『時は密かに 早く遙かに 〜3』作者:タチバナ / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約14.65枚

 余韻嫋々。
 友の声は形を残さず、ただ長く響いて。



 1.
 彼女は、ウェーザー小学院の第27期生を中心とした幼なじみの一人。
 現在は軽食専門の移動飲食店の跡継ぎにして、看板娘だ。
 ユマ、という。

 簡素な調理台、カラフルな装いの屋根のみを載せた屋台の周辺には、小さな椅子が複数。
 その内椅子の二つを向き合わせ――屋台の商品の一つだろうか――クリームや果肉を挟んだパン菓子を半分包装紙に包んだまま、二人の女性が何か話し込んでいる。
 片割れの女性は、この屋台の看板娘本人である。
 膝の下までの丈でふわりと裾の広がる愛らしいスカートは、見れば屋台の屋根に施されている柄と同じ赤のストライプだ。
 少々派手な服にも負けない大きな目とパーツの配置の整った顔は、年齢層を問わず異性に高い評価を得ている。
「例えば、よ」
 ぴっと人差し指を立てて、移動飲食店の看板娘は目の前の常連客に問う。
「お昼下がりにフラッと繁華街に出て、ちょうど小腹が空いてきたなって頃。
 堅焼きのクレープ生地に包まれてるなら、ピザ風味のチーズハムと、マッシュポテトと挽肉のソース和え。クーはどっちがいい?」
「うーん……どっちも美味しそうね」
 対するもう一人の女性は、華々しい印象を受ける看板娘とは対象に、見るからに落ち着いた雰囲気を伴っている。
 上下一続きの白いローブを腰のリボンで引き締め、長い黒髪を首の後ろでまとめている。
 いくらでも飾りようがあるのに、と誰にも溜息をつかせる秀麗な顔立ちは、実はそのシンプルな外装があってこそ引き立つものかもしれない。
 ユマの幼なじみにして、この街の隅に位置する小さな図書館の女性司書。クィリルという。
 ちなみに、“クー”とは幼い頃の愛称だ。
「私ならどっちでも食べたいけれど。でも、昼下がりなのね?
 ポテトはお腹にたまりやすいから、夕飯時直前として考えるならハムチーズじゃないかしら」
「分かった。クーはハムチーズね」
 頭の中でカウントしたのか、ひいふうみい、と指折り数え出すユマにクィリルは小さく笑う。
「そうやってお客さんにアンケートを取ってるのね」
「うん、仲のいい常連さんにだけね」
「……どっちに多く手が挙がってるの?」
「うーん、ギリギリでハムチーズかなあ。
 あ、そのパンケーキどう? 色んな果肉とベリーのジャムを混ぜてみたんだけど」
 何気なく問いに答え、開発中の新作の感想を促すユマに、クィリルは内心でも笑う。微笑ましげに。
「そうね。甘すぎず、酸味も強すぎず……男の人もこれなら食べられそうだわ。
 それに、ウィルの好みかもね」
「あ、本当? それじゃ、ちゃんとバリエーション考えてみよう……」
 彼女はごくごく自然に答えたので、ユマは数秒の間クィリルが言葉に含んだものに気付かなかった。
「……かな……って、ちょっと! ウィルは関係ないわよ!」
 不自然に途切れた言葉の後、猛然と切り込んできたユマに苦笑しながら、クィリルはしっかりと見取っていた。その大きな目のすぐ下が、うっすらと朱に染まっているのを。
「チーズハムもいいけれど、ウィルはハムよりベーコンが好きだったわね」
「クー……」


 言うだけ言って、クィリルは席を立って職場である図書館まで帰ってしまった。果肉とベリーのパンケーキがもう一度食べたいと言い残して。
 彼女は小食な割に美食家だと知っているので、ユマは今回の新作にようやく満足した。
 満足すると共に、少々憤りを感じる。試作品とはいえ、自信作を無料で提供したのに、あんな冷やかされ方はないだろうと。
「……どんなに冷やかしたって、第一」
 彼は、この街にはいないのに。



