『THE TRAVELER』作者:はれま / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角14635.5文字
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原稿用紙約36.59枚


 ある街の、ちょっとした昼下がり。そんなときに、ある旅人は噴水のある広場でちょっとした芸を行っていた。
 「種も、仕掛けも、ございません」
そう言って周りの人にそのステッキを見せる。しかし、そのステッキで手を叩いてみると、白い手袋をした手の中からウサギが一匹飛び出してきた。決して手の中におさまる大きさではない。わあと、見物人たちが歓声を上げる。
 もう一回たたいてみると、今度は黒いスーツのズボンの裾から一匹、元気よく飛び出してきた。
 さらにもう一回叩いてみると、今度は被っていたシルクハットの中から大量の白鳩が飛び出し、地面へと着地した。子供たちが駆け寄ってくると、その鳩たちは機敏に歩いて旅人後ろへと隠れてしまった。旅人はまだ鳩を追いかけようとしている子供たちの頭を、軽くステッキで叩いてやる。すると、ポンという音と共に彼らにピッタリのサイズのシルクハットが頭の上にのってしまった。
 子供たちが嬉しそうな顔をしてシルクハットを被ったまま大人しく帰っていくと、今度は黒いスーツの袖の中から淡い藍色の布を取り出した。しかしそれは意外と大きく、旅人の体を包み込んでしまうほど。そのまま旅人は、頭からつま先まで布にくるまるとパチンと指を鳴らした。途端にふと中身が消えて布がフワフワと地面に落ちる。
 何処へ行ったのかと探してみると、人ごみの中から旅人は現われた。そしてつかつかと歩いて中央に戻ると、ポンと手を打った。途端に今までそこにいた鳩やらウサギやらがいっぺんに消える。そして持っていたステッキの両端を手の平で押さえ込んだ。ゆっくりとステッキが縮んでいき、最後に手を打ったときには綺麗さっぱりなくなってしまっていた。
 最後に一礼した旅人に、多大な拍手が送られた。旅人は未だにあげたシルクハットを被って嬉しそうにしている子供たちを見て、微笑んだ。

