『その先にあるもの』作者:流空 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 彼女が死んでから既に三週間が経過した。
三日前、俺がこの場所に来たのは他でもない。自殺するためだった。

 三週間前、彼女は近くのコンビニへ行くと言って俺の家を出て行ったのを最後に、帰らぬ人となってしまった。
原因は交通事故だった。
最初は単に虚無感しかなかったが、次第に自分を恨み始めた。
『なぜあの時彼女を一人で買いに行かせたのか?』
 一度考え始めたら、もう頭から離れなかった。
自分を責めて、責めて、責めまくった。
だが、この涙が止まる事は無かった。
 俺の中で想い出が、大切なものから苦しめるものへと変わってしまった。
映画も、ドライブも、旅行だってそうだ。全ての想い出が心苦しい。
いっそのこと記憶喪失にでもなってしまえばいい。辛すぎる。
優しい友人たちが慰めてくれたが、俺にとってはもうどうでもよくなっていた。

 結局、俺は立ち直ることが出来ないまま、三週間もの空白の時を過ごしてしまった。
 三日前、俺はこの場所にいた。

 目の前は崖。
 あと三歩前へ進めば、海に落ちて全てが終る。
 空を見上げれば皮肉なことに雲ひとつない快晴の天気。
 秋晴れだった。

 すみれ、ごめんな。
 俺、生き続けることできんかったわ。
 きっとすみれは、あの世で俺と会ったら泣きながら怒るだろうなぁ。
『なに死んでんのよ、バカッ!』
 あぁ、怒った顔が目に浮かぶ。
 フフッ。ダメだダメだ。
 こんなことを考えてたら、自殺できんくなる。
 おかしいなぁ。てっきり涙は枯れ果てたもんだと思っていたんだが。
 それじゃ、もうそろそろそっちに行くよ、すみれ。

 飛び降りようとした瞬間に、かすかな声が聞こえた。
いや、最初は本当に空耳だったかもしれない。
一瞬の躊躇の後、また一歩前に足を出しかけた時、今度ははっきりと聞こえた。
「まって、死んじゃだめ!」
 俺は後ろを振り向いた。
こちらに向かって走ってくる女性の姿がそこにはあった。
整った顔立ちによく似合うロングヘヤーをなびかせ、女性はやってきた。
年齢は22〜3歳くらいであろうか。
「待って、お願い。飛び込まないで! ちょっとでいいから話を聞いて!」
 俺には話を聞く気などもうとうなかった。
直ぐにでも向き直り飛び降りようとした。
この女性には悪いが、俺の決意は揺るがない。
・・・・・ハズだった。
 この一言がなければ。

「すみれさんが悲しむわよ」

「え? 何でその名前を?」
 彼女は俺のところまで走ってくると、息を整えてから話し出した。
「あそこに置いてあった車。あなたのでしょ? 助手席にあなたとすみれさんが写ってる写真が置いてあったわ」
「・・・・俺を引きとめても無駄だよ。もう決めたことなんだ。あんたも自殺のシーンなんか見たくないだろ? 帰った方がいい」
「お願い、話を聞いて。私もなの。おんなじ状況だったから、見てらんなくって・・・・」
「?」
「私もね、彼氏を交通事故で亡くしちゃったから気持ちがすごく分かるの。けどね。自殺なんかしちゃダメ。恋人を悲しませるだけじゃないんだよ。みんなに迷惑がかかっちゃうんだよ。そのこと分かってる? 絶対に後悔する、って私が保証するわ」
 正直、彼女の言っている意味は理解できなかった。
死んだら後悔もへったくれもない。
「すみれさん、あなたに死んでもらいたい、って思ってると思うの? 家族にだって迷惑かかるんだから。あなた自分の貯金だけで葬式できる? 誰も悲しませないって言える? 自分が苦しいから、ってそんなわがままで自殺していいの? 本当のホンット〜に後悔しないって言える?」
「・・・・・・」
「う〜ん。なかなか頑固もんだねぇ、あなたも。じゃ、分かったわ。三日後に、またここに来てちょうだい」
「は? 三日後?」
「うん。今週の土曜日。あなたどうせ自殺するんでしょ? じゃ、三日くらい多めに生きたっていいじゃない。でも、これだけは約束して。三日間は絶対死なない、って」