 2.
 夕暮れ。
 誰もが、露店の軽食より我が家の夕飯を優先する頃合いだ。ユマはオーダーストップの札を掲げ、最後の注文のクレープ生地を手早く焼いていく。
「僕、具が多い方がいいな。自炊する暇がないから」
 本日の最後の客が、にこやかに注文を加える。
 彼もまた、幼い頃からの馴染みの友人である。
「じゃ、お金おまけしてあげる」
「いいの? ありがとう」
 この年にしていつでも屈託なく笑うことが出来る人種は、今時珍しいとユマは思う。
 彼は、『超自然言語学』という小難しそうな分野に携わる青年である。
 マリクという。
 彼の服装はいつも様々で、学者のような白衣であったり、昔語りに伝えられる魔女のようなゆったりとした黒衣であったりする。
 統一性のない装いに問えば、「いつも同じだと飽きられるんだ」、と笑って返される。誰にだろう、とはユマも聞いたことはないが。
「マー君は相変わらず忙しいのね」
 言わずもがな彼の愛称である。
「手がかりがあるとね、ゆったりしてられなくなるんだ。何かが急かすわけでもないんだけど」
「研究者肌なのかもね」
「そうだねえ。だからつい寝食を忘れてしまって、……ユマちゃんにはホント感謝してる」
 後半の言葉は、クレープを差し出されるのを見てとっさに付け足したようなものだった。
 けれど、マリクがあまりに嬉しそうにそれを頬張るものだから、ユマもこっそり苦笑するだけで何も言わなかった。


 世界という大きな枠の中に、稀に特異な力を持つ者がいる。このマリクはその一員である。
 その力とは潜在的な能力であったり、ある思想への底知れぬ執着であったりする。いずれも周囲への影響力は強い。
 力を宿す者――シュピーゲルと呼ばれる――の意志も関係なく好き勝手に暴走することがあるが、善悪には属さない。周りからの干渉次第で、シュピーゲルに思い通りの変化を施すことは出来る。
 つまり、力を生かすも封じるも、自由に操作することが出来るのだ。
 そんな訳で、シュピーゲルに対する扱いは様々だ。すぐにでも処刑するべきだと考える者がいれば、研究室に放り込むべきだと考える者もいる。体のいい道具として飼育され、ある文明を無に帰したシュピーゲルの記録もある。
「それを考えると、僕は幸せだね」
 マリクは、時々ぽつりとこう漏らす。
 彼は、六歳の時に同村出身のクィリルと共にウェーザー小学院まで訪れ、シュピーゲルであることは何の問題ともされずに入院を許可された。
 その小学院の院長は聖職に就いていたらしく、どんな子供も等しく扱い、また子供達にも差別を禁じた。多くの人に讃えられた人物だ。
「この街に来てからのほとんどは、院長先生のおかげだ。……本当に」
 目を伏せて言うと、マリクはクレープを囓ってしばらく黙り込んだ。咀嚼しているのだろうか、考え込んでいるのだろうか。
 その沈黙に乗じて、ユマも思いを馳せた。今、この街にはいない青年に。

 ウィロー――ウィル、と愛称で呼ばれる――もまた、シュピーゲルであった。
 ユマとウィローは、子供の頃から言い争ってばかりいた仲だ。(周りの目から見れば、『喧嘩するほど仲が良い』間柄だったが)
 幼い故に手を出したこともあったし、声を上げて泣くほど酷い言葉を投げかけることもあった。だが、一日経てば忘れる類のものばかりで、決して彼の力に関して口を出したことはなかった。
 ユマは決して、それを弱みにつけこんだり、傷つけたりすることはなかった。
 彼は、一個人としての彼であると、そう思って接していたつもりだったのだ。