 「よう。旅人」
そう、旅人に声をかけてきたのは、最近よく芸を見に来てくれる男。名前も知らないが、やけにサイズの大きな黒いサムライ服だけはそう忘れられるものでもない。
「やあ。暇人」
旅人は嫌味など言う人間ではない。つまり、これは本音だ。
「俺を暇人というならあそこでちゃんばらをやっている少年たちは暇人じゃあないのか?」
「ちがうさ。彼らはチャンバラで忙しい」
旅人はその『チャンバラで忙しい』少年たちを見つめた。
「なら俺はお前と話すので忙しい」
「私みたいな暇人と話しているのだから、キミも暇人さ」
そう言いながら、旅人は自分の黒い旅行鞄の中から木刀を取り出して男へと放った。男がそれを受け取り、たずねる。
「何だこれは?」
「混ざってきてみたら?」
「あんなチビッコの中にいけるか!」
男がそう答える。旅人はちょっと残念そうに肩を落とすと、鞄の中からもう一本木刀を取り出した。
「じゃあ、今からちょっとした曲芸に付き合ってくれるかい?」
そう言って旅人が男の持った木刀に、先程のあの淡い藍色の布をかぶせる。その布がどかされると、そこにあったのは。
「真剣じゃないかこれ!!」
思わず男が叫んだのを聞き、通りすがりの通行人が立ち止まる。そして、男が持っている曲刀を目にして、呆然とした。
「さあさあ先の公演からほとんど時間が経っておりませんが。今日3回目の開演です。しかも今回は2人で行うマジック。なかなか面白い代物になりますとも!あ、心臓の悪い方やちっちゃい子たちはちょっと離れててねぇ〜」
大きい声で言う旅人の周りに、今回も大勢の人々が足を止めてやってくる。
 旅人がこの街に来てすでに1ヵ月が経過していた。その一ヶ月で、旅人の噂は街中に広がった。『奇怪な術を操る旅人』と。しかし決して気味悪がられたりはしない。旅人の術は人を楽しませるので逆に、街の大勢の人々から好かれていた。
 人が集まってくる最中、男が旅人のほうを見るといつのまにか旅人の木刀も剣に摩り替わっていた。
「さて、今回の手品はいたって簡単。チャンバラです。もちろん彼と私の喧嘩みたいなものですが、大いに楽しんでくださって構いませんよ」
そう言って旅人は自分の手に曲刀を突き立てた。一瞬悲鳴が上がりそうな気配がしたが、それも本当に一瞬。次の瞬間にはその場にいた全員がホッと胸をなでおろした。曲刀は旅人の手を通り抜けずにその上で止まっている。まるでそこに硬い層があるかのように。
「こういう風に、決して突き刺さる事はないのでご安心ください」
にこりとしていった旅人は、ゆっくりと男の方へ向き直った。と、男の不満そうな顔を見てちょっと頬を掻く。少し思案顔を見せた後で、ポンと手を打つと、「ちょっと待っていてください」と観客たちに言って、彼と話を始めた。
「オサムライさん。何か問題点でもありますかな?」
「大有りだ。俺は女に刀を振るえる性質ではない」
たしかに、身体を包んでいるスーツの上から見ても旅人は明らかに細いし、上半身胸の部分は起伏が大きい。声も男にしては高い。男は未だに曲刀をぶら下げたままだ。旅人はフゥと小さくため息を漏らすと、やれやれと首を横に振った。
「ではこうしましょう」
ポンと白い煙が上がる。周囲から、ドッと笑いが起こった。
 煙が消えた後にいたのは、スーツを膨らませて風船みたいな格好となった旅人だった。
「これなら衝撃も少ないからそんな打撃効きませんよ」
「そう言う問題か?」
「そう言う問題です」
「そう言う問題ではないからきいたんだ」
「そうですか。残念」
旅人がシルクハットを頭からあげると、空気の抜ける音と共に旅人のスーツがしぼんでいく。
「ではどういたしましょう?男になればよろしいか?」
旅人に背を向け、手のひらを返し、肩をすくめる。
「できるわけないだろうそんな……」
「できますとも」
男の否定を否定する声は、やけに低かった。まさかと思い、振り返る。
 そこにいたのは背の高く、先ほどまでの旅人と同じ流れるような黒髪の、スーツ姿の『男』。先ほどまであった胸の起伏もない。
「…………」
周囲も呆気に取られている。まさか、本当に性転換したと言うのか?一瞬で?
「さて、障害は消えましたね。では始めましょう」
旅人が構えた。
「ちょっと待て」
「む、まだご注文が?」
旅人の問いには答えず、男は問いかけをすすめた。
「どうして女から男になれるんだ?」
「誰もそんな変化はしていません。いつもの変わり身ですよ」
そう言って、旅人の代わりの者はゆっくりと曲刀を構えた。
「ちっ」
男は小さく舌打ちすると、仕方なさ気に曲刀を構える。
「では」
タンッと軽やかな音を立てて跳び上がったのは代わりの者。剣と剣が交差し、高い金属音を立てる。男はくるりと身を回すと回転のスピードに乗せて剣を放った。それをしゃがんでかわす代わりの者。今度は立ち上がる際に剣を振り上げた。振り上げられた剣は弓なりに反り返った男を掠めて頭上まで進む。と、腕が伸びきったところで旅人は下を見下ろした。目が合う。少し笑いを含んだ目。それを見て、男はようやく気付いた。大きく、だが直線的に男が後退する。
「どう?やってみれば男も女もさほど違いはないでしょ?」
いつの間にか旅人は男から女へ、戻っていた。
「そうか?それにしてはお前の動きはあの代わりの者のよりやけに速く見えたぞ?」
「ああ。それはキミにちょっと細工をしたからかな」
「は?」
「いやいや。こっちの話です…よ!」
タン…と、先程より強く、長く。しかし静かに旅人は跳び上がった。剣をプロペラのように回転させながら男の方へと飛んでいく。男の一歩手前に着地するかと思えたその時。
「!?」
旅人は舞い上がった。宙へと。
「はい」
「がふ!」
ちょっとしたかけ声と共に旅人が男に投げたのは石ころだった。いや、そうでもない。男に当たった石ころが煙を出し……。
「煙球か!!」
男が叫んだときにはすでに遅かった。ずしりと頭に重い者が乗る。腕にも、脚にも、背中にも似たようなものがぶら下がっているのか、同じような重みを感じた。そしてさらに重大なことには、動けない。
「何だ!?」
男がそう叫んでそれらを振り落とそうとし始めたときにはもう遅かった。煙は風に流されて疾風のごとくどこかへ飛んでいってしまった。
「…………………………」
やけに長い沈黙が男を襲う。両者が沈黙している間に、曲刀の代わりに傘を広げた旅人が降りてきた。
 唐突に旅人が何処からかタクト(指揮者が持っているあの棒だ)を振った。と、またもや唐突に、周囲の観客たちが笑い出した。何だ何でと叫びながら慌てる男。しかし誰かに今の状況を聞こうにも、自分は動けないし、周囲の人たちはみんな笑っていてどうにもならない。途方にくれる男のもとに、何やら立て鏡が置かれた。
「ははははっはははっはははははっははははははははは!!!」
腹を抱えて笑いながら男に鏡を差し出している旅人。しかしその鏡を握っているのは果たして本当に手なのか?男と旅人の間の距離はゆうに3mはあると思われるのだが……。
 細かい事は放っておいて男は鏡を見つめた。
(…………)
なにやら靄がかかって見えない。これはもしかして相当冷却された鏡なのだろうか?わざわざそれを取り出した旅人も何だ。
 気を取り直して男はやけに重い頭を回し、近くの建物のドアガラスを目を細めて見つめた。
「……」
反応はない。しかしそれも一瞬だった。
「なんじゃこりゃあああ!!」
身体のそこらじゅうにくっついていたモノは謎のぬいぐるみだった。謎も謎。言葉にできないほど謎。男から建物のドアガラスまでの距離が大分あったので、男にはぬいぐるみの様子が細かくは分からなかった。ただ、万人を笑わせるような顔であるらしいことだけは周りの反応を見てわかった。したがってこのぬいぐるみの容姿は読む人々の想像に任せよう。