 不思議な気分だった。
そうだな、三日間だけなら生きてもいいか・・・・だなんて。
どうしてか分からないが、その時は自殺を思いとどまった。
彼女が話していたことがあまりに馬鹿らしかったからかもしれない。

 だが、今日ここに来た時に、俺は気がついてしまった。
彼女は、こうやって俺と毎回会うことで、俺に自殺させないようにしているのではないのか?
「3日間だけ待って」
「二週間生きてみて」
「一ヵ月後ここで会いましょう」
「五年後どうしてるんだろうね?」
延命措置?
バカバカしい。
まんまとはめられた気分だ。
そう思ったら、今すぐにでも自殺したくなった。

 目の前は崖。
 あと三歩前へ進めば、海に落ちて全てが終る。
 空を見上げれば皮肉なことに雲ひとつない快晴の天気。
 三日前と同じ秋晴れだった。

 すみれ。
 今度こそお前のもとへ行く。
 怒るなら怒れ。
 覚悟はできている。

 飛び降りようとした瞬間に、後方から声が聞こえた。
「まって、死んじゃだめ!」
 フッ。同じ展開だな。芸がない。
でも、同じ結末とはいかない。
俺は後ろを振り返らずに、さらに一歩前へ足を踏み出した。
「死んじゃだめぇぇ――――!」
 ふと感じた。違和感というやつだ。それが何なのかこの時の俺には分からなかった。
 いや、それ以上にどうでもよかったのだ。どうせ、次のセリフは
「すみれさんが悲しむわ」
だろ?
 だが、この考えはもろくも崩れ去ってしまった。

「チカが悲しむわ!」

 俺の足は自然と止まっていた。
 最初、理解ができなかったのだ。
ちかって何だ? 地下? 地価?
それを人の名前と認識するまでに三秒はかかっただろう。
 女性が俺のところへ走ってくるのが分かる。
ようやく俺は振り返った。
驚きのあまり絶句した。
彼女は右手に大きな花束を持っていて、左手には線香とライター。
いや、これはたいした驚きに入らない。
俺は彼女の顔を見たとき、頭が真っ白になったくらいだ。

 この前の彼女とは別の、違う女性だったのだ。

 どういうことか理解しようにも、頭がうまく働いてくれない。
かろうじていえた一言がこれだった。
「誰ですか・・・?」
 彼女は、俺のところまでくると、息を整えてから話し始めた。
「私? 私は麻里子っていいます。富永麻里子」
 俺は自己紹介など聞いているのではない。何者か、を聞いたつもりだったのだ。「そうじゃなくって」
「自殺しようとしてたんでしょ?」
 俺の言葉を遮るように、彼女は言葉を発した。
「・・・・」
「お願いだから自殺なんてしないで・・・・」
 いきなり真剣な顔つきに変わった。
「・・・・・・。あんたには関係のない」
「チカが悲しむからやめて」
 また、言葉が遮られた。
ちか? さっきからなにを言っているんだろうか?
もしかして、チカというのは三日前のあの子のことだろうか?
「そのチカってコはあんたの友達か何かか?」
「えぇ。まぁそんなとこだと思う」
「なるほど。彼女の代理ってわけか。非力だな。自分じゃ自殺者を止められないと思って、友達を送り込んできたか・・・」
「ちょっと、あなた何言ってるわけ?
・・・・・・!? え? ひょっとして、あなた・・・・。チカに会ったの?」
 麻里子と名乗った目の前の彼女は、心底驚いた表情をしていた。
どういうことだろうか?
彼女はチカとは会っていない?
でも、だとしたらどうして今日ここに?
偶然? いやいや、これは演技か何かに違いない。
「そのチカってコに言っておいてくれ。自分で助ける気がないなら、不用意に呼び止めないでくれ。とな」
 彼女は口を開けて唖然としたままだった。
きっとこれも演技だ。
俺は前方の海に向き直り、深呼吸を一つした。
自殺の準備をしていたのだ。
しかし、この深呼吸は途中で止められてしまった。
彼女の一言によって。