「ウィルは、どうして」
 聞いてもらおうと思ったわけでもないのに、するりと言葉が滑り出た。
「どうして、行ってしまったのかしら」
 マリクは、何とも言えない顔で、ただ困ったように笑っただけだった。それを見て、ユマは憂うように目を細める。何か知っている時の顔だ。クィリルも時々こんな風に笑ってみせる。
 そんな表情を浮かべる時は、マリクもクィリルも何も言わない。真実は決して尊くめでたいものではないと知っている二人だからこそ、何も言わないのだ。

 空の名残の赤が消えていく。ユマは、この時間帯があまり好きではない。
 暗い青は闇に姿を変えて、夜を迎え入れる。マリクがクレープを食べ終われば店じまいだ。そして一日が終わった、と実感するその時。
 ウィローがいなくなってからの日数をカウントし、その重みに苦い顔で項垂れるのだ。
 その項垂れる瞬間に慣れてしまうのだろうかと思うとユマは怖い。それを『習慣』と呼ぶに相応しい時間を、既に積み重ねているのである。



 3.
 壁一枚を隔てて聞こえる雨音をボーッとしながら聞いた。



 ウィローは口数や表情の変化に乏しい少年だった。いつも人の輪から一歩距離を置いて、ボーッと眺めているような。
 そんな彼がじれったくて、何度も仲間内に引き込もうとした。彼がシュピーゲルであるとは知っていて。
 ―――マー君だって、わたしたちといっしょにあそんでるよ!
 それなのにどうしてあんただけダメなの、と。強引なくらいに。

 今、あの頃の自分のしたことを思うと、ウィローに対して少々罪悪感を感じる。
 けれどそんなユマに、クィリルやマリクは笑って首を振る。ウィルには、あれくらいがよかったんだよ、と。


 ユマは、いつかの記憶を探った。


 雨の日の小学院では、外で遊ぶことを許されない子供達が口やかましく騒いでいるのが常であった。
 追いかけっこに忙しい男子と、それにお姉さんぶった口調で注意(ほぼ怒声だが)を飛ばす女子の対立に付き合うのに疲れたユマは、何とはなしに隅の方で座り込んでいるウィローの側へ近づいた。
 濃い紫色の瞳がこちらを向いて、何だ、と言葉もなく語る。
 ――お話しようかなって、思って。
 小さな声で告げた。視線を向けられてから、前日にやかましい口喧嘩を繰り広げていたばかりだったことを思い出した。
 ユマは始めの方こそ分からなかったが、この少年はだいぶ口調がきつい。幼い男児にありがちな、無遠慮で稚拙な悪口の類ではなくて、鋭く弱い所を刺すような物の言い方をするのだ。
 だが、彼は驚いたことに、そうか、と短く相槌を打っただけだった。棘が含まれているわけでもなく、冷たくもない声。抑揚こそ少ないが、十分愛想のいい反応だった。
 そんな彼に戸惑い、冷たい言葉を投げつけられなかったことに安堵し、少々混乱しながらユマはウィローの隣に座り込んだ。
 その後もウィローの声は静かなままで、刺々しくなることもなかった。

 それ以来、雨の日はウィローとのお喋りで過ごすようになった。友人との間に出来る、約束もない決まり事の一つだ。




「それでね、ようやく気付いたの。
 ウィルは、外で遊ぶのが嫌だったのね」
「うん」
 クィリルの打つ柔らかい相槌を聞きながら、ユマは猫のように目を細めた。

 ここは街の隅にある小さな図書館。クィリルの職場である。
「……ここってほんと、お客さん来ないのね」
「中央にももう一つあるんだから、みんなわざわざここまで来ないわよ」
 職員であるクィリルの声は、本当のことを言っているだけだと言わんばかりに穏やかなままだ。
 そんなに平和そうにしていていいのだろうか、と移動飲食店の看板娘は内心首を傾げる。
 木造の三階建て。蔵書数は、街の中央にもう一つある図書館の五分の一にも満たないという。ここに勤めるのだと聞かされた時には、何故あえてそちらを選んだのかと疑問に思ったものだが。
「楽だから」
 だそうである。
 妙に納得した。十四年余りの付き合いだが、クィリルという女性に『汗水流して労働に身を捧げる』というフレーズは似合わなさすぎる。
 ただ、楽だから、といかにも怠惰を愛すると言わんばかりの台詞と共に浮かべたクィリルの表情には、何処か含んだものを感じた。それがずっと印象に残っているのだが、未だ聞けずにいる。
「……この雨、今日の内に止んでくれるかなあ……」
「さあ」
 雨の日は、電灯をつけているのに何だか室内が薄暗い。そして、少しずつ眠気に襲われる。
 ユマは気怠げに伸びをする。天候の悪い日に、移動飲食店は動けない。服も普段着だ。
 机の上に重ねた腕に頭を預け、目を伏せた。