 「………………どうしようか…………こいつら…」
彼らは同じ宿に泊まっていた。しかし2人とも本名ではなく、その呼び名(旅人とサムライ)のとおりの名で泊まっている為、そう呼ぶしかない。そしてサムライは今、旅人の部屋にお邪魔していた。
「うん。多分しばらくしたら消える」
「…………出した張本人なら消せるようにしておけよ」
「こればっかりはどうしようもないからね」
「何でだ?」
「だって子供たちにあげるシルクハットと同じようにして出しちゃったから」
「俺は子供か……」
しかし重い。二階の部屋まで戻るのにだってかなりの労力を要した。
「まあ、そのガタイじゃあ子供とはいえないけどね」
「うるせぇ」
サムライは旅人の布団の上に寝転がった。その拍子にぬいぐるみの頭がゴツンと壁に当たる。
「…………ゴツン?」
「………………」
旅人も異変を感じ取ったらしい。手を合わせ、離す。その手の間からあのステッキが出てきた。
「……ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」
「へ?」
サムライの拍子ぬけした声が終わるか終わらないかの内に、旅人はそのステッキを突き出していた。
 しかしいきなりサムライの頭を解放したぬいぐるみはそのまま男の後方へと落下し、ステッキは空しくサムライの頭数ミリ上の壁を突いただけに終わった。
「い……」
しかしサムライの眼中にはステッキなどなく、どんどん離れていくぬいぐるみたちを不気味そうに見ていた。
先ほどまでの万人を笑わす表情が跡形もなく消え去り、表情の変わったぬいぐるみたちはまるで、悪魔のように見えた。
「こいつら……何かおかしいぞ」
「どうしたものかな?」
「だからいつでも消せるようにしとけって言ったのに……」
「本当はいつでも消せたんだけどね」
「……」
旅人のセリフはとりあえず無視し、とにかくサムライは自分の後方へと回ったぬいぐるみを捕まえた。あまり顔を見たくなかったため、そのまま旅人の方へと投げた。ステッキの形状が即変化し、刃物のようなモノへと形を変える。そこへ、サムライが投げたぬいぐるみが突き刺さった。
 突き刺さると同時に消えたぬいぐるみのことなどは気にしない。とにかく旅人はすぐにステッキを振るうと元の形に戻した。
「よってらっしゃい」
そう言った旅人が手をかざすと、本人たちの意思とは関係なくぬいぐるみが旅人の手周辺へとくっついてきた。
「は!」
サムライの掛け声とともに、一閃。それだけが走ると同時に手に集まってきたぬいぐるみたちの形状が縦横にずれる。すぐにその全てが消滅した。
「ふう……」
ぬいぐるみたちを斬っても血などつかないのだが、癖なのかその刀を一振りしてから刀を納めた。
「サムライもなかなかやる者って宣伝しとこうか?」
「いや、良い」
「でも、用心棒でやっていけそうな気がする」
「女のお前に言われてもな……」
サムライにそう言われて旅人は少し黙った。次いで少しスーツを膨らませる。もう1回スーツが元の形状に戻ったときには男になっていた。体も、顔も声も。
「でも用心棒でもやっていけそうな気がしますよ」
「…………」
サムライは少し黙っていたが、確信をもって頷くとがしっと相手の肩を掴んだ。
「お前今、全く動かなかったろ」
「すりかわったのだから動いたに決まっているでしょう?」
「いいや、動いていなかった」
「何を根拠に?」
「俺の故郷には、光の速さで標的を真っ二つに出来るほどの達人もいる」
「はあ」
「俺はその『光の居合』というものを見たことがある」
「はあ」
「ついでに自慢じゃないが、そいつを使える人と戦ってそいつを防いだこともある」
「はあ」
「その『光の居合』をも見切れた俺が、人全体が動くのを見切れないわけがない」
「それが見切れないのがマジックでしょう。違いますか?」
「違う」
サムライの断言に少し肩を落としながらため息をつく。
「キミは一体何を言いたいのです?」
「…………」
サムライは黙って刀を抜いた。
「何ですそれ?」
しかしサムライは無言で刀を振る。その切っ先は確実に代わりの者(?)へと向いていた。それを無条件に取り出したステッキで受け止める。
『…………』
2人の間に深い沈黙が生まれた。
「はっはっはっはっは。思わず杖で受け止めちゃったよ」
「…………」
「………」
「…………」
「はっはっはっは」
「…………」
「はっはっはっは」
「…………」
「はははははははは」
「…………………………」
「はは…は………」
サムライは無表情、無感動、無言で代わりの者(と名乗る者)を見つめ続けた。
「…………」
「……」
「………………で?」
「スイマセン。私が悪うございました」
あまりに冷たいサムライの顔と、あまりに深い沈黙に押し負け、旅人は素直にサムライが正しいことを認めて女に戻って土下座した。
「……これもマジックか?」
「そんなトコ」
次に顔を上げた旅人はすでにけろっとした表情をしていた。
 サムライの頭部で、何か血管の切れたような音がした。

