よね」
 遠くを見つめながら須藤は話していた。俺に、というわけではなく、ただ、淡々と。
「ホントに天使だったのかもな」
「ふふ、有り得ないことはないかもね……母さんの名前、華蓮の”か”は”が”だ、って言ってたし」
「! じゃぁ本当に……」
 俺は立ち上がった。
「もういいじゃない!」
 須藤は俯いて声を張り上げた。
「もう…何をしても同じよ」
「だけど」
「朔間くんの言うとおりだったわね」
「………」

 ラセルは今、どうしているだろう。既に消えてしまっただろうか。
「公園でも行こうか」
 俺はここでじっとしているのは嫌だった。他人に、誰かに出会いたかった。
「…ええ」
 須藤の手をとって俺たちは外へ向かった。
 絶望の世界へ。


 ガチャ


 扉が開く。風が頬をなでる。
 人が居なかった。
 少なくとも見当たらなかった。
 俺たちは自分たちの足音しか聞こえない世界を歩いた。こんなに静かだったのか。
 途中、一人見た。消えている途中だった。
 俺たちは表情を変えることなく通り過ぎた。俺たちは救世主なんかじゃない。ただの順番待ちだ。

「一人になりたくない…」
 須藤が今にも泣きそうな顔で呟いた。繋いだ手に力が入っている。
「俺が始めに須藤に話しかけられた時、須藤を信じていたら未来は変わったのかな」
 俺は彼女の顔を見ずに言った。
「須藤にもっと早く出会ってれば何か違ったかもしれない」
「いえ、同じよ」
 彼女も俺を見なかった。
「俺は今隣に居るのが須藤でよかったと思ってる」
「……私もよ」
 もう彼女は赤くなることはなかった。その代わり眼に水が湧き上がっていた。
「好きってこんな感じかな」
「知らない」
 二人して笑った。

 最期の時はいつだろう。

(11)
 公園も静かだった。鳥や動物たちもやはり消えているようだ。静かすぎて、いつ最期が来てもおかしくなかった。
 俺と須藤は芝生に座った。
「結局、誰も居なかったな」
「ええ……誰も」

「でも、公園で消えるのは嫌だな」
「場所なんか気にしてるの」
「自分の最期だし一応ね」
 冗談だけど、冗談じゃなかった。
「俺が消えると君がどうなってしまうのか、それだけが心残りだ」
 こんな気持ちを味わいたくなかった。もっと一緒に生きたかった。須藤と。
「……一人には慣れてるわ」
 俺は彼女を抱き締めた。折角見つけた気持ちも須藤も残して消えなきゃならない。たまらなく悔しかった。消えると知らなければ楽に消えられただろう。須藤も、俺も。
 だけど、知らなければ俺たちがこんな感情を抱くこともなかった。そう思うと少し、これでよかったと思える。

「もう、そろそろかな」
 ふとそう思った。


「まだみたいね」
 彼女は公園を横切る犬を指差した。


「家へ戻る、最期は自分の家で迎えたい」
 俺は須藤を引き離し、立ち上がった。
「……判った、私も行く」
「……うん」

 帰り道、何匹か猫を見た。まだ俺じゃないようだ。

 家に着いて俺はキッチンに行きテレビをつけた。チャンネルを変える。粒子の画面が増えていた。3放送が無人のスタジオを映し続けている。他の放送局のようにフィルムがなくなるまで撮り続けるのだろう。
 人間はもう俺たちしか残っていないのだろうか。他に居たところで俺の消える時間が延びるだけだ。彼女の傍には誰も居なくなる。その事実は変わらない。
 俺は須藤と共に自室へと脚を踏み入れた。もう会話はなかった。

「?」

 違和感。

「どうしたの?」
 足を止めた俺に不思議そうに須藤は言う。
「…何でも、ない」
 動悸が早まる。自分の脈が頭の中で響いている。手足が冷える感覚。
 違和感、がそうさせているのだろうか。時間がない、体がそう叫んでいた。
「俺は、君をもう独りにしない」
 涙を貯めた彼女の手を強く握って俺は言った。
「嘘つき」
 声が震えている。
「本当だ、姿がなくなるだけだよ……須藤は独りじゃない」
「……曽阿木くん……」

「!」

 激痛。

 俺は立つことが出来ずにその場に崩れた。右の視界に須藤の慌てる顔が映る。俺は壁にもたれた。
「曽阿木くん! 嫌!! お願い…っ」
 涙をとめてやりたかった。一人残される苦痛は俺の今の痛みよりはるかにひどい筈だ。
 俺は隣にしゃがみこんだ須藤に右手を伸ばした。頭を撫でる。綺麗な黒髪が俺の指に絡んだ。そのままその指で涙を拭った。
「曽阿木くん……消えないで……」
 その手を須藤が握る。
「み…れ」
「!」