「チカは死んだわ」

「え?」
 死んだ?
いくらなんでもそれは唐突ではないか。
三日前あれほどまでに元気だった彼女が、突然死んだ?
絶対うそだ。嘘に決まってる。チカは逃げたんだ。友達に俺を託したんだ。
「嘘に決まってる。三日前は元気だったはずだ」
「三日前は元気だった? もしかしてあなた、三日後にここに来てって言われたの?」
「あ・・・あぁ」
「・・・・・・・・・。そっか。そういうことなのね、チカ」
 麻里子はなんだか納得したようだった。
だが、俺には全く分からなかった。
すると突然、彼女は海を見て語りだした。
「私がどうして、これ持ってるか分かる?」
 花束。それと線香とライター。
誰かの弔いであろうか。

「チカ、ここで亡くなったのよ。自殺だった」

「え!!」
 俺の理解スピードは限界に達していた。
自殺? そんな・・・馬鹿な・・・・。
次の言葉を聞いて、絶句することとなった。

「彼女の自殺から、もう三年も経つわ」

 心のブレーカーが飛んだ気分だった。
一体、この前会った人物は誰だったのか? チカではない誰か?
「ちょっと待ってくれ、じゃ、一体俺は誰と会ったんだ? 妹か?」
「彼女に姉妹はいないわ。兄が一人いただけ。あなたが会ったのは、チカよ。間違いない。髪が長くて、目が細めの長身の女性だったでしょ?」
「そ・・・そんな。・・・俺は・・・」
 俺の狼狽をよそに、麻里子は淡々と話を続けた。
「彼女はね。交通事故で、当時付き合っていた恋人を失ったの。
交通事故を起こした加害者は、飲酒運転だったそうよ。
でもね。加害者の男性も罪の意識が強くてね。
その人にも当時彼女がいたんだけど。チカが声を失ったのを苦にして、恋人をおいて自殺してしまった。
取り残されたのはチカと恋人。恋人のほうは今も生きてる。
チカ、かわいそうに。なんとか生きようとした。
必死に生きようとした。
でもそんな最中、支えになっていたはずの兄が、若くして病気で死んでしまった。
彼女には、もう限界だった。
そして、ここから身を投げて自殺したのよ」
 俺は無言で聞いていた。
枯れ果てたはずの涙が、またぽろぽろと惜しげもなく出てきた。
麻里子は続けた。
「今日がちょうど三年目。だから、私がこうして花とお線香を持ってきたの」
 麻里子の視線は、俺から海の彼方へと移っていた。
「チカ、どうしても助けたかったんだと思う。あなたをね。だから姿を現した。
だから三日後に来い、だなんて言ったのよ。私と会って真実を知る必要があったから。そういえば、って思い当たる節とかない?」
 俺は彼女に言われるまでもなく、三日前のことを思い返していた。
「あるよ。彼女、絶対後悔する、って言ってた。後悔だなんて死んだ後に分かるわけない、ってその時は思った。
でも、今思えばあれは、彼女の気持ちだったのかもしれない。きっと死んだことに後悔してたんだ。
それに、よくよく考えたら、写真をみただけで、彼女の名前が分かるわけがないし、その彼女を交通事故で亡くした、なんて絶対に分かるわけがない」
「分かってもらえたかしら? それだけ、あなたには生きて欲しいって思ったんだわね」
「・・・あぁ・・・すみれ・・・おれは・・・」
「すみれさんっていうの? 素敵な名前じゃない。
きっと彼女、生きてたらこう言うわよ。
『生きて...』ってね」
 俺には、一瞬、麻里子の姿がすみれに見えた。
目の錯覚だと分かっていたが、すみれにしか見えなかった。
すみれが『生きて』と言っているような気がしてならなかった。
そして、俺は最近では見せたことのない優しい笑みを彼女に見せた。