―懐かしい……とても懐かしい―
―ここは王都じゃないか―
―どうして私はこんなところにいるのだろう?―
旅人の足はとくに目的もなく、ただ街道を進んでいた。ぶらぶらと。ただ、ぶらぶらと。
にぎやかな街だった。平和な街でもあった。しかし……良い街ではなかった。
王はより大きな財産を求め、そのために最強の王国騎士団を造り上げた。たった13人の騎士団だった。しかし王国と戦った国の軍は全て、その13人によって滅ぼし尽くされた。だから、王が世界を手に入れるのにそれほどの時間はかからなかった。
 城下町には多くの商人が根を張るようになり、当然のように華やかな城下町となった。
旅人はいつも、騒がしい大通りを歩こうともしなかった。
―歩いても、何も面白いことはなかった―
―話などしてはくれなかった―
―ただ私を恐れ、頭を下げるだけ―
 旅人はしかし、久しぶりに自分の散歩道で人に会った…1人の少女に会った。
 旅人がこの道を散歩するようになってから、ここは人通りがなくなっていたのに。
―そうだ。この少女は……そうだ―
 『こんにちは』
―初めて、私に笑ってあいさつをしてくれた『人』だった―

 「おはよう」
寝ぼけ眼をこすりながら、旅人はベッドから這い出た。誰におはようといったわけでもない。しかし、これが旅人の習慣なのだ。旅人の朝は本人曰く、早い。只今の時刻、午前10時。
「眠い」
「なら眠れ……」
「うるさいな」
旅人は半眼で声がした方を振り向いた。そこにいたのは例のサムライ。昨日からずっとこの部屋に居座ったままなのだ。
「はれ。どうして一晩中そこにいたの?」
「自分で考えろ」
「……………」
旅人は顎に手を当てて考え始めた。
 一分が経過し、さらに三分が経過する。それでもなお、旅人は考え続けていた。
 やがて、サムライがはぁとため息をついて訴えた。
「昨日俺が説教たれてたのを、ウルサイとか言って動けなくしたのは何処の誰だよ」
「……………………………・・・あ」
「あ。じゃねえよ……」
サムライはまた大きくため息をつくと、早く解いてくれと訴えた。
「……ま、それについてはちょっと待っててよ」
そう言うと、旅人は自分のスーツケースを持ち上げた。
「は?」
サムライはその行動が理解できずに疑問符を浮かべた。
「ちょっとお出かけしてくるからさ」
そう言った旅人の顔はいつものように笑っていたが、サムライにはその笑いが別なもののように思えて仕方なかった。
「……おい。どうしたってんだ?」
「気にしないほうがいいよ。っていうか眠っておきなさい。寝不足で倒れても助けてあげられないから」
そう言った旅人はドアを開け、即飛び出していった。
 取り残された男は、未だに目を、耳を疑っていた。
「……なんだったんだ今のは……?」
見えたのは扉の前に居座っていた謎の物体。聞こえたのは大量の悲鳴と物が壊される音。
「一晩のあいだに何があったってんだ?」
サムライは動かない身体を完全に脱力し、ただ呆然としていた。と、あることに気付く。
(何で今は聞こえないんだ?)
ドアを開けた時は聞こえていた。しかしドアを閉めれば、この部屋は無音の空間だった。
「……風も入ってきていない。窓は完全に閉めたままってことか」
窓にかかっているカーテンは見えないが、自分に風が当たっていない事を考えるとそうとしか考えられない。部屋の壁もどうやら防音性のもののようだ。そんな部屋を旅人が好んで借りたとは考えにくい。やはりここででしゃばってくるのは……。
「あいつと同じ『マジシャン』か?」
そんなことを考えても仕方ないので、サムライは金縛りを解くための、無駄な努力をし始めた。