 もう声が出なくなってきた。かろうじて息の音が聞こえるだけだ。激痛が太股まで上がってきた。きっとそこから下はないだろう。動悸が酷い。右手に須藤の温もり。それだけが俺に笑顔を作らせた。
「母さん、お願い! 助けて……俊を消さないで……!」
 俺は須藤を右手でそのまま引き寄せた。

『ごめん』

「………」
 彼女は何も言わず俺の唇に自分の唇を軽く重ねた。俺はもう一度彼女の黒い髪を指で梳いた。
「また逢えるわ、どこかで」
 彼女は微笑んだ。こんな綺麗な笑顔を俺は今まで見たことがなかった。
 もう痛みを感じない。それは麻痺してるのか、須藤のお陰かは判らないけど、もう眼をつぶろうと思った。
 俺の人生、それなりに楽しかった。君がいてくれて良かった。君を好きになれて良かった。



 さ よ な ら



――俺は目を閉じた――

(12)

 本当に誰も居なくなった。私だけ。この部屋は曽阿木くん……俊の面影も残さずしんと静まりかえっていた。
 私はこれからどうしたら?

『美玲、ごめんね』
 背後から声がした。綺麗な、透き通る声。でも、聞き覚えがある……。

「…かあさん?」
 振り返った私の目には淋しそうな微笑を浮かべる母さんがいた。
『この世界はもう駄目だったの、リセットするしかなかったのよ』
「リセット?」
『死神は悪い訳じゃないわ、仕事ですもの……この世界をリセットする為にここに息づく生命体全てを消してしまわねばならなかった……私たちは昔から、そうしてきたの』
「何を…言ってるの?」
 ぼろぼろと部屋の壁が崩れてゆく。崩れた穴の一部から外が見えた。木も、何もない外が。
『増え続ける有害、それを20億年に一度リセットして星を復活させた後にもう一度世界を再生する……そうやってこの星は成り立ってるのよ、そうしなければこの星自体が滅びてしまう』
 私は言葉を失った。母さんは翼を生やし、光を放つ。天使みたいに。
『母さんは貴女に、娘に”生きる”魔法をかけた』
「……それが、名前のlive……でも、圭は、どうして圭は消えたの?」
『私の子ではないからよ、正確には貴女とも血が繋がっていない』
「え?」
『美玲と私、二人の天使はリセットが近づいた最終段階のこの世界で生活し、最期まで見届ける”役目”だったのよ』
「じゃぁ、私は……」
 人間じゃなかった?
『…曽阿木家の人達も名前に魔力を持ち、勘がするどい血を持っていたわ、だから、俊くんも声が聞こえた、お父さんがそうであったように』
 俊の名前を聞くのが酷く辛かった。彼の部屋は、もう、ない。
『助けてあげられなくてごめんなさい、これだけは逆らえないのよ』
「私は、これからどうなるの? 消えた人たちはどこへ行ったの?」
『消えた人達はこの星が再復活すると新しい命を貰うわ、人か動物かは判らないけれど……それまでは新しい命を貰う準備をするの』
 そういうと母さんは暖かく微笑んだ。そして私を引き寄せ、強く抱き締めた。
『美玲、貴女は少し、眠りなさい』
 バサッ、と羽音が私を包む。母さんの羽根、そして、私の羽根。私は目を閉じた。

『おやすみなさい』

(13)
 美玲の体がどんどん縮んだ。羽根も小さく小さくなる。
 赤ん坊になった美玲を華蓮はそっと抱き、翼を羽ばたかせた。

『貴女には辛い思いをさせたわ、人間だと思い込んでいたのね……もう一度、リセットした世界で幸せになりなさい……また”役目”が来るその時までは、人間として』

 華蓮はそう言って美玲の頭を撫でた。美玲が黒い瞳を細め、微笑んだ。




 美玲と、新しい命を貰い再び人間となった俊が再復活した星で出会うのはまだまだ先の話。


――完――
2004-04-22 19:58:47公開 / 作者:STATE
■この作品の著作権はSTATEさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
いや〜〜〜〜〜(*´・ω・`*)(何
終わっちゃった〜(疲
判ってますよぅ、ゴーインだって。はは。