「分かった。俺は生きることにするよ。誓う。どんなことがあろうと、どんな辛いことがあろうと、俺は生き続ける」

 麻里子はにっこりと微笑んだ。
「それでよし」
 その言葉は、すみれそのものだった。

 その後、二人で線香に火をつけ、花束を海に投げ込んだ。

「ところでまだ名前を聞いてなかったわね。自己紹介してもらえる?」
「あぁ。俺は野上 正敏。よろしく」
「のがみ・・・・まさ・・とし・・・・・。嘘だ。そんな偶然が・・・・・」
 彼女は呆然と立ち尽くした。
「どうした? 俺なんかまずいこと言ったか?」
「・・・・・・。あ、いや。そんなことはないんだけど。」
 一呼吸置いて、彼女は溜め息をもらした。
「そっか。これも何かの縁なのね」
「・・・・・・。どういうことか説明してもらえるかな?」
「私の元恋人の名前なの」
「恋人?」
「そう。彼もまた『のがみ まさとし』っていうの」
「へぇ。偶然だな。その人は元気にしているのかい?」
 小さく首を横に振る。心なしか元気がない。
「あの人はもうこの世にはいないわ」
「えっ・・・・」
「自殺したの」
「・・・・・・・・」
「驚くとおもうけど、私の元恋人って、チカの彼氏を轢いた人物だったの」
「っ!?」
「やっぱり驚いたね。実はね、私、その時思い切って自殺しようと思ったのよ。
私もここに自殺しに来たの、一度だけ。ホントはそのときに初めてチカと会ったんだ。
私の自殺を猛反対したのよ、彼女。死んじゃダメだってね。
その時、彼女がいなかったら、私は多分今生きていないと思う。いわば、この命は彼女に拾ってもらった命なの。
次の日、私は驚いた。彼女、私と会う前に既に自殺してたらしいの。彼女の友達にことの真相を教えてもらったわ。私の恋人がチカの恋人を轢き殺したこともね。それでも彼女は私の自殺を止めた。だから私は生きることに決めたの。彼女のためにもね。」
「それって・・・・・」
「おんなじでしょ? あなたの場合と」
「・・・・・・・」
「でも、彼女のおかげでこうして二人とも生きてる。でしょ?」
「あぁ。そうだな。俺たちは生きてる」

 不思議なものだな。
あんだけ死のうと思ってたのに、あっさりと意見が変わっちまう。
なんだか死ぬのがバカバカしいように感じた。

「ねぇ。私ここまで歩いてきたんだけど、正敏さんは車できたのよねぇ?」
「え? あぁ、そうだけど・・・・・」
 そういうと、彼女は空を見上げた。
「天気いいね、今日。せっかくこうして会えたことだし、どこかにドライブでも行かない?」
 俺の顔に向き直った彼女の顔は、あどけなく、かわいらしく、そして堂々としていた。
 俺は、生きることに決めた。
 できれば―――――。
 彼女とともに。

「歩きだぁ? しかたんねぇなぁ。じゃ海沿いをドライブだ!」
「アハハ。その調子その調子。あ、でも、これだけはお願いね」
 彼女は、いたずらな笑みを浮かべながら、俺にこう言った。

「決して交通事故にあわないこと。安全運転だよ♪」

 俺は、空を見上げて微笑み、車のキーをポケットから取り出していた。
彼女と出会えてよかった。本当にそう思えた。
だって俺には明日があるんだから――――。
2003-09-22 15:53:10公開 / 作者:流空
■この作品の著作権は流空さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
短編小説を書くのは初めてのド素人です。
一応連載ではないので、この作品はこれで終わりです。
少しでも楽しんでいただければと思い、これを書きました。
この作品に対する感想 - 昇順
自殺するな!って思いが伝わってきます。私も自殺は絶対にして欲しくないと思ってます。現実に。「頑張れ。」って言いたくなりました
2003-09-23 23:13:09【★★★★☆】はるか
計:4点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。