 ドアから出た旅人はすぐ目の前にいたデカイぬいぐるみ犬を無視し、右手に走った。後ろでは先ほどの犬が遠吠えなぞあげている。しかしそんなことには無関心なようで、旅人はとにかく階下へと走り降りた。降りている途中で遭遇したのはこれまた大量のぬいぐるみ。
「私にケンカを売る人間か……誰だろう?」
旅人はそんなことを呟きながら、それらに向かってリボンの束を投げつける。束は一瞬で網のように広がると、ぬいぐるみを全部絡めとってしまった。
「それと、どこにいるんだろう?……!!」
続いてやってきたデカイ怪獣にビックリして、後方へ飛び跳ねる。日本人で言うところのゴジラだが、旅人は知る由もない。旅人が飛び跳ねる寸前にぬいぐるみが突き出した爪は、いとも簡単に木の床を貫いていた。天井に頭がつきそうなほど大きなぬいぐるみを見上げて、それから木の床に深々と刺さった爪を見下ろした。
「あら。あら」
旅人はシルクハットを自分の頭からとると、大きく跳んでぬいぐるみの頭にかぶせた。
「修理代置いて行ってもらいましょうか」
呟いてぬいぐるみの後方に着地し、パチンと指を鳴らす。途端にぬいぐるみは金の像となって動かなくなってしまった。シルクハットのほうに人差し指を向け、くいと折り曲げる。するとそよ風にでも流されるように、そのシルクハットは旅人の元へとフワフワ漂ってきた。飛んできたシルクハットを受け取ると、旅人はそれを指先でもてあそんだ。もてあそびながら出入りの扉へと向かう。BGM代わりに流れる悲鳴の主を助けようとはしないのか、そのまま開け放たれた宿の出入り口に足をかける。と、彼女の動きはそこで止まった。視線はどこへやったら良いものかとそこら辺を右往左往している。
「これじゃあキリがないよねぇ…」
旅人の目前に広がっていたのは朝っぱらから景気良く遊びまわるぬいぐるみたちだった。宿の前だけでも相当な数がいる。街中あわせたらどうなるんだろう?さらに言うなら、人々の悲鳴も大した数だ。
「サムライ動かそ」
旅人はため息をつきながらパチンと指を鳴らした。しかし、大音量の悲鳴の中からそんな小さな音を聞きつけたのか、そこらじゅうにいたぬいぐるみたち全てがたびびとのほうに視線を向けた。目を動かしたのではない。首を回したのだ。旅人はまたため息をついてステッキを取り出した。
「もうイヤ」
旅人はそう呟くと、宿の扉を閉じた。

 金縛りの解けたサムライは、すぐにドアへと向かった。そして開けた。
 大きく蹴り飛ばされたドアが、ドアの真ん前で遠吠えをあげていたぬいぐるみを反対の壁へと押し付ける。そんなことはお構いなしにサムライは階段へ向かおうとした。と、そこにまた先ほどと同じような犬の大群がサムライをねめつけていた。思わず歩を止めて敵を睨み据える。しかし…。
「……邪魔だ」
それも一瞬だった。大きく踏み出した一歩と共に、ぬいぐるみたちの間をすり抜ける。そして、その手は腰の、鞘に収まった刀の柄にかけられていた。一瞬遅れてぬいぐるみたち全部が消えていく。一瞬にして振られた刀が対峙したもの全てを斬ってしまったのだ。
サムライはそのまま階下へと走り降りて行こうとした。が。
「うお!」
捕まったぬいぐるみたちで構成された球に足をとられ…。
「いっ!」
金の像に頭をぶつけ、痛い思いをした。
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
頭がかち割れそうなほどの激痛に耐える。いまだにその上で星が円を描いていそうな頭を抑えつつどうにか起き上がると、その視界の中でメリ…と玄関の扉が軋んだ。と、直後。扉がまるでダムのように決壊し、人形軍団が宿内へとなだれ込んできた。サムライは即座に謀られたことに気づき、策略を張り巡らしたであろう張本人に向かって、刀を構えながら叫んだ。
「後で憶えてろ!!!」