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この作品に対する感想 - 昇順
気になる展開にドキドキです!こういう話は好きなんで、楽しくよめました^^続き楽しみに待ってます。頑張って下さい!
2004-04-13 00:37:23【☆☆☆☆☆】シイナ
↓スイマセン、点数入れ忘れました;
2004-04-13 00:37:49【★★★★☆】シイナ
書き込みありがとうございます!!ホントに嬉しいです(;;)もう感激デス!(しつこい。)これから謎解き(?)段階になる予定ですので、無理矢理な展開にも負けず、また見てやってください!!
2004-04-13 11:31:01【☆☆☆☆☆】STATE
初めまして。。ミステリー系はよく読む方なので、この作品の出だしを読んだ瞬間に、惹かれましたねぇ!ミステリーの中でも、自分がまだ読んだことないミステリーなストーリーなので、吸い込まれるように一気に読めちゃいましたぁ。続きがすごく楽しみです!頑張ってください!
2004-04-13 20:44:58【★★★★☆】葉瀬 潤
葉瀬 潤様>書き込み・採点誠にありがとうございました!!そう言ってもらえると本当に有難いです。あとは【下】だけなので、必死こいて書いてます。笑 また見てやってください!!ありがとうございました^^
2004-04-14 10:35:47【☆☆☆☆☆】STATE
評価点600はいってもいいほどの仕上がりだと思いますが。敗因は他の作品に感想を書いていない&交流があまりないといったところでしょうか
2004-04-22 21:32:35【☆☆☆☆☆】モンタージュ
お疲れ様です。。悲しい最後というより、温もりを感じました。。もうちょっとはなしを引っ張ってほしかった気がします!ちょっと終わり方に強引さがあるかもしれませんが、「リセット」という題材がよかったです。。次回作も頑張ってください!
2004-04-22 22:15:30【★★★★☆】葉瀬 潤
モンタージュ様>すみませんねぇ^^;何故引越し準備に追われておりまして。。。でも投稿したかったの!!笑 でも、読んでいただけてお言葉までいただけて有難い限りです!!ありがとうございました^^
2004-04-22 22:38:58【☆☆☆☆☆】STATE
葉瀬 潤様>やっぱりやっぱり、ゴーインでしたでしょ!?笑 最初は哀しいままだったんですけど、それじゃあまりにもゴーインMAXで…^^;自分ももう少し引っ張ってもヨカッタんですが、ダラダラと続いてしまうよりはもう終わらせてしまうことにしました。読んで頂けた上にお言葉!光栄です!ありがとうございました^^
2004-04-22 22:44:03【☆☆☆☆☆】STATE
なんていうかスケールがでかいですね。こんな結末なんて誰も予想しませんでしたよきっと。素晴しい想像力です
2004-04-23 00:09:51【★★★★☆】グリコ
グリコ様>レス誠にありがとうございます!!そう言ってもらえたら嬉しいです^^何故自身も予想しなかった部分もあったモンで…(ぉぃ。 本当にありがとうございました!!
2004-04-23 09:40:01【☆☆☆☆☆】STATE
この話の流れで、この結末にいたるなら、私だったら、倍量のディテールを入れたいです。せっかくのメイン・アイデアが、まだ、ちょっともったいないような。
2004-04-23 11:46:30【★★★★☆】バニラダヌキ
話自体はとても面白いです。ひきつけられるものがありますが、所々甘いかな(もったいない?)と思えるところがありました(自分の作品も酷いものですが) 人が減っていく過程で、どのように世界が回っているのかなど気になりました。主人公たちの視点でも、周囲の状況はわかるのでないかと。(もっと描写?) とか言いつつ一気に読めてしまいました。次回作も頑張ってくださいっ
2004-04-23 12:58:35【★★★★☆】晶
バニラダヌキ様>レス有難う御座います。正直まだまだ構想を練って投稿すべきだとも思っておりました。その様に意見して頂いて嬉しい限りです。レス有難う御座いました!!
2004-04-23 15:32:20【☆☆☆☆☆】STATE
晶様>レス有難う御座います!下記同様ですが、次回作からは構想を練って投稿しようと思います^^なので時間がかなりかかる予定ですが、またその際には見てやって下さい。あと、世界がどのように回っているか。それは…作者の構成力の足りなさですな。笑 精進します!
2004-04-23 15:35:52【☆☆☆☆☆】STATE
皆様レス有難う御座いました!!皆様も執筆の方励んで頂きたく思います。レスを下さった方々・読んでくださった方々に感謝!!
2004-04-23 15:36:57【☆☆☆☆☆】STATE
計:24点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。