 思い出そうと思えばいくらでも思い出せた。だが、そうやって記憶の中の姿や声に耽るのは、当人がいなくなったからこそ。
 感傷的になる。彼はいなくなったけれど、失ったとは思っていないのに。








 水精霊が、しゃらしゃらと涼やかな音を立てて騒いでいる。
 傘もなしに雨の中に佇み、マリクはその音を穏やかな顔で聞いていた。
 細く柔らかな雨粒を一身に受けながら、マリクは精霊の声に耳を澄ます。雨の日は水精霊の機嫌がいい。
 ほんの少し身じろいだ拍子に、身体のそこここに付けた鳴子がしゃらりと音を立てた。水精霊の立てる音と似たものだ。
 常人に精霊の音は分からないだろうが、精霊からすれば話は別だ。同じような音を出せば、彼等の気を引くことが出来る。
 マリクは目を閉じ、じっと耳だけに意識を集中させる。こうしている間は、衣服の中にまで滑り込む雨粒も気にならない。
(…………ヨ)
 不意に。精霊達の様子が変ったのに気付いて、マリクはゆっくりと瞼を開いた。
 どうしたの、と言葉に出すでもなく、問いかける。
(来ルヨ)
(来ルヨ)
 彼等は内緒話をするように声を潜め、そして何が可笑しいのか、クスクスと笑いながら同じ言葉を繰り返す。
(来ルヨ)
(雨ニ紛レテ、誰カ来ルヨ)

 身を潜めるように、雨に紛れて、誰かが。
「…………?」
 人目を忍んで今の場所を選んだマリクは、訝しげに辺りを窺う。

(誰カ来ル)
(アナタト同ジ)
(アナタト同ジ、しゅぴーげる)
(しゅぴーげるガ、来ルヨ)

 マリクは、軽く目を見開いた。
 唇の形が数ヶ月前に行方を眩ませた旧友の名を呼んで、そして音にならず消えた。


2004-04-07 21:05:18公開 / 作者:タチバナ
■この作品の著作権はタチバナさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
あえて、緩急が少なく激しさのないほのぼの系を描かせて頂きました。
作者にも思い出深い、「幼なじみ」を中心にした話です。
少々変った世界観の日常を切り取って描いていこうと思います。
何か感じるものがありましたらば、感想頂ければと思います。
(どうにも一文が長くなってしまう悪癖がありまして、読みにくいかと思われます。
 これでも配慮したつもりですが、耐えかねる場合にはご指摘下さると嬉しいです)

明太子様>
ご意見ありがとうございました。しばらくは今の形でやってみようと思います。
よろしければ今後も見守ってやって下さると嬉しいです。
この作品に対する感想 - 昇順
私も「緩急が少ない」ものばかり描いている者です。マイノリティですがお互い頑張りましょう。文章については、個人的には普通の長さだと思いましたし、時間がゆっくり流れる小説には長い文のほうが合うのでこれでいいのではないでしょうか。まだ序盤なので点数はつけませんが続きも読ませていただきます。
2004-04-06 18:46:46【☆☆☆☆☆】明太子
場面場面は非常に印象的なのですが、展開が追いづらく、状況説明のようなものが若干足りないかなと思いました(今後出てくるのかもしれませんが)。話はまだまだこれからでしょうから頑張って下さい。
2004-04-07 23:13:50【★★★★☆】明太子
計:4点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。