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タイトル物語の「長さ」について
記事No: 453 [関連記事]
投稿日: 2008/08/06(Wed) 21:59
投稿者夢劇場

 初めまして、夢劇場と申します。自分はこのサイトを訪れてまだ日が浅いですが、多くのお話を読ませて頂きました。そこでふと思ったのが、長編(大体700〜800枚以上を目安に言っています)のものを書いてる方が少ないながらもいらしゃるな、と言う事です。ただ、ぶっ通しで話が続いてるものは殆ど無くて、大体が主題の話から派生したものを続きとして書いている(独立した話の集まりの様な形式もありましたが)と思いました。た、それは自分個人が勝手に解釈した事なので、もしかしたら作者様はその派生形までを含めて「一つ」として、自己表現をなさっているのかも知れない、とも思いました。それと、随分と多くの短編を手掛けている作者様などもお見受けして、このサイトは色んな人が共存しているなぁ、と感じました。
 そんな思いとある方のある話に対する感想を読んで、皆様は話を作る際に、その「長さ」をどの段階で決めるのか、興味を覚えた訳です。長編ならば、最初から長編にしようと考えていたのか。短編ならば、いつ短編にしようと考えたのか、その設定が気に入って引き伸ばそうと思った事は無いのか、分量など考えずに書き連ねる方はどれ位の目安をもって臨んでいるのか、等、話して頂けたら幸いです。
ちなみに自分は、最初にプロットと各章の大まかなタイトルを決めて、そこから一章は何枚以内、二章は何枚以内、三章は上限なし、全て書く! でも、長くてもこれ位かな――と言った具合で全体の大まかな枚数を決めています。大体、予定通りにはなりませんけど。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 454 [関連記事]
投稿日: 2008/08/08(Fri) 20:43
投稿者羽堕

こんにちは!
あまり小説を書いてないので参考にならないかもですが、一つの考えとして。

基本的に、私は書く前に短編か長編かを決めて書いています。
更に、オチというかラストも考えてから書き始めている事が多いです。
なので短編を書いてて、もっと続きを書きたいと思った時もありましたが、ラストへ
と繋がらなくなったり、まとまりが悪くなったりで、やっぱり最初の予定通り短編と
言う事に落ち着きます。
長編といっても、まだ中篇程度を書いてる途中ですが、まず章数を決めて、後は各章
で書きたい事を全部とりあえず書いてから、削れる所などないか何度も読み直すって
感じです。なので全体の量などは、気にしていません。

無駄話にしかなっていないかもですが、これにて失礼します。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 456 [関連記事]
投稿日: 2008/08/10(Sun) 14:27
投稿者夢劇場

どうも。返信ありがとうございます。そして、返答遅れてしまって申し訳ありません。
確かに、始まりとオチを決めたら、そこへの道筋はおのずと定まって行きそうですね。
おもしろな、と思ったのは長編で分量を決めないのに各章で削れる所はないか探していく、という事です。書きたい事を書いたのに削ってしまうと言うのは、矢張り、読み返す度に自分の中の最善が変化していく、という事なのでしょうか? ぜい肉をそぎ落とす作業を多くの方が行っている様ですが、自分は、時にはそんな「ぜい肉」が話の世界観を広げたり明確にしたり、展開を深めたりする事があるのでは、と思うのです。なので、分量を気にせずに削れるところを探す、と言うのは何を指針に削っているのか、教えていただけると更に嬉しいです。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 458 [関連記事]
投稿日: 2008/08/10(Sun) 19:36
投稿者羽堕

こんにちは!
短くではありますが返信させて頂きます。

特にコレといった明確な物はないのですが、読み直しているうちに、このエピソード今
はいらないかもと思うと最後、書き直してよくなれば良し、どうにもならないと削りま
す。でも勿体無いと思ってしまう性質なので、ちゃんととっといて、いつか使えないか
とかは考えてます。なので、ぜい肉はとっといて、その章が自分なりだとしても、しっ
くり来るようにするとい形です。

回答になってるか解りませんが、これにて失礼します。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 460 [関連記事]
投稿日: 2008/08/11(Mon) 10:57
投稿者夢劇場

はい、どうも。我がままな希望に応えていただいて本当に感謝しています。
なるほど。勿体無くてとって置くという事は、矢張り、先に書いた内容も自身が書きたい事の一つだったと言う事ですね。それが話の流れ次第では挿入する場所がしっくりこなくて、まるごと取り出してしまって別で使う機会を窺う、と。自分の中で、ぜい肉のあり方がだいぶ明確になった気がします。
二度も返信を頂いて、本当にありがとうございました。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 455 [関連記事]
投稿日: 2008/08/09(Sat) 00:47
投稿者模造の冠被ったお犬さま
URLhttp://clown-crown.seesaa.net/

 該当の感想欄を拝見しました。
 夢劇場さんは書き手の好みによって書き物のサイズを決定することが望ましいと考えているわけですね。書き物のサイズを決定する事項は複数あるでしょうが、私は書き物の内容によってサイズを決定することが望ましいと感じています。
 書き手の好み、というのは「書きたいものを探りながら書いているから長くなる」や「時間が空いたときに突発的にしか書けない」や「気に入っているので終わらせることができない」や「筆が遅いので長編を書こうとすると数年計画になる(これは私だ)」といった理由でしょうか。いま挙げたような事柄は、それは“拘りがあるからそのサイズの書き物をしている”というのではなく、“そのサイズの書き物をすることしかできないからしている”と感じられます。突き放した言い方をすれば「そんなものは言い訳だ」。
 私は常に自分の選択肢を増やすことに留意しており、減じることを良しとしません。美的感覚以外の事由によって自分から選択肢を狭めるような行為は愚かと思います。

 今から私はとても変哲なことを口走ります。変哲であることを自覚しているからといって、私が変哲でないことの証明にはなりません。
 書き物には寿命があります。これは言葉の風化や、現実と物語の時代が乖離してゆくことを指していません。書き物が内部に含む活力が尽きることを意味します。活力は物語に起伏を生み出し、読み手に感動を与えます。どんな書き物にも無尽蔵の活力はなく、感動を与えるごとに活力は消費されいずれは寿命を迎えます。
 感動を受ける源なので、読み手からは活力を魅力と言い換えることが可能かもしれません。連載小説であれば、連載ごとに寿命分の魅力が増していないと次第に枯渇するわけです。
 先述したとおり、私は書き物の内容によってサイズを決定すべきだと感じています。内容とは、書き物にどのような魅力を付与するかということです。たとえば、恐怖を魅力に据えた書き物を創作するとします。原初的な恐怖──殺人や傷害など的を絞って鮮やかに描き出すのであれば、活力が火花を散らすようなインパクトの強烈な短編にすることが望ましいですし、じわじわと追い詰められ閉塞してゆく恐怖を描き出すのであれば、ある程度の紙幅を割く必要があります。
 活力が等量であり、その消費方法の緻密度も同程度であれば、長編であっても短編であってもそこに上手下手の差を感じません。

 私は文章が好きです。だからこそ、醜悪を晒す文章は私の手で殺したい。すでに死んだ文章なら葬ってくれる。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 457 [関連記事]
投稿日: 2008/08/10(Sun) 15:01
投稿者夢劇場

返信遅れてしまい、申し訳ありません。
美的感覚以外の事由によって自分から選択肢を狭めるような行為は愚かと思います、との事ですが自分は分量も美的感覚に含まれると考えます。「話の内容ごとに最善の量がある」、と言うのが自分が解釈した貴方の意見なのですが、その最善のあり方が作者によって異なると考えるのが自分の意見です。
例を挙げますと、「水滸伝」などは昔から多くの作者がリメイクしていますが、その量はかなり異なりますよね。それは108人以上の人々の物語をどれ位の分量で掘り下げるのか、話の本筋である国(宋、だった気がします)との争いをどれだけ細かく書きつくすかによってそれが異なってきているのだと思います。自分の好きな北方謙三の水滸伝ですと、楊志に原作では存在しない楊令という息子が生まれ、全く新たな物語に繋がったりしています。貴方の口ぶりですと、「物語の本筋にそぐわないサイドストーリーをよしとしない」と自分は感じました。もしそうだとするのならば、世に反乱する人気作の続編やスピンオフ作などは認めないという事でしょうか?
自分は物語の本筋は勿論ですが、それに登場するキャラクターとその会話の面白さも大切で、それらは予定調和の取りづらいものだと思います。「ウケ」を狙う会話の多くは話の本筋とは関係ありませんし、人物のキャラクタライズ自体が本筋と関連した明確な意図など無い場合が殆どだと思います。それでも、それらが魅力になっている話を、自分は知っていますし、世にも溢れていると思います。
本筋のテーマや狙いにそった最善の分量がおのずと決定され、感動を与えられる活力が枯渇した時に物語が終幕するならば、上記した本筋とは無縁の「面白み」を極力、削り落としてしまう結果になってしまうと思うのです。自分は、予定調和にそぐわないサイドストーリーやサブキャラクターから生まれる、発展する話にも十二分に活力が備わり、感動を生む場合があると思うのです。
 自論を述べているとどうも、自分は楽な、綿密な計画の要らない道を選んでいるように自身で感じたのですが、それならば、そんな考えもありだと開き直ってしまおうと思います。
自分も文章は勿論大好きです。ですからこそ、その作者の持つ全てを貪欲に書き綴って欲しいと渇望するのです。小ざっぱりと纏まった文章に予想外の(作者・読者双方にとって)面白みや魅力は付いては来ないのでは、と感じてしまうのです。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 459 [関連記事]
投稿日: 2008/08/11(Mon) 01:32
投稿者模造の冠被ったお犬さま
URLhttp://clown-crown.seesaa.net/

 や、侮っていました。そこまで読み取ってもらえるとは正直、思ってなかった。すみません。敬語を崩していいですか? 馬鹿にしているわけじゃなくて、そのほうが伝えやすいからです。むしろ、敬語のときのほうが馬鹿にしてる。

 【話の内容ごとに最善の量がある】、その読解は否定しない。前に書いたリプライは全て【話の内容ごとに最善の量がある】ことを指している。でもそれは、私の文章から本筋を抜き出しただけだよ。間違っているはずがない。問1.この文章で模造の冠を被ったお犬さまが書きたかったことはなんでしょう。(1点) そんなのは1点問題だ。
 それ以外にも分量を決定する事項があると認めているし、あくまで物語内容による文章配分はアウトライン。最初の線引き。夢劇場さんの言に倣って言えば【作者の好み】を入れるのは、その後だと言いたいのです。
 【水滸伝】は読んでいないな。ゲームでも有名らしいけれど、それもやってない。まあ、でも言いたいことはだいたいわかる。百八人の登場人物がいるならそんな短いものでは決してないのでしょう。同じ人間がなんど書いたって、まったく同じ分量になることはないよ。ましてや別の人間が書いたなら、そりゃ違うだろうさ。ちょっと話がズレているかな。詭弁だとバレる前にきちんと答えよう。
 内容が違ってるんじゃん。夢劇場さんが自ら書いている。【人々の物語をどれ位の分量で掘り下げるのか】、【争いをどれだけ細かく書きつくすか】、【全く新たな物語に繋がったり】というのは、それはつまり同じ水滸伝の名前をしていても内容がまったく違うということだ。私は【作者の好み】というものを【内容】とはまったく別に考えている。【作者の好み】によって【内容】が変わっているのなら、それは私が今まで書いてきた【作者の好み】とは違う。私の【作者の好み】は夢劇場さんの【作者の好み】より狭い定義で使っているので、そこを拡大解釈して反論されては困ります。私が今まで使っていた狭い意味での【作者の好み】は今後、【アンパンマン】とでも呼び換えましょうか?
 で、【物語の本筋にそぐわないサイドストーリーをよしとしない】ははんぶん当たりではんぶん外れ。きちんと魅力を搭載したサイドストーリなら大歓迎です。書き物に魅力を追加することができる、というのは連載小説を喩えに出して書いたつもりだったけれどな。だからもちろん、続編やスピンオフを認める(でも本作に比べて程度が低いと思うことしばし)。でもさ素人がそのいうのに手を出すのって、書き手が物語だったりキャラクタだったりを舐め回すのを見せ付けられているようで気持ち悪い。読めるものになっているか、という客観的視点のハードルが非常に低くなっていると思うね。
 書き物の魅力というのは、そんな一本槍みたいな簡単なものではないよ。寿命と魅力をイコールで結びつけたのがいけなかったな。寿命は魅力の総合得点みたいなものだと、そう説明したらどうだろう。【会話の面白さ】も【「ウケ」を狙う会話】も【人物のキャラクタライズ】も魅力だと言い切れる。魅力にならないとは言ってないさ。
 夢劇場さんはアレだね。なにが贅肉なのか感じられないだけじゃないの? 文章を削ることの有効性に気が付いていない。夢劇場さんはこう質問するべきだったんだよ。「文章の要らない部分って例えばどんなとこですか?」って。そうすれば私だってもっと気の利いた答えを用意できる。さすがに今となってはあなたひとり相手にエネルギー使いすぎたけれどね。
 どうだろうか、私の言ってることは的外れかな。

 簡単に言うと、HDDにえろ動画を詰め込みすぎて動作が遅くなってるような感じだよ。もっとグルメになろう。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 461 [関連記事]
投稿日: 2008/08/11(Mon) 11:37
投稿者夢劇場

なるほど。頑張って読解したつもりでしたが、どうにも情報量が多い様で。貴方の言い表したい事の三割も自分は読み取れてはいなかった様で、しかしそれをそのまま流してしまうのはあまりに勿体無いので、沢山質問させていただく事をご了承下さい(されなくても、しまくりますが)。
まず、自分と貴方の意識の違いを明確にしていただきたい。先ず気になったのは【作者の好み(アンパンマン?)】ですね。
自分はこれを話の長さそのものや、人物のキャラクタライズ、サブのキャラやイベントなどに反映されるものだと思っています。【贅肉(後で質問します)】っていうのも好みですかね。
貴方の考えを読解してみようと思うと、矢張り、明確に宣言されている言葉をそのまま受け取ってしまうのが容易いと思う。ただ、前回はそれで半分も読み取れなかったので恐らく今回もズレは生じてしまうと思います。その上で貴方の考えを読解します。
『物語内容による文章配分はアウトライン。最初の線引き。夢劇場さんの言に倣って言えば【作者の好み】を入れるのは、その後』とのお言葉ですね。つまりは概要と章の数を考えた時点で大体の目安になる枚数を考え、そこから【作者の好み】によってその内容、つまりは分量までも影響を及ぼし変化させる、という事でしょうか。しかし貴方はその後で『私は【作者の好み】というものを【内容】とはまったく別に考えている』とおっしゃっていられる。好みが内容に反映されないならば【作者の好み】というのはただの理想で【内容】という現実には殆ど明確な変化が訪れないという事でしょうか?
さて、ここで自分が混乱してしまっているのは一重に自分の【作者の好み】と言うのが貴方のおっしゃる通り多くを捉えすぎているからなのでしょう。しかし、自分は話を書く、即ち何かを表現するにあたっては、必ず好みというのが含まれると思うのです。そもそも話の【内容】を書いた時点で好みは含まれているでしょうし(これは言い出すときりが無いのでここで忘れて下さい)、貴方の狭義する【作者の好み】とはどれほどの事に絞って話していらっしゃるのか、エネルギーが残っていれば教えて頂きたい。
次にいきましょう。私の活力(エネルギー)は有り余っているので、終幕はまだまだ先です。
さて、後半からは何だか、自分の意見は貴方の考えのほんの一部に過ぎない、と言われている様で仕方が無い。木の枝の様に多くの【魅力】となる要素は分岐して広がり、数歩下がって木全体を見渡してみるとそれが【寿命】である、とそんな解釈でよろしいでしょうか。
そして終盤、急にまた【贅肉】というワードが戻ってくる。あれ、【贅肉】の話、してたっけ? どこかに比喩表現が?? と自分が思ってしまうのは、矢張り、【贅肉】の形、存在を明確に見出せては居ないからなのでしょう。なので是非、質問させていただきたい。「文章の要らない部分って例えばどんなとこですか?」
何日でも待ちます。エネルギーが堪ったらでいいので、どうか刺激的な答えをお願いします。
『簡単に言うと、HDDにえろ動画を詰め込みすぎて動作が遅くなってるような感じだよ。もっとグルメになろう』…………自分の好み一辺倒じゃ、読む側は辛い、だからグルメになって多くの魅力を持たせて、多くの人に好まれる話にしよう。自分の好みには【贅肉】が含まれていて、それを見つけて削る事が大切である、とそんな解釈でどうでしょう?


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 462 [関連記事]
投稿日: 2008/08/13(Wed) 18:10
投稿者模造の冠被ったお犬さま
URLhttp://clown-crown.seesaa.net/

 質問を了承したします。ですから、私の手の甲にキスすることを忘れないでいただきたいわ。

 私は自分の考えを述べているに過ぎませんし、あなたもそうでしょう。私はあなたの考えを読んで、私との考えの違いを述べた。あなたは私に対して同じことをしようとしたけれど、それをできないと“言った”。お互いがお互いを見ているのには違いないのです。ただ、どこを見るか決めていないだけの違いなのでしょう。私は物事の見方を教えられるほど成熟していない。あなたが学び取るべきだと思います。そのための手助けならしましょう。
 私はあなたの質問すべてに応える気はありません。答えることを約束したのではありません。

 『贅肉』の話こそが、スレッドを立てる発端となった感想欄で核となる話題です。そこに付随する『物語の長さ』など副次的な話題であり、おまけのようなものでしょう。私なりの『物事の見方』をして、そのような結果を得ました。
 グルメになろう、というのはあなたの解釈した意図で書いたのではありません。むしろ、逆を向いている。その読解に対してこそ、私は意識の違いについて問いたいと思う。

 さて、この辺りで私は書くことをやめておきます。エネルギーは充分に補填されました。それが問題ではない。最初のレスポンスこそ読むもの全てに宛てて書いていたけれど、二度目、そして今回は完全にあなた向けの文章になっている。すぐ近くにいるのにスピーカを持って話しているようだ。なんと滑稽か。個人で話をするには相当の場所があり、ここはそうではない。
 ブログをもっているならトラックバックしてくれれば反応する。書き物について考察しているエントリはいくらでもあるので、どれにしても少なからずこの話題に重なるだろう。メールアドレスを探し出すことに成功すれば、それでもいい。

 あなたはなかなか楽しい人だよ。だからこそ、少しばかり惜しいぐらいの気持ちでひとまずお別れ。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 465 [関連記事]
投稿日: 2008/08/16(Sat) 01:23
投稿者夢劇場

どうもです。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 463 [関連記事]
投稿日: 2008/08/13(Wed) 21:55
投稿者上野文
URLhttp://www.k3.dion.ne.jp/~tomarigi/

 こんばんは、上野文と申します。
 ここは、”物語の「長さ」について”意見を交わすスレッドで宜しいですね?(なんか下の方、意図的に話が逸らされちゃってるので)

 これは私の主観ではありますが、短編と長編では求められる要素が異なると思います。
 短編においては不必要な贅肉が、長編においては必要不可欠な魅力となる場合もあるでしょう。短編において鮮やかな彩りが、長編においてはけばけばしい色の重ねにしか見えない場合もあるでしょう。
 短距離走のフォームでフルマラソンをこなすランナーはいませんし、時間のないお昼のランチ(低価格)に40分もかける調理人は客に逃げられます。
 そういう意味では、私のスタンスは模造の冠被ったお犬さま様の考えに近いのでしょう。
 もちろん小説において何が最善か、なんて最適解はたぶんどこにもありませんし。俺が気に入らない小説は全て価値無し、なんて思い上がりは読者以前にマナーを学ぶべきです。
 書き手ひとりひとりによって、『こんな筋書きを書きたい』とか、『こんなシチュエーションを書きたい』とか、『こんな一発ネタで書きたい』とか、あるいは『考えて欲しい』、『楽しんで欲しい』といったコアになるものは違います。
 それを表現するに足る手法も異なるならば、創作する最適な長さ、分量もまた異なるはず。これは、夢劇場様の主張されるとおりです。
 要は、”自分の好み(コア)”と、”題材やジャンルから想定される良いと計測される分量(内容)”のどっちに重点を置くかの差に過ぎません。
 ……それこそ、人それぞれの好みか哲学か、な問題なわけで、「俺の趣味はグルメだぜ?」 と主張されても、他人からは「いや、それジャンル違いのエロ画像だし……」と映る場合は多くあります。(たぶんツッコミ待ちのボケだったみたいだから、遅ればせながらこの場で一応のツッコミを入れてみます)

 さて、私自身の”物語の「長さ」について”のスタンスについてお話しますと、短編書くときはたいてい一発ネタ、中・長編を書く時は複数のネタと決めています。
 ですので、書き始める前から、短編か”それ以外”かは決めていることになります。
 中・長編の場合、おおまかなプロットとキャラクターを決めて執筆に入るのですが、基本的にキャラクターが走り出した時点で「あとよろしく」と丸投げするので、予定通りの枚数で終わるかどうかはまちまちです。
 予定していたラストから逆走したり、横道に逸れたり、キャラクター達の行動如何によっては色々ありますが、それはそれで楽しいです。
 私としては、予定している課題(タスクorテーマ)を消化さえしてくれれば、後は自由に動いてくれるのが楽しいなって。
 でも、このやり方は、設計図どおりに落とし込むのが好きな書き手さん、そもそもキャラクターを作れない(作らない)書き手さんには、理解し難いようです。
 そこらへんは、それこそ好みの問題ですものね。
 あと長さで気をつけているのは、全体の構成(起承転結)に関わらず、節目ごと(およそ10KB or 20KB)に山場などが入るよう、見せ方を調整することでしょうか。
 こんなところですが、参考になれば幸いです。では。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 464 [関連記事]
投稿日: 2008/08/16(Sat) 01:21
投稿者夢劇場

話が題材から逸れててすいません。そして、それでも反応を下さってありがとうございます。返信が遅れてしまって申し訳ありません。
 【予定している課題(タスクorテーマ)を消化さえしてくれれば、後は自由に動いてくれるのが楽しい】、良いですね、そのイメージ。自分のもやもやした思いをすぱっと形にしてくれた様です。自分は娯楽に小説を読むのが殆どですから、堅苦しいテーマよりもキャラが自由に動いている場面の方が好きだったりします。がっちり設計図を固めてしまうと、それが生まれない気がしてしまうんですよね(これ以上は冠さんとの【贅肉】云々の話の繰り返しになってしまうので割愛させて頂きます)。
【全体の構成(起承転結)に関わらず、節目ごと(およそ10KB or 20KB)に山場などが入るよう、見せ方を調整すること】これは、投稿サイトで長年生きる人の知恵、って感じですね。自分は物語を大まかにみた時、一つの山を登って下る様なイメージを浮べますが、あなたのお考えだと、小さな山の連なる山脈を一日一つづつ乗り越えていく様なものでしょうか。そんな山脈もずっと遠くから見れば連なる一つの景色に見える、と。なんだかそれもありですね。いや、登山家では無く、散策に来た人に対してならばそっちの方が楽しそうですね。最初は小さな山で、面白ければ山脈の高い所まで登って行く、と、これはとても勉強になりました。
具体的なご意見と、実用的な考え、とても分かりやすかったです。ありがとうございました。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 466 [関連記事]
投稿日: 2008/08/19(Tue) 16:03
投稿者勇波あい


 こんにちは、夢劇場さま、勇波あいです。
 議題部分の『ある方のある話に対する感想』に多少の心当たりを覚えたので、首を突っ込ませて戴きました。もし違うようでしたら、驕った奴だと冷ややかな目線を投げかけてやって下さい。

 私は短編というものを書くのが苦手です。
 私の中の物語は、ふっと一本の筋になって現れます。何々がどうする話、あれこれがこうなる話。この時点で大体が中〜長編です。このまま書いたら途方もなく長くなってしまうだろう、という話もありました。実際何年も書き続けているものもあります。
 それは何故か、と考えると、全く簡単なことで、見えたもの全てを書こうとしていたからでした。
 短編小説って、何と言うのかこう、一瞬の煌きみたいなものを描いたものなんですよね。そして長編小説は、ストーリーの中でゆっくり煌きを増してゆくものだと思います。ちょっと単純な考え方ですが、まだ私には筋として浮かんできた物語を切り貼りして短編にするという概念が無いので……。これは一から書いたほうがいいから中長編、これはごてごてに飾る必要なさそうだから短編、そんな感覚です。物語は料理にも似ていますね。じっくり味付けを重ねる料理と、素材の味だけで勝負する料理。それはもう知識の畑から採れた素材によって調理法を変えていけばいいや、と私は思っています。調理法や素材の使い方も人それぞれですし。
 どれも美味しいです。下手な人が作ると壊滅的な味になりますけど。

 がきっぽい考え方で申し訳ありません。執筆暦も読書量も大したことない人間の意見ですが、参考にしていただけたら。

 それにしても、短編は短い中で書きたかったことを伝えきらなくてはならないし、長編は長い中で飽きさせることなく読ませ続けなくてはならないし、「書く」ことの何と難しいこと。
 読者目線から考えてしまうと、読み取れない短編も読ませてくれない長編も、ただの文章の羅列でしかないんですよね……物語って複雑だ。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 467 [関連記事]
投稿日: 2008/08/20(Wed) 02:49
投稿者夢劇場

どうも、こんな所で勝手に話題を膨らませてしまってもうしわけありません。そして、それにも丁寧に反応して下さって本当に感謝しています。
勇波さまのお考えに自分は結構、共感しています。
【短編小説って、何と言うのかこう、一瞬の煌きみたいなものを描いたものなんですよね。そして長編小説は、ストーリーの中でゆっくり煌きを増してゆくものだと思います】自分も、そこまで明確な考えはありませんでしたが、感覚的には勇波さんと同じだと感じました。ただその他にも、中長編では主に(それだけではありませんが)人物にスポットをあて、短編ではテーマや勇波さまのおっしゃる「煌き」一つにスポットを当てているのかな、というイメージもあります。自分は短編を書いた事が無いので断言は出来ませんが。
話の構成も、多方面からの見方があると思うので、その見方や考え方は幾らでもあるとは思いますが、その本筋は勇波さまのおっしゃる【じっくり味付けを重ねる料理と、素材の味だけで勝負する料理】の違いじゃないのかな、と感じます。一つのテーマでも、引き伸ばそうと思えば、他の具材を混ぜ込んで幾らでも豪勢なものに出来ますものね。ただ、その料理に素材そのものの味があるかと聞かれれば、それは怪しいですが。あ、なんだか料理に例えると上手い具合に話がマッチしますね。これもまた、一つの収穫の様です。
非礼な事をしてしまったかと思っていたので、お言葉をいただけてほっとしました。そしてそれ以上に、いいご意見が聞けて嬉しかったです。本当にありがとうございました。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 468 [関連記事]
投稿日: 2008/08/22(Fri) 07:01
投稿者中村ケイタロウ

 夢劇場さん、みなさん、こんにちは。
 内気でシャイなもので、基本的にこういう場所にはしゃしゃり出ないことにしているのですが、ことの成り行きと話の流れからして、「おじゃましてもいいかな」と思って、飛び込ませていただきました。

 少しだけ私見を。何かのご参考になれば。

 これはあくまで個人的信条なのですが、僕は、たとえどんなに長い作品であっても、一編の小説はひとつの統一体であるべきだと考えています。そうでなければ、一つの作品としてひとつのタイトルをつけて発表する必要も意味も無いと思うのです。そして、それは短編も長編も同じだと思います。
 ですから、「この小説にはこれが絶対に必要だ」と思われること以外は、書くべきではないと僕は思っています。もちろん、長い小説がいけないなんてことは全然ありません。2000枚でも3000枚でも、必然性があればそれでいいと思うのです。しかし、小説を読むために読者が使う時間と労力と視力と想像力の大きさを思えば尚更、「書きたいことを全部書く」という姿勢はいささか無責任なのではないかと思うのです。その小説を読むのにどれぐらい時間がかかるか。どれくらい目が疲れるか。
 たしかに、小説の歴史を振り返れば、「吾輩は猫である」とか「トリストラム・シャンディ」とか「失われた時を求めて」(最後までは読んでないけど、たぶん)のように、書きたいことをどんどん書いていって歴史的名作になった例はあまたあります。しかし、これらの作品の作者に共通して言えることは、「人並みはずれた、ものすごい教養を持っていた」という点です。情報過多の現代において、僕たちが容易に真似できることではないと思います。

 以上の様な考えに基づいて、僕は「どんなに良く書けたと思った会話・描写でも、小説全体にとってどうしても必要だと思えない限りは、削る」というのを基本原則にしています。「これはうまく書けたなあ。カッコいいなあ」と思うような部分って、ストーリーや物語世界全体の中に位置づけてみると案外不必要な場合が多いんですよね。そんなときは、心を鬼にして削ります。会話を圧縮し、シーンを削り、時には一章まるまる捨てます。(もちろん、保存はしておきます。あとでネタになるので)
 料理の比喩を続けさせていただくならば、どんなにいい素材でも、使えない時と場合があると思うんです。「あら、お中元に最高級の松阪牛をいただいたわ。ちょうど今作ってるクレームブリュレに入れちゃおうかしら」「おっ、うまそうなメロンだな。すき焼きに合うかな」というわけにはいかないですよね。それはフルコースじゃなくて、闇鍋です。
 もちろんこれはあくまで個人的な原則ですから、誰も監視していないわけで、自ら裏切ってしまうこともしょっちゅうです。ですから僕の第二の原則は、「仮に物語全体にとって不要でも、やっぱりどうしてもどうしても書きたいことは、内緒でこっそり書いちゃう」ことです。
 どうして「内緒で」なのか? それは、個人的な欲求の誘惑に負けて書いてしまった部分を人様に読ませるのは、恥ずかしいことだと思うからです。発表を前提に書いている小説は、僕個人だけのものではなく、ある意味で公的なものだと思うからです。

 結局は精神論めいてしまうのですが、書き手自身が自らの小説的良心に照らして「これしかない」と確信を持てる内容、確信を持てる形式、確信を持てる長さにするのが何よりもベストだと僕は思います。物語全体にとって何が必要で何が不要か、こればっかりは作者にしか分からないはずですから。
 ですから長さに関しても、300枚で切るべきだとお思いになったら、決然と切るべきだと思いますし、これは何が何でも3000枚必要だと思われたときは、誰が何を言おうと断固として3000枚書くべきなのではないかと思うのです。問題は長さそれ自体ではなく、コントロールできているかどうかだと思います。(しかし本音をいえば、一つの作品に2000枚分も書くべきことがあるなんてことは、本当は滅多にないはずだと思うのですが、いかがでしょうか)

 ひとつだけ。こんなことを言うと嫌われちゃいそうだけど、誤解を恐れずに申しますと、いわゆる「世界観」や登場人物への愛着から、必然性の無いエピソードをどんどん増やしてしまうような書き方を、僕はあまり上品だと思いません。そういうのを「淫する」と言うのだと思います。非常にきつい言い方になってしまって恐縮ですが、そのような小説を書かれるかたは、作品の「公共性」を忘れて、自己愛におぼれているように見えます。そういう作品に共感してくれる読者がいるとすれば、それは「ファン」と「お友達」だけだと思います。

 ああ、なんだかぐだぐだと書いてしまいました。偉そうに見えたら申し訳ありません。できるだけ筋道が通るように書こうとしたつもりでした。以上に書いたようなことを、本当に僕が実行できているかというと……できてる訳ないじゃないっすか。しくしく。
 長いコメントになってしまって申し訳ありません。「削れ」「削れ」と言ったのはどの口だったか。うーむ。恥ずかしいことです。まことに失礼いたしました。


タイトルRe: 物語の「長さ」について
記事No: 469 [関連記事]
投稿日: 2008/08/22(Fri) 13:01
投稿者上野文

 こんにちは、中村ケイタロウ様。上野文です。
 誤解を恐れずにお尋ねいたします。
 『いわゆる「世界観」や登場人物への愛着から増やされる必然性の無いエピソード』とは如何なるものですか?
 貴方が、源氏物語や里見八犬伝や東海道中膝栗毛や水滸伝(原作)や三国志演義(原作)やニーベルゲンの指輪や円卓の騎士譚諸々全てを「淫する」と斬って捨てるなら納得いたしますが。
 ランスロット卿がわかりやすい例ですが、これらの登場人物への愛着から物語が生み出された例を、まさかご存じないとは言われませんよね?
 二次じゃなくて「一次」でですよ?


タイトルRe: 物語の「長さ」について
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投稿日: 2008/09/01(Mon) 22:18
投稿者夢劇場

>中村さん、上野文さん、素敵な討論をありがとうございます。そして死ぬほど返信が遅れてしまって申し訳ありません。
上の討論は読んでいて面白くて、とても勉強になりました。
自分が開かせて頂いたこの場では「物語の長さ」を決める時の色々な観点を学べました。それらの観点のひとつに偏ってしまった話も途中にありましたが、どれもとても勉強になったと思いました。
短くて恐縮ですが、本当に楽しかったです。ありがとうございました。