「ん?」
旅人は自分に悪態を突かれたような気がして振り向いた。しかしその視線の先には今まで通ってきた街の道路があるだけだ。
「あ、そういえばサムライはそろそろ宿で時間稼ぎを始めてくれたかな?」
旅人がぬいぐるみとあまり遭遇せずに進めているのは、町中の大半のぬいぐるみたちが、旅人が泊まっていた宿に集結しているためだ。
「さて。私はさっさと犯人のいる場所を探しますか」
旅人は両手を組んで軽く伸びをし、足元の石畳に落ちていた小石をつま先で蹴った。
「…………あら、あら」
顔の前にだした自分の手を見つめて、ちょっと困ったような顔をした。
「ご丁寧なことで」
旅人の手には、先ほど蹴った小石が握られていた。

 「せいっ」
一声の間に幾筋もの閃光が縦横に走りぬける。後に残るモノは斬られたぬいぐるみ。それらも少し空中浮遊を楽しんだ後に消え去る。
「全く間の抜けた場面だ!!」
そう言いながら上前左右から襲い掛かってくるぬいぐるみたちを切り捨てているのはサムライ。彼は未だに宿の扉のところで攻防を続けていた。サムライ1人でこのような状況に出会ったらまず無謀にも住民の救出に乗り出すところだが、今回は旅人のメッセージが役に立った。何故かサムライの鞘に、刀と一緒に納められていた紙。それに『そこで戦ってれば良いから』と書いてあったわけだ。
あまり長い間付き合ってきたわけではなかったが、旅人は町の人たちを好いていたようだった。手品だって特に金を取っていたわけでもない。ただ楽しそうに、笑いを求めて。そんな旅人がサムライに彼らを見捨てるような伝言を残すわけもない。だからサムライはそこに立ち、ぬいぐるみたちを宿に入れないようにしていた。
「何が悲しくて俺がぬいぐるみなんぞ斬っているのか!」
刀を一度鞘に戻し、刀の背に手をかけたまま前傾姿勢になり構える。
サムライは敵が近づいてきたところで腕を流した……。
………チン…
 五感で感じられたのはそんな、刀が鞘に戻る音だけ。それ以外には何もない。
全く動いていないように見え、風は起こらず、抜刀の鞘なりすらも聞こえない。
 しかしそれでも斬撃が走ったのは確実だった。サムライに近づいたぬいぐるみは全て、横一文字に斬られ、消失したからだ。
「そういえば……」
サムライは前々から思っていた疑問を、ようやく口にだした。
「なんでぬいぐるみなんだ?」

 旅人は町の中央付近にある噴水広場に足を運んでいた。噴水を見ると、そこには人影が見えた。
「おはようございます」
噴水の縁に座っている男は、不敵な笑みを浮かべつつ挨拶をした。
「やあ、おはよう。こんなところに呼び出して何の用?」
旅人は先ほど拾った石を左手でもてあそびながら噴水の縁に座っている男に笑いかけ、気軽そうな声で応えた。
 男はグレーの長髪を首の後ろ辺りで縛り、それを右肩から前へと流している。黒いYシャツの上に赤いコートを羽織り、黒いスラックスを履いていた。
 男は透き通った灰色の双眸を旅人に向けると、少し口元に微笑を浮かべた。
「元気でしたか?」
「この通り。ピンピンしているとも」
「ははは。それはよかった」
「うん。私はもうここに来た。だから早いところぬいぐるみを全部消してくれないかな?」
言いながら、建物の影・屋上、地面、噴水の中、そして自分が今まで通ってきた道…その他十数か所を指差した。
「……承知いたしました」
男は意外とすぐにその言葉を聞き入れた。パチンと指を鳴らす。すると、途端に周囲の違和感が薙ぎ払われる。遠くからは、歓声と拍手が聞こえてきていた。
「私の手品と見せかけて、町の人たちをみんな数箇所の広場に集める?ま、多少は考えてくれたってところ?」
「ええ。貴女を怒らせるのは得策ではないですからね。この町はあまり大きくもないし、それが一番楽だと思ったので。王国十三騎士が1人『手品師』殿?」
「それはどうも。でも私のことは『旅人』と呼んでくれって頼んだよね?同じく『魔術師』さん」
2人は互いに微笑しあった。
「他の11人も元気にやってる?」
「はい。『破壊者』殿などは特に」
「ああ。彼も威勢だけはいいからね」
ははは…と笑いながら頬を掻く。
「それよりキミが魔術でつくりだしたあのぬいぐるみだけど、あれ必要あったの?」
「ええ。私と貴女を2人同時に見かけるのは、彼らにとっても不幸なことでしょうから」
「そうだね」
にこりと笑って旅人は『魔術師』の隣に腰掛けた。
「じゃ、サムライに手紙書いておこうか」
「いえ、その心配はございません。あの異国の彼の元へは次の遊び相手を送っておきました」
「何?」
「この町のとある武器屋から拝借した、『剣術師』の戦闘技術をそのままコピーした、人を傷つけない西洋の甲冑です」
「あら、あら」
旅人と『魔術師』はまた苦笑しあった。

 カーーーン
『刀』と『レイピア』。鋼の刃同士が会合を繰り返し、一つの芸術といえるような美しい音楽を奏でる。サムライと『西洋の甲冑』はまるでその『音楽』で『踊っている』かのように戦っていた。周囲の人々は、その二つの鋼が奏でる芸術に聴き入り、二つの人影が踊る様子に見入った。
(冗談じゃないぞこれは!)
しかしサムライは必死だった。
(ぬいぐるみが消えて、もう外に出ても良いと思ったらこれだ!しかもなんか皆ウットリしてるし)
胸中で悪態をつきながらも、その顔には嬉しさが滲み出ていた。
何というか……『強敵と出会えたことに対する嬉しさ』といった感じだ。
2人は、再度剣を交えた。
カキーーーーン

 「悪いけど、無理だね」
旅人は噴水の溜池からすくった水でつくられたボールを人差し指の先で回しながら、あっさりと答えた。
「いえ、そんな。『今日の晩御飯何にする?』的な口調で答えられても困ります」
「ごめんねぇ。私もともとこういう口調だからさ」
旅人はあははと軽く笑いながら水ボールを横に引き伸ばす。それはまるで餅のように伸びて、片手を離すとぱちんと勢い良く元の形状へと戻った。
「やっぱり私は騎士より旅人のほうが性にあってるよ」
「…何が貴方を変えたのでしょうね」
『魔術師』は少しさびしそうにそう呟いた。
「う〜〜ん。やっぱり人かな?」
「だとすればその人は一体何をしたのでしょう?あの散歩がいつもより長かった日。その日を境に、貴女は手紙だけを風に乗せて私に届け、騎士団を去った。まるで…そう『おにごっこに飽きたから、かくれんぼをする』とでも言うかのように」
「うん。そうだね。それ位簡単なきっかけだったんだ。でも、私はそのときに決めた。『もう人と争う道には足を踏み入れない。私は人と共に歩む道を進もう』ってね。今日の夢を見たから、色々と明確に思い出せるよ」
「……」
旅人は懐かしそうに目を細めて過去を紡ぎ始めた。
「簡単なことだったんだよ。初めて……下を向き、黙って拝礼するだけの町人の中で、初めて私を見て話してくれた。そして、私に……私に本当の手品を教えてくれたんだ」
「……」
「人を悲しませるための『手品』ではなく、人を喜ばせるための、楽しませるための『手品』。それはただ、袖からたった一輪の花をだすだけの、それだけの手品だった。でもそんな手品も、そのときの私は知らなかった」
「……」
「十分だよ。戦うだけの生活より、それは実に楽しい。この一ヶ月はそれを実感させるには十分すぎるほど長い時間だったよ」
「……では、騎士団に戻ってはいただけないのですね?」
多少残念そうに、『魔術師』は口を開いた。
「うん。ごめんね」
「いえいえ。貴女はあの程度の王に仕えているべき存在ではありませんよ」
「あ、失言」
「……聞かなかったことにしてください」
あははと笑い、旅人はピッと人差し指を向けた。
「じゃあ、私がここにいたという情報と交換で、チャラね」
「こちらの目的もご存知でいらっしゃいましたか」
眉をしかめて見せると、最後はにこりと笑った。
「では、ここらでお開きといたしましょうか」
「うん。じゃ、私も……私の手品を披露しましょう」
と言って立ち上がり、旅人はシルクハットの天辺を缶詰の蓋のように開いた。そして頭上で円を描く。それと共に旅人の体から包帯が離れていき、包帯が離れた箇所から徐々に旅人は消え始めた。
「あ、そうそう『魔術師』さん」
「はい?」
シルクハットが完全に包帯にとって変わると、今度は足の先から消え始める。
「もし私の耳に、私の後を追ってきたキミたちが暴れたときのとばっちりを受けた人たちの話が入ったら、王の玉座は消えるものと思っといて」
足が消えればさらにその上へと進行してゆく。
「…………それは……王直属騎士団である私たちへの挑戦も含まれるのですか?」
はらはらと、白い包帯は石畳の上へ舞い落ちてゆく。
「挑戦じゃないでしょ。キミたち私に何回負けた?」
「………」
『魔術師』が沈黙している間に、残った旅人の箇所は口と包帯を握る指先だけとなってしまった。
「ま、そゆことで。またね」
その言葉と共に、旅人の残された部分もいっぺんに包帯となって、消えてしまった……。
「…………」
『魔術師』は押し黙ったまま、空を見上げた。
「…ははは……」
『魔術師』はカラ笑いすると手中で炎をつくりだし、残された包帯に向けて無造作にそれを放った。
「参ったなあ……」
すぐに跡形もなく燃え尽きてしまった包帯のあった場所を一瞥し、『魔術師』は立ち上がった。視線は空へと戻す。
「またフられてしまったよ」
空はすがすがしさ抜群に、青かった。

その日のまっ昼間に、口げんかは始まった。
「早くチェックアウトしなきゃならないの。あんまり邪魔しないで」
旅人はスーツケースを持って急いでいた。理由など知らない。
「良いから待て!待って、一発殴らせろ!」
サムライは非常に怒っていた。該当件数が多すぎて、どれが理由なのかわからない。
「ヒドイ。女性を殴るなんて最悪。しかもこのあいだそれはナシって公衆の前で宣言したじゃないか」
「あれは剣道での話だ。お前のようなニ…奴は一度懲らしめておかなければいけない!今後のこの星の安否にかかわる!」
「じゃあ、とにかくさっさとする」
とりあえず目的の受付カウンターについた旅人は、いきなり振り返って後ろからついてきていたサムライ向けてスーツケースを振った。
「ぶあ!」
それが顔面にクリーンヒットし、サムライは5,6m離れた階段のところへ逆戻りした。
「もう、女性を追い掛け回すなんてデリカシーがない。そう思うでしょ?」
「は、はあ……」
受付係の青年は突然話を振られて困った。この青年は一ヶ月前から変わっていない。ずっとおどおどしっぱなしだった。
「あ、そうそう。はい、お借りしていた部屋のキー。どうぞ」
「は、はあ…どうも」
青年はおずおずとキーを受け取る。体格のいい男を平気で殴り飛ばした女性から手渡しで。
「じゃ。あ、マスター。お世話になったね。また寄ったら泊めさせて」
「お〜〜う。いつでも来い!がははははは」
楽天的なマスターは、見ていてとても面白かった。
出入り口へ向かいながら、旅人はステッキで倒れたままだったサムライの頭をこんこん叩いた。
「自業自得」
「違いと思いますよ」
珍しく、青年が突っ込みを入れた。
 「それじゃ、お騒がせしました〜」
最後に旅人は青年に向けて軽くウインクしてから宿を出た。

「で?キミはどうしてついてくるわけさ?」
何故か即復活して隣を歩いているサムライへ向けて、旅人は問い掛けた。
「ま、俺もちょうどそろそろ別の場所へ動こうとしてたんでね」
「……どっちへ?」
立ち止まり、旅人とサムライは全く同時に、同じ方向を指した。
「……」
「……」
時が止まり、そして動き出す。
旅人は笑いながらサムライの背中をぽんぽん叩き、空を見上げて告げた。
「ま、旅は道連れってね」
サムライもそれに習って空を見上げ、呟いた。
「道中、お前にはたくさん言いたいことがある」
彼らが見上げた空は、雲ひとつ無い青空だった。



                           END

2004-03-31 23:06:51公開 / 作者:はれま
■この作品の著作権ははれまさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして。 はれま です。
何とな〜くこのページ見ていたら、参加してみたくなりまして。
しかし実際のところ手品師って、どんなマジックやるのでしょうね?…今更ながら、見たことないです…ほとんど。
どうにも立派なもの、書けませんが。読んで下さいました方、ありがとうございます。
今後もたま〜に(書く速度遅いのです)、お邪魔するかもしれません。そのときは、よろしくお願いします